ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

ララピポ

2015年07月31日 | 文学

 昨夜は水割りをちびちびやりながら、小説を楽しみました。

 奥田英朗の「ララピポ」です。

 対人恐怖症のフリーライター、NOと言えないカラオケボックス店員、AV・風俗専門のスカウトマン、デブ専裏DVD女優のテープリライターなど、社会からはみ出した人々の日常を同時並行的に描き、最終章に至って全員の人生が交差する群像劇です。

 このようなスタイルの物語はわりあいたくさん見られます。
 
 職場で学校で、あるいは趣味で、多くの人々と出会い、人生が一瞬といえども交差するわけですが、その瞬間に至るまで、私たちは同時代を並行して、互いを知らぬまま生きてきたわけです。
 袖触れ合うも他生の縁、と申します。
 たとえ電車で隣り合っただけでも、何らかの縁があるということですから、友人になったり同僚になったり、さらには恋人になったり結婚したりするというのは、よほどの縁なのだろうと思います。

 「ララピポ」は、軽く読める楽しい作品でありながら、そういった人の縁について考えさせられる力を持った小説でした。

 ララピポって何のことかと思っていたら、作中、外国人が東京の印象を、a lot of peopleと述べ、ネイティブが発音すると日本人にはララピポと聞こえる、という意味でした。

 このタイトルにも、作者の深い意図を感じます。
 たくさんの人々、という意味の英語を、さらに分かりにくくしているわけです。

 この世には誠に多くの人々がおり、様々な人生をおくっています。
 その断面を切り取ってみせた、という著者の自負が感じられる、謎かけのようなタイトルだと感心したしだいです。 

ララピポ (幻冬舎文庫)
奥田 英朗
幻冬舎

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手術成功

2015年07月30日 | その他

 昨日、同居人の卵巣摘出手術が無事終わりました。
 1時間半の予定が、2時間半もかかり、どうなることかと気をもみましたが、終わってみればどうということもありません。

 手術後、医師から説明を受け、見たくもないのに摘出した卵巣を見せられました。
 中には油にまみれた髪の毛がびっしり詰まっていました。
 こんなものを腹に入れて生活していたのかと思うと、ぞっとします。
 病名は卵巣嚢腫から卵巣奇形腫に変わりました。

 卵巣は人間を作る臓器なので、何にでもなることができ、勝手に髪の毛になったり歯になったりすることがよくあるそうです。
 要するに「ブラック・ジャック」のピノコと同じ理屈ですね。

 全身麻酔ではないので、手術室から出てきた段階で同居人の意識ははっきりしており、開口一番、「生還しました」と微笑みました。
 彼女が見せる最高の笑顔で、私は心の底から嬉しくなりました。

 今日の夕食からお粥が食べられるそうです。
 「腹減った」を口癖のようにしていた同居人には、待ち遠しいことでしょう。

 どうやら私は、同居人に心底惚れていたようだと、結婚17年目にして、初めて気づきました。


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沈痛

2015年07月29日 | その他

 昨日、卵巣膿腫の手術のため、同居人が入院しました。

 午後、私は休暇を取って同居人、義父母と一緒に医師から手術の説明を受けました。

 医師は一見20代に見える、痩せ型の童顔でしたが、間近で見ると肌の色艶から、30代後半くらいかなと見当をつけました。
 態度も堂々としいながら丁寧で、少し安心しました。

 
卵巣の片方は全摘出、片方は2割ほど残すそうです。
 それほど腫れがひどいとのこと。
 2割ほど残すのは、全摘出した場合更年期障害がひどくなる怖れがあるからだとか。

 2時間ほどの手術で、よくある簡単なものだと言っていました。
 ただし、摘出後、その細胞を検査にまわし、悪性かどうか調べるそうで、結果が出るまで一週間かかるとかで、悪性という言葉に、私の心は沈みました。

 まぁ、後は専門家に任せるしかないので、私はとくだん質問もしませんでしたが。

 今日の手術に備え、昨日は重湯くらいしか口にしていないせいか、同居人はさかんに「お腹が空いた」、と恨み言を述べていましたね。
 「治ったらさんざん食ってやる」、とも。

 私はよほど沈痛な顔をしていたらしく、手術を受けるご本人から、「簡単な手術なんだから心配しなくていいよ」と励まされ、義父からは肩をもまれました。

 まったく頼りない婿殿ですなぁ。

 今日は一日休暇を取っており、これから病院に向かいます。
 手術は午後一番で始り、夕方には麻酔から醒めた患者とご対面というわけです。
 そこにいたれば、私の表情も少しは和らぐでしょうか。


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詳細説明

2015年07月28日 | その他

 今日は夕方から明日の同居人の手術に関する詳細説明があるため、午後から休暇を取りました。
 明日の手術の時刻はその詳細説明の際になされるはずです。

 なんだか怖ろしいような。

 明日は手術のため、一日お休み。
 今日の午後と併せ、一日半のお休みですが、これほど心躍らない休暇は、自身の病気休暇を除いて初めてです。 

 生きていれば色々なことがあるもので、今回のことも、きっと、いずれはあんなこともあった、で終わってしまうことと信じています。  


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心の癖

2015年07月27日 | その他

 今日も猛暑が続いています。
 事務室から見る外の様子は、カンカン照りでいかにも暑そうです。
 内勤の仕事に就いて本当に良かったと実感します。

 明日は同居人が入院するため、午後からお休みを取っています。
 明後日は手術のため、一日お休み。

 お休みと言っても、なんとなく気が重い。
 そんなおのれの不甲斐なさを、どうすることもできずにいます。

 早く手術が終わって、無事に済みました、という医者の言葉を聞きたいものです。

 最近は暇さえあればインターネットで医療事故の記事ばかり探しています。
 そんなことをしていると、医療事故が起きるのは必然のような気がしてくるからまいります。

 物事をネガティブに捉える心の癖、どうにかしたいものです。


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うらめしや~ 冥途のみやげ

2015年07月26日 | 美術

 猛暑の日曜日、幽霊画を多く集めた夏らしい展示を観に、東京藝術大学美術館に出かけました。

 お目当ては、「うらめしや 冥途のみやげ」展です。



 千葉市の自宅から上野までは約40キロありますが、道が空いていて、上野公園地下駐車場まで40分ほどで到着。

 まずは洋食の老舗、黒船亭で昼をしたためてから、歩いて美術館を目指しました。
 およそ800メートルほどですが、炎天下の熱行で、えらく遠く感じました。

 企画展示の入り口は、まるでお化け屋敷のように暗く、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していました。

 幽霊画というのは大きく二つに系統が分かれるようで、ほとんど美人画のように美しいものと、おそろしく薄気味悪くてグロテスクな絵が展示されていました。

 ほとんどがガリガリに痩せてお歯黒をつけた女の絵ですが、円山応挙の幽霊は、頬がふっくらして少女のようであり、恐怖を駆り立てる類のものではありません。

 それにしても、怪談話や幽霊画でぞっとし、ヒヤッとして涼しくなるなんて、ずいぶん悠長な話ですね。
 むしろ悪い汗をかいてよけい不愉快になるのではないかと思いますが。

 今は冷房がありますから、怪談だの風鈴だの打ち水だの、ほとんど気休めとしか思えない方法で涼をとる必要がありません。  

 今日は浅黄色の夏の着物にパナマ帽といういでたちで出かけましたが、上野公園のあたり、けっこう和装の若者を見かけました。
 最近若い人の間で着物が密かなブームになっているという話は本当のようです。

 もっとも、ほとんどは浴衣で、私のような夏の着物を着用した者はみかけませんでしたが。

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TOKYO FANTASY

2015年07月25日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 最近お気に入りのSEKAI NO OWARIに取材した映画「TOKYO FANTASY」を観ました。
 しかもわざわざブルー・レイを購入して。



 タイトルからして、SEKAI NO OWARIを題材にした美的なファンタジーだろうと思っていたのですが、ほぼドキュメンタリーでした。

 しかもファンタジーとして見てもドキュメンタリーとして見ても、つまらない作品です。
 飛ぶ鳥落とす勢いのバンドをネタにすればそこそこ集客が見込めると踏んだのでしょうか。
 これが劇場で公開されていたとは驚きです。
 観に行かなくて良かった。

 以上が作品としての感想。

 しかし、一ファンからしてみれば、これを観るのは至福のひと時でした。
 何しろ全編これSEKAI NO OWARI一色なのですから。

 そういえば中学生だか小学生だか向けの英語教材にこのバンドが取り上げられるというニュースがありましたね。

 そんなことになったら世界の終わりだ、とか言うイカしたコメントを寄せている人がいましたね。

 しかし私には、彼らが紅白に出ようが英語教材になろうがどうでも良いのです。

 彼らの存在意義は、一つしかありません。
 すなわち、この私1人を楽しませることです。

 それ以外のことなんて、瑣末事です。

TOKYO FANTASY SEKAI NO OWARI Blu-ray スタンダード・エディション
SEKAI NO OWARI
東宝




TOKYO FANTASY SEKAI NO OWARI DVD スタンダード・エディション
SEKAI NO OWARI
東宝

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バルタザールの遍歴

2015年07月24日 | 文学

 佐藤亜紀衝撃のデビュー作「バルタザールの遍歴を読み終わりました。

バルタザールの遍歴 (文春文庫)
佐藤 亜紀
文藝春秋

 公爵家に生まれた体が一つで人格が二人の双子、クレヒオールとバルタザール。
 普通は二重人格と呼ぶのかもしれませんが、二人は常に対話をし、互いに得意分野をゆずり、すくすくと成長していきます。

 さらには、二人は幽体離脱というか、体を抜け出して生活する能力を持っていることが分かります。
 ただし、抜け出したほうはパッと見には肉体的実体をもっているように感じられます。
 影が無いことと鏡に写らないことを除いては。

 ナチが台頭するウィーンを舞台に彼らの少年時代が描かれ、父の死後、パリに長期滞在し、大酒を喰らい、女と遊び、博打を打つ、放蕩三昧の生活を送ります。
 金が無くなってくるとアフリカに渡り、安宿に泊まっては放蕩を繰り返す不良貴族です。
 ここまで、ナチに付け狙われたり、ならず者に身ぐるみ剥がされたり、散々な目にあいます。

 諧謔に満ちた格調高い文章で、SFっぽい驚くべき世界が描かれます。

 そして物語は、「バルタザールの遍歴」と言うよりは、「クレヒオールとバルタザールの没落」とでも言うべき様相を呈します。
 それでも二人はどこまでもドライで、自分たちの転落を面白がっているようにすら見受けられます。

 諧謔が過ぎ、ややもすると読みにくい面は否めませんが、私は興味深く読みました。

 できることなら、「戦争の法」のような、わが国が舞台で日本人が活躍する物語を紡ぎ出して欲しいものだと思います。

戦争の法 (文春文庫)
佐藤 亜紀
文藝春秋

 佐藤亜紀という作家、女性ながら硬質で骨太な、男らしい人を想像させます。

 興味深いながら、真剣に読まなければならない分、少々疲労する読書体験ではありました。

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ゆるめば死ぬる

2015年07月23日 | 文学

  今日は二十四節季で言う大暑。
 「暦便覧」には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」とあります。
 一年中で最も暑い時季。
 この前後、ウナギを食す習慣があり、今日のお昼はうな重を頂きました。

  念力の  ゆるめば死ぬる  大暑かな

 村上鬼城の句です。

村上鬼城の世界
松本 旭
角川書店

 いかにも不気味な句ですねぇ。
 ひどい今年の暑さ、常人といえども、もし肝心の念力のゆるむ者がいたら、その者は直ちに病んで死んでしまうに違いない、と言ったほどの意かと思われます。
 念力がゆるむとは、びっくりするくらいの暑さに気力が萎えて、ということでしょう。

 エアコンが普及した現代では、ここまでの過酷な暑さは想像できません。 
 しかし、熱中症で命を落とす人が、わずかですが毎年出ます。

 してみると、上の句、あながち昔の話とばかりも言えないのかもしれません。
  

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壊れる

2015年07月23日 | 仕事

 私は学術機関の事務職に絶対的自信を持っており、何事も早め早めに片付けてきました。
 ところが最近、仕事が面倒くさくて仕方ありません。
 仕事を先延ばしにすることが増えてきました。

 かと言って精神的に落ちているわけではないので、うつの再発ではなく、加齢に伴い、堪え性が無くなって来たように感じます。

 私を構成する重要な部分である、仕事の完璧な遂行という点が、壊れ始めているようです。

 辛いのは、それでも下の者たちが私を頼れる先輩として接すること。
 今の私は過去の遺産で食いつないでいるだけで、頼れる存在では無くなってしまったように感じています。

 それでも、相談事には誠意をもって臨み、一刻も早く片付けるよう努力しているつもりではいますが、かつてのような馬力はありません。

 さすがに40代も半ばになると、疲労しやすくなり、困難な仕事をやり遂げることが苦痛になってきます。
 定年までまだ14年半もあります。

 このまま私の内部崩壊が進めば、退職もやむを得ないかもしれないと、漠然と不安を感じています。
 老眼も進んできたし。

 崩壊を止めるにはどうしたら良いのか、良い知恵がありましたらご教示いただきたく、よろしくお願い申し上げます。  


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談話

2015年07月22日 | 社会・政治

 来月、戦後70年にあたり、首相談話を出すそうですね。

 安倍総理は過去の談話を全体として引き継ぐ、と言っているのに、なんで新たに談話を出す必要があるんでしょうか。
 どんな内容であれ、近隣国に文句を言われるに違いないのに。
 寝た子を起こすような真似はおよしなさい、と言いたいところです。

 そもそも談話にはなんら拘束力もなく、また出さなければいけないものではありません。
 一言一句苦労してそんなものを練り上げたところで、さしたる意味は内ように思います。

 無駄なことはしないのが一番です。


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夏籠や

2015年07月21日 | 文学

 いよいよ猛暑がやってきました。
 職場も自宅もエアコンが効いているうえ、通勤も車なので、正直、ほとんど暑さを感じない夏が、20年ばかり続いています。
 そういう意味では、現代の内勤者には、夏らしい夏は無いのかもしれませんね。

 そういえば、夏の光に照らされて、毎日弁当を入れているバッグ、大分汚れていることに気づきました。
 なんだか侘しい安サラリーマンを地で行っているようで、侘しくなりました。

 夏籠や 月ひそやかに 山の上

 村上鬼城の句です。
 夏籠とは、夏のバッグ。
 今風に言うならトートバッグということになりましょうか。

 涼しげな夏籠と、妖しい光を放つ月の光との対比が面白いですねぇ。
 でもあんまり強烈な暑さは感じられないというか、どちらかと言えば涼しげでさえあります。

 わが国は夏が過酷で、建物にしても夏を快適に過ごせるように作られていますが、一方夏は儚くもあります。
 冬のようなしつこさは無く、むしろすぐに秋になってしまうイメージです。

 それが夏に激しくも物悲しげな彩りを添えるのかもしれません。

 

 


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卵巣嚢腫

2015年07月20日 | その他

 同居人が卵巣嚢腫という病気で、7月28日に入院し、翌29日に手術を受けることになりました。
 良性の腫瘍ということで、それほど難しい手術ではない、というのが医師の診断。

 しかしこの3連休、なんだか喉に棘が刺さったように、私の心を落ち込ませます。

 万が一医療事故が起きたらと、心配でなりません。

 ここに到って、私は深く同居人に依存していたことに気付きました。

 出会って23年、結婚してから17年が経ちますから、愛というような単純なものではないのですが、私を精神的に支えるあまりにも重要な柱になっていたようです。

 今はただ、あんな心配をして馬鹿だったと笑えるように、手術の成功を祈るばかりです。


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常識

2015年07月18日 | 社会・政治

 あまりコメントしたくない話題だと思って避けてきましたが、所謂安保法制が強行採決されて数日、私の感想を述べてみたいと思います。

 まず、この法律をもって集団的自衛権が認められた、という報道に、強い違和感を覚えます。

 戦争に敗れたその日から、わが国は少なくとも米国とだけは、集団的自衛権を行使しなければ国際社会で生きていけない立場に置かれたものと思います。

 わが国が長い苦難の占領から脱出した際にも、わが国の領土に米軍基地という外国の軍隊が置かれることが独立の条件でした。
 つまり、米国との集団的自衛か、あるいは米国独自の日本防衛です。

 しかし、米国人が日本を守るためだけに血を流すでしょうか?
 米国人の命は日本人のそれよりも軽いのでしょうか?
 日本防衛のために米国人が死ねばよく、日本人が死ぬことだけはあってはならないのでしょうか?

 外国の軍隊がわが国領土に存在するということは、日本人として屈辱的なことで、できればわが国の防衛はわが国の軍隊だけで遂行することが理想であろうと思います。

 当然です。

 わが国は戦後70年を経てなお、軍事的には米国の属国なのですから。

 そういう意味で、私は集団的自衛権を行使したくないと思っています。

 わが国が独立独歩の強力な軍隊を保持していれば、集団的自衛権など問題にもならないはずです。

 しかし、現実は違います。

 このたびの法律が採決されるはるか以前から、わが国は他国に自国の安全を委ねてきたのです。
 その際、共同で防衛にあたるのは当然のことで、とうの昔にわが国は集団的自衛を国防の根本に据えてきたのです。

 内閣法制局が集団的自衛権は憲法違反だなどと寝言をほざき続けてきたのは、木を見て森を見ないみたいな話で、現実は法律談義のはるか先を走り続けてきました。

 今回の法律は、遅きに失したというよりも、まだそんなことが問題になるのかと、驚きを禁じえませんでした。

 思い起こせば20数年前、PKO法案の時も、軍靴の音が聞こえる式の、浮世離れした批判が聞かれました。
  しかし、今やPKO活動に反対する人など、ごく一部になり、むしろ国際貢献として多くの国民からも、国際社会からも支持されています。

 おそらく、今回も一緒です。

 戦争の危機を回避するには、誰もが怖がるような強力な軍事力を保持することです。
 負けると分かっていれば、狂人でないかぎり戦を仕掛けてきたりはしません。

 それが争いごとが大好きな人間という種の愚かな現実です。

 明治維新後わずか40年でアジア初の列強に名を連ね、その30年後には太平洋の覇権を巡って死闘を繰り広げ、敗れて後は軍事力を失った腹いせのように経済戦争に血道を挙げたわが国が、平和国家などと叫んでみても、世界からみればちゃんちゃらおかしいというものでしょう。

 憲法9条は出来た当初は世界唯一だったかもしれませんが、今や世界の憲法に同じような条文は溢れかえっています。

 世界のスタンダードに従った法律や条約に、軍靴の音が聞こえるだの徴兵制が復活するだの、まるで60年安保当時のようなたわ言を繰り返すのは、わが国の言論空間にとって、無益なことです。

 私には妄想としか思えません。

 一体誰が、かつて七つの海を支配した英国が、大英帝国の夢よもう一度とばかり、侵略戦争を始めると思うでしょう。
 また、ドイツで再び国家社会主義の運動が全土を席捲すると思うでしょう。  


 現代社会は先進国が侵略戦争を起こすことが出来ないようになっており、わが国だけがこれを破るはずもなく、破ればわが国は壊滅的打撃を受けるでしょう。

 マスコミや政治家が、昔懐かしい理屈で、国民を馬鹿にしたような世論のミス・リードを続けるとしたら、それこそが国を滅ぼす発端となるでしょう。

 ちょうど戦前・戦中、大新聞などが戦争に駆り立てるような論陣を張り、国民をミス・リードしたように。


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イン・ザ・プール

2015年07月18日 | 文学

 名医なんだか藪なんだかよく分からない精神科医のもとを訪れる人々を描いた連作短編集「イン・ザ・プール」を読みました。

イン・ザ・プール (文春文庫)
奥田 英朗
文藝春秋

 伊良部総合病院の跡取り息子、伊良部医師は精神科医。
 しかしそこを訪れる患者はほとんどいません。
 伊良部医師はデブで色白で不潔感漂う中年男。

 そこに、平凡な不定愁訴から、世にも珍しい起ちっぱなしに苦しむ陰茎強直症のサラリーマン、世の中の男がみなストーカーに思ってしまうモデル、携帯依存症の高校生などなどの患者が登場し、可笑しいやら切ないやら、楽しいユーモア小説集に仕上がっています。

 伊良部医師の活躍を描いた続編に「空中ブランコ」という作品集があるようなので、そちらも読んでみようかと思います。

空中ブランコ (文春文庫)
奥田 英朗
文藝春秋


 いやぁ、笑いました。
 喜劇は精神に良いようです。


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