昨日はアンティークショップが点在する西荻窪界隈をふらふらと歩き回りました。アンティークショップのゆるい商売、うらやましくなりました。正午開店と張り紙しておきながら午後二時に開店して、二時間くらいで閉めちゃったり。
善福寺公園などを歩きました。「大田秀吉」と表札のかかった巨大な豪邸が人目をひきました。
昨日、「カムイ外伝」を観てきました。
正直言って、駄作です。
アクションエンターテイメントなのか、差別の問題を描きたいのか、よくわからなくて、中途半端でした。
アクションエンターテイメントなら、小難しいことは無しにしてほしい。
社会派時代劇なら、なぜ最下層の階級に生まれたカムイが忍者となったのか、また、なぜ命を賭してまで抜忍となったのか、ということを描いてほしい。
これでは原作が泣くというものです。
キネマ旬報 2009年 10/1号 [雑誌]
DVDで「ダークナイト」を鑑賞しました。
正義の味方、バットマンと、悪のジョーカーが対決する話です。
しかし、私は不思議なことに、町の破壊と、人間は邪悪な存在であることを証明しようとするジョーカーに、深いシンパシーを感じました。
人間は善だとか、悪だとか、愚かしいことです。
人間は、自然です。
それを善とか悪とか決めたのは、まさしく人間です。今の人間が悪と考えること、虐殺や、泥棒、それが本来悪なのか、人間の自然なのか、私には分かりません。私とて、殺してやりたいやつもいます。時には、犯罪を夢想します。しかし、それが悪なのか、私は言い切れません。
ジョーカーが哀れなのは、自らを悪の代表のごとくに考えていることです。それが単なる自然なのかもしれないのに。
それにしても、ジョーカーの不気味な怪演が光る、魅力的な映画でした。
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ワーナー・ホーム・ビデオ |
今週は遅い夏休みということで、二泊三日で京都に行ってきました。
市内の寺社仏閣や、祇園・宮川町等の路地を散策しました。
三日で五万歩以上歩きました。
初日の夕食は、京都の料理人がこぞって訪れる、という松尾の創作懐石の店に行きました。目の前で焼いてくれる鱧、松茸と鱧の吸い物、鮎で出汁をとったつゆで食うそうめんなど、絶品でした。しかも値段は一万円程度と、リーズナブルでした。
二日目は、鴨川の床で食いました。寒いくらいでしたが、外で食うと虫がいて、ちょっと気持ち悪い思いをしました。
私は未熟児で生まれ、放っておけばすぐに死ぬ運命でした。しかし母がスポイトでミルクを飲ませ、私はまっとうに育ちました。体だけ。
私の精神は、物心ついた頃から不安定なものでした。小学校に通うにも、毎日過呼吸のような状況でした。中学生の頃は優等生でしたが、高校に入って手の震えや赤面などの対人恐怖に悩み、それは年齢を重ねるごとに解消していきましたが、心安らぐことはありませんでした。
就職して、数年たつと私は傲慢になり、ある部署ではアルバイトを含めて40人もの部下を自在に操り、天下を取った気分でした。
私は自身を有能なサラリーマンであると信じていました。
ところが、組織改変でうつ病を発症。後に躁鬱病と診断が変わり、現在に至っています。
もはや仕事なんてどうでもよく、ただ楽することしか考えていません。
どうして私がこんなことになってしまったのか、運命を呪います。
今も7種類もの精神病薬を飲み、どうにかこうにか生活しています。
どうして私が? どうして私が? どうして、選りにも選って、この私が?
昨日、DVDで「地球が静止する日」を観ました。
キアヌ・リーブス演じる宇宙の高度な知的生命の代表が、人間の野蛮な本質を見抜き、地球を守るため、人類を滅亡させる決意をし、それを実行に移しますが、人類には進化する可能性があると感じ、計画を中止する、という話です。
例えばウイルスが人間を攻撃し、ウイルス自身が死滅するにも関わらず、宿主を殺すように、人間は滅亡を知りながら地球環境を悪化させる悪である、というテーマが語られます。
キアヌ・リーブスが、科学者に「地球が滅んだら人類も滅亡するが、人類が滅んでも地球は滅亡しない。一つの種の存亡よりも地球の存亡が大切だ」という言葉が、胸を打ちます。
荒唐無稽な話ですが、極めて示唆に富んだ映画です。
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奥菜恵のハリウッドデビュー作「シャッター」のDVDを昨日観ました。
ハリウッドのホラー映画というと、狂気じみた殺人鬼が出てくるか、あるいは神様だとか悪魔だとかの話が多いですが、これは極めて日本的な恐怖を描いた映画です。舞台も東京です。
アメリカ人写真家に捨てられた奥菜恵演じる通訳が自殺し、怨霊となって写真家に取りつく話です。「四谷怪談」や「牡丹灯篭」に通じる、女の怨霊です。
それにしても、幽霊はなぜ女が多いのでしょうね。
しかも、醜い女は少なくて、大体が美女です。
男の怨霊というと、菅原道真とか平将門とか、巨大な霊力を持つものが多いようです。
個人的には、子供や赤ん坊の怨霊が怖いと感じます。
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昨日はNHKで能公演「三井寺」を観ました。
「三井寺」はわが子をさらわれ、狂った女が、清水寺でわが子の無事を祈ったところ、近江の三井寺に行くように、とのお告げがあり、三井寺に行く話です。
三井寺に着くと、月見の最中で多くの坊主が並んでいるなかに、一人、幼子が混じっています。狂女と幼子が互いに名乗りあい、親子だと知って、抱き合い、終わります。
狂女の話としては、春の「隅田川」と並ぶ、秋の名作です。
遠近法なのか、わざとちいさくしつらわれた三井寺の名鐘が、秋を連想させます。
狂女が三井寺に着き、坊主どもが騒ぎ出してから、鐘をつき、わが子を抱くまでが、一気に魅せて、圧倒的迫力をもって迫ってきます。
それにしても、能の衣装は美しいですね。
演劇のファッションとしては、世界一です。
堪能しました。
だいぶすずしくなったので、昨日は向島界隈を散歩しました。
まずは東向島駅に隣接する東武博物館で東武電車の古い列車に乗ったりして遊び、そのあと街を歩きました。
永井荷風が「濹東綺譚」で描いた昔の私娼街ですが、今は花街らしい面影はありませんでした。小さな古い商店や家、アパートなどが立ち並ぶ、いわゆる下町です。
久しぶりに、リヤカーを引いている人や、腹巻にステテコの老人、浴衣で闊歩する老旦那などを見ました。タイムスリップしたかのようでした。
しかし、あまりにごみごみしているので、住むのは無理かな、と思いました。
白鬚神社に詣で、帰路につきました。
私には、四つ嫌なことがあります。
一つに、人ごみ。
二つに、登り坂。
三つに、騒音。
四つに、待つこと。
私は車通勤ですので、満員電車は避けられます。人ごみは、あまり経験しなくてもよくなりました。
登り坂が嫌いなのは、平らでアップダウンの無い東京東部で生まれ育ったせいだと思います。山登りなど絶対にしませんし、エレベーターやエスカレーターがあれば、極力階段を使いません。
騒音は、この日本ではなかなか避けがたいことです。商店街でも、喫茶店でも、レストランでも、無用な音楽を流しています。これを騒音と呼ぶのです。私にとっては、テレビもラジオも騒音に過ぎません。流行の歌も、ほとんどは騒音です。
待つことは、5分でも嫌です。電車を待つのも、バスを待つのも、全く我慢なりません。そのため、車を利用することが多くなります。
これらは、6年前の精神病発症前は、ほとんど意識したことがなかったものです。精神疾患の副次的作用で、こらえ性がなくなったように思います。
これらのことを克服しないと、世の中は生きづらいように思います。しかし、様々な精神病薬は、これらを克服してくれません。
やれやれ。
瀬名秀明が昨年出版した、「エヴリブレス」を読みました。
現実世界と、無限に存在するコンピュータ上の仮想社会との共鳴を描いています。
例えば、私が今日死んだとします。私のこれまでの記事や性格、行動をプログラミングした人口知能(仮とびお)に、現実の出来事や新しく発表される映画や小説の内容をダウンロードして、仮とびおにブログを更新させれば、このブログは、私の死後も、半永久的に続くことになります。
さらに、無数に存在するブログやホームページにも同様のことをし、その内容をリンクさせれば、仮想社会が成立します。
この小説では「BRT」という仮想現実ソフトに自身の仮の姿を投影させ、人口知能に「自動モード」という機能を付加します。もちろん手動で現実の本人が仮の姿を操ることもできますが、放っておけば「自動モード」で「BRT」の人物は勝手に生きていきます。しかも「BRT」には死がなく、人物を消去する機能が意図的に付与されていないので、現実社会の人間が死ねば、必ず、「自動モード」で永遠に生きていく運命にあります。
しかも、現実社会の投影である「BRT」の住民も、自分たちの世界の下位に「BRT」を持つので、階層は無限となり、また種類も無限となります。いわゆるパラレルワールドが成立します。
突拍子もない話ですが、「リング」の後編「らせん」においても、同様の世界が描かれていますし、映画「マトリックス」シリーズでは、仮想社会から現実社会を取り戻そうとする戦いが描かれています。
現在、情報革命の真っ最中と言われます。コンピューターが作り出す社会が、どんな世の中をもたらすのか、空恐ろしい気がします。
この小説では、「BRT」の中だけで、生命が定義付けられ、数式で表される、ということと、「BRT」の自分を他の人格として尊重するあまり、完全に「自動モード」に任せ、一切アクセスしなくなる学者の存在が、印象的でした。
エヴリブレス | |
瀬名 秀明 | |
TOKYO FM出版 |
DVDで「食人族」を観ました。1983年公開の、古い映画です。当時私は中学生で、さして興味を持ちませんでした。最近、ドキュメンタリー風に描かれていると聞いて、にわかに興味を持ち、観てみました。
ドキュメンタリー風に描かれたノンフィクションで、後の「ヴレア・ウィッチ・プロジェクト」などに通ずる先駆けとなった作品と思われます。
内容は、アマゾンの奥地に存在するという食人の習慣をもった部族に接触しようとしたアメリカの取材班が、その部族に攻撃的な態度をとったため、逆に虐殺されてしまう、というものです。
人といわず、獣といわず、残虐な虐殺シーンがこれでもか、というほどしつこく描かれる、下品な映画です。
しかし、それは果たして下品なのでしょうか。
私たちは、日々、誰かが殺した豚や牛や鳥や魚を食べています。ただ、殺す場面に接していないというだけです。
そしてまた、人類の歴史は戦いと虐殺を繰り返すものでした。
我がくにびとは、戦の戦利品として、人の首を切り落とす、首狩族でもありました。
それを考えれば、アマゾンの奥地にそんな部族がいようと、責めることはできますまい。鯨やイルカを食うことも、犬を食うことも、猿を食うことも、牛を食うことと何の違いもありますまい。
現代社会においても、世界各地で戦争や虐殺が行われています。人間にはそういう面があるということを、よく弁えねばなりません。平和が大事と、いくら叫んでみたところで、人間の本性は平和を求めていません。おそらく平和の実現には、戦うよりも戦わないほうが得だ、という冷静な判断と、殺し合いに対する恐怖が必要でしょう。
下品な映画だからこそ、人間の獣性を思い知らされる、重い内容を持っていました。
食人族 [DVD] | |
フランチェスカ・チアルディ,ルカ・ベルバレスキ,ロバート・カーマン,ペリー・ピルカネン | |
スパイク |
BSの東京カワイイTVを見ました。日本のポップカルチャーを紹介する番組です。
今日は、スペインで日本のギャルファッションやパラパラにはまった少女たちの三週間に及ぶ東京滞在記と、スペインでの日本のギャル文化の広がりを紹介していました。私はいわゆるギャルファッションがかわいいとは全く思いません。少し前に流行ったヤマンバなどが現れれば、裸足で逃げ出すことでしょう。
ところが、遠く離れたスペインの一部若者たちの心を捉えているのですから、驚きです。日本の漫画やアニメは、もはや芸術の域に達し、これは長く続くことと思います。
しかし、ギャル文化が百年後、過去の風俗として忘れ去られるのか、ポップカルチャーとして生き残るのか、それは分かりません。
ただ、私が思うのは、日本人の美意識や文化が、長い伝統のうえに若者に影を落としながら、新しい若者文化が生まれていること、そしてそれは、世界に通用するものであることです。
私は学生のころ、日本の伝統文化を学びました。そして和歌や能が、現代ヨーロッパから見て極めて前衛的に見えることを知りました。
私は、日本の伝統文化に基づいたものだけに愛国心を感じます。
そうであるなら、大人の価値観で若者文化を切り捨てることなく、それが若者たちにとってどれほど価値あるもので、遠い将来に古典文化に昇華する可能性があることを自覚すべきであろうと思います。
日曜日に話題の「20世紀少年 最終章」を観てきました。
老若男女問わず、多くの客がいました。最近の映画にしてはずいぶん客層が広いと驚きました。
1章・2章と観て、いよいよすべての謎が解き明かされました。
それは全く意外。そうだったのか、という感じ。
同級生であることは間違いありませんが、あまりに意外でした。多分誰も予想できないでしょう。
ここでは、書きませんが、是非その謎を確かめに行くことをお勧めします。
1・2章ともDVDが出ているので、それを観てから行ってもいいですし、最終章の冒頭で1・2章の概略が語られるので、いきなり観ても楽しめると思います。