3月31日。
非常に慌ただしい日を過ごしました。
今日中に納品しなければ今年度の支払いが間に合わないため、納品ラッシュ。
検品だけで、かなりの時間を費やしました。
そして、年度末初日に起案しなければならない文書の作成。
朝一番で稟議にまわし、すぐに発送しなければならない文書がけっこうあります。
人間がなぜ働けるのかと言えば、締切があるからだとも言えるかもしれません。
そうでなければ、いつまでもぐずぐずしてしまうでしょう。
18時から、近所の料理屋で課の送別会があります。
これほどぎりぎりの日程に送別会が組まれるのは初めてです。
しかしそれだけに、送別の気持ちも大きくなるでしょう。
今年度もなんだかわけが分からないうちにすぎてしまいました。
きっと来年度もそうなのでしょうねぇ。
せめて週末くらいは、仕事を忘れてのんびりしたいものです。
午前中、いつものようにつまらぬ仕事に精を出していたら、なんだか何もかもが嫌になってしまいました。
用事があるといって、午後、休暇を取りました。
家にかえってひたすら眠り、起きて、風呂に入って、今、ウィスキーを飲んでいます。
私は本当に、社会に適応するだけで精一杯の、愚か者です。
今年度もあと2日となりました。
私は異動がないので、あんまり変わり映えがしません。
ただ淡々と日々の業務に励んでいるだけです。
時折、なんとなく感傷的な気分になります。
もうじき25年を迎える私のお勤め生活。
それは壮大な時間の無駄だったのではないかと考えて。
人並みの生活を維持するために、やりたくもないことをやって過ごしてきてしまいました。
多分それは大方の人がそうなんでしょう。
飯を食うためには稼がなければなりませんからね。
ただしそれは、なんともつまらぬ時間たちでした。
これからもそうする以外にないのですね。
そう思うと絶望的な気分になります。
宝くじでも一発あたって、働かなくても食っていけるよういなればうれしいのですが。
しかし、そうなっても、小人閑居して不善なすというごとく、碌な過ごし方はしないんでしょうねぇ。
私という人間の愚かさを痛感せずにはいられない、奇妙な年度末です。
稀勢の里が2場所連続の優勝を果たしましたね。
12連勝後、13日目にけがを負うアクシデント。
14日目の鶴竜戦を見る限り、相撲がとれる状態では無いように見受けられました。
それが本割、優勝決定戦と、照ノ富士に連勝。
君が代が流れると、堪え切れず、稀勢の里が涙を流していました。
あの男泣きにもらい泣きした人も多かったのではないでしょうか。
大関から横綱に昇進するのに、ずいぶん苦労しましたしねぇ。
立派な横綱になれそうな予感がします。
雨の日曜日。
つまらぬDVDを観てしまいました。
大泉洋主演のゾンビ映画「I AM A HERO」です。
ゾンビを撃ちまくる爽快感だけのつまらぬ映画でした。
明日からの仕事を思い、よけい憂鬱になりました。
午後はDVD鑑賞を楽しみました。
森田剛の怪演が光る、「ヒメアノール」です。
ヒメアノ~ル 通常版 [DVD] | |
森田剛,佐津川愛美,ムロツヨシ,駒木根隆介,山田真歩 | |
Happinet |
ヒメアノ~ル 通常版 [Blu-ray] | |
森田剛,佐津川愛美,ムロツヨシ,駒木根隆介,山田真歩 | |
Happinet |
この映画、ラブ・コメディーのような趣で始まります。
清掃のバイトで働く岡田君とその先輩の安藤さん。
キモヲタ風の安藤先輩がカフェで働くユカちゃんに恋をして、岡田君にその橋渡しを求めますが、なんとユカちゃんは岡田君に惚れています。
で、二人は安藤先輩に内緒で付き合うことに。
そのカフェの常連で、ユカちゃんにストーカーまがいのことをする客が、森田。
偶然にも、森田は岡田君の高校時代の同級生です。
森田の出現によって、ラブコメ風の明るい調子は暗転。
サイコ・キラーによる連続殺人の様相を呈します。
凶暴な殺人鬼、森田を、森田剛が演じてじつに不気味です。
ただし、森田は高校時代ひどいイジメにあい、ために精神が歪んで殺人鬼になった、という理由付けがなされていて、生まれながらのサイコ・キラーとは異なります。
この設定、小栗旬と中村獅童が、同一人物の2つの面を演じた「隣人13号」を想起させます。
こちらも、元イジメラレっ子が凶暴な人格に突如変貌し、復讐するお話で、なかなかの快作でした。
隣人13号 [DVD] | |
井上三太,木幡久美,宮下昌幸,門肇 | |
アミューズソフトエンタテインメント |
「ヒメアノール」は、「隣人13号」以上に激しい暴力と、映像の暗転が際立っています。
森田は常にイジメのフラッシュバックに悩まされ、人生に絶望しています。
絶望ゆえの凶悪性とは、なんとも暗い気持ちにさせられます。
ラストに至り、森田は本来優しくて気の良い奴だったのだなと思わせるシーンが挿入され、凶悪な森田を憎むべきか、性格が歪んでしまった男を哀れむべきか、複雑な余韻を残します。
観る価値はあると思いますが、暴力シーンがけっこう激しいので、耐性のない方はやめたほうがよいかもしれませんね。
ただし、最強の暴力映画、「マーターズ」ほどではありません。
「マーターズ」が大丈夫だった方には、序の口程度でしょうねぇ。
獣を殺害してそれを捕食してきた西洋人、わけてもサド侯爵を生み、フランス革命という最悪の暴力革命を引き起こしたフラン人の描く暴力は、哺乳類の血を見慣れていない、米と大豆と魚で生きてきた日本人には、刺激が強過ぎるようです。
マーターズ [DVD] | |
モルジャーナ・アラウィ,ミレーヌ・ジャンパノイ,カトリーヌ・ベジャン,イザベル・ジャス,エミリー・ミスクジャン | |
キングレコード |
午前中、小池真理子先生の小説「ノスタルジア」を読みました。
文庫本で350ページほどですが、一気に読んでしまいました。
小池真理子先生というと、恋愛譚が多いような気がしますが、モダン・ホラーや幻想譚、怪異譚など、幻想文学と呼ぶべき作品も残しています。
「ノスタルジア」は、恋愛幻想文学とでも言うべき趣の作品です。
ノスタルジア (講談社文庫) | |
小池 真理子 | |
講談社 |
22歳から31歳までの9年間、父親と同い年で作家の雅之と道ならぬ恋に生きた繭子。
雅之の突然死で不倫相手と死に別れ、その後15年間、東京郊外で一人ひっそりと暮らしています。
それは今を生きているというより、激しい恋に溺れた9年間の思い出に生きているかのごとくです。
突然、雅之の息子、俊之を名乗る男から、父親の真実の姿を知りたいので会いたい、という手紙が届きます。
会ってみると、息子は父親と瓜二つ。
ちょうど雅之が亡くなった46歳。
繭子も46歳になっています。
そして、まるで雅之との恋愛を反芻するごとく、繭子と俊之は恋に落ちていくのです。
ゆっくりとしたペースで、物語は進みます。
それはまるで、中年男女が、性急に異性を求める能力を失ったからかのように感じます。
所々に挟まれる、繭子が感じる違和感。
その違和感が積み重ねられた末、繭子は異形の者との恋に溺れていたことを知るのです。
そしてまた、母親を守って独身を貫いた繭子の姉との対比が見事です。
恋しか知らない繭子と、恋を拒絶した姉。
どちらも何かが足りない人生と言うべきでしょうか。
そもそも恋愛感情というものは、それが深くなればなるほど、正気を失っていくもので、正気を失えば失うほどさらに溺れる性質を持っています。
また、道ならぬ恋なればこそ、その異常さが恋愛感情を深めるものだと思います。
世に変態と呼ばれる性質の人々は、常識的な世界から受け入れられないからこそ、その恋はより至純となるでしょう。
恋して結婚して子供をもうけて、という普通の恋の結末は、所詮、子孫を残すために造られたシステムに過ぎず、だからこそ恋は醒めるのだと思います。
しかし、同性愛にしろ、不倫にしろ、子孫を残すためのシステムから外れた恋は、どうしても純粋でなければならず、そこに幻想的とも言うべき美しさが生まれるのだろうと感じます。
そうであってみれば、最も美しい恋は、この世ならぬ者、異形の者とのそれではないでしょうか。
この世に存在しえない相手であれば、成就しえるはずもなく、歯がゆいばかりに狂おしく相手を恋うる以外にありません。
「ノスタルジア」という作品は、そんな、幻想的で美しい、異界の者との恋を描き出し、見事です。
女流作家の幻想恋愛譚というと、女性向けというか、男にはつまらない、と思われがちですが、男の私にも楽しめる、優れた作品に仕上がっています。
今週も金曜日を迎えました。
今夜は職場全体の立食での送別会がありますが、立って酒を飲むなど我慢ならないので、欠席の予定です。
あと一週間で今年度も終わり。
早いもので、就職して丸25年が過ぎようとしています。
私が就職した時生まれた子供はもう25歳になるんですねぇ。
全然そんな気がしません。
しかし、確実に年を取っているのですねぇ。
平穏に月日が流れていくはずの木端役人である私ですが、前半の10数年は小説の執筆に精進し、精神は乱高下しました。
後半の10数年は精神障害を発症し、落ち込んだり躁状態になったり、ジェットコースターのように激しく上下しました。
ここ数年はだいぶ落ち着いてきましたが。
これから定年まで13年。
仮に5年間の再雇用を望んだら18年。
折り返しはとうに過ぎたとはいえ、気が遠くなるような長いお勤め生活がこれからも続きます。
これからは本当に平穏無事に過ごしたいと願っています。
昨夜、「民王(たみおう)」という小説を読みました。
民王 (文春文庫) | |
池井戸 潤 | |
文藝春秋 |
知りませんでしたが、ドラマ化もされていたんですね。
民王スペシャル詰め合わせ DVD BOX | |
遠藤憲一,菅田将暉,高橋一生,本仮屋ユイカ,知英 | |
東宝 |
なかなか愉快な、SF仕立ての喜劇でした。
総理大臣とその大学生の息子が入れ替わってしまうというお話。
面白いのは、総理大臣のみならず、経済産業大臣と息子、野党第一党の党首とその娘も入れ替わってしまい、これはどうやら新手の政治的テロだと気付いて、公安や米国のCIAなどもからんでのドタバタ劇が繰り広げられるというもの。
池井戸潤という作家の小説を読むのは初めてで、面白くはありましたが、なんだか紋切型というか、人間の造型が単純すぎるような気がしました。
清濁あわせ持つような人間や、善人でありながらとてつもない悪や闇を抱えている人物を描き出すのが文学の役割の重要な一つであると思います。
この作品には、その点が決定的に欠けています。
エンターテイメントといえども、底の浅い小説では、ライトノベルと変わりありません。
いや、ライトノベルでも、もう少し深い小説が存在しています。
ひと時の慰みにはなりましたが、この作者の作品はもう読むことはないでしょう。
昨日、人事異動の内示があり、解禁となりました。
私は居残り。
通常、一つの部署に3年いるので、丸2年の私にとっては予想どおり。
毎年のことですが、泣くやつ、笑うやつ、色々です。
こんなことを繰り返して、サラリーマンは年を取っていくのですねぇ。
生産性 部長の異動で 急上昇
という川柳がありましたっけ。
じつは私の部署の部長も異動が決定。
嫌われ者だったので、みんな大喜びです。
思いつきで面倒なことを言い出し、振り回した挙句振り出しに戻る、という愚行を繰り返した人でした。
まぁ、色んな人がいますし、地位が高いからと言って頭が良いわけでも仕事ができるわけでもありませんからねぇ。
あと1年、同じ仕事をやるのかと思うとうんざりしますが、これもサラリーマンの定めですから仕方ありません。
今日は3連休の最終日。
のんびり過ごしました。
朝は6時半に起き、休日の喜びである朝湯を楽しみました。
朝飯は卵かけご飯とソーセージ。
その後愛用のコーヒーメーカーである珈琲王で、愛飲のエメラルドマウンテンを濃い目に淹れ、ブラックコーヒーを2杯飲みました。
これで頭はすっきり。
午前中は洗濯やら掃除やらの家事。
一通り終えたところで、同居人が起きてきました。
彼女は朝が弱いのです。
同居人と二人で近所のスーパーに一週間分の買出しに出かけ、お昼は近所の中華屋で大連麺というのを食しました。
その後近所を一時間ほど散歩。
暖かくて、良い陽気です。
帰宅後、一時間ほど昼寝して、目覚めてから小説を読みました。
さっき本日二回目の風呂から上がり、今、大相撲中継を観ています。
なんだかいかにも小市民という感じで、これが小さな幸せというのかなと思ったら、少し悲しくなりました。
春らしい暖かな陽気に恵まれました。
そこで、都内でももっとも緑が多く、環境の良い、神宮外苑から表参道あたりを散歩しようと、車を走らせました。
性懲りも無く、週末お上りさんです。
神宮外苑の絵画館前駐車場に到着。
阪神とヤクルトのオープン戦があるらしく、それらしい人々がぞろぞろ歩いていました。
絵画館です。
神宮外苑の広場です。
神宮球場です。
神宮外苑をしばし散歩し、青山通りの裏を表参道方面へと向かいました。
この裏道、洒落た飲食店や洋服屋が立ち並んでいます。
東京東部のべたっとした感じとは大違い。
東京の東端で生まれ育った私にはまぶしい町に感じられます。
お昼は表参道のモスカフェという店でタコライスと珈琲をいただきました。
モスバーガーの系列のようですが、ご飯物もやっていて、ちょっとびっくり。
表参道です。
ぶらぶら西麻布のほうまで歩き、疲れたので神宮球場近くのベローチェで熱いブラックコーヒーを頂いて帰りました。
良い運動になったように思います。
久しぶりに村上龍の小説を読みました。
「最後の家族」です。
最後の家族 (幻冬舎文庫) | |
村上 龍 | |
幻冬舎 |
学生の頃は、「コインロッカー・ベイビーズ」、「愛と幻想のファシズム」、「五分後の世界」など、壮大でメッセージ性の強い村上龍の小説をよく読みましたが、いつの頃からか、ほとんど読まなくなりました。
なんでだかは分かりません。
骨太な物語が、私を疲れさせたのかもしれません。
「最後の家族」はメッセージ性こそ強いものの、どこか地味で、安心感を覚える作品でした。
リストラに怯える父親、自室に引きこもりながらも、向かいの家のDV被害にあっている主婦を救おうと奮闘する21歳の長男、元引きこもりで、今は宝石デザインの仕事をしている青年と不思議な付き合いを続ける女子高生の長女、そして、年下の大工と密かにデートを重ねる主婦の、4人の家族の物語が、それぞれの視点から語られます。
それは小さな物語ですが、だからこそ、切実な物語でもあります。
そこで、救い、ということが語られます。
引きこもりの長男を救いたい母親、向かいの家のDV被害者の主婦を救いたい長男、リストラが現実味を帯び、救いのない父親、宝石デザイナーの男に救いを見出す長女、大工の若者との逢瀬に、つかの間救われる主婦、などなど。
誰もが自分だけの問題や悩みを抱えています。
それはどうやって救われるのでしょうか。
そんなことを考えさせられます。
長男が、向かいの家の主婦を救うために相談に行った弁護士事務所で、弁護士から、
親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を救うんです。
と語りかけられるシーンはきわめて印象的です。
ラスト、家族はバラバラに暮らすことになりますが、どこか明るく、ほほえましい印象を残します。
それぞれが自立しようともがくラストを提示することで、救いの根源的な姿を見せ付けられた思いです。
久しぶりに村上龍の作品を読んで、未読の作品をもう少し読んでみたくなりました。
政府が、過労死防止のための施策として、繁忙期の残業時間を100時間以内に設定する方向であることに、批判が集まっています。
100時間は確かに長いような気がします。
サラリーマンのなかには、恒常的に100時間を超えて残業をしている人が結構存在していることは知っています。
しかもサービス残業だったりします。
100時間を厳密に守れば、今よりも楽になる人がいることは確かでしょうが、逆に、100時間までならいいんだと思って、毎月100時間の残業を求められる可能性は否定できません。
週休2日だと、月に約20日働く勘定で、毎日5時間の残業になります。
5時間だと、17時が終業時刻の場合、22時まで。
18時が終業時刻の場合、23時まで。
ごくたまに、どうしても仕事が終わらないときにこの程度の残業をすることはありうるでしょう。
しかし一か月間毎日となると、しんどいでしょうねぇ。
私も若いころ、月100時間を超える残業を、しかもサービスで行っていたことがあるのは確かです。
しかし35歳でうつ病と診断されて以来12年、ほとんど残業はしていません。
ていうか、体力的にとてもできないのです。
無理をすれば、翌日起き上がれません。
残業をして、翌日休んだのでは、本末転倒というもの。
まして、100時間は過労死のボーダーラインと言われています。
政府は100時間の残業を推奨するものではなく、繁忙期の万やむを得ざる場合のみ、例外的に100時間を認めるものであって、残業時間のみならず、メンタルヘルスなど、総合的に過労死を防止するのだ、と強弁しています。
しかし、わが国社会は残業を良しとする風潮が抜けがたく存在しています。
遅くまで頑張るやつは偉い、みたいな。
勤務時間は決まっているのだから、おしりに合せて時間内に終わるようにスケジュールを立てるのが当たり前で、それを心がければ、概ね定時で帰れます。
逆に、どうせ残業するからいいや、みたいな考えだと、効率が落ち、必ず残業することになります。
特デスクワーク中心の労働者の場合、ある程度仕事を任されているので、その人の意識しだいでずいぶん変わってきます。
工場労働などの場合は、私には分かりませんが。
規制も大切だと思いますが、長時間労働を美徳とするような感覚を逆転させ、時間内に効率よく仕事を終わらせることこそが素晴らしいと、あらゆる職場の、あらゆる労働者、管理者が同じ意識を持つようにすることが求められていると感じます。
今日は休暇を取りました。
眼科で検査を受けるのが主たる目的でしたが、冷たい雨が降る日であれば、いっそ精神を休めるためのお休みであったような気がします。
DVDを鑑賞しました。
「クリーピー 偽りの隣人」です。
元刑事で現在は犯罪心理学の教授である高倉とその妻が、引越し先で奇妙な隣人、西野に振りまわされる奇妙で不気味なミステリーです。
アマゾンでの評判は散々のようですが、黒沢清監督作品を偏愛する私には、興味深い映画でした。
西野を演じた香川照之の演技が、やり過ぎ感が漂いつつも、不気味で不気味で、夢に出てきそうです。
ただし、ミステリーとしての整合性とか辻褄とかは、正直かけらもないと言えるでしょう。
映像からにじみ出る不気味さを感じられるかどうか、それだけがこの映画を楽しめるかどうかのポイントです。
サイコパスを描いたミステリーですが、雰囲気はまるっきりホラー。
人間の不気味さを描くミステリーではなく、この世の存在の不気味さを描くホラーに近づいたのは、黒沢監督なら当然かもしれません。
クリーピー 偽りの隣人[DVD] | |
西島秀俊,竹内結子,川口春奈,東出昌大,香川照之 | |
松竹 |