今宵、終業間際に、もう2年も会っていなかった飲み友達から連絡があり、急きょ一杯やりました。
彼女と初めて出会ったのは、異動先。
私の愚かな経験のなかで、最もしんどい部署でした。
当時私は30歳。
同居人と籍を入れて1年半が過ぎていました。
飲み友達の女性は1つ上の独身女性。
スポーツが得意で、一見明るい女性でした。
同じ職場にいた頃、あるいは居酒屋、あるいはバーなどで、たびたびさしで飲みました。
明るそうな外見とは逆に心に深い闇を抱えていることを、私は知ることになります。
他の同僚には決して見せない心の闇を、私と二人きりの酒場では、それこそ涙を流さんばかりに語っていたことを鮮やかに思い出します。
30代前半だった私たちは、互いに40代半ばを迎えました。
その時の積み重ねによって、私たちは確かに変化しました。
彼女が突如連絡をしてきたのは、彼女の母親が亡くなったことが主たる原因です。
かつては母親との折り合いの悪さを訴えることを専らにしていましたが、いざ亡くなってみると、その存在の大きさに気付いたようです。
日本人形を思わせるその外貌は、私をして彼女に恋情を抱かせるのに十分でした。
しかし糞真面目な私は、同居人に遠慮して、恋情を伴う飲み友達として振る舞い、肉体的接触を求めることはありませんでした。
おそらく私が押せば、簡単に落ちたものと思います。
しかし私は、愚かな肉体的接触よりも、何でも話せる飲み友達であり続けたいと思ったのです。
彼女から、今日はへヴィな話を聞きました。
40代半ばになってなお独身の彼女は、今、家族崩壊の危機にあるようです。
そんな話、聞きたくも無いのですが、彼女にしてみれば私にしか話せないということなのでしょう。
私はひたすら話を聞き、相手の言い分を否定するようなことはしませんでした。
本当に苦しんでいる人に対しては、嘘でもいいから共感する姿勢を明確に示すことが重要だと思います。
私との短い酒が、彼女の慰めになることを願ってやみません。
今日の仕事も無事終了しました。
午前に1本、午後1本の2本の会議をこなしました。
明日も3本の会議があるので、合間にその準備。
公的機関の特徴なのか、あるいはわが国の組織はみなそうなのか、良く分かりませんが、どっちにしても無駄にだらだら余計なことを話し合っているように思えてなりません。
新幹線などは、世界が驚愕するほど精確に時間を守るのに、会議となるとエンドレス。
会議も終わりの時間を定めて、新幹線なみの精確さで守って欲しいですねぇ。
これが民主主義のリスクと言う物でしょうか?
今日はなんだか疲労困憊で、酒を飲む気も起きません。
たまには清らかに、休肝日といたしましょうか。
みんなの党から江田議員とそれに同調する10名近い議員が離党して新党を結成するそうですね。
みんなの党が結成された時から、私は胡散臭いものを感じていました。
名は体を現わすと申します。
みんな、という得体の知れないものを公党の名前に決めた時点で、極めて差別的な性質を持つだろうと思っていました。
みんな、と言いますが、それは一体誰と誰のことなのでしょうか?
逆に、彼らがみんなの中に入らないと判断した場合、徹底的に排除するに違い無いと直感したのです。
渡辺代表は反党行為をした者は出て行ってもらう、比例で当選した者は議席を返してもらう、と息巻いていました。
その外貌、その口調は、独裁者そのものでしたね。
結党当時、渡辺代表と江田議員は緊密な関係性を保ち、野党再編の起爆剤になるのだと、理想に燃えていました。
しかし、せっかく30名を超える議員を抱えながら、大量の離党者を出すにいたりました。
みんなとは誰なのか、はっきりしました。
渡辺代表のイエスマンをみんなと呼ぶのでしょう。
私はみんなという言葉や、空気を読むと言う言葉が大嫌いです。
私は私であって、食うために組織に属してはいますが、そんな組織、いつだって辞められます。
重要なのは、私は私1人を恃み、みんななんていう気色の悪いものには、少なくとも精神的には属さないように心がけること。
また、全体主義的な匂いが漂う空気を読むなんていうことはしないこと。
悲しいかな、私は空気を読む能力に長けています。
普通と異なるのは、空気を読んだうえで、あえてその場の空気を破壊するような行為にわざと及ぶこと。
それによって、空気を読むことの怖ろしさを示したいのです。
このたびのみんなの党の内紛劇、滑稽ですらあります。
権力闘争に敗れた側が離党し、勝利した側を多くのみんなを失うという痛みを受けました。
醒めに醒めた、どこまでも冷静で、時には冷酷ですらある政治家や政党ばかりになれば、この国の政治はよりよくなるでしょう。
夢やロマンだけで政治家を目指す人は、その時点で政治家たる資格が無いものと言えましょう。