ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

連休最後

2020年07月26日 | その他

 今日で4連休も最後。
 明日からまた仕事に行かなければなりません。
 嫌ですが、飯の種である以上、行って仕事をしなければなりません。

 今朝はひどい雷で、どうなることかと思いましたが、その後晴れて暑くなりました。
 休日恒例の朝湯を楽しみ、卵とソーセージで炊き立ての飯をたっぷり食い、その後二度寝しました。

 午前中に洗濯と一週間分の食料の買い出しをすませました。
 晩酌の友に、甘塩きんきとイカの丸焼きなどを購入。
 昼は冷やし狸そばを食しました。

 昼飯を食って、昼寝。
 なんだか今日は寝てばかりいます。
 寝逃げしようという意識はないのですが。

 これから本日2回目の風呂に入り、夕食の支度です。
 夕食は、甘塩きんきの塩焼き、イカの丸焼き、椎茸と小松菜の炒め物、フルーツトマトです。
 酒を呑むので、白飯はなしです。

 連休最後の夜。
 今から暗くなるのは損です。
 明日の朝暗くなれば良いのです。


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椅子

2020年07月25日 | 文学

 昨夜は晩酌が過ぎたのか、少々だるい朝でした。
 あるいは不規則な天候も原因の一つかもしれません。

  最近、私の部屋に謎の黒くて小さな粒を見かけるようになりました。
 それがいよいよひどくなり、原因を探ると、事務用椅子のキャスターのところの一部が欠けており、ずいぶん前から少しづつ進行していた様子です。

 この椅子、25歳で一人暮らしを始める時に購入したもので、じつに25年間も使っていたことになります。

 さすがに寿命と見えて、買い替えることにしました。

 私が住むマンションから徒歩でほんの5分ほどの場所に、大型の家具屋があります。
 そこに行ってみると、じつに様々な椅子があります。
 わずか3,000円ほどの物もあれば、革張りで何十万円もの高級品まで。
 いちいち座ってみて座り心地を確認したところ、11,000円の椅子が気に入りました。
 高い物は社長室にでもあれば似合うのでしょうが、私の部屋のパソコン・デスクの前に置くと、でかいばかりで機能的ではありません。

 購入することを決めました。
 古い椅子は500円で引き取ってくれるとのことで、車に載せてきたので、即日、新しい椅子の登場となりました。

 古い椅子、よく25年間も頑張ってくれました。

 思えば25年前、私は数年のうちに小説家としてデビューし、職を離れることになると信じていました。 

 しかし、同人誌に参加してみると、セミプロのような人がたくさんおり、そのような人々のなかでさえ、一歩突き抜けることは困難だと感じるようになり、いつしか、今の職場を辞めれば、経験も無く、技術もない、食うに困ることは必定だと思うようになりました。

 そのうえ精神的な病さえ発症し、いよいよ八方ふさがりということで、私は今の職にしがみつくしかないと心に決めました。

 プロ野球の選手になりたいとか、アイドルになりたいとかいう人は、年齢が決定的なネックとなり、早々に夢を諦めることでしょう。

 しかし小説家というもの、60歳を過ぎて売れる人もおり、なかなか思い切るのは難しいものです。
 きわめて稀な例だとは思いますが、黒田夏子という作家は、「abさんご」という小説で、75歳にしてデビューし、同作で芥川賞を受賞しています。

 そのような人の存在が、私を勇気づけるかというと、その反対で、ただ諦めと嫉妬を感じるだけです。
 私にはそのような粘り強さはないし、怖ろしいことですが、才能もないでしょう。

 私はいつしか芥川賞と直木賞のニュースを見なくなりました。
 嫉妬してしまうからです。

 自分でも小さいやつだと思います。
 最近やっと、芥川賞と直木賞を受賞した作品を読むことが出来るようになりました。
 私の精神の運動が消滅した証拠でしょうね。

 しかしそれでも、生きていかなければならないし、そのためには食わなければなりません。
 しんどいことです。

 そのような精神の変遷を、古い椅子は25年間もn見続けてきたわけです。
 椅子の買い替えとともに、何も書かなくていいから、精神の運動を復活させたいものだと思います。  


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酒呑み

2020年07月24日 | 精神障害

 4連休の2日目。
 昨日は微熱があり、一日、ごろごろして過ごしました。

 今日はお中元を贈るためと、義父の新盆の準備のため、そごう千葉店を訪れました。
 コロナ騒ぎの最中ですが、結構客がいました。

 お中元は千葉名産、落花生と決めています。

 用を済ませると、私が気に入っている椿屋茶房でビーフカレーのセットを食しました。
 上質の牛肉がゴロゴロ入って、辛すぎず、なかなかいけるのです。
 カレーのほかにポタージュとサラダ、それに食後の珈琲がついて、1300円ほど。
 格安と言って良いでしょう。

 新盆の品を車に収め、千葉市の中心部を散歩しました。
 ⒋連休のせいか、昼呑みをしている人が多く、昼から営業している飲み屋はあまたあります。

 ある居酒屋の横にある駐車場には、リュックサックを枕に、気持ちよさそうに眠っている初老のおっさんがいました。
 身なりから、ホームレスではないことは間違いありません。
 よっぽど起こそうかと思いましたが、相手は酔っ払い。
 変にからまれても困りますので、君子危うきに近寄らず、ということで、素通りしました。

 初老の男、氏素性は分かりませんが、何が彼に深酒をさせたのでしょうね。
 アル中なのか、酒に弱いのか知りませんが、路上で眠ってしまうほどの呑み方をする、その精神性に興味を持ちました。

 私はかつて、三つ年上の先輩を、酒の飲みすぎによる肝臓がんで失いました。
 享年48歳。
 今の私よりも2つ年下での死。

 なにしろ破滅的な呑み方をする人でした。
 ほぼ毎日二日酔いで、職場にウィスキーの小瓶を持ってきて、トイレで迎え酒をし、二日酔いが治った、なんて言う人でしたから、酒で命を縮めるであろうことは、誰もが予測していて、結果、そのとおりになりました。

 先輩はヘビースモーカーでもあり、ピースの一番強いやつを毎日3箱吸っていました。

 たいへんな寂しがり屋で、結婚はしていましたが、毎日飲み歩き、給料のほとんどを酒に注ぎ込んでいました。

 私も酒飲みですが、私が付き合いきれないほどの酒量でした。 

 大の仕事嫌いで、毎日、しょんぼりした顔で出勤し、精気の無い雰囲気で仕事をやっつけ、定時が近づくと、誰彼構わず酒に誘い、誰も着いてこないと知るや、単身、夜の街に赴くのです。

 そんなことを繰り返し、肝炎から肝硬変、そして肝臓がんと、大酒呑みの典型的な道を歩みました。

 自業自得と言ってしまえばそれまでですが、私は先輩の何がそのような行動を取らせたのか、その精神の運動は死んでいたのか、あるいは飲酒ということにだけ、激しく鼓動していたのかを知りたいと思い続けています。

 もしかしたら私が辿るかもしれない道。
 その時、私は先輩の精神がどのような運動を起こしていたのかを知るかもしれません。

 知りたいとは思いませんが。

 


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一周忌

2020年07月18日 | その他

 今日は義父の一周忌でした。
 朝はひどい雨で、どうなることかと思いましたが、法事が終わるころには雨もあがり、墓参り、昼食会と、気持ちよく過ごせました。

 義父は日立に勤める技術屋で、およそ私には理解不能な物理学なっどの本を読んだり、2時間も3時間も散歩したり、書道に励んだり、なかなかの趣味人でした。

 それが昨年の7月、突如として原因不明の感染症を発症し、ほどなくして、帰らぬ人となりました。
 今思えば、コロナだったのかもしれません。

 義父の冥福を祈ります。

 合掌。


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俗物

2020年07月13日 | 仕事

    また一週間が始まりました。

 メール職人のようにメールを打ち続けたり、打ち合わせで無駄な時間を費やしたり、オンライン会議だとか言って自分の汚い部屋を丸見えにしたり、俗物どもに合わせて仕事をするのはしんどいですね。
 もっとも、私もずうずうしいおっさんに過ぎず、俗物どころか毒物かもしれません。

 一週間、乗り切るのは至難の業のように思えます。
 こんなことを30年も続けているのですねぇ。

 まぁ、私としては上出来と言ってよいのかもしれません。


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三島由紀夫VS全共闘

2020年07月12日 | 文学

 暑いなか、久しぶりに映画館に出かけました。
 観たのは、「三島由紀夫VS全共闘」です。

 これは東大の駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と全共闘との討論会の記録と、当時を知る元全共闘や元盾の会の人々へのインタビューで構成された、ドキュメンタリーです。

 なんだかNHKスペシャルのような映画でした。

 私が生まれたのは1969年。
 全共闘運動華やかなりし頃で、政治の季節なんて呼ばれていたそうですね。

 当然、赤ん坊であった私には記憶がありません。 

 しかし、自民党や米国が本気で赤化を心配するほど、運動は盛り上がっていたようです。

 三島由紀夫はボディビルや剣道で体を鍛え上げ、盾の会という民兵組織まで作って自衛隊へ体験入隊を繰り返すなど、左がかった連中とは正反対の立場を貫いていました。

 日本文化の源は天皇制にあると断じてもいました。

 その三島由紀夫が、千人もの全共闘学生が待つ講堂に単身乗り込み、討論会を行います。

 屁理屈ばかりこねまわし、時には三島由紀夫を嘲笑し、挑発する全共闘学生たち。
 大学生ですから仕方ないのでしょうが、幼稚な論理です。

 それに対し、三島由紀夫は大真面目に、紳士的な態度で対応します。
 議論はもどかしいほどに咬みあいません。

 それは退屈なほど。

 しかし討論会の最後に、三島由紀夫が学生たちに放った一言は、衝撃です。

 「諸君の熱情だけは信じる」

 という言葉。
 右と左に分かれていても、政治に対する熱情だけは理解しあえるということでしょうか。

 現に、三島由紀夫があのような形で自害したのち、新右翼に転向する新左翼が大勢いたと聞き及びます。 

 私は三島作品については、文庫本で手に入るものは全て読みました。
 しかし、その擬古典的な文学作品群からは、とてもあのような政治活動を行うようには感じられません。
 美的で、シニカルで、世の文学好きを熱狂させた作品。

 人間の多面性を感じられた映画でした。


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ホトトギス

2020年07月11日 | 文学

 ようやっと、土曜日を迎えました。
 
 朝は6時に起きて朝風呂。
 そして朝飯。
 朝酒といきたいところですが、そこはぐっとこらえて散歩に出かけました。

 帰宅して、ゆっくりと、熱い珈琲を飲みつつ新聞を読みました。

 もうすでに来ていると思われるコロナの第2波やら、習近平の国賓来日の話だとか、ろくなニュースはありません。

 新聞に触れて、この世は苦しいことばかりなのかと嘆きます。

 苦しいと言えば、精神病に悩まされていた頃、寛解にいたればすべてが薔薇色になると信じていました。

 そんなはずがないのに。

 病的な状態が普通に戻るだけで、普通とはかつて私が住んでいた苦界であり、そこに戻るだけのこと。

 味気ない仕事と味気ないマンション暮らし。

 花を愛でることも鳥の鳴き声に心躍らせることもありません。
 まして歌心など。

 夏草は 茂りにけれど ほとぎす などわが宿に 一声もせず

 新古今和歌集に見られる短歌です。

 今、夏の気配は濃厚になりつつあり、しかし私の住むマンションにはホトトギスの声も聞かれません。

 古人の嘆きの歌が、私の心を揺さぶります。
 季節を重んじ、季節を詠ってきた我が先人の。

 夕方、月に一度の精神科の診察があります。
 寛解に至ってなお、ホトトギスの声が聞こえない私を、慰めてもらいましょう。


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ぽか休

2020年07月07日 | 精神障害

 今日はなんだか朝から調子が悪く、仕事を休んでしまいました。
 ずる休みというべきかもしれませんが、調子が悪かったのは事実。
 
 風邪を引いたとか、熱があるとか、そういうことではありませんが、体のバイオリズムというか、なにやらわけのわからぬ理由です。

 こういう休み方は、どうも気分が晴れません。
 思い切って出勤してしまえば、どうということもなかったのかもしれませんね。

 偉いなと アリをみつめて ずる休み

 そんな川柳を、どこかで見た気がします。
 私もアリを見つけに外に出てみましょうか。


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酒呑み

2020年07月06日 | 文学

  また一週間が始まりました。
 嘆きの週頭なんていう言葉もありますが、今日はわりと調子が良かったと感じます。

 昨晩の晩酌を、いつもより一杯少なくしたのが良かったようです。
 酒飲みとは、お祝いだと言っては酒を飲み、不幸があったと言っては酒を飲み、嬉しいから酒を飲み、悲しいから酒を飲み、何事もなくても酒を飲むものです。

 酒を呑むのに理由は要らぬ。
 呑みたいだけ呑めばよい。

 世に酒飲みはあまたあれど、私は若山牧水ほどの酒飲みをほかに知りません。
 
 朝酒ややめむ 昼酒せんもなし 夕方ばかり 少し飲ましめ

 朝二合・昼二合・夜6合の酒を欠かさなかったと聞き及びます。
 それが節酒をおもいたったのですね。

 一方で、こういうのもあります。

 飲むな飲むなと 叱り叱りながら 母がつぐうす暗き 部屋の 夜の酒のいろ

 相当の酒飲みです。

 多くの名歌を残した歌人、酒はやめられなかったやあめられなかったらしく、42歳で早死にしています。

 

 

 私は父が亡くなってから、酒ばかり飲んで食わずにいたら、24キロも体重がお
ちてしまいました。
 その後5キロくらい増えて、ベスト体重になりました。
 このままではまずい、と思い立ち、酒を減らして飯を食うようにしたら、増えたのです。

 今の体重を維持しつつ、適量のお酒を楽しみたいと思っています。

ちてしてててしてむなと叱り叱りながら母がつぐ うす暗き部屋の夜の酒のいろ

 



  朝朝酒ややめむ晝酒せんもなし ゆうがたばかり少し飲ましめ酒ややめむ晝酒せんもなし ゆうがたばかり少し飲ましめ

 


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逃げ恥

2020年07月05日 | 文学

 さっきまで、「逃げ恥」と略されるTVドラマを観ていました。
 なんとなく、観るともなく観ていたら、結構引き込まれました。
 新垣結衣と星野源との恋愛が主たるストーリーですが、サブ・ストーリーと言うべきものがあって、それは49歳のキャリアウーマンを演じる石田百合子と、17歳も年下の男との恋愛模様。

 じつは私は石田百合子と同い年。
 それもあって、サブストーリーを興味深く観ました。
 アラフィフであることを理由に、17歳年下の男の熱情を断り続けるキャリアウーマン。

 若さを失ったゆえの悲哀が、そこはかとなく感じられます。

 私はと言えば、ずいぶん流されてしまったなと感じているということ。

 学生時代は学校でふらふらと漂い、就職してからは自分を殺して厳しい社会の中を浮遊してきました
 それで、気が付いたら50歳になっていました。

 私はかつて、若さを楽しんだことがあっただろうかという根源的な問いを、自らに課さざるを得ませんでした。

 真昼日の ひかり青きに燃えさかる 炎か哀し わが若さ燃ゆ

 若山牧水の若い頃の短歌です。
 若さを真夏ととらえています。

 倉橋由美子は名作「シュンポシオン」のなかで、大学時代を人生の夏休みと表現しました。

 確かに大学生の頃は、煌めいていたと言ってもよいかもしれません。
 また、就職して5年間くらいは、やりたい放題やって、天下を取ったような気分でいました。

 しかし、後輩が続々と入ってきて、役が就いて、と言った間に、煌めきは静かに消え失せ、疲れた中年男が出来上がりました。

 それを悔いても仕方の無いことですが、なんとなく、過去を悔いる気持ちが、心の奥底で、ゆらゆらと小さく燃えているように感じます。

 それを消し去り、心の安寧を得るのは、ずいぶん難しいことのように思います。

 うつ病発症から15年。
 寛解したとはいえ、物事をネガティブに考える癖がついてしまいました。

 病とは恐ろしいものです。

 しかし、80歳まで生きるのだとしたら、まだ30年もあります。
 老け込む年では無い筈です。

 これからでも、物事をポジティブにとらえる思い癖を獲得したいと思っています。

 ちなみに「逃げ恥」では、49歳のキャリアウーマンと17歳年下の男の恋愛は、成就するのであろうと示唆して終わります。

 


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子供

2020年07月04日 | その他

 九州ではひどい豪雨が猛威を奮っているようです。
 被災者のなかには、お年寄りや子供も数多くいるでしょう。
 たいそう難儀をしていると思います。

 お年寄りといえば、義母は80歳になり、足も悪く、しかも子供や施設に世話になるのを潔しとせず、一人暮らしを続けています。
 義母を見ていると、避難しなければならない事態に陥った時、それは大変なことだろうと思います。

 一方、子供に恵まれなかった私たちには、子供を連れて避難するということがどれほど大変なことなのか、もう一つ分かりません。

 ただ、私には9つ離れた弟がおり、言わば疑似子育てを経験しています。
 赤ん坊がどのように成長していくか、弟はそれを私に示してくれました。

 私は誰よりも弟をかわいがり、弟も私になついてくれました。
 それは大人になっても続き、弟夫婦の披露宴では私が司会を務めたほどです。
  親族が司会を務めるというのはあまりないのではないかと思います。

 さすがに最近は会うこともなくなりました。
 これも、親離れしていく我が子を寂しく思う親の心境と似ているのではないでしょうか。

 現に、親戚の子供たちと接する私を見て、同居人は子供の扱いがうまいと言います。

 それでも、弟は兄弟に過ぎず、本当の我が子とは意味合いが大きく異なるでしょう。

 私たちは子供が欲しいと、治療を受けたこともあります。
 それは5年も続きましたが、結局できず、諦めました。
 世の中には子供がいない夫婦などたくさいいることですし。
 
 子供がいる幸せもあれば、いない幸せもあるでしょう。
 いない子に悩まされることはありませんし。

 この豪雨で、子を亡くす親がいるとすれば、それは想像を絶する苦しみでしょうね。
 
 そんな不幸が起きないことを願うばかりです。


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短夜

2020年07月01日 | 文学

 ただでさえ短い夏の夜。

 私はまたしても午前3時に起きるという早朝覚醒を起こしてしまいました。

 私の夜はどれだけ短いのでしょうね。

 夜は疲れてしまって何もする気が起きず、風呂も最近はもっぱら朝入っています。

 さっき、飯を仕掛けて風呂に入りました。
 飯はそろそろ炊ける頃。
 良い香りがキッチンに漂っています。

 風呂上りの火照った体を冷房で冷やしつつ、亡き父の書斎から頂戴してきた「俳諧古選新選」などを紐解いています。

 短夜や まだ濡れ色の 洗い髪 

 江戸時代の俳人、三宅嘯山の俳句です。

 なんとも色っぽい句ですねぇ。

 私は精神を病んでから、色っぽいことや艶っぽいことが起きることはなくなり、その道についてはすっかり無縁になってしまいました。

 あるいは老化でしょうか。

 今はただ、古人の和漢雅俗に親しんで、無聊をかこつばかりです。


 


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