京都学園大学の61歳の男性准教授が度重なるセクハラで懲戒解雇されたそうですね。
いい年をして、お盛んですねぇ。
私は学術行政の仕事をしており、様々な国立大学や国立研究所で勤務してきましたが、セクハラよりもパワハラよりも、アカデミック・ハラスメントの問題を多く見てきました。
アカデミック・ハラスメントは教授や准教授が大学院生や非常勤講師に行う暴言などで、学術の世界は極めて狭く、同じ分野の教員とは一生の付き合いになることから、常勤の職を持たない研究者は、学界の大御所や先輩に嫌われて常勤の職に就けないことを怖れ、多くは泣き寝入りしてしまいます。
一方学術行政を担う事務職員は、上司といえども頻繁に人事異動があり、大きな世界であることから、ちょっとした暴言などでもすぐにハラスメント防止委員会などに訴え出ます。
それを知っている管理職は可哀そうなほど委縮して、部下の顔色をうかがうような状況が現出しています。
私自身、このブログでたびたび紹介したとおり、研究者である職場のトップから度重なる暴言を受けて精神に変調をきたし、弁護士を立てて公文書による謝罪と損害賠償を求め、それは認められました。
私の完全勝利というわけで、誠に痛快な出来事でした。
惜しむらくは、相手方から直接口頭による謝罪が無かったこと。
所詮はその程度の器の、学者馬鹿だったということでしょう。
私の事件がきっかけで、職場ではハラスメント防止規程が整備され、ハラスメント相談員やハラスメント防止委員会が立ちあげられました。
最近話題になっている部活動での体罰や学校でのいじめの問題も、根っこは職場のハラスメントと同じだと思います。
泣き寝入りしてはいけないのです。
そうでないと、相手方は自分が悪いことに気付かないからです。
利害が衝突した時、最もいけないのは、自己主張をせず、我慢してしまうこと。
それは自分にとって不利益なだけでなく、相手方にとっても反省の機会を逃し、同じような犯罪的行為を繰り返す原因になってしまいます。
モンスター・ペアレントとかモンスター・ペイシェントなどと呼ばれる、学校や病院にクレームを付ける人々を責める風潮がありますが、それがモンスターなのか、理にかなった抗議なのかは、判断が難しいところで、クレームを付ける側にはそれなりの理屈があり、その理屈と、受けた側の組織の理屈を調整するには、最終的には法的手段しかないことになります。
日本人は弁護士を立てたり訴訟を起こすことをご大層なことのように思いこみ、そんなことをするのはおかしなやつだという風土があるような気がします。
しかし何のために弁護士や検察、判事が高い収入を得ているかを考えれば、じゃんじゃんそれら法曹関係者を使うべきです。
彼らもまた、庶民の幸せを守るべき社会資源に過ぎないわけですから。
どうかこのブログをご愛読下さる方には、不利益をこうむった場合、世間体とか自分の出世など気にせず、勇気ある少数者として、俄然、声を挙げて欲しいと思います。
そういうことの積み重ねが、世の中からハラスメントやいじめ、体罰を根絶する道につながるわけですから。
今朝はいきなりパソコン・トラブルに見舞われました。
財務会計システムから必要な箇所をコピーしてエクセルに貼り付け、私が担当している部分だけが見られる予算執行状況表を作成したのですが、1枚だけのエクセルの表がなぜか1MBを超え、印刷はできないわ、加工はできないわで、一時間以上悪戦苦闘したあげく、情報管理担当のSEに来てもらいました。
財務会計システムからコピーするとき、なぞのデータが隠れているとかで、その解決方法は信じられないほど単純なものでした。
いったん財務会計システムからコピーした表を、もう一度エクセルにコピーしなおすのです。
すると、あら不思議。
ファイルのサイズが劇的に小さくなり、加工もサクサク、印刷もすぐにできました。
いったんエクセルに落としたデータには財務会計システムの膨大なデータがくっついてきていたところ、それを再度別のエクセルに落とす際、隠れたデータはコピーされない、ということのようです。
SEも原因は分からないと言っていましたが、こうすれば出来るんじゃないかという勘が働くあたり、さすがSE。
餅は餅屋ということでしょうか。
いよいよ今日で2月も終わり。
決算に向けて、これから毎日数字とにらめっこですかねぇ。
でも長いこと契約の仕事をしていたせいか、年度末、着実に予算を執行し、執行率が日々上がっていくのを見るのは私にとっては快感なのです。
私も予算執行オタクの変態ですねぇ。
なんだか今日は一日不機嫌でした。
月曜日の事故のこと、年度末に向かう慌ただしい雰囲気、年度末を前に退職する2人の非正規雇用職員、どうでもいいことに口を突っ込んで部下の仕事の足を引っ張る阿呆上司。
それら様々なことが、私の精神を蝕んでいるようです。
でも腹を立てているうちはまだ良いんですよねぇ。
これが気分が沈んでくると業務能率が落ち、ミスを連発し、ついには出勤できないというか、朝起きられなくなってしまいます。
そうなる前に対策を立てなければなりませんね。
絶対に残業しないこと。
送別会などのくだらぬ宴会には出ないこと。
とにかく私にとって不愉快なことはすべて避ける必要があるでしょう。
そうは言っても人間相手の事務職であってみれば、不愉快な思いから完全に逃れることはできません。
因果な商売ですねぇ。
誰とも話さず、一人だけで作業するような仕事がしたいものですが、あいにく私にはそんな特殊技能はありません。
いやだ、辞めたいと思いながら、もう21年も勤めてしまいました。
17年後の定年が待ち遠しいですねぇ。
でも今の社会情勢をみると、65歳まで定年延長になるかもしれません。
死ぬ直前まで働いて税金や社会保険料をおさめ、年金を貰える年齢になったらさっさと死ねということでしょうか。
わが国が抱える少子高齢化の問題を考えればそれもやむを得ないのかもしれませんが、老後に希望が見えない社会というのは嫌ですねぇ。
先進国だの経済大国だのと威張ってみても、国民一人一人の幸福感が低いのでは何にもなりません。
第三次ベビーブームが起きたら、わが国社会は劇的に変化するでしょうに。
そんなことは夢のまた夢ですが。
教育再生実行会議なるいかめしい名前の組織が、体罰やいじめの根絶のための提言を行ったそうです。
いじめは傷害事件だし、体罰も傷害事件。
要するに犯罪です。
これを教育もしくは教育現場の問題ととらえることにそもそもの間違いがあります。
部活動での体罰に関しては、勝利至上主義に陥ってはならないとか、いじめに関しては道徳の教科化などがもりこまれています。
ぬるい。
体罰やいじめが発覚した場合、ただちに警察に通報すべきでしょう。
もし職場で暴力をふるったなら、それはすぐに傷害事件として起訴されるでしょう。
学校は聖域ではなく、愚かな人間が集まる単なる組織に過ぎません。
教師は単なる職業であって、聖職者ではありません。
教師に過大な期待を寄せるのは間違っています。
根本的な解決はただ一つ。
一般社会の常識にしたがって、体罰もいじめも発覚したなら直ちに刑事事件化するほかありません。
今日は2月26日ですね。
思い浮かぶのは、日本近代史上最大のクーデター事件、2.26事件です。
これは陸軍の青年将校の過激分子が、下士官兵に演習と偽って動員をかけ、政府要人を暗殺し、昭和維新の断行を叫んだ事件です。
老いた重臣たちを君側の奸と決めつけ、問答無用で殺害してまわる、怖ろしい事件でした。
しかしこの事件、今になって思えば、決定的な欠陥があります。
昭和陛下が自分たちのやむにやまれぬ心情を理解してくれるものと勝手に思い込んでいたこと。
まともな頭があれば、そんなことありうるはずがないことぐらい分かりそうなものを。
現に青年将校たちに同情的な態度を見せる陸軍幹部を前に業を煮やし、昭和陛下は、朕が自ら近衛師団を率いて賊軍の鎮圧にあたらむ、と激高したため、陸軍も青年将校たちを国家に対する反逆者として扱わざるをえなくなってしまいました。
クーデターを本気で成功させたいのなら、どこよりも先に皇居を占拠し、昭和陛下がどうしても青年将校に抵抗した場合、昭和陛下を暗殺し、新たな天皇を立てるより他、方法はありません。
青年将校の理論的指導者、北一輝もそのように考え、事件の一報を聞いた時、皇居を占拠していないことを知り、クーデターの失敗を確信したそうです。
後に北一輝も死刑に処せられます。
裁判は秘密裏に行われ、一審のみ、弁護人なし、という苛烈を極めるもので、法廷で自らの主張を述べたて、世論の沸騰を待つという最後の戦略も許されませんでした。
事件の首謀者の一人、磯部浅一は、獄中日記に、昭和陛下を責める激烈な言葉を残しています。
天皇陛下、何という御失政でありますか。何というザマです。国民の9割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ。此のごとき不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、如何に陛下でも神の道を御ふみちがえ遊ばすと、御皇運のはてることもございます。余は方案のためには天子呼び来れども舟より下らずだ。
また、同じ獄中日記に、
何にヲ!殺されてたまるものか、千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬことは負ける事だ、成仏することは譲歩することだ、死ぬものか、成仏するものか、悪鬼となって所信を貫徹するのだ。
と、恐るべき執念と怨念を見せています。
通常軍人が銃殺刑に処せられる場合、天皇陛下万歳を唱えるのが当然ですが、磯部浅一は無言だったそうです。
昭和陛下への怨念は崇徳院や平将門など、怨霊のスーパースターにも匹敵する、激烈なものだったようです。
しかしそれもこれも、子どものように昭和陛下が自分たちの考えに共鳴すると勝手に信じ込んだゆえ。
おのれの幼稚さをこそ呪うべきでしょう。
三島由紀夫の「英霊の聲」には、特攻に散った英霊などとともに、2.26事件に連座して刑死した者たちも英霊として登場します。
英霊たちが戦後日本を嘆くのに、何を最も嘆いたかと言えば、昭和陛下の人間宣言です。
昭和陛下が人間なのは当たり前のことですが、わが国は天皇を人間を超えた存在と規定する虚構のうえに成り立っており、その虚構が崩れた時、わが国はわが国ではなくなってしまうと信じたのでしょう。
「英霊の聲」のラスト、英霊たちが声をそろえて、
などてすめろぎは人となり給ひし、などてすめろぎは人となり給ひし
と繰り返す場面は、三島由紀夫に英霊が乗り移ったかの如き迫力があります。
現に英霊の依代となった若い神主は、英霊たちの凄まじい瘴気に触れ、英霊の聲を伝えた後、息絶えてしまいます。
今、自衛隊や警察が実力でもって国家転覆を謀るとは考えにくいですが、かつてのオウム真理教のように、魔術的な思考に陥って、冷静さを失い、ほとんど馬鹿げているとしか言いようがない暴挙に出る者が存在します。
多分それはどんな平和で暮らしやすい世の中でも、ある一定の割合で必ず存在するのだと思います。
そういう連中には教育や説得はまず効果はなく、力で抑えつけるしかないでしょうねぇ。
残念なことですが。
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朝の通勤時、車の接触事故を起こしてしまいました。
信号の無いT 字路で私が右折する際、直進車の右側後方に私の車の左前のバンパーが当たってしまいました。
私の不注意ですねぇ。
車の傷はお互い微々たるものですが、相手が過去に何度もおかまを掘られたり接触事故を起こしており、念のため病院で検査を受けたいというので、警察に通報して現場検証をした後、病院に同行しました。
レントゲン検査の結果は異常なし、痛みもない、とのことでしたが、警察は相手が病院に行ったことをもって人身事故として扱おうとしましたが、私は検査結果に異常がなく、痛みもない以上、医師の診断書が無いかぎり、物損事故であると主張し、調書への署名を拒否しました。
警察官はえらく不機嫌になり、後日警察署に出頭してもらう、それが嫌ならサインしろと迫りましたが、私はなおも拒否。
警察官は書きかけの調書をこれ見よがしに破り捨てました。
私が本来最初に告知すべき、自己の不利益になることは答えなくて良い、という説明が無かったことを責めると、しぶしぶ謝っていました。
事故を起こしてただでさえ気分が悪いところ、警察官の対応にますます嫌な気分になりました。
病院で検査が終わるのを待ち、保険会社に連絡して検査代は保険会社が支払うことで合意し、相手方と連絡先を交換して職場に向かいました。
この忙しいのに午前中がつぶれてしまいました。
多分7割方は私の落ち度だと思いますが、なんだか反省する気持ちになれません。
相手方には深々と頭を下げ、謝罪したおかげで、相手方は紳士的な態度に終始していただけに、警察のいかにも面倒くさそうな態度が気に入りません。
巨大な権限を持った公権力の行使者として、謙虚な態度で職務にあたって欲しいと思います。
今日はマンションの管理組合の総会がありました。
議事は滞りなく済み、輪番でまわってくる理事4名が役職を決める段となりました。
理事長・副理事長・監事・理事です。
私は来年度、管理組合の理事にあたっているため、総会後、残りました。
ところが4名のうち1名が欠席しており、役職を決めることができませんでした。
なんとなくもやもやしますねぇ。
来週の土曜日に急遽理事会を開催し、あみだくじでもなんでも役職を決める手はずとなりました。
面倒くさいですねぇ。
今日は実家のお寺で亡父の一周忌法要が営まれました。
密葬および本葬のときとは違い、親族だけでひっそりと行われ、法要後の会食もくだけた雰囲気が漂いました。
遺骨は亡父の希望で歴代住職の墓ではなく、祖先が眠る小さな墓へと納められました。
これでいよいよ父も安眠できるものと思われます。
生命力の塊のような、力強く、教養豊かで、欲深だった亡父も、72歳ではかなくなってしまうとは、人生というものはわかりません。
過去、人々は死について様ざまな思考をめぐらせてきました。
わが国の神話では死後は黄泉の国に行くとされ、それは穢れでもありました。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三宗教では、やがて最後の審判の日が訪れ、すべての死者がいったん蘇って天国行きか地獄行きかの審判を受けるとされています。
仏教では悟りを開けば輪廻転生を免れ、極楽往生できると説きました。
それは後に発展し、日本仏教などの大乗仏教では、すべての衆生が救われると説くようになりました。
とくに浄土真宗では、有名な「歎異抄」に見られる、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、と言って悪人正機説にまで高められました。
悪人というのは犯罪者とかいう意味ではなく、深い信仰を持たない一般庶民ということです。
すなわち、阿弥陀仏の本願はすべての衆生を救うことであり、信仰を持たない者までも追いかけて行って救ってくださるというありがたいお話で、浄土真宗が庶民の信仰を集め、日本最大の宗教教団に発展したことは故なしとしません。
私たち人間にとって究極的に重大で、どうしても知りたい事柄は、死と宗教の話であるに違いありません。
あらゆる学問は、一直線に死と宗教の問題に結びついていると言えるでしょう。
父は謎めいた辞世の漢詩を残しました。
あえてここでは記しませんが、およそ坊主が残すには相応しくない、あまりに人間的な、人生の不思議を嘆く内容です。
私はこの辞世の解釈を、生涯かけて考え続けなければなりません。
おそらくそれが、亡き父が私たち親族に課した最後の課題なのだと思います。
亡父の冥福を祈ります。
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昨日の2つ目の会議、荒れましたねぇ。
議長の議事の進め方をめぐって抗議が殺到。
採決のやり直しを求める緊急動議まで出され、ある者は机をばんばん叩いて抗議。
1つ目の会議とは違い、私とは別の部署の事務職員がシナリオを書いたのですが、完全に根回し不足と規則への知識不足。
しかもそれを議長が鵜呑みにして議事進行をやっちゃったものだから、問題にもならないはずのことが大問題になってしまいました。
議長は会議の後、進退伺いを出すと言って謝罪し、その場をおさめました。
15時30分までに終るはずだった2つ目の会議、1時間も超過し、3つ目が始まったのは17時。
3つ全部に出席しているのは私を含めて3人だけ。
一つか二つの人はいいですが、こっちはたまったものではありません。
帰りは新幹線のグリーンで独りカップ酒。
酒は一時的にせよ疲れをふきとばしてくれますから。
帰るなり風呂にも入らず就寝。
今朝は久しぶりに朝湯につかりました。
今日は11時から亡父の一周忌法要。
もうあれから1年ちかくが経つのですね。
しかしまだ私の実家には亡父の気配が濃厚に漂っているようです。
ようやっと、遺骨を今日墓に納めます。
私も最近では亡父の強い影響から逃れつつあるようです。
忘却は最高の良薬。
人はこうして何もかもを忘れていくのですねぇ。
京都のホテルでの3つの会議、一つ目が終了しました。
まずはシナリオどおり。
いわば委員は役者で、私たち事務方は脚本家。
シナリオどおり進めば満点というわけで、13時半からの2つ目の会議に気持ちよく臨めます。
今、12時15分。
これから慌てて昼飯を食って、次の会議の準備に入るとしましょう。
15時半からは3つ目の会議が待っています。
まだまだへばってはいられません。
今日はこれから京都へ日帰り出張。
京都駅近くのホテルで会議があるためです。
しかも3本。
11時からと、13時30分からと、15時30分から。
嫌になっちゃいますねぇ。
民主主義社会の面倒くさいところは、なんでも会議を開いて合意を得なければならないこと。
意志決定に時間がかかって仕方ありません。
特にもともと役所だったのが法人化した私の職場など、法人化してかえって監査法人の監査や外部評価委員会、自己評価委員会など、会議が増えました。
法人化して給料も下がったし、良いことないですねぇ。
小泉構造改革の失敗例でしょうね。
民でできることは民で、なんて言っていましたが、看板だけ民にしただけで、実際は交付金という形で税金で賄われており、それなのに国家公務員が10万人減ったなんて、数字のマジック以外の何物でもありません。
悪いことに、明日は父の一周忌。
日帰りしないわけにはいきません。
例によって少しでも疲労を防止するため、新幹線は往復ともグリーン車を予約しましたが、やっぱり日帰りは疲れます。
宮仕えの身であれば、命令とあらばどこへでも行かなければなりませんが、私のような精神障害者は薬の副作用もあり、健常者より疲れやすくできているようで、昔は平気だったことが、今は困難になっています。
加齢のせいもあるんでしょうが。
ぐだぐだと愚痴をこぼしても仕方ありません。
3つの会議をうまく転がせてみせましょう。
今朝3名の死刑が執行されたと法務省が発表しました。
平成16年に小1女児を誘拐、殺害した小林薫死刑囚、44歳。
平成20年に茨城県土浦市で9人を殺傷した金川真大死刑囚、29歳。
平成14年、名古屋市中区栄のスナック店内でスナック経営者の女性を絞殺し、現金を奪うなどした武藤死刑囚、62歳。
いずれも凶悪犯で、法の精神に照らせば、早期の死刑執行はやむを得ないことです。
しかし最近、死刑確定から死刑執行までの期間が短くなっているように感じます。
死刑確定から平均7~8年後に執行されるのが普通でしたが、土浦の事件など発生から5年ですね。
一方オウム真理教関係の死刑囚や坂口弘などの連合赤軍事件など、政治性の強い事件での死刑囚に対しては、何十年も死刑が執行されず、このまま行くと結果的に終身刑だった、ということになりかねません。
現行法が死刑を認めている以上、悪法といえども法なり、という遵法精神を考えれば、異常事態であるとしか言いようがありません。
私はこのブログに何度も書いているとおり、死刑制度には絶対反対です。
死という人類にとって永遠に未知の事態が刑罰になるとは思えませんし、わが国の法体系は教育と更生を目指すことを建前にしており、復讐は考慮されていません。
だいたい人間はおぎゃあと生まれた瞬間から死刑判決を受け、着実に死に向かって歩んでいるわけです。
必ず訪れる死を少々人為的に早めることが刑罰なのだとしたら、私たちはみな人為的に死を早められることがないだけで、本質的には死刑囚と同じです。
そもそも刑法は殺人を禁じています。
その刑法が殺人でしかない死刑を認めているというのはおかしな話です。
国家だけが、国民に代わって人を殺すことができる、と言う論を張る人がいます。
死刑にしても、戦争にしても、国家の殺人は裁かれることがありません。
ニュルンベルク裁判や東京裁判は勝者が敗者を裁きましたが、それは殺人行為を裁いたのではありません。
それまで存在しなかった人道に対する罪というのをでっちあげ、しかも事後法で裁くという専横を働いたわけで、それは要するに復讐でした。
昔だったら敗軍の将は首をはねられるのが当然で、裁判も何もなかったところ、裁判という一見民主的な手続きを行い、正しいことであるかのように敗戦国の指導者の多くを死刑に処したことは、連合国は歴史に汚点を残したと言えるでしょう。
現在の法体系から言って、法務大臣は思想信条とは別に死刑執行趣意書へ署名し、死刑を執行しなければなりません。
それが法務大臣の仕事であり、国家から禄を食んでいる以上、当然です。
しかし死刑という刑罰が本質的な意味で刑罰足りえないのだとしたら、粛々と死刑廃止の法改正を行うべきであると考えます。
中国政府が大気汚染対策のため、都会でのバーベキューを禁止するそうです。
なんだかせこいですねぇ。
あの濃霧のような大気汚染の原因がバーベキューにあるとは思えません。
発電所などの大規模事業所への規制や、排気ガス規制がほとんどない粗悪な中国車を取り締まらなければどうにもならないんじゃないでしょうか。
なんでも中国は生産台数で世界一の自動車大国だとか。
それにしては中国の自動車メーカーというのを聞いたことがありません。
小規模メーカーが乱立しているんでしょうかねぇ。
私はじつはバーベキューが大嫌い。
なぜわざわざ山中や海辺に出かけて行って静寂を乱し、畜肉を焼いて悪臭を漂わせるのが楽しいのかわかりません。
味も悪いし。
過去、2回ほどバーベキューに参加し、ほとほと嫌になりました。
犬の餌のようなあの盛り付けも気に入りません。
やはり食事というのは清潔な場所で、美しく盛り付けられ、肉であれば一口大に切られているようなのが良いですねぇ。
大体私は野外で食事をすることも好みません。
なんだか不潔な感じがします。
唯一、花見の時だけは野外で飲酒し、つまみを食いしますが。
そういえば山形に旅行した時、渓流などではバーベキューではなく、芋煮会をやっていましたね。
芋煮会なら少なくとも悪臭は漂いませんし、後片付けも楽です。
驚いたのは、芋という炭水化物をとりながら、飯も食い、ビールも飲んでいたことです。
しかも飯はおにぎりではなく、お櫃をもってきて茶碗によそって食っていました。
まさに悪魔の胃袋ですね。
さらにその渓流を登っていくと、この先芋煮会全面禁止の看板が。
どんだけ芋が好きなんでしょうね。
まぁ、食欲旺盛なのは結構なことですが。
中国政府も煙を上げるバーベキューを禁じるだけでは闇で行う輩が出る可能性がありますから、芋煮会を推奨したらいかがでしょう?
年度末が近付いてきました。
この時期、予算の締めやら新年度の準備やらで、なんとなく気分がざわざわします。
今日もそう忙しかったわけではありませんが、なんとなく気が急く感じです。
就職以来、年度末を迎えるのは21回目。
なかなか慣れませんねぇ。
ていうか、毎日早起きして暗くなるまで働くという生活を21年も続けても、慣れるということがありません。
そういう日々に、なんとなく異和感を感じます。
オースティンに「高慢と偏見」という小説があり、中学生の頃読んで貴族というのは気楽なものだと思った記憶があります。
英国でドラマ化されて私はこれを好んで観ていますが、当時の英国貴族というのは、パーティに出たりお茶を飲んだり、ほとんど仕事らしいことを行っていません。
広大な領土の上がりで食っていたのでしょうが、羨ましいかぎりです。
わが国の公家も、かつては蹴鞠をしたり和歌を詠んだり宴会したり、夜な夜な夜這いをかけたり、遊んで暮らしていますね。
圧倒的多数の庶民が過酷な労働に従事することによって生まれた富を簒奪したからこそできたこと。
それに比べて今のわが国は誰もがあくせくと働いて、わずかばかりの涙金のような給料に甘んじ、10円や100円をけちりながら生活しています。
かくいう私もそうした安サラリーマンの一人です。
夢はジャンボ宝くじをあてて遊んで暮らすことですが、それはあまりに切なく、はかない願望ですねぇ。
せめてはアベノミクスによって経済が上向き、少しでも給料が上がると嬉しいのですが。
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今週末は忙しくなりそうです。
2月22日(金)は会議のため京都へ日帰り出張。
しかも同じホテルで、午前11時からと、午後1時半からと、午後3時半からの三つの会議に出席しなければなりません。
これは相当疲れそうです。
翌23日(土)は亡父の一周忌。
もう1年ちかく経つのですねぇ。
しかし今の私には、感慨に耽っている暇はありません。
さらに24日(日)は10時からマンションの管理組合の総会。
ここ何年も欠席していますが、来年度は輪番で理事がまわってくるため、出席しないわけにはいきません。
総会後、理事長・副理事長・監事・安全管理者を誰にするか、輪番で理事がまわってきた者数名が鳩首協議するのです。
もう10年以上前ですが、理事にあたった時は幸いにして副理事長という比較的楽な役職でした。
でも年まわりから言って、今回はそうはいかないでしょうねぇ。
あんまり若いやつや年寄りを理事長にするわけにはいきませんから。
新築で入居したマンションも、今年で築13年目に入り、現在、大規模修繕工事に向けて協議中です。
面倒な時期に理事がまわってきたものです。
私は、大人には果たすべき3つの責任があると考えています。
まず第一に、家庭での責任。
家事労働や家計費の管理などですね。
第二に地域社会での責任。
まさしく今回の理事の仕事がこれにあたります。
最後に職場での責任。
給料をもらっている以上、職階に応じた責任を果たすのは当然です。
ただ、私が職場での責任を最下位に考えているのは、仕事は辞めてしまうということが可能で、それほど責任重大ではないからです。
再就職すればそこでの責任が発生しますが、十分な蓄えがあれば働く必要はないわけですし、そもそも年をとって働けなくなれば職場での責任というのは完全に失われます。
地域社会での責任は、引っ越しても新たな地域での責任が発生し、これから逃れることはできません。
年をとっても果たすべきものです。
家庭での責任は、これも離婚したりして一時的に逃れることができますが、新たな家庭を持ったりすれば、そこに責任が発生しますし、まして独身で一人暮らしを貫くとなれば、おのれ一人が家庭での責任を果たさなければなりません。
これは一生涯逃れられない責任で、極めて重大です。
しかし日本社会で働く男性を見ると、職場での責任ばかりを過大視し、地域社会や家庭での責任を軽く見ているように感じられ、私には阿呆の集団に見えます。
まぁ、一日の大半を職場で過ごすサラリーマンであれば、そういう錯覚に陥るのもやむを得ませんが。
この忙しい3日間を無事に乗り切りたいものです。