今日は雨は降らないながら、どんよりと曇って、寒い日でした。
そうは言いながら、桜が満開との報を受けて、千葉城に花見に出かけました。
桜は見事に満開。
寒空のなか、イカ焼きと日本酒のワンカップを的屋で購入し、花見としゃれ込みました。
桜を見ると、毎年同じことを思います。
あぁ、今年も一年生きられた、と。
桜という花が、その儚さゆえか、死を連想させるからでしょうか。
来週末は散り乱れているのか、あるいは葉桜になっているのか。
誠に呆気ないものです。
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
あまりにも有名な、西行法師の歌です。
この美しい歌が、いっそう、桜に死のイメージを植えつけたのかもしれません。
桜の樹の下には死体が埋まっている、と書いたのは梶井基次郎でしたか、
桜と死を結びつけて考えるのは、わが国の精神文化の根幹を成しているようです。
年度始めの忙しさで気鬱に沈みがちな頭を、酔いと桜でやり過ごし、どうにか今日も生きています。
今年度で、就職して丸27年が経ちました。
4月からは28年目に突入。
よくぞここまで、あれやこれやに耐えながら、働いてきたものだと、我ながら呆れる思いです。
それでも、死なない以上、生きるほかありません。
永遠の安息が訪れる日を待ち望んでいます。
何も花の下などでなくてもかまいません。
極寒の氷の下でも、猛暑の夏でも、楽になれる日を、待ち望んでいます。
それこそが、愚かで狂った私の精神を穏やかならしめる、最終的な解決なのですから。
今日は昨日とは打って変わって雲ひとつ無い青空に恵まれました。
気温は少し低く、花冷えという感じでしたが、桜はどの程度咲いたのか偵察に、千葉市の桜の名所、亥鼻城(千葉城とも言う)に出かけました。
予想したとおり、まだほとんど咲いていませんでした。
それでも、的屋が出ていました。
客がほとんどいないのが寂しいですが。
中には、日当たりが良いのか、咲いている木もありました。
本格的な花見は来週末でしょうか。
桜の時季は年度末・年度始めと重なってなんとなく憂鬱ですが、花見のときくらいは、浮世を忘れて楽しみたいものです。
先週の水曜日、人事異動の内示がありました。
私は異例の異動なし。
通常、3年務めると異動になりますが、私は異例の5年目突入です。
今年こそは異動できると思っていましたので、がっかり。
ひどく落ち込んで、その日は最近には珍しく深酒してしまいました。
昨日は冷たい雨でしたが、気分転換を図ろうと、そごう千葉店に出かけました。
宮城県の物産展をやっていて、大層な人出でした。
宮城県のゆるキャラがきていました。
牛正宗とむすび丸です。
それで気分転換できたかと言うとそうでもなくて、また同じような仕事を続けるのかと思うと、どうにも気分が沈みます。
新年度が始まって、もうどうにもならないと頓悟するまでには、まだ時間がかかりそうです。
今日はお休み。
お休みの日恒例の朝湯と朝食後の二度寝を楽しみました。
午後は千葉スバルへ。
愛車のインプレッサがリコールになってしまったため。
ブレーキランプに不具合が生じる怖れがあるそうです。
リコールですから、当然無料ですが、5月末に迫った車検の見積もりをお願いしたところ、タイヤ交換の必要があるとのことで、タイヤ4本だけで10万円超えになってしまいました。
もう5年、5万キロ以上走っていますから仕方ありませんが。
それにプラスして車検費用もかかるということで、がっくりです。
車は購入時だけでなく、何かとメンテナンスが必要で、金食い虫ですね。
しかし、通勤に車を使っているし、土日も使うので、車の無い生活は考えられません。
車だ、住宅だ、家電だ、パソコンだ、スマホだ、現代を生きるということは、がかかるように出来ているようです。
それらを全て捨て去って、山中に庵を結び、隠棲したいものですが、それこそ最高の贅沢なんでしょうね。
昨日は見事な晴天に恵まれ、気温もぐんぐん上昇。
少し風はありましたが、散歩日和になりました。
どこに行こうかなと考えて、昨年の3月にオープンした東京ミッドタウン日比谷を見に行くことにしました。
今まで行ったことがありませんでしたので。
ついでに銀座のあたりをぶらつく計画です。
車を走らせること約50分、なぜか築地本願寺近くの時間貸し駐車場に車を停めました。
東京メトロ日比谷線の築地駅から3駅先の日比谷駅で下車し、築地まで歩こうという作戦です。
歩数を稼げるし、元来た道を戻る必要がありませんから。
東京ミッドタウン日比谷、着いてみると、わざとなんでしょうね、レトロな雰囲気でつくられてありました。
シネコンや洋服の店、雑貨の店、各種飲食店が並ぶ、商業ビルです。
様々な店を冷やかしてから、地下一階にあるスペイン料理の店で昼食。
料理の名前をみてもよく分からないので、ランチのセットを頼みました。
なかなかの美味です。
昼食を終えて外に出てみると、日比谷シャンテの近くにゴジラがいました。
ミッドタウン日比谷のシネコンも東宝シネマズでしたし、東宝の町なんですかね。
その後有楽町のガード下をくぐり、銀座方面へ。
子供の頃から不思議なのですが、狭い地域で日比谷、有楽町、銀座と地名が変わるのはなぜなんでしょうかねぇ。
その位置関係がぼんやりとしか分かりません。
銀座通りは歩行者天国になっており、大勢の外国人観光客が思い思いに銀座を楽しんでいました。
歩行者天国ということは、自動車地獄でもあるんですかねぇ。
銀座には多くの高級ブランドの店があり、玄関先に大体黒い服を着たお兄さんが立っており、冷やかしでは入りにくいことこの上ないですが、勇を鼓して突撃。
1,600万円もするネックレスが売られていたりして、びっくり。
どんなお大尽が購入するんでしょうねぇ。
世の中にはとんでもないお金持ちがいるものです。
さらに東銀座方面へと歩き、歌舞伎座の前に。
そういえばずいぶん長いこと、歌舞伎を鑑賞していません。
少し疲れて、喫茶店で珈琲をいただきました。
目的地の築地を間近にして、残念ですが、無理はいけません。
やっと築地へ。
本願寺にお参りしました。
3月11日には東日本大震災の追悼供養を行う、と告知がありました。
そういえば最近、テレビでは、よく東日本大震災を扱った番組を放送しています。
未曾有の大災害でしたから、当然かもしれません。
築地本願寺の売店や本屋を覗いてから、車に戻り、帰宅の途に付きました。
およそ13,000歩の大散歩になりました。
昨日は父の命日。
なんとか都合を付けて午後休暇を取り、実家の寺に墓参りに行きました。
父が亡くなって丸7年。
71歳で亡くなったので、生きていれば78歳になるんですねぇ。
ちょっと早かったような気がします。
久しぶりに母、兄、妹と会いました。
墓前で手を合わせても、とくだんの感慨は涌きませんでしたが、仏壇で遺影を見ていると、今にも現れて声をかけてくれるような、不思議な気持ちになりました。
あの世から私を導いて欲しいと願いましたが、大いなる沈黙が待っているだけです。
身近な人が亡くなることほど悲しいことはありませんね。
7年経っても、まだ信じられないような気分です。
寺の庭には、白梅が咲いていました。
その白さが、白い花で埋め尽くされた葬式を思い起こさせて、不吉な思いに駆られました。
盆も彼岸も墓参りには行きませんが、命日だけは、極力行くようにしています。
いずれは私もあの世に旅立つわけですが、その時、私は何を思うのでしょうね。
今は全く想像がつきません。
今日、3月5日は父の命日。
2012年(平成24年)のこの日、父は静かに息を引き取ったのでした。
例年ですと、この日は休暇を取って墓参りに出かけるのですが、今日は重要な会議があるので難しそうです。
午後から半日だけでも休めると良いのですが、それも無理でしょう。
あれから7年が経過しました。
今朝、最近全くなかった早朝覚醒にみまわれました。
午後11時に床に就き、午前3時にぱっちりと目が覚めてしまいました。
なんとなく、命日であることを、心の奥深くで気にしているのかもしれませんね。
それが緊張感となって、早朝覚醒を起こしたものと思われます。
いつまで経っても父の呪縛から逃れられないようです。
昨日は見事に晴れて暖かく、春を感じさせる陽気となりました。
そこで、亀戸天神梅まつりに出かけました。
京葉道路から首都高速7号線を飛ばし、亀戸天神裏のコインパークに車を停めました。
境内に入ると、満開の梅。
白梅も紅梅も、どれも見事でした。
境内には的屋が商売に励んでいて、たいそうにぎわっていました。
境内からは、東京スカイツリーが顔をのぞかせています。
東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
という、菅原道真公の歌碑がありました。
あまりにも有名な歌とて、解説の必要はありますまい。
いかにも菅原道真を祭神とする天神らしいですね。
梅を堪能し、なんとなく、錦糸町方面へと歩きました。
錦糸町駅北口にはタワーマンションが建って、ずいぶんと若い夫婦や子供が増えました。
錦糸公園もきれいに整備され、善男善女の憩いの場となり、以前のやさぐれたイメージが一変。
時の流れを感じます。
錦糸町駅近くでパスタとサラダの昼食をとり、しばし、錦糸公園のベンチで日向ぼっこ。
多くの子供たちがボール遊びなどに興じています。
高校生でしょうか、男女のグループが輪になってバレーボールをやっていました。
あのグループ、仲がよさそうに見えますが、複雑な人間関係があるんだろうなと、世間の垢にまみれたおじさんは邪推せざるを得ませんでした。
その後タリーズで珈琲をいただき、帰宅の途につきました。
良い梅見でした。
3月を迎えました。
世間では米朝会談が物別れに終わったことが喧伝されています。
北朝鮮が大幅な譲歩をすることなどあり得ないことぐらい、最初から分かっていたことです。
そんなことより、私は私一人のことで精いっぱいです。
毎年のことながら、年度末のこの時期は、多忙からか、憂鬱感と不安感に囚われます。
今年で就職して丸27年になりますが、こればかりは慣れるということがありません。
というより、過去26回の年度末を、どうやって乗り切ったんだろうと、不思議に思うことさえあります。
人間、嫌な記憶は忘れるものなのか、過去の3月~4月の記憶が、どこか曖昧です。
不思議ですね。
確かに自分が経験したことなのに。
そういえば、うつ状態がきつくて仕事を休んでいた頃の記憶も曖昧です。
これは病気のせいなんでしょうね。
そう考えると、発症前から、年度末はいつも軽いうつ状態にあったのかもしれません。
因業な質に生まれたものですが、今は大量の精神病薬のおかげで、以前の年度末よりはマシなのでしょうね。
梅が終わり、桜が終われば、また良い状況になるでしょう。