ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

十になる子の酒の燗

2013年12月25日 | 文学

 今宵もまた、懲りもせずウィスキーのロックを傾けています。
 こんなに毎夜酒を喰らっては体に毒だと思いながら、気が付くとグラスに琥珀色の液体を注いでいます。

 できれば週に2日くらい空けたいのですがねぇ。

 酒くさき 鼓うちけり けふの雪

 やっぱり酒といえば冬。
 勢い、酒と雪を同時に詠んだ句は座りがよろしいようで。

 芭蕉の弟子、其角の句です。

 ロシアなど寒い国では、酒の消費量も多いようですね。
 逆に暑い風土のインド人はあまり飲まないとか。
 また北極圏とかになっちゃうと酒を造ることがそもそもできないんだそうで、寒さをしのぐ最良の術が無いとは気の毒です。
 酒と風土は切っても切り離せませんね。

 アラブ人はかつては酒を飲んでいたようですが、イスラム教の普及により、飲まなくなったとか。

 するとちょうどその端境期にあった呑んべえは、さぞかし苦しんだでしょうねぇ。

 アル中一歩手前の私に、これから日本国民は全員イスラム教に改宗するから、今後一切酒を飲むなと言われたら、地獄の苦しみでしょうから。

 初雪や 十になる子の 酒の燗

 これも其角の句。

 2人の娘に恵まれ、たいそう子煩悩だったと伝えられる俳人らしい、微笑ましい句です。

 初雪・子・酒の燗と、キイワードになる言葉が三つも並んでいますが、不思議と重たい感じがしません。

 10歳の愛娘がつけてくれた燗酒、さぞかし旨かったことでしょう。

 一方、娘が心配だったのか、

 春の夜の 女とは我が むすめかな

 
と、いう句も残しています。


 おそらく江戸で唯一の不夜城、吉原にでも繰り出したのでしょう。

 楽しく遊んだその後という設定がよろしいでしょうか。
 ふと虚しさを感じる女遊びの直後、この遊女も娘と同じ女性であったと感じ入ったところ。

 私には娘も倅もいないので、その実感はわかりません。

 私もただ飲んでばかりいないで、句でも和歌でもひねる才能があれば良いのですが、酒呑みの先輩が詠んだ句や歌を楽しむだけの能なしなのです。

 元禄当時、求道的な師匠、芭蕉よりも洒脱な味で庶民に人気があったという其角

 今こそ彼の句を称揚せしめねばなりません。

元禄の奇才 宝井其角 (日本の作家52)
田中 善信
新典社

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鳴かざれば

2013年12月25日 | その他

 男子フィギアスケートの織田信成選手、次のオリンピック代表を逃して引退を表明。

 鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス

 と、泣きたい心境を句にしてみせました。

 もちろん、ご先祖様である織田信長の、

 鳴かざれば 殺してしまえ ほととぎす

 を意識してのことでしょう。

 豊臣秀吉の、

 鳴かざれば 鳴かせてみよう ほととぎす

 徳川家康の、

 鳴かざれば 鳴くまで待とう ほととぎす

 と並ぶ、三者の特徴を端的に表した句で、何もご本人が作ったものではありますまい。

 ご先祖及びその部下らの性格を表す句をもじって、涙をみせることが多かった自身の性格を自己卑下して見せるなど、なかなか心憎い演出ですねぇ。

 引退といってもまだ20代半ば。
 サラリーマンならまだ下っ端の青二才と言われる年齢です。

 これがスポーツの怖ろしいところで、少女アイドルなんかもそうですが、若くして第一線から退き、第2の人生といおうか、本当の人生といおうか、新たな道を歩まなければならないのは、なかなかしんどいことと推察します。

 現役の時は引退後どうするかなんてなかなか考えられないでしょうし。

 指導者の道を歩むか、解説者としてやっていくというのが一番経験を活かせる道でしょうが、それは現役選手としての才能とは全く異なる能力が必要となり、現役選手としてどんなに優れた才能を発揮しても、必ずしもそれに恵まれているとは限りません。

 逆に言えば、さしたる成績が残せなかった選手でも、コーチとしては辣腕という人もいますね。
 もしかしたら、その方が長く活躍できるかもしれません。

 大体白鳳などの大横綱が20代の若者とはにわかには信じがたいことです。

 年齢不相応なほど世界から注目を浴びた選手の引退後は難しいでしょうねぇ。

 いずれにせよ、織田信成選手の引退後が幸多かれと祈念いたしましょう。

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ピグミーの恋

2013年12月25日 | 文学

 45年以上も前、昭和42年に三島由紀夫はエッセイで、近頃はピグミーの恋が跋扈している、と嘆いています。

 その意味するところは、障害を乗り越える強さも持たず、忍ぶ恋の焦燥や高潔をも知らず、むやみとくっついたり離れたりしてばかりいる、やれやれ、といったところかと想像します。

 人は易きに流れがちですからねぇ。

 また、かつて色恋沙汰は破廉恥とされ、親が決めた相手と結婚するのが普通だったため、親の意向に逆らって恋を貫こうとすれば、必ず障害を乗り越えなければならず、また恋は忍ぶものだったことでしょう。

 高度経済成長真っ盛りの昭和40年代前半、にわかに恋愛を謳歌する若者が溢れかえり、それは当時の中年からみれば、破廉恥にも見え、安易にも見えたのでしょう。

 でもそれは、中年文学者の美意識には抵触するにせよ、多くの若い男女にとって、楽しいことだったに相違ありません。

 ピグミーの恋が薄っぺらく見えたとしても、本人たちは本気だったでしょうし、二人の恋が美的であるかどうかなんて、創作者では無い者にとって、どうでも良いことです。

 今はさらに進んだかといえばそうでもなく、草食系だの絶食系だのが溢れかえり、ピグミーの恋すら楽しめない者が多くいるようです。

 ピグミーの恋でも、なにも無いよりよほど良いと思いますが。

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