6月も今日で終わり。
1年の半分が過ぎようとしています。
去年の今頃は最初の緊急事態宣言が解除された頃であったように記憶しています。
一時期は全員在宅勤務を命じられ、やむを得ず出勤する場合にはメールで上司の許可をもらえ、というお達しが出たこともありました。
しかしそれは話が逆で、やむを得ない場合に上司が部下に出勤を命ずべきものです。
わが国の、特に役所はボトムアップを旨としていて、ボトムアップと言えば聞こえは良いですが、何事も職階の低い者あるいは中間管理職が苦労して、上の者はいざという時こそ責任を取らされるものの、責任を取らされる状況などそうはなく、概ね楽をしているように思います。
そんなことを思い知らされた、コロナ禍の1年強でした。
コロナ禍で、働き方は大きく変わってしまいました。
会議でもイベントでも、人が集まる場合はほぼオンラインになりました。
最初は違和感を感じましたが、遠方の相手との会議や打合せ、また、職場内でも多くの人が参加する会議などで、自宅あるいは自席から、パソコン一つで参加できるのは、極めて便利です。
また、職場以外からでも、職場の共有フォルダに入ることができるようになり、出勤の動機付けが減りました。
投票もオンラインでできるとなれば、対面で開催する意味は、1つしかありません。
なんとなく、良さそうだから。
人と話すときは相手の顔を見なさい、みたいな話で、明白な根拠は知りませんが、なんとなく、人とは直接会って話したほうが良い、と直感的思ってしまうのは、年のせいでしょうか。
最初は人が集まることを忌避して始められたオンラインですが、もうかつてのような、対面での会議やイベントの開催は無理なような気がします。
人間、楽に慣れると止められませんから。
業種にもよりますが、働き方はこれからますます変化していくのでしょうね。
今、もっとも苦しんでいる飲食業などのようなサービス業はオンラインというわけにはいきますまい。
デリバリーは出来るでしょうが、お店に出向いて飲食するというのは、一種の非日常的体験で、それは映画や芝居を観るのでも、コンサートに行くのでも、同じことです。
DVDを借りてきて映画を観るのと映画館に足を運んで観るのでは、全く異なる体験です。
サービス業以外は、事務でも営業でも、大方のサラリーマンは、リモートワークのみで済ませようと思えばなんとかなっちゃうような気がします。
それが当たり前になれば。
そうなると、都会に住む必要がなくなるし、都会にオフィスを構える必要もなくなります。
首都圏への一極集中がある程度解消されるかもしれません。
技術の進化のわりにはゆっくり進むやに見えた多様な働き方、コロナ禍のせいで、想像以上に進んでしまいました。
50歳を過ぎて始まった技術的な進化というか、試練。
今、すっかり覚えの悪くなった頭に鞭打って、時代に追い付こうと必死です。
コロナ禍で始まった新しい技術、それらはやがて仕事上出来て当然のスキルになってしまうでしょう。
今、職場には、パソコンの普及に大いに役立ったWindows95が発売された後に生まれた世代が続々と入って来ています。
デジタルネイティブ世代。
生まれながらにしてデジタルが身近にあった世代と、就職して何年も経ってからそれらに接するようになった世代では、コミュニケーションの方法も、物事の考え方も、大きく異なります。
年寄りがはるか昔から口にする、近頃の若い者は云々、永遠の繰り返しと思ってきましたが、情報革命に至っては、著しい世代間の乖離を感じずにはいられません。
3年後の世界が想像できません。
まして5年後、10年後なんて。
私たちは技術の進化によって、どこへ向かっているのでしょうね。