今日は同居人が休日出勤を命じられたため、独りで過ごす日曜日になりました。
我が家では土曜日はお出かけなどして遊ぶ日、日曜日は洗濯や掃除、一週間分の食料の買い出しなどの家事の日と定めています。
それはどちらかが休日出勤をしていても変わりません。
したがって、今日は独りで家事をこなしました。
私は基本的に一通りの家事は自分だけでできちゃいます。
料理もレパートリーは少ないながら、そこそこ美味しくできると思います。
しかし、やはり独りで過ごす休日は面白くありません。
結婚から26年。
もはや独りが嬉しいはずなのに、私はそうではありません。
とても寂しく感じます。
同居人にどれだけ依存しているのかを思い知らされます。
同居人に先立たれでもしたら、私は後追いはしないまでも孤独に耐えきれず、過度の飲酒や精神病薬のOD などにより、じきに亡くなってしまうような気がします。
同居人よりも先に逝きたいと願っています。
昨夕、義母が入院している病院から同居人が呼び出されました。
この3日ばかりの間に義母の体調は著しく悪化し、もはや口から食事を摂ることは無理であろうこと、認知機能はまだそれほど衰えていないが、普通に会話することは無理であること、車椅子に座ることは体を支えられないために困難であろうこと、今後の治療は義母の年齢や状態から考えて、積極的には行わず、痛みや不快感を緩和するだけにしたいこと、等の説明があったとのことです。
週末は主治医がお休みのため、金曜日のうちに説明しておきたかったとのことでした。
最悪今日、明日にも危ないということです。
義母は東京大空襲を生き残りますが、幼い妹と母親ははかなくなってしまいました。
戦後は父親と祖母から可愛がられて育ち、少々わがままな性格になってしまいました。
商業高校としては日本一と言われる芝商業高校を卒業して日債銀に勤め、結構楽しいOL生活をおくったようです。
その後義父とお見合い結婚し、二人の娘に恵まれますが、妹の方はわずか18歳で病死。
義父は5年前に他界しており、家族を喪うことの多い人でした。
今日、最近近所に出来た特別養護老人ホームに見学に行きました。
できて数か月ですが、もう20人待ちだそうです。
義母が退院できるかどうかは分かりませんが、退院出来た後のことを考えてのことでしたが、20人待ちでは無理でしょうね。
その間に亡くなってしまいます。
そもそも退院できる可能性のほうが低いと思います。
タイミングが悪いというか、今夜は結婚26周年を祝って少々値の張る懐石を食す予定になっております。
予約がなかなか取れない店なので、ずいぶん前に予約しました。
いつその時が来るかは分からないわけですが、予定どおりお祝いをしたいと思っています。
万が一小宴の途中に連絡が来たら、タクシーで病院に駆けつけるしかありますまい。
宴会をやったり旅行に行ったり趣味を楽しんだり、恋をしたり友人が出来たり、人生の楽しみすべてが儚いことのように思えてしまいます。
私の親世代はいわゆる後期高齢者で、順番に亡くなっていくのでしょう。
その後は私たち世代の番。
私にも必ずその時が来ます。
その時どういう心境になるのかは見当もつきませんが、心穏やかでありたいと思っています。
昨日、6月13日は26回目の結婚記念日でした。
昨年は銀婚ということで、式を挙げた東京大神宮から祝詞に招待され、千葉からわざわざ飯田橋まで出かけました。
東京大神宮に隣接するマツヤ・サロンで宴会もあったのですが、25年前に同じ式場で式を挙げたというだけのご縁で氏素性の知れない人々と宴席を囲むのはつまらんと思い、宴は欠席しました。
その他に、二人で蓮池の路地裏にある千葉市一番の高級寿司でコースを食い、大酒をも喰らいました。
あれから一年。
今年は明日の土曜日に千葉駅から徒歩10分ほどの高級和食店で懐石料理を食いつつ、お酒をいただく予定にしています。
唯一の心配は先般軽い脳梗塞を起こした義母が入院中だということ。
脳梗塞はごく軽く、若ければ問題にならないらしいのですが、何しろ84歳と高齢ですから、どうなるか分かりません。
食事もほとんど取れず、このままでは鼻からチューブで栄養分を補給する他なくなるそうです。
もともとは食欲旺盛な健啖家だったのですが、年を取ると好きな飯も食えなくなるのでしょうか。
義母の晩年が安らかであらむことを。
今朝、義母が入所している施設から電話があり、朝食に箸を付けず、表情に精気が無く、血圧を測ったら上が190を超えていたとかで、掛りつけの内科に連れて行ったらその場で大きな病院へ行くよう紹介状を渡され、大病院で検査の結果、入院となりました。
脳梗塞とのことです。
一か月程度ということです。
今入っている施設は医療行為は行えないので、退院後は特別養護老人ホームに移る必要がありそうですが、果たして空いているか。
もし空いていなかったら、同居人は介護離職せざるを得ないでしょう。
人は簡単には亡くならないのかなと変なことを感じてしまいました。
月曜日から金曜日までみっちり働いて、土曜日を迎えたのは喜ばしいことですが、朝から体がだるく、熱を測ったら微熱がありました。
思えばコロナ禍の時には風邪一つひきませんでした。
多分手洗い、手の消毒、マスクなどが効いていたのではないかと思います。
ところがちょっと油断しただけで微熱を発するとは、人間の肉体というもの、正直に出来ているようです。
今日は朝一番で内科に行ってきました。
4か月に一度の血液検査の採血のためです。
朝飯を抜いたせいでひどく腹が減りました。
昼はあっさり塩ラーメン。
最近近所にできたあっさり塩とあっさり醤油の2種類だけのお店で、出汁が効いていてなかなかいけます。
午後、12型のレッツ・ノートが届きました。
自宅ではごっついHPのデスクトップを使っていますが、携帯用に購入しました。
以前使っていた物が10年近く経ち、動作が遅くなってストレスでしたので、やむを得ず買い換えました。
レッツ・ノート、ノートパソコンでは最強の性能を誇り、値段も他の機種の倍以上しますが、頑丈で長持ちするので購入したしだいです。
初期設定を済ませてJ:comのwifiに繋ぎ、いつでも使えるようにしました。
これで旅行先からでもブログの更新ができるし、職場で支給されているノートパソコン(こちらも最新型のレッツ・ノートです)を申請無しで持ち運ぶわけにはいきませんから。
その後本屋で本を三冊購入。
1冊は嵐山光三郎の老いに関するエッセイ、1冊は吉田修一の青春小説、1冊は初めて読む作家の女死刑囚をめぐる小説です。
本屋に行くと、なるべく初めましての作者の本を1冊買うようにしています。
アマゾン等の通販ではなく、本屋に足を運ぶ最大の喜びは出会いですから。
今から読むのが楽しみです。
今日はこれから風呂に入り、平目の刺身とホタルイカ、フルーツトマトと空豆で一杯やる予定です。
今週は月曜日から金曜日まで完全に酒を空けたため、5日ぶりの酒です。
なかなか良い週末だと思います。
昨日は実家の寺で亡父の13回忌。
首都圏に住む親族のみで執り行われました。
父が亡くなってから12年経ちます。
雪がぱらつく寒い日、浅草寺病院にお見舞に行って、その翌日の未明、帰らぬ人となりました。
最後のお見舞いから葬儀、私が激やせしたことなど、父の死をめぐる日々のことは鮮明に覚えています。
私にとっては世界の終わりが来たような、衝撃的な出来事でした。
でも変ですね。
40を過ぎたおっさんが父親の死をそこまで嘆くなんて。
順番だから仕方の無いことなのに。
昨日の法事で久しぶりに顔をあわせた叔父や叔母は当たり前ですが衰えていました。
足が弱くなった者、人工透析になった者、様々です。
私が54歳ですから、みなさん後期高齢者です。
頼るべき子供がいない私たち夫婦の老後がどうなるのか、不安を感じました。
そのなかで一人元気そのものだったのが、87歳を迎える家政婦です。
この人、私が高校1年生の頃から勤めているので、もう38年になります。
長く続ける家政婦が少ないなか、極めて異例です。
学童疎開を経験した戦中派で、しかも実家のお寺の檀家でもあります。
檀家仲間が来れば当然昔話に花を咲かせます。
極めて多い来客の応対、適度な運動になる家事をこなし続けていることが元気の源なのかもしれません。
定命は天の知るところ。
人が知ることではありません。
嘆こうが叫ぼうが亡くなった人が生き返ることはありません。
それでも、私自身が死の床に着くまで、私は亡父がこの世にいないことを嘆き続けるのだろうという予感を捨てきれずにいます。
性懲りもなくまた懐中時計を買ってしまいました。
懐中時計では有名なアエロウォッチの手巻きで、デザインが現代的というか、スタイリッシュな黒で、暗い場所では文字と針が光るという、懐中時計にしては珍しい逸品です。
懐中時計は百年以上前に作られ、オーバーホールを繰り返したアンティークの美品は200万円くらいするそうですが、新品は高級腕時計のように何百万円もする物はありません。
しかしそれでも、ちょっとしたものなら何十万円とかかります。
安月給の木っ端役人には無理目なコレクションです。
今日購入した物も、私には分不相応な値段でした。
もともと私は物欲があまりなく、コレクションなんてしたことがありませんが、懐中時計にだけはハマってしまいました。
これで止めておかないと破産してしまいますね。
今朝は5時にばっちりと目を覚ましてまい、もう眠れませんでした。
そこで朝湯に入り、飯を食ってから洗濯をしました。
わが家は日曜日の朝に一週間分の洗濯をするので結構な量です。
そのために、大容量の洗濯機を使っています。
同居人が夢の中にいる間に洗濯を済ませ、ベランダに干してしまいました。
その後、しばし読書。
恒川光太郎の短編集を半分くらい読みました。
午後は春めいた陽気に誘われて千葉駅周辺を散歩しました。
日頃町に出ることが出来ない田舎めいた所にある巨大研究所で働いているため、週末くらいは都会的な町を歩きたくなります。
たっぷり歩いて疲れてしまい、喫茶店で珈琲を飲んで帰宅しました。
今日の晩酌のお供は大きなカマスの開きと江戸川産のべらぼうに旨い小松菜の煮びたしとフルーツトマト、それに木綿豆腐の冷奴です。
明日からの仕事を思うと暗い気分になりますが、サラリーマンである以上仕方ありません。
飯の種ですから。
金属質の物が肌に触れるのが嫌で私は腕時計をしないことはこのブログでお知らせしたとおりです。
で、懐中時計を使っています。
長いことロンジンの手巻きの懐中時計1本で済ませてきたのですが、最近になって様々な懐中時計が欲しくなり、懐中時計専門店からいくつも購入しています。
私の好みはシルバー、アラビア数字、蓋無し、手巻きです。
ローマ数字は好まず、絶対に買いません。
ローマ数字なんて普段読み書きすることがありませんから、見にくいのです。
スケルトンや蓋付き、ゴールド、クオーツも好みません。
しかしローマ数字のように絶対に買わないということはありません。
いくつか買いました。
ゴールドに興味は無かったのですが、ごくわずかですがローズ・ゴールドという色の懐中時計があることを知り、注文しました。
それが今日届きました。
こんな感じです。
これで懐中時計は6つになりました。
そろそろ打ち止めかなと思います。
高級腕時計ほど高い物はありませんが、それでも10万単位の買い物ですから、これ以上はまずいかなと思っています。
これだけあればもう満足です。
今日は休暇を取りました。
半年に一度の千葉大学附属病院の眼科を受診するためです。
33歳の時に強い疲れ目で近所の眼科クリニックを受診しました。
疲れ目は問題にならず、涙の成分と同じ目薬を処方されただけでしたが、緑内障の初期症状が認められるとのことで、視野検査を受けたところ視野の欠損は無かったため、半年に一度そのクリニックで視野検査を行い、様子を見ることとなりました。
しかし少しづつ緑内障が進み、一種類だった目薬が二種類になり三種類になりました。
そして3年前、クリニックの院長から白内障だけではなく緑内障にも手術があり、ただし進行を止めるだけではあるが、手術を検討すべき時期が来たと言われ、紹介状を渡され、千葉大学医学部附属病院に行きました。
てっきりすぐに手術ということになると思っていたのですが、千葉大学医学部附属病院においても視野検査を行った結果、50代だと緑内障の手術を受けるにはいささか若く、感染症の怖れが大きいと言われ、こちらでも半年に一度視野検査を行い、そのたびに様子を見ましょうと言われ、ついに3年経ってしまいました。
なんだかモヤモヤします。
切るならさっさと切ってくれと言いたくなりつつ、しかしやっぱり眼の手術は怖いというのが本音です。
職場の先輩に網膜剥離で眼の手術を受けた人がいて、話を聞いたら眼に麻酔をかける際、注射針が眼に迫ってくるのが見えるということで、私は恐怖に打ち震えました。
このどっちつかずの状態、いつまで続くのでしょうね。
33歳で緑内障と言われ、もう23年が経とうとしています。
確実に悪化してきているとは思いますが、多分3年くらい現状維持が続いているのでしょうね。
だから眼科医は手術をしないのだと思います。
どうせ進行を止める効果しかない手術だったら、そのまま様子を見続けるのも悪くないかと思います。
人間50歳を越えればどこかにガタがくるはずで、それが私の場合眼だったということでしょう。
しかし私にも自慢できることがあります。
それは歯です。
生まれてから一度も虫歯になったことがなく、4カ月に一度歯のクリーニングに通っていますが、いつも歯科医からお手本のような良い歯並びだと驚嘆を込めて褒められます。
私が旨い物を食うことをことさら好み、味わえているのはこの歯のおかげだと思います。
これから年とともにあちこち不具合が生じるのでしょうが、生まれた瞬間から死に向かっていくしかない生物の宿命としか言いようがありません。
せめては不具合の発生が1秒でも遅くなってほしいと願います。
土曜日。
一週間のなかで一番ほっと出来る日です。
日曜日になると早くも月曜日を思って憂鬱になりますから。
今朝は平日と同じ6時に起きましたが、朝飯は我慢です。
というのも内科で4カ月に一度の採血があるからです。
職場の健康診断でコレステロール値が異常に高く、血圧も少し高かったことが判明し、近所の内科を受診したのが23年前。
コレステロール値や血圧は服薬治療のおかげで長いこと安定していますが、最近肝臓の数値が少し悪化してきました。
長年酒を呑み続けていますから当たり前と言えば当たり前です。
うつ病が激しかった頃食っちゃ寝の生活を続け、55キロだった体重が74キロまで増えて、糖尿病が疑われ、治療開始の一歩手前までいきましたが、すぐに父が亡くなり、そのショックからか1年間で48キロまで痩せてしまい、糖尿病の心配は無くなりました。
父は死してなお倅の健康を気遣ってくれたのかもしれません。
ところが最近60キロまで体重が戻り、また糖尿病の初期症状になってしまいました。
前回は74キロだったので、60キロくらいどうってことないと思っていたのですが、48キロまで痩せたせいで体質が変わってしまったようです。
そう診断されたのが8月の終わり。
その後朝と昼はしっかり食って夜はおかずだけ食べて白飯を食わない生活を続けたら56キロまで落ちました。
今日の健康診断、ちょっと自信があります。
それにしても23年間もよく真面目に通いました。
40歳前だった主治医は当たり前ですが還暦を過ぎました。
時の長さを感じます。
いったいこの病院にいくらつぎこんだのか分かりません。
今はコレステロールを下げる薬、降圧剤、気分安定剤、抗不安薬、抗うつ薬、睡眠導入剤、喘息予防のための吸入薬、眼圧を下げる薬4種類と、多くの薬のおかげでどうにか生きています。
年を取ると言うことは、すなわち薬が増えることなのだと実感します。
しかも私は根が真面目で、健康を維持したいという欲求が強いことから、薬の飲み忘れということはありません。
もしかしたらこれら大量の薬が、老いて悪さをするのかもしれません。
特に精神病薬の服用は認知症のリスクを高めたり、寿命を短くしたりすると言います。
しかし今を元気に過ごすには服薬が欠かせません。
いずれも生きているかぎりずうっと続けなければならない薬です。
服薬の副作用で寿命を縮めるのなら仕方ないことです。
薬を止めて離脱症状に陥るよりよっぽどマシです。
今体調が良ければ、1年も2年も先の事などどうでも良いし、悪くなったらその時医師に相談すれば良いと思っています。
昼はボンゴレビアンコとサラダ、それにデザートに珈琲とティラミスを頂きました。
腹ごなしに40分ほど散歩して、帰宅してからかねて購入してあったベビーメタルのDVDを鑑賞しました。
5年ほど前に一人抜けて2人体制になり、助っ人を代わる代わる入れて公演を続けた彼女たちですが、このたび正式メンバーが加わり、改めて3人体制になった後最初のライブを収めたDVDです。
ベビーメタルはアイドルとメタルの融合というコンセプトで始動したプロジェクトですが、意外にも中高年のファンが多いと言う特徴を持っています。
私もその一人。
デビュー当時13歳くらいの子供だったのが、今では20代半ばを迎え、迫力を増しました。
メタルはそうでなくてはいけません。
これからの重鎮らしい活躍を期待しています。
今日は午前9時に東京ガスの職人が来て給湯器の交換を行いました。
午後1時まで、4時間もかかってしまいました。
私が今住んでいるマンションに引っ越してから実に23年も給湯器は故障もせず、頑張ってくれました。
一般に15年程度で交換と言われているそうですから、驚異的なほどの年月です。
しかし1カ月ほど前から動作が不安定になり、お湯はでるもののリモコンのボタンが点滅したりするようになり、2週間前に東京ガスに来てもらい、当然古すぎて部品も無くなっているため、修理は不可能で交換となりました。
リモコンのボタンは取替え前と後で以下のような違いとなっています。
↓
経年劣化は明らかです。
赤ん坊が大学を出て就職するまでと同じくらいの長さですから当たり前です。
機器も人間も歳月の流れによって不具合が生じるのは避けれないことです。
経年劣化とは言うものの、近頃義母の衰えが激しく、困惑しています。
つい一か月ほど前までは毎晩電話してきて同居人相手に1時間も一方的にしゃべり続けるのを恒例としてきたのに、一週間ほど前から電話がかかってこなくなり、こちらからかけても出なくなってしまいました。
施設に見舞に行くと、遠い過去の記憶は鮮明ながらついさっきの記憶があやふやになり、愛用のガラケーの掛け方も出方も判らなくなってしまったことが施設の職員によって知らされました。
先日ケアマネージャーとの面談があり、結果はまだ出ていませんが、ケアマネージャーの見立てでは要介護4程度とみられる、とのことでした。
今までは要介護2だったので、3をすっ飛ばしてしまったようです。
あまりの衰えの速さに驚いています。
赤ん坊が成長する速度よりも早く衰えています。
多少は歩けるのですが億劫がって車椅子の生活を止めようとせず、2週間に一度のリハビリの時だけ、少し歩いています。
一日中テレビを見ていたのが、ほとんど見なくなり、大好きだった相撲中継も見なくなってしまい、日がな一日ベッドでまどろんでいるそうです。
もはや寝たきりになるのは近いと考えざるを得ません。
そしてその先にあるのは・・・。
思えば勝気な面もありましたが、家族に恵まれない人でした。
東京大空襲で母親と幼い妹を奪われ、戦後間もなく父親も亡くなり、祖母に育てられました。
長じて結婚し、二人の子宝に恵まれますが、下の娘はわずか18歳で病死。
夫にも先立たれました。
血を分けた親族は都内、糀谷に住む姉と同居人だけになってしまいました。
そして今、自らもあの世とこの世を行きつ戻りつしているような状況に陥りました。
義母の人生が幸せだったのか、私には分かりません。
しかし84歳まで生き、天寿をまっとうするであろうことは間違い無いと思います。
それだけでも幸福だと言えるのかもしれません。
何が幸せかは人それぞれ。
私は自分が幸せだとか恵まれているとか思ったことはありませんが、冷静に考えてみればこの時代に日本に生まれただけでも幸福なのかもしれません。
物質的には豊かですし。
金持ちとは言えませんが、とくだん金に困ったことはありません。
固い仕事に就いて、途中精神障害で長期休職したとはいえ、復職して15年ちかくが経ちます。
結婚してマンションを買って子供は出来ませんでしたが、傍から見れば何不自由無い生活に見えるでしょう。
しかしだからと言って幸福感は感じません。
人間なんて無いものねだり。
他人が持っていながら自分には無いものに嫉妬するように出来ています。
若い頃小説家で身を立てようと夢を見て、せっせと書いていましたが結局は駄目だったわけですが、今でもテレビで芥川賞・直木賞の受賞者発表のニュースをやっているとすぐに消してしまいます。
嫉妬するからです。
阿保ですね。
他人の才能や成功を羨むなんて。
焼きが回ったとしか思えません。
義母の年齢に達するまであと30年あります。
そう思うと義母の衰えは当たり前なのかもしれません。
今の時分は20代の頃から比べると明らかに気力体力ともに衰えていると感じます。
それがあと30年だなんて気が遠くなります。
でもきっと、自分がその年になれば、50代なんて若かったと思うんでしょうね。
たかが給湯器の交換ごときでなんだか時の流れの残酷さを感じてしんみりしてしまいました。
まだ人生は続きます。
これからは自分の衰えを観察しながら生きていくことになるんでしょうね。
今日は同居人の55歳の誕生日。
昔は55歳と言えば立派な老人だったと思いますが、今は医学の進歩や食事が豊かになったせいか、まだ中年の部類かと思います。
一日早いですが、昨夜、高級中華料理店でコース料理を食しました。
和食に比べて明らかにヘヴィで、完食は出来ませんでしたが、今朝体重を測ったら1キロ増えていました。
痩せるのは難しいのに太るのは簡単ですね。
夜景を見ながら18時から22時まで呑んで食いました。
一般に夜景というと神戸、長崎、函館などが有名ですが、いずれも坂がちの港町です。
そういう地形が良いのでしょうね。
千葉市はアップダウンがほとんど無い平地なので夜景といっても大したことはありません。
18時から22時まで、ゆっくりと酒と料理を楽しみ、食後はジャスミン茶を頂きました。
結婚して25年になりますが、会話が無くなるということは全くありません。
今も馬鹿な話ばかりして喜んでいます。
今年の8月には私も55歳になります。
年をとったと嘆くのではなく、この年まで生きられたことに感謝すべきでしょうね。
きっと昔だったら寿命を迎えていたのでしょうから。
今日は雨の中ドアミラーの修理を終えた愛車を取りに行かなければなりません。
先週は5日間、電車で通い、嫌になっていたので嬉しいですねぇ。
今朝、自動車事故を起こしてしまいました。
出勤途中、センターラインギリギリを走ってきた対向車のドアミラーと私の車のドアミラーがあたって、ドアミラーが壊れてしまったのです。
お互いそのまま走り去ってしまったので、警察に届けることもできませんでした。
多忙な折ではありましたが、急遽休みを取ってスバルのディーラーに行きました。
総額11万円で、部品が入りしだい連絡がくることになり、右側のドアミラーが壊れたまま帰宅しました。
ドアミラーが無いと車線変更等に危険が生じます。
修理するまでは運転しないようにしたいと思っています。
それかあらぬか、途中銀行に寄った際、コインパーキングに停めたのですが、気が動転したのか、車止めに盛大に乗り上げてしまいました。
車の裏の部分をぶつけてしまったと思います。
これによる影響はまだありませんが、走行不能なんていうことになったら目もあてられません。
今日は普通に走れたので、明日の朝ちゃんと走るか試してみたいと思います。
人身でなかったのがせめもの救いです。
やれやれ。