今日は忙しい日曜日になりました。
まず朝6時に起きて生卵とソーセージと冷やしトマト、それに白飯の朝食。
最近白飯があまり食えなくなりました。
なので、茶碗に半分くらい。
前は茶碗二杯食っていたのですが、胃が小さくなったようです。
その後一週間分の洗濯。
一週間に一度だとかなりたまりますが、週に一度の洗濯を一回で済ませるために巨大な洗濯機を使っているので、心配はありません。
おまけに良く晴れて湿気も低いことから、夕方にはカラカラに乾きました。
10時からスバルのディーラーに行って半年に一度の定期点検。
新車購入時に半年に一度無料で点検を受けられるパックに加入したので、金の心配はいりません。
どこにも悪い点はありませんでした。
終わったのが11時30分。
昼はディーラーの近くにある洋食屋でチキンソテーの定食を食い、食後はブレンドコーヒーを一杯とエスプレッソを一杯飲みました。
これで頭はしゃっきりです。
1時間もかけてゆっくり昼食を楽しみました。
で、帰宅して早々に一週間分の食料の買い出しに行きました。
連日の残業で平日は帰宅が21時くらいになって、何もやる気が起きないので、日曜日に一週間の準備をしなければならないのです。
風呂に入って夕食の支度。
これらの家事は同居人と分担して行うべきですが、何しろ同居人は毎週土曜日も日曜日も施設に入っている義母の見舞に行くので、家事の負担は私にのしかかってきます。
義母は我儘ばかりで、同居人は振り回され、これでは夫婦共倒れになってしまいそうです。
義母は元々我儘な性格と言って良いと思いますが、年を重ねてますます酷くなってきているように感じます。
実の娘には、何を言っても、何を命じても良いと思っているようです。
同居人はそんな理不尽なリクエストにいちいち真面目に応え、義母はより一層我儘になるという悪循環。
先日などは、同居人、電話で義母の我儘をたしなめたら、驚くべきことに、義母は激昂して、「あんたなんか産まなきゃよかった」という暴言を吐きました。
同居人の人格を全て否定する、まともな親なら絶対に口にしない禁句だと思います。
それでも、義母は同居人一人を頼り、同居人は義母の我儘に付き合い続けています。
正直、同居人はやりすぎだと思います。
もう少し義母のリクエストを断っても良いのではないでしょうか。
しかし、80歳を過ぎて、どういう心境になるのか、今の私には想像もつきません。
80歳を過ぎてなお存命であるならば、義母の気持ちが少しは分かるのかもしれません。
年を取ると人間というものは子供時代に戻るとか申します。
では子供の頃の自分の性格や生活を思いだせば、己の老後を想像することが出来るのかもしれません。
現役生活も31年目を迎えた私には、子供時代を振り返る余裕すらありませんが、かなり変わっているというか、エキセントリックな性格だったように思います。
年を取って変人でエキセントリックな老人になるのなら、いっそ早死にしたほうが幸せかもしれませんね。
私たちには頼るべき子もおらず、世界に二人だけで取り残されているような気分が続いているので、あんまり長生きしても世間様に迷惑をかけるだけのような気がします。
いずれにしろ、義母の老いは、必ず老い、死んでいく人間の真実を見せつけられているようで、恐怖すら感じます。
どうか義母のこれからが、心安らかで、仏様のような優しさを身に纏ってほしいと、切に願います。
昨夜は金曜日の夜でしたが、なぜか眠れず、頓服でもらっている睡眠導入剤を飲みました。
これ、劇的に効くんですよねぇ。
眠くなるまで布団に入らず、少しソファで眠くなるのを待とうなんて座っていたら、寝落ちしてしまい、気付いたら朝の6時でした。
その間暖房はつけっぱなし。
睡眠導入剤を飲んだらすぐに床につかなければならないと痛感しました。
眠りが深かったのか、深夜1時に寝落ちして、朝6時にはばっちり目が覚めてしまいました。
よく、年を取ってくると、夜起きてられない、朝寝ていられないという話を聞きます。
要するに早寝早起きになるということで、それは結構なことですが、私の場合夜起きていられないということはなく、ただ朝寝ていられない、という感じになってきました。
要するに短時間睡眠でも平気になったということで、躁のサインの一つでもあるのですが、実は理由は別にあります。
喘息の発作以来、酒も煙草もやる気が起きず、健康的な生活になってしまい、長年ニコチンとアルコールに毒されてきた体が、急に毒が入ってこなくなって、びっくりしてこうなったのではないかと思います。
喘息の発作は結果的に私を毒から遠ざけることになったわけですが、それはそれで寂しくもあります。
体が少しづつ老化している証拠のような気がします。
また、最近人の名前が出てこなくなりました。
これも誰にでも起こる現象かと思います。
中学生くらいの頃、年配の方たちが、「ほら、あの人。何とかいうテレビで出てた人」なんてほとんどノーヒントで語っているのを聞いていた同じ年配のが、「ああ、あの人じゃない、名前が出てこないけど」なんて、ほとんどお笑いのようなトークを繰り広げているのを聞いて、わざとやっているのかと思った記憶があります。
しかし、今になって、その気持ちが分かるようになりました。
顔は鮮明に思い浮かぶのに、名前が出てこない。
これ、自覚した時はショックでした。
若年性認知症かと思って、時計の絵を書いたりしました。
認知症になると、円形の時計の数字が入り乱れたりすると聞いたことがありましたので。
幸い時計の絵はきちんと書けました。
もっとも、それだけのことをもって自己判断するのは控えるべきなのかもしれません。
これが酷くなるようだと、いよいよ認知症外来を受診しなければならないのでしょうね。
しかし、職場の同世代以上の人は、同じような愚痴をこぼします。
単なる経年劣化だと良いのですが。
退院してから、少し上がっているようです。
退院がよほど嬉しかったと見えます。
しかし躁転というほどのことは無く、日曜日の夕方にしては調子が良いくらいでしょうか。
思えばもう15年ほど前、私は長いうつ状態から醒めたのは良いのですが、その後激躁に見舞われるという悪夢に囚われました。
躁状態の時は病識がなく、元気になった程度に思っていたのですが、大酒を喰らったり、徹夜で駄文を書き散らかしたして、今思えば異常でした。
しかもその時の記憶がほとんどありません。
激躁の激躁たる所以です。
抗躁剤の投与で夢から醒め、深い後悔の念に襲われました。
周辺の人々にずいぶん迷惑をかけたと思います。
その反省にたって、抗躁剤は一生飲み続けたいと思っています。
いつまた躁状態に陥って、愚行を繰り返すか分からないからです。
私は高血圧で降圧剤を飲んでいます。
これは当然一生飲み続けなければならい、基礎疾患の薬です。
それと同様、抗躁剤、気持ちを落ち着かせる薬、抗不安薬などを飲み続けなけれならないのは、降圧剤を飲み続けるのと同じことです。
しかし私は、もう一度、あの、神様にでなったような天然のアッパー系の麻薬をやったような躁状態を経験してみたい、という欲求もあります。
それは覚せい剤に手を染めた人が、犯罪と知っていていて何度も続け、ついには身を亡ぼすのと似たような欲求かもしれません。
医師は軽い躁状態よりも、軽いうつ状態のほうが健康的だと言います。
その言葉は私を落胆させるに十分なものですが、私は病を得、それを克服して10年以上再発していないことを思えば、至極真っ当なことなのかもしれません。
とにかく、処方された薬をきちんと飲み続けるより他ありません。
難儀なことです。
今朝は朝4時に起き、早起きは躁のサインでもあるのですが、これが続かなければどうということも無いと思っています。
躁とうつを2週間くらいで繰り返す症状をラピッド型と呼ぶそうで、こうなってしまっては、まともに社会生活を送ることができません。
ラピッド型でなくて本当に良かったと思います。
要経過観察といったところでしょうか。
先週、突如としてエアコンが動かなくなりました。
もう11年も使ったエアコンです。
修理を頼んだら、家電によくある、買ったほうが安い、という必殺のセリフ。
電気製品に疎い私たちは、従う他ありません。
我が家はリビングダイニングが14畳あり、リビングに隣接する6畳の部屋は襖で仕切られているだけなので、これを開放して一機に冷暖房するには、20畳用のエアコンが必要になります。
で、先週近所の家電量販店でエアコンを注文しました。
なぜか20畳用よりも23畳用のほうが安く、店員にも余裕があるサイズのほうが良いと勧められ、勧められるがままに23畳用のエアコンを購入しました。
約30万円。
痛い出費ですが、これから冬になろうというのに、暖房器具が無かったらしのげませんので、思い切って買い換えることとなりました。
エアコンの他には、我が家にはホットカーペットしか暖房器具がありませんので。
今日の午前中、取り付け工事が終わりました。
試し運転をしてみると、静粛性に優れ、しかも暖かい風がすごい勢いで出てきて、新品は違うと思い知らされました。
21年間今のマンションに住んでいますが、リビングのエアコンは3代目。
最初はダイキンのうるるとさらら、次が日立のしろくまくん、今回は三菱の霧ヶ峰です。
いずれも、家電の知識が無いため、店員に勧められた物を購入しています。
とりあえず、いつ寒くなっても大丈夫な状態を整えました。
それにしても家電と言い、車と言い、さらには住宅まで、なんでこんなに寿命が短いのでしょうね。
家電はともかく、東京国立博物館や国会議事堂など、明治から大正の建物は今でもびくともしていないというのに。
一説には、終戦後、早急に住宅を整備する必要があったため、安普請の建物が増えたと聞き及びます。
その悪い癖が、戦後77年を経てもなお続いている気がします。
団地タイプの中古マンションなんて、わずか50年で建て替えたりしています。
鉄骨ではなく、鉄筋だからでしょうか。
私が住むマンションは鉄骨なので、もう少し長持ちしてほしいと願ってやみません。
せめて私がくたばるまで建ち続けてほしいものだと切に願います。
退院して二日目。
医師からは、今日までは出勤しないように言われていたので、やむなく、休みました。
病院とは異なり、自宅にはパソコンがあります。
職場のメールを見ることもでき、リモートデスクトップにより、職場のフォルダを見たり加工したりできます。
当然、オンライン会議に出席することも可能です。
要するに、在宅ワークが可能な状況です。
在宅勤務届を出せば、在宅での仕事を認められますが、それだと一日中パソコンに張りついていなければなりません。
それでは敵わないので、病気休暇といことにしました。
それでも、止せば良いのに職場のメールを見たりして、明日からの困難を思い、気分が沈みます。
休暇の時は職場のメールなど見るものではありませんね。
しかし、多い時には一日で50通ものメールが届くことから、つい、あらかじめ見ておいたほうが良いかと思ってしまいます。
嫌な時代です。
休もうが何しようが、仕事が追いかけてきます。
メールしかり、オンライン会議しかり。
誰もがそうなのでしょうが、生き辛い世の中になりました。
昨日退院する時はずいぶん嬉しかったのですが、日常に戻ればそうもいきませんね。
わずか数日病院で横になっていただけで、歩くとふらふらするというか、めまいがするというか、衰えた感じが半端ではありません。
きょうは午後2時にメールをチェックし、嫌な内容のものがいくつもあり、その後は開いていません。
精神衛生上よろしくありませんから。
こんな調子で明日から大丈夫なのか心配になりますが、自宅療養を続けても無駄でしょう。
どこかでえいやっと日常に戻らなければ。
これから定年まで約7年半。
そんなに体力が持つか心配です。
しかも年金支給は65歳からなので、今は多くの定年退職者が再雇用を望みます。
職場は再雇用の希望を断ることが出来ない仕組みになっています。
徐々に、働かないおじさんが増えてきています。
でもきっと、私も働かないおじさんと言われるのでしょうね。
情報革命真っ只中の今、何とか付いていっているつもりですが、若い連中から見たらモタモタしているように見えるでしょうね。
かつてパソコンが仕事で必須の道具に変わっていく際、ついていけないおじさんをたくさん見ました。
生まれながらに情報機器があふれていた若い世代には敵うべくもありませんが、最後のバブル世代の意地を見せたいところです。
10月15日(土)の夜、それまで続いていた咳と喉の痛みが著しく、息ができなくなってきたので、救急車を呼んで病院に搬送され、そのまま入院となりました。
ステロイドの点滴と酸素吸入をずうっと続け、今朝、18日(火)に無事に退院となりました。
職場へは、明日一日様子を見て、明後日から出勤して良いとのことでした。
喘息を甘く見ていました。
これからは禁煙し、内科に定期的に通院して再発を防ぐようにしたいと思っています。
病院でまず参ったのは、食事です。
よく刑務所の飯を臭い飯なんて言いますが、病院もそうです。
まずいというレベルを超えていて、どれも同じ味がします。
病院臭とでも呼ぶべき、独特の香りと味。
次に躁病的な明るさの若い看護師たち。
入院患者はほとんど高齢者で、ヨレヨレなのですが、看護師たちの明るさは異常です。
老いて死臭さえ漂わせる患者たちと、生の盛りのような若い看護師たち。
その二つが病院という舞台装置を作り上げ、死とは無縁のような若さと、生死の境を漂う者たちとの物語を紡いでいるように感じました。
そして、病室のベッドに横たわっていると、もういつ死んでもよい、みたいな絶望的な気持ちになります。
53歳は入院患者では若いほうのようですが、来し方を思い出し、生き末を想像していると、私は十分に生きた、なんて変に感傷的な気分になります。
これでは本当に大病を患ったら、気力が持たないかもしれません。
もっと生に執着しないと。
それが現金なもので、退院できると一言聞いただけで、ネガティブな感情が吹き飛びました。
途端に嬉しくなり、気分が明るくなったのです。
入院なんて出来たら大手を振って仕事を休めるからいいかも、なんて思ったりもしましたが、まだそこまで病んではいないようです。
咳が一週間以上続いています。
これまでは明け方から午前にかけてだけだったのですが、昨日は一日中咳が続き、息苦しさを感じました。
今日はやむなく内科を受診したのですが、風邪ということで、咳止めやら痰を切る薬やら鎮痛剤やら気管支を広げる薬やら、色々と出ました。
土曜日の午後も診療している内科とあって、14時に行ったらひどく混んでいて、1時間以上待たされて、聴診器をあてて喉を診て、血中酸素濃度を測ったら終わり。
3分も経っていませんでした。
薬はいずれも食後に服用ということで、まだ飲んでいません。
夕飯後に飲むつもりです。
気になったのは、ひどくなるようだったら救急車を呼んでください、という一言。
咳の発作でもひどい場合には気道が塞がり、死に至ることもあるんだとか。
何年か前、やはり長引く咳で内科を受診した時はすぐに点滴ということになり、発作を鎮めました。
点滴は劇的に効いて、現代医学の素晴らしさを実感したことを思いだします。
もう10年以上前のことですが、うつ病に伴い、社会不安障害の症状が出たことがあります。
当時は神経症と呼んでいました。
対人恐怖症とか強迫神経症、不安神経症などに分類されている疾患です。
薬無しで治すという、怪しげな森田療法なる治療法を自助グループで勉強しながら治そうという団体に少し入っていたことがあります。
その名を生活の発見会と言いました。
服薬すれば完全には治らないまでも、ぐっと楽になるのに、服薬を潔しとせず、根性論で治癒せしめようという古臭い治療法です。
まるで宗教のように創始者の森田先生なる人物を尊崇し、自分はいかにして治ったかを自慢する高齢者がひしめく厭らしい団体です。
金儲けに走っているわけではないのが唯一の救いですが、胡散臭い団体であることには変わりありません。
私は数か月で脱会し、現代医学による服薬治療で良くなりました。
今社会不安障害に悩んでいる方には、お近づきにならないことをお勧めします。
今は良い治療薬がたくさんありますから。
昨日は義妹の33回忌を営みました。
義妹は難病のため、わずか18歳で他界。
あまりにも若い死です。
私が同居人と出会う前の出来事で、私は義妹と会ったことはありません。
遺影と、同居人が語る思い出話からその人柄をしのぶのみです。
義母は車椅子の生活、叔父叔母たちも老いて外出が困難なため、私と同居人の二人だけで、読経を聞き、お焼香しました。
寺から霊園までは車で20分ほど。
面倒くさいですが、寺の墓地は空きが無かったとのことで、やむを得ません。
昨日は結構暑かったので、お墓の掃除はきつかったですねぇ。
同居人、墓前で長く手をあわせていました。
33回忌は節目であり、通常、最後の法要となります。
これで義妹は無事ご先祖様の一員になったということでしょうか。
帰り、ちょうどお昼時でもあり、二人だけとはいえ法要の後なので、予約はしていませんでしたが、そこそこ旨い和食店を目指しました。
しかし着いてみると、8月に閉店したとの看板が出ていました。
コロナで営業が苦しくなったのでしょうか。
仕方なく、いったん帰宅して着替え、馴染みの蕎麦屋でかるく一杯やりました。
葬式とか法事というもの、自分も必ず死ぬのだという強い感慨を覚えざるを得ず、少々苦手です。
昨日は冷たい雨が一日中降り続いて、師走並みの寒さでした。
今日は薄日が差して、秋らしい気温に戻りました。
季節の変わり目のせいか、最近、喉の調子が良くありません。
特に明け方から早朝にかけて、ひどく咳き込みます。
私は寝ると体が温まるタイプなのですが、その熱が咳を誘発しているように思います。
それが証拠に、起きだして少し冷えてくると、咳もだいぶ落ち着きます。
咳をしても一人
とは、尾崎放哉の代表作の自由律俳句です。
この人、東京帝国大学出のエリートで、若くして保険会社の重役にまで上り詰めますが、流浪の暮らしに憧れて妻子を捨てて四国の寺に住み込み、線香を売っては酒に換える生活をして、ほどなく、亡くなったと聞き及びます。
しかもひどい絡み酒で、住職から、与えられた寺域の小屋で呑むことは許しましたが、お店に行って呑むことを固く禁じました。
それはそうでしょう。
寺が面倒を見ている男が夜な夜な安酒場に現れて、客と言わず店員と言わず、誰彼なしに絡んでいたのでは、寺の面目も丸つぶれです。
この人と同時代を生き、並び称せられる種田山頭火は終始旅暮らしだったのに対し、寺に住み着いたせいで、静の放哉、動の山頭火とも呼ばれます。
漂泊の思いやまず、と記して旅暮らしをした俳聖、松尾芭蕉にしても、京都に落ち着くまでは諸国を歩き回った与謝蕪村にしても、俳人には旅人のイメージが付きまといます。
私は俳句をよくしませんが、時折、漂泊の思いに駆られることはあります。
学生の頃は一人で2週間も東北の山中を歩き回ったり、タイやインドを流浪したこともあります。
今ではすっかり落ち着いてしまいました。
再び一人漂いだすような力が欲しいと願います。
今朝は急激な冷え込みに襲われました。
季節の変化は驚くべき速さで進み、陽気の良い秋は長くは続かず、寒い冬がやってきます。
ここ数年、冬の寒さに恐怖を感じるようになりました。
下着を重ね着したりして凌いでいますが、職場の暖房が12月にならないと使えないので、それまでは凍える毎日が続くでしょう。
さらにショックなのは、リビングのエアコンが動かなくなってしまったこと。
昨日、突然でした。
一応、修理を頼むつもりですが、修理代が高くつくようなら、買い換えしかありません。
もう11年も前に購入した物なので、仕方がないのかもしれません。
今のエアコン、20畳用で、20万円くらいかかったと記憶しています。
もし買い換えとなったら、今住んでいるマンションのリビングでは3代目ということになります。
最近マンションが古びてきたのか、あちこち不具合が生じて、そのたびに小銭が飛んでいきます。
マンションの設備だけではなく、家電まで同じ時期にガタが来るとは泣けてきます。
モノは経年劣化によりこれだけメンテナンスが必要なのですから、人間もガタが来る道理です。
人もまた老い、治療という名のメンテナンスを行い、ついにはそれもままならず、亡くなっていきます。
怖れても嘆いても、必ず誰にでも訪れる事態です。
身近では、83歳になる義母の衰えが、それを予感させます。
施設に入所し、毎週土曜日に同居人が付き添って整形外科に通い、歩くためのリハビリを行い、4週間に一度は内科に通い、大量の薬を処方されています。
内科は平日でないと診察していないため、同居人は必ず4週間に一度は休暇を取得しなければならず、休暇はどんどん減っていきます。
義母は、私は勿論、同居人以外の誰とも会いたがらず、電話するのも億劫な様子です。
大田区に住む義母の実の姉とですら、電話で話すことを嫌がります。
そのため同居人は一人で義母を背負うような形になり、日々疲労が蓄積していく様子です。
衰え、介護を受ける者も、世話をする者も、両者が疲弊していき、最悪の場合時折耳にする、介護疲れによる無理心中もしくは殺人などが起きてしまいます。
飛躍し過ぎかもしれませんが、義母が施設で暮らしているからいいものの、これが寝たきりで在宅介護となったら、そうとも言えません。
それを見ていて思うのは、私と同居人の老後のこと。
必ずどちらかが先に衰え、亡くなるはずです。
そして一人は残される。
子宝に恵まれなかった私たちですから、残された側は家族に頼ることができません。
子がいたとしても頼る気などありませんが。
最後にモノをいうのが金というわけです。
高齢者施設に入所して月々の支払いをしても生きていけるだけの財源が必要です。
世知辛い世の中です。
しかし私は、一人残されたのなら、酒でも睡眠薬でも、あるいは手に入るのなら非合法の麻薬でも、意識を変容させる薬物を大量に摂取して、朦朧とした意識のまま快適な自宅のリビングで朽ち果てていきたいと思います。
緩慢な自殺というべきでしょうが、それ以外に一人で老後を過ごす自分の姿が想像できないのです。
今朝はなぜか早朝4時に目が覚めてしまい、もう眠れません。
仕方がないので朝風呂に入り、飯を食いました。
あんまり食欲が無かったので、いつもは食前酒のお供をしている、酒盗をご飯に載せて軽く済ませました。
酒盗、私の酒での好物ですが、大体酒のつまみは白飯に合うようです。
酒を盗むと書いて酒盗。
酒を盗みたくなるほどつまみ能力が高い、カツオの塩辛です。
飯を食って、ユーチューブで格闘技を観たり、ベビーメタルの曲を聞いたりして、漫然と過ごしました。
朝6時から洗濯開始。
同居人はまだ夢の中です。
洗濯が終わる頃同居人が起きだしてきて、一緒に洗濯物をベランダに干しました。
よく晴れているので、一日で乾くでしょう。
その後日曜日恒例の、NHKの日曜美術館を鑑賞。
私は絵が下手だし、彫刻なんて人間技とは思えないので、日曜美術館に登場する製作者たちは、神のような存在です。
今まで美術の神に愛された多くの天才を見ては、ため息をつきました。
人間はよほど不公平に出来ているらしく、何の才能も無い私は、つまらぬ事務仕事に精を出すしか、生きる術がありません。
しかし私は、まがりなりにも若い頃小説を書いていたので、小説の良し悪しは分かります。
わかると言うことは、怖ろしいことです。
つまり自身の小説が、どこまでいってもセミプロの域を出ないことまでわかってしまうのです。
才能の無い人間が、しかし他人の作品を評価することだけは出来るのですから、切ないばかりです。
往年の名画に、アマデウスという作品がありました。
モーツァルトと同時代を生きた宮廷音楽家のサリエリが、モーツァルトとの思い出を、老人ホームで聖職者に告白する物語です。
サリエリは宮廷音楽家という、当時の音楽家としては最高の地位にあります。
一方モーツァルトは下品で大酒呑みの遊び好きな若造、しかし作曲の能力だけは高い天才として描かれます。
サリエリは、己の音楽は時とともに忘れられていく運命にあり、モーツァルトはたとえ野垂れ死にしようと、その音楽は永遠に残るのだと言う確信を持っています。
嫉妬に狂うサリエリは一計を案じ、モーツァルトに精神的な恐怖を与え、ついには狂い死にさせようと言うのです。
そのことが原因かは分かりませんが、モーツァルトは30代半ばで死んでしまいます。
サリエリが感じたのは虚しさだけでした。
サリエリの晩年、モーツァルトの音楽は栄光をもって生き残り、サリエリは過去の人として忘れ去られ、寂しく老人ホームで暮らすのです。
最晩年のサリエリは、自らを平凡の王と名乗ります。
涙無くして観られない映画です。
他人の才能を見抜き、さらにはおのれの才能の無さまで分かってしまうと言うのは、不幸なことですね。
私もまた、小説で身を立てることが出来なかった平凡の王に過ぎません。
今宵もわずかばかりの酒を呑み、月曜日への恐怖をごまかし、凡人として生きていくのですね。
53歳、一発逆転はもう無いでしょう。
平凡の王ほど、切ない者はおりません。
円楽師匠に続いて、アントニオ猪木の訃報が飛び込んできました。
私は幼い頃から落語も格闘技も大好き。
落語は志ん朝師匠を、プロレスはジャンボ鶴田選手を贔屓にしてきました。
志ん朝師匠も鶴田選手もとうに亡くなっています。
円楽師匠は72歳、猪木選手は79歳だったそうです。
お悔やみ申し上げます。