ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

デジタルネイティブ

2021年06月30日 | 仕事

 6月も今日で終わり。
 1年の半分が過ぎようとしています。

 去年の今頃は最初の緊急事態宣言が解除された頃であったように記憶しています。
一時期は全員在宅勤務を命じられ、やむを得ず出勤する場合にはメールで上司の許可をもらえ、というお達しが出たこともありました。

 しかしそれは話が逆で、やむを得ない場合に上司が部下に出勤を命ずべきものです。

 わが国の、特に役所はボトムアップを旨としていて、ボトムアップと言えば聞こえは良いですが、何事も職階の低い者あるいは中間管理職が苦労して、上の者はいざという時こそ責任を取らされるものの、責任を取らされる状況などそうはなく、概ね楽をしているように思います。

 そんなことを思い知らされた、コロナ禍の1年強でした。

 コロナ禍で、働き方は大きく変わってしまいました。


 会議でもイベントでも、人が集まる場合はほぼオンラインになりました。


 最初は違和感を感じましたが、遠方の相手との会議や打合せ、また、職場内でも多くの人が参加する会議などで、自宅あるいは自席から、パソコン一つで参加できるのは、極めて便利です。

 また、職場以外からでも、職場の共有フォルダに入ることができるようになり、出勤の動機付けが減りました。

 投票もオンラインでできるとなれば、対面で開催する意味は、1つしかありません。

 なんとなく、良さそうだから。 

 人と話すときは相手の顔を見なさい、みたいな話で、明白な根拠は知りませんが、なんとなく、人とは直接会って話したほうが良い、と直感的思ってしまうのは、年のせいでしょうか。

 最初は人が集まることを忌避して始められたオンラインですが、もうかつてのような、対面での会議やイベントの開催は無理なような気がします。

 人間、楽に慣れると止められませんから。

 業種にもよりますが、働き方はこれからますます変化していくのでしょうね。

 今、もっとも苦しんでいる飲食業などのようなサービス業はオンラインというわけにはいきますまい。

 デリバリーは出来るでしょうが、お店に出向いて飲食するというのは、一種の非日常的体験で、それは映画や芝居を観るのでも、コンサートに行くのでも、同じことです。

 DVDを借りてきて映画を観るのと映画館に足を運んで観るのでは、全く異なる体験です。

 サービス業以外は、事務でも営業でも、大方のサラリーマンは、リモートワークのみで済ませようと思えばなんとかなっちゃうような気がします。

それが当たり前になれば。

 そうなると、都会に住む必要がなくなるし、都会にオフィスを構える必要もなくなります。
 首都圏への一極集中がある程度解消されるかもしれません。

 技術の進化のわりにはゆっくり進むやに見えた多様な働き方、コロナ禍のせいで、想像以上に進んでしまいました。

 50歳を過ぎて始まった技術的な進化というか、試練。
 今、すっかり覚えの悪くなった頭に鞭打って、時代に追い付こうと必死です。

 コロナ禍で始まった新しい技術、それらはやがて仕事上出来て当然のスキルになってしまうでしょう。

 今、職場には、パソコンの普及に大いに役立ったWindows95が発売された後に生まれた世代が続々と入って来ています。

 デジタルネイティブ世代。
 生まれながらにしてデジタルが身近にあった世代と、就職して何年も経ってからそれらに接するようになった世代では、コミュニケーションの方法も、物事の考え方も、大きく異なります。

 年寄りがはるか昔から口にする、近頃の若い者は云々、永遠の繰り返しと思ってきましたが、情報革命に至っては、著しい世代間の乖離を感じずにはいられません。

 3年後の世界が想像できません。
 まして5年後、10年後なんて。

 私たちは技術の進化によって、どこへ向かっているのでしょうね。


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国旗を間違えてはいけません

2021年06月27日 | 社会・政治

 今朝、新聞を読んでいたら、信じられないお粗末というか、外交的非礼というかを、お隣、韓国がしでかしたという記事を見つけました。

 なんでも韓国の文大統領、英国で行われたサミットの帰りに、オーストリアに寄って、かの地の大統領と会談したそうなのですが、それを広報するため、インスタグラムに写真をアップしたのはよいとして、なんと韓国国旗とオーストリア国旗を掲載すべきところ、間違えてドイツ国旗を並べてしまったとか。

 オーストリア政府は呆れるばかりだとか。

 オーストリアは第二次大戦の少し前にナチス・ドイツに併合されて、終戦までドイツの一員でした。
 オーストリア人の多くが、ナチの親衛隊(SS)に入隊したりして、大いにドイツ国民としての務めを果たしたと言います。

 いつだったか、元SSの隊員がオーストリア大統領に就き、諸外国から批判を受けながら、オーストリア政府はそれら批判になびくことはありませんでした。

 で、韓国。
 韓国は第二次大戦のはるか前にわが国に併合され、半島の人々は日本人ということになりました。
 第二次大戦においても、当然、大日本帝國臣民として働きました。
 無理やり働かされたという半島人もいますが、それならなぜ、戦後何十年も黙っていたのでしょうね。

 不思議です。

 ドイツに併合されたオーストリアと、大日本帝國に併合された朝鮮。
 どちらも敗戦国なのですが、韓国人はどういう理屈か知りませんが、自らを戦勝国の一員と自称しているそうですね。

 もちろん、英米支ソ等の、我が国とガチンコで、血で血を洗う戦闘を繰り広げた本当の戦勝国は、韓国は戦勝国の一員などという馬鹿げた主張を、無視しているだけです。

 大日本帝國に属していた地方が、なぜ戦勝国なのでしょうか。
 解せません。

 オーストリア国旗を掲げるべきところ、ドイツ国旗を掲げるということは、韓国国旗を掲げるべきところ、間違えて日の丸を掲げるようなもの。
 もしオーストリア政府がそのような写真をSNSにアップしたならば、韓国の人々はどういう反応を示すでしょうね。

 これまでの態度から、推して知るべしといったところです。

 そもそも同じ大日本帝國に支配された台湾は、なぜそのことをもってわが国を責めないのでしょうね。
 李元総統などは、京都帝国大学を卒業し、かつて日本人であったことを誇りにし、日本人が失ってしまった日本精神は、台湾でこそ生き残っている、と述べたそうです。

 韓国と台湾、同じ国の統治を受けたとは思えません。

 韓国はわが国のお隣。
 面倒ですが、良好な関係を築くに越したことはありません。

 それには、かつて大日本帝國に併合されたことを、いつまでも恨みがましく言い立てるのを止めるのが前提でしょうね。
 西洋列強に国土を蹂躙された、アジア・アフリカの国々は、今さら旧宗主国を責め立てたりしていません。
 そんなことをしても何の得にもならないし、なんだか馬鹿げているからでしょうね。


 韓国はもはや先進国並みの国家に育ったと言ってよいと思います。
 振る舞いを改めないと、国際社会から、先進国としての待遇は受けられないと思います。

 もったいない話です。

 頑張れ、韓国人。


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接種券

2021年06月26日 | 社会・政治

 私は高脂血症のため、3週間に1度、内科に通っています。
 今朝がそうでした。

 ワクチンの接種券が届いたなら、真っ先に打ってくれるとのこと。
 理由は基礎疾患があるから、だそうです。
 高脂血症というのは基礎疾患にあたるんですねぇ。
 あまり意識したことはありませんでしたが。

 で、ついでに同居人にも同じ時期に接種してほしい、とお願いしたところ、渋い顔。
 同居人は風邪で数回診てもらっただけで、掛りつけとは言えないからだそうです。
 医師は掛りつけの患者以外、接種する気はないそうで、代わりに集団接種会場を紹介してくれました。

 近所にもう一軒内科があるのですが、こちらは正反対。
 接種券がなくても、掛りつけでなくても、年齢に関係なく、接種してくれるとあって、若者からお年寄りまで、毎日病院のまわり、とぐろを巻いています。
 外で立ったまま何時間も。

 それを我が掛りつけ医はさんざんディスッテいました。
 患者一人一人を大事にすれば、雨が降ろうと外で立ったまま待たせるなんてことは出来ないし、そもそも接種券もないのにワクチンを打つなんてあり得ないことだと。

 多分近所の内科にも言い分があるでしょう。
 望む人には誰でもいつでも打ってあげる、みたいな。

 しかしそれでは、何のための接種券かということになります。

 小さなクリニックでもこんなに対応に差があるのでは、公平な接種なんて望むべくもないでしょう。

 小さな町のどたばた劇。

 私はそれを笑いながら見るしかありません。


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急死

2021年06月26日 | その他

 昨日、ショッキングな出来事がありました。

 62歳の先輩が急死したのです。
 もう10年も前ですが、この人の下で働いていたこともあります。

 現在、定年は60歳ですが、本人が希望すれば65歳まで雇用しなければなりません。
 この先輩も、再雇用で働いていました。
 詳しくは聞いていませんが、死因は脳梗塞だったようです。

 就職以来、29年になりますが、職場の先輩、後輩で現職死亡したのは9人目になります。
 そのなかには、27歳で自殺した後輩や、40代前半で亡くなった部下など、若くして逝った者もいます。

 昨日亡くなった先輩、優秀な人とは言えませんでしたが、憎めないキャラクターで、多くの人を癒してもいました。

 生涯独身でしたが、お葬式はどうなるのでしょう。
 まだ葬儀の案内は届いていません。

 長く働いていると、こういう目にあうことがどうしても多くなります。
 29年で9人というのが多いのかどうか分かりません。

 しかし私の実感では、とても多いように思います。
 そのたびに、気持ちが暗くなります。
 現職死亡ということは、最高齢でも65歳。
 平均寿命よりはるかに若いことになります。

 先輩の冥福を祈ります。

 合掌。


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都会でもなく、田舎でもなく

2021年06月25日 | その他

 今日は電車で出勤しました。

 同居人が休暇を取っており、1人暮らしの母親が欲しがっていた、室内用の洗濯物干しを届け、組み立てるために車が必要とのことでしたので。

 普段車通勤をしていると、電車通勤がひどく億劫に感じます。

 自宅から最寄り駅までは、5分とかからない便利さなのですが、職場は最寄り駅から15分もバスに揺られなければなりません。
 電車に乗っている時間よりもバスのほうが長いというしんどさです。
 で、つい、朝は駅から職場まで、タクシーを使ってしまいます。
 さらに、帰りも駅までタクシーを使ってしまいます。

 毎日電車通勤だったら、不可能な芸当です。
 小銭といえども毎日遣えば馬鹿になりません。

 もともと満員電車が嫌い、というより電車通勤そのものが嫌いで、東京からお隣、千葉に就職して引っ越したわけですが、それは正解だったと思っています。
 車通勤が認められ、無料の駐車場がある職場なんて、少なくとも23区内ではあり得ないと思います。

 距離は14キロと、微妙に遠いですが、これも同居人の実家近くにマンションを求めたため。

 本当は車で10分もすれば到着できる場所に住みたかったのですが、14キロで40分くらいかかるというのは、億劫です。

 でもまぁ、都内通勤だと、一時間以上は当たり前で、しかも人が乗るものとは思えない混雑ぶり。

 過積載かと突っ込みたくもなります。

 車ならラジオでも聞きながら、座って通勤できます。
 都会と違い一本道で、逃げるべき他の道路や裏道が無いのが残念ではありますが、贅沢は言っていられません。

 私の職場にも、わざわざ1時間半もかけて、都内から通っている人もいます。

 お気の毒。

 最近、よくトカイナカという言葉を耳にします。

 都会のような、田舎のような、微妙な場所を指す言葉のようです。

 そして、それらが住みやすいということで流行っているようです。

 それならば、千葉市はまさしくトカイナカ


 そんな言葉が生まれるはるか前から、私は本当の田舎ではない、かと言って都会とは言えない、しかも都内に出ようと思えばそう遠くもない、そんな所に住みたいと思い続けてきて、現にそうなりました。

 もう30年も給料が上がらない、先進国のなかでもひどい国になってしまった我が国においては、生活費の面からもトカイナカが重宝されるのではないでしょうか。

 食費やなんかは都内と千葉市では大差ないですが、なにしろ不動産が安い。

 借家でも持ち家でも、23区に比べると破格の安さ。

 初めて千葉市にアパートを借りる時、不動産屋でわが目を疑いました。

 それは新築のマンションを購入するときも。
 完成まで1年以上先のマンションを購入しましたが、繰り上げ返済を重ねて、早晩、ローンは返済し終わりました。

 千葉市の宣伝みたいになってしまいましたが、これはよくありませんね。
 千葉市にこれ以上人が増えるのは嫌ですから。


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会議

2021年06月24日 | 仕事

 昨日大学病院に通院でお休みしたため、明日、6月25日の会議資料が全然出来ておらず、それを埋めるために今日は早朝5時に職場に着きました。
 8時半からが勤務時間なので、3時間半も早く着きました。

 通常、会議日の前日の朝9時から議長と打合せすることになっており、それに資料を間に合わせたかったのです。

 打合せで書類の不備を指摘されましたが、明日の13時までにZoomの招待状と資料をメール添付で送ればよいので、少し落ちついて、なんとか今日中にそれらを送信しました。

 するとやる気が無くなるのが私の悪い癖で、夕方はぼんやりしていました。

 今の部署、会議が多いのですよねぇ。
 定例だけで月に3回会議があり、その他にも臨時だとか、普段出ていない会議に出ろだとか、参っちゃいます。

 会議は長いし、つまらないし、本当に立ってやるほうがいいんじゃないでしょうかねぇ。

 疲れて早く終わるそうですから。


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消耗品

2021年06月23日 | その他

 今日は休暇を取り、千葉大学医学部附属病院の眼科に行ってきました。
 ほぼ予約の時刻に診察となりました。

 緑内障、眼圧は正常で、手術をするかどうかは様子をみて、ということになりました。

 面倒なのは視野検査。

 8月21日に掛りつけのクリニックで、8月26日には大学病院で検査を受けることになりました。
 同じような検査を立て続けにしなければなりません。

 そもそもクリニックの医師から大学病院に受診しろと言っておきながら、クリニックにも定期的に通えとはどういうことでしょうね。

 千葉大病院とクリニックと両方に通う必要があるんでしょうか。

 クリニックは土曜日も診察しているのでなんとでもなりますが、千葉大病院は平日しかやっていません。
 当然、休暇を取らなければなりません。
 現役世代にはきつい。

 失明するのは嫌ですから、言われたとおり通うつもりですが、それにしても面倒くさい。

 それでなくても、高脂血症で内科に、双極性障害で精神科に通っているというのに。

 これから色々不具合が生じるのでしょう。
 人間の体も消耗品なんですねぇ。

 若いつもりが、しっかりと衰えているようです。 


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眼科

2021年06月21日 | その他

 またもや一週間が始まりました。

 と言っても、今週は水曜日にお休みを取っています。
 千葉大学医学部附属病院の眼科を予約しているからです。

 掛かりつけのクリニックの眼科医から、緑内障の手術が必要かもしれないと、千葉大病院に紹介状が出されました。

 私はてっきりすぐ手術になるのかと思ったら、緑内障の専門医が、まだ判断できない、と言い出したのです。

 しかも、千葉大病院では、一般的な眼科医が診察し、後日緑内障の専門医が診るという、ややこしいというか、面倒くさいシステムになっています。
 
 で、水曜日は一般的な眼科医。
 一般的な医者が診てから、専門医の予約をするのです。

 クリニックにも相変わらず通っていますから、計3名の眼科医が私の緑内障を診ているということになります。

 手厚いと言えば手厚いですが、面倒くさい。
 こんなことなら千葉大病院など紹介されないほうが良かったと思いますが、根がまじめな私のこと、言われたとおりに通っています。

 視野検査などの重要な検査も、クリニックと千葉大病院と、両方でやっています。  

 同じ検査を日をおかずに2回もやるなんて馬鹿げています。

 視野検査、最も重要な検査らしいですが、やっていてイライラして、過呼吸気味になっちゃうんですよねぇ。

 狭い検査室に閉じ込められて、見えたような見えないような、小さな点(明かり)が見えたら手に持たされたボタンを押せというのですが、はっきり見えることはなく、一瞬で消えてしまうので、押すのに躊躇してしまいます。

 躊躇していたら視野が欠損していると診断され、バンバン押したら「適当に押しているだろ、そんなことじゃあ正確な診断が出来ない」と叱られます。

 眼科というのは面倒くさいんだなと思います。

 そういえば32歳の頃、突発性難聴という病気にかかった時は、聴力検査を何度もやらされました。

 こちらは聞こえたらボタンを押せ、というもの。

 でも視野検査ほど嫌ではなかったですね。

 聞こえる時と聞こえない時がわりとはっきりしていましたから。

 その時は耳が謎の炎症を起こしているということで、大量のステロイド剤が処方され、副作用でムーンフェイスになってしまいましたが、4か月ほどの通院で、著明回復という診断に至り、通院をやめました。
 完治することはあんまり無い病気だそうで、著明回復でも十分な効果があったと認められるそうです。
 でも、今も右耳がすこしだけ聞き取りにくいんですよねぇ。

 目とか耳とか、分かりやすいところが弱いようです。

 大学病院に行くのは億劫ですが、それでも仕事に行くよりは100万倍マシです。
診察は13時からなので、朝はゆっくり出来ますし、いくら大学病院は時間がかかると言っても、2時間もあれば終わるでしょう。

仕事に行くより、ずいぶん余裕があります。

 折角の休暇を通院にあてるというのはなんとなく悔しい感じもしますが、目がつぶれるのはこの上ない恐怖ですから、きちんと診察を受けて、検査もやって、目薬を点さなければなりません。

 緑内障は徐々に進行し、しかも見えるほうの眼がカバーしてしまうため、なかなか気づかず、ついには片目がつぶれ、やがて両目がつぶれるという恐ろしい経過をたどる人が少なくないと聞きます。

 最初は単に疲れ目で眼科に行ったのですが、そこで初期の緑内障と言われ、びっくりはしたものの、早くに治療を受けられたのは良かったと思います。


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日曜日

2021年06月20日 | 美術

 昨夜、少々飲みすぎたようで、今朝は食欲がなく、珈琲を2杯飲んだだけで、朝食は抜きました。
 何もやる気が起きず、かと言って、もう眠れないと思い、伸びた髪が気になって、床屋へ散髪に行きました。

 床屋の旦那はおしゃべり好きで、煩わしいことさえありますが、今日は会話が脳を刺激したのか、少し、元気になりました。

 帰宅して、ソファで眠ってしまいました。
 目覚めたらもう11時半。

 さすがに腹が減って、近所の蕎麦屋に行きました。
 食ったのはとろろ蕎麦。
 蕎麦屋に行くと、大体とろろ蕎麦か鴨せいろを食します。
 コロナで酒類の提供が自粛になる前は、食前に一合の酒を冷やでやるのを慣例としていました。
 そのほうが蕎麦が旨くなるし、食欲もわくからです。
 でも今は、それも堪えねばなりません。
 
 蕎麦屋のスターメニューである天ざるを頼むことはありません。
 揚げ物は好みませんので。

 とろろ蕎麦を食って満足し、その足でスーパーに一週間分の食料を買いに行きました。
 納豆とか卵とか、ハムとかソーセージとか、塩辛とか糠漬けとか、そんな物です。
 そして忘れちゃいけないのが晩酌用の焼酎です。

 今晩のつまみは、アジの塩焼きとオクラ、長芋の千切りとフルーツトマトにしました。
 我が家の食卓にトマトは欠かせません。
 生来トマトが好きで、幼い頃はトマト坊やと呼ばれていたそうです。
 覚えてはいませんが。

 買い物から帰って、珈琲をいただきました。

 蕎麦屋の難点は、食後にゆっくりするのが憚れること。
 食ったらとっとと店を出なければなりません。

 で、食後の珈琲は帰宅してからになります。

 珈琲を飲みながら、新聞を読みました。
 新聞というのはそもそも良くないことが記事になることが多いようで、中国の横暴を責めるものとか、コロナがどうしたとか、そんな記事どもです。

 そんな風にして、日曜日を過ごしています。
 明日からの一週間を考えると憂鬱になるので、なるべく考えないようにして。

 いかにも小市民的ですが、小市民ですから仕方ありません。
 その小市民の頭の中は、かなり錯綜して、あまり小市民的ではありません。
 生活が小市民的であればあるほど、私の頭はこんがらがっていくようです。

 前衛絵画のように。

 そんな時はモローの画集を眺めます。
 神秘的で幻想的で、過去の夢幻をあらわしたような絵画群。
 突如フランスに現れ、孤高の画家として作品を描き続けた異端の人。

 こんがらがった頭には、素直に入り込める作品世界。

 画集で精神を高揚させ、高揚は私の精神を不思議な安定へと導きます。

 落ち着いてきたところで、風呂、それに晩酌にしよう思います。
 過ぎ行く日曜日を惜しみながら。 


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十分

2021年06月19日 | 仕事

 今日はひどい雨のなか、愛車の6か月点検に行きました。
 待つこと1時間、無事異常なし。

 愛車の調子は絶好調ですが、最近、車の運転が怖くなってしまいました。
 コロナの前までは、新宿だろうが渋谷だろうが、どこにでも車で行っていたのですが、今となっては首都高を走るのも怖いし、狭い駐車場に車を停めるのも怖い。
 コロナの影響で通勤以外には車を運転しなくなってからのことです。

 こんなことは、運転歴30年を超えるなかでも、初めてのことです。
 若葉マークの頃も怖かったですが、慣れが肝腎と、果敢に運転して、1年も経つ頃には恐怖心など無くなっていました。

 それが今になってどういうことなのでしょうね。

 精神障害の症状なのか、年を取って臆病になったのか、よく分かりませんが、事実として怖いのだから仕方ありません。
 もしかしたら左目の緑内障の影響もあるのかもしれません。
 そうだとしたら、免許の返納ということも考えなければなりません。 

 免許を取ったのが18歳の時。
 もうじき52歳。
 十分運転してきたような気がします。

 それを言ったら、十分酒を呑んだような気がします。
 十分物語の世界に浸ったようが気がします。
 もう嫌だというくらい、十分働いてきたような気がします。

 もう十分。

 その十分が重なって、人は現役を退くのでしょうね。
 であれば、私はそろそろ引退すべきなのかもしれません。
 人よりちょっと早いですが、こればっかりは個人差があります。
 80歳を超えてなお現役の人もいれば、50代で引退する人も。

 しかし、引退すれば収入がなくなってしまいますし、年金だってもらえません。
 そこで気力体力を失ってもなお職にしがみつき、ろくに働かない迷惑なおじさんが出来上がるのでしょうね。

   私も迷惑なおじさんになりつつあります。
 いや、若い者から見れば、立派な迷惑おじさんなのかもしれません。

 迷惑おじさんであることを自覚して仕事に向かったほうがよいかもしれません。
 自覚があれば、少しは人の目を気にして、働くようになるかもしれません。


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時間

2021年06月18日 | 思想・学問

 今週もやっと終わりました。
 長いような、短いような。
 
 20年近く前、連日22時くらいまで(時には完徹)残業を余儀なくされるブラックな機関で働いていたことがあります。

 任期を終え、無事出所(3年間の出向任期を終え、出身機関に戻ることを出所と呼んでいました)の際に催される送別の宴の際、「3年間は短かったけど、1日は長かった」とスピーチする人がいました。

 うまいこと言うなぁと感心したことを覚えています。

 時間が流れることを短いととらえるか、長いととらえるかは、個人差はありますが、一般に子供や若者が時間の流れを長いと感じ、中高年は短いと感じるような気がします。

 考えてみれば、20年の間に、生まれた赤子は一人では何も出来なかったのが、歩けるようになり、喋れるようになり、幼稚園、小学校、中学校、高校と卒業し、大学に入る人は入って、無事成人と相成るわけです。
 この20年間は思い出しても長かったと感じます。

 しかるに、20歳~40歳は少し短く感じます。
 大学生が就職し、仕事を覚え、中間管理職になり、という一般的なコースをたどれば、そこそこ長く感じるかもしれませんが、0歳~20歳ほどではないでしょう。

 おそらく、40歳~60歳、60歳~80歳と、どんどん時間は短く感じられるのかもしれません。

 私の先輩は、「人生は雑誌みたいなもので、最初のほうは華やかであったり、社会問題であったり、読み応えのある記事が続くが、後半にいたると広告ばかりで誰も読まない」、と喝破しました。

 年を取って、先輩よりも後輩が多くなると、雑事をこなすことが増えるような気がします。
 労務管理であったり、予算管理であったり。

 これもお役目ですから、厭だと投げ出すわけにはいきません。

 それと同時に、雑誌のトップを飾るような、もう一花があったら良いなぁと思います


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カフェインとアルコール

2021年06月16日 | その他

 今日は珍しく、仕事がはかどりました。
 こんなこともあるんですねぇ。

 今朝は愛飲の珈琲、エメラルド・マウンテンを、いつもなら2杯飲むところ、3杯飲みました。
 すると、頭が冴えわたって、少々ドキドキはしますが、良い感じで仕事ができました。

 じゃあ毎日珈琲を一杯多く飲めばいいじゃないかという声が聞こえてきそうですが、日によっては不安感が増したりするので、勝負です。

 世の中には珈琲中毒みたいな人がいて、毎日10杯もの珈琲を飲み、珈琲が切れた、なんて言って珈琲を飲む、切りがない人です。

 カフェインは依存性が高いようで、一種の麻薬と言えるかもしれません。

 酒は明らかに合法ドラッグと言ってよいでしょうね。

 ただし、酒を嗜むというのは、イスラム社会をのぞいて、ほとんどあらゆる民族が、食文化の一つとして大切にしてきたことです。

 私も呑ん兵衛ですから、酒なしになってしまったら、楽しみの半分くらいが無くなってしまうと思います。

 最近、私はアルコールとカフェインと、両方に依存しているような気がします。
 どちらとも合法なのが怖いですね。
 意思が弱ければ、どこまででも行ってしまいそうです。  


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怖い

2021年06月15日 | 精神障害

 最近、色々なことが怖くなりました。

 最初に恐怖を感じたのは、車の運転。
 つい1年前までは平気だったのに。
 大きな事故を起こしたことはありませんが、いつか起きるのではないかと不安で、運転することを想像するだけで、体が小刻みに震えます。
 それでも、車通勤なので、抗不安薬を飲んで運転しています。

 仕事、それも実務が怖い。
 若いころに比べれば実務は大幅に減っています。
 部下に任せていますから。
 でも、時には自分でしかできないこともあります。
 そんな時、手を動かすのが億劫で、そのうえ怖い。

 上司と話すのも怖いですが、それよりも部下に指示を出すほうが怖い。
 明るく指示に従ってくれますが、心の底ではふがいない上司だと、馬鹿にしているのではないかと思うと、気持ちがひどく沈みます。

 グラスや湯呑で何かを飲むのが怖い。
 躁状態を押さえる、炭酸リチウムの副作用で、手が震えるというのは代表的なものです。
 会食の時など、人に指摘されるのが怖い。
 薬の副作用です、と言えるのは、自分が精神障害者だということを知っている、ごく親しい人。
 立食パーティーなどで、良く知らない人と飲むのが最も苦手です。

 同居人が休日出勤や出張などで、独りで過ごすのが怖い。
 よく妻が留守にすると旦那は喜ぶ、なんて言いますが、私には全くあてはまりません。
 精神障害の発症以来、同居人に対し、極端に依存するようになってしまいました。
  まるで親と子です。
 もちろん、私が子です。

 マスクを外すのが怖い。
 コロナの影響で、マスク着用は絶対に守らなければいけないドレス・コードのようになってしまいました。
 マスクを着用することに慣れきってしまい、顔を半分隠すことで、表情を読み取れないようになり、表情が見えてしまうマスクの無い顔をさらすのが怖い。

 もっと言うと、生きているのが怖い。

 精神障害発症時よりも、今のほうが怖いものが増えてしまいました。
 いずれも神経症的な悩みで、双極性障害とは関係ないように思います。
 しかし主治医は、神経症的な悩みは、双極性障害に比べれば小さなことで、抗不安薬を飲めば軽減するのであればべつだん問題ないでしょう、という態度です。

 うつ状態が激しい頃は自殺願望が強かったですが、今、自殺なんて怖ろしいことは出来ません。

 ただ、生きることは怖ろしいことだと感じるようになりました。

 年を取れば取るほど、些細なことは気にしなくなり、恐怖感など消え失せて、安定した状態になるのかと思っていました。

 50歳を超えて、この世には怖ろしいことがあふれていると感じるようになるなんて、想像もしていませんでした。

 精神科で服薬治療を受けていてこれですから、薬なしではとても仕事を続けられないでしょう。

 死ぬのは怖いし生きるのも怖い。
 どうしたらよいんでしょうねぇ。


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記念日

2021年06月14日 | その他

 今日は土曜日に出勤した分の振替でお休み。
 一人でのんびり過ごしています。

 すっかり忘れていましたが、昨日、6月13日は我らの結婚記念日でした。
 同居人も忘れていたようです。
 もう23年が過ぎます。
 1998年、私たちは愚かにも飯田橋の東京大神宮で式をあげ、隣接するマツヤサロンで宴を催したのです。

 我がままで独りを好む私が、よく離婚せずにここまで来たものです。
 
 私は学生時代、自分は結婚しないだろうと思っていました。
 赤の他人と暮らすことなど、想像できなかったからです。

 それが何の因果か、28歳で結婚してしまいました。

 同居人は私と異なり、穏やかで、感情的にならない人です。
 それが良かったのでしょうね。

 最大の危機は、私の精神病の発症でしょうねぇ。
 私はひどく落ち込み、何もできなくなりました。

 後で聞いたのですが、同居人はその時、keep smiling 、に努めていたそうです。
 常に微笑みを絶やさないように。
 泣かせます。

 当初うつ病と診断されましたが、躁状態に陥り、双極性障害(昔で言う躁鬱病)に診断が変わりました。
 2年くらいかかりましたが、その後寛解に至り、10年以上、普通に勤務しています。

 病気をほぼ克服し、それまでと私は明らかに変わりました。
 孤独を恐れ、同居人に依存するようになったのです。
 立場が逆転した瞬間でした。

 その時から、離婚を恐れるようになりました。
 惚れ直す、というのとは異なります。
 私は子供っぽくなり、同居人は親のようになったのです。

 初めて、私は同居人に惚れている、と思うようになりました。

 もう23年。
 あと2年で銀婚式なのですね。
 ずいぶん色々なことがありました。

 ここまで来たら、金婚式までは二人で生きたいと切に願います。 

 


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酒毒

2021年06月13日 | その他

 昨日は出勤してイベントを終えました。
 帰宅して、焼酎のロックをやりました。
 なんだか飲みすぎたようで、だるい朝を迎えました。

 酒は百薬の長とも、気違い水とも言われ、その作用絶大なるをもって、多くの人に愛飲され、愛しすぎると体を壊します。

 私は父が亡くなって一年で20キロ以上体重が落ちましたが、最大の理由は酒ばかり飲んでろくに食わなかったこと。
 その時は、γーGTPがまずいくらい上がりました。
 医者から節酒を命じられ、酒の量を半分に減らした結果、肝臓は正常な数値に戻りました。

 今、コロナ禍ため、外で飲酒することはできません。
 もっぱら家で呑むだけ。
 味気ないことこの上ないと感じています。

 歌人の若山牧水は毎日一升もの酒を呑む酒豪で、しかそのゆえに43歳の若さで亡くなりました。
 病床にあっても呑み続けたというから驚きです。
 医者はさじを投げ、飲酒を止めようとはしなかったと聞きます。

 私は酒ばかり呑んで食わなかった頃、自分は近々酒毒にによって死ぬんだろうなと思っていました。
 それでも良いとさえ感じていました。

 それなのに節酒に成功したのは、やはり生きたいという欲望あってのこと。 

 まだ死ぬには早すぎると思うようになったのです。
 
 強欲ですね。


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