1時間ほど午睡して、先ほど目覚めました。
躁状態にあると、午睡は不可能です。
そもそも、夜もあまり眠れません。
うつ状態にあると、3時間くらい午睡してしまいます。
夜も、よく眠れます。
1時間程度の午睡ができるというのは、調子が安定している証拠といえます。これが続いてくれれば、職場復帰も可能になります。
しかし、過去の経験からいって、私の状態は短いサイクルでころころ変わるのです。
朝の散歩は千葉城周辺です。
小雨がふるなか、誰もいないお城はどこか不気味でした。
毎日散歩して、体脂肪率は5%も落ちましたが、体重はいっこうに落ちません。
中年の体とは、そうしたものでしょうか。
中西進先生の「辞世のことば」をぱらぱらとめくりました。
この新書は、二十年以上前から、甘い死の誘惑にとらわらたときに読んでいるものです。死の誘惑にとらわれたときに、死を目前にした人々の言葉に生きる勇気を与えられるなどと、なんという皮肉でしょう。
例えば、次のような歌。
「つひに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)。
稀代のプレイボーイも、平凡に死を迎えているところに、人間の死の軽さと尊厳が同時に見て取れます。おそらくこのような心境が、多くの人の真実に近いのではないでしょうか。
さらに、次のような詩。
「行列の行きつくはては餓鬼地獄」(萩原朔太郎)。
萩原朔太郎らしい不気味な感じと同時に、どこか滑稽味を感じます。もとより、いつ死ぬか知らぬのに、死ぬと思って辞世をよむのは、滑稽なことです。
自死や刑によるものなら知らず。
最後に、私が最も尊敬する俳人、与謝蕪村の句。
「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」
名句です。
与謝蕪村は、自身の死後、自身は白梅に明くる夜ばかりを過ごすというのです。極楽に咲くという蓮でもなく、日本人の好きな桜でもなく。
うなる以外にありません。
しかも、弟子によれば、与謝蕪村は本当に、この句を口にしてから、一切言葉を発せず、没したとのことです。
お見事。
多くの病気が、天候の変動に影響されます。
転地療養が効くのは、そのせいでしょう。
雨が降ると、うつの症状が強く出ます。
今日は低気圧の影響か、朝からだるくてしかたありません。
今日は一日中、寝ていることにしましょう。
鴨長明の「発心集」を読みました。
これは、図書館で借りた「方丈記」に併せて載っていたので、気の進まないまま、とりあえず読みました。
内容は、仏教説話集。
私は、これが苦手です。
大学は国文科の出なので、一通り、古文漢文の類は学びましたが、学生の頃から、仏教説話集は苦手です。
なにしろ、抹香くさい。
それならいっそ、仏教書を読んだほうがよほど楽しめます。
全国の説話好きのみなさま、ごめんなさい。
今日も朝食前の早朝散歩です。
千葉の繁華街から、千葉寺あたりを歩きました。
千葉寺は、709年(和銅2年)の開基と伝えられる、由緒正しい寺です。
しかし、境内には、聖域の気配が漂いません。
掃除も行き届かず、庭も荒れていて、京成線の駅名になるほどの寺とは思えません。
千葉市の中心部に近く、高台にあって、臨むのは、はるかに京葉工業地帯の煙突。
風景も良いとはいえません。
千葉の繁華街は、早朝5時半、思いのほか、多くの人がいました。
折りしも週末の明け方、 多くは、朝まで飲んだと思しき学生や若いサラリーマン。小腹を満たそうと、多くのラーメン屋が繁盛していました。
カラスが多いのには辟易しました。
渋谷や新宿なら知らず、ここは本当に千葉市かと、目を疑いました。
しかし、私は千葉市に引越してまだ8年。今だに千葉市に偏見を持っているのかもしれません。
今、精神科の診察から帰ってきました。
私が右斜め後ろの気配や、今日の老人のことなどを話し、これは「分裂感情障害」ではないか、と問いました。
医師は、最近の活発な小説執筆で脳が疲労したための一時的な症状と思われ、「分裂感情障害」と診断することは現段階ではできない、とのことでした。
また、小説の執筆を控えるよう注意を受けました。
さらに、健常者でも、激しい運動や登山などにより、幻覚を見ることがあること、また、躁うつ病も統合失調症も脳の機能障害という意味では同じであるため、これを明確に分けて考えるのは難しいこと、などの説明がありました。
とりあえず、前から飲んでいる統合失調症の薬を増やして様子を見ることになりました。どうもすっきりしません。
今日、所用があって車を使いました。
そのとき、奇妙なものを見ました。
用事が済んで、私の車に向かうと、八十歳ちかくと思しき老紳士が、私の車の運転席に座っていたのです。その様子は、呆然として、目に意思が感じられませんでした。
私は、鍵をかけ忘れ、認知症の老人が偶然乗り込んだものと思い、車に急ぎました。
しかし、私が車に到着すると、老紳士は、消えてしまいました。
まるで、初めからそこに存在しなかったかのごとく。
これは幻覚でしょうか。
これから精神科の診察があるので、相談してみようと思います。
私の精神は、ゆっくりと、しかし確実に、狂い始めているようです。
鴨長明の「方丈記」を読みました。
なぜか突然、有名な冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」、というフレーズを思い出したからです。
初めて読んだ学生のころ、なんだか言い訳くさい随筆だな、と思いました。
しかし、今読むと、また違う感想を持ちます。
世を捨てて隠棲した筆者に、シンパシーを感じます。
今の私は、精神科医から出勤を禁じられ、いはば、期間限定の、世捨て人。その期間も、定かではありません。
鴨長明のように、方丈(約四畳半)の庵があって、時折琵琶を奏で、四季の移ろいを感じられれば満足、というわけにはいきませんが、私とて、どうせ出世するはずもなく、金持ちになれるわけもなく、私はただ、三食を食らって、夕餉にはわずかの酒を飲み、古人の残した名文に接し、その真似事ができれば満足です。
それにしても、日本の古典に接すると、現代作家も、作詞家や歌手も、仮に接したことはなくても、古典や日本の文化伝統から抜け出せないことを、思い知っていただきたいと思うばかりです。
今朝は換気扇まわりを掃除し、使い捨てフィルターを交換しました。
使い捨てフィルターは半年ごとに交換していますが、半年でもずいぶん汚れます。
換気扇の下でタバコを吸うせいかもしれません。
いずれにせよ、見違えるくらいきれいになりました。
こういうちょっとした快の経験が病気には何よりと考えます。
石川淳の「紫苑物語」を読みました。
20年ほど前に初めて読んでから、何度読み返したかしれません。
私は、この小説を、古典と現代文学の交錯点と考えています。
石川淳が良く使うフレーズ「魂の運動」がこめられています。
文体も美しい。
私が昨日まで必死になって書いていた小説が何者だったのか、切なくなります。
![]() |
紫苑物語 (講談社文芸文庫) |
立石 伯 | |
講談社 |
今朝は朝食後、千葉県護国神社周辺を散歩しました。
面白味も風情もない、ただ広いだけの神社です。
その近くに、平成15年度~17年度にかけて勤務した支社があります。
その建物を見て、私は思わず、泣きました。
平成15年度、私は怖いものなしでした。
平成16年度、職場で組織改革があり、財務実務面のリーダー役を命じられました。そのストレスが、うつ病発症の契機です。
平成16年度1年間をなんとか乗り切り、軌道に乗った様子を確認して、平成17年度の夏から病気休暇をとりました。
平成18年度、職場を異動して復帰、その後は出勤と病気休暇を繰り返しています。一度発症してしまうと、回復しても、再発を繰り返すのですね。
それも、うつから躁うつへと悪化して。
恐ろしい病気です。
かつて怖いものなしだった私が、様々なことを怖れているのです。
まず、社会復帰が怖い。それから、明日が怖い。
明日、私の状態が安定しているのか、うつなのか躁なのか。
さらには、相変わらず感じ続けている右斜め後ろの気配は何なのか。
金曜日の診察も怖い。
どんな診断を受けるのか、怖くてたまりません。
私は最近、歌が聞けません。
人間の声が、邪魔なものに聞こえて仕方ないのです。騒音と言ってもいいでしょう。
かつては、クラシックとか、ジャズとか、歌が付いていないものに興味がありませんでした。人間の声を、愛おしいと感じていました。
これは病気のせいなのか、単に年をくっただけなのか。
最近の私は、クラシックばかり聞いています。
昔の私からは、想像できないことです。
創作するときは壮大なシンフォニーで気持ちを持ち上げ、そうでないときはピアノの小曲などを聞いて気持ちを落ち着かせています。
それにしても、歌というのは、そもそも音楽というべきでしょうか、それとも、文学というべきでしょうか。
和歌などは、文学として扱われています。しかし、節をつけて読み上げるところなどは、音楽の要素もあるといえます。
わが国の神話を記した「古事記」も、かつてはそれを老人たちが朗々と歌い上げ、口伝で伝えられたと言います。アイヌ民族のユーカラに似ています。
それを、稗田阿礼が歌い、太安万侶が文字にして残したとか。「古事記」は、稗田阿礼と太安万侶のおかげで、美しい日本語として、今も我々日本人を圧倒します。
そう考えてみると、歌と音楽を別に考える今の私こそ、まさに病気なのかもしれません。
さっき、「文學界」新人賞応募のための作品を書き上げました。原稿用紙換算95枚です。
明日、見直して、遅くとも明後日には発送しようと思います。
ここ数日、ずっと執筆していたので、ちょっと疲れました。
軽い躁状態だったかもしれません。反動でうつ状態が来るかもしれないことが恐ろしいです。