ブログ うつと酒と小説な日々 その上しょっちゅうホラー映画  

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさん(とびお)の日記

箱根、芦ノ湖

2017年08月31日 | 散歩・旅行

 昨日から日曜日まで、短い夏休みに入りました。

 今年は箱根、芦ノ湖畔の箱根ホテルに2泊して、のんびりすることにしました。

 千葉市の自宅を9時に出発。
 あいにくの雨模様でしたが、11時50分に芦ノ湖畔に着いた時には、雨は上がっていました。
 
 ラッキーです。

 芦ノ湖には、名物、海賊船が。

 

 


 曇りでしたが、雨に降られるよりはるかにマシです。

 芦ノ湖畔のレストランで、鱒のバター焼き定食の昼食。
 
 その後芦ノ湖畔をぶらぶらして、箱根関所跡に。
 


 関所が再現されていました。

 思ったより狭いのですね。
 箱根の関といえば有名なので、もっと広いかと思っていました。

 そのまま箱根恩賜公園まで歩き、展望台に建つ、かつての皇族向けの洋館で珈琲などいただいて体を休めました。

 で、箱根ホテルにチェックイン。
 楽天トラベルで予約したら安かったのですが、着いてみてびっくり。
 
 立派なホテルです。
 部屋も広くて、全面ガラス張りの窓からは、芦ノ湖から富士山までが臨めます。

 それもそのはず、箱根富士屋ホテルの系列なのです。
 腐っても富士屋ホテル、でしょうか。

 ウェルカムドリンクに、林檎ジュースか、林檎ジュースとテキーラのカクテルが選べたので、湖畔のバーで私はカクテルを、同居人はジュースを楽しみました。

 残念なのは、温泉が狭いこと。
 多分、かつては欧米人向けの本格リゾートを目指したのでしょうね。
 それで温泉に力を入れなかったのではないかと思います。

 温泉に入ったところで、この後18時からフレンチの夕食です。

 短い夏休みを満喫したいと思います。

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アクセス

2017年08月30日 | 文学

 昨日、ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞したという小説を読みました。

 「アクセス」です。

アクセス (新潮文庫)
誉田 哲也
新潮社

 うーん、微妙。

 インターネットが登場してから、この手の作品はやたらと増えましたが、なかなか上質のものは生まれません。

 少年少女たちの冒険譚として読めば、恋あり、女同士の友情あり、援助交際にいそしむ美少女ありで、そこそこ楽しめますが、あくまで子供向きのような気がします。
 

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夏風邪

2017年08月30日 | その他

 先週金曜日から、夏風邪でダウンしていました。

 微熱と咳だけだったので、金土日は市販の風邪薬を飲んで寝ていましたが、一向に良くならないため、月曜日に内科を受診。
 薬がたくさん出て、大分回復しました。

 タイミングが良いというべきか悪いというべきか、今日から今週一杯夏休みを取っています。

 予定では、明日から2泊3日で芦の湖畔のホテルにr滞在する予定。
 多分千葉市からでも車で2時間半もあれば着けるでしょう。

 病み上がりでよいのかなという気もしますが、旅行は年に一回

 ゆるい旅程にして行ってこようかと思います。

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芸術と酒なしで生きる

2017年08月24日 | 思想・学問

   夏の終わりが近づいているようです。
 今さら感が漂う今日の暑さも、夏の断末魔のような気持ちさえしてきます。

 この猛烈な残暑のなか、ぼんやりとした頭で、はるか昔に読んだ、芸術についての思索が浮かんでは消えていきます。
 芸術もまた、儚い夏の如くだからでしょうか?

  芸術論というのはあまりにもたくさんあって、正直、何が何だかわかりません。

 しかし、ニーチェ中期の芸術観は分かりやすいのではないでしょうか。

 芸術と酒なしで生きること。-芸術作品は酒と同じような事情にある。つまり、両方とも必要とせず、いつも水ですませ、その水を塊の内部の火、内部の甘美さでくりかえしおのずと酒に変えていくほうがずっとよいのである。

 「人間的な、あまりに人間的な」という著作にみられます。

人間的な、あまりに人間的な〈上巻〉(新潮文庫) (1958年)
阿部 六郎
新潮社

 

人間的な、あまりに人間的な〈下巻〉(新潮文庫) (1958年)
阿部 六郎
新潮社




人間的な、あまりに人間的な (まんがで読破)
ニーチェ
イースト・プレス


 正直難解ですが、この一節はすとんと腹に落ちます。

 芸術を、陶酔を求める酒か麻薬のようなものと見なすのは、分かりやすいし、一面の真実を突いているように思われます。
 特に自ら創造する芸術家本人よりも、それを享受する芸術愛好家においては、その傾向が強いように思います。
 かくいう私もそうです。

 しかしニーチェの芸術に対する態度は、前期、中期、後期で大きく異なります。

 上に紹介した言葉は中期のものです。

 前期においては、自然そのもの、宇宙そのものが、根源的な存在によって創造された芸術であり、人間の芸術家は、根源的な存在が自らの救済を祝う媒体、とされています。

 「悲劇の誕生」に見られます。

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,塩屋 竹男
筑摩書房

 自然や宇宙そのものを一種の芸術と見なす見方も一般的ですが、人間の、個々の芸術家を上のように捉えるのは私には理解できません。
 そんなご大層なものではありますまい。

 前期の芸術への見方から、中期にいたって、酒のようなものだという見方に変わりながら、後期にまたもや大転換を遂げます。

 芸術は偉大な、生を可能にする者、生への偉大な誘惑者、生の偉大な刺激剤である。

 「権力への意志」に見られます。

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,原 佑
筑摩書房


ニーチェ全集〈13〉権力への意志 下 (ちくま学芸文庫)
Friedrich Nietzsche,原 佑
筑摩書房

 さらに、現実世界は偽りであり矛盾にみち無意味である。このような現実を克服して生きていくためには、われわれは真理ではなく虚言を必要とする。(中略)芸術は虚言の最高の形式である。

 
とまで、考えは進みます。


 しかし、この後期の言葉は、前期に回帰したものでは全く無いことに気づきます。
 前期においては、ほとんど芸術を称揚しているように見えます。
 中期においては、芸術は酒か麻薬のような無用なものと捉えられます。

 しかし後期においては、世界が偽りであり無意味なのであって、虚言こそが人間に必要であり、その最高のものが芸術だと言うわけですから、前期に見られた世界そのものを芸術と見なす考え方は消え去り、むしろ無意味だからこそ人間による虚言であるところの芸術が必要だと説かれます。

 哲学者の言うことが年代によって変わるのはよくあることで、お釈迦様ですら、悟りを開いた直後の説法は難解であったのが、年を取るごとにより分かりやすくなっていったと伝えられます。

 ですからニーチェが年代によって異なる芸術観を持つこと自体は不思議なことではありません。

 しかし、その変わりようが少々極端であるような気がします。

 私自身は、中期の、酒か麻薬のような、どちらかと言えば遠ざけておいたほうが良い物のように思っています。
 そんなものを知らずに過ごせれば、どんなにか良いでしょう。
 しかし、私たちは不幸なことに、酒の酔いを知り、芸術の陶酔を知ってしまいました。
 それを、最高の虚言、などと強弁する気は、私にはありません。

 せめて中毒で命を落とさないようにしたいものだと思っています。 


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誕生日

2017年08月22日 | その他

 今日は私の誕生日。
 48歳になりました。
 昨夜、実母から高級鰻がたくさん贈られてきました。


 年のせいか、ちょっと前まで職場でに倦怠感に悩まされていたのですが、ハイチオールCポポンS、さらにしじみ習慣ヘパリーゼを飲むようにしたら、元気になってきました。
 休みの日は元気なんですけどねぇ。
 精神的なものでしょうか。
 でもビタミン剤が効くのだから、やっぱり加齢による肉体の衰えのような気もします。

 ビタミン剤、馬鹿にしてはいけませんね。

【第3類医薬品】ハイチオールCプラス 180錠
エスエス製薬
エスエス製薬

 

【第3類医薬品】ヘパリーゼプラスII 180錠
ゼリア新薬
ゼリア新薬

 

ポポンS(240錠) [指定医薬部外品]
シオノギヘルスケア
シオノギヘルスケア

 

しじみ習慣 60粒 黄金しじみ
日本食研
日本食研

 金はかかりますが、健康にはかえられません。

 これからは衰える一方なんでしょうか。

 運動でもすれば良いんでしょうが、私はなにしろ運動が嫌い。
 せめて散歩くらいはするようにしないといけませんね。

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