5月8日からコロナをインフルエンザなどと同じ5類に引き下げる、という報道に接しました。
感染症にいくつもの区分が分かれていることを初めて知りました。
しかし、大丈夫なんでしょうか。
単にコロナに慣れただけで、患者数が減ったという話は聞きません。
第一、コロナが、今日から5類になったから感染を止めようなんていう粋な計らいをするわけもありません。
相手は感染症なのですから。
スペイン風邪やペスト、コレラなど、過去、多くの感染症が猛威を降るいましたが、時の流れとともにそれらは収まりました。
コロナももちろんいずれ収まるはずですが、まだマスクの着用や手洗いの励行、3密を避けるといった行動は必要だと思います。
個人的なことでいえば、3年も毎日マスクを付け続けていたせいか、マスクを取って顔を晒すのが怖ろしくなってしまいました。
マスクを外すと、なんだか顔が引きつって紅潮するような感じがするのです。
マスク依存症なる言葉まで現れたそうです。
マスクを外すことが怖いのは私だけでは無いようです。
マスクには精神を安定させる効果もあると見えます。
もちろん、5月8日を過ぎたからと言って、マスクを外さなければいけないわけではありません。
なんなら一生マスク生活を続ければ良いわけです。
マスクに依存したところで、せいぜい夏場に目から上だけ日焼けして顔がツートンカラーになるだけのことです。
酒や麻薬、ギャンブルへの依存と違って、特別体に悪いことはありませんし、金がかかるわけでもありません。
それに、マスクを使い続けているせいか、この3年、コロナはもちろん、インフルエンザにもただの風邪にも罹患したことがありません。
マスクの威力は強力だと感じます。
それらの予防のために、マスク生活を続けるのも悪くはありません。
3年前以降に入ってきた職員は、最初からマスク生活で、お互い、どんな顔なのかよく知りません。
それは良くないかもしれません。
しかしマスクを着用するかどうかは個人の判断になるので、素顔が分からなくても、仕事に支障を来さなければ良いのです。
もう一つ気になることは、歓迎会や送別会、忘年会などの、職場では定番の宴会が復活するのかということ。
それらの行事は半ば仕事みたいなもので、心から楽しんでいる人はごくわずか。
大抵は仕方なく付き合っていると思います。
宴会を復活しても、そういうことに慣れていない若者は参加しないんじゃないでしょうか。
私も浮世の義理と諦めて、それら宴会には出席を続けてきました。
大して楽しいと思ったことはありません。
安い居酒屋で、不味い料理と安酒ばかり出てくるので、私はいつもほとんど手をつけませんでした。
コロナ禍の生活により、オンライン会議、リモートによる自宅での職場のパソコンの遠隔操作などが普及して、もはや後戻り出来なくなりました。
コロナが生んだ新しい生活様式は、そのまま生き続け、それが当たり前になるでしょう。
その時世界はどう変わるのでしょうね。
IT化はますます進み、おじさんは付いていくのに必死です。
ついて行かなければ、何も出来ない働かないおじさんが出来上がってしまいますすから。
まだ電子メールが普及して間もない頃、職場にはメールの操作を覚えようとせず、部下に出力させて紙で読み、返信を紙で書いて部下に入力・返信させるという怖ろしく時代錯誤なことをやっている年配職員が何人もいました。
年を取って新しい技術を覚えるのが億劫なのは分かりますが、それは職務怠慢というもの。
これからどんなに技術が進歩しても、そういうおじさんにだけはなりたくないと痛感します。
しっかりと5日間働いて、週末を迎えました。
今朝は床屋で散髪。
床屋に行くときは、鼻の調子が良くても悪くても、鼻炎カプセルを飲んでいます。
子供の頃から副鼻腔炎を患っており、成人してからだいぶ良くなったとは言うものの、くしゃみ、鼻水は私にとって近しいものです。
床屋では顔を剃るので、その時くしゃみをしたら顔が血だらけになってしまいそうで、予防の意味で飲んでいます。
床屋は8時半から9時50分までかかりました。
床屋までは徒歩5分もかからないので、自宅に着いたのは10時前。
鼻炎カプセルの副作用もあったのでしょう、ソファで12時過ぎまで寝てしまいました。
起きて、好物の鴨せいろを食いに行きました。
野趣あふれる鴨汁の香りが食欲を誘います。
昼を食ってから今夜のつまみを購入しに八百屋と魚屋に行きました。
晩酌のつまみはシマアジの刺身と鰹のたたき、それにフルーツトマトと菜の花の辛し和えと決まりました。
今日は16時半に精神科を予約しています。
4週間に一度、診察を受けて薬をもらっています。
薬だけが唯一の、私にとっての救いです。
今、14時45分。
また眠くなってきました。
最近、休日というと昼寝ばかりしています。
なんでこんなに、と思うほどよく眠れます。
よほど疲れているんでしょうか。
そういえば、53歳の私は中年なのか初老なのかが気になり、ネットで調べました。
そうしたら、もともとは40歳を指す言葉だったそうです。
今、40歳を初老だと思う人はいないでしょう。
しかし寿命が短かった時代においては、40歳というのは老人の始まりだったわけです。
53歳、疲れるわけです。
最近は初老というと60歳くらいを思い浮かべますが、60歳には還暦という立派な名称があります。
そうすると現代でも、50を超えたら初老なんでしょうね。
初老の私は、通院までのわずかな時間、また眠ろうかと思います。
今日はマンションの管理組合の理事会でした。
14時から17時まで。
3時間もかかってしまいました。
私はくじ引きで負けて、理事長を仰せつかっています。
去年2月の管理組合の総会で選出されてからもうじき1年。
2月末の総会の議長を務めれば、無事お役御免となります。
今期はさしたる問題は無く、理事会も管理会社が用意した議題を淡々と追認するばかりでした。
それでもしょっちゅう管理会社から理事長判断を求める電話がかかってきて、指示を求められました。
預かっている理事長印を押した枚数は数え切れません。
でもやっと終わります。
喜ばしいことです。
昨日は同居人の誕生日でした。
54歳。
出会った時、同居人は23歳、私は22歳、社会人1年目でした。
お付き合いして6年も経ってから一緒になりました。
あれから25年。
今年は銀婚ということになります。
誕生日ということで、午後、クラシックコンサートに出かけました。
私はクラシックは疎いのですが、生は迫力があります。
コンサートに限らず、芝居にしてもスポーツにしても落語や漫才にしても、テレビやユーチューブで観るのとは大きな違い。
最後に生で観たのは国立劇場での歌舞伎。
「天竺徳兵衛韓噺」(てんじくとくべえいこくばなし)という通し狂言でした。
コロナ禍の前、もう3年半も昔のことです。
近頃は患者が減っていないにも関わらず、マスクの着用を見直すだとか、危機のレベルを下げるだとか言っています。
まるでコロナの流行は収まったかのごとくです。
私はまだまだ対策を徹底すべきだと思っています。
それはともかく。
クラシックコンサートを堪能した後は、一般的な鮨店よりもちょっと高い鮨屋で夕飯。
刺身や焼き物、椀物などのつまみを食し、さんざん酒を呑み、あがりの鮨を10貫ほど食い、腹いっぱいになりました。
誕生日ということで、アワビなどの高級食材をバンバン頼んだせいか、二人で5万円を超えてしまいました。
さらには日本バーテンダーコンテストで優勝したことがあるというバーテンダーがシェーカーを振る店でカクテルなど楽しみました。
たまの贅沢ですからこのくらい良いでしょう。
結婚後25年経っても、子供が出来なかったせいか、未だに世界に二人だけが取り残されたような気分が続いています。
この感覚、ずっと続くのでしょうか。
危機が無かったわけではありません。
私が激躁状態に陥ったとき、手こそ上げませんでしたが、言葉の暴力みたいなものは浴びせたように思います。
症状がきつかった時のことは実はあんまり覚えていないのですが、躁を抑える薬を飲み始めて醒めた時、離婚を切り出されるのではないかと本気で思いました。
しかし同居人は、病を憎んで人を憎まずという感じで、許してくれました。
ありがたいことです。
危機を乗り越え、50代も半ばに達しようとして、定年後を意識せずにはいられません。
定年が60歳よりも上になる可能性は大きいと思いますが、還暦が一つの達成であることは間違いないと思います。
その時何を思うのでしょう?
どういう心境になろうと、この世界を二人だけで生きていければと、切に願います。
昨夜の晩酌が過ぎたのか、朝起きても眠くて堪らず、体もだるかったので、急遽休暇を取ることにした。
11まで眠って、やっとしゃっきりしました。
朝昼兼用の納豆と卵の飯を食い、大分落ち着いたのは良いのですが、突然の休暇を取った日は何となく憂鬱です。
年休はいつ取っても良いことになっていますが、変な敗北感みたいなものがあります。
喘息の発作で10月15日の深夜に救急車で病院に運ばれ、10月19日まで入院したことはこのブログでお知らせしました。
わずか3日の入院でしたが、独りベッドに横たわっていると、もう十分に生きた、ここらでいいんじゃないかなんて弱気になりましたが、今日も起き上がるまではそんな気分になりました。
病気では大げさなほど弱気になる性質のようです。
そんな中、同居人からラインが入りました。
義母から同居人の職場に電話があり、コロナが陽性になってしまったというのです。
幸い症状は軽いようですが、84歳と高齢ゆえ、体力の消耗が心配です。
最近、私が執務する事務室から3名のコロナ患者が出ました。
みな軽く、一週間程度で治りましたが、いよいよ近づいていると言う感じがします。
怖ろしいことです。
感染症というもの、気を付けていても、どこでもらってくるか分かりません。
また、死者も増えています。
コロナ禍に見舞われてもう3年も経ちます。
高校生や大学生、リモートでの授業が主で、碌に学校に通えないと聞きます。
大学では勉強が大事なのは当然ですが、生涯の親友を得たり、サークル活動やコンパを楽しんだりといったことも重要です。
コロナ禍ではそんなこともできず、気の毒だと思います。
大学生は馬鹿なことをやるのも大事な経験です。
それらを若いうちに経験しておかないと、思い残しになり、社会人になって弾けたりします。
怖いことです。
私はすでに5回、ワクチンを接種し、車通勤なので満員電車に乗ることも無く、感染のリスクは低いものと思います。
それで陽性になってしまったら、また私の悪い思い癖が出て、この世からおさらばしたくなることは必定です。
今はとにかく、しっかりマスクを付け、必要以上に怖がらないで日々の仕事に精を出すことが重要かと思います。
日曜日の夕方。
毎週のことですが、憂鬱で仕方ありません。
サラリーマンなら誰でもそうだと思います。
労働というのは何よりも食うための収入を得ることが目的ですが、それによって社会への貢献だったり生きがいだったり、様々な動機付けがなされます。
我が国では、一般に労働は貴い行為であり、働くことは良いことだとされています。
それはそうなのかもしれませんが、私は大学生の頃から、働くことは卑しい行為だという考えが頭から抜けません。
毎日遊んで暮らすことのほうがより高貴な生活であるように思えてなりません。
洋の東西を問わず、昔の貴族は遊んでばかりで仕事なんかしていない人が多かったように思います。
貴族が貴いとは思いませんが、食うために働く、しかも起きている時間を圧倒的に長く労働に費やすという行為が、非人間的というより動物として間違っているような気がします。
食えさえすればその他の時間はだらだら過ごしている動物が多く、人間のように朝から晩まで働いているという生き物は他にいないんじゃないでしょうか。
一つには、人間は今だけを生きているのでは無いと言うこと。
過去の思い出に浸ったり、将来を考えて不安に陥ったりします。
すると未来の生活のために必要以上の収入を得ようとやっきになるわけです。
少なくとも私はそうです。
今日食う物があれば明日以降のことは知らん、という態度で生きられれば、楽だと思います。
しかし人間は、日々、将来のために稼ごうとすることをやめません。
そこが強欲で、卑しいことのように感じるのです。
そう考えるとニートという生き方は人間的であるように感じます。
今日と言う日を無為に過ごす。
それを毎日続ける。
ニートと呼ばれる人々は概ね親のスネを齧って生きていると思います。
そしてその親は必ず亡くなります。
その先のことをろくに考えもせずに日々を過ごすという考え方に、憧れみたいなものさえ感じます。
しかし私は生活の安定を求めて就職し、31年間も働いてしまいました。
その間、私はずうっと卑しい生き方をしているという感覚を抱き続けてきました。
では辞めてニートになれば良いではないかという声が聞こえてきそうですが、多くの人は夢を諦めてサラリーマンになります。
私もまた、ニートという夢を諦めて就職し、今日に至るわけです。
労働が卑しいという思い癖は、ただでさえ過酷な働くと言う行為の苦痛を倍加させる作用があるように思います。
今さら労働は貴いなんていう考え方にお宗旨替えすることは不可能です。
せめて労働の貴賤などということ、考えもせずに生きられれば楽だと思います。
これから定年まで、卑しい行為を続けなければならないかと思うとぞっとします。
今日は久しぶりの雨でしたが、気温は高かったようで、春の訪れを感じさせるものでした。
しかし油断は禁物です。
千葉市でも年に一度か二度は雪が降ります。
今年はまだ降っていませんから。
雪が降ると辛いのは、車が出せないこと。
私は免許を取って35年、初めて車を買って30年経ちますが、冬タイヤを履いたことがありません。
必要性を感じなかったせいです。
たまの雪なら電車通期をすれば良いと思ってきたのですが、今の職場、最寄り駅から徒歩だと20分かかります。
雪中行軍となると30分もかかります。
しかもタクシー会社が腰抜けと言いますか、雪の日はまるでタクシーがいません。
雪に慣れていないので、何度もコケます。
最近、冬タイヤを履いたほうが良いのかなと思いつつ、面倒くさくてノーマルタイヤのままです。
私が冬タイヤの車を運転したのは一度きり。
20代半ばの頃、先輩に強引にスキーに連れていかれた際、先輩から疲れたので運転を交代してくれと言われた時だけです。
私は子供の頃親に連れられて何度かスキーに行き、少し滑れるようになりましたが、何が面白いのかさっぱり分からず、スキーとは無縁でした。
当時バブルは弾けていましたが、まだバブルの余韻が残っていて、スキーをやらずんば若者にあらずみたいな空気が漂い、猫も杓子もスキーに行っていました。
当時流行った「私をスキーに連れてって」などという軽薄な映画の影響もあったのかもしれません。
わが国にスキーが取り入れられたのは、日露戦争の直前、陸軍がロシアとの戦いに備え、冬の八甲田山を踏破する訓練を行った際、多数の死者が出たのがきっかけだと聞いたことがあります。
その事故のニュースが世界に流れ、フィンランドだったと記憶していますが、スキー部隊を持つ北欧の国から取り入れるよう勧められたのがきっかけだそうです。
長いことロシアの圧政に苦しみ、独立して間もないかの国がお節介にもスキー部隊の導入を働きかけたわけですが、ついぞわが国の陸軍がスキー部隊を編成したという話を聞いたことがありません。
スキーを履いて森林にまぎれ、ゲリラ戦のような戦いをすることをそもそも想定出来なかったのではないでしょうか。
寒い国で戦う場合、寒さが最大の敵になります。
ナチもそれで独ソ戦に敗れたと言っても過言ではないでしょう。
現在進行形のロシアとウクライナとの戦争、どちらも寒い国ですので、慣れている分、この冬はお互い消耗戦になるのでしょうね。
寒いのは辛いですから、両国の兵隊たちがお気の毒です。
浮かれてスキーなんかしているわが国とは異なります。
わが国においても、シベリア抑留など、寒さに苦しめられた苦い経験があります。
寒さに飢えが加わったなら、まさしく地獄絵図と化すでしょう。
戦争もなく、冬でも暖房の効いた職場や自宅で過ごせる幸せをかみしめなければなりません。
今日は成人の日なんだそうで。
今年は18歳から成人扱いとするそうですが、お酒と煙草は20歳まで禁じられるそうです。
なんだか中途半端ですね。
参政権を認め、保護者の同意なしにクレジットカードを作れるそうですが、それなら酒も煙草も許してやれよいと思います。
酒も煙草も禁じているせいか、成人式ではなく、20歳を祝う会、みたいな名称で行う自治体が多いそうです。
18歳、19歳は参加させないということでしょう。
千葉市もそうすると聞きました。
千葉県では浦安市がディズニーランドで成人式を毎年行ってきて、最初は新鮮なニュースでしたが、今では当たり前になってしまいました。
また、成田市は成田国際空港で行うと聞きました。
そういう大きくて知名度の高い場所がある自治体は良いですね。
私が住む千葉市では、例年、千葉ポートアリーナだか幕張メッセだか分かりませんが、海沿いの大きな会場で執り行ってきたようで、今年もそうするようです。
私が住むマンションの最寄り駅の前では、初々しいスーツ姿の集団を何組か見かけましたが、振り袖姿の女性は見かけませんでした。
なんででしょうね。
新成人の希望に満ちた顔を見ると、これから大変だなという気持ちになります。
泥船のようになってしまったわが国で、これから大学を卒業して就職し、薄給に耐えながら結婚して子供をもうけたりするんでしょうね。
あるいは稼いだ金を自分一人で使うため、一生独身をとおす人もいるでしょうし、そもそも結婚したくても相手が見つからない、という人もいるでしょう。
お金持ちになる人もいればホームレスになる人もいるでしょう。
どんな人生を歩むにしても、楽な生き方を出来る人は一握りでしょうね。
今年54歳になるおじさんには眩しくも気の毒にも見える新成人たち。
そういう人たちが、あと2年もすると、新人として職場に入ってくると思うと、自分も年をとるわけだと、妙な感慨を覚えたりします。
よく昔の権力者は不老不死の薬を求めたりしました。
しかし私は、1秒たりとも若返りたいなんて思いません。
乗り越えてきた苦しい日々を、もう一度やるなんてまっぴらです。
時をさかのぼるチケットがあれば、欲しくなる時がある。
あそこの分かれ道でやりなせるならって。
と歌ったのは、さだまさしでした。
その時々で迷いながらも最善の道であると思って選んだ結果がこの体たらくですから、やり直したって、多分後悔するでしょう。
後悔の無い人生なんて私には想像できません。
後悔が無いなんていうのは、ただの強がりか、単なる嘘か、記憶を書き換えてしまったか、あるいは頭がイカレテしまったとしか思えません。
そういえば新人の頃、定年間際の先輩から、これから人生の苦労を重ねなきゃいけないなんて大変だね、と言われたことがあります。
その時は、このおっさん何言ってんだろうなと思いましたが、今になって、その先輩と同じようなことを思うようになりました。
苦労に苦労を重ねて定年を迎える頃には気力体力も尽き果てて、衰えていくんでしょうね。
安倍政権が掲げた一億総活躍社会だとか、生涯現役社会だのという言葉を聞くと、ぞっとします。
馬車馬のように働いて、年金支給開始年齢の前に死ね、と言っているように聞こえたのです。
高度経済成長時代は、言わば戦後社会の青年期だったのかもしれません。
バブルと言う絶頂を超えて、わが国は衰え続けています。
まるで人生のようです。
これらは疲れた中年オヤジの繰り言と思って、新成人は希望だけに縋って生きてほしいと思います。
どうせすぐに希望なんて失いますから。
今朝は7時に起きました。
平日は6時起きなので、1時間でも余計に寝られると、ずいぶん楽です。
これが休日の贅沢なのでしょう。
なんだか食欲が無かったので朝は濃い珈琲を二杯だけ。
そんな日もあります。
午前中はユーチューブで遊んでいるうちに過ぎてしまい、近所の蕎麦屋で昼食。
天ざるを食いました。
いつの間にか100円値上げになっていました。
1,200円だったのが、1,300円に。
わずか100円ですが、様々な物が値上がり傾向なので、塵も積もればで、家計に響いてきます。
我が国は30年に及ぶ不景気で、給料があまり上がりません。
そこへ来て物価高。
嫌になります。
人間の価値を測るのに、いくらお金を稼いでいるかというのは、単純で分かりやすい指標となります。
分かりやすいのは勝負事の世界。
野球でも相撲でも将棋でも、勝て稼げるし、負ければもらえる金は大幅にダウンします。
実に分かりやすい。
サラリーマンの場合でも、歩合の要素があれば、成績が収入の多寡に直結します。
変な話ですが、慰謝料なんかも、相手に対してどれだけの損害を与えたかを測るのは、結局金額です。
金というのは正直です。
誰でも大金を手に入れたいと願うでしょうし、高給取りは勝ち組なんて言われます。
もちろん、収入の金額が人間性を測る指標になることはありません。
しかし人間性というもの、どういう性質が優れているかを測る物差しは無いでしょう。
多くの人から好かれる人物もいれば多くの人から嫌われる者がいます。
しかし100%誰からも好かれる、あるいは嫌われるということはあり得ません。
どんな悪人にも友人はいるものです。
私は事務職の公務員ですが、この世界は優劣を測ることが難しく、ゆえに年功序列になりがちです。
それは多くの平凡な人間にとって、良い制度と言えます。
年とともに昇進、昇給していくというのは、非常に分かりやすい物差しです。
実力によって収入が決まるという世界もありますが、実力なんて事務職にとっては曖昧なものだし、皺の数だけもらえる額が増えるというのは凡人にとってありがたいことです。
とにかく職にしがみつき、辞めなければ良いだけですから。
世の中金よ、なんていうと偽悪のようにも聞こえますが、人は収入を得るためだけに働いているのですから、偽悪というより馬鹿正直と言えます。
仕事で自己実現を図るとか、社会に貢献するとか、収入以外のことに働く動機を求めようというのは、貴いことかもしれませんが、私は嘘くさく感じます。
自己実現なんて、職業でそれを求めることが出来るのは、ごく一部の才能がある人だけだろうと思います。
凡人が仕事で自己実現やら社会貢献を求めようとするのは、見ていて痛い感じがします。
才能が無い人が努力する姿ほど哀れなものはありません。
優秀と呼ばれるのは持って生まれたものが90%、努力は1割くらいじゃないでしょうか。
もちろん、才能があっても努力しなければ開花することはないでしょう。
しかし才能が無ければ努力は無駄です。
子供の頃は、努力すれば報われる、みたいな教育を受けてそれを真に受けてしまいがちですが、それが嘘であることは、ある程度年を取れば誰にでも分かる冷厳な事実です。
この冷厳な事実に心底気付いた時、凡人は呆然とするしかありません。
そして己の無能を呪いながら、才能が無くても務まる仕事を探して、「生活」を始めるというわけです。
世の中はそもそも不公平に出来ています。
私たち凡人に出来ることは、他人と比べて自分を嘆かないこと。
さらに言えば、凡人なりの誇りを持ち、それを拠り所にして生きること。
傲慢なばかりの自信を持ち続けているだけで、私には美しい人に見えます。
私は誇り高くない人、自己肯定感が低い人、卑屈な人が大嫌いです。
根拠はなくとも誇り高く生きる人は、滑稽かもしれませんが、好ましい性質だと感じます。
私もまた、凡人なりに誇り高く生きたいと思っています。
そうでも思わないとやってられませんから。
今日から3連休。
初日の今日微熱が出て家でゆっくり過ごしています。
微熱と言っても、37度あるかないか。
だるい程度のことです。
市販の風邪薬を飲んで、それも改善されているので、コロナでは無いと思います。
年明けの三日間、ひどく疲れました。
好きな晩酌もやる気が起きず、素面で夜を過ごしました。
それがかえって良くなかったのかもしれません。
慣れないことはするものではありません。
ロシアとウクライナとの戦争が起きるまで知りませんでしたが、ロシア正教や東方正教では、今がクリスマスなんだそうですね。
昔の戦争では、クリスマス停戦というのがあったらしく、戦争にもお休みがあったそうで、ずいぶん牧歌的なものです。
人間は歴史から何も学ばないということが歴史からは学べる、と皮肉ったのはヘーゲルでしたか。
今の遠い国の戦争をみていると、そのとおりだと思います。
少なくとも第二次大戦以降、大国がガチンコで侵略戦争を起こすことは無くなったと、私は本気で信じていました。
認識が甘かったのですね。
第二次大戦で戦勝国となった当時のソビエトは、約900万人もの犠牲者が出たと伝えられます。
敗戦国の我が国が約300万人、ドイツが約800万人と言いますから、ソビエトの死者がいかに多かったかが分かります。
元々兵隊や一般庶民の命が軽く扱われるお国柄と見えます。
日露戦争時、皇軍とロシア軍が白兵戦を繰り広げている戦場に、ロシアは後ろから大砲をボカンボカン撃ちこんで、皇軍を驚愕させたと伝えられます。
要するに味方もろとも敵を倒すという戦法で、ロシア兵にしてみれば背後から味方に撃たれるわけですから、たまったものではありません。
以前観た「スターリングラード」という映画では、ドイツとソビエトの市街戦での激闘が描かれていましたが、そこでは、ロシア兵は二人に一丁のライフルしか渡されず、しかも逃げようとするソビエト兵を撃ち殺すためのソビエト部隊が待ち構えていて、衝撃を受けた覚えがあります。
二人に一丁ということは一人は丸腰ということで、弾除けにでなれということでしょうか。
丸腰の兵隊が逃げ帰ろうとするのも当たり前だと思いますが、そうすると味方から撃たれるのですから、兵隊は半狂乱になって戦いを続けたものと思います。
不条理で知られる皇軍も、兵隊にそこまでひどい扱いはしなかったものと思います。
特攻はさせましたが。
その悪しき伝統は現在の戦争でも生きているのじゃないでしょうか。
より多く殺害し、より多く破壊した国が勝利するのが戦争というものだと思いますが、ロシアに限ってはそうとも言えないようです。
味方がどれだけ殺されようと、広い国土を利用して奥へ奥へと逃げ、敵の兵站が尽き、過酷な冬を迎えた頃に反撃するという戦法は、ナポレオンとの戦争でもナチとの戦いでも同じだったように思います。
今、ウクライナは世界有数の軍事大国を相手にして、ずいぶん善戦しているものと思います。
ロシア兵も大義の無い侵略戦争に加担させられて、疲れ切っているのではないでしょうか。
プーチンが始めたこの戦争、いつ、どういう形で終わるのか、全く見えません。
どんな形にせよ、独裁者にして侵略者となってしまったプーチン、歴史が彼をどう裁くかは、歴然としているように思います。
どうか一日も早い停戦をと願います。
連休の最終日。
毎度のことですが、ひどく落ちています。
抗不安薬を処方の倍飲み、どうにか平静を保っていますが、薬が切れたら同じこと。
薬が切れる前に眠ってしまった方が良いでしょうね。
明日からの怒涛のスケジュールに恐れおののきながら、今日と言う日を過ごしました。
連休明けの前日の憂鬱は、いくつになっても変わりません。
そんな中、学生時代の友人から来る年賀状を見て、自分の年を実感します。
学生時代の結婚した友人たちには、もう20歳を超えた倅や娘がいるのですね。
私たちも今年で結婚25周年ですから、当たり前と言えば当たり前ですが、子供が出来ないゆえに永遠の新婚気分でいる私たちとは歩んできた人生が全然異なっているのでしょうね。
七五三や進学、就職など、多くのイベントを経て大人になっていく子供を見るのはどういう気分なのでしょう。
よく子供と一緒に成長しなおす、なんていう人がいますが、そういうものなんでしょうか。
それとお金。
子育てにはきっと大金が必要だと思います。
サラリーマンの安月給で子供を3人も育てるには、節約が不可欠。
きっとお父さんの小遣いは3万円くらいなんでしょうね。
切ない話です。
一方、独身を貫いている友人もいます。
特に私と親しくしている友人は、高身長で頭が良く、学生時代からモテました。
しかし彼は、一生独身を貫く、全ての金を自分のために使う、と宣言し、今も楽しそうです。
一生をともに過ごす価値がある女なんてこの世に存在しない、とでも言いたげです。
ドラマ「結婚できない男」で、独り焼肉の話が出ていましたが、彼はそれよりはるか昔から、独り焼肉なんて当たり前で、高級フレンチに一人で出かけ、ワイン2本を空ける強者です。
一人を楽しむ生き方も、結婚して子供をもうける生き方も、また、私たちのように結婚したけど子供ができず、今は二人で楽しくやっているという生き方も、どれもそれぞれが選択すれば良いと思います。
結婚したくても出来ない、という男女がいますが、出来ないなら出来ないで、人生を楽しく生きることは可能でしょう。
友人たちの年賀状を見て、人の生き方ということを考えざるを得ませんでした。
今朝は早起きして千葉神社に初詣に行きました。
神社周辺には多くの的屋が並び、正月気分を盛り上げてくれます。
千葉神社は北斗七星を祀る珍しい神社です。
本殿の横には天神様のお社もあります。
むしろこちらの方が多くの参拝客を集めているようにも見えました。
受験が近いですから、学問の神様を祀る天神様のご利益にあやかろうとする者が多いのでしょうね。
長い列に並び、参拝を済ませる頃にはすっかり冷え切ってしまいました。
青い着物と羽織、それに角袖コートを着込んで行きましたが、まだ足りなかったようです。
着物は絹の長襦袢を身に付けるので、見た目よりもずっと暖かいのですが、正月の寒風には敵わなかったようです。
参拝を終えて、そごう千葉店に向かいました。
お店の前の広場では、笛や太鼓に合わせて獅子舞が行われていました。
そごう千葉店前の広場で獅子舞を見ると、今年も正月が来たんだなと実感します。
冷えた体を温めようと、ビーフカレー、サラダ、スープ、熱い珈琲のセットを頼みました。
そごう千葉店を訪れた際の、定番の昼飯です。
福袋が何種類も置かれた店内を冷やかしてまわりました。
途中、漆の6枚セットの皿と、パソコンなどを入れて持ち運ぶのにちょうどよい、革のリュックに心を動かされましたが、両方とも自分には身分不相応の贅沢品と思いましたので、断念しました。
晩飯にデパ地下で中華弁当を購入して、帰宅の途につきました。
この休みでは初めて、義母を見舞うことが無い完全フリーの休日で、同居人もほっとした様子でした。
まずは良い正月休みだったと思います。
明日もフリーですが、連休最後の日ということで、きっとひどく落ちるでしょう。
それでもその日を生きて、年初の仕事に向かわなければなりません。
サラリーマンとは因果な商売です。
「八つ墓村」という映画で、資産家の家を飛び出した孫を見て、老婆が、「放っておけば良い。どうせ帰ってくる。人に使われて働くということがどんなことか分かればな、ヒヒヒヒ」と笑い飛ばす場面があって、子供心に強烈な印象を覚えました。
その時、初めて勤め人にだけはなるまい、と思いました。
しかし大学生になって、資産も無く、才能も無く、学歴も無い私が人並みの生活を送るには木っ端役人しかないと心に決め、公務員試験を受けました。
合格して、もう31年も働いて、人並みの生活は送れていますが、人に使われて働くということのしんどさを嘆き続けた31年でした。
定年までまだかなりあります。
その日まで、私は嘆き続けるんでしょうね。