ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

箱根、芦ノ湖

2017年08月31日 | 散歩・旅行

 昨日から日曜日まで、短い夏休みに入りました。

 今年は箱根、芦ノ湖畔の箱根ホテルに2泊して、のんびりすることにしました。

 千葉市の自宅を9時に出発。
 あいにくの雨模様でしたが、11時50分に芦ノ湖畔に着いた時には、雨は上がっていました。
 
 ラッキーです。

 芦ノ湖には、名物、海賊船が。

 

 


 曇りでしたが、雨に降られるよりはるかにマシです。

 芦ノ湖畔のレストランで、鱒のバター焼き定食の昼食。
 
 その後芦ノ湖畔をぶらぶらして、箱根関所跡に。
 


 関所が再現されていました。

 思ったより狭いのですね。
 箱根の関といえば有名なので、もっと広いかと思っていました。

 そのまま箱根恩賜公園まで歩き、展望台に建つ、かつての皇族向けの洋館で珈琲などいただいて体を休めました。

 で、箱根ホテルにチェックイン。
 楽天トラベルで予約したら安かったのですが、着いてみてびっくり。
 
 立派なホテルです。
 部屋も広くて、全面ガラス張りの窓からは、芦ノ湖から富士山までが臨めます。

 それもそのはず、箱根富士屋ホテルの系列なのです。
 腐っても富士屋ホテル、でしょうか。

 ウェルカムドリンクに、林檎ジュースか、林檎ジュースとテキーラのカクテルが選べたので、湖畔のバーで私はカクテルを、同居人はジュースを楽しみました。

 残念なのは、温泉が狭いこと。
 多分、かつては欧米人向けの本格リゾートを目指したのでしょうね。
 それで温泉に力を入れなかったのではないかと思います。

 温泉に入ったところで、この後18時からフレンチの夕食です。

 短い夏休みを満喫したいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクセス

2017年08月30日 | 文学

 昨日、ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞したという小説を読みました。

 「アクセス」です。

アクセス (新潮文庫)
誉田 哲也
新潮社

 うーん、微妙。

 インターネットが登場してから、この手の作品はやたらと増えましたが、なかなか上質のものは生まれません。

 少年少女たちの冒険譚として読めば、恋あり、女同士の友情あり、援助交際にいそしむ美少女ありで、そこそこ楽しめますが、あくまで子供向きのような気がします。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏風邪

2017年08月30日 | その他

 先週金曜日から、夏風邪でダウンしていました。

 微熱と咳だけだったので、金土日は市販の風邪薬を飲んで寝ていましたが、一向に良くならないため、月曜日に内科を受診。
 薬がたくさん出て、大分回復しました。

 タイミングが良いというべきか悪いというべきか、今日から今週一杯夏休みを取っています。

 予定では、明日から2泊3日で芦の湖畔のホテルにr滞在する予定。
 多分千葉市からでも車で2時間半もあれば着けるでしょう。

 病み上がりでよいのかなという気もしますが、旅行は年に一回

 ゆるい旅程にして行ってこようかと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術と酒なしで生きる

2017年08月24日 | 思想・学問

   夏の終わりが近づいているようです。
 今さら感が漂う今日の暑さも、夏の断末魔のような気持ちさえしてきます。

 この猛烈な残暑のなか、ぼんやりとした頭で、はるか昔に読んだ、芸術についての思索が浮かんでは消えていきます。
 芸術もまた、儚い夏の如くだからでしょうか?

  芸術論というのはあまりにもたくさんあって、正直、何が何だかわかりません。

 しかし、ニーチェ中期の芸術観は分かりやすいのではないでしょうか。

 芸術と酒なしで生きること。-芸術作品は酒と同じような事情にある。つまり、両方とも必要とせず、いつも水ですませ、その水を塊の内部の火、内部の甘美さでくりかえしおのずと酒に変えていくほうがずっとよいのである。

 「人間的な、あまりに人間的な」という著作にみられます。

人間的な、あまりに人間的な〈上巻〉(新潮文庫) (1958年)
阿部 六郎
新潮社

 

人間的な、あまりに人間的な〈下巻〉(新潮文庫) (1958年)
阿部 六郎
新潮社




人間的な、あまりに人間的な (まんがで読破)
ニーチェ
イースト・プレス


 正直難解ですが、この一節はすとんと腹に落ちます。

 芸術を、陶酔を求める酒か麻薬のようなものと見なすのは、分かりやすいし、一面の真実を突いているように思われます。
 特に自ら創造する芸術家本人よりも、それを享受する芸術愛好家においては、その傾向が強いように思います。
 かくいう私もそうです。

 しかしニーチェの芸術に対する態度は、前期、中期、後期で大きく異なります。

 上に紹介した言葉は中期のものです。

 前期においては、自然そのもの、宇宙そのものが、根源的な存在によって創造された芸術であり、人間の芸術家は、根源的な存在が自らの救済を祝う媒体、とされています。

 「悲劇の誕生」に見られます。

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,塩屋 竹男
筑摩書房

 自然や宇宙そのものを一種の芸術と見なす見方も一般的ですが、人間の、個々の芸術家を上のように捉えるのは私には理解できません。
 そんなご大層なものではありますまい。

 前期の芸術への見方から、中期にいたって、酒のようなものだという見方に変わりながら、後期にまたもや大転換を遂げます。

 芸術は偉大な、生を可能にする者、生への偉大な誘惑者、生の偉大な刺激剤である。

 「権力への意志」に見られます。

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,原 佑
筑摩書房


ニーチェ全集〈13〉権力への意志 下 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,原 佑
筑摩書房

 さらに、現実世界は偽りであり矛盾にみち無意味である。このような現実を克服して生きていくためには、われわれは真理ではなく虚言を必要とする。(中略)芸術は虚言の最高の形式である。

 
とまで、考えは進みます。


 しかし、この後期の言葉は、前期に回帰したものでは全く無いことに気づきます。
 前期においては、ほとんど芸術を称揚しているように見えます。
 中期においては、芸術は酒か麻薬のような無用なものと捉えられます。

 しかし後期においては、世界が偽りであり無意味なのであって、虚言こそが人間に必要であり、その最高のものが芸術だと言うわけですから、前期に見られた世界そのものを芸術と見なす考え方は消え去り、むしろ無意味だからこそ人間による虚言であるところの芸術が必要だと説かれます。

 哲学者の言うことが年代によって変わるのはよくあることで、お釈迦様ですら、悟りを開いた直後の説法は難解であったのが、年を取るごとにより分かりやすくなっていったと伝えられます。

 ですからニーチェが年代によって異なる芸術観を持つこと自体は不思議なことではありません。

 しかし、その変わりようが少々極端であるような気がします。

 私自身は、中期の、酒か麻薬のような、どちらかと言えば遠ざけておいたほうが良い物のように思っています。
 そんなものを知らずに過ごせれば、どんなにか良いでしょう。
 しかし、私たちは不幸なことに、酒の酔いを知り、芸術の陶酔を知ってしまいました。
 それを、最高の虚言、などと強弁する気は、私にはありません。

 せめて中毒で命を落とさないようにしたいものだと思っています。 


にほんブログ村


人気ブログランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日

2017年08月22日 | その他

 今日は私の誕生日。
 48歳になりました。
 昨夜、実母から高級鰻がたくさん贈られてきました。


 年のせいか、ちょっと前まで職場でに倦怠感に悩まされていたのですが、ハイチオールCポポンS、さらにしじみ習慣ヘパリーゼを飲むようにしたら、元気になってきました。
 休みの日は元気なんですけどねぇ。
 精神的なものでしょうか。
 でもビタミン剤が効くのだから、やっぱり加齢による肉体の衰えのような気もします。

 ビタミン剤、馬鹿にしてはいけませんね。

【第3類医薬品】ハイチオールCプラス 180錠
エスエス製薬
エスエス製薬

 

【第3類医薬品】ヘパリーゼプラスII 180錠
ゼリア新薬
ゼリア新薬

 

ポポンS(240錠) [指定医薬部外品]
シオノギヘルスケア
シオノギヘルスケア

 

しじみ習慣 60粒 黄金しじみ
日本食研
日本食研

 金はかかりますが、健康にはかえられません。

 これからは衰える一方なんでしょうか。

 運動でもすれば良いんでしょうが、私はなにしろ運動が嫌い。
 せめて散歩くらいはするようにしないといけませんね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラージュ

2017年08月21日 | 文学

 今日は職場が電気設備点検のため、臨時のお休み。
 3連休になりましたが、体調が悪く、ほぼ引きこもりです。

 で、小説を読みました。

 「プラージュ」という作品です。

プラージュ (幻冬舎文庫)
誉田 哲也
幻冬舎

 一階が昼は定食屋、夜が飲み屋になる飲食店で、その名前がプラージュ。
 二階は7部屋あるシェアハウスになっています。

 このシェアハウス、ちょっと変わっています。
 住民は全員前科者。
 そして、部屋にドアはなく、カーテンがあるだけです。

 ここでの様々な出来事を描いた、一種の人情喜劇のような印象ですが、ラストは衝撃的です。

 前科者がなかなか社会に受け入れられずに苦しむ姿が、乾いた印象で語られます。

 犯罪を犯した過去はかえられないとしても、罪を償い、再スタートをきろうとしている人々への差別は許されるのか、と鋭く問いかけます。

 ちなみにプラージュとはフランス語で海辺のこと。

 海と陸地の狭間に、犯罪者との社会との断絶を象徴させているようです。

 本来重くなるテーマを、読みやすくて面白いエンターテイメントに仕上げた技量はたいしたものだと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調管理

2017年08月20日 | その他

 昨日はせっかくの土曜日だというのに、くしゃみと微熱で、風邪薬を飲んで一日寝ていました。
 そうしていると、なんだか考えが良くないほうに進むようで、将来を悲観するばかり。

 でも今朝は爽やかに目覚めることが出来ました。

 体調管理の重要性を再認識したところです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千年

2017年08月18日 | 文学

   来週の火曜日、8月22日は私の誕生日。
 48歳になります。

 48年なんて、長い歴史から見ればわずかな期間です。

 人間の歴史は宇宙の歴史からみれば一瞬ですが、それでも、現在を生きる私としては、とてつもなく長い年月の積み重ねに感じます。

 そういえば、子供の頃は冷房は居間にしかなく、扇風機だけの自分の部屋で眠らなければならない真夏は過酷でした。
 学生の頃、実家が農村の友人宅を尋ねたら、トイレは水洗になっておらず、築100年の茅葺の家で、まるで日本昔話のようだと驚いたことがあります。
 台所は土間で、居間は板の間で囲炉裏がありました。

 近年の技術の進歩はすさまじい勢いで、情報環境をはじめとして、30年前の暮らしと現在とでは、大きく異なっています。

 今私がこうして当たり前のようにアップしているブログも、ほんの20年ほど前までは、ほとんど見当たりませんでした。

 時代は移ろい行くようです。

 そう思うと、千年も昔のことなど、想う術とてありません。 

 千年を 世界の人の あゆみける 路ほそぼそと 眼にうかび来る   

 窪田空穂の短歌です。


 千年の歩みなんて、眼には浮かびませんが、壮大な歌だと思います。

窪田空穂歌集 (岩波文庫)
大岡 信
岩波書店

 千年王国という言葉がありますね。
 もともとはキリスト教の言葉で、様々な解釈があるようですが、キリスト受難の後、キリスト教の教えが広まり、千年間もの至福の時代が訪れ、その後神と悪魔との間で最終戦争(ハルマゲドン)が起き、最後の審判が行われる、というふうに私は理解しています。

 ナチもまた、第三帝国のことを千年王国と称していましたね。

 千年というのは、儚い人間にとって、永遠という意味もあったのではないかと推察します。

 千年の歩みがとてつもなく長いと感じるのと同様、あるいはそれ以上に、これからの千年を思い浮かべることは困難です。

 科学技術はどれだけ進歩するのでしょう?
 人間社会の在り様は?
 そもそも人間は生き残っているのでしょうか?

 私がいくつまで生きるのか知りませんが、どれだけ長生きしたって100歳がやっとでしょう。
 千年先の世界が穏やかであらんことを祈るほかありません。


にほんブログ村


人文ランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒れる為政者

2017年08月16日 | 社会・政治

  最近、米国政府は北朝鮮への先制攻撃が政策オプションの一つであることを公言するようになりました。
 まして、グアムに北がミサイルを発射すれば、それを理由に北を攻撃することは不可避であるように感じます。
 ていうか、もはや米国は開戦を決意し、良い口実を探しているのでは、とさえ勘ぐりたくなります。


 思えば10年以上、北のミサイル発射実験や核開発に対し、米国をはじめとする各国は、経済制裁を繰り返してきました。
 しかし、経済制裁は奏功せず、北のミサイル能力はいよいよ高まってしまいました。

 米国にしてみれば、これ以上待てない、というのが本音ではないでしょうか?

 これ以上時間を与えたら、北は核弾頭を搭載したミサイルを米国本土に撃ち込む能力を持ってしまいます。
 そうなる前に、北の核施設、ミサイル施設を破壊しなければ取り返しがつかなくなると考えても不思議ではありません。

 米国はわが国と異なり、第二次大戦後、主なものだけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と、年がら年中戦争をしており、戦争に対するハードルが低い国だというのも、不安材料です。


 もし米国と北が戦うということになれば、米国は金委員長を逮捕もしくは殺害し、北朝鮮の現体制を崩壊させるまで戦い続けるでしょう。
 かつて大日本帝国や、フセインのイラクに対してやったように。

 もちろん、米国は北と戦う前に、中国やロシアに介入しないよう確約を取る必要があります。

 また、わが国や韓国にも、協力を取り付けようとするでしょう。

 その時、わが国はどうすれば良いのでしょうね。

 もし北と米国が本気で戦えば、北は、米軍基地があり、米国と同盟国であるわが国や韓国に対し、ミサイルを多数撃ってくるでしょう。
 そうなれば、わが国も韓国も無傷ではいられません。
 もし北が米国戦を始めたと同時に、東京や大阪などの大都市圏を狙ってミサイルを発射したらと思うとぞっとします。
 ていうか、ほぼ間違いなく発射するだろうと予想します。
 東京もソウルも火の海になりかねません。


 そうなったら、わが国は戦争当事国であり、犠牲は想像を絶するものになるでしょう。

 さらに、仮に北が破れて体制が崩壊したならば、朝鮮半島には統一韓国が生まれるのか、南北それぞれに親米政権が生まれるのかは分かりませんが、難民がわが国に多数押し寄せ、さらには被害を受けた朝鮮半島への援助も必要になるでしょう。

 しかもそれが起こるのは、何年後というスパンではなく、何か月後という単位で考えるべきものと思います。

 米国から協力を求められた時、わが国が拒絶し、中立を保つというオプションがあり得るでしょうか?
 あり得るわけがありません。
 わが国が中立を宣言しようが、現にわが国は米国に守られているわけですから、北は容赦なくわが国を攻撃するでしょう。

 悪夢のようなシナリオを描いてみました。
 しかしこれは、荒唐無稽な話ではなく、現実に起こりうることだと思います。

 米国はある他国を叩き潰そうと決意した場合、必ず実行するし、その時になって外交だの対話だのと言ってみたところで、虚しいかぎりです。

 わが国にとって悩ましいのは、なにしろ北が近いことです。
 米国はおそらく、わが国の国民や韓国国民に犠牲がでても仕方ない、それよりも長期的に北の体制を維持させるほうが危険だと、思っているでしょう。

 しかし、実際に死傷者がでるであろうわが国や韓国にとっては、大変な事態です。

 自国の防衛を自ら担うことをせず、米国に頼ってきたツケが、ついに回ってくるのかと、暗澹たる気持ちになります。

 この私の予想が、杞憂に終われば本当に良いと思います。
 
 脅しあいを続けながら、決してドンパチは始めない。
 もちろん、互いの利益になるのは、ドンパチを始めないことであるのは自明です。

 互いが、怒れる為政者を装いつつ、じつは冷静でいてくれると良いのですが。

 
にほんブログ村


政治ランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間違った考え、あるいは先人の知恵

2017年08月16日 | 思想・学問

  首都圏の、ここ数日の雨とそれに伴う気温の低さは少々異常に感じられます。
 今週いっぱいはこんな感じなんだとか。

 来週、8月も下旬にいたって暑さがぶり返したところで、それはほとんど残暑と言っても良いでしょう。
 今年は冷夏なんていうものじゃなく、梅雨が明けたら秋がきた、みたいな感じです。

 昔だったら雨乞いの逆、なんて言うのか知りませんが、気象の神様の魂を鎮める儀式でも執り行ったことでしょう。

 今はそんなことはしませんが。

 しかし、合理的精神というか、科学的精神というか、そういうものはこの世を生きる動物の一種である人間にとって、万能ではないことは明らかです。
 科学や理屈では判明していないことはあまた在るわけですから。

 むしろ、祈祷、あるいは呪いと言った、現在否定されている精神的な行動、魔術的思考とも言うべきものも、人間には必要なのだろうと思います。
 それは経験的に。
 そして例えば、慰霊祭やら葬式やら、一見無駄に思えるようなことも、現代に脈々と受け継がれ、むしろそれは大切な行為だとみなされています。

 また、例え、精神病だというのが本当だとしても、本人や家族が悪魔憑きとか狐憑きだと信じていれば、エクソシズムやお祓いも有効でしょう。

 そういった前近代においては当然だった祈祷や呪いと言った行為を、間違った考え、に基づくものだと捉えずに、先人の知恵と考えたほうが、私には納得がいきます。

 私は超自然的な現象、幽霊やら、念力やらといったものに対して、ニュートラルな考えを持っています。
 それらが存在するともしないとも言えないと思います。
 少なくともそれらを人間が観念上の存在としてであれ、生み出したのであれば、それは観念上は存在することになります。

 しかし、現実にそれらが存在することが科学的に証明されたのなら、それは超自然現象ではなく、当然にこの世に存在する自然現象ということになるでしょう。
 そうなると都合の悪いことが起こります。

 文学の祖というべき神話、また、祖を正統的に受け継ぐ耽美的で幻想的な文学作品、お伽噺、SFなど、人間の想像力が生み出した素敵な物語群が、陳腐なものになってしまうでしょう。

 そうなったらつまらないでしょうねぇ。
 不思議は不思議のままで、奇妙なお話は奇妙なままで、人間の想像上にだけ存在してくれたほうが、はるかに魅力的だと思います。

 変に涼しい雨の8月、窓から外を眺めながら、深いもの思いに沈むお昼休みです。 


にほんブログ村


人気ブログランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦

2017年08月15日 | 文学

   今日は終戦記念日。
 例年であれば、狂気じみた暑さに襲われますが、今日はしとしと雨。

 涙雨、でしょうか?

 終戦のち 一年を過ぎ 世をおそる いきながらへて 死をもおそるる  齋藤茂吉

斎藤茂吉歌集 (岩波文庫)
山口 茂吉,佐藤 佐太郎,柴生田 稔
岩波書店

  たゝかひは 永久(トハ)に やみぬとたゝかひに 亡(ウ)せし子に告げ すべあらめやも  釈迢空

釈迢空全歌集 (角川ソフィア文庫)
岡野 弘彦
KADOKAWA/角川学芸出版

 72年目の終戦記念日を迎え、とくに思うところはありません。

 戦時中、戦争協力をしたことで、戦後、反省の日々をおくった齋藤茂吉。
 反省などしなくてよいのに。
 祖国が総力戦に突入してしまったら、祖国の勝利を信じて出来うるかぎりの協力をするのがどこの国でも当たり前なのに。
 それを許さないGHQ、そしてわが国の戦後の言論空間が怖ろしいです。

 切ないですねぇ。

 義理の息子を戦争で亡くした釈迢空。
 義理の息子と言いながら、事実上は同性の恋人でしょう。
 老いた歌人であり国文学者であった彼には辛いことでしたでしょう。

 この趣の異なる二首を紹介して、終戦記念日の記事に代えたいと思います。


にほんブログ村


人文ランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハーバーシティ

2017年08月14日 | 散歩・旅行

   昨日は3連休の最終日。
 家にいても憂鬱がつのるし、外は暑いので歩きたくない、ということで、千葉市湾岸地区に位置する巨大ショッピングセンター、ハーバーシティ蘇我に出かけました。

 ホームセンター、ヤマダ電機、イトーヨカドー、ショッピングモール、シネコン、ゲームセンターが並ぶ巨大な施設で、夏場に歩数を稼ぐにはうってつけです。

 多くの家族連れなどが、休日のひと時を楽しんでいました。

 世界を見ると、北のデブがグアムにミサイルを撃ち込むなんて勇ましいことを言ってくれちゃってます。
 また、それを受けた米国大統領が、北は見たこともないような怒りと炎に直面する、みたいなことを言って北のデブを脅しています。

 脅し合戦ですか。

 しかし、わが国のショッピングセンターを歩いていると、そんなことが嘘のように平和に見えます。

 もし本当に北がグアムにミサイルを発射すれば、わが国もただでは済まないことは明らか。

 下手をすれば、本当に戦争に巻き込まれてしまうかもしれません。

 この平和が束の間の幻ではないことを祈るばかりです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手料理

2017年08月12日 | その他

 昨夜は17時から23時まで、目黒のマンションに一人暮らしをする女友達の部屋で、千駄ヶ谷の公務員宿舎に住むもう一人の女友達と3人で、ゆっくりと語り合いました。

 目黒の友人がふるまってくれたのは、様々な野菜がふんだんに入ったサラダ、手作りのミートローフ、それにパスタです。

 私はワイン2本と缶ビール3本を持ち込み、千駄ヶ谷の友人は各種チーズやフルーツを持ち込んでの小宴です。

 共通の知人の近況や、最近のそれぞれの生活などの話で、つい、遅くなってしまいました。

 また秋、どこかのお店で再会することを約し、帰りました。

 なんだか得がたい友人になってしまったようです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご招待

2017年08月11日 | その他

 今日は目黒のマンションで一人暮らしをする古い女友達から、自宅へご招待されました。
 私と、もう一人、千駄ヶ谷の公務員宿舎に住む女友達と二人で。

 夕方5時集合で、ささやかなホームパーティーといったところです。

 このブログで何度か会食したことをお知らせした、あの二人です。

 赤白のワイン一本づつと、白いブリザーブドフラワーをお土産に持っていく予定です。

 目黒在住の友人はなかなかの料理上手で、3年ほど前にも一度マンションを訪れています。

 楽しんでこようと思っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盛夏

2017年08月09日 | 文学

 昨日、今日と、いよいよ暑くなってきました。
 まさしく、盛夏。

 もう20年も、日焼けすらしていない軟弱者の私にしてみれば、死を連想させるような過酷な季節です。

 蝉は鳴き、命の盛りのような盛夏に、死が感じられるとは不思議なものです。 

 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

 俳聖、松尾芭蕉の句です。

 俳聖もまた、蝉の声に死を感じていたのでしょうか。

 しかし、夏は短く、儚くもあります。

 この狂い死にしそうな季節を、どうやってやり過ごそうかと思っているうちにも、盛夏は終わってしまうのでしょうね。 

 
にほんブログ村


人文ランキング


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする