復職を明日に控えて、診察に行きました。
不安は去りませんが、先々のことをシュミレーションして落ち込んでも仕方のないことです。
とりあえず、明日行く、明日が終われば明後日行く、というその日暮らしをつなげていくほかありません。
今夜は酒を飲まず、早寝します。
雨に閉じ込められて、静かにすごしています。
明後日からの復職を思い、不安と緊張が強くなってきました。
ワイパックス(抗不安薬)を飲みましたが、効いてくれません。
明日は休職中最後の診察。
先生に元気をもらって、明後日を迎えたいものです。
朝、少し風邪気味だったので、市販の風邪薬を飲んで寝ていたら、すっかり良くなりました。何を食うより、寝るのが一番ですね。
調子が良くなったら、退屈になってきました。
散歩を控えたら、なんだか力が余っているような感じです。
犬みたいですね。
2007年3月に公開された映画「Perfume: The Story of a Murderer」をDVDで観ました。公開当時、見逃してしまったからです。
18世紀フランスを舞台に、天才的な香水調合師が、その才能のゆえに、香水への異常な欲求に取りつかれ、栄光を得た後に破滅する物語です。
芸術と人生、というテーマで描かれた映画と見えます。
公開当時は、物語のクライマックスで、750人もの全裸の男女が登場するシーンが問題になりました。このシーンは、作りすぎと言うべきで、物語に必要なものではないと思いました。
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私は、この改革が契機となって、最初のうつエピソードを発症しました。
国立の研究機関や大学が法人化され、会計制度が官庁会計から企業会計に変わりました。国立研究機関の会計事務を十五年も続けていた私には、天地がひっくり返ったような大事件でした。会計規則は法人化後も細部が決まらず、しかも当時、国立大学の本部契約総括主任だった私は、各学部の契約担当係からの怒気を含んだ問い合わせや、常駐している監査法人からの厳しい指摘に耐えなければなりませんでした。
法人化一年目を乗り切ったとき、私は、壊れていました。
二年目の8月から半年間、休職に追い込まれました。
正職員の大幅な削減と、多くの派遣職員の採用がセットで行われました。
しかも、派遣契約の入札は、派遣会社いじめともとれるような、過酷な予定価格をもって、行いました。
その予定価格を作ったのは、私です。
政府の方針によるものであり、まさに弱者切捨てでした。
政府関係機関は派遣会社をいじめ、派遣会社は派遣社員をいじめるのです。
私は、年功序列を悪いとは思いません。
圧倒的多数の人間は凡人です。凡人でも、真面目に働いて、ある年数を経験すれば、それなりの処遇を受けられる、という制度は、社会の安定につながります。
制度を超えるほど優秀な人は、昔から、慣例を破って厚遇されていました。
凡人に能力を超えた仕事を押し付ければ、健康を害するのが落ちです。
職場はギスギスし、安定は破られました。
私は来月から職場復帰しますが、もうやる気はありません。
言われたことをこなして、給料さえもらえれば、職場がどうなろうと知ったことか、という気分です。
あの改革の親分が、私に与えたものです。
昨日、職場に復職の打ち合わせに行ってきました。
七ヶ月ぶりに職場に足を運んで、玄関をくぐるときは身が震える思いでした。
しかし、みな、暖かく迎えてくれました。救われる思いでした。
最初の一ヵ月は、書庫の整理という軽作業とのことでした。
それで体力を整えて、11月から、仕事の分担を決めるとか。配慮してくれている、と感じました。
私が親しくしている民俗学の教授は、良い経験をしたと思って、気楽に勤務すればよい、と励ましてくれました。
まずは安心です。
昨日、房総旅行から帰ってきました。海の幸を満喫しました。また、水中観光船に乗って自然を生きる魚たちを見てきました。
房総の印象は、一言で言えば荒っぽい、ということでしょうか。
それは、車の運転や、言葉使いから感じられました。
館山と御宿にそれぞれ一泊し、海辺を散策しました。
写真は、御宿海岸から見た朝日です。
海辺で静かに暮らすのも、悪くないと思いました。
今日は診察に行ってきました。
復職後の勤務時間・仕事内容などについてアドバイスを受けました。
今、私は復職への不安とともに、復職が待ち遠しいような、複雑な気分でいます。もう、家にいるのは嫌になりました。外に出たいと思っています。
今朝は午前3時に目が覚めました。少しテレビを見て、また眠りましたが、良くない傾向だと思います。
思い当たることといえば、復職が決まって少し興奮していることでしょうか。
これが躁への入口でなければ良いのですが。
落ち込んだり、興奮したり、本当に厄介な病気です。
千葉市美術館に「八犬伝」展を観にいきました。
「八犬伝」は、小学生の頃、子供向けのダイジェスト版を夢中で読んだ記憶があります。今で言えば、山田風太郎の伝奇小説のような感じでしょうか。
その後、中学生になって、芥川龍之介の「戯作三昧」を読みました。これは滝沢馬琴が「八犬伝」を執筆しながら、三昧境に陥るさまを描いた、芸術至上主義の作品と読みました。
今日観た展示は、錦絵あり、和綴本あり、歌舞伎あり、映画あり、人形ありの、賑やかなものでした。
それにしても、晩年、馬琴は視力を失い、妻に口述筆記させて、29年もの歳月をかけてこの大長編を完成させたことは知りませんでした。
その執念には、恐怖すら感じます。
先ほど上司から、復職先の部署が決まった旨電話がありました。
図書係です。
私の職場は、文部科学省所管の研究機関ですので、膨大な蔵書を抱えています。
その蔵書を整理・保管し、閲覧に供したり、貸し出したりすることと、新規に図書を購入する契約をしたりする仕事です。
業務量はほとんど無限にありますが、特に締め切りもなく、のんびりできる仕事でもあります。
ここでとりあえず半年程度リハビリを行い、来年度以降の配属は年度末に考える、とのことです。
若い女性のアルバイトがたくさんいる、華やかな部署でもあります。
とりあえずは、ほっとしました。
町内会のお祭りが開かれていました。
参加者は少なく、子供ばかりのお神輿と、わずかな露天商が並ぶ、小さなお祭りです。
それでも、子供たちは無用に元気で、お祭りを楽しんでいる風情でした。
私は子供たちの様子を見ながら、無限の可能性を秘めた未来が広がっていることに淡い嫉妬を感じつつ、これから人生の荒波に漕ぎ出していかなければならないその辛さをも感じました。
隣の市で行われている精神障害者の自助グループの会合に出席しました。
出席は、一年半ぶりです。
そこで、ショッキングな事実を告げられました。
私と同世代の統合失調症患者が、亡くなったというのです。
遺族は、死因を語らないそうです。
タイ人の女性と付き合っていて、彼女を追ってタイに移住したが、あっさりふられ、二ヵ月後に帰国。帰国から三ヵ月後に精神病院に入院。院内で亡くなったそうです。
その人とは、何度か飲みに行ったり、カラオケに行ったりした仲です。
統合失調症患者とは思えない、しっかりした人でした。
それが、今はありません。
数ヶ月前だったら、私はこのニュースに耐えれなかったかもしれません。
人は放っておいてもいずれ死ぬもの。
今生きている私は、この命を大切にしなければならない、と肝に銘じました。
今日は週に一度の診察日でした。
主治医からは、ほぼ目指していた状態になった、とのことで、10月1日の復職まで、体を動かすなどして体力を回復させることと、職場とよく話し合ってソフトランディングできるようにするように言われました。
最近、私は退屈です。仕事にでも行ったほうがましだと感じています。
主治医に言わせると、退屈を感じるようになったことこそ、治癒の証拠だということです。
しかし、元気だった頃の自分と、今の自分をどうしても比べてしまいます。
なかなか今の自分で良いのだ、と開き直ることはできません。
それが出来たときこそ、完治なのでしょう。