今日は皇居で開催された雅楽の演奏及び舞踊を楽しみました。
東京駅で降りて丸の内側から皇居に向かって歩くと、すぐに和田倉門に到着。
しかし、案内状では大手門から入るようにと書いてあったので、大手門に迂回。
そこからがまた遠い。
一般に開放されている東御苑を端から端まで歩き、東御苑を抜けたら今度は北の丸公園方面へ急な上り坂を登らなければなりません。
東京駅についてからじつに30分もかけて写真の会場に辿り着きました。
皇居と呼んでいる江戸城跡。
徳川様という巨大な権力が築き上げた馬鹿々々しいほど広大なお城です。
明治大帝以降の天皇陛下は江戸城跡にお住まいになり、様々な公務をこなされてきました。
しかし賊軍とされてお城を召し上げられ、皇室に深い恨みを抱いているであろう徳川家の城跡に住むというのは良い気持ちでは無かったと思います。
むしろ、徳川方の怨霊に苦しめられてもおかしくありません。
一刻も早く京都御所にお帰りあそばし、はんなりした京言葉を操って、蹴鞠でもしていれば良いのです。
それはさておき。
雅楽というのは中国や朝鮮の影響を強く受けながらも、わが国で花開いた正当な音楽及び舞のことです。
正当な、というのは俗楽と呼ばれる庶民の音楽があり、それと分ける必要があったために雅楽と呼んだのだそうです。
平安中期にはほぼ完成した雅楽。
今日の公演では、3曲の演奏と2曲の舞を堪能できました。
テレビでほんの少ししか観たことが無かった雅楽は、上品で心地良いものでした。
ただし、動きはゆっくりで音楽もゆったりしているので、最近の激しい音楽やダンスを見慣れている我々には、少々間が抜けて見えます。
大胆にお日様の明かりを取り入れた天井に、玉砂利が敷き詰められた床。
本来雅楽は庭園で催さていたようで、皇居の演舞場も出来る限り外で開いている風情を醸し出したかったものと推測されます。
10時半開演で終わりは正午。
わずか1時間半の公演で、少し物足りなく感じました。
もっとも、和食などがそうであるように、もう少し楽しみたい、というくらいで止めておくのがわが国の美風ですから、致し方ありません。
その後八重洲口に出て八重洲の繁華街でパスタと珈琲の昼をいただきました。
少し歩いて、日本橋高島屋へ。
未だにエレベーターガールがいるのですね。
さらにはエレベーターボーイまでいました。
やや時代錯誤のような。
高島屋に寄ったのは、夏に欠かせないパナマ帽を購入するためです。
前に購入したのが2014年の7月と、かなり年季が入ってくたびれてきたので、新たに購入しました。
27,000円の散財。
しかし30,000円はするだろうなと思っていたので、良い買い物です。
同居人はかねて購入するかどうか迷っていた財布を購入。
こちらは約30,000円です。
アマゾンで売り切れてしまい、もはや手に入れることは出来ないと思っていたところ、高島屋でたった一つ、現品限りで販売されていて、何の迷いもなく購入していました。
日々苦役に耐えて働いているのですから、このくらいは良いでしょう。
雅楽を楽しみ、皇居から八重洲、日本橋にいたる長い散歩を楽しみました。
これでまた明日から働けそうです。
本来、家事は日曜日と決めていますが、明日出かけることになったため、今日、掃除、洗濯、買い物を済ませました。
明日は宮内庁書陵部に勤める知り合いから雅楽のチケットをもらったため、観に行くことになったのです。
場所は皇居。
チケットは売り物ではなく、宮内庁と縁がある人しか招待されない仕組みです。
そのため、チケットの他に本人確認用の免許証と、勤務先の勤務証明が必要です。
住所も詳らかにしなければなりません。
秋には先着順で一般の方向けの公演をやっているそうですが、明日のは関係者だけ。
なんとなく、淫猥な感じがします。
雅楽及び舞なんて、そう観る機会はありません。
神式の結婚式などではほんのさわりだけ観ることができますが、明日は中卒で雅楽師になるため、宮内庁に弟子入りした者だけの、本格の公演です。
時折テレビで観ることがありますが、生で観るのはもちろん初めて。
楽しんでこようと思います。
今日は休暇を取りました。
区役所にマイナンバーカードの更新に行くためです。
全然知らなかったのですが、マイナンバーカードその物の期限は10年ですが、電子署名の期限は5年なのだそうです。
先般内科でマイナンバーカードの提示を求められ、電子署名の期限が切れていることを初めて知りました。
で、今日はその更新のために休暇を取ったというわけです。
朝一番、8時半には役所に着いて、9時には終わってしまいました。
休暇は1時間単位で取れるので、出勤しても良かったのですが、今の部署に異動になってから1年2カ月、極端に休暇の取得率が減少し、人事担当部署からもっと休めと言われてしまい、今日は1日休むことにしました。
区役所の帰り、通常ですと明日、土曜日の午前中に行く内科に行きました。
コレステロールを下げる薬をもらうためです。
それもすぐに済んで、昼食を摂ってから2時間も昼寝していまいました。
起きて、Netflixで若手力士の青春を描いたドラマを延々と観てしまいました。
「聖域」というタイトルで、聖域とは土俵を指しています。
土俵というのは女性が上がってはいけないことになっており、時代錯誤のような気もしますが、長い伝統を守りたい、という相撲関係者の気持ちも分からなくはありません。
しかし、例えば女性の総理大臣が誕生した際、内閣総理大臣杯を優勝力士に直接渡したい、と言い始めたらどうするのでしょうね。
一国の総理大臣に対しても、女だからダメ、と言えるのでしょうか。
「聖域」というドラマとは直接関係がありませんが、角界における男女差別に思いを致らざるを得ませんでした。
今日はこれから風呂に入って酒ということになります。
区役所に行ったり病院に行ったり、ドラマを観たりと、盛りだくさんな休暇となりました。
喜ばしいことです。
はるか昔、大学で行政学という講義を受けたことがあります。
その中で、行政組織というものは放っておくとどんどんいらぬ仕事を増やして増殖し、むやみに会議体やワーキンググループを作り、それがためにマンパワーが不足して自滅する傾向にある、と教わった記憶があります。
考えてみると、デジタル庁だの子供家庭庁だの、よくわからない組織が増えています。
これらも新しく職員を増やすのではなく、既存の省庁から人さらいをして組織としての体裁を取り繕っているように見受けられます。
私が勤務する学術行政機関でもむやみに会議やら委員会やらを増やしています。
しかし職員は限られているため、一人でいくつものお役目を仰せつかることになり、内心無駄でくだらない、と思いながら仕事に取り組んでいます。
これ、古くは中曽根改革で著しく悪化し、小泉改革でとどめを刺した感じがします。
阿呆なやつが権力を握るとろくなことをしません。
今は人文情報学が流行りで、これのための組織を①運営委員会、その下に②企画調整会議さらにその下に③部会、ついには④技術検討チームを組織するという具合。
一つの仕事のために4つの組織を作ったのです。
私は正式な委員ではありませんが、担当する仕事とかぶっているため、すべてに出席しています。
それだけでも、多くの時間を割かれます。
その他にも研究推進会議、研究倫理委員会、共同研究委員会、研究報告編集委員会、教務委員会、知的財産委員会、予算施設委員会、webサイトリニューアル委員会、執行部会議、大型実験器具の仕様策定委員会に、それぞれ出ています。
この他、私が関与していない会議だか委員会だかワーキンググループだかが、たくさんあります。
会議の準備と会議出席でほとんどの時間がとられ、勤務時間後、静かになった時間帯に自分の実務を進めるほかありません。
私のごとき下っ端ですらこうなのですから、立場が上の人は毎日会議やら打合せで時が過ぎていくのでしょうね。
そして必要無くなった会議体もそのまま残し、委員だけ決めて会議は何年も開かれない、という馬鹿げた事態まで出来します。
行政学で学んだことは本当だったのだなぁと、30年以上前に受けた講義の中身を反芻したりしています。
民間企業はどうなのでしょうね。
私は民間企業で働いた経験がありませんし、一口に民間企業と言っても大手から中小、零細まで色々あり、業種も多岐にわたりますから、それぞれ理不尽なことはあるのだろうと思います。
私は私で行政という理不尽というか無駄が満載の世界で碌を食んでいます。
そんなことを30年以上も続けていれば、朱に交われば赤くなるの例えどおり何も感じなくなってきます。
じつはそれが一番怖ろしい。
理不尽を理不尽とも思わず、無駄を必要と思い込み、日々の職務に疑問を抱かないどころか、誇りすら持ってしまうという。
私は自分の仕事に誇りを持ったことはありませんし、どちらかと言うと世界に必要ない、あるいはあっても無くてもどうでも良い職種であるような気分が就職してからずうっと続いています。
私は為すべきことはきちんと為しているし、高い評価を得ているという自負もあります。
それなのに、どうしても自分が日々為している仕事が、世のため人のためになっていない、自己満足のための組織でしか無いように感じ続けています。
これはおそらく私の精神を少しづつ蝕み、それがためにやる気の無いおじさんが生まれてしまったのだと思います。
やる気が無いなりに働くというのは結構しんどいことです。
行政学に、行政職員は誇りとやる気を失っていく、という一文を加えたらどうかと思います。
日曜日の夕方を迎えてしまいました。
一週間のなかで最も憂鬱な時間です。
毎週のことながら、明日からの仕事に怯えながら過ごしています。
若い頃は、勤め人も50歳を過ぎれば豊富な経験から仕事に怯えることも、日曜日の夕方に落ちることもないのだろうと思っていました。
しかしそれは大間違いでした。
むしろ年齢ゆえの立場や役割が重くなり、憂鬱はつのるばかりです。
先般、ホームページのリニューアルを2年かけて行うことが決まりました。
予算は2千500万円にも及びます。
webサイトの制作会社5社がコンペに参加し、無事リニューアルがスタートすることになりました。
私はリニューアル委員会の委員を命じられ、様々な仕事が振られることになりました。
制作会社は発注元の生の意見を聞きたいということで、リニューアル委員全員と顔合わせ。
その際、それぞれ自己紹介をしたのですが、名前を言うだけではつまらないということで、もし魔法が使えたら何をしたいかを述べることになりました。
私は下品にも現金が詰まった高級車が欲しいと言いましたが、今すぐ実家に帰りたいという北陸出身の若い女性がいたり、若返りたい、と切ない言葉を述べた57歳の独身男がいたりしました。
職場では勤め人を演じなければならず、それは大層苦痛なことで、おそらくそれは自分の本当をひた隠しにしなければならないからだと思います。
その演技の世界で、本音を垣間見せた人。
ほとんどの人は、毒にも薬にもならない、演技っぽいことを言っていたのに。
職場で本音をもらすなど、マナー違反も甚だしい。
職場は演技をする場であって、本音を述べる場ではありません。
気の合う同僚少数と一杯やりに行ってそういうことを言うのはよろしいかと思いますが、公的な場ではご法度です。
57歳の先輩が述べた若返りたいという言葉。
これは彼が生涯独身で老いた両親の面倒を一手に引き受けているという状況がそう言わしめたのかもしれません。
どこかの時点で選択を誤ったと思っているのかもしれません。
私も時折、人生の選択は間違いだらけだったと悔やむことがあります。
しかし若返りたいとは欠片も思いません。
誤りの多い人生だったとしても、やっとここまで辿り着いたのに、もう一遍やりなおすなんて面倒で仕方ありません。
どんな生き方をしたって、所詮人間は無い物ねだり。
後悔こそ人類普遍の振り返りでしょう。
多分今後も、私はこれまでと同様、その時点では最善と思いながら、後になって悔やむような選択を続けていくのだろうと思います。
圧倒的多数の人がそうであるように。
今朝、同居人から相談を受けました。
左足の甲が異常にむくんでいるのです。
靴がはけないほどです。
今日、同居人は義母のリハビリに付き添う予定だったのですが、私はそんなのキャンセルして病院に行くよう強く勧めました。
実は同居人の父方の親族はほぼ全員腎臓の病気を患っています。
透析を受けている者もいます。
そのため、同居人は若い頃から腎臓専門の内科で定期的に検査を受けています。
で、腎嚢胞を抱えています。
この病気、ほぼ症状が無く、気付かないうちに悪化させ、ついにはがんにいたることもある怖ろしい病気です。
左足のむくみについてインターネットで調べたところ、腎臓の影響であることが多いとの情報を得ました。
そこで、かねてより通っている内科を受診しました。
義母のリハビリのことをやたらと気にしていましたが、そんなことより自分の病気の心配をすべきでしょう。
腎臓専門医では採血と採尿を行い、来週の土曜日に結果を聞きに行くことになりました。
私も同居人も病院通いばかりが増えています。
加齢のせいとは言うものの、面倒くさいばかりです。
もし同居人の腎臓がひどく悪化していたらと思うと気が気でなりません。
先般購入したパソコンや新聞を読む時に使う眼鏡と運転用サングラスが早くも納品となりました。。
もう眩しいのは嫌なのです。
両方とも、Ray ・Banというメーカーのフレームでした。
Ray ・Banと言う物、存在すら知らなったのですが、その世界では有名なようです。
しかもお安いときているのですからありがたいことです。
早速今朝、度付きサングラスをかけて出勤しました。
朝の煩わしい明るさから解放されたのは良い気分でした。
今は仕事用にあらためて購入した眼鏡を使用してこの記事を書いています。
眼科で近くを見る眼鏡が合わなくなっていると言われ、処方箋を書いてもらいました。
よく見えて快適です。
目から得る情報が一番多いので、目は大事にしなければならないと痛感します。
5月14日(日)~5月15日(月)までの2日間、体調不良で寝ていました
月曜日は重要な会議があったのですが、それがあることさえ忘れていました。
最初は気管支喘息の再発ということで医者に薬を処方してもらい、息苦しさや咳の発作が無くなり、ずいぶん楽になり、月曜日は出勤できると思っていたのです、喘息が治まってきたら、今度は微熱が出てきました。
37度2分~37度5分くらいですが、私はおっさんにありがちな、発熱に極めて弱いタイプです。
万やむを得ざる仕儀にて、5月15日(月)急遽職場に連絡して、休むことにしました。
医師から処方された咳止め、気管支を広げる薬、抗生物質など色々飲んでいますが、自己判断で市販の解熱痛剤を加えました。
さらには抗不安薬も飲んでいたので、訳が分からぬ状態になり、ベットで寝落ちしてしまいました。
ソファではなくてベットに寝られたのが良かったようで、大量の寝汗をかき、微熱も喉の調子もよくなりました。
これで明日は出勤できそうです。
いくら体調が悪くても、突然の休みにはなんとなく罪悪感が漂います。
休暇はいつ取っても良いという規則ですから、堂々と休めば良いのですが、あらかじめ休む日を決めておけば引継ぎというほどのものではなくても、事前に私の穴を埋めるように頼んでまわることもできます。
若いころは蛇蝎の如く嫌っていた、社畜というか仕事人間というか、そういう者に変化しつつあるように思います。
あるいは働かない、老害としか言いようの無いおじさんなのに、自分は出来ると思い込んでいる勘違いおじさんになっているのかもしれません。
これでは定年後、暇を持て余すようになるかもしれません。
今のうちから、定年後のことを考えるのは早すぎるかもしれません。
今はとにかく、老後の資金を貯めつつ、たまには高級な料理を堪能したり、ちょっと旅行に行ったりして、小銭を使うくらいの贅沢はしたいものです。
昨年の10月15日の深夜に激しい喘息の発作に襲われて救急車で病院に連れていかれ、そのまま入院となったことはこのブログでも報告したところです。
あの時は喉の痛みや咳が続いていたのに、市販の咳止めを飲むだけで、病院に行こうとは思わず、悪化させしまったことが原因でした。
高濃度の酸素を吸い、三日間点滴を続けてやっと良くなり、退院しました。
たかが喘息と思っていましたが、テレサテンなど、油断していると死に至ると聞き、震え上がりました。
まだ死ぬには早いと思ったのです。
それ以来、禁煙し、うがいを欠かさず、少々高いですが毎日吸入を続けてきました。
ところが3日ほど前から喉の痛み、激しい咳、息苦しさなどの症状が現れ、このまま行くとまた悪夢の入院になってしまうと、掛りつけの内科を受診しました。
そこで咳止めの強い薬や気管支を広げる薬、吸入などが処方されました。
医師は「絶対に治る」と心強いことを言ってくれます。
医師の処方による薬とは凄いもので、市販薬では良くならなかった症状がぴたっとおさまりました。
7日分の薬が処方されましたが、医師からは三日もすればすっかり良くなるだろうけれど、7日分飲みきるように、との指示がありました。
三日どころか、自覚的には半日で良くなってしまいました。
悪化する前に受診して本当に良かったと思います。
お釈迦様はこの世の苦しみとして、生・老・病・死があると説きました。
そのなかの一つ、病が私を襲ったわけです。
精神病を発症しただけで、私は体の病気にはほとんど罹患したことがありませんでした。
しかし喘息になってみて初めて、体の病気の辛さを思い知ることになりました。
もう入院はしたくありません。
意識が朦朧としていた時、トイレに行かなくても済むようにと、尿道に管を通されたのですが、通す時も抜くときも猛烈に痛い。
また、抜いた後しばらくはお小水のたびに激痛に襲われました。
おそらく尿道に傷がついたものと思われます。
そして病院食というもの、これが人間の食い物かと思うほど不味い。
この2点だけでも、入院は極めて嫌なものです。
難病で長期間入院して治療を行っている人から見ればちゃんちゃらおかしいでしょうが、人は自分の経験からしか学ぶことは出来ません。
喘息に関しては、ちょっとでもおかしいと思ったらすぐに病院に行くようにすれば悪化させずに済むらしいということを学びました。
しかし他の病気はどうでしょうね。
これから体のあちこちにガタが来るであろうことは容易に想像がつきます。
それが年を取るということでしょうから。
とにかく現代医学に恃んで、早目の受診を心がけたいと思います。
なんでしょうね。
朝のだるさは。
今朝も昨日同様、朝目覚めたらひどいだるさを感じました。
昨日と違うのは平熱だったこと。
平熱だし、休むほどのことでは無いと、出勤しました。
午前中はずうっとだるくて、まともに仕事ができませんでした。
お昼休みは昼食を抜いてがっつり1時間、職員休憩室という名の畳の部屋で眠りました。
そうしたら、だるさは大分取れました。
早起きが苦手という人は大勢いるものと思います。
小中高校生やサラリーマンは嫌でも早起きしなければなりません。
遅刻してしまいますから。
大学生は1限の科目を取らないようにすれば早起き地獄からは解放されます。
大学の時はたっぷり自由時間があって良かったですねぇ。
まさに人生の夏休みといった感じでした。
勤め人になって32年目に入りましたが、最近、早起きが以前よりも苦痛になってきました。
私はもともと早起きは得意で、どちらかというと夜更かしが苦手だったのですが、最近逆転してきました。
不思議ですね。
よく年を取ると夜は起きていられず、早朝に目が覚めて寝られない、という現象が起きると聞いたことがあります。
私は真逆に変化しています。
理由は分かりませんが、朝が弱くなるというのがサラリーマンにとってこれほど辛いとは思っていませんでした。
同居人は昔から早起きが苦手で、出発の15分前までベッドの中にいて、起きるや凄まじいスピードで支度を整えるという感じで、密かに感嘆していました。
朝飯はコンビニに寄ってお握りやサンドウィッチを購入し、車の中で食すことがほとんどで、もう何年も、平日の朝食を自宅で摂ったことがありません。
当たり前のように早寝していたのが、非常に困難なことに感じるようになりました。
睡眠導入剤を処方の2倍飲むこともざらで、それでもすぐには眠れません。
朝型人間だったのが、夜型人間に変化してしまいました。
人間というもの、赤ん坊から子供に、子供から青年へと成長し、やがては中年に至り、ついには老人となって死を迎えるのですね。
その間に、様々に変化していくようです。
私で言えば、大酒呑みで甘い物は絶対に口にしなかったのが、最近は少しなら甘い物も旨いと感じるようになったこと。
そして何と言っても、ずうずうしくなってあまり緊張しなくなったこと。
以前はプレゼンや結婚披露宴でのスピーチなどは何日も前から憂鬱でした。
それが今では、直前になっても何とも思わず、淡々とこなせるようになりました。
宵っ張りの朝寝坊という変化が、悪い方向に向かうだけだったようです。
与党の政治家などは、かなりのご高齢でも、国会が荒れに荒れて、深夜から早朝にまで審議が続いたりすると、目を不気味に光らせて元気になっていく人がいます。
あれに近づいているのでしょうか。
年齢によって変化するのは当然ですが、思わぬ方に向かうこともあるようです。
今朝目が覚めたらひどく怠く、熱を測ったら微熱がありました。
出勤できないほどでは無かったのですが、今日は会議もないし、緊急を要する仕事も無かったので、大事を取って休むことにしました。
解熱鎮痛剤を飲んで寝ていたら、午後には体調が戻り、朝食を抜きにしていたのでひどく腹が減り、近所の中華屋で油淋鶏定食を頂きました。
かなりヘヴィな量でしたが、ぺろりと平らげてしまいました。
朝の怠さは何だったのでしょうね。
午後、土曜日に行こうと思っていた掛りつけの眼科を受診しました。
目薬が残りわずかになったことと、最近パソコン仕事をする時に使っている近くを見る眼鏡が合わなくなってきたので、眼科で調べてもらいました。
案の定、眼鏡が合わなくなっているとのこと。
ついでに運転用の遠くを見る眼鏡も調べてもらったところ、こちらは問題無しでした。
眼鏡の処方箋をもらい、その足で眼鏡屋に行きました。
近所にパリミキがあって、いつもそこを使っています。
パソコン用の眼鏡と、かねてから欲しいと思っていた夏場に使う運転用のサングラスを購入。
私は車通勤で、朝は東に向かって走り、帰りは西に向かって走るので、必要な物だと思ったのです。
2つで79,600円でした。
痛い散財ですが、目は大事ですから仕方ありません。
午後元気になって、休んだことに対する罪悪感がわいてきましたが、今さらどうしようもありません。
せいぜい突然の休暇を楽しむことです。
晩のおかずはカツオの刺身とマグロの漬け、それに油揚げと小松菜の煮びたしとフルーツトマトを食す予定。
明日は仕事ですから酒が過ぎないようにしないといけません。
たまにはこんな日も良いものです。
今日で大型連休も終わり。
明日からの仕事に怖れおののいています。
そんな中、今まで動画を観る際、イヤホンを使っていたのですが、無線のヘッドホンに換えました。
私は人よりも耳の穴が小さいらしく、イヤホンだとすぐはずれてしまうので。
本降りの雨のなか、家に籠ってそのヘッドホンで動画を観て過ごしました。
5月から新聞をとるのを止めたため、パソコンの前に座っている時間が増えたこともその理由の一つです。
ネットが普及してからというもの、新聞はほとんど読まなくなったためですが、無いと寂しい気分になります。
しかし読まないのに毎月3,000円も払うのはもったいないというものです。
読書もしなくなって、連休中に読もうと買っておいた村上春樹の新作も一文字も読んでいません。
そのうち小説はごく一部のマニアのものになってしまうかもしれません。
新聞も売れなくなるでしょう。
パソコンは人々の生活を変え、私も変わりました。
若い頃せっせとワープロで小説を書いていたのが、今では遠い思い出になりました。
小説を書くのを止めたのは、元々は精神科医からの忠告によるものです。
小説を書いているとどうしても脳内から興奮物質が出てしまい、躁転につながる怖れがあるからです。
しかし今では、書こうとも思いません。
これも衰えでしょうか。
小説執筆の代替のように始めたのがブログです。
今日でもう5,596日になります。
15年以上続けているのですね。
面白いのは、自分では良い記事が書けたと思っても、必ずしも閲覧数が伸びないこと。
私が良い記事だと思うものが、客観的に見てつまらないということでしょうか。
さらにはくだらないものを書いてしまったと思う記事の閲覧が増えたりすること。
その法則は分かりません。
私はこのブログを多くの人に読んでもらいたいとは思わず、その時々何を思い、何をしていたかを記録する備忘録と感じています。
ブログ内検索をかければ、以前書いた記事がすぐ出てきますから。
なのでブログを始める前のことは記憶に頼らざるを得ず、正直よく覚えていません。
いずれはgooブログサービスが終了となる日が来ると思います。
その時はお引越しをしなければなりません。
現在最強と言われるWord Pressに移るのだと思いますが、考えるだけで面倒くさくて仕方ありません。
とにかくブログは死ぬまで続け、死後も残しておきたいと考えています。
そしてAIに更新させるようにし、ブログの中で永遠に生き続けたいと思います。
連休終わりの今日、ぼんやりとそんなことを考えています。
今日は月に一度の精神科の受診日でした。
そこでショッキングな話を聞きました。
主治医が6月いっぱいで引退するというのです。
見たところ50代後半くらいで、引退には早いような気もしますが、お金がたまったのか、精神病患者が発する負のオーラに耐えられなくなったのか、理由は分かりません。
ただし、クリニックを閉じるわけではなく、主治医が信頼している若い医者に譲るそうです。
精神科は他の診療科に比べて、医師と患者の相性が極めて重要です。
主治医が信頼しているからと言って、私に合うかどうかは分かりません。
思えば15年以上、お世話になりました。
私が順調に回復したのは、じっくり話を聞いてくれる誠実な診察と、適切な薬の処方があったおかげだと感謝しています。
主治医の第2の人生が実り多いものであることを願ってやみません。
午前中、Netflixでドラマなど観て遊んでいたら、偶然、「美しい彼」という深夜ドラマ、30分で6話完結という男子高校生同士の恋愛を描いた誠に美的な作品に当たってしまいました。
吃音で学級カーストの最底辺にいるキモくてウザい男子高校生、ヒラと、学級カーストの頂点で、男子からは大人気、女子からはモテモテの美少年、キヨイの恋を描いた話です。
6話、一気見してしまいました。
今、この作品の劇場版が公開中ということで、夕方早速観てきました。
劇場版ではヒラが大学生となり、キヨイは俳優となって、最初はヒラの片想いだったのが、いつしか相思相愛となり、二人は同棲生活を始めます。
深夜ドラマとは大違いでした。
物語は重層的で、登場人物も曲者ぞろい、映画は金がかかるだろうなと思いました。
キヨイの相手役を演じる女優の熱烈なファンがキヨイを拉致監禁したり、日ごろ大人しいヒラが狂気を帯びて助けに向かい、犯人を殴りまくって半殺しにしたり、複雑な物語が描かれ、魅力的です。
私は妙齢の優し気で気だるげなお姉さんが大好きな、自分でも嫌になるほどのストレートですが、なぜか、若い頃から同性愛を描いた作品を好んで観ています。
古くは「モーリス」。
これは英国の美しい自然のなかで差別にあいながらも貴族の青年同士や使用人との恋模様を描く、社会的で美的な作品でした。
最近では、特に意味などない、イタリアの田舎で美術史家の息子である高校生と、夏休みの間だけ美術史家の助手を務めに来た米国人大学生との恋を描いた美しいだけの、しかし印象に残る「君の名前で僕を呼んで」がお気に入りです。
自身がコテコテの異性愛者でありながら同性愛の映画に魅かれるのはなぜでしょうね。
世間にはBLと呼ばれる美少年同士の恋愛を描くジャンルがあって、そのファンのほぼ全員が、腐女子と呼ばれる女性たちです。
あまりに女性ばかりなので、映画館に入りずらい感じさえします。
見渡したところ、今日観た劇場、男性客は私一人のようでした。
一方、私は男女の恋を描いた、いわゆる恋愛映画というものに興味がありません。
100本の恋愛映画を観るよりも、1回だけでも現実の恋をしたほうがよほど面白いと感じてしまうのです。
独身男女の恋であれば、祝福され、結婚という便利な制度が整っていて、後ろ指を指されることはありません。
しかし突き詰めて考えると、それは生殖という本能がなせる業。
しかし男同士の恋は気味悪がられ、差別され、結婚もできず、やむを得ず養子縁組したります。
生殖は絶対に不可能です。
男女の恋が太陽であれば、男同士の恋は月。
日影の淫靡な存在でしかありません。
最近でこそ、LGBTを差別してはいけないとされていますが、社会的な差別は今も色濃く残り、かつてキリスト教国では死刑でした。
わが国では男色を差別する風潮は無かったのに、明治以降、欧米並みに社会から異端者として扱われるようになりました。
無粋なことです。
差別される日影の花だからこそ、男同士の恋は至純なものにならざるを得ません。
男女の場合、惚れたはれたも重要でしょうが、お金持ちと結婚したいとか、なるべく若いほうが良いとか、動機に不純なものが混じることが多いように思います。
しかし、差別されても気味悪がられても、一緒にいたいという強い思いで人を恋うる姿は純粋で美しいと思います。
それが、私が同性愛者に憧れる最大の理由だと思います。
私には女難の気があって、高校生の頃、女子40人、男子5人のクラスにいました。
これは高校2年生で3年分のカリキュラムを終え、3年生になると細かく科目が選べるため、私が選んだ科目が女性向けだったためです。
大学生の時も、7割くらい女性でした。
就職する時、男は私一人。
現在の部下も女性しかいません。
なので女性には分けだてなく接しようと心がけていますが、同居人に言わせると、お気に入りの女性とそうでない人とでは、露骨に態度が違うそうです。
正直者と言いましょうか。
私が男同士の恋に興味があるのは、周りが女だらけの環境に長くいるからかもしれません。
もしかしたら私は、肉体的には女性好きですが、精神的には男が好きなのかもしれません。
今日はNetflixで久しぶりにホラー映画を観ました。
「カラダ探し」です。
ホラー映画としては破綻しているループ物です。
高校生6人が毎日7月5日に目を覚まし、深夜、幼女の霊とみられる化け物に惨殺されますが、朝、7月5日に目が覚めて、6人の高校生は深夜、礼拝堂に召喚され、惨殺されます。
毎日惨殺されますが、どうせまた7月5日に目を覚まし、永遠の今日を生きるのだと考え、6人は仲良く海水浴に出かけたりします。
やがて7月6日の朝を迎えるのですが、6人はすべての記憶を失っています。
イジメにあっていたり、無視されていたり、不登校だったり、6人はそれぞれに孤独を抱えています。
7月5日を繰り返していた時だけ、6人は孤独から解放されていたのです。
切ない話です。
ホラー映画としては破綻していますが、青春映画の一種と思えば楽しめるかもしれません。