今日は大晦日。
いよいよ今日で令和3年も終わりです。
1年の終わりに当たって、午前中は、大掃除というほど大仰なものではありませんが、清掃をしました。
家中がピカピカになって、清々しい気分です。
掃除に疲れて、大晦日も根性の営業を続ける中華屋に行き、野菜がたっぷり乘ったタンメンを食しました。
私は塩ラーメンが好きで、味噌ラーメンは好みません。
タンメンは塩味のうえ、野菜を多く摂れるので、たまに食います。
その後すぐお隣のドトールで食後の珈琲。
カフェインで頭がしゃっきりとたところで、今年最後のお散歩。
寒いなか、近所を1時間ほど歩き回りました。
近所では窓ガラスを拭いている人や、洗車をしている人を多くみかけました。
帰りに蕎麦屋でお持ち帰りの生蕎麦とかき揚げを購入。
今夜の年越蕎麦です。
以前はよく、年末に詣で仕舞いと称して、結婚式をあげた飯田橋の東京神宮にお参りしたものです。
正月はあまりに人出が多いものですから。
大晦日でも、そこそこ参拝客がいて、同じような考えの人がいるのだなと思ったものです。
コロナ禍とあって、去年も今年もおあずけです。
また年末にお参りできる日が来るのでしょうか?
帰宅して、ソファでうとうと。
贅沢なひと時です。
今、16時45分。
これから風呂に入って1年の垢を落とし、晩酌といきたいと思います。
このブログを愛読してくださる皆様、来年もよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって新年が幸多いものであらんことを。
昨日は映画館に出かけました。
観たのは、「マトリックス レザレクションズ」です。
マトリックスシリーズ4作目。
私はこのシリーズ、全て映画館で観ています。
第1作は1999年公開と言いますから、もう20年以上前の話。
1作目を観た時の衝撃は今も鮮明に思い出します。
人工知能が高度に発達し、機械は人間に対して反乱を起こします。
機械と人間との戦い。
機械が太陽光を燃料にしていることから、人間は人工の雲を作って太陽光を遮断します。
機械は新たな燃料源が必要になります。
そこで機械は、人間が持つエネルギーを燃料に変えるため、人間を捕獲して生きながらエネルギー源にしてしまいます。。
その間、人間は眠りながら幸せな夢を見続けることに。
夢の世界こそ、仮想現実=マトリックスというわけです。
ほとんどの人間はエネルギー源になってしまいますが、一部の覚醒した者が機械との戦いに挑みます。
これが第一作。
二作目、三作目はこの戦いの続編。
で、ほぼ決着が着いたのですが、最新作では新たな戦いが始まり・・・、というお話。
ネタバレになるので、最新作の詳細は書きません。
最新作の核となるのはキアヌ・リーブス演じるネオと、その相方であるトリニティーとの恋愛譚。
中年というより初老に近い二人の恋は、一作目から語られ続けています。
若者の恋とは違って、映像的な美しさはありませんが、二人の長年に及ぶ関係性が、精神的な美しさを醸し出します。
SFであり、アクション物であり、さらには恋愛映画でもある、重層的な作りになっています。
面白くて、引きこまれました。
客層は、やっぱり私と同世代の中年男が多かったように思います。
このシリーズを見続けてきたオールド・ファンなんでしょうね。
そう思うと、同時代を生きてきた他の観客にもシンパシーを感じます。
もちろん、美青年であったキアヌ・リーブスがすっかり老けてしまったことにも。
今日から1月3日まで、6日間の年末年始のお休み。
掃除は明日することにして、今日はのんびり過ごしたいと思います。
正月休みの良いところは一斉に休むこと。
私の業界では基本的に誰も仕事をしていないはずですから、メールをチェックする必要もありません。
夏休みは交代でとるので、仕事は動いているため、どこか心が休まりません。
正月休み、久しぶりに完全に仕事を忘れて過ごせます。
ありがたいことです。
今日は仕事納め。
令和3年、長い長い一年の仕事が、やっと終わるのですね。
そしてまた、非常に長く感じられるであろう令和4年という年を過ごさなければなりません。
よく、時が過ぎることを、あっという間だった、と表現する人を見かけます。
私には理解できない心性です。
過ぎてしまえばあっという間とか言いますが、あっと言う間であるはずがありません。
一つ一つ、その年に起きたことを思い出してみれば、一年は途轍もなく長いことが分ると思います。
嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと。
旨い酒を呑んだこと、旨い物を食ったこと、調子が悪くて飯を抜いたこと。
診察のたびに精神病薬を調整したこと、増やしてみたり、減らしてみたり。
親戚や友人が亡くなったこと、近しい人が子供を産んだこと。
映画や芝居を観たこと、お花見をしたり、陽気の良い日に散歩をしたこと。
365日、人は成長し、あるいは衰えます。
私は緑内障で左目の視野が著しく欠損してしまってから、運転が怖くなりました。
両目で見れば眼鏡をかけて1.2あるので、免許の更新は出来るのですが、視野が欠損していると承知で運転するのは、馬鹿げているような気がします。
52歳、免許を返納するには早過ぎる年齢ですが、事故を起こしてからでは遅いと思うのです。
これが私の衰え。
一方、腹を立てることがなくなりました。
若い頃は、職場で理不尽だと思うことがあれば、相手が上司だろうがなんだろうが、喧嘩っ早かったのですが、随分丸くなりました。
意見の違いがあれば、冷静に話し合うか、永遠に食い違うと分かったら、相手の意見を尊重しつつ、その話題に触れないようにすれば良いのです。
感情的に怒ったり泣いたりするのは醜いと私は思います。
これは成長なのか、衰えなのかよく分かりませんが、生きやすくなったことは事実なので、成長と受け止めましょう。
来年の365日、先のことを考えると途方にくれますが、その日暮らしを続けなければなりません。
その日をしっかりと生き、明日になったらまたその日をしっかりと生きる。
この面倒くさい不断の行いこそが、人生というものなのでしょうね。
それにしても運転免許の返納、どうしたら良いんでしょうねぇ。
法的には視力だけが問題で、視野を問題視することはありません。
したがって、私が免許を更新して運転をすることは法的な問題は全くありません。
車の運転が怖くなったといっても、通い慣れた通勤路くらいならまだ大丈夫です。
最近は同居人もよく運転をしてくれるので、通勤だけ私が運転して、その余の道は彼女に任せましょうかねぇ。
新型コロナの流行で車で遠出しなくなったのも大きいかもしれません。
運転しないのが当たり前になってしまいましたから。
この、私にとっては重要な問題、これも次の365日で決着を付けなければならないのかもしれません。
今日は休日出勤の振替でお休み。
今季最強の寒波が来ているとあって、家で大人しくしていました。
唯一出かけたのは、DVDを借りにいったのと、スーパーへ今夜のつまみを買いに行っただけ。
DVDは、SEKAI NO OWARIのボーカル、FUKASEが連続殺人鬼を演じたサスペンス、「キャラクター」を借りました。
FUKASE、役者じゃないのに狂気じみたサイコ野郎を演じて、見事な怪演ぶりでした。
もともとボーカルというもの、世界観を作ってみたり、歌の人物になりきったりしなければならず、そういう点が役者と相通じるものがあるのでしょうね。
絵はやたらうまいのに、魅力的なキャラクターを作り上げることが出来ず、夢を諦めようとする漫画家のアシスタント、ヤマコシ。
FUKASEの存在を知って、FAKASEはヤマコシの中に入り、ヤマコシはFUKASEの中に入り、いわば共作とも言うべき連続殺人鬼の漫画を描いて大当たりします。
FUKASEという魅力的なキャラクターを得たヤマコシは、一夜にして人気漫画家に躍り出ます。
ヤマコシは当初FUKASEの殺人をモチーフに漫画をえがきますが、やがてヤマコシが描く漫画を忠実に再現するFUKASEが現れます。
連続殺人の共通点は、幸せな4人家族を殺害すること。
この共通点は、FUKASEの複雑な生い立ちに依るものです。
小栗旬演じる刑事が途中で殺されたり、菅田将暉演じるヤマコシが最後にはFUKASEに狙われたり、疾走感を持って物語は進みます。
上質なサスペンスに仕上がっています。
世の中には人を殺したくて仕方がない人間と、殺人を阻止したくてたまらない人間しか存在しない、というFUKASEのセリフは、凶悪な連続殺人鬼ならではの名言です。
もともとFUKASEという人、目付きがイッチャテル感じで、ダークヒーローに向いているのかもしれません。
久しぶりに入り込める作品で、大いに満喫しました。
昨日、12月25日でソビエト連邦崩壊からちょうど30年だそうです。
ゴルバチョフ大統領が辞任した日。
私は大学4年生で、近づく就職に恐怖していました。
ソ連の崩壊、驚きましたねぇ。
ソ連はかのレーガン大統領から悪の帝国とまで呼ばれ、共産社会に君臨していました。
当時は米ソの冷戦が激しく、まさかその一方が崩壊にいたるとは思っていませんでした。
ソ連崩壊は、米国の封じ込めによる結果だとする論や、構造的な問題、つまり共産社会という全体主義的な体制は、そもそも長持ちしない、とする論、あるいはゴルバチョフやエリツィンによる政策的な誘導によるとする説、色々飛び交いました。
その正否は歴史学者に任せるとして、私は単純に、あれほど強固に見えた体制が、わずか70年ばかりで崩壊してしまうという冷厳な事実に、ただ世の無常を感じるばかりでした。
欧州にはソ連の衛星国家とも言えた社会主義国家は存在しなくなり、今は中国や北朝鮮、ベトナムなど、アジアに見られるだけになりました。
特に中国は、その人口の多さと軍事的、経済的な力によって、米国をも脅かす超大国に成長を遂げました。
その事実を見るとき、少なくとも現時点では、ソビエトを始めとする共産国家が構造的な問題で崩壊したとまでは言えないと思います。
もし構造的な問題なら、天安門事件の時に、中華人民共和国は崩壊への道を歩み始めたのではないでしょうか。
欧米諸国は単純に中国を責める言説を繰り返しており、わが国もそれに倣うべきだという意見が聞かれます。
それは多分民主主義国家としては正しい態度なのでしょう。
しかしわが国は中国とあまりにも地理的な距離が近い。
下手を打つと簡単にやられてしまいます。
必ず米軍が駆けつけてくるとは思えません。
米国だって無駄な血は流したくないでしょうから、まずは自国の防衛は自国でなんとかする覚悟を持つのが肝要かと思います。
最近は今にも赤い大帝国が台湾に攻め込むのではないかという報道を目にします。
その時、米国や日本はどうすれば良いのでしょうね。
それは起きてみないと誰にも分かりません。
過去の出来事を振り返ってみると、起きるはずがないと思えることが、何度も起きてきました。
古くはテロ事件を端に発するとしか思えない大化の改新。
新しくは太平洋戦争の敗戦による大日本帝國の崩壊。
ソ連崩壊のような出来事がアジアでも起きるのか、あるいは半永久的にアジアにおいては共産国家が繁栄を極めるのか。
私は120歳までも長生きして、その行く末を見届けたいと願っています。
昨日は土曜日ながら忙しい一日となりました。
同居人がウォーキング用の靴がだいぶくたびれたため、買いに行きたいというので、昼前にそごう千葉店に向かいました。
11時半頃着いて、まずは腹ごしらえ。
このブログで何度も紹介した椿屋茶房でカレーライス、スープ、サラダを食しました。
食後の珈琲も飲んで大満足。
90分くらいかけてゆっくりと食事を楽しみました。
その足で靴売り場へ。
同居人、気に入ったのがあって、即決。
アシックスの靴で、一足3万円くらいしましたが、履き心地が悪いと履かなくなってしまうので、色違いの同じ靴を2足購入。
まぁ良いでしょう。
次に年賀の品を買いに酒売り場へ。
赤白のワインを1本づつと、自分用に大好きな栗焼酎を買いました。
結構な大荷物になってしまい、疲れたので喫茶店で珍しくオレンジジュースを飲みました。
その場でオレンジをミキサーにかけ、何も加えないという作り方に興味を持ったので。
で、これが実に旨い。
オレンジジュース一杯で千円もしましたが、飲んでみて納得です。
夕方から精神科の診察があったのですが、とりあえず購入したものを車に積んで、徒歩で精神科に向かいました。
そごう千葉店からは歩いて10分ほどの距離です。
このところ年度末の足音が聞こてきたせいか、あるいは日が短いせいか、胃がぎゅうっと掴まれるような、体がこわばるような不快感を感じると言ったら、ドグマチールという抗うつ薬が追加になりました。
減薬どころではありませんね。
今日は掃除、洗濯をし、年賀状をやっつける予定。
パソコンのおかげで年賀状も楽になりました。
ここのところ、落ちています。
理由はわかりません。
職場復帰して10年以上。
なんどもピンチを迎えながら、その都度、薬の 調整でのりきってきました。
職場復帰して10年も、
昇任もせず、ひたすら年に合わない役職で、年下の上司の下で働きました。
上司もやりにくかったでしょうね。
今、やっと昇任し、遅蒔きながら自分で手を動かすということはほぼなくなりました。
ここまできて、また休むわけにはいきません。
土曜日に診察があります。
それだけが救いです。
いつもはパソコンでブログを書いているのですが、初めてスマホで書いてみました。
50過ぎのおっさんには、マウスとキーボードがないとしんどいです。
今朝は8時に起きました。
昨夜の酒が残っていたようで。
食欲がなくて、朝飯は抜きました。
マンションのリビングは南向き。
たっぷりの日差しを浴びて、ソファでうとうと。
今日は同居人が休日出勤で、なんとなく、寂しい日曜日になりました。
11時半に、朝昼兼用の飯。
ハムエッグと納豆と白飯。
飯を食ったら少し元気になって、一週間分の食料の買い出しに行きました。
晩酌のつまみも。
ネバトロサラダとフルーツトマト、それにお惣菜のチキンの照り焼き。
帰りにDVDを借りました。
「MOTHER マザー」です。
酒好き男好きパチンコ好きのクズな母親と、その子供の日常を描いた作品です。
いつもお金に困っていて、実家に金の無心に言ったり、盗みを働いたり、悪い金貸しから金を借りては逃げ回ったり。
それなのに、息子は母親が好きなのです。
そして悲劇が起きます。
母親の指示で、17歳の息子は、祖父母を殺害して金を盗むのです。
強盗殺人。
母子は逮捕されます。
母親は自分の指示を硬くなに否定。
息子は母親の指示はなかったと、母親をかばいます。
やるせない母子関係です。
しかも実話をもとにしているとか。
あまりにも重い作品です。
母親役を演じた長澤まさみの迫真の演技が光ります。
ああいう家庭、実は結構あるのでしょうね。
私の知り合いにはいませんが。
そのあまりの重さに、私の精神までやられてしまったようで、ひどく落ち込みます。
今朝は7時に起きました。
平日より1時間遅いだけですが、それでも休日の喜びを感じます。
朝飯は納豆と白飯だけ。
それでも腹が膨れて、ソファで二度寝。
外は見事に晴れ渡っていましたが、関東名物からっ風が吹いて、ひどく寒い一日となりました。
昼は蕎麦屋。
熱燗を二合、やりました。
寒い日には熱燗が体に沁みわたります。
帰りにDVDを借りました。
「ホムンクルス」です。
もともとの意味は、錬金術師が生み出す人造人間のことだそうです。
記憶喪失の男に、頭蓋骨に少しだけ穴をあけるという実験を行う研修医にしてマッドサイエンティストの青年。
一歳半くらいまで、頭蓋骨は完全にはふさがれておらず、頭蓋骨がふさがることによって脳が圧迫され、完全な能力を発揮できなくなる、というのが研修医の考え。
で、穴をあけるとどうなるか、というお話。
予告編
着想は良いと思いますが、なんだか退屈な映画でした。
Jホラーの名作「呪怨」で有名な清水崇監督の作品ということで、期待していたのですが、作りすぎというか、説得力がないのです。
たくさん映画を観ていると、そんなこともあります。
その後夕飯の買い出し。
魚屋でなめろう(千葉名物のアジの味噌叩き)と生蛸の刺身を購入。
野菜はフルーツトマトと、油揚げと小松菜のお浸しです。
これから風呂に入って晩酌といこうかと思います。
昨夜、一週間ぶりの酒が旨くて、つい吞みすぎてしまいました。
昼まで寝ていたい気分だったのですが、9時に床屋を予約していたので、やむなく起きました。
時間が無かったので、朝飯は抜きです。
床屋政談を繰り返すこと90分。
さっぱりと仕上がりました。
床屋から帰って、スーパーで買い物。
さらに洗濯。
面倒くさいことが多いのが私の日曜日です。
お昼は蕎麦屋に出かけ、鴨南蕎麦を食しました。
いつもだと鴨せいろなのですが、いい加減寒くなってきたので、鴨南蕎麦にしました。
荒っぽい感じの鴨肉と、鴨肉のだしを含んだ汁は絶品です。
午後はYou Tubeで遊んで過ごしました。
近頃の若者はテレビを見ないとか。
パソコンで様々な動画を見られるので、それも当然と言えるかもしれません。
私のようなおっさんでも、テレビを見る時間が減ったくらいですから。
そのうちテレビ局というものは、経営が立ちいかなくなるかもしれませんね。
それが時代の趨勢というものです。
同居人も、暇さえあればパソコンで情報収集したり、動画を楽しんだりしています。
パソコンが普及するまで、考えられなかったことです。
仕事も余暇もパソコンなしではいられません。
パソコンが普及する前、私はすでに社会人でしたが、メールもZOOMもワードもエクセルもパワーポイントも無しで、どうやって仕事をしていたのか、記憶が曖昧です。
これらは便利な道具ですが、弊害もあります。
例えばイベントや儀式の際の準備が雑になったこと。
仕事が休暇を取った日にも追いかけてくること。
土日は一斉に休むのでそんなことはありませんが、平日休暇を取っても、朝昼夕と、3回はメールをチェックします。
部下からのSOSが入っていたり、ショートのお願いとか言って、依頼したその日のうちに返事を寄越せなんていう無茶ぶりもあります。
もっとも、時折私もやるので、やったりやられたり、お互い様です。
これからますますパソコンや、その他の情報機器が発達して、未知の領域に突入するのでしょうね。
おっさんは付いていくのがストレスです。
そうは言っても、付いていかないことには、仕事になりませんから、若い物に内心馬鹿にされながらも、聞かぬは一生の恥と心得て、教えを乞うています。
経験が生かされない世の中になったと感じます。
今朝は早起きして朝湯につかりました。
土曜日の朝風呂は格別です。
納豆とハムエッグと白飯の朝食を食い、内科へ。
コレステロールの値を下げるためには、薬が必須なので、面倒くさいですが、三週間に一度、通っています。
内科が終わったのが9時半。
その足で、眼科へ向かいました。
こちらは緑内障の目薬をもらって、視野検査の予約をしました。
終わったのが11時。
午前中、病院のハシゴでつぶれてしまいました。
その後そごう千葉店に出かけ、カレーライスとサラダとスープの昼食。
このブログで何度も紹介した椿屋茶房という喫茶店ですが、ここのカレー、私の好物です。
食後は珈琲でまったり。
二時間ちかい、ゆったりした昼飯です。
良く晴れて風もなかったので、千葉市中心部を1時間ほど散歩。
風さえなければ、首都圏の冬なんて、長い秋のようなものですが、どういうわけか強風の日が多いのですよねぇ。
関東名物、からっ風というやつです。
コロナ禍のせいで東京散歩に行かなくなって、もう2年近く経つでしょうか。
高速にも全然乗っていません。
なんだか東京まで車で行くのが怖くなってしまいました。
あれほど毎週のように車で東京散歩に出かけていたのにね。
歩き疲れて、そごう千葉店に戻り、またもや椿屋茶房。
珈琲とチーズケーキ。
若いころは甘い物が嫌いで、絶対に口にしませんでしたが、年とともに嗜好が変わったのか、40代半ばくらいから甘い物を食べるようになりました。
15時半になって、これから買い物をして料理をするのは億劫だと、デパ地下で中華弁当を購入。
ホテル・オークラに入っている桃源の弁当です。
おかずが豊富に入っていて、まぁまぁイケルので、つまみになります。
で、弁当の主食であるチャーハンは食わず、冷凍します。
これが今夜の肴。
最近平日は疲れちゃって、晩酌をやる気力も起きないので、土曜日の酒は殊更旨く感じられます。
金曜日の夜から土曜日にかけては、夢のように楽しいひと時です。
日曜日になると早くも翌日からの仕事を考えてしまい、やや憂鬱です。
そのうえ日曜日は洗濯したり、一週間分の食材の買い出しに行ったりと、慌ただしいのが嫌です。
こうやってたまの週末を楽しみ、平日は阿鼻叫喚の地獄を味わい、年をとっていくのですね。
50代になって、引退ということを意識するようになりました。
まだまだ先ですが、もう30年も働いてしまったと思うと、感慨深いものがあります。
毎日がお休みの隠居生活になると、逆にお休みのうれしさや有難さを感じなくなるのでしょうね。
土日が嬉しいと思える今の日常を寿ぐべきかもしれません。
金曜日の終業を迎えました。
今日は冬のボーナスの支給日でもあります。
金曜日でボーナスとくれば、この上なく嬉しいはずですが、何となくもやもやします。
私が就職した頃はバブルの残滓があって、毎年順調に給料は上がっていきました。
いつの頃からか収入は横ばいになり、全く上がらなくなりました。
金曜日の夜を花金とか言って、夜遊びに出かけることが奨励されていた頃は、日本国全体がバブルに浮かれ、しかも給料は目に見えて上がっていたのですから、夜遊びにでも出かけたくなるでしょう。
今、わが国は貧乏な国になってしまいました。
給料は上がらず、物価は微増。
やれません。
そうは言っても、明日、明後日と短いお休み。
金が無いなんて考えず、週末を楽しまなければなりませんね。
我が家は正規雇用同士の共働き。
2馬力は違います。
1馬力で子育てに奮闘しているお父さんから見れば潤沢な小遣いを貰っているほうでしょう。
亡き祖母が言っていました。
上を見ればきりがない、下を見てもきりがないってね。
昨日は日米開戦の日だったのですね。
忘れていました。
真珠湾攻撃から80年。
日本の国の在り様は変わりました。
しかし、大日本帝国臣民も、日本国民も、本質的には変わっていないと思います。
昭和50年代でしたか、昭和陛下が米国を訪れた際、米国の記者に「戦後、日本人はどう変わったか」と問われ、「何も変わっていない」と答えて米国人記者を唖然とさせたとか。
大戦とはいえ、一度負けたくらいで国民性が変わるはずもありません。
これからも変わらないでしょう。
午睡から目覚めて、肩の凝らない映画でも観ようと、DVDを借りました。
借りたのは、「約束のネバーランド」。
子供向けのダークファンタジーです。
ヨーロッパの古城を思わせる森の奥に建つ孤児院。
孤児院の主はママと呼ばれ、孤児たちから慕われています。
森の奥には柵があり、そこから出ていくことは固く禁じられています。
しかしこの孤児院には秘密が隠されていました。
孤児たちは、16歳になるまでに、必ず里親を見つけ、孤児院を卒業していきます。
しかし、卒業というのは名ばかりで、実は人肉として出荷されるのです。
地球は人肉が大好きな鬼と人間が激しい戦いの末、妥協のうえ、戦いは終わります。
人間は人肉の農場を作り、鬼に売りつけるので、一般の人間は襲わない、という妥協。
あまりにもむごい妥協です。
その真実を知った子供たちがママを出し抜いて脱出する、というお話。
古城、森林、白い服を身にまとった孤児たち。
孤児たちはいずれも美少年、美少女です。
寄宿舎のような孤児院。
美的な要素が満載です。
美的ではありますが、映画としては破綻しています。
私が思ったのは、ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの名作「わたしを離さないで」を映画化した作品との類似です。
こちらは人肉ではなく、臓器提供を行うための孤児たちを収容した孤児院を描いています。
森林や古城を思わせるたたずまいなど、「約束のネバーランド」とそっくりです。
「約束のネバーランド」が子供向けの薄っぺらな作品であるのに対し、「わたしを離さないで」は、生きるとは、臓器移植とは、という難しい問題を静かに問いかけつつ、孤児同士の恋などが描かれ、重厚な物語に仕上がっています。
原作も映画も素晴らしい出来です。
盗作疑惑まであるようですが、肩の凝らない映画を観たかったので、そういう意味では気楽に観られる作品でした。
ただし、どうせ見るなら「わたしを離さないで」をお勧めします。