元旦。
みなさま明けましておめでとうございます。
例年ですと、実家やら友人やらとしこたま昼酒を呑む日と決まっていますが、今年は昼酒は無し。
昼酒を呑まない元旦なんて、20歳を過ぎてから初めてかもしれません。
11:30に施設を訪れて義母を同居人の実家に連れていきました。
美濃吉のおせちとノンアルコールビールであまりにもささやか宴。
参加者は私と同居人、それに義母の3人だけです。
そういう状況で、昼酒など飲む気になれません。
義母はおせちと餅を食って、正月が来た、と喜んでくれました。
しかし老齢による体力不足のため食事は60分で終了。
その後は良く日が当たるリビングでウトウトしたりして、14:00には施設に送り届けました。
明日、明後日はフリー。
久しぶりに着物を着て、千葉神社にお参りし、そごう千葉店の初売りにでも行きましょうか。
大晦日を迎えました。
昨日の晩、にわかにインターネットに繋がらなくなりました。
我が家は未だに有線LANを使っています。
IT関係者の誰もが、有線が最強だと言うので。
原因が分からなくて、NTT東日本に電話で問い合わせました。
症状を話すと、モデムは正常に動いているようなので、ルーターの問題だろうと言うことで、今朝、近所の家電量販店に行って新しいルーターを購入。
早速ルーターを繋いでみると、呆気なくつながりました。
今年最後の仕事は、インターネットに再接続することになりました。
今年を振り返ってみると、仕事では、4月に異動になったこと。
ひどく忙しい部署で、超過勤務手当は跳ね上がりましたが、私は金より時間が欲しいと思いました。
ようやくそれにも慣れてきましたが、忙しいというのはしんどいですね。
プライベートでは、同居人がファンであったBABYMETALを聞くというか観るようになったこと。
メタルダンスユニットということで、ダンスを観ないと、聞くだけでは楽しめません。
そこでDVDを何本も購入しました。
2010年に結成された少女3人のグループです。
当時は中学生だったということで、まるで子供ですが、少しづつ、成長してきたように見受けられます。
2018年に3人のうちの1人が脱退。
2人のグループになってしまいますが、日替わりで3人目の役に助っ人をたて、公演を続けてきました。
2021年の10月に封印と称して活動を休止しましたが、来年の1月から再開するそうで、ユーチューブで盛んに新曲の「神撃」と「Monochrome」を流しています。
BABYMETAL - Divine Attack - 神撃 - (OFFICIAL VISUALIZER)
BABYMETAL - Monochrome (OFFICIAL LYRIC VIDEO)
そろそろ20代半ばを迎えるそうで、少女とは言えなくなりましたが、大人の迫力でガンガン活躍してもらいたいものです。
世界では韓国の少女アイドルが大層な人気らしいですが、女の子っぽさを前面に出すためか、クネクネ踊るのが気色悪くて、私は好みません。
BABYMETALは当初わが国では人気が出ず、なぜかヨーロッパで人気が爆発、その後米国や南米でも人気が出て、日本では逆輸入という形で人気グループになったんだそうです。
私はこのグループ、日本の伝統文化を継承しているように感じます。
単に海外で人気が出ても頑強に日本語で歌い続けているからというだけではなく、狂気を帯びたパフォーマンスの中に、どこか軽みと滑稽さが混じり、それが日本的だと感じます。
わが国では、小難しいことを言っていた文化人等が、年を取るごとに軽みを身に付け、進んで馬鹿げた行いに及ぶことがよくあります。
真にNationalな物しかInternational にはなれない、と喝破したのは石原慎太郎でしたか。
本当にそうだと思います。
軽みこそ、日本文化の肝だと思います。
社会では、コロナが延々と続いていること。
私の部署でも3人のコロナ患者が出ました。
そして安倍元総理の暗殺。
さらには終わりの見えないロシアとウクライナの戦争。
嫌なニュースばかりです。
私は愚かなニュースに辟易しながらも、メタルダンスユニットのDVDで癒されています。
50歳を過ぎてそういう物を好むようになったことは、私もまた軽みを纏ったのかもしれません。
私の愚かなブログを愛読してくださる皆様、誠にありがとうございます。
令和5年という年が、皆様にとって幸多いものであることを願ってやみません。
それでは、良いお年を。
年末は忙しいですね。
今日は午前中、同居人の実家に行って、掃除というか片づけをしました。
義母が施設に入って誰も住まなくなった家は、どこか殺伐としています。
また、老人の独り暮らしだったがゆえ、おそらく片づけるのが億劫になったんでしょう、ゴミ屋敷とまでは言いませんが、あちらこちらに物が散乱していて、どうすれば良いのか分からず、しばし呆然としました。
締め切っているので、変な匂いが漂っています。
まずは家中の窓を開けて換気し、片づけるというよりは、物を一室に集めるような作業をしました。
どうにかリビングで小宴を開けるかな、というくらいにするまで、3時間はかかりました。
元旦は自宅で昼にお餅が食べたいという義母の願いをかなえるためです。
昼は牡蠣のクリームパスタなるものを食し、買い出しへ。
今日の夕飯の食材やお飾り、鏡餅を購入しました。
さらにマスクを大量購入し、万が一のために抗原検査キットと解熱鎮痛剤を買いました。
それだけで、かなり疲労してしまいました。
体力が落ちていると実感します。
やっと一通りの仕事が終わって夕方帰宅すると、義母から電話。
やっぱり悪いから正月は施設で過ごす、とのこと。
拍子抜けとはこのことです。
同居人がおせちもお餅も準備し、家も片づけたと言うと、しぶしぶのように、じゃあ帰る、とか。
この我儘は持って生まれたものでしょうか。
来年84歳になる義母。
私がその年まで生きられるかどうか分かりませんが、その年になって初めて気持ちが分かるのかもしれません。
孝行のしたい時には親はなし、とか言います。
それは私たちには当てはまらないようです。
とにかく義母の希望を叶えるしかないのですが、その希望が二転三転するのがかないません。
老いるということをまざまざと見せつける義母の行いを見るにつけ、人間の一生の儚さを嘆く他ありません。
今この時代をともに生きている人々、150年後には誰も生きてはいないでしょう。
だからこそ、老人も子供も、同時代を生きる同志として、全ての人が愛おしく感じます。
人間は生まれた時から一直線に死に向かっていく運命を持っています。
いわば全員死刑囚。
そのことを実感すれば、ウクライナで起きているような愚行は犯せないと思うのですが。
今日から年末年始の休暇に突入しました。
午前中は年賀状をやっつけて、リビング、キッチン、寝室、自室と、掃除機をかけました。
それだけで、けっこう疲れます。
お昼は近所の中華屋でタンメンを食しました。
よく晴れて風も無かったので、そのままご近所散歩。
普段歩かないので、気持ち良いですが、少々疲労して帰宅しました。
喉が渇いたので、熱い珈琲を淹れました。
お気に入りのエメラルド・マウンテンです。
ここ数年、正月と言っても雑煮もおせちも食っていません。
おせちは嫌いな物ばかりが詰まっていますし、雑煮も好みません。
そもそも餅があまり好きではありません。
今度の元旦は、義母を施設から義母にとって愛しの我が家である実家に連れて帰り、高島屋のおせちと餅を食う予定です。
義母も雑煮は好まないので、磯辺焼を食う予定です。
義母は日帰りで、元旦のうちに施設に戻りますが、それでも自宅に帰れるのは嬉しいようです。
その前に同居人の実家を訪れて、換気と掃除をしなければなりません。
長く人が住まないと、家は荒れると言います。
同居人の実家も閉め切っているせいで、悪臭がするそうです。
同居人は郵便物を取りにしょっちゅう実家に行っているので、その悪臭が気になるようです。
年末年始の休みはどこか慌ただしく、ゆっくり休めません。
だからと言って、出勤したいとはかけらも思いませんが。
無事、今日で仕事納めとなりました。
これからわずか6日間の年末年始の休暇となります。
12月29日から1月3日まで。
お盆休みと比べて、年末年始の休みは慌ただしく過ぎてしまいます。
掃除をしたり、昼酒を呑んだり。
父が健在な時は、元日の昼、同居人の実家で宴会、夜、私の実家で宴会というダブルヘッダーをしていたこともあります。
あれは疲れました。
でもまだ30代だったので、多少の気力、体力があったのでしょうね。
今年は施設に入っている義母が年末年始は家に帰りたい、というので、閉め切って黴臭くなり、独居老人の自宅の多くがそうであるように、物が散乱している同居人の実家を掃除、換気して、義母を迎えに行かなければなりません。
自宅の掃除なんて思いも及びません。
おせち料理を作ることは出来ないので、高島屋のおせちを頼んであります。
大晦日に到着予定です。
年末年始は義母につきっきりでしょうね。
わずかな距離なら歩けるものの、ほぼ車椅子で生活していますから、門扉から玄関までの数段しかない階段が心配です。
まして風呂に入りたいなんて言われたら一大事です。
施設には体が不自由になった老人を入れるための様々な工夫を凝らした浴室があり、介護のプロが入浴を助けてくれますが、普通の風呂で、素人の同居人が義母を風呂に入れるのは絶望的なほど困難です。
でもきっと、それがどれだけ危険なことかを懇々と説いても、入りたいの一点張りで押しとおしてしまうのでしょうね。
年を取るとどうしても我儘になるようです。
最近の私のブログは義母に関することが増え、しかもどうしても愚痴っぽくなってしまっていることにご愛読くださる皆さまは気付いていることと思います。
自分でもいかんとは思うのですが、あまりにも生活に良くない影響を受けているので、つい、記事にしてしまっています。
今年の最大の反省点です。
今日、先般購入した新しい冷蔵庫が届きました。
我が家は二人で暮らしていますが、奮発して4~5人向け、と書いてあった大型の物を購入。
23万円と、少々痛い出費ではありましたが、前の冷蔵庫、20年も使い、もはや骨董品どころか化石のような物だったので、大きく、様々な機能が付いた新しい物を手に入れたことは新鮮な喜びがあります。
考えてみると、人間は一生のうちにあまりにも多くの物を購入します。
高い物から言うと、家、車、各種家電、時計、パソコン、スーツなどなど。
しかもそれらは経年劣化するのでいずれ買い替えなければなりません。
それらが買える程度の給料をもらい、どうにか生活する毎日です。
資本主義の悪魔とでも申しましょうか、稼いだお金は借金をすること無く、小銭を貯められるくらいの金額で、いつも搾取されているような気持ちです。
しかし人並みの暮らしがしたいと思えば、それらの生活必需品と呼ばれる贅沢品を買わなければなりません。
消費すればお金がまわり、経済が良くなると言いますが、わが国は貧乏街道をまっしぐらに突き進んでいるように感じます。
わが国はどこで間違えたんでしょうね。
その一つは、国債の発行。
財政法で国債の発行は原則禁じられていますが、原則ということは例外があるということ。
1965年に1年限りの特例措置として国債が発行され、1年かぎりのはずだったのに、その後毎年発行されることになりました。
まるで闇金に手を出すような話です。
国債は雪だるま式に膨れ上がり、わが国の財政状況は異常なまま何十年も経ってしまいました。
税収だけで賄えるような、小さな国家のままでいれば良かったものを、借金の繰り返しでやっていこうなど、狂気の沙汰です。
初めて国債の発行を決めた時、当時の大蔵省ではついに禁じ手を使ってしまった、という意識が共有されていたと聞き及びます。
それが今では国債ありきで予算組みを行うのが当たり前になってしまいました。
国債の発行を抑えるには、大増税が手っ取り早い方法だということくらい、猿でもわかります。
しかし国民から選ばれる政治家は、票にならない増税なんて、おくびにも出しません。
労働人口は減って高齢者が増え、国家財政を圧迫しています。
今年はウクライナとロシアの戦争のせいで電気代が高騰し、就職して初めて、年度途中に予算を10%留保するようお達しが出ました。
昼休みは照明もパソコンも消して、お通夜のようです。
これがわが国の現実です。
財政破綻しないのが不思議ですが、なぜか日本の国債は信用度が高いらしく、それをもってしのいでいます。
私たちは、沈みゆく国で日々を暮らしていると言っても過言ではないでしょう。
この泥船を豪華客船に変貌させることが出来るような、そんな奇跡のような政治勢力が現れないかと、夢想するばかりです。
今日は穏やかに晴れた小春日和 でした。
朝一番で散髪に行き、買い物をしたり昼寝をしたりしてのんびり過ごしました。
16時半から精神科の診察があるため、出かけなければなりません。
面倒くさいですが、精神病薬は私にとって生活を維持せしめるために必要不可欠なもの。
行かないわけにはまいりません。
今日はクリスマスイヴなのですね。
今でこそクリスマスイヴなんて言っても穏やかなものですが、バブルの頃は恋人と過ごす日と決まっていて、相手がいない者は非人のように扱われたものです。
私はそんな風潮に反感を持ち、毎年静かに読書などして過ごしていました。
大体クリスマスと言えば異教の祭り。
わが国の人々はほとんどが無宗教ですから、そんなものにかこつけてバカ騒ぎをするなど、お門違いも甚だしいというものです。
クリスマスと言い、正月と言い、季節の風物詩を大事にるのは結構なことですが、それも一種の捕らわれに過ぎません。
クリスマスはこう過ごすべき、正月はああすべき、という。
翻って人間と言う者、なんと多くの物に捕らわれていることでしょうか。
正規の職について、結婚して子供をもうけるのが幸せだという固定観念に捕らわれ、そうでない者を馬鹿にしたり。
サラリーマンで言えば上位の肩書を欲しがったり高い年収に拘ったり。
私もサラリーマンの端くれですから、そういう気持ちも分からないではありません。
しかしそんなもの、何の役にもたちません。
三食食えて、寒さをしのげる家があれば十分なはずです。
悲しいかな、それでも人はより多い収入、より高い地位を求めて、おのれの小さな欲望を隠そうともしません。
お釈迦様は29歳の時、妻子も王族という地位も捨て、出家しました。
出家というのは、執着を捨て去ろうということです。
我々凡人には出来ません。
禅に放下著(ほうげじゃく)という言葉があります。
何もかも捨ててしまえ、という意味になろうかと思います。
ある時、ある坊主が高僧に、何もかも捨てたのに、放下著と言われてももはや捨てる物がない、と異論を唱えたところ、「何も持たぬというその意識すら捨ててしまえ」と説きます。
苛烈な言葉です。
人間、生きていれば様々な物を担いでいかなければなりません。
財産、肩書、親族や友人との付き合い。
これらを全て捨て去ることは不可能で、放下著というのは、現実に全てを捨て去れということではなく、おのれが担いでいる物を誰に任せるでもなくただ担ぎながらそれに執着するな、という意かと思います。
私は単なる俗物に過ぎませんから、捨て去れと言われても戸惑うだけだし、多くの人がそうなのだろうと思います。
ただ、仕事や人間関係、あらゆる物から逃げ出したい、と思うことはしょっちゅうです。
それでも、自分の荷物は自分で担がなければなりません。
誰も代わりに担いでくれるはずがありません。
夏目漱石の「草枕」ではありませんが、とかくこの世は住みにくい、と思わせるクリスマスイヴです。
今日は朝から冷たい雨が降りました。
幸いにしてお昼頃にはやみましたが、寒波が列島を覆っているようで、強い寒さを感じます。
今日は冬至だそうですから、やむをえません。
私は事務職なので、暖房の利いた事務室で快適に過ごすことができます。
そのうえ車通勤なので、外を歩くことはほとんどありません。
それは有難いことですが、寒いものは寒い。
冬になると毎年ですが、晩酌の量が増える傾向にあります。
冷たい空気が体を冷やすせいか、自宅に帰ってから暖房を効かせつつ呑む熱燗や焼酎のお湯割りは抜群の威力を発揮し、体を芯から暖めてくれます。
誰でしたか、テレビタレントだったように記憶していますが、小学校まで歩いて2時間近くかかる雪国に生まれ育ち、冬場は体を温めるため、朝、親から酒を持たされたという話を聞いたことがあります。
体を温めるためとはいえ、小学生に酒を持たせなければならない親の気持ちというのはどういったものでしょうか。
辛いのか、あるいはその地方では当たり前のことで、何とも思わなかったのか、どっちでしょうね。
酒というのは確かに体を温める効果があるようで、私の晩酌が過ぎるのも寒さゆえです。
しかしそのせいか、あるいは寒さゆえか、朝起きるのは暖かい時期より何倍も辛く感じます。
若い頃は冬のピリピリした空気がむしろ清々しく感じて好きだったのですが、40前くらいから、極端に寒さに弱くなり、今は恐怖すら感じます。
おかげで晩酌が過ぎるわけです。
何か運動でもして筋力を付ければ寒さをあまり感じなくなるのかもしれませんが、そんな面倒なこと出来ないし、やる気もありません。
そのうえ、酒の飲みすぎによるものか、あるいは加齢による衰えか、物覚えが悪くなってきました。
私はかつて記憶力には自信があって、手帳なんか持ち歩かず、ほぼ予定を覚えていられたのですが、今はスマホにすべての予定を記載し、しかもそれを頻繁に見直さなければ、仕事に穴を開けるようになってしまいました。
私がかつてせせら笑っていた、役立たずのポンコツおじさんがここに誕生したようです。
人に起きる老化は自分にも起きる、と言います。
今まさに、それを実感しています。
今朝、朝食に卵を食べようと思って冷蔵庫を開けたら、全然冷えていないことに気付きました。
不思議なことに、冷凍室はばっちり冷えています。
今の冷蔵庫、もう20年も頑張ってくれましたが、いよいよ寿命のようです。
止む無く、近所の家電量販店で冷蔵庫を買いました。
23万円也。
ついこの前エアコンを買い替えたばかりだというのに、またです。
こんなことが続いたら、せっかくもらったボーナスが吹っ飛んでしまいます。
お金をお足と呼んだ江戸の庶民の気持ちがよく分かります。
本当に足が生えているかのように逃げ去ってしまうのですから。
師走。
久しぶりに魚屋に寄ったら、冷凍のカニやらイクラやら新巻鮭やら、正月っぽい物が売り場に多く並べられるようになりました。
そういう風景を見ると、年の瀬が近づいたことを実感します。
そういう物を見ると、なんとなく、近い過去を思い返したりします。
4月、私は新しい部署に異動しました。
仕事は猛烈に忙しいのですが、これも年まわりのせい。
部下の管理と上司からの圧力に負けそうになりながら、精神病薬の力を借りて、働き続けました。
不思議と、あまり憂鬱になることはありませんでした。
このまま定年まで働いて、年金暮らしになるのでしょうが、安定だけを求めた社会人生活です。
安定してはいますが、少しも面白くない仕事に、よくも30年もしがみついていたものです。
結局、怖かったのだと思います。
世間では高齢ニートだとか、引きこもりだとか、子供部屋おじさんだのという言葉を耳にします。
そういうものになるのが。
そしてコロナで外出の機会は減り、義母の我儘は激しく、人生半ばを超えて、楽しいことは減っていくようです。
考えてみれば、赤ん坊の頃は祝福され、幼稚園、小学校くらいまでは甘やかされて育ちました。
中学、高校と、自分はあまり頭が良くないと思い知らされるようになりましたが、それでも前途は洋々に見えました。
進学、就職、結婚、昇進と、途中精神障害を患いながらどうにか生きてきて、もはや祝福される存在ではありません。
若いうちは、女性であればちやほやされ、男であってもそこそこ可愛がられます。
若いということは、それだけで祝福されているのだと、今になって思います。
しかしそうは言っても、まだ30年くらいは生きなければならないし、生きてしまうんでしょうね。
義母は楽しいことなんて何も無い、と愚痴をこぼします。
多分それは本音で、未来の私を見るようです。
実母とは離れて暮らしていますので、詳しい状態は知りませんが、時折電話で話すかぎり、元気に老後を楽しんでいるようです。
実母は兄夫婦、独身の妹と暮らし、孫も社会人になって、曾孫にも恵まれました。
これと言った病気も無いようです。
その心の奥底は誰にも分かりませんが、ぱっと見は恵まれた老後だと言って良いと思います。
年を取ると、老化の個人差が大きくなります。
もちろん健康な心身を保つのが何よりですが、それ以外にも家庭環境や経済事情にも恵まれないと、豊かな老後を送るのは難しいと思います。
私が住むマンションのお隣は、70代と思しき独居老人です。
23年前、新築のマンションに入居した時からの隣人で、ずうっと独身だったようです。
隣人と言っても、マンションは基本的に近所づきあいがありませんので、その老人がどうやって生きてきたのかは知りません。
ただ、現役で毎日颯爽とスーツを着て朝出かけるのを見てきて、今は腰が曲がって買い物に行くのがやっと、という状態を見ると、身につまされる思いがします。
それを気楽で良いと見るか、寂しい老後と見るかは、人それぞれだと思います。
私たち夫婦には子供がいませんので、私か同居人か、どちらかは最後は独り暮らしになるはずです。
まだ先のことだとは思いますが、最後に頼りになるのは、つまらないことですがお金なんでしょうね。
私が老人になって、同居人に先立たれたら、私は酒や合法ドラッグはもちろん、禁止薬物にも手を出してしまいそうです。
薬物で意識を朦朧とさせ、そのまま亡くなってしまうのが、私にはお似合いのような気がします。
もしかしたらそれはとてつもなく気持ちの良いことなのかもしれません。
昔、「リトル・ミス・サンシャイン」というコメディを観たことがあります。
不細工な少女がミスコンテストに出場するに際し、飛行機代が無く、家族でオンボロワゴンに乗って旅するロードムービーです。
少女の祖父も一緒で、このじいさん、ひどいジャンキーです。
口癖は「ドラッグは年寄がやるものだ」。
年を食って、もはや健康に気を遣うことすら馬鹿々々しくなった老人にこそ、ドラッグは相応しいのかもしれません。
今朝は昨日の副反応がどこへやら、爽やかに目覚めました。
体温も36度4分と全くの平熱。
5回目のワクチン接種、副反応は一日で収まりました。
先週、駅のホームで小汚い白人と駅員が押し問答を繰り広げているのを目撃しました。
白人、何の思想にかぶれているのか知りませんが、ワクチンもマスクもコロナに対し何の効果もない、したがって自分はマスクをしないし、しない自由がある、と主張していました。
駅員は電車に乗るならマスクをするよう迫っていました。
しかもビニール袋で封がしてある真新しいマスクを持って、これを着用せよ、と言っています。
白人はマスクが何の役にたつか説明しろ、だの、お前はキチガイだだの、日本の文化は狂っている、だの言いたい放題でした。
押し問答を10分くらい続け、駅員、もう仕方がないと思ったのか、マスクを着用して電車に乗るか、電車に乗らずに駅から去るか、どちらかしかない、どちらにするか選択しろ、と、かなり強い口調で言い放ちました。
曖昧な物言いをするのが日本語の特徴で、白人もそれを知っていたのか、駅員の極めてはっきりして毅然とした態度に接し、しばし黙考に入りました。
そして白人が言いだしたのが、お前の顔写真を撮影させろ、そうしたらマスクを着用する、というもの。
SNSで写真をアップされ、悪口のかぎりを書き立てられる可能性がありますが、駅員は涼しい顔で、どうぞ撮ってくださいとばかりに、マスクを取って白人に詰め寄りました。
白人、スマホではなく、骨董品、いや化石のようなデジカメを取り出し、駅員の顔を撮影。
駅員が白人にマスクを渡そうとすると、お前が付けろ、とか言ってマスクを駅員に返してしまいました。
駅員はやむなくビニールを破ってマスクを取り出し、不潔極まりない白人の顔にマスクを付けてやっていました。
これは示唆に富んだ出来事だと思います。
まず、白人の狂気じみた態度と、毅然としながら礼儀正しく接する駅員の様子との対比。
白人が繰り広げるマスク不要論と、主義主張に関係なく電車ではマスクをしなければならないと原則を押し通す態度。
マスクをしない自由というのは確かにあると思います。
現に欧州各国ではすでに公共の場所でマスクを着用する義務は無くなったと聞き及びます。
しかしわが国ではまだマスクをすることが当たり前であり、義務と言ってもよいかと思います。
我が国と他国との違いを声高に叫んだところで意味はありません。
ここは日本なのですから。
私はその駅員の一切の妥協をしない、堂々たる態度に感銘を受けました。
クレーマーにはひたすら低姿勢で臨む日本人のなんと多いことか。
低姿勢ではなく、どんな事態でも毅然とした態度で接することが肝要だと思いました。
予想どおり、昨日のワクチン接種の副反応と見られる発熱に襲われました。
今朝6時に目が覚め、背中や節々の痛みがあり、熱を測ったら38度6分の高熱でした。
集団接種会場でカロナールを4錠購入してあったので、早速飲みました。
1時間後には熱は36度8分まで下がりました。
解熱鎮痛剤で無理やり熱を下げているのだということはよく分かっていますが、下がると楽です。
昼食後にも1錠飲み、平熱を保っています。
明日の日曜日も薬を飲んでゆっくり過ごせば月曜日の出勤は問題ないと思います。
副反応が出るのもワクチンが体にきちんと接種された証拠だと思えば、納得です。
今日は休暇を取って、午前中、近所のショッピングモール内にある集団接種会場で5回目のワクチンを接種してきました。
集団接種会場はシステマティックに動いており、ほとんど待つことなく、ストレスを感じませんでした。
終わって、ショッピングモール内のラーメン屋で端麗塩チャーシュー麺なる物を食しました。
あっさり塩味に細麺で、美味しく頂きました。
ただ、ラーメンは久しぶりのせいか、少々もたれました。
帰宅途中、駅前の銀行に立ち寄りました。
今日はボーナスの支給日なのです。
通帳を見てびっくり。
がっくりするほど少ない額でした。
役人の収入は安定しているとよく言われます。
それはそうなのでしょうが、低値安定です。
30年働いてこの額かと、泣けました。
それでも出ないよりはよっぽどマシです。
我が家は正職員同士の共働きで子供がいないので、家計はどうにか回っていますが、貧乏暮らしに変わりはありません。
片働きで何人も子供がいる家庭も結構多いですが、さぞかし苦しいだろうと思います。
我が国は主要先進国の中でダントツ給料が低いそうです。
低いというか、上がらないそうですね。
この30年、平均給与はほとんど上がっていません。
それで物価は上がるのだからたまったものではありません。
我が国を暗い空気が覆うようになって30年。
若い人はそれが当たり前のように感じるかもしれませんが、私はバブルの最後に就職した世代。
バブルが弾けてからも、しばらくは目に見えて給料が上がっていきました。
狂乱の時代だったのだろうとは思いますが、今となってはその狂乱すらも懐かしく感じます。
バブルよ再び、なんて思うのは狂気の沙汰でしょうか。
日曜日の休日出勤から今日で5日。
そんなに長く感じない、不思議な週でした。
明日は5回目のワクチン接種のため、休暇を取っています。
4回目までは掛かりつけの内科で接種していたのですが、そこはもうワクチン接種を行わないことになってしまいましたので、車で10分ほどのショッピングモール内に在る集団接種会場で受ける予定です。
予約時間が小刻みで、私は10時30分から10時40分となっています。
おそらく、待ち時間が少ないのでしょうね。
難儀をするのは、すぐに腕の上の方を出せるような服装で来い、ということ。
それはすなわち、半袖で来いということでしょう。
あったか下着を付けて、半袖シャツを着て、ユニクロのダウンのベストを着て、さらにその上から分厚いコートを着て行こうと思っています。
もちろんマフラーと手袋、起毛した股引、それにニット帽は必須です。
それだけ厚着をすれば、コートを一瞬脱げば大丈夫かと思います。
それにしても、まさか5回もワクチンを打つことになるとは思っていませんでした。
せいぜい2回くらいかと思っていたので、驚きです。
最初の接種の時は何の副反応も出ませんでした。
2回目は熱が出て、3回目、4回目と熱や倦怠感がひどくなったため、あえて金曜日に予約することにしました。
土日寝ていればおそらく大丈夫だろうという算段です。
最近、コロナ慣れというか、コロナ怖るるに足らずというか、前ほど危機感を煽らなくなってきました。
私自身も含め、なんだか終わったような気分でいます。
約3年。
もう大丈夫だろうという雰囲気が漂っています。
この3年の間に、近所のイタリア料理店とモスバーガーが閉店しました。
その後テナントは入らず、寂しいかぎりです。
頑張っているのは蕎麦屋です。
昼間っから一杯ひっかけている客も少なからずいます。
かくいう私も時折昼酒を呑みます。
出かけることがほとんど無くなり、酒でも呑まずにやってられるか、という気分です。
コロナが完全に終息するか、インフルエンザみたいな病気になるかしなければ、とりあえず、マスクは外せず、出かける気も起きないんでしょうね
世界中で起きていることとはいえ、もういい加減にしてくれと、叫びたくなります。
今日は業務多忙のため、出勤しています。
若い頃は自主的な休日出勤など考えられませんでしたが、ある程度責任ある肩書を持つと、平日は相談や質問、会議に追われ、ゆっくり仕事ができません。
誰からも話しかけられない休日の出勤は、仕事がはかどります。
滅多にしませんが。
昨日は早朝から洗濯、朝食の準備をしました。
義母のオーダーで疲れ切っている同居人を少しでも楽にさせるためです。
同居人は午前中、義母の整形外科への通院に付き添い、午後12時過ぎに帰ってきました。
久しぶりに近所の蕎麦屋で軽く一杯やり、ほろ酔い気分で散歩をしました。
我が家から片道30分ほどの所にヤマダ電機があるのですが、そこには喫茶店が併設されているので、とりあえずヤマダ電機を目指しました。
同居人と散歩するなんてじつに久しぶりです。
適度な散歩は疲労感を逆に取ってくれるような気がします。
精神科医からは、二人の時間を大切にしてください、なんて言われますが、なかなか出来ないでいました。
ヤマダ電機に着いて珈琲を飲み、店内を冷やかしました。
かねて欲しいと思っていた外付けDVDドライブを購入。
最近のデスクトップパソコンにはDVDドライブが付いていない物が多いですから。
滅多に使うことは無いと思いますが、念のため購入しました。
帰宅して、昼寝。
少しの酒と適度な散歩に眠気を誘われたかと思います。
晩飯は鮨をとりました。
これも同居人を疲れさせないため。
何かと金がかかりますが、健康維持のためには仕方ありません。