今日は我が国が連合軍に降伏することを全国民に知らせる玉音放送が流された日です。
一般にこの日を以て終戦と言うべきか敗戦と言うべきか、とにかく戦争が終わった日とされます。
国民は疲弊しきっていたでしょうから、内心ほっとしたという人も多いでしょう。
また、大日本帝國は無敵であって、敗れるはずがないという信念を持って生き続けてきた人々にとっては屈辱の日だったでしょうね。
戦後79年が経って、もはや太平洋戦争は歴史上の事件となりました。
今は多分、次の戦争の戦前なのだろうと思います。
戦争が悪であることは誰もが承知していますが、仮想敵国が何がなんでも戦争で相手を叩き潰すと固く決定してしまえば、戦争から逃れることは出来ません。
いくらアホダラ経のように戦争反対を唱えたところで、それは虚しいばかりでしょう。
戦争を避けるためには地道な外交努力しかありませんが、これも相手が戦うことを決意してしまえば、無駄なこととなり果てます。
結局は叩けば大損するということを知らしめるための軍事力を保持することが最も平和を維持するのに役立ちます。
馬鹿げていますね。
戦いを避けるために多額の税金を投入して強力な軍隊を保持しなければならないなんて。
しかしながら全世界が抑止力のための武装を追い求めているのだとしたら、我が国だけがその愚かな行いを嗤うことはできません。
頭のおかしい人々で埋め尽くされた世界では、自分も頭がおかしいか、おかしいふりをするしか生きていく道はありません。
人間というもの、殺し合いが好きです。
大河ドラマなんかでも、戦国時代や源平合戦、幕末の動乱ばかりが題材に選ばれることを以てしても明らかです。
この愚かな種に生まれてしまったことを呪うばかりです。
今年の漢字に税が選ばれましたね。
おそらくインボイス制度の導入が主たる要因かと思います。
インボイス制度なんて私が今所属する部署には関係無いと思っていたのですが、業者とのやり取りの中でインボイス制度導入のせいで書類の再発行を求める機会が多く、想像よりも苦しめられています。
制度が変わったり新しい制度が出来たりすると最初のうちは苦しめられるのが世の常で、就職してそろそろ丸32年が経とうという私は、こんなもんだろうな、としか思いません。
今年の漢字の意味はともかく、それが発表されることで、令和5年(2023年)という年もそろそろ終わるのだなという実感がわきます。
師走の恒例ですから。
これからクリスマスがあったり、年末の大掃除があったり、年賀状書きがあったり、慌ただしく日が過ぎていくものと思います。
もう観なくなって何年も経ちますが、大晦日には紅白歌合戦があります。
これら定番の行事を粛々とこなしていかなければなりません。
30代半ばで精神障害を発症するまでは年末の大掃除を盛大にやっていました。
フローリングにワックスを塗ったり、窓やサッシも丁寧に掃除していました。
それが今では掃除機をかけるのと埃が溜まった箇所をクイックルワイパーで簡単に拭くだけになりました。
何事も億劫になるようです。
高齢者の家が散らかるというのも理解できます。
今私が住んでいるマンションは物を極力減らし、どこか殺風景な感じさえする、生活臭の希薄な空間になっています。
ここもいずれは乱雑に散らかってしまうんでしょうか。
そうなると嫌ですが、それが老いるということなのかもしれません。
ここ数年、同世代や後輩の同僚、友人が何人も病気で亡くなりました。
交通事故とかではなく、病気で死ぬのが不思議では無いお年頃になってしまったのでしょうか。
男性の平均寿命は80歳程度と聞きます。
しかし私にはそれが信じられません。
まわりの人々はもっと早く亡くなっているように思います。
平均寿命の計算式を私は知りませんが、実感として、平均寿命は現実より年齢が高いように感じます。
40代後半から50代での死亡率は案外高いのではないでしょうか。
私の部下に、癌治療を受けながら働いている40代半ばの職員がいます。
治療で髪が抜けるらしく、職場ではニット帽を被っています。
女性なので、髪が抜けた状態を見られるのは耐え難いのでしょうね。
そういったことをつらつら考えると、コレステロール値や肝臓の数値が高い私でも、十分健康な部類なのかもしれないと思えます。
少なくとも今日明日どうということはありませんから。
しかしそれでも、死ということを考えるようになりました。
それが30年後なのか20年後なのか、あるいは半年後なのかは誰にもわかりません。
しかしそれは人間全員に訪れます。
例外はありません。
昔から不老長寿の妙薬を求めた権力者はあまたいますが、誰もそれを手に入れることは出来ませんでした。
老いや死から逃れられる人は絶対にいません。
そうであるならば、気持ちよく、美しく老いて静かに亡くなりたいと願います。
定年年齢は段階的に引き上げられ、あと数年で65歳が定年になります。
私が定年を迎えるまであと11年もあります。
65歳の私がどれだけの気力体力を保っているかは分かりませんが、気持ちよく、美しくという目標を諦めずにいられれば幸福なことだと思っています。
今日は12月8日。
1941(昭和16)年に日本軍が真珠湾に停泊していた米国艦隊を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった日です。
一般に敗戦のラジオ放送が流された8月15日のほうが戦没者慰霊の行事が行われ、よく知られていますが、始めなければ終わらないわけで、12月8日というのは重要な日です。
真珠湾攻撃で米国艦隊は壊滅的な打撃を受け、一時戦闘能力を喪失したと伝えられます。
しかし山本五十六連合艦隊司令長官は真珠湾に敵空母がおらず、したがって空母を叩くことが出来なかったことをもって、華々しい戦果を挙げた真珠湾攻撃を成功とは考えていなかったと伝えられます。
巨大戦艦と空母とどちらが強いか議論が分かれていた当時、山本指令長官は空母のほうが強いと考え、事実、開戦から程なくして、日本の空母群は航空機攻撃によって当時世界最強と謳われた英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズを呆気なく沈めてしまい、空母の優位性を証明しました。
それなのにわが国は武蔵だの大和だの、巨大戦艦を作っていたのです。
そんな暇と金があれば空母と軍用機を作れば良かったのにと、今になって思います。
ご承知のとおり、当初は大きな戦果を挙げてイケイケドンドンだった帝國陸海軍はその後負け続け、ついには1945(昭和20)年に無条件降伏することになります。
同盟国のイタリアもドイツもとっくに降参しており、最後の3か月くらいは世界中を敵にまわしてわが国だけで戦っていたのですから、勝ち目があろうはずもありません。
最後はソビエト連邦の不可侵条約破りのだまし討ちを以て、もはやここまでと、異例の御聖断を仰ぐことになりました。
あの時昭和陛下は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為太平を開かむと欲すと述べ、降伏が決まりました。
素晴らしい判断です。
一部軍人による強硬意見を抑えたのは英断と言えるでしょう。
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで本土決戦を戦おうと言っても全然不思議では無い状況ですから。
結果的にインフラや命令系統の維持、植民地経営等、帝國は国家としての機能を維持したまま敗戦を迎えました。
占領軍は帝國が国家としての体を保っていたことに驚いたと伝えられます。
総統地下壕が落ちるまで徹底的に戦った第三帝国とは大きな違いで、連合国は日本の統治機構に乗っかることができて、占領はスムーズに進みました。
一度は滅びかけた帝國はその後民主主義の意匠をまとって再起を果たし、先進国の仲間入りを果たしたことはご承知のとおりです。
昭和陛下は昭和50年代に外国人記者から戦前と戦後で日本はどう変わりましたかと問われ、何も変わっていないと答えたそうです。
慧眼です。
大きな戦争に一度敗れただけでそう簡単に国民性が変わるはずもありません。
また、変わってはいけません。
太平洋戦争に敗れ、軍事的に米国の属国となったことは今思っても誠に残念ですが、少しづつ、軍事的独立に近づきつつあるように思います。
いずれ在日米軍は全てお帰りいただき、自国を自国の軍隊が守る真の独立国家になってほしいと願います。
今日はわが国において敗戦を告げるラジオ放送があった日。
我が国にとってこれ以上無い屈辱の日。
もう78年も経つのだそうです。
我が国はその後高度経済成長を経てバブル経済へと突き進み、ついにバブルが弾けてもう30年以上も物価は上がるのに給料が上がらない状態が続いています。
バブル後10年くらいは失われた10年なんて言って、いずれは景気も良くなる、という気分が我が国を覆っていましたが、さすがにもう失われたのではなく、そうなるべくしてそうなっただけで、これが我が国の姿だとしか言いようがなくなりました。
我が国はもはや貧しい国に成り果ててしまいました。
一般に失われた世代( Lost Generation)というのは、1920年代、第一次世界大戦で多くの命が奪われ、伝統的価値観に対し冷笑的になった欧米の青年たちを指す言葉だったと記憶しています。
自堕落になり、酒や享楽に溺れた世代。
しかもこの世代、青年期を第一次大戦のなかで過ごし、中年に至って世界大恐慌に見舞われ、50代では第二次大戦を迎えるという、言わば貧乏くじ世代。
最近ではコロナ禍により、学校行事等が中止され、様々な行動が制限された現代の青少年世代も失われた世代( Lost Generation)と呼ぶことがあるそうです。
私は1992年に社会人になりました。
バブルの残滓が色濃く残り、給料が目に見えて上がっていった時代。
同僚などとの付き合いが濃密で、居酒屋やカラオケに週に何度も繰り出した世代。
私よりも少し上の世代は新人類なんて呼ばれていました。
とんねるずなどが持てはやされた時代で、上の世代には理解できない変わった若者たちを指す言葉でした。
その新人類世代ももう引退する年を迎えています。
いつの時代も若者は年配者には理解しがたい存在で、しかしその理解しがたい存在である若者もやがては自身が中高年世代になり、その時の若者たちが理解しがたい、という永遠のループに陥ります。
ゆとり世代ももう30歳を超え、社会を支える世代になっています。
もはや彼らをゆとりだと言って揶揄することは出来ないでしょう。
そろそろいわゆるZ世代が社会人になります。
誕生した時にはすでにインターネットが普及していた、デジタル・ネイティブ。
それ以前の世代と決定的に異なる世代というべきかもしれません。
それまでの〇〇世代は、時代の空気を纏っていただけなのだろうと思います。
情報化社会の申し子という意味ではそれまでと異なる未知なる世代の登場です。
おじさん達には脅威の世代です。
しかしそれも、デジタル・ネイティブが30代、40代となれば、当たり前のものになるのでしょう。
78年の間に世界は変わりました。
我が国は戦後、戦争を忌避してきましたが、戦後は終わり、新しい戦争の戦前へと向かう様相を呈してきました。
中国や北朝鮮やロシアに囲まれた我が国にとっては危険な状態です。
しかし、危険だ危険だと叫んでみたところで意味はありません。
平和を求める外交努力を続けつつ、淡々と来たるべき日に備えるしかありますまい。
攻撃されたら全力で防衛する、国防の意義は変わっていません。
それぞれの世代が、そのことだけは肝に銘じるべきかと思います。
今日は長崎に原爆が投下され、さらにはソ連が参戦した日。
どうにもならなくなって、翌日御前会議が開催され、ポツダム宣言を受諾することを決定し、大日本帝國はついに無条件降伏となりました。
当時の大日本帝國臣民にとってはこれ以上ないほどの屈辱を味あわされた日です。
私の母は幼い頃長崎で被爆しましたが、今も元気です。
義母は東京大空襲を生き抜きましたが、母親と妹を失っています。
私たちの親世代は幼い頃戦争を体験しています。
私たちにとっては、教科書の中の出来事です。
しかし親が実際に体験したのだと考えると、遠い昔に感じられる第二次世界大戦も、そう古くは無いのかもしれません。
幸いにして私たちの世代は戦争を体験せずに50代を迎え、もはや戦争が始まっても徴兵に取られることは無いでしょう。
50過ぎの男を徴兵で取るなんてことになったら、その戦争は惨敗だということですから。
第二次大戦後、大国同士のガチンコ対決は今のところ起きていません。
核兵器の登場が、戦争を始めることを躊躇させていることが大きな要因でしょう。
しかしロシアはウクライナを侵略し、今もその戦いは続いています。
当初は数か月でロシアがウクライナを飲み込むのだろうと思っていましたが、西側諸国の武器供与もあり、今にいたるも戦争の終わりは見えてきません。
人間というもの、本当に愚かです。
政治家は大臣や首相になりたがり、安いサラリーマンでさえ、小さな世界で出世したがります。
他人と比較し、少しでも優位に立とうとするのは人間の本能なのでしょうか。
人間が内部から進化し、愚かな争いをやめ、静かに暮らせる日が来るのでしょうか。
恒久平和は全人類にとって叶わぬ夢なのでしょうか。
この世に生を受けて、生きて居られるのは100年が精いっぱい。
たった100年を争いに費やして生きなければならないとは因業なものです。
近頃、死ということをよく考えます。
身近な人が亡くなった時はもちろんのこと、有名人の死や、近所にある葬儀場に明かりが灯っているのを見るだけでも、死がいかにも近しい存在であると感じ、慄然とします。
死刑囚の死への恐怖、犯罪被害による死、病死、老衰、自殺、色々な死があります。
私も含め、150年後には現在生きている人は全員死んでいるのだと思うと、この世の儚さを感じます。
自らの手を見、鏡で顔を見ると、これらすべてが朽ち、焼かれてしまうのだと、恐怖に震えます。
第二次大戦時、戦死した人や空襲で亡くなった人々は何を思ったのでしょうか。
静かに、敵味方すべての冥福を祈るとともに、いずれ死に行く全人類を愛おしく感じずにはいられない日です。
産経新聞に解約を申し込み、5月から新聞が配達されなくなったこと、しかし5・6・7の3カ月間銀行口座から引き落としがされており、販売所に電話しても「確認する」と言ったきりでそれきり電話が掛かってこないこと、産経新聞お客様相談窓口に電話したら、販売所に善処するよう伝えることといった経緯があったことは、すでにこのブログで紹介しました。
その後、いっこうに解決できていません。
しびれを切らして今日販売所に電話しましたが、誰も出ません。
ネットで調べると新聞をめぐるトラブルがたくさん出てきます。
物を売り、買ったほうは金をはらう。
買わなくなったら物は売れていないので請求しない。
その当たり前のことが、どうして出来ないんでしょう。
これはもう、法律相談に行くしかありません。
面倒なことになりました。
面倒ごとを起こしているのは、千葉市の産経毎日新聞都賀みつわ台SCと言う所です。
ここから新聞を取っている方がいたら、よほど気を付けたほうが良いと思います。
先般タレントのRyuchellさんが27歳の若さで自殺したというニュースが飛び込んできました。
私はこの人についてはテレビで数回見たことがあるだけで、どういう生い立ちで、どのような人物なのかは知りません。
ただ、おかまっぽい見た目や仕草なのに、結婚して子供がいるということに驚かされた記憶があります。
女性に恋をしたのは奥様が初めてだと言っていたので、限りなくゲイに近いバイセクシャルだったのだろうと推測します。
もう20年も前のことになりますか。
職場の後輩が27歳で自殺しました。
過度の仕事量がストレスになったものと思います。
と言うのも、私が彼の前任者だったため、その席がどれほど多くの仕事を抱えているかよく知っていたからです。
ただし、量が多いだけで、難易度は極めて低かったと記憶しています。
それが、私が精神をやられなかった最大の原因だと思います。
自殺願望はうつ状態がひどい時に私を襲い、身辺整理を始めたことがあります。
しかし、あまりにも怖くて断念しました。
Ryuchellさんと言い、後輩と言い、27歳で自殺してしまうその心情には深く同情します。
ただ、仕事が苦痛なら辞職するなり引退するなりすれば良いのに、と思います。
おそらくは極度の抑うつ状態に襲われ、精神科を受診しようという正常な判断が出来なくなり、死ぬことがたやすいことのように感じ、絶望のなかで亡くなったのだろうと思います。
じつにやれません。
私がうつ状態に陥った時、精神科医は生きているだけで尊く、意味のあることなんだ、と説きました。
自殺防止の出まかせかと感じました。
うつ状態は遠い昔のことになりましたが、人間は生きているだけで尊く、意味がある、という考え方には今に至るも同意できません。
結局のところ、人はどう自己を評価するかによって、尊いかどうかが問われるのではないでしょうか。
それはもちろん社会的に成功して金や名誉を手に入れることでありはしないでしょう。
誇り高く、気高く、自己肯定感を強く持って生きられれば、その人が他人にどう評価されようと、その人生は尊いものになるのでしょう。
Ryuchellさんのご冥福をお祈り申し上げます。
30年以上前のことになりますが、多くの若者が就学も就労もせず、自宅に引きこもっていることが問題になりました。
この時はニートなる言葉が流行り、若者に特有の問題として扱われて、大人になって自覚を持てば社会に出るだろう、という雰囲気が漂っていました。
当時大学生だった私は、非常な違和感を覚えました。
中年になると突如として働きだすとでも?
これらの問題は必ず長引いて、いずれは親が亡くなり、ニートなる若者たちも年を取ってしまい、生きる術を失うだろうと予感しました。
その悪い予感は、当たってしまったようです。
最近、50代の子を80代の親が面倒をみるという現象が多発して、5080問題と呼ばれるようになりました。
これは時を経ずして6090問題になり、70100問題に進み、ついには孤独死の異常な増加という結果をもたらすでしょう。
私は精神的な問題を抱えながら、浪人も留年もせずに22歳で大学を卒業して、公務員になりました。
考えられるかぎり我が国においては最も堅実な道を歩んだと言ってもよいでしょう。
30代後半の頃に精神的な問題が顕在化し、長く病気休暇を取る羽目に陥りましたが、40歳以降、この問題は影をひそめることになりました。
そんなお堅い社会人生活を送っていますが、就職して5年間くらい、ニートを羨ましく思っていました。
仕事をせずに衣食住を親が提供してくれ、毎日が日曜日の生活を送れたら最高だと思ったのです。
しかしそれを実行に移すことは出来ませんでした。
就労年齢に至ってまで親に養ってもらうということが想像出来なかったからです。
ニートを指して、人生がもったいないと言った人がいます。
勤め人になって家族を持って、という生き方とニートという生き方、どちらがもったいないのかは分かりません。
隣の芝は青い、ではないですが、勤め人である私から見ると、有り余る時間を自由に使えるニートの人生がもったいないなんてことはあり得ないと思います。
それぞれの価値観によるわけですが。
一口にニートと言っても就労、就学の意欲がありながらそれが叶えられないという人もいるでしょうし、職業はニート、みたいな開き直った人もいるでしょう。
また、全く外出出来ない人もいれば、コンビニに行くくらいなら平気という人もいるでしょう。
そして、これらは現代特有の現象では無いように思います。
江戸時代にはぶらぶら患いと言う言葉があったそうです。
また、明治時代に書かれた夏目漱石の「それから」では、裕福な家庭で生まれ育ち、実家からもらう金銭だけで優雅に暮らす30歳くらいの、いわゆる高等遊民が描かれています。
おそらく数の多い少ないはあるにせよ、いつの時代もそういう人達がいたのだと思います。
しかし先人たちがそれを社会問題として解決しようとしたとは聞いたことがありません。
1970年代以降それらが社会問題になったのは、あまりにもたくさんの人々が家に引きこもるようになってしまったということが原因かと思います。
なぜそういうことになったのか分析することはあまり意味が無いように思います。
これは根本的解決は不可能であり、対症療法的な解決を模索することに傾注すべきでしょう。
つまり個別具体的な事案を一つ一つつぶしていくという方法です。
非常に面倒くさいことですが、引きこもりの事案はそれぞれに事情が異なるので、これが解決方法というものはありません。
理想は誰も働かずに生きていける世の中ですが、そんなものは世に成立した試しがありません。
30年以上に及ぶ年月が、ニートを若者の現象から初老までをも含む概念に変えました。
私はその30年を社会人として生きてきた者として、スネかじりで生きてこられた人々を羨ましく思います。
一昨日、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の代表、プリゴジン氏がプーチン政権に反旗を翻し、モスクワ目指して進軍を始めた、というニュースが飛び込んできました。
一度はプーチンの側近とまで言われた人物なんだそうですが、そういう人が反乱を起こしたというのは、プーチン政権にとって大打撃だったでしょうねぇ。
ロシア正規軍と傭兵部隊が戦闘状態に陥れば、内戦ということになり、ロシアの混乱は必至でした。
しかしプリゴジン氏はその日のうちにモスクワへの進軍をやめ、ベラルーシに向かったそうです。
亡命、ということになるのかもしれませんが、ベラルーシはロシアのウクライナ侵略を支持する数少ない国の一つ。
無事で済むとは思えません。
事実、ほぼ毎日更新されていたSNSへの投稿がぴたっと止まってしまったそうです。
おそらくは監禁されているか、粛清されているかのどちらかでしょうね。
一度反乱を起こしたのなら、徹底的に戦わなければ、時の政権から裏切りだとして殲滅、粛清されてしまうでしょう。
逆に反乱が成功した場合、それはほとんど革命とも言え、逆に政権側の人々が粛清されるでしょう。
それなのに、プリゴジンなる人物、ベラルーシから仲介があったとはいえ、戦うことを止めてしまっては、自分がどういうことになるか想像できなかったのでしょうか。
ウクライナ侵略に手こずっているところ、内戦の危機まで起こってしまっては、ロシアは持たないでしょう。
怖ろしいのはプーチンが破れかぶれで核爆弾を使用すること。
大量に所有していても、使用できないのが核兵器のはずです。
それを使ってしまっては、プーチンは未来永劫、核兵器を使った大罪人として歴史に名を残すことになるでしょう。
しかしその可能性無しとしません。
大いにあり得ることです。
プーチンのロシアが滅んでいく光景が頭に浮かびます。
戦争は新たな局面を迎えているようです。
私たち庶民は状況を見守ることしか出来ません。
ロシアによるウクライナへの侵攻で始まった戦争、思わぬ方向へ進むかもしれません。
凪のような状態がここ数日続いています。
忙中閑ありと言いますが、そんな感じです。
こんなお仕事生活が続けばずいぶん楽になるだろうなと思います。
32年前就職した時、私を取り巻く環境は何も変わらないと思っていました。
しかし時の流れというのは残酷なもので、確実にわが国の在り様は変化しています。
就職して数年で、自社さ政権というものが生まれました。
犬猿の仲であったはずの自民党と社会党が手を取り合って政権の座に就いたのですから驚きました。
戦後初めて自衛隊がカンボジアに派遣されたのは私が新人の頃で、その時はわが国が再び軍国主義に戻ってしまうと馬鹿げたことを言っている識者がたくさんいました。
32年間、自衛隊は何度も外国に派遣され、それはもはや当たり前の光景になり、反対する人もごくわずかになりました。
もちろん、軍国主義に戻る気配はありません。
この世にあり得ないことは無いのだと思いました。
私が働く学術行政の世界では、小泉改革により、国立大学や国立研究所、国立博物館等が法人化され、私は国家公務員から団体職員へと身分が替わりました。
国は単式簿記を採用していますが、法人化に伴い複式簿記が導入され、護送船団と呼ばれた文部科学省が所管する機関を守ることは無くなり、国立の機関同士で、優秀な教職員、優秀な学生を奪い合い、補助金を取り合う醜い争いが生まれました。
私にとっては天地がひっくり返ったような大事件で、ほとんど全ての規則の改正や新しいシステムの導入などで、連日大残業が続きました。
この時、メンタルをやられる者が続出しました。
かく言う私もその一人です。
私がメンタルをやられることなんてあり得ないと思っていましたが、やっぱりあり得ないことなんて無いのです。
また、東京商船大学と東京水産大学が合併して東京海洋大学が生まれたり、東京医科歯科大学と東京工業大学が近いうちに合併することが発表されたりしました。
寄らば大樹の陰ということでしょうか。
生き残りをかけてなりふり構わず金と人を欲しがる姿は、同じ業界にいる私からみても、愚かとしか言いようがありません。
何も変わらない、という感覚を持ち続けていたのはなぜでしょうね。
人の世は変わっていくものだという無常観を、日本人なら自然と身に付けるものと思います。
しかしそれでも、自分とその周りは変わらないはず、とか、自然災害に会ったり犯罪被害者や加害者にはならないだろうという安全バイアスみたいなものが、私にもかかっていたのかもしれません。
これからも、社会は変わっていくでしょう。
生まれながらの情報化世代であるZ世代もそろそろ就職してきます。
私は今やっと、何もかもが変わるのだという冷厳な事実に気付きました。
気付くのが遅すぎた感がありますが、そんなことより、変化が非常なストレスと感じるようになってしまったことが残念です。
3月13日から政府の方針に従って、私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。
それでもほぼ全員、マスクを着けています。
ほぼ、というのは、私が着用を止めたため、全員では無いからです。
すなわち私以外の全員がマスクを着用していたわけです。
コロナが怖くないからマスクを外したわけではありません。
私は天邪鬼なところがあって、大勢が行っていることの逆に走ってしまいがちです。
もしかしたら、多くの人がマスクの着用を止めたなら、私は着用していたかもしれません。
私は同調圧力がかかると、それに反発したくなります。
みんな一緒というのが大嫌いなのです。
そもそもみんなという 言葉が胸糞悪い。
みんなとは、誰と誰のことなのかと問いたくなります。
少なくとも私は、これまで一度も、みんななる気色の悪い集団に加わったことがなく、孤高を旨としてきました。
それがマスクを止めた唯一の理由と言っても過言ではありません。
わが国民は、多勢に流される傾向があります。
何かをやれと言う時、
米国人はヒーローになれますよ、
英国人は紳士と呼ばれますよ、
日本人はみなさんそうされていますよ、
と言うのが最も説得力がある、というジョークがあります。
愚かなことです。
他人の行動に合わせるなんて馬鹿げています。
おのれ独りを信じれば良いのです。
そのせいで、私は多くの上司から煙たがられ、クセモノと呼ばれるおじさん達に気に入られる傾向があります。
私はそれを誇りに思ってきました。
最近はそうでも無いですが、かつては付き合い残業というのがあって、それを率先して行う者が評価されていました。
馬鹿々々しい。
遅くまで帰らない合戦でもやりたいのでしょうか。
もちろん、やむを得ざる場合には、私も残業します。
しかし、上司が帰るまで残るとか、あるいは逆に非正規職員が帰らないから帰れない、なんていうことは一切ありません。
あまり日本的ではないのかもしれません。
わが国の古典文学や古典芸能を好む者としては、珍しいのでしょうね。
変人扱いされることもあります。
しかしわずかしかいない変人がこの世を良くしてきたのだと思います。
変人が築いた新たな常識に多くの人が真似をして、今度はその新たな常識が同調圧力になったりします。
私は生涯変人と言われ続けたいものだと思っています。
岸田総理が少子化対策のラストチャンスとか称して、その対策なるものを打ち出しました。
主に子育てに係る経済的支援や男性の育児休暇取得増を目指しているように見受けられます。
私はこれに非常な違和感を覚えました。
出産の前提は、まずはパートナーを得ることです。
かつてはお見合いや世話焼きおばさんの活躍などにより、ある程度の年齢になると適当な相手と結婚したものです。
別にとくだん惚れていなくても、それはそれとして結婚することが多かったように思います。
しかし、1980年代後半に男女雇用機会均等法が制定されて結婚より仕事を選ぶほうが格好良いような風潮が生まれました。
さらには1990年代初頭に「結婚しないかもしれない症候群」という本が流行ったり、結婚しない生き方を煽るような雑誌が売れるようになり、未婚率が上昇していきました。
そしてお見合い結婚が激減して、適当な相手と年頃になったら結婚する、という美風が薄れていきました。
今ではお見合いという言葉さえ死語となり、婚活という言葉が生まれ、マッチングアプリや結婚紹介所などで出会うということが増えました。
お見合いと違うのは、男女とも、相手に求めるハードルが極めて高くなったことです。
例えば年収800万円以上、35歳以下、などのフィルターをかけてしまうと、年収799万円の人や36歳の人はそもそも弾かれてしまいます。
男も女も高望みをしてわが国にほんのわずかしない相手を求めるという愚かな事態が起こります。
そういう人気のある人は、概ね婚活などせずに恋愛結婚してしまうので、条件の良い相手を求めて何年も婚活を続けることになります。
自分を客観視できずに相手にばかり好条件を求めるとは滑稽ですらあります。
未婚化が進むわけです。
当たり前ですが、未婚、晩婚化が進めば少子化となります。
わが国は今でも結婚の後に子供を授かるというカップルが多くを占めますので、少子化の最大の理由は未婚化、晩婚化にあると言えるでしょう。
そんなことは頭の良い政治家やエリート官僚は百も承知のはずなのに、すでにマッチングを終えた人達を前提に政策を立案しているように見受けられます。
今更お見合いして適当な相手と結婚するという良い風潮を復活させることは不可能です。
結婚というのは極めて個人的な問題で、多くの人が結婚するように仕向けるのは困難を極めると思います
しかしその不可能に代わる手段を探すことこそ、企画立案、意思決定に携わる政治家の役割ではないでしょうか。
今日はよく晴れて春を思わせる陽気に恵まれました。
今上陛下の誕生日であるおめでたい今日、朝寝をして朝昼兼用の飯を食い、散歩に出かけました。
コロナ前は休日というとよく都内各所や房総半島のリゾート地に出かけ、日帰りプチ旅行を楽しんでいましたが、今はそれもなくなりました。
あれからもう三年も経ちます。
そのコロナ禍にあって、ロシアがウクライナに侵略戦争を開始したのがちょうど1年前。
彼我の軍事力の差から、遺憾ながらウクライナは早晩ロシアに飲み込まれるものと思っていました。
ところがウクライナ軍の士気は極めて高く、欧米などからの兵器供与もあって、ロシア軍の占領地を奪還し始めています。
ロシア軍は20万人の戦死者が出ているとか。
自国の兵士の命を軽く扱うのは昔からのロシアの伝統で、今もそれは生きているようです。
ウクライナがロシアから奪還した地では、多くの民間人が虐殺されたこと、拷問、強姦などが日常茶飯事であったことが明らかになりつつあります。
明白な戦争犯罪です。
第二次大戦の教訓は生きず、結局半世紀以上も前と同様の愚かな侵略戦争を続けています。
人間が歴史から学べることは、人間は歴史から学ばないということだと喝破したのはヘーゲルでしたか。
本当にそうだと思います。
かつて起きた戦争の悲惨さをいくら強調しても、独裁者が戦争への強い意志を持てば、必ずそれは起こります。
我が国は中国、ロシア、北朝鮮など、すぐ近くに軍事力増強を続ける独裁国家に囲まれています。
強い反撃能力と、戦うことを厭わない覚悟を示し続けなければ、必ず独裁者たちはわが国を攻撃するに誘惑を覚えるしょう。
政府で進められている敵基地反撃能力、非核三原則の見直しは、頼もしいかぎりです。
もし専守防衛というものを厳密に守れば、私たちは攻撃された場合、即本土決戦に持ち込まれます。
四方八方海に囲まれた島国が最初から本土決戦を選択するなど、愚の骨頂と言わざるを得ません。
敵がミサイルを使うのなら、そのミサイル基地を攻撃しなければなりません。
そんなことは愚かな人間が犯してきた数々の蛮行を思えば、猿でもわかる理屈です。
今、わが国では65%の国民が敵基地反撃能力を持つことを支持しています。
冷戦時代のように、米国の陰にかくれて平和を享受できる時代は終わりました。
ナーバスになってしまった今の米国が、わが国が核攻撃を受けたからと言って、直ちに核による反撃を行ってくれるのか、甚だ疑問です。
自国で核武装するほうが、抑止力は飛躍的に高まるものと思います。
私はつい最近まで、軍事大国といえども、現代の価値観に照らして、侵略戦争を始めるなんて欠片も思っていませんでした。
それが、現実には起きてしまいました。
これがきっかっけで第三次世界大戦に広がる危険を秘めています。
その時わが国がどういう立場におかれ、どう振る舞うべきか、事前に詳細なシミュレーションを行っておくべきだと思います。
わが国が戦争に参加せざるを得なくなった時に考えたのでは遅いと思います。
どうか与野党問わず、現実的な検討をお願いしたいものです。
今日は久しぶりの雨でしたが、気温は高かったようで、春の訪れを感じさせるものでした。
しかし油断は禁物です。
千葉市でも年に一度か二度は雪が降ります。
今年はまだ降っていませんから。
雪が降ると辛いのは、車が出せないこと。
私は免許を取って35年、初めて車を買って30年経ちますが、冬タイヤを履いたことがありません。
必要性を感じなかったせいです。
たまの雪なら電車通期をすれば良いと思ってきたのですが、今の職場、最寄り駅から徒歩だと20分かかります。
雪中行軍となると30分もかかります。
しかもタクシー会社が腰抜けと言いますか、雪の日はまるでタクシーがいません。
雪に慣れていないので、何度もコケます。
最近、冬タイヤを履いたほうが良いのかなと思いつつ、面倒くさくてノーマルタイヤのままです。
私が冬タイヤの車を運転したのは一度きり。
20代半ばの頃、先輩に強引にスキーに連れていかれた際、先輩から疲れたので運転を交代してくれと言われた時だけです。
私は子供の頃親に連れられて何度かスキーに行き、少し滑れるようになりましたが、何が面白いのかさっぱり分からず、スキーとは無縁でした。
当時バブルは弾けていましたが、まだバブルの余韻が残っていて、スキーをやらずんば若者にあらずみたいな空気が漂い、猫も杓子もスキーに行っていました。
当時流行った「私をスキーに連れてって」などという軽薄な映画の影響もあったのかもしれません。
わが国にスキーが取り入れられたのは、日露戦争の直前、陸軍がロシアとの戦いに備え、冬の八甲田山を踏破する訓練を行った際、多数の死者が出たのがきっかけだと聞いたことがあります。
その事故のニュースが世界に流れ、フィンランドだったと記憶していますが、スキー部隊を持つ北欧の国から取り入れるよう勧められたのがきっかけだそうです。
長いことロシアの圧政に苦しみ、独立して間もないかの国がお節介にもスキー部隊の導入を働きかけたわけですが、ついぞわが国の陸軍がスキー部隊を編成したという話を聞いたことがありません。
スキーを履いて森林にまぎれ、ゲリラ戦のような戦いをすることをそもそも想定出来なかったのではないでしょうか。
寒い国で戦う場合、寒さが最大の敵になります。
ナチもそれで独ソ戦に敗れたと言っても過言ではないでしょう。
現在進行形のロシアとウクライナとの戦争、どちらも寒い国ですので、慣れている分、この冬はお互い消耗戦になるのでしょうね。
寒いのは辛いですから、両国の兵隊たちがお気の毒です。
浮かれてスキーなんかしているわが国とは異なります。
わが国においても、シベリア抑留など、寒さに苦しめられた苦い経験があります。
寒さに飢えが加わったなら、まさしく地獄絵図と化すでしょう。
戦争もなく、冬でも暖房の効いた職場や自宅で過ごせる幸せをかみしめなければなりません。
今日は成人の日なんだそうで。
今年は18歳から成人扱いとするそうですが、お酒と煙草は20歳まで禁じられるそうです。
なんだか中途半端ですね。
参政権を認め、保護者の同意なしにクレジットカードを作れるそうですが、それなら酒も煙草も許してやれよいと思います。
酒も煙草も禁じているせいか、成人式ではなく、20歳を祝う会、みたいな名称で行う自治体が多いそうです。
18歳、19歳は参加させないということでしょう。
千葉市もそうすると聞きました。
千葉県では浦安市がディズニーランドで成人式を毎年行ってきて、最初は新鮮なニュースでしたが、今では当たり前になってしまいました。
また、成田市は成田国際空港で行うと聞きました。
そういう大きくて知名度の高い場所がある自治体は良いですね。
私が住む千葉市では、例年、千葉ポートアリーナだか幕張メッセだか分かりませんが、海沿いの大きな会場で執り行ってきたようで、今年もそうするようです。
私が住むマンションの最寄り駅の前では、初々しいスーツ姿の集団を何組か見かけましたが、振り袖姿の女性は見かけませんでした。
なんででしょうね。
新成人の希望に満ちた顔を見ると、これから大変だなという気持ちになります。
泥船のようになってしまったわが国で、これから大学を卒業して就職し、薄給に耐えながら結婚して子供をもうけたりするんでしょうね。
あるいは稼いだ金を自分一人で使うため、一生独身をとおす人もいるでしょうし、そもそも結婚したくても相手が見つからない、という人もいるでしょう。
お金持ちになる人もいればホームレスになる人もいるでしょう。
どんな人生を歩むにしても、楽な生き方を出来る人は一握りでしょうね。
今年54歳になるおじさんには眩しくも気の毒にも見える新成人たち。
そういう人たちが、あと2年もすると、新人として職場に入ってくると思うと、自分も年をとるわけだと、妙な感慨を覚えたりします。
よく昔の権力者は不老不死の薬を求めたりしました。
しかし私は、1秒たりとも若返りたいなんて思いません。
乗り越えてきた苦しい日々を、もう一度やるなんてまっぴらです。
時をさかのぼるチケットがあれば、欲しくなる時がある。
あそこの分かれ道でやりなせるならって。
と歌ったのは、さだまさしでした。
その時々で迷いながらも最善の道であると思って選んだ結果がこの体たらくですから、やり直したって、多分後悔するでしょう。
後悔の無い人生なんて私には想像できません。
後悔が無いなんていうのは、ただの強がりか、単なる嘘か、記憶を書き換えてしまったか、あるいは頭がイカレテしまったとしか思えません。
そういえば新人の頃、定年間際の先輩から、これから人生の苦労を重ねなきゃいけないなんて大変だね、と言われたことがあります。
その時は、このおっさん何言ってんだろうなと思いましたが、今になって、その先輩と同じようなことを思うようになりました。
苦労に苦労を重ねて定年を迎える頃には気力体力も尽き果てて、衰えていくんでしょうね。
安倍政権が掲げた一億総活躍社会だとか、生涯現役社会だのという言葉を聞くと、ぞっとします。
馬車馬のように働いて、年金支給開始年齢の前に死ね、と言っているように聞こえたのです。
高度経済成長時代は、言わば戦後社会の青年期だったのかもしれません。
バブルと言う絶頂を超えて、わが国は衰え続けています。
まるで人生のようです。
これらは疲れた中年オヤジの繰り言と思って、新成人は希望だけに縋って生きてほしいと思います。
どうせすぐに希望なんて失いますから。