安倍総理、米国議会で演説し、45分の間に何度もスタンディング・オベーションが起きたそうですね。
オバマ政権、初めは安倍政権を警戒していたようですが、中国の露骨な挑発もあり、安倍政権は自由と民主主義という価値観を共有するパートナーと認めたんでしょうか。
また、米国政府高官の多くが、韓国の歴史認識に対する発言はしつこく、うんざりだ、といった趣旨の言葉を述べたそうです。
中韓は日本が世界で孤立すると言いますが、過去のことばかり言い立ててこれからのことを語ろうとしない国こそ、世界で孤立するでしょう。
私は外交安保については弱い自民党支持で、福祉や国内政策については概ね社民党を支持しています。
また、1条=天皇条項を改正して天皇制を改正したいという一点のみで、改憲論者です。
天皇ご一家には、国家の象徴などというきな臭い地位ではなく、わが国文化の守護者として、例えば皇室博物館のようなものを作ってそこの館長におなりあそばすのがよろしかろうと思います。
宮中祭祀も京都にお帰りいただいて、古式ゆかしく執り行ってもらいたいと思っています。
もちろん、本人が望まない場合、完全な民間人になっていただいてもよろしいでしょう。
生まれながらに住居の自由も職業選択の自由も選挙権もなく、ただ義務だけがあるというのでは、あまりにお気の毒と言いますか、人並みの権利義務を持ってこそ、人権は保護されるはずです。
それに、戊辰戦争の記憶もあるし、江戸城跡が皇居なんて、天皇家の皆様もおしりがむず痒いというものでしょう。
それ以外にとくだん憲法を改正すべき理由は無いと思っています。
どうせ今でも解釈で変更しまくっているのですから。
私は安倍政権を支持する者ではありません。
理由は、なんとなくいけ好かないという、ただそれだけです。
しかし、人間も動物ですから、なんとなくいけ好かないというのは、結構重要な理由になると思います。
それでも、米国議会の演説で絶賛を浴びたのは、一個の日本人として、うれしくは思います。
まぁ、あんまり気張らず、天狗になることなく、のんびり頑張ってほしいものです。
初夏を思わせる昭和の日でした。
私は午前中、長い朝風呂に疲れて、ごろごろしていました。
お昼が近付き、少し元気になって、自室を整理していたら、もう7~8年前に書きかけて、そのままうっちゃっていた小説の原稿が出てきました。
原稿用紙250枚くらいで仕上げる予定だった作品で、40枚ほどで留まっています。
その小説のことは気にかかっていたのですが、精神障害に苦しめられたり、その後の復職に気を取られたりで、そのままになっていました。
で、読み返してみると、私が書いたとは信じがたいほど、面白いもので、早く続きを読みたいと思ったのですが、それには私が書かなければなりません。
それは大層おっくうなことで、弱りました。
で、私は夏が苦手。
夏の訪れを感じ始めた今、過酷な季節に七面倒な小説執筆など出来るかと、先延ばしにした次第です。
初夏だ初夏だ 郵便夫にビールのませた
北原白秋にしては珍しい、自由律俳句です。
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自由律俳句は明治の終わり頃から昭和初期に流行った独特の俳句で、五七五及び季語にとらわれず、人生を率直に詠うことを旨とします。
種田山頭火や尾崎放哉らがその代表であり、当時、文学を愛好する人々から大変な支持を受けたと聞き及びます。
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しかし私は、自由律俳句をあまり好みません。
それなら当時すでに本朝に取り入れられていた自由詩で表現すれば良いものをと感じるのです。
定型詩というものは、約束事を守りながら、その束縛の中で、美や、魂の叫びをうたいあげることを求めます。
言わば、不自由の中の自由を求めることにこそ、面白味があるわけです。
それをはなから自由に詠むというのでは、詩歌としての面白味は半減しようというものです。
もちろん、自由律であっても、秀句は存在します。
しかしそれも今となっては時代の徒花のようになってしまいました。
それを思うとき、私は言葉の持つ力の不思議を思わずにはいられません。
私の情動を激しく揺さぶるものは、小説にせよ、詩歌にせよ、流行歌にせよ、言葉の力であるに相違ありません。
私はその言葉に力を感じれば、ジャンルなど、全く気になりません。
例えば、小学生に人気があるという、SEKAI NO OWARI というバンドが歌う非現実的な恋の歌に、深く感応して、鳥肌が立つほど感銘を受けることをもって、明らかです。
私は、例え時代の徒花であろうとも、小学生向けの歌と嘲られようと、その時代の人々を感動せしめ、うっとりとさせた言葉を、大切にしたいと思っています。
そして出来ることなら、他人はともかく、私自身をうっとりとさせるだけの力を持った言葉を、生み出したいと切に願わずにおれないのです。
今日は先帝陛下誕生の良き日。
昭和の日としてご遺徳を偲ぶのは日本人として意義深いことと言えましょう。
折りしも世間はゴールデン・ウィーク。
陽気もすっかり初夏めいて、世間は浮かれるばかりです。
私はと言えば、4月に異動して一ヶ月、今もなお暗中模索の状態で、それがため憂色濃い日々をやり過ごしています。
就職したばかりの頃、10年も働けばあらゆることに慣れて、仕事が理由で憂鬱になることなどないのでは、と期待していました。
しかし、木っ端役人生活24年目を迎えても、嫌なことは尽きないもので、今も仕事に慣れることができずにいます。
よほど仕事が向いていないようです。
一つには、電子計算機の発達により、コンピューターのシステムは日々更新され、性能が上がったと言っては人が減り、その現実についていくのが困難なことが挙げられます。
コンピューターは便利な道具ですが、それを使うのは生身の人間。
中途半端に頭の良い人が作ったシステムには苦しめられます。
今はe-Rad(府省共通研究開発管理システム)というのに苦しめられています。
国立大学などの大きな機関では、同じシステムを使って仕事をする職員が大勢いて、自分よりシステムをいじった経験の長い職員に、年齢の上下は関係なく、教えを請うことができます。
しかし私は教職員200名ほどの小さな機関に勤めているため、e-Radを使っている事務職員は私ただ一人。
前任が残した引継書、それに膨大な量のマニュアル、さらにはe-Radのコールセンターに問い合わせたりして、おっかなびっくり進んでいます。
研究費・及び管理費の申請から交付などを扱っていて、お金の管理はミスが許されず、厳しいものです。
私のようなベテランではなく、飲み込みの早く、コンピューターにも強い若手に任せたほうがよろしいと思いますがねぇ。
つい愚痴っぽくなってしまいましたが、不思議なことに、精神的には全然やられていません。
アフター5も休日も楽しめています。
ONとOFFの切り替えが上手になったのかもしれませんね。
それだけが、私が23年かけて会得した処世術なのかもしれません。
先帝陛下は国民が愚痴をこぼすことなど快く思わないでしょう。
せめて今日というお休みを楽しむよう心がけましょうか。
今日はあんまり良い陽気なので、休暇を取りました。
首都圏は早くも夏日を迎えたようです。
休日恒例の朝湯をつかい、朝飯を食ってからまずはお掃除。
その後、久しぶりに映画館に足を運びました。
「寄生獣 完結編」を観るためです。
じつは金曜日に地上波で「寄生獣」を放送しており、観るとも無しに観ていたら、続編が観たくなったのです。
まさしく宣伝に引っかかってしまったようです。
まずは前作、「寄生獣」の予告編をご覧ください。
耳の穴や鼻の穴などから人間の脳内に忍び込んで人間を完全に支配し、しかも人間を捕食するという恐るべき寄生生物。
ところがある男子高校生に寄生しようとした生物が、脳に達することができず、右手だけを支配することになってしまい、宿主である高校生が死ぬと自分も死んでしまうことから、高校生と一緒に同種の寄生生物と戦うという奇想天外なお話。
戦いの多様性や緊迫感はなかなかのものです。
人間しか食わない寄生生物は控えめだとか、人間が悪魔に最も近いとか、人間こそ地球に寄生して地球もろとも滅ぼうとしているとか、浅はかな哲学的会話もありますが、それはすべて無視。
ひたすらくだらないけど面白いエンターテイメントのSF作品として鑑賞すれば、第一作はなかなかのもの。
それでは、今日観た完結編はどうでしょう。
こちらも予告編をどうぞ。
完結編、それもSF作品の完結編というのは、えてして前作のに陥りがち。
同級生の少女との恋や、寄生生物の味方をする政治家など、少々のスパイスを効かせて見せる努力を惜しまなかった点は見事ですが、やはり解説に堕してしまっています。
前作のわくわくするような感じはなく、暗い映画館内で眠気を覚えたほどでした。
しかしそれでも、第1作を観て面白いと思ったのなら、観て損はないでしょうね。
何しろすっきりしますから。
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今日は暑いくらいの陽気で、千葉市中心部を散歩しました。
まずは栄町のコイン・パーキングに車を停めました。
自宅マンションから15分もかかりません、
しかも風俗街というお土地柄のせいか、70分100円という馬鹿値です。
気軽に散歩が楽しめる条件が整っています。
まずは千葉中央公園を目指しました。
公園では、千葉市仏教会が花祭りを開催していました。
ちょっと時季が遅すぎやしませんかね。
お稚児行列に偉そうな年寄りの坊さんが付添って、華やかなものでした。
そのまま千葉銀座に進むと、フリーマーケットをやっていました。
服から骨董品、さらには犬や猫まで、じつに多種多様な品物が置かれていました。
ヤンキー風の兄ちゃんが、着流し姿の私を尊敬の目で見つ、「格好良いですねぇ」と声をかけてきたので、「ありがとよ」と、軽く受け流しておきました。
893関係の人と間違われた風ですが、私はあいにくガチガチの堅気です。
途中、ファミレスでお食事。
40は過ぎていると思われる薄汚い長髪のおっさん3人が、盛大に酒盛りしていました。
音楽の話などで盛り上がっていましたが、彼らの将来が心配です。
私には関係ありませんが。
その後ちょっと長く歩いて千葉公園へ。
藤が咲いていました。
こんなに早く咲くんですね。
公園の池では、多くのカップルや子供連れがボート遊びを楽しんでいました。
この国は平和なんだなと、実感させられました。
千葉に移り住んでおよそ20年。
すっかり千葉LOVEになってしまいました。
東京ほどひどい人混みもなく、ラッシュもなく、それでいて生活するには便利な、適正サイズの衛星都市だと思います。
東京から千葉に遁走して本当に良かったと、日々実感しているところです。
DVDでなかなかの快作を鑑賞しました。
フランスの大御所、リュック・ベッソン監督の手になる脳の覚醒を描いたSF映画、「ルーシー」です。
雰囲気は監督の初期の名作「ニキータ」に似ていますが、内容はかなり異なります。
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台湾に滞在するルーシーは、ひょんなことがきっかけで、韓国マフィアによって新しいドラッグ、CPH4を腹に埋め込まれ、運び屋にさせられてしまいます。
しかし韓国マフィアに腹を蹴られたことから、ビニール袋に入ったドラッグが漏れ、ルーシーはこのドラッグによって恐るべき能力を得るのです。
同時並行して脳科学者の講演が挿入され、人間は脳の10%しか機能しておらず、これが20%、30%と上がっていけば全く未知の知覚を得、能力を獲得するであろうことが示唆されます。
ルーシーはほとんど超能力者のような存在と化し、画面には大写しで40%とか60%とかが表示され、彼女が激しい脳の冒険に出かけたことが示されます。
その間、韓国マフィアとのあり得ないくらい激しい戦いがあったり、はるか原始時代、あるいは地球誕生前の宇宙の幻視を観たりして、なかなかに変化が激しく、エキサイティングな映像美をみせつけちゃってくれます。
ルーシーの脳の冒険の終わりは、ついに100%の脳細胞が活性化し、同時に目に見える肉体を失い、世界に遍在する神のような存在になる、というお話。
脳科学者との対話で、数学的理論や物理学的法則はこの世の本質ではなく、一種の幻のようなもので、世界の本質とは時間に他ならず、時間がなければ何者も存在しえない、と述べたあたりは、人間にとってもっとも不可解なのが時間であるからで、やや姑息な感じを受けます。
馬鹿馬鹿しいといえばそれまでですが、哲学的命題を見飽きないアクションSFに仕上げるあたり、リュック・ベッソン健在を感じさせて、幸福なひと時を過ごせました。
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なんだかこのところ残業続きで疲労がたまっているようです。
ストレスからか、日々の晩酌もつい過ぎるようで、これでは体を壊してしまいそうです。
今の私には、若い頃のような、連日の残業に耐える体力はありませんから。
日々の仕事に追われ、それは第一に生活の糧を得るためであり、広い意味での社会参加でもありますが、それがため、重要な問題が置き去りにされているような気がしてなりません。
それは生老病死ということ。
お釈迦様が深く悩んで出家に至ったのは、生まれながらの苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみについて考えるためです。
それはすべての人々が考えるべき重要問題です。
特に、死ぬということ。
私たちはおぎゃあと生まれた瞬間から、死の魔法にかけられています。
まっすぐに、いつか分からない死の瞬間に向かって突き進んでいるわけです。
今、この瞬間も。
普段あまり気にもかけませんが、考えてみると恐ろしい話です。
要するに私たちは全員死刑囚のようなもの。
私が死刑制度に強く反対なのは、誰だって必ず死ぬのに、それを早めることが刑罰になるとは思えないからです。
死の魔法から逃れようと、不老長寿の妙薬を求める権力者はあまたいましたが、今のところそれを得た人はいません。
生老病死ということが生きるうえで逃れられないことなら、それを受け入れるしかないのでしょうが、なかなか人は執着が強く、逃れられないまでも、先延ばしにしようと、愚かな努力を行っています。
アンチ・エイジングだとか、各種健康食品とか。
それは人それぞれ好きにすれば良いことですが、私は生まれてしまった苦しみをまず受け止め、病気の苦しみも受け止め、今は老いの苦しみを感じ始めるようになって、最後の難問、死の苦しみを受け入れる準備をすべき時期が近づいていることを思い、表面的な若返りとか健康法に精を出す気にはなれません。
そんな時間があるなら、静かに黙想するなり、先哲の著書を繙くなりして、老いと死について思いを巡らせることを優先したいと思っています。
私が抱える最大の問題は、多くの凡人がそうであるように、日々の仕事や雑事にかまけ、生老病死について考えることもせず、わずかな酒に慰めを求めて、時間を浪費していることだろうと思います。
しかし出家したところで、事情はそんなに変わらないと思います。
乞食坊主にでもなって放浪生活をするのならともかく、現在の仏教各宗派に属して寺院を運営するというのは、家族経営の零細企業の社長のようなもの。
サラリーマンほどでは無いにせよ、結局は仕事や雑事に時間を取られることになります。
それを思うと、人間が生きる根本は、雑事に追われることにあるのかもしれません。
逆に言えば、雑事に追われていないと、死の真実が迫ってきて、正気を保てないのでしょう。
なんだか漫然とした記事になりましたが、漫然とならざるを得ないほど死の魔法は怖ろしいわけです。
なにしろ全く不明の事態なわけですから。
私はただ、世捨て人となって死の魔法について考えながら、その恐怖耐えがたいときには美的世界に逃避するような、優雅な暮らしを夢想する愚か者に過ぎません。
あぁ、この記事を書くのに25分を費やしました。
25分、死刑執行の時刻が近づいたのですね。
あな、怖ろしや。
すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。
その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運をさとりぬ。
すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。
もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。
身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。
むなしく大原山の雲に臥して、また五かへりの春秋をなん経にける。
「方丈記」にみられる一節です。
現代語では、以下のようなところでしょうか。
生きにくい世の中、無事を祈りつつも、心を悩ませること三十年あまり。
その間、人生の節目節目に行き違いがあってうまくいかず、運が無いことを悟った。
そこで五十歳の春、家を出て世を捨てた。
もともと妻子もなければ、家を出ることを思いとどまるような親類も無い。
官位もなく、禄も無い。
世に執着する理由など無い。
何をするでもなく、大原山の雲の下で過ごし、五年の月日が経った。
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方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) |
簗瀬 一雄 | |
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筆者の鴨長明は、もともと京都の賀茂御祖神社禰宜の次男に生まれ、跡を継ごうと様々に画策しますがうまくいかず、世をはかなんで世捨て人となり、京の田舎に庵を結んだとされています。
しかし、庵の周辺は田舎だったにせよ、京の中心地までそう遠くはなく、何かにつけて京の町に出かけ、祭り見物などをする俗物で、世捨て人と呼ぶには少々違和感があります。
しかしそれなればこそ、私は「方丈記」とならんで三大随筆と呼ばれる「徒然草」の吉田兼好や「枕草子」の清少納言よりも親近感を覚えます。
何よりその俗物ぶりが。
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徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) |
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枕草子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) |
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世捨て人を気取りたくなる気分はよく分かりますが、大方の人間はなかなか世を捨てることなどできますまい。
世の中を 捨てて捨てえぬ 心地して 都はなれぬ 我が身なりけり
と詠んだのは、かの西行法師でした。
あれほど世の動きに背を向け、北面の武士という地位を捨ててまで花鳥風月を代表する日本的美意識に基づいた和歌を詠むことに人生を費やした法師にしてからが、都を離れることができなかった、と慨嘆しているわけです。
私も漠然と、世捨て人となって、世のしがらみから逃れ、何をするでもなく生きていきたいという願望を捨てきれずにいます。
経済状況が許すなら、今すぐにでもそうしたい、と。
但し、庵を結ぶのは山中ではありません。
都会のマンションの一室に他なりません。
現代社会で隠棲するのに相応しいのは、ご近所付き合いのしがらみが無い都会しかありますまい。
山川草木にあたるのは、あまたいる人間や建築物。
都会に隠棲したとき、私の魂はどんな地平を覗き見るのでしょうね。
定年退職まで無理な予感はしていますが。
4月1日付けで古巣に異動になってから、忙しい日々が続いています。
古巣とは言っても、以前担当していたのとは全く異なる仕事で、不慣れなため、疲れます。
しかもまわりは私が古巣に復帰したため、なんでもよく知っていると勘違いしているようで、やたらと頼ってきて、頼られれば無碍に断れませんから、自分の仕事を覚えるのに精いっぱいのところ、8人ほどいる私のラインの者たちからの相談に時間を食います。
そりゃそうです。
面倒事でない限り、相談などせずに処理してしまうわけですから。
しかし、不思議なことに、私の精神は安定しています。
そうはいっても、一年前まで三年間、この部署にいて、なんとなくどういうことをやっていたかは知っていますから、分からないといっても、中ぐらいのわからなさ。
1から100までわからないということではありません。
それに、昨年度まで1年間だけいた部署では、責任者に嫌われ、干されていたところ、今の部署では誰もが私に相談を持ち掛けてくれ、働いてるなぁという実感があり、楽しくも感じられます。
忙しすぎるのも嫌だし、暇なのも嫌だし、今くらいがあっという間に時間がすぎて、ちょうどよいのかもしれませんね。
最後の病気休暇から復帰して、5月1日で6年目に突入します。
もう大丈夫なんじゃないかなと思っています。
今日のお昼休みは課で歓迎の昼食会がありました。
普通は夜、お座敷などで酒を飲むのですが、今の時期は忙しく、残業が多いため、お昼の会となりました。
これも時代の流れですかねぇ。
10年ほど前までは、どんなに忙しくてもアルコールなしの昼食の歓迎会なんてあり得ませんでしたが。
ご清潔になったものです。
で、私は今日はお客様。
場を和ませようと、挨拶では笑いを誘うよう心掛け、実際それは成功しました。
私は人前でスピーチをすることが得意だし、聞く人からも評判が良いのです。
時折脱線しすぎて顰蹙を買うこともありますが。
こんな風に折々の儀式を行い、人の世は動いているのですねぇ。
それは馬鹿馬鹿しいようでいて、人間社会の重要な潤滑油なのだと思います。
潤滑油をさすことを怠ると、いらぬ争いの種になるかもしれませんから、一見阿呆らしいように思えても、きちんとこなすことが社会人の務めと考えて、出席したほうがよろしいでしょうねぇ。
今日は家事に精を出しました。
朝6時には起床して朝湯を楽しみ、上がるときには湯を抜いて風呂掃除。
卵と納豆とソーセージをおかずにたっぷりと朝飯を食い、珈琲を飲んで一休みしてから、リビングから廊下から自室、寝室と掃除機をかけました。
同居人の部屋はプライバシーの観点から立ち入らないようにしているので掃除しませんでした。
引き続きトイレ掃除。
その後は自室にこもってたまった本を整理しました。
たまる一方なのでダンボール2箱分の本をブック・オフに持ち込みました。
およそ6,500円で売れました。
若い頃は本を処分することに抵抗があったのですが、いつの頃からか、2度と読み返すことは無いだろうと思われる本を売ることに抵抗が無くなりました。
昼はマンションの目の前に在る蕎麦屋でとろろ蕎麦を食し、家に帰ってしばし昼寝。
目が覚めたら一週間分の食材を購入するため、徒歩5分ほどのマルエツに買出し。
結構な荷物になるので、いつも大きめのリュックサックをかついで行き、品物をおさめています。
レジ袋を手に持って歩くよりずっと楽だし、わずかですがエコポイントがつきますから。
これから脂ののったカジキマグロの煮付けを作り、副菜にアスパラガスのお浸しとフルーツトマトと糠漬けを添えて日本酒を少しいただく予定です。
同居人は家事の手際が悪いので、つい、私がやることが多いですが、私にとって家事労働は意外と楽しいものなのです。
これはやっぱり専業主夫になって同居人に食わせてもらうのが得策のようです。
今日は久しぶりに良く晴れた週末でした。
少し風はありましたが、気温が高いので、それほど気になりません。
季節は確実に、移ろっているのですね。
ご近所を2時間ちかくも歩き回って、汗ばむほどでした。
こんな週末を過ごせれば、私は満足です。
米誌タイムが発表した「世界で最も影響力のある100人」の一人に、村上春樹が選出されたそうですね。
ここ何年もノーベル文学賞候補に名が上がり、諸外国でも多くの読者を抱える身であれば、当然とも言えるでしょう。
そこで、彼のデビュー作「風の歌を聴け」をぱらぱらと読み返してみました。
デビュー作というのは、その作家の持ち味がすべてつまっているものです。
村上春樹本人は、デビュー作とそれに続く「1973年のピンボール」・「羊をめぐる冒険」の、通称鼠3部作を、未熟だとしてお気に召さないようですが、私はこれら最初期の作品群にもっとも強く惹かれます。
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風の歌を聴け (講談社文庫) |
村上 春樹 | |
講談社 |
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1973年のピンボール (講談社文庫) |
村上 春樹 | |
講談社 |
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羊をめぐる冒険 文庫 上・下巻 完結セット (講談社文庫) |
クリエーター情報なし | |
メーカー情報なし |
「風の歌を聴け」は、都内の大学に通う「僕」が夏休みを利用して故郷の神戸に長期間帰省し、「鼠」というあだ名の友人と酒を飲んだり、奇妙な恋愛沙汰に巻き込まれたりという、広い意味での青春小説です。
ドライな文体にウェットな内容を含んだ、軽い感傷が心地よい作品でした。
ペーパーバックばかり読んでいたという作者ならではの、一見翻訳調にも見える文体は魅力的で、初めて読んだ高校生の頃、強い衝撃をうけたことを思い出します。
その後、私はこの作家の作品をほとんど発売されるや購入し、読み続けてきました。
村上春樹は年を追うごとに壮大で幻想的な物語を紡ぐようになり、それはいずれも楽しく、かつ、ショッキングな読書体験でしたねぇ。
私のお気に入りは、鼠3部作と、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」でしょうか。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を高校時代に読んで、やられた、と思いましたね。
自分が将来書きたいと思っていたような作品を、先に発表されてしまった、と。
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4) |
村上 春樹 | |
新潮社 |
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5) |
村上 春樹 | |
新潮社 |
それは少年らしい自意識過剰と傲慢が作り出した思いであったろうと今になって感じます。
世間知らずの少年が、流行作家とおのれを引き比べているのですからいい気なものです。
彼は必ずしも私が好む人工美を構築する作家ではありません。
人工美よりもストーリー重視の、物語作者と呼ぶのが相応しい、小説家らしい小説家と言えるかもしれません。
今度こそ、ノーベル文学賞を受賞してほしいと願わずにはいられません。
そうすればきっと、わが国の文学作品は、世界を相手に新しい地平を覗き見ることができるでしょう。
ようやっと、4月中旬らしい、暖かい日差しが感じられる僥倖に恵まれました。
このところすっきりしない天気が続いたため、ありがたく感じられます。
しかし、桜が散った後の春雨に抒情を感じさせる和歌もあります。
花は散り その色となく ながむれば むなしき空に 春雨ぞ降る
新古今和歌集にみられる式子内親王の和歌です。
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新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫) |
久保田 淳 | |
角川学芸出版 |
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新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫) |
久保田 淳 | |
角川学芸出版 |
桜が散ってしまった風景を眺めると、桜を求めるというわけではないけれど、春雨が降って、なんとなくむなしく感じられる、といったほどの意かと思われます。
なるほど、桜の狂的な咲き乱れぶり、散り乱れぶりを思えば、その狂気が終わってしまったのですから、後に訪れた静かな、暖かい雨には、何か気が抜けたような、一種のむなしさを感じるのも、むべなるかな、と思います。
一昨日までの雨続きは、そんな春の憂愁を感じさせつつも、初夏への期待を感じさせるものでしたね。
それを過ぎなければ、爽やかな初夏は訪れないのですから。
しかし、爽やかな初夏の後には、過酷な猛暑が待っています。
地域にもよるのでしょうが、概ねわが国は蒸し暑い夏が過酷で、日本家屋というのは夏を快適に過ごすことを旨として建てられているものです。
エアコンも扇風機も無かった時代、開放的な家で自然の涼風を求め、さらには打ち水などでやり過ごしたのでしょう。
風鈴なんて、少しでも鳴っていれば気分的に過ごしやすくなりますが、全く鳴らなかったら、かえって暑さを倍増させます。
さらには、怪談話で冷やりとしようなんて、ずいぶん悠長な話です。
わが国では何よりも四季折々の風情を楽しみ、和歌や俳句はもちろん、着物や手ぬぐいの柄にも季節の風物をあしらうことを良しとしてきました。
そうであるならば、桜が散り、しかし初夏にはまだ間がある気が抜けたような今の季節をも、その風情に情趣を覚え、楽しむのが上策というものでしょう。
今日は久しぶりに晴れて気持ちが良く、急ぎの仕事も片付けたので、午後から休暇をとることにしました。
久しぶりの休暇取得です。
ただ、急に思い立っての午後休みのため、お弁当を作ってきてしまいました。
最近、私は自分の分だけお弁当を手作りしています。
料理に凝っているわけではないのですが、仕出し弁当もコンビニ弁当もなんだか面白くありませんから。
我が国のお弁当はキャラ弁などの凝ったつくりが世界でも知られ、Bentoでそのまま通じるそうですね。
そのうち鮨みたいに世界に知られるようになるかもしれません。
私のお手製弁当、魚を主菜にした、なかなかのものだと自負しています。
今、お弁当を食べながらブログを書いています。
食べ終わったなら、楽しい半日のお休みを楽しみたいと思います。