米国のスター・バックスが8000もの店舗を休業にして、人種差別に対する研修を行ったそうですね。
店員が人種差別的な対応をしたことが問題とされたようです。
自由の国と自称しながら、米国は人種差別が根強いのだなと、実感します。
意外に思いますが、黒人やヒスパニック、アラブ系などよりも、アジア系への差別のほうが多い、という統計もあるそうです。
小中学校でイジメに関する調査をしたところ、白人で1割程度、黒人やヒスパニック、アラブ系では3割程度の子供がイジメを経験したことがある、と答えたのに対し、アジア系では54%に跳ね上がるんだとか。
うつ病になったり自殺したりする人の割合も、アジア系が明らかに多いそうです。
アジア系は黒人やヒスパニックなどに比べると、米国に移住し始めたのが遅く、そのため米国社会で確固たる地位を占めていないのかもしれませんね。
戦前の日系移民排斥や、戦中の日系人の強制収容、近いところでは、80年代以降、日本製の車や家電が米国市場を席巻し、主に経済的理由による日本人差別が顕在化しました。
今は亡き中村勘三郎も、公演のため米国を訪れた際、米国の警官から差別的な扱いを受け、激怒した、という話が残っています。
また、米国ではありませんが、学生時代、友人がヨーロッパを周遊する旅に出た際、ロンドンのタクシー運転手から英語の発音を揶揄された、と言っていました。
そういう話を聞くと、どんな国であれ、海外には行きたくない、と思ってしまいます。
わが国は、アイヌや沖縄など、もともと日本では無かった地域を抱え、単一民族国家ではありませんが、多民族国家でもありません。
米国などと比べれば、ほぼ単一民族国家と言っても間違いではないでしょう。
そういう国で生まれ育つと、人種差別というのものが、どうもピンときません。
戦中までは朝鮮人差別や中国人差別などが明らかに存在したそうですが、今となっては昔の話。
そもそも朝鮮人も中国人も、見た目は日本人と変わりません。
私の職場は、研究教育機関ということもあって、中国人、韓国人、米国人、ヨーロッパの人など、多くの人種が出入りしています。
分野の関係もあって、黒人は見たことがありませんが、そういう人々を一々差別していたら仕事にならないし、差別するような職員は皆無です。
浅草などに行くと、近頃外国人観光客であふれかえっており、これ以上来ないでくれ、と思いますが、差別感情というよりは、日本にはそれほどの受け入れ能力が無いと思うからです。
人間は、自分が属する共同体とは異なる文化、風習、風貌を持った人々を嫌い、差別する、ということから、どうしても抜け出せないようです。
例えば高校時代、同じ足立区の西新井と五反野に住む級友同士が、互いに相手の地元に関して悪口を言い合い、西新井・五反野戦争と呼ばれていました。
正直、江戸川区に住んでいた私には、両者の違いが分かりませんでしたが、ことほど左様に、地元意識と言うか、おのれの郷土を愛し、他を排する気持ちというのが強いのでしょうね。
しかし、世界は近くなりました。
異なる民族、文化、風習を持った人々と共生できなければ、人類に未来は無いでしょう。
悲しいかな、もう鎖国は出来ないのですから。
今日は休日出勤の振替でお休み。
歯医者に行き、歯のクリーニングをしてきました。
15年前、歯槽膿漏歯一歩手前の歯肉炎になったことがあり、それ以来、予防のため、半年に1度、歯のクリーニングをしています。
お昼はパスタを食し、しばし昼寝。
幸せです。
目覚めて、DVDを借りに行きました。
「彼女がその名を知らない鳥たち」です。
かなりヘヴィな物語でした。
破綻するしかない愛の物語、とでも言いましょうか。
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蒼井 優,阿部サダヲ,松坂桃李,竹野内 豊 | |
松竹 |
昔の男が忘れられない女。
女にべたぼれしている不潔感漂う建設作業員の旦那。
女は面食いらしく、美しい美青年との不倫に走ります。
昔の男も美男。
でも旦那だけはブサイクなのです。
彼女をふった昔の男は出世のために女を上司に差し出すような最低の男。
不倫関係にある男も、妻を捨てる気などないくせに、妻と別れる、と約束するようなゲス野郎。
そんな男達に翻弄されながら、女は、静かに狂って行きます。
そして、ラストに到って、ブサイクな旦那だけが、本当に女に惚れていたことを知るのです。
いわゆる嫌な映画ですが、不思議と、印象に残ります。
いやぁな感じのする恋愛映画を観たい方にお勧めです。
昨夜は古い女友達2人とミシュラン2つ星の店で一献傾けました。
二次会は地下のバー。
18時から23時半まで、楽しく語り合いました。
新婚の友人、家事をよくこなし、何事にも理解のある旦那様との生活を、楽しげに聞かせてくれました。
何よりです。
お酒を控えめにしたせかい、今朝は7時には爽やかに目覚めました。
この付き合いを、大切にしたいものです。
今日は朝一番で眼科に行きました。
私は緑内障のため、左目の視野の一部が欠損しています。
幸い右目はよく見えるので、日常生活に支障はありません。
そのため、左目には2種類、右目には1種類の目薬の点眼が欠かせません。
今日は半年に一度の視野検査でした。
視野の欠損は進行していないとのこと。
まずは良かった。
夕方は神宮前の赤寶亭というミシュラン2つ星の店で小宴を開く予定。
このブログで何度も紹介している、18年来の付き合いになる女友達二人と私の3人だけのささやかな宴で、年に2回、開催しています。
一人は新婚さん。
質問攻めにしてやろうかと思います。
二次会は南青山のルベウスという、雑居ビルの地下にたたずむバーに行く予定。
赤寶亭からは、徒歩12~13分といった距離感です。
何度か行ったことがありますが、雰囲気の良い店です。
なんでも都内のバーで最もドラマなどの撮影に使われているとか。
飲みすぎない程度に楽しんでこようと思います。
金曜日の夜を迎えました。
かつては、花金なんて言って、金曜日の夜はデートを楽しんだり大勢で飲みに行ったりすることが当たり前とされていました。
私も若い頃はそんな風潮に毒されてはしゃいでいたものですが、今は時代もそうですし、何より私自身が、家でゆっくりくつろぐほうが楽で良いと感じるようになりました。
時代と年がうまくマッチした、と言いましょうか。
月曜日は、ずいぶん前に休日出勤を余儀なくされたたため、その振替でお休み。
3連休ということになります。
少し、開放感を感じています。
しかも、素面。
最近、金曜日は飲む気が起きません。
多分、この開放感を、クリアな頭で楽しみたいからなんでしょうね。
強欲な私です。
最近、凶暴な夢を見ます。
それは例えば、職場で銃を乱射して、同僚を皆殺しする、とかいうもの。
私は夢判断なんて、ほとんど信仰に近い、胡散臭いものだと思っています。
したがって凶暴な夢に、意味を見出そうなんて気は、さらさらありません。
それにしても、近頃の夢は何なのでしょうね?
職場への恐怖?
それとも嫌悪?
そんな単純なものではないと思います。
もっと愛憎半ばするような。
私は今の業界で働き始めて、もう27年目に入っています。
業界のことはよく分かっています。
良い点も、悪い点も。
隣の芝は青く見える、とか言うように、私は私が経験したことがない業界を、羨望の眼差しで見ているのかもしれませんね。
だからこそ、自分の仕事がつまらなくも、しんどくも思えるのかもしれません。
それはおそらく、どんな業種についていたところで同じなのだろうと思います。
しかし愛憎半ばするほど、この業界にどっぷり浸かってしまったのは、私が転職という手に出なかったからに相違ありません。
気持ちのどこかで、今の自分にこれだけの給料をくれる職場など存在しない、と思い到っていたからでしょう。
それなら私は、この業界にしがみついて、骨の髄までしゃぶりつくさねばなりますまい。
サラリーマンである以上、そうやって生きるしかないのです。
あぁ、30年前、いや、20年前の私は、今の私を見たら、きっとなじるでしょう。
夢も希望も失って、職場にしがみつくなど。
しかし、私は知っています。
圧倒的多数の中高年サラリーマンは、若い日の夢など忘れて、給料欲しさに職にしがみついていることを。
そしてまた、それを恥じる必要も無いことをも、知っています。
人間が生きるということは、一つ一つ、夢や希望を失っていくこと。
それが大人になるということ。
それを知ってしまったがゆえに、私は凶暴な夢を見続けているのかもしれません。
その凶暴な夢が私の精神に均衡をもたらしているのだとしたら、その夢もまた、私を守る道具なのだと、割り切るしかありません。
月曜日は出勤したものの、ひたすらぼうっと過ごしました。
昨日はまずまずの働き。
では、今日はというと。
朝から眠くて仕方なく、かろうじて出勤したものの、午後から半日、休暇を取ってしまいました。
昨夜は素面で、しかも早めに寝たのに、どうしたわけでしょうね。
帰宅して、昼飯も食わずに13時から17時まで眠り続けました。
うつには、不眠と過眠と、眠りに関して二つのタイプがあります。
その名のとおり、うつ状態になると眠れなくなる人と、異常に長時間眠る人です。
私は明らかに過眠で、不眠の人からは羨ましがられますが、眠りすぎというのも、日常生活に支障をきたすため、しんどいものがあります。
今、仕事でとくだんのストレスを感じているとは思っていませんが、眠たいというこの状態は、うつへのサインのような気がします。
仕事には通いながら、様子を見るほかなさそうです。
職場に完全復帰してから9年目。
まったく厄介な病です。
またもや長い一週間が始まってしまいました。
今日はなんとも勤労意欲が湧かない日でした。
もっとも、勤労意欲に満ち溢れている日などありはしませんが。
それにしても今日はひどかった。
かろうじて出勤したというだけで、なんだかぼうっとしていました。
急ぎの仕事がなかったせいでしょうか。
とりあえす、メールや電話に対応するだけで一日が終ったしまった感じです。
最近お気に入りの、NHKのチコちゃんに叱られる、ならば、必ずや、5歳のチコちゃんに、「ぼうっと生きてんじゃねぇよ」と、叱られたことでしょう。
明日からは、まともに働きたいものです。
昨日、久しぶりに映画館に足を運びました。
観たのは、「君の名前で僕を呼んで」です。
美少年と美青年のひと夏の恋を描いた作品ですが、圧倒的に美しい映像で、圧巻でした。
私は同性愛を描いた映画を好んで観ます。
古くは、傑作、「モーリス」。
わが国の作品、「二十才の微熱」。
ヴェルレーヌとランボーの愛欲を描いた「太陽と月に背いて」。
米国の荒涼とした風景の中、カウボーイの恋を描いた「ブローク・バック・マウンテン」などなど。
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私自身はこてこてのストレートで、女性にしか興味がありませんが、なぜか、男同士の恋を描くと、それは男女の恋よりも至純で美的に感じられるのです。
社会からの偏見や差別に耐えながら、密やかに進む恋模様が、至純でないはずがありません。
「モーリス」は、19世紀の貴族社会を扱っているせいか、恋愛だけでなく、社会とは、差別とは、といった問題を、美的映像のなかに盛り込んだ名作でした。
昨日観た作品は、「モーリス」とは異なり、ひたすらに美的映像を追求しているものでした。
なにしろ両親が同性愛に寛容なのです。
北イタリアの田舎。
そこに暮らす、おそらく美術史を研究していると思われる教授が、夏休みの間、助手として学生を雇います。
教授は妻と17歳の息子と暮らしています。
やってきた学生は、アメリカ人の美青年。
そこで美少年と美青年は恋に落ちるのです。
しかし、二人ともコテコテの同性愛者というわけではありません。
美青年には婚約者がいますし、美少年も近所に住む少女と恋愛関係にあります。
要するにバイセクシャルですね。
かつてわが国は、女性との恋を楽しみ、お稚児や若衆とのそれも楽しむ、いわゆるバイセクシャルが、貴族や武士の嗜みとされ、女性にしか興味を持たない、例えば秀吉などは、無粋とされていました。
そういう意味では、かつてのわが国での男同士の恋は、偏見にさらされない分、至純とは言いがたかったかもしれません。
明治以降、同性愛を犯罪とする欧米の思想に毒され、雅で大らかなわが国の性文化は、堅苦しいものになったのだろうと思います。
私も両刀使いだったら、人生が2倍楽しくなったでしょうに。
女性にしか興味がない、無粋な自分が恨めしいとさえ思わせる、名画でしたねぇ。
「君の名前で僕を呼んで」、本当に美しい映画でした。
昨日、仕事をさぼってしまったせいか、今朝は行きたくない病とでもいうような、ひどく憂鬱な朝を迎えましたが、えいやっと、朝飯も食わずに出勤しました。
職場に着いてしまえばどうということもありません。
昨日届いた30通ほどのメールに目を通し、返信し、押し寄せる怒涛の仕事に立ち向かううち、疲労とともに心が落ち着いてきました。
力士は白星が何よりの良薬と言いますが、サラリーマンにとっては、とにかく出勤することが薬のようです。
今日が金曜日ということもあって、職場では、落ち着いて過ごせました。
最も、抗不安薬を処方の倍の量、飲んだうえでの話ですが。
今宵は酒も飲まずに飯を食いました。
休肝日です。
最近は週に3日か4日、飲まない夜を過ごしています。
酒の酔いは強烈で心地よいものですが、飲まない夜は、それはそれで頭がクリアな感じで、別の心地よさがあります。
特に金曜日の夜は、もともと気分が良いものですから、あえて酒を飲む必要もありません。
もう一生分の酒を飲んでしまったような気もしますし。
それでも明日、土曜日は飲むんでしょうね。
まぁ、やったり、やらなかったりで、やらない日を増やしていければと思っています。
やらない夜は爽やかでもありますし。
どうもここ数日気持ちが沈みます。
仕事のストレスだか何だか知りません。
謎の軽うつ、でしょうか?
折りしも、今朝、テレビをつけたら、西條秀樹さんが亡くなった、というニュースが飛び込んできました。
別にファンだったわけではありませんが、彼は私が小学生だった頃のトップアイドル。
私たちよりも少し上の世代は、カラオケの締めによく「YMCA」を歌います。
人は必ず死ぬんだなぁと思ったら、ますます気持ちが沈んで、今日は仕事に行くことが出来ませんでした。
午前中はベッドの中。
近所の蕎麦屋で軽くざる蕎麦のお昼を食べてから、DVDを借りに行きました。
なんとなく目に付いた、「ユリゴコロ」という映画を借りました。
吉高由里子や松山ケンイチなどの芸達者を揃えた配役から、そこそこ面白いだろうと思って。
女の連続殺人鬼と、夫、子供をめぐる長い時間を扱った物語です。
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観た印象は、歌舞伎っぽいストーリーだな、というもの。
歌舞伎は、ご都合主義と言っても良いくらい、憎いあいつが実は兄弟だった、親だった、みたいな、繋がりすぎではないかい?、というようなお話が多いですから。
「ユリゴコロ」も、そんな感じで人間関係が安易に繋がっています。
そこはやや白ける点。
感情の無い連続殺人鬼を演じた吉高由里子が、松山ケンイチと出会って、普通の幸せを掴んでいくその過程で、感情豊かな母親になっていく演じ分けは見事だったと思います。
吉高由里子は幸せな生活の中、過去の殺人の記録を独白という形でノートに綴るわけですが、あなたの優しさは、容赦がありませんでした、という、夫に対する文言は胸に迫るものがあります。
殺人がユリゴコロ=拠り所であったところ、夫と息子がそれに代わるお話は泣かせますが、なぜ殺人なのかがよく分かりません。
一般に快楽殺人を犯すような人は、単に欲望に従っているだけで、家庭をもっても、家族に隠して殺人を続けるのが普通ですから。
そういう意味では、美しい少女が快楽殺人に目覚め、殺人鬼として成長していく「イノセント・ガーデン」はストレート、かつ美的で、分かりやすいものでした。
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「ユリゴコロ」は、連続殺人鬼を題材にしながら、連続殺人を描いたものではないと言えるでしょう。
罪と愛を描いた作品、と言えば、褒め過ぎでしょうか?
忙しい1日を終え、20時ちょっと前に帰宅。
あわててシャワーを浴びて、今、焼酎をやっています。
父が亡くなって丸4年くらいは、毎晩飲んでいました。
父が亡くなった直後は、ほとんど毎日二日酔いでした。
仕事に支障を来たしかねない状況で、よくもあれだけ飲んでいたものです。
それほど、父の死は私にとって大きな出来事でした。
それが最近は、飲酒も週に3日か4日。
ご清潔になったものです。
さすがに父の死も、過去の出来事になったようです。
酒飲みは、正月だとか花見だとか、うれしいだとか悲しいだとか、何かと理由をつけて飲みたがりますが、じつは理由なんてありません。
ただ飲みたいだけ。
白玉の 歯にしみとおる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり
と、詠んだののは、若山牧水でした。
酒の飲みすぎで43歳で亡くなっています。
この歌は、酒を詠って最強にして空前絶後でしょうねぇ。
もっとも、秋の夜のみならず、年がら年中、飲んでいたそうです。
朝に二合、昼二合、夜六合、欠かさず飲んでいたそうです。
多分依存症だったんでしょうね。
私はそんな酒豪ではありませんが、一日の憂さを晴らすのに、酒ほど手っ取り早いものはなく、嫌なことがあると、つい、飲んでしまいます。
翌日に残らない程度にとどめておきたいものです。
昨日は幕張ベイタウンをふらふらしてから、夕方、一月に一度の診察。
特に異常はありません。
今日は愛車の半年ごとの定期点検のため、千葉スバルへ。
90分ほどの検査結果は、異常なし。
異常がないのはよいけれど、用事を済ますだけで、週末がつぶれてしまったような、損した気分です。
マレーシアでマハティール氏が92歳にして首相に返り咲いたそうですね。
お元気ですねぇ。
マハティール氏と言えば、30年も前でしょうか、ルック・イースト政策を推し進めた人です。
要するに、欧米とは距離を置き、イースト、すなわち日本を手本として経済発展を成し遂げようという政策で、それはある程度成功したものと思います。
失われた20数年を経た今のわが国を手本とするのは剣呑ですが、さて、今度はどうするのでしょうね。
老害と言われなければ良いですが。
一方、104歳のオーストラリアの科学者が、安楽死が認められているスイスまで行って、安楽死を遂げたそうです。
92歳と104歳では一回りも違いますが、対照的なニュースです。
これからわが国はますます高齢化が進み、100歳超えも珍しくない時代が訪れるでしょうね。
その時、年金と退職金だけで生きていけるのか、甚だ疑問です。
私は100歳超えを目指したいと思っていますが、年老いて極貧生活に陥るのはしんどいですから、せっせと貯金しなければなりませんが、生来、お金の話が苦手で、資産運用とかは全くダメです。
もっとも、運用するほどの資産など持ち合わせてはいませんが。
92歳で働くのも嫌だし、104歳で安楽死するのも嫌です。
安楽に生きるのが一番。
引退して健康で安楽な日々をおくるのが楽しみです。
時には、思い出行きの、
ガイドブックに任せ、
あの頃という名の、駅で降りて、昔通りを歩く。(中略)
時をさかのぼるチケットがあれば、欲しくなる時がある。
あそこの分かれ道で、選びなおせるならって。
さだまさしの「主人公」という古い歌の詞の一部です。
しつこいようですが、昨日、今日とアップした、自殺した昔の女性のことが頭を離れません。
あの頃、私も彼女も、いつも笑顔を浮かべて、きらめいていました。
それなのに私は別の女性(今の同居人)に走ってしまいました。
同居人とは結婚して20年、喧嘩一つしたことがなく、楽しい生活をおくっています。
でもそれは、別の女性の苦悩の上に成り立ったものです。
彼女は別の男と結婚した直後、報告会と称して、私と二人だけで深酒しました。
あの時はただ彼女の幸せを祝福しただけですが、今思えば、新妻が昔の男と二人だけで深酒するなんて、考えてみれば奇妙です。
その時の幸せそうな彼女の笑顔は、本物であったに違いないと思います。
しかしその中に、ほんのわずかばかりでも、私に対する対抗心めいたものがあったのではないかと、今になって、思います。
お前よりも幸せだ、みたいな。
時をさかのぼるチケットを得たなら、私はどういう選択をするのでしょうか?
何も変わらないのかもしれません。
例え私が自殺した女性を選んでいたとしても、やっぱり彼女は同じ道をたどったのかもしれません。
しかし傲慢なようですが、そんなことはさせなかったのではないか、という思いが頭を離れません。
頭が壊れてしまうような、激しい物思いに駆られます。
何も知らない同居人に、昨夜、彼女の話をしました。
生来、温厚にできている同居人は、ただ悲しげな表情を浮かべただけで、何も言いませんでした。
そのことが一層、私を苦しめます。
これが正しい選択だ、なんていう正解は、この世には存在し得るはずもありませんが、私は間違った道を、それも幸せに歩んできたのかもしれないと思うと、やり切れません。
どうか彼女の魂が、穏やかであらんことを。