ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

9カ月

2011年01月31日 | 精神障害

 復職して今日でちょうど9カ月が過ぎました。
 薬の量は復職当初と変わっていませんが、とりあえず出勤できているので良しとします。
 減薬に挑戦して体調を崩しては元も子もありません。
 
 先日のリワークOB会で、復職したのはいいけれど、仕事をほとんど任せてもらえず、かえって調子を崩しそうだ、という人が何人もいました。
 贅沢な悩みですが、気持ちは分かります。
 
 だいたい他人に仕事を押しつけて自分だけ楽しようなんていうタイプの人は、そもそも精神を病むなんてことはほとんどないでしょう。
 
 真面目さゆえの悩みなんでしょうね。
 私の仕事も軽いものですが、私はとにかく職場に決められた時間居ることができればそれで良いと思うようにしています。
 長いリハビリ期間はまだ続きそうです。
 でもリハビリでもなんでも続けられればありがたいことです。
 9カ月といえば休んでいた期間と同じ長さ。
 これから少しずつ春めいて来れば、気持ちも上向くでしょう。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農業と鍛錬

2011年01月31日 | 思想・学問

 日々の新聞で、文化という文字を目にしない日はありませんね。
 日ごろ何気なく使っている文化という言葉。
 でも実際のところ、文化という言葉の定義は曖昧で、使われ方も曖昧です。
 例えば日本文化とかアイヌ文化と言えば、民族や地域の特性を表わしますし、平安文化とか室町文化といえば、特定の時代の文化を表わすでしょう。
 ほかにもヲタク文化とか、ポップ・カルチャーとか、様々な場面で使われる文化。
 
 元の意味はなんだべな、と思って辞書をひくと、ラテン語で農業・牧畜と精神や肉体の鍛錬を意味する言葉だったそうです。
 それがフランス語に伝わり、英語に伝わり、やっと18世紀になって現在のような意味で用いられるようになり、明治の日本でcultureの訳語として文化なる言葉が使われ出したとか。

 農業・牧畜と精神的・肉体的鍛錬。
 今使っている文化という語感からはほど遠いものですね。
 今、文化というと、狭義には学問・芸術などの精神活動、広義には人間の生活様式や風俗・習慣、といったところでしょうか。
 どちらにしても、生活必需品ではなく、遊びの要素が濃い印象を受けます。

 しかし元々は農業や牧畜といった、最も必要な、食うための労働を表わす言葉。
 鍛錬はおそらく敵と戦うためのもの。
 cultureは人間にとって死活的に大事なものだったということでしょう。
 それが転じて現在のような使われ方をするようになったのは、文化という比較的新しい概念が、人間にとって大事なものだということを言いたかったのだと思います。
 それはちょうど、個人の解放ということが言われるようになった時期と重なるようです。

 しかし前世紀、文化は、軍国主義や共産主義などによって、ひどい蹂躙を受けることになります。
 人権の侵害もひどいものでした。
 それは今なお、北朝鮮などで続いています。
 自由を何より大切にする米国においても、かつて1950年代にマッカーシーがレッド・パージを主導し、魔女狩りのようなことが行われました。

 文化という概念が生まれる前はもちろん、その300年も後も、文化や人権を尊重しない国々があり、また、尊重しているように見えても、ちょっとしたきっかけで弾圧する勢力が力を伸ばすことがあります。
 
 だからこそ、欧州の人々は死活的に重要な農耕・牧畜や鍛錬を表わすcultureに、現在使われているような意味を与えたものと推測します。
 人間なんて信用できない、という予感。
 その予感が新しい概念を生んだとしたら、逆説的ですが、人間も信用できないわけじゃない、と感じます。 
 

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉店

2011年01月31日 | その他

 近所の洋食屋が、閉店しました。
 昨日の散歩の途中、シャッターにあった張り紙でそれを知りました。
 閉店したのは、一週間前。
 私がそれを知った昨日まで、洋食屋は私のなかで営業していたのでした。
 認識はいつも現実を後から追いかけるようです。

 なぜ閉店したのかはわかりません。
 わからないけど、閉店したことは事実。
 その理由を推測することは可能ですが、本当のところはわかりません。

 考えてみると、人は大抵自分の物差しでしか考えることができません。
 閉店したのは資金繰りの悪化か、店主の病気か、そんなことしか考えられません。

 よく相手の立場にたって考えよう、とか言います。
 これはかなり難しいことです。
 相手は自分とは違う思考回路を持っている可能性が高いからです。

 例えば私は、もう三年も前に上司から暴言を受け、精神病を劇的に悪化させました。
 しかし上司は、私に直接謝罪することはありませんでした。
 これなどは、私にとっては理解不能な行動ですが、上司にとっては合理的な理由があったのでしょう。
 相手の立場に立って考えるのが良いことなら、私は上司の理不尽な発言を理解すべきなのでしょうか。
 到底不可能です。

 すると結局できることは一つ。
 相手を否定も肯定もせず、傍観すること。
 基本的に他人を理解することはできないと思い知ること。
 親子兄弟といえど、夫婦といえど、しょせんは自分とは違う生き物です。
 違う生き物同士が集まって社会を構成している以上、理解できないし違う意見だけど、あなたを尊重します、という以外にないでしょう。

 冷たい考えかもしれませんが、41年生きてきて、他人を理解できたことが一度もないのです。

 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプト

2011年01月30日 | 社会・政治
 エジプトでずいぶん激しいデモが起きているようですね。
 ムバラク大統領は権力奪取から30年も独裁を続けているとか。
 このたび内閣は総入れ替えするけど自分は辞めない、と表明したようです。
 警官隊はデモ隊に発砲、100人もの人が亡くなったそうです。
 親米政権ということで、オバマ大統領の歯切れも悪いですね。

 しかしいずれにしろ、国民に銃を向けた独裁者が、権力を維持できるとは思えません。
 その一つだけで、ムバラク大統領は犯罪者に成り下がりました。
 このデモがイスラム過激派とくっつくと、はるか昔のイラン革命のようなことにもなりかねません。
 イスラム原理主義国家が生まれる前に、ムバラク大統領は辞任し、選挙を行うべきでしょう。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OB会

2011年01月30日 | 精神障害

 昨夜はリワークのOB会がありました。
 久しぶりに見る面々は、綱渡りのように毎日の勤務を続ける緊張感から私を解放してくれました。
 リワークに入所したのが去年の2月1日。
 ちょうど一年たったんですね。

 順調に復職した人、退職して次の仕事に就いた人、リハビリ出勤が続いている人、さまざまです。

 朝、今日は休みたい、と思ったとき、彼らの顔を思い浮かべ、辛いのは自分ひとりではない、と考えると、とりあえず出勤しよう、という気持ちになります。
 ありがたいことです。
 同病相哀れむという言葉がこれほどしっくりくる関係性もないでしょう。

 次回は7月末の予定です。
 それまで元気に出勤したいものです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムラサキカガミ

2011年01月29日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 朝っぱらからマニアックなJホラーを観てしまいました。
 「ムラサキカガミ」です。

 ある女子高の階段の踊り場にある大きな鏡。
 夜11時35分にその鏡の前で「紫の鏡」と五回唱えると、学校が建つ以前にその場所で火災のため焼け死んだ少女の焼け爛れた霊が現れる、という噂があります。
 二人の少女がその真相を確かめるべく、儀式を行った結果、一人は顔の皮膚がはがれて死亡、一人は発狂して精神病院に入院してしまいます。
 その十年後、テニス部の夏季合宿で校舎に泊り込むことになった少女たちを、怖ろしい事件が襲います。

 田舎の古い女子高、美少女とは言いがたいリアルな女子高生たち、大きな鏡。
 舞台装置もよく、雰囲気も良いのですが、すべてがどこかで見たことがあるような、あきりたりな感じがします。
 良くいえば基本に忠実、悪く言えば平凡。
 ホラーとはそうしたものかもしれませんが、子供だましの感は否めません。

ムラサキカガミ [DVD]
紗綾,長澤奈央,上杉奈央,森下まい
ポニーキャニオン


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀憑歌 CHI-MANAKO

2011年01月29日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜は変わったJホラーを観ました。
 
哀憑歌 CHI-MANAKO」です。

 売れっ子ホステスは都心のマンションでミュージシャンを夢見る青年と暮らしていました。
 ある日、帰り道でウサギを見つけ、拾って帰ります。
 すると夜な夜なウサギに襲われる夢を見るようになります。
 そしてなぜか、片目がウサギのように真っ赤に。
 眼帯をつけての接客には限界があり、店を解雇されてしまいます。
 彼女はウサギにとりつかれてしまったのでしょうか、もう一方の目も真っ赤になってしまいます。
 そして、ウサギを拾った場所で怖ろしい体験をするのです。

 新感覚というか、ウサギを使ったホラーというのは珍しいですね。
 ウサギというのはけっこう気持ち悪い外見をしているんだなと思いました。
 発想は良かったと思いますが、途中から動物愛護めいた説教臭いトーンが鼻をつき、素直に楽しめませんでした。
 ホラーと説教はおよそ相性が悪いものです。

哀憑歌 CHI-MANAKO [DVD]
田畑智子,益子梨恵,出合正幸,戸田菜穂,小松千春
GPミュージアムソフト


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盛ん

2011年01月28日 | 社会・政治

 イタリアのベルルスコーニ首相、モロッコの少女の買春疑惑がおさまりかけたら、別の18歳未満の少女も買っていたらしい、との疑惑が持ち上がりました。
 首相は74歳。17~18歳といえば孫くらいですね。
 お盛んですねぇ。
 実業家のままでいれば、金にまかせていくらでも少女買春できたでしょうに。
 政治家なんかになるから、責められるんですねぇ。
 因果な商売です。
 
 
英雄色を好む。

 古来、偉大な仕事をなす人は色もお盛ん。
 目くじら立てるほどのことではありません。
 18歳未満というのが問題のようですが、合意の元なら単なるビジネスでしょう。
 出世して大金持ちになって、豪邸に住んで、高級車を乗り回して、女をとっかえひっかえする、というのは男の夢ですからねぇ。

 ヴィスコンティ監督の名作「山猫」でも、バート・ランカスター演じる老公爵が、深夜こっそり馬車で売春宿に向かうシーンがありました。
 老公爵が馬車の中で従者に言うセリフがいかしています。
「わしは旺盛な男なのだ。わしは妻のへそから下を見たことがないのに7人の子をなした。義務は果たした。妻ときたら、イク時、おお、マリア様って言うんだぜ。若い女でも買わなければやってられない」

 このブログを愛読くださる女性読者を敵にまわしているかもしれませんが、多くの男は、老公爵のセリフにうなずいたのではないでしょうか。
 
 ベルルスコーニ首相、人生を楽しむためにそろそろ引退して気楽な遊び人になってはいかがですか。
 そのほうがお似合いですよ。

山猫 イタリア語・完全復元版 [DVD]
ゴッフレード・ロンバルド
紀伊國屋書店

 

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着衣と羞恥

2011年01月28日 | 思想・学問

 寒さ厳しい折、朝夕の通勤電車で見かける女子高生のミニスカートはなんとも痛々しいですね。
 零下に近い気温なのに腿をにょっきりだしちゃって。
 最近ちらほら黒いストッキングを履いて、さらに黒いレッグウォーマーをしている女子高生を見かけるようになり、なんだかほっとします。
 私は毎日秘かに起毛した股引を履いていますから。
 いざという時困るんじゃ、とお思いでしょうが、いざという時なんて、もうないのですよ。

 一昔前、着エロという表現をよく耳にしました。
 要するに全裸よりも水着姿や下着姿に性的興奮を覚える人々や媒体を差す言葉のようです。

 人間が衣服を身にまとうのは、防寒の他に、羞恥心のためや、社会的秩序を維持するため、という目的があるようです。
 ただ、時と場所によって、全裸でも半裸でも羞恥心を感じず、また社会秩序を破壊しない、とされることがあります。
 代表的なのは温泉や海水浴場ですね。
 それと医療行為のためである場合。
 
 面白いのはほぼ全裸に近い格好で暮らしている部族です。
 彼らには独特の羞恥心があって、ある部族は下半身丸出しでも平気なのに、帽子をかぶっていない姿を見られると非常な羞恥を感じるそうです。
 イスラム教原理主義の国では、女性はほぼ全身を黒い衣服でおおって、目しか見えません。
 そういう国では、顔が見えているだけで女性は羞恥心を、男性は性的興奮を感じるのでしょうね。

 このように肌の露出に関しては、お土地柄でずいぶん意識が違います。
 江戸末期、来日した欧米人は日本の銭湯が混浴で、男女とも平気で裸になっているのに驚いたそうです。
 しかし同時代のヨーロッパの貴婦人の胸の谷間を強調したドレスなどは、今で言う着エロもしくは露出系とでもいうべきファッションで、それが正装であったことに驚きます。

 そのような違いはありますが、例え生殖器を隠すだけの小さな布だけであったり、あるいは帽子だけであったりしても、何かしら身に付けていないと恥ずかしい、というのは人類共通のようです。
 
 そういえば平安から室町の日本では外出する時烏帽子をかぶらないと恥とされたそうです。
 1970年代に全裸で町を走りまわるストリーキングが流行った時は、嘘か真か靴下を履いていると全裸よりも刑罰が軽くなるという噂がたって、全裸に靴下という間が抜けた格好の若者が現れた、とか。

 様々な文化での肌の露出による羞恥心や社会秩序維持の概念がどのようであるのか、興味深いものがあります。
 どうも何かを身につける、という行為は、人間と動物を分ける決定的な違いであるようですから。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘学

2011年01月27日 | 思想・学問

 60年代後半から80年代にかけて、米国西海岸発祥のニューエイジ運動が世界を席巻しましたね。
 正確に定義付けるのは極めて困難な、曖昧なイメージですが、強いて言えば、霊的・神秘的なものへの親和性を特徴としながら科学的でもあり、禅や道教、チベット仏教などから影響を受け、過剰な消費社会・物質文明に警鐘を鳴らす運動であったように思います。
 人間が各々の霊性を高めて、一歩先の平和な世界を築こうという、love&peaceみたいなところもありました。
 
 日本においては幸福の科学がその嚆矢でしょう。
 名前からしてニューエイジ運動の重要なキーワードが入っています。
 ニューエージ運動は楽天的な快楽主義の側面を持ち、これが幸福と、そして科学はそのものずばり、でしょう。

 しかしその後、ニューエイジを掲げて生き残った者は、幸福の科学にしろシャーリー・マクレーンにしろ、金儲けの権化のような人たち。
 ちょうど、全共闘の闘士が、社会に出るやそれまでの思想をかなぐり捨てて企業戦士になっていったのと似ています。
 私は全共闘の頃は2,3歳だったので、全く影響を受けていません。
 しかしニューエイジ運動は長く続いたので、かなり影響を受けました。

 その中で、私が非常に強い関心を寄せたのが、ニューエイジ運動がおこるはるか以前、19世紀末から20世紀初頭に活躍した神秘思想家にして教育学者のルドルフ・シュタイナーです。
 一般的には教育学者としての側面が有名かもしれません。

 高校生の「神秘学概論」を読んで、衝撃を受けました。
 そこには霊的覚醒によって得られる様々な知識や知恵が、おしげもなく披歴されていたのです。
 
 シュタイナーの四大主著の一冊であり、その思想の根幹が綴られています。肉体、エーテル体、アストラル体、自我という人間存在のヒエラルキアを解明し、宇宙論、人間論の中で、めくるめくような宇宙史の壮大な展望の下にマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との関わりをあとづけ、進化の法則と意識の発達史、古代秘儀の本質、輪廻転生論、悪魔論、霊的認識の方法などを記し、過去と現在と未来についての常識をくつがえした前代未聞の神秘学大系が展開されているのです。

 しかし悲しいかな、私には霊的覚醒など、到底不可能なことがわかっていました。
 要するにシュタイナーは天才。
 私がいくらバットを振り回そうとイチローになれないのと同様、どんな修行をしてもシュタイナーにはなれないのです。

 そして私は、仏典に親しむようになりました。
 シュタイナーの驚異的な著作に比べると、仏教は分かりやすい教えでした。
 いわば、道徳のようなもの。
 神秘学によって彼岸へと一足飛びに駆け抜けようとしていた私は、仏教によって落ち着きを取り戻しました。

 今思えば、神秘学への熱中は、早すぎた躁転だったのかもしれません。
 もちろん、当時は自分が双極性障害の気があるなんて、かけらも思いませんでした。
 しかしあれは、異常でしたねぇ。
 そういうことが、対象を変えて何度も起きました。
 小説の執筆だったり、句作だったり、明け方というよりは深夜の散歩だったり。
 滅多やたらに女性に声をかけていた時期もありましたねぇ。
 芸術的な精神の高揚とでもいったようなものが、確かにかつてありました。
 躁を抑える薬を飲むようになり、それがなくなって、平穏で大変結構なのですが、なんとなく、もの足りなかったりもするのです。

神秘学概論 (ちくま学芸文庫)
Rudolf Steiner,高橋 巖
筑摩書房
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)
Rudolf Steiner,高橋 巌
筑摩書房


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テロ

2011年01月27日 | 社会・政治
 ロシアの空港でテロ事件がありましたね。
 9.11以来、少々のテロ事件では驚かなくなってしまいました。
 イラクやアフガニスタンでも頻発しているとか。
 冷戦が終わって20年。
 世界は平和に向かうのかと思いきや、民族紛争に宗教対立、それに大規模なテロ。
 国家間の戦争とは違い、誰が敵だかわからない、という状況のなか、世界は困惑しています。
 多くはイスラム過激派によるものですが、本当に思想的に過激なテロリストもいれば、生きるために、職業としてテロリストになった者もいるでしょう。
 世界はテロとの戦いを合言葉に、掃討作戦をやったり、空爆をしてみたり。
 その結果テロリストとは何の関係もない一般市民が多数犠牲になっています。
 なんとかしなければ、とは思うものの、どうしてよいかわからない、有効な策がない、というのがどの国でも共通した認識でしょう。

 テロは究極のゲリラ戦。
 米国がベトナムで勝てなかったのも、ベトコンが徹底したゲリラ戦にでたからでしょう。
 話し合いをするにしても、戦うにしても、相手が幻のように現れては消えるわけですから、どうにもなりません。
 結局手荷物検査や身体検査を徹底するくらいしか手はありません。
 いかにももやもやします。

 イスラム教は開祖、ムハンマドが自ら軍を率いて教勢拡大のために戦争を繰り返した稀有な宗教。
 そのたましいは、今なおイスラム教徒に受け継がれているようです。
 何を信じようと個人の自由ですが、武力で攻撃するのは勘弁してもらいたいものです。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原爆のフェティシズム(物神崇拝)

2011年01月26日 | 思想・学問

  私は母が四歳のときに長崎で被爆した被爆二世です。
 で、母は被爆者手帳を持っています。
 これを持っていると、都営交通が無料だったり、様々な恩典が受けられるのです。
 母はぴんぴんしていますし、被爆から65年もたっているのですから、そのような優遇措置は不当なものですが、被爆者団体が組織としての圧力を維持するために、なるべく手帳保持者を多く保ちたい、という考えのようです。
 また、被爆者の一割は朝鮮半島から連れてこられた人々だと言いますが、彼らには日本政府からの優遇措置はありません。
 日本に居住していれば手帳を受けられますが、朝鮮半島に帰国してしまえば、手帳の効力は失効します。
 しかも朝鮮半島の人々は被爆後、避難できる親戚もなく、そのまま爆心地近くに留まったため、日本人以上に悲惨な最期を遂げたそうです。
 爆心地近くで目をカラスに突かれた遺体があれば、ほぼ朝鮮半島の人だったとか。
 遺体を処理してくれる親族や友人がいなかった、ということでしょう。
 朝鮮半島の被爆者にとって、手帳はフェティシズムの対象となってしまいました。

 日本人被爆者のフェティシズムといえば、千羽鶴でしょう。
 被爆から10年後に急性白血病に犯された少女が、千羽鶴を折れば治る、と信じ、644羽折った後、急死しました。
 彼女をモデルに「原爆の子の像」が広島平和公園に建てられ、年間1000万羽に及ぶ折り鶴が供えられます。
 2003年8月、某大学生が鶴に火をつけ、燃やしてしまうという事件がありました。
 たかが折り鶴ですが、学生が在学する大学の学長が9万羽の折り鶴を手に謝罪に来たとか、反核の動きが盛り上がった、とか、折り鶴はたかが折り鶴ではなく、或る種の呪いの力を持ったフェティシズムになりました。

 そしてヒロシマ・ナガサキとカタカナで表記すれば、それはそのまま反核平和のフェティシズムであり、今だにわが国で強い魔力を持った呪いの言葉ですね。
 一人米国への呪いだけではなく、有史以来殺し合いを続けてきた人間の歴史そのものに対する呪いです。
 
 人を呪わば穴二つ。

 日本人に今も残る根深い反核平和意識は、結局のところ先の大戦をきっかけとした戦争被害への恨みつらみが原点だと思われます。
 私はこの反核平和の呪いは、きっかけ一つで軍国主義に転換するだろうと思っています。
 反核平和と軍国主義はおのれが正しいと思う、その独善がよく似ています。
 左翼が右翼に簡単に転向するように。
 反核平和と軍国主義は双子の兄弟。
 この兄弟を厳しくしつける父親はいないんでしょうかねぇ。


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輪廻

2011年01月26日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 「呪怨」シリーズで有名なJホラーの鬼才、清水崇監督の「輪廻」を観ました。
 これは名作です。
 「呪怨」は恐怖シーンが多すぎて失笑がもれるほどでしたが「輪廻」は適度に抑えた演出と、新鮮なアイディアが詰まった佳品です。

 35年前にあるホテルで起きた大量殺人事件。
 これを映画化することになって、新人女優が主役に抜擢されます。
 役は、犯人の娘で、事件で最後に殺される少女です。
 これを優香が演じて、鬼気迫る演技力を見せつけます。
 正直、優香がここまで狂気をはらんだ演技を見せるとは思いませんでした。
 新人女優は撮影が進むにつれ、35年前の事件に絡んだ幻覚や悪夢に苦しむようになります。
 新人女優以外にも、何人もの人々が、35年前の事件に吸い寄せられていきます。
 やがて映画撮影の様子、事件当時のこと、事件に振り回される人々、この三つの映像が行きつ戻りつしながら、大団円に向かって加速していきます。
 特にラスト。
 優香と犯人との関係性に気付いた犯人の妻がじつに怖ろしい行動にでます。

 ホラーファンではなくても絶対にお勧めできる、一流の心霊ホラーです。
 ああ、怖くて幸せ。

輪廻 プレミアム・エディション [DVD]
優香,香里奈,椎名桔平,杉本哲太,小栗旬
ジェネオン エンタテインメント


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雇用

2011年01月25日 | 社会・政治
 最近ニュースを見ても新聞を読んでも、雇用の話ばかりですね。
 大卒の新人の内定率が60数%で過去最低だとか、30代後半の非正規雇用者が増えているとか。
 それでも働いていればいいほうで、ひきこもりだとかニートだとか。
 私も精神病で長く休んだことがありますので、仕事をしていない、あるいは、みつからない不安というのは想像できます。
 
 しかし、雇用のミスマッチというか、業種によっては人が集まらないところがあるそうですね。
 それと中小・零細。
 大企業をひたすら目指して就職できないよりは、社会状況と自分の能力に折り合いをつけて妥協することが必要だと思います。
 というか、生きるということは毎日が妥協の連続。
 どんなに夢を描いても、野球少年の誰もがプロに行ってスターになれるわけではありません。
 若い歌手などが無責任に歌う、夢をあきらめないで的な発想は、凡人を不幸にするものと思います。

 
人間到る処青山あり。

 山一証券や北海道拓殖銀行の例をあげるまでもなく、大企業といえど潰れることはあります。
 日本航空のように大量解雇することもあります。
 どんな会社であれ、職種であれ、そこが青山かもしれません。
 あるいは、起業でもパチプロでも、どこが青山かなんて、やってみないとわかりません。
 インドの行者などは、ボロ一枚に路上暮らしでも、最高に幸せだと言います。

 就職活動中の皆さまには、イメージや世間体にとらわれることなく、自分の青山を探していただきたいものです。
 また、不本意な会社に就職したとしても、卑屈にならず、ここを自分の青山にするのだ、という気概で努力されますように。


人間到る処青山あり
(じんかん、いたるところせいざんあり)
  世の中その気になれば何処ででも死ねるということ。
  また、そうであるから故郷を離れ世界に雄飛するのに躊躇してはいけないということ。
                        江戸時代末期の僧、釋月性の詩『將東遊題壁』より

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箸礼讃

2011年01月25日 | 思想・学問

 日本の家庭では、大抵お茶碗と箸は自分の物はこれ、と決まっています。
 お父さんは大きくて青っぽいお茶碗に太くて木製の箸、お母さんは赤っぽくて小さめのお茶碗に細めの塗り箸、坊っちゃんはアニメのキャラクターが描いてあるお茶碗に小さなお箸、という具合。
 ところが、欧米では、ナイフやフォークが誰のもの、と決まってはいないようです。
 大体どれも似たような銀色で大きさも変わりがありませんから、当然といえば当然です。
 欧米では、誰それのフォーク、という習慣がないかわりに、マイナプキンが決まっているそうです。
 旅行や外出にマイ箸を持ち歩く自称エコな人が近頃頻出しているようですが、欧米ではマイナプキンを持ち歩く人が多いとか。

 なんでかな、と思ったら「身辺の日本文化」という本に、興味深い記述をみつけました。

 ヨーロッパで一般庶民がナイフとフォークを使うようになったのは、ほんの200年ほど前からだ、というのです。
 それまでは、スープは木製のスプンで、パンやおかずは手づかみで食していたため、非常に手が汚れる。
 そのため、ナプキンは必需品で、それぞれ自分のナプキンを持っていたらしいのです。
 なんでもロシア革命のとき、オツムが赤く染まった農奴たちは貴族の屋敷や宮殿に押し入ってナイフやフォークを目にし、これは何をするものじゃ、と不思議がったそうです。

 ナイフやフォークにくらべ、箸を作るのは極めて簡単です。
 極端な話、そこらで適当な木の枝を拾ってきて、握りやすい長さに切り、ちょっと磨いて水洗いすれば、すぐに食事に使えます。
 そんな風に作ればそれぞれ特徴のある箸ができましょうから、気に入った箸を自分のもの、とすればよいわけです。
 そのため、箸は西洋の食器が調うはるか昔から、北東アジアで使われていたようです。
 
 和食にしても中華にしても箸で食事するシーンは、変に旨そうだし、優美にも粗野にも、どちらにしても絵になりますね。
 昔NHKの「独眼竜政宗」で、勝新太郎演じる秀吉が、高級な箸や器を使いながら、飯をかき込んだり、芋を刺し箸したりして、粗野な食事ぶりがいかにも成り上がり者らしく感じられました。
 同じ食事を、例えば足利義昭が食せば、当然全く違った趣になるでしょう。
 日本のドラマは食事のシーンが多いとよく言われます。
 それというのも、箸での食事は絵になるし旨そうだからでしょう。
 
 近頃ニューヨークのフレンチシェフは最低半年以上京都の料亭で修行するのが当たり前、とか。
 フレンチシェフが和食を学ぶというのはよくわかりませんが、料理の異同を超えた料理人の魂のようなものが、京都では感じられるのかもしれません。
 どうせならニューヨークではなく、本場フランスのシェフに留学してもらいたいものです。
 私は高級料理はもちろん、大衆的な牛丼やラーメンも含め、日本の飯は世界一旨いと思っています。
 今夜も使い慣れたお箸で、おいしい和食を食しましょう。

身辺の日本文化 (講談社学術文庫)
多田 道太郎
講談社

 

独眼竜政宗 (3巻セット) [DVD]
ジェームス三木
アミューズ・ビデオ


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしいすごいとても良い良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする