晴天に恵まれて、今日も都内散歩を楽しみました。
昨日は山の手でしたので、今日は下町。
日本橋浜町界隈をぶらつきました。
浜町公園駐車場に車を止めて、まずは隅田川の川沿いを両国橋方面へ。
隅田川では、東京消防庁の方々が、船の訓練を行っていました。
格好良いですねぇ。
自分がデスクワークで生計を立てているせいか、ガテンな仕事にあこがれます。
しばらく眺めていました。
「海難救助の仕事がしたいなぁ」とつぶやいたら、同居人が爆笑しながら、「絶対無理」と答えよりました。
あぁ、鋼の肉体が欲しいものです。
その後ジョナサンで昼食をとり、甘酒横丁の呉服屋を冷やかしたりしながら人形町へ出て、新築成った水天宮にお参り。
水天宮、ぴかぴかでした。
さらにやげん掘り通りに出てやげん不動尊をお参り。
やげん堀りの本店は駒形だか浅草だかにあったように記憶していましたが、もともとは東日本橋にあったのが、移転したそうです。
勉強になります。
新たな発見と道に迷うことこそ散歩の醍醐味。
そういえば私が学生の頃は散歩と言わずに路上考現学などと偉そうに名乗っている人々がいましたが、もう誰もそんなこと言わなくなりました。
結構なことです。
少し疲れて、浜町公園横の喫茶店で珈琲とシガリロで一休みし、水天宮近くの成城石井でチーズとワインとお惣菜を購入し、帰宅の途に付きました。
少々日焼けしたようです。
昨日は強風が吹く中、晴れたので神宮外苑から青山あたりを散歩しようと、車を絵画館駐車場へと走らせました。
しかし、着いてびっくり。
国立競技場工事の関係で、神宮外苑一帯が通行止めになっているではありませんか。
仕方なく、外苑西通り沿いにある立体の時間貸し駐車場に車をとめて、裏道を表参道方面へと歩き出しました。
思えば30年前、私は神宮球場の向かいに建つ高校に通っていたのでした。
当時は少年ゆえの鬱屈を抱え、なんとなく不安で不満な日々をおくっていましたっけ。
30年後、中年になって嬉々として散歩に来るとは思いもよりませんでした。
時の流れは残酷であると同時に、あらゆる鬱屈を癒してくれるもののようです。
今も私は中年なりの鬱屈を抱えてはいますが、少年の日の、生物の本質のようなそれとは自ずと違う、垢にまみれたものなっています。
そんなことを考えながら表参道に到着。
まい泉で豚しょうが焼き定食をいただき、また別の道で神宮外苑へと戻りました。
絵画館前では多くの子供たちが自転車に乗る練習をしていました。
遅刻を怖れて毎朝駆け抜けた絵画館前広場。
今の私は走ることなんてありはしません。
あの頃は23区でもっとも環境の良い神宮外苑の景色を眺める余裕すらなく、ひたすらおのれの心に向かい合っていました。
景色を眺め、散策するためだけに千葉くんだりから出かけている今こそ、私は根源的な鬱屈から解放されたのかもしれません。
今日は雨です。
日本の雨は主に長崎に降ると冗談を飛ばしたのは誰でしたか。
熊本の被災地、どうなっているでしょうね。
野外で寝起きしている人や車の中で生活している人もいるやに聞き及びます。
雨が降らなければ人間生きていけないわけで、恵みであることは間違いありませんが、災害をももたらす、両刃の剣のような存在でもあります。
明日から3連休。
せめて連休中くらいは、晴天に恵まれて、ふらふらと歩き回りたいものです。
今日は都内で外部資金獲得のための勉強会。
国立の学術研究機関は、毎年予算が削られ、青息吐息。
勢い、外部資金獲得に血眼になるというわけ。
かつての国立大学等の学術研究機関は潤沢な予算が措置され、基礎研究もずいぶん充実していました。
しかし今は、医学とか生活工学とか、すぐに利益に結びつく研究にばかり予算が配分され、基礎研究は風前の灯です。
わが国はアジアのなかでは理系のノーベル賞受賞がダントツに多いことで知られていますが、20年、30年経ったら、おそらく受賞できなくなるでしょう。
まったく世の中金、ですかねぇ。
そろーりと、一週間が始まりました。
明日は東京大学で外部資金獲得のための勉強会。
職場には行きません。
金曜日は昭和の日でお休み。
今週は3日しか職場に出勤しないということで、いつものように怒涛の始まりではないように感じます。
それは嬉しいようでいて、結局仕事が先送りになるだけのこと。
喜んでばかりもいられません。
今年は大型連休の合間に休暇を入れていないため、暦どおりです。
遠出する予定もなく、なんとなく間が抜けています。
だらだらした休みになりそうです。
昨夜は六本木の高級鮨店で昔なじみの友人二人と小さな宴を楽しみました。
2人はかつての同僚で、2人とも独身女性です。
鮨は本格的な江戸前ではなく、工夫をこらしたやや変わったもの。
それは成功している物もあり、そうでもない物もあり、なかなかに楽しめました。
生ビールを飲んだあと、冷酒を2杯空けました。
良い心持ちになったところで、鮨屋から近い地下のこじんまりしたバーへと河岸を変えました。
バーではソルティドッグとダイキリとギムレットを飲みました。
いずれも私のお気に入りのカクテルです。
この二人と会って楽しいのは、単に昔を懐かしむばかりでなく、今現在の話題が多いことです。
それにしても六本木というのはいかにもな不良外国人がたくさんいます。
私と女友達は着物姿。
六本木では浮いていたかもしれません。
仕事をし、同居人と馬鹿話を繰り返し、時折古い友人と酒を酌み交わす。
そうやって日月は過ぎていくのですねぇ。
今日は気温がぐんぐん上がって初夏の陽気になりました。
そんな中、千葉市中心街を散策しました。
公園には藤が咲き、ゴールデン・ウィーク頃の感じでしたでしょうか。
今宵は古くからの女友達2人と私の3人で小さな宴を催します。
場所は六本木の高級鮨店。
たっぷり食って、バーにでも繰り出そうと思っています。
この二人とは平成12年度から14年度までの3年間、業界では激務で有名な機関で机を並べて苦労をともにした仲です。
今までは新年会と暑気払いの2回、会食することを恒例としていました。
しかし真夏と真冬の開催は過酷だと思い、今回から春と秋の、陽気の良い時季に開催することにしました。
古い友人は得がたいものです。
楽しんでこようと思います。
今週も無事一週間、休まず通えました。
今週はなんとなく仕事がはかどったような気がします。
気がするだけで、順調とは言い難いんですけどね。
今年で就職して25年目。
4半世紀。
おぎゃぁと生まれた子が立派な社会人になっているであろう年月。
毎日毎日辞めたい辞めたいと思いながら、ここまで来てしまいました。
正直、こんなに持つとは思っていませんでした。
とくに精神障害に苦しんでいたころは。
今、25年目を迎えて、辞めたいという思いはあるものの、この仕事にしがみつかなければ生きていく道は無いことも実感しています。
転職しようとしたって、40代後半で何の資格もない事務屋なんて、どこも雇ってはくれないでしょうから。
まぁ、ご隠居気分でだらだらやるしかないんでしょうねぇ。
死海といえばアラビア半島を思い浮かべますね。
中国にも、中国死海と呼ばれる湖があるそうです。
塩分を多く含み、成分が死海と似ているからだそうで、中国では有名な観光地だそうです。
ある年の夏、ここがまさしく死の海と化しました。
まずは写真をご覧ください。
浮き輪で浮かぶ人々で埋め尽くされ、湖面が見えません。
まるでラッシュの山手線状態。
中国死海という言葉が、なんだか意味深長に感じます。
これではレジャーではなく、苦行と言うべきでしょう。
おりしもわが国を訪れた外国人が、昨年度2000万人を超えたというニュースが飛び込んできたところ。
おそらくそのうちの多数を中国人が占めているものと思われます。
むやみやたらと外国人観光客を増やそうと頑張っちゃうと、わが国の観光地も中国死海みたいになっちゃいますよ。
九州の地震、えらいことになっていますね。
この地震の極めて特異な点は、どれが本震だか余震だか分からないほど、大小の地震が連続して起きていること。
1時間に一度は地震が起こり、被災者はほとんど揺れっぱなしのようか感覚を覚えているのではないでしょうか。
わが国は言わずと知れた地震大国。
様々な訓練怠りないとは言いながら、実際に起きるとなかなかうまく対応できないのはいつものことです。
私にできることは小額の義援金を振り込むことだけですが、何より重要なのは、つぶさに情報を観察し、自分が震災にあった時のことに思いを致すことでしょう。
誰もが被災者になる可能性があります。
テレビで見る映像は、明日は我が身の怖ろしさ。
震災で亡くなった方のご冥福を祈るとともに、おのれの身を守る術を考えなければなりますまい。
今日はひどい風が吹き荒れています。
買い物に行った以外は、家で大人しく小説を読んですごしました。
吉田修一の「ひなた」を一気に読みました。
この作者、平凡な日常のなかのゆがみを描くことが得意なようです。
「ひなた」は、4人の春夏秋冬を、それぞれの独り語りを積み重ねる形で紡ぎだしていく、という手法で描かれています。
これといった盛り上がりのない、平凡な日常のなかに、小さな嘘や不安が丁寧に描かれています。
大学生の尚純とその彼女のレイ、直純の兄夫婦の4人です。
平凡なようでありながら、じつは4人とも、不倫であったり、出生の秘密であったり、同性からの求愛であったりといった、小さな日陰を抱えています。
日陰を抱えているからこそ、日向を求め、日向を守ろうとするのです。
そしてまた、台詞がじつに上手です。
まるで脚本を読んでいるかのような錯覚におそわれ、さらには私の中で配役を考えてしまうほど、演劇的でもあります。
身近な人の不倫を評して、
誰かを裏切りたくて、誰かを好きになるヤツなんていないんだし、誰かを好きになっちまうから、仕方なく誰かを裏切らなきゃならなくなるんだよな。残酷な話だけどさ。
などと語る台詞は、腹にすとんと落ちてきます。
私は結婚して18年、浮気をした経験などありはしませんが、それでも軽い恋心を抱いた相手は何人かあって、彼女たちとは友情のオブラートにくるんで、あくまでお友達として付き合い、そのうちに彼女たちも結婚していって、自然と疎遠になるという繰り返しでした。
増えるのは年に数回だけ会う飲み友達ばかりで、私の肝臓は悲鳴を上げていることでしょう。
もしそのうちの一人と関係を持ったなら、私は上の台詞のような言い訳をしたでしょうねぇ。
それは言い訳のようであり、しかし真実でもあります。
そのような真実をつく台詞が散りばめられた、愛しい小説に仕上がっています。
是非ご一読を。
ひなた (光文社文庫) | |
吉田 修一 | |
光文社 |
昨夜は4月恒例の、職場の歓迎会でした。
蕎麦屋の2階の広いお座敷で宴会の後、カラオケ屋に行きました。
大いに盛り上がり、帰りは午前様。
今日は軽い二日酔いのようで、ずいぶん昼寝してしまいました。
反省。
今日はなんだか体がだるくて起き上がれず、休暇を取ってしまいました。
こういう休み方は敗北感があります。
一日中寝ていて、夕方起きてさっき風呂に入りました。
その後近所の魚屋に鰹のたたきとホタルイカのボイルを買いに行き、買ってあったスーパーフルーツトマトと糠漬けを切って、夕食の支度を終えました。
そろそろ同居人が仕事から帰ってくるでしょうから、そうしたら酒にしたいと思います。
目標を立ててそれに向かって努力することにこそ生きる喜びがあると、かつて私は考えていました。
でもそれは、まさしく遠い日の花火。
精神障害で長いこと苦しんだせいもあるのかもしれませんが、40代半ばにして、私はすでに終わっちゃった感を覚えています。
先日、99歳の老婆が、100歳まで生きたくない、という理由で自殺したことをニュースで知りました。
子や孫に恵まれ、日々散歩を楽しむ、幸せそうな老後に、傍からは見えていたようです。
しかし老婆には、老いに恐怖し、100歳という区切りを迎えることに拒否感を持つ、心の闇が存在していたのでしょう。
99歳の老婆から見れば、私などは洟垂れ小僧に見えるでしょうが、私の中の心の闇は、若い頃抱えていた分かりやすい濃いものではなく、終わっちゃった感からくる、薄闇のようなものに変化してきたように感じます。
この薄闇が今後どう変化するのかは分かりませんが、闇がきれいに晴れ渡ることだけは無いのでしょうねぇ。
今日、2時間ほど残業しての帰り道、一時停止違反を取られました。
後ろから変にパトカーが付いてくると思って、カーラジオの音を下げたら、左に寄せて止まれととかぬかしちゃってます。
止めたら一時停止違反だとか。
おかしいですねぇ。
そんな覚えは無いのですが。
で、警官に、その旨を伝えたら、それなら裁判になり、供述調書など面倒なことになる、と脅してきやがります。
なるほど、こうやって冤罪がでっち上げられるのですねぇ。
千葉県警四街道警察署の生松とかいう警官です。
私は裁判も辞しません。
なにしろ違反などしていないのですから。
ふざけるなっ。