ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

35年目のラブレター

2024年07月16日 | 文学

 昨夜は珍しくノンフィクションを読みました。
 読んだのは「35年目のラブレター」です。

 山間部に建つ小さな小屋で炭焼きを営む西畑家。
 そこの長男、西畑保の生涯に取材したもので、小説のような体裁を取っています。

 小学校までは獣道みたいな未舗装の細い道を3時間も歩かなくてはなりません。
 それでも同学年の友達が出来ることを楽しみに通い始めます。
 しかし、草鞋履きで継接ぎだらけのボロを着た見るからに貧しい彼は、その貧しさゆえにイジメにあってしまいます。
 しかも教師までが、彼を疎んじ、イジメを止めさせようとしません。
 西畑少年は登校拒否になり、山間部にぽつんと建つ自宅で父親の仕事を手伝ったり、同じ山間部に住む年上の少年と唯一の友達になり、遊びまわったりします。
 家庭では白飯を食うことなど出来ず、薄い粥ばかりで、いつもお腹を空かせています。
 小学校もろくに通っていないのだから、当たり前ですが読み書きが出来ません。
 それが西畑保を苦しめ続けることになります。

 長じて町に出、食堂で下働きのようなことを始めますが、メモが取れないので注文を受けることが非常に困難です。。

 出前の電話も満足にできません。

 しかも周りの同僚や先輩後輩に文盲であることを隠そうとします。
 そんなことは無理なのに。
 しかし高度経済成長でどこも人手が足りず、仕事にあぶれるということはありません。

 いくつかの飲食店を転々とし、最後は寿司職人におさまります。
 この間、役所の書類などは、右手を怪我したことにして包帯でぐるぐる巻きにし、怪我で文字が書けないと嘘をついて代筆を頼んだりします。

 文盲ゆえに結婚は諦めていますが、お見合い話が転がり込んで、西畑保は相手に一目惚れしてしまいます。

 結婚話はトントン拍子に進み、結婚に至ります。
 当初は妻にまで読み書きが出来ないことを隠し通そうとしますが、回覧板の署名までも書かないことに不審に思った妻に問われるまま、文盲であることを告白します。

 彼は離婚を切り出されることを極端に怖れながら、それを受け入れざるを得ないと覚悟します。

 しかし奥様は彼に深く同情し、字を教えようとします。
 それでも西畑保は拒否反応を示し、字を覚えることはかなわず、妻も字を教えることを諦めてしまいます。

 やがて64歳で寿司職人を引退。
 悠々自適の生活に入ります。

 ここまで来てやっと、彼は夜間中学に通い、読み書きを覚えることを決意。
 その最大の動機は、愛する妻にラブレターを書きたかったからです。 

 涙無しには読めません。

 知らなかったのですが、夜間中学には最長20年間在学できるそうで、その間にひらがな、かたかな、簡単な漢字覚えるのみならず、パソコンのワープロソフトを使って文章が書けるようになるまでに成長します。

  二人の娘、五人の孫に恵まれ、文盲というハンディも乗り越えて、充実感を覚えます。

 結婚35年、妻に初めてのラブレターを送ります。
 その後も妻の誕生日にラブレターを送ったりしますが4通目のラブレターを書いている間に妻が急死。

 それでもへこたれず、文盲に対する差別を無くし、文盲の人を無くそうと、様々な講演会などを精力的に行います。
 88歳の今も老いてなお元気です。

 この本を読んで感じたのは、人間いくつになっても物を覚え、成長することが出来るということと、なぜ64歳まで読み書きを覚えようとしなかったのかという疑問です。

 現代の日本では識字率は99.96%をされているそうです。
 100%ではないのは、西畑保同様、戦後の混乱期に学校に通うことが出来なかった人たちがいるからだといわれています。
 この日本で読み書きが出来ないというのは想像を絶する困難がつきまとうことでしょう。

 ちょっとした書類に署名することすら出来ないのですから。
 貧しいというのは罪なことです。

 一方、東大生の6割以上の親の年収は1,000万円を超えているそうです。
 金持ちは高学歴となって益々豊かになり、貧乏人は文字を覚えるのがやっとだとしたら、日本という国は、根本的なところで教育を誤っているのかもしれません。

ノンフィクションというジャンル、あまり好みませんが、これは小説仕立てで書かれており、読みやすいながら、現実というものを突き付けられて、辛い読書体験となりました。

 


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吸血鬼

2024年07月15日 | 文学

 今日は読書をして過ごしました。
 読んだのは佐藤亜紀の「吸血鬼」です。
 吸血鬼とはいっても、ヴァンパイアが出てきて活躍するわけではありません。

 1845年のポーランド。
 その当時、ポーランドはオーストリア帝国の支配下にあります。
 ポーランドの片田舎の村にオーストラリアの行政官が赴任します。
 因習的で気味の悪い村です。
 ここで続いて3件、不審死が起こります。
 村民は動揺します。
 村民の不安を鎮めるため、行政官は村に伝わる因習的な方法を採ることを決意。
 それは棺を掘り起こし、遺体の首を切断するというもの。
 行政官は当然そんな迷信を信じているわけではありません。
 あくまで民心を安んじるための方便です。

 時を同じくして、ポーランド全土でオーストリア帝国打倒のための反乱計画が密かに進められます。
 この村の地主もこれに呼応するため、大量のライフルを調達して納屋の地下に隠します。

 反乱と因習が結びついて、大きな事件を予感させます。
 
 私はかつて、佐藤亜紀の小説を2冊だけ読んでいます。
 日本の内乱を描いた「戦争の法」という作品がとにかく面白くて、続けて「バルタザールの遍歴」というのを読みました。

 

 「戦争の法」は日本の話でしたが、「バルタザールの遍歴」はヨーロッパが舞台でした。
 そうすると、当たり前ですが人物名も地名も横文字で、これが読みづらく、この作者の作品の多くがヨーロッパの歴史小説だと知り、その後読むことを止めてしまいましたが「吸血鬼」というタイトルに魅かれて久しぶりに読みました。

 オーストリア帝国に支配されていたポーランドでは、オーストリア人がポーランド人を差別し、ポーランド人は少数派のウクライナ系住民を差別するという構図が出来上がっています。
 さらには地主と農奴との関係などが描かれ、物語は重層的な趣を醸し出します。
 「吸血鬼」というのは、ポーランド系やウクライナ系の農奴の血液を吸うがごとくに搾取する支配層を指しています。

 石川淳を思わせるような精神上の暗闘が描かれます。
 物語は非常に面白いものでしたが、やはり地名や人名がよく分からなくなるという読む上での困難を感じました。

 精神の暗闘を描くことこそ、小説の醍醐味の一つです。
 暗闘というのが大袈裟なら、精神の漂流と言っても良いかもしれません。

 私も少年の頃から精神の漂流が始まり、50代半ばを迎えてなお、その漂流が終わることはありません。
 この漂流が終わることは決して無く、それが人間というものなのだろうと思います。


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寛解

2024年06月30日 | 文学

 昨日は月に一度の精神科受診日でした。
 もう寛解にいたって15年以上経ちます。
 日常の苦しみはもはや生きるうえで避けられないと分かっています。
 単に予防的に飲む薬が欲しくて通っているだけのような状態が続いています。


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その世とこの世

2024年06月16日 | 文学

 昨夜は京懐石の店(なぜか千葉にある)で結婚26周年のお祝いをしました。
 京都で長年修行したという板前が10年前に開いた店で、まぁまぁ満足できました。
 良い夜だったと思います。

 今日は「その世とこの世」という、大詩人の谷川俊太郎とライターのブレイディみかこの往復書簡集を読みました。
 150ページ程度ですので、すぐに読み終わりました。

 タイトルのその世とこの世は、あの世とは別にその世があり、世界はこの世とその世とあの世で成り立っている、という示唆に富んだ書簡から取ったものです。

 詩人とライターという関係性ですが、幽霊とお化けの話から、ウクライナ戦争やコロナ禍の話、果てはトランスヒューマニズムという一種の未来の人間の在り方を規定しようとする思想の話まで出てきて、スリリングな内容になっています。

 少々昨日の酒が残っている身には、読みやすくて興味深い書簡集だったと思います。

 


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永遠と横道世之介

2024年06月11日 | 文学

 横道世之介3部作の最後、「永遠と横道世之介」を読み終わりました。
 上下2巻。
 合わせて700頁に及ぶ長編です。

 第1作では大学1年生の一年間を、第2作では就職に失敗してバイトで過ごす24歳の1年間を、今作ではまがりなりにもプロのカメラマンとなった39歳の世之介が描かれています。
 お調子者で誰からも好かれる世之介。
 唯一、女性からはもてません。

 今作では、30歳でお付き合いした薄幸の女性との思い出が頻繁に語られます。
 世之介が彼女に出会った時、すでに彼女は余命2年の宣告を受けていました。
 しかし世之介は、彼女に「早く出会えて良かった」と言います。
 2年遅かったら彼女は亡くなっていたと思うと、2年といえど長い年月なのかもしれません。
 短い夏の思い出も、クリスマスの思い出も、2回だけ。
 それでも世之介にとっては最高の彼女なのです。

 彼女と死に別れて後、新しい彼女と付き合うことになりますが、あろうことか最初の告白の時に、「2番目に好き」と言ってしまいます。
 死に別れた彼女が永遠に一番ということでしょうか。

 世之介にとって最高の人生はリラックスして生きること。
 世之介は実際にそうやって生きています。

 世之介は40歳で事故死してしまうのですが、彼は精一杯に生きたと思わせる小説でした。

 吉田修一と言えばバリバリの純文学作家ですが、こんなに軽い、そして何も起こらない小説も描けるのですね。

 軽い嫉妬を感じました。

 

 


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おかえり 横道世之介

2024年06月05日 | 文学

 今朝はなんだかひどく体が重く、起き上がる気が起きなかっので、思い切って休暇を取りました。
 あらかじめ申請してあった休暇と違い、何となく罪悪感がありますが、仕方ありません。

 重い頭でベッドから出ずに読書しました。
 かねて読み進めていた「おかえり 横道世之介」を読み終わりました。

 前作では18歳から19歳にかけての、大学1年生という設定でしたが、続編では24歳にして就職に失敗し、バイトとパチンコに明け暮れながらぼんやりと写真家を目指す姿がゆるーく描かれています。

 舞台が小岩のせいか江戸川区出身の私には親しみやすい物語でもありました。
 いわゆる良い人であることが唯一の取柄のゆるーい横道世之介、それでも生きていかなければなりません。
 
 死なないかぎり生きていかなければならないのは当然のことで、私もまた、あと30年だか20年だか生きなければなりません。
 現役で働いている間は難しいと思いますが、退職したならば、自己実現を目指そうと思うのも、誰もが同じことなのかもしれません。

 


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イノセント・デイズ

2024年05月26日 | 文学

  昨日はどこに出かけるでもなく、読書をして過ごしました。
 読んだのは「イノセント・デイズ」という小説です。

 早見和真という作家の本です。
 この人の小説を読むのは初めてです。
 書店で見て、興味を持ちました。

 ミステリー、ということになるんでしょうか。
 私には文芸作品のように感じられました。
 
 30歳の確定死刑囚の女が処刑される日から物語は始まります。
 その後に死刑囚の生い立ちや性格、生まれ育った環境等が友人や恋人らの視線から語られます。
 とりわけ小学生時代の仲良しグループで、秘密基地で遊んだ男の子が長じて弁護士になっており、弁護士は女囚に再審請求を勧めますが、拒否されます。

 女囚は死刑を怖れてはいません。
   それどころか、早期の執行を望んでさえいます。

 女囚は短い生涯のなかで、必要とされること、愛されることに飢えてきました。
 そういうことがほとんど無かったのです。
 太宰治の「人間失格」ではありませんが、生まれてきてごめんなさい、というセリフまで飛びだします。

 そして衝撃的なことに、真犯人は別にいるのではないか、ということを示唆して物語は終わります。

 それが本当なら、なぜ女囚は早期の死刑執行を望み、その日、静かに刑を受け入れたのか。
 なぜ、取り調べで早々に犯人であることを認めたのか。
 それは間接的な自殺ではないのか。

 複雑な読後感を残します。

 過去に池田小事件の犯人はクソみたいな人生だったが地道にサラリーマンをやるよりよっぽどマシだった、と嘯き、控訴せずに早期の執行を望み、現に他の死刑囚よりも断然早く執行されました。
 これを聞いた時、死刑の執行が犯人の心からなる望みであった場合、死刑にどんな意味があるのだろうと疑問に思ったことがあります。

 死刑及び死刑囚について思いを致さざるを得ない、重い小説でした。


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横道世之介

2024年05月21日 | 文学

 昨夜は吉田修一の長編「横道世之介」を読みました。
 平易な読みやすい文章と、テンポ良く転がる物語の世界に引き込まれ、文庫本で470頁強の小説を、少々夜更かしして最後まで読んでしまいました。
 青春小説ということになるんでしょうね。
 主人公の横道世之介はバブル全盛期に長崎県の片田舎から大学進学のため上京します。
 時に18歳。
 大学名は明記されませんが、武道館で入学式をやったとか、武道館から歩いて大学に戻るとかいった描写があり、法政大学で間違いないと思います。
 作者のプロフィールを見ると長崎県出身で法政大学卒業とありますから、かなりデフォルメしてあるにせよ、作者自身がモデルになっているものと思われます。

 18歳から19歳の、大学一年生の1年間が月ごとに章立てされ、描かれます。
 バイトやサークル、恋に友情等、青春小説のエキスとでも言うべきものがたっぷりと盛られ、飽きさせません。

 バブル全盛期に大学生活を送ったのは私と同じ。
 作者の年齢が55歳、私が54歳ですから、あの狂乱の時代をともに大学生として生きていたわけです。
 嫌でも親近感がわくというものです。

 時折横道世之介をめぐる人々、友人だったり恋人だったりの、大人(40歳くらい)になった現在(執筆当時2008年)の姿が描かれ、大人になったがゆえのほろ苦さを感じさせて、ひたすらお馬鹿さんで明るい少年から青年期に至る日々とのギャップを感じさせ、無常感さえ漂います。

 私の大学時代を思い返すと、サークルにも入らず、バイトもせず、まして勉強なんかに精を出すはずもなく、耽美的で浪漫的なおのれ独りの夢の城を作り上げ、そこで微睡んでいたように思います。
 群れるのが嫌でサークル活動をせず、お小遣いを豊富に貰っていたし、自宅生だったのでバイトの必要性も感じませんでした。
 大学ではわずか5人くらいの友人との交流があっただけで、浮いた話もありませんでした。
 その時は時間がたっぷりあって持て余し気味でしたが、忙しいより良いとしか思いませんでした。
 しかし横道世之介のような忙しくて刺激的な学生生活を送れば良かったかなと今になって思います。

 しかしそんなことを考えても詮無いことです。
 私はもうその時代を生き、卒業してから32年間も経ってしまったのですから。

 

 

 


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夜想曲集

2024年05月16日 | 文学

  昨夜はカズオ・イシグロの短編集「夜想曲集」を読みました。
 この作者の短編集は初めて読みました。
 というか、私の知るかぎり、短編集はこれ1冊だけだと思います。

 いずれも音楽家が主人公になっています。

 酒場で演奏する売れないバンドからかつてスターであった老歌手まで、さまざまです。

 この短編集の刮目すべき点は、ユーモアが前面に出されているところです。
 しかしそのユーモアは、人生というものへの辛辣さが隠されていて、そこが深い味わいものになっています。
 エンターテイメントのようでいて、文学になっている、素敵な短編集でした。

 

 


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消滅世界

2024年05月07日 | 文学

 昨日は村田沙耶香という作家の小説を読みました。
 「消滅世界」です。

 人類の生殖は人工授精で行うことが当然になり、性行為は不潔とされ、忌み嫌われるようになった世界。
 さらに進んで、実験都市というのを作り、楽園(エデン)システムという気色の悪い方法で人間社会を変革させようと試みます。
 すなわち、男は人口子宮というものを取りつけ、男でも女でも出産を可能にし、生まれた子供は父母ではなくエデンシステムが育てる。
 子供は社会全体の物として、男も女も老いも若きも成人は全ての子供のおかあさんとなり、家族という概念は消滅してしまう。

 一種のSFであり、ジェンダー・レス社会を描いた作品と言えます。
 非常に興味深い内容で、感銘を受けました。

 もう10年も前になるでしょうかか、この人の芥川賞受賞作「コンビニ人間」を読みましたが、あんまり面白くないという印象を受けました。

 それが「消滅世界」を突然読んでみる気になったのは、本屋で偶然手にとり、面白そうだと思ったからです。

 思い返してみれば、コンビニでの仕事に耽溺する中性的というより無性的な女の不思議な生活をつづったもので、この作者はジェンダーの問題を主要テーマにしていることが今さらながらに知りました。

 女流作家、ジェンダーレスを描く人を時折見かけます。
 男ではほとんど見られないので、女流作家の特徴なのかもしれません。

 「親指Pの修行時代」とか「アマノン国往還記」「闇の左手」など。

 

 


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遠い山なみの光

2024年05月04日 | 文学

 今日は昨日とは打って変わって静かに過ごしています。
 まずは朝一番で散髪。
 夕方16時30分から精神科へ行く予定。

 その間にカズオ・イシグロの処女長編「遠い山なみの光」を一気に読みました。

 舞台は終戦後間もない長崎。
 そこで若い妊婦と彼女を囲む人々との日常が淡々と綴られます。
 その中に異色の人物が登場します。
 米国人の愛人から一緒に米国に行こうと誘われ、それに夢を抱きながら、いつまでも渡米がかなわない女です。
 主人公はそれを愚かな考えだとしています。
 しかし、その主人公自身が、その経緯は語られませんが、家族を捨てて英国人の夫と子供を抱えて英国に移住しています。 

 主人公と他の登場人物たちとの間で交わされる会話が印象的です。
 そこはかとなく漂う時代の変化に伴う諦念だったり哀愁みたいなものが物語に深みを与えています。

 カズオ・イシグロは長崎で生まれ、5歳の時に親の仕事の関係で英国に移り住みます。
 そのまま英国で過ごし、英国籍を取得。
 日本語はほとんど出来ず、英語で小説を書き始めます。
 その作品群は英文学として高く評価されます。

 個人的には「日の名残り」「わたしを離さないで」を好んでいます。

 

 

 この人がノーベル文学賞を取った時、村上春樹のノーベル賞受賞を期待し続けているハルキストの間で、微妙な空気が流れました。
 ハルキストの多くは村上春樹の作品同様、カズオ・イシグロの小説を好んで読んでいたからです。
 この人、ノーベル文学賞を取ったとはいえ、まだ老け込む年ではありません。
 これからの作品に期待します。

 


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湖の女たち

2024年04月29日 | 文学

 昨夜は吉田修一の「湖の女たち」という小説を読みました。
 吉田修一といえば、芥川賞受賞作「パーク・ライフ」が非常に印象に残っていますが、なぜかその後この作者の小説を読むことはありませんでした。

 この小説、文庫本で400頁足らずですが、とにかく登場人物が多い。
 あまりにも多いので、相関図のような物を作ってしまいました。
 そうでないと混乱するからです。

 この小説では湖と言えば琵琶湖と戦前の満州国に作られた人造湖、平房湖を指しています。
 琵琶湖のほとりに建つ老人ホームでの事件とも事故ともつかない老人の死から物語は始まります。

 真相を追う刑事と施設で働く介護師との異常な性的関係、平房湖で起きた少年と少女の死、それらが複雑に絡み合って、ついには老人の死は731部隊の蛮行にまで繋がっていることが示唆されます。
 しかし、全ては示唆であって、真実とも虚構とも語られません。

 複雑な物語で、しかも読後感は最悪。
 嫌な気分にさせらてしまい、しかも逆説的ですが、それが心地よいあたり、いわゆるイヤミスに近いのかもしれません。

 

 

 


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あなたのため

2024年04月20日 | 文学

 今日は小説を読みました。
 「毒母ですが、なにか」です。

 女子高生が毒母になり、娘を思い通りに育て上げようとする長い物語が紡がれます。

 毒母が70を超えて要介護3になっても、娘は子供の頃の記憶から逃れることが出来ず、絶縁状態を続けます。
 娘は幸せな結婚をし、毒母から逃れるわけですが、自らは妊娠しても堕胎し、母になることを拒絶します。
 自分が実母のような母親になって子供を支配しようとするのではないかと心配だからです。

 文章は少々雑ですが、内容の面白さから、一気に読みました。

 母と娘というのは難しいようです。

 実は同居人も、実母との関係性に苦しんだ一人です。
 言葉の暴力をシャワーのように浴びせ続け、わずか10歳にして自殺未遂を起こします。
 しかしそれは実母の怒りを倍加させるだけでした。
 その後も同居人の存在そのもを否定するかのごとき発言を繰り返します。
 それは社会人になっても続きます。
 社会人になったのだからとっとと家を出れば良いのにと思いますが、毒親は結婚以外で家を出ることを許しません。

 私と一緒になることで堂々と家を出ることが出来たわけです。
 同居人は後に、私を評して、実家からの呪縛を解いてくれた王子様だったと述懐するにいたります。

 しかし私との結婚は、純粋な両性の合意のみに基づいて結ばれた、純粋な愛だったと私は信じています。
 実家を出るための打算的なものだとは思っていません。

 毒親が必ず繰り出すフレーズはあなたのためを思って、です。
 これこそ呪いの言葉です。
 これによってどれほど多くの子供が傷ついているかしれません。

 子供の頃の話だけではありません。
 毒親が生きている限り、毒親との戦いは40年でも50年でも続くのです。

 今の同居人、介護をしているのに、母親から感謝の一言もなく、もっぱら罵倒されているそうです。
 せっかく実家を出ることが出来たのに。

 呪いはまだ続くようです。

 私は両親から愛されて育ちましたから、そのような親子関係は想像すらできませんが、きっと世の中にはたくさんいるんでしょうね。
 自分の子供を信じてください、と言いたいですね。


 


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ある男

2024年04月14日 | 文学

 昨日は同居人が休日出勤であったため、一人の土曜日となりました。
 世間の中年男は奥さんがたまに留守をすると、一人を満喫できるので喜ぶと聞いたことがあります。
 私はそんなことはありません。
 深く同居人に依存していますので、もし同居人に先立たれでもしたら、孤独に耐えられないのではないかと考えただけで怖ろしくなります。

 で、気晴らしに小説を読みました。
 平野啓一郎の「ある男」です。
 映画化もされているようです。

 

 林業に携わる夫が事故死して、残された妻子は嘆き悲しみます。
 しかし、奇妙なことが起こります。
 ほとんど絶縁状態だった夫の実兄が焼香にくるのですが、遺影を見て、これは弟ではないと断言します。
 では、夫は何者だったのか、知り合いの弁護士が探偵ごっこを始めます。
 そして明かされていく真実。
 それはとても怖ろしいものでした。

 ネタバレになるのでこれ以上は紹介しませんが、純文学作品でありながら、謎解きの要素を含んだスリリングな物語に仕上がっています。
 同居人のいない土曜日を慰めてくれた秀作だと思います。
 


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マチネの終わりに

2024年03月31日 | 文学

 平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読了しました。
 知りませんでしたが、映画化もされているようです。



 恋愛小説というくくりになるのでしょうが、それだけではありません。
 天才クラシックギター奏者である蒔野とジャーナリストの洋子の関係性を軸に物語は構築されています。
 そこには天才音楽家であるための恍惚と苦悩が語られ、ジャーナリスト故の世界の出来事に対する一種の憤りみたいなものが色濃く描かれます。

 恋愛小説と言っても、若い人のそれではなく、38歳の男と40歳の女、中年同士の恋愛です。
 ただし、二人とも独身なので不倫というわけではありません。
 もっとも、洋子はアメリカ人の男と婚約していますが。

 二人はたった3回会っただけで、互いに激しく魅かれあいます。
 しかし、蒔野を慕うマネージャーの女の偶然が招いた策略により、二人はボタンの掛け違いから、相手から疎まれるようになったと感じ、4度目の逢瀬はおあずけとなります。

 その間、二人はそれぞれに恋をして別の相手と結婚し、子供をもうけます。
 そのままなら、昔の恋の思い出として終わったのでしょうが、マネージャーの女は罪の意識に耐えられず、夫にも洋子にも何年も前の策略を告白してしまいます。
 しかし蒔野も洋子も、それぞれに忙しく、また家庭を持つ身になっています。
 洋子はアメリカ人の夫と離婚していますが、二人の間の息子とは定期的に会っています。

 現在は現在であり、過去は変えられません。
 二人はたった3回の逢瀬を胸に、熾火のように恋心を持ち続けているわけです。

 私は今過去は変えられない、と書きました。
 しかし蒔野と洋子は出会ったばかりの頃、以下のように語り合います。

 人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか。

 含蓄に富んだ言葉だと思います。
 私たちは常に過去を変えながら生きているのだとしたら、過去に囚われる必要はないし、囚われてはいけないと思います。

 二人が出会って5年半。
 逢うことが無くなって何年も経っています。
 しかしその長い時間の後、蒔野がニューヨークで行った演奏会に洋子は客として密かに聞きに行き、舞台上から蒔野は洋子が客席にいることを気づいてしまいます。
 コンサートが終わるにあたって、蒔野は、マチネ(昼の演奏会)の後、セントラルパークの池の辺りでも散歩したいと思います、と語ります。
 それは当然、洋子に向かって語られた言葉です。

 そしてセントラルパークの池のベンチで、二人はついに再会を果たすのです。
 物語はここで終わります。

 二人の間に再び恋の炎が燃え上がるのか、互いの今の生活を守るために、懐かしい旧友として短い会話の後にそれぞれの道を歩むのか、語られることはありません。

 中年男女の長くて切ない恋を描いて秀逸です。
 ただし、平野啓一郎という小説家、あまり恋愛小説は向かないような気がしました。

 

 


 

 


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