今日で平成29年度の勤務も終わり。
年度が終わってしまえば、もうどうにもなりません。
ミスが発覚すれば、頭を下げれば良いだけのこと。
ていうか、どうしようもありません。
頭は下げてナンボ。
いくらでも下げましょう。
今夜は送別会。
荒れそうな予感がします。
今年度もあと2日となり、様々なトラブルが続出しています。
忙しいからミスが起こり、それをチェックするほうも目が雑になり、いよいよやばい、という頃合いにトラブルが発生します。
トラブルが起こればそれに対する対応でますます仕事が増えてミスも起きる、という悪循環。
毎年のこととはいえ、もう嫌です。
すべてをほっぽりだしてのんびりしたいものです。
昨夜はSF時代伝奇ロマンとも言うべき小説、「機巧のイブ」を読みました。
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機巧のイヴ (新潮文庫) |
乾 緑郎 | |
新潮社 |
江戸幕府をモデルにしたと思しき天府。
そこに仕える天才機巧師によって生み出された、人間そっくりの美しいロボット、伊武。
天皇家を思わせる、しかし女系しか皇位を継げない天帝家。
二つの巨大な権力が、女系でしか皇位を継げないがゆえに、女児ができない場合を想定して天帝の身代わりとして生み出されたロボットをめぐって、暗闘を繰り広げます。
そして天才機巧師の弟子が、美しい女性にしか見えない伊武に恋心を抱きながら、魂とは、心とは何なのか、深い思索を巡らせます。
人間にしてからが、愛する両親や、友人、恋人、配偶者との関係性の中で、性格が形作られ、心や魂らしきものを手にします。
それならば、ロボットもまた、愛し愛されることによって、心や魂を得ることが出来たとて、何の不思議もありません。
あるいは逆に、人との接触を持たなかったロボットが、単に命令どおりにしか動けなくても。
そしてまた、その命令がどんなに残虐なものであろうとも。
奇想天外な物語が、エンターテイメント性豊かに語られる、なかなかの逸品でした。
今朝、マンションの排水管の点検があったため、2時間遅れで出勤しました。
昨日はお昼に結婚記念食事会でワインをしこたま飲み、17時に帰宅してからなんだか飲み足りなくて焼酎を飲んでしまったため、今朝は二日酔い気味。
排水管の定期点検はありがたかったですねぇ。
酒はほどほどにしないといけませんねぇ。
今日は東大駒場キャンパス内にあるレストランで、古い女友達の結婚記念食事会に出席してきました。
キャンパスに入ると、満開の桜がお出迎え。
春、なんですねぇ。
お二人、フェンシングが共通の趣味で知り合ったとかで、宴会前に記念試合というのがありました。
フェンシングの試合を生で観るのは初めて。
なかなか迫力がありました。
その後お食事会。
いわゆる披露宴とは大分趣が異なっていました。
まず、主賓がいない。
誰も挨拶しない。
余興もない。
その代わり、新郎新婦が各テーブルをまわり、お食事を共にする、というアットホームなものでした。
49歳の新婦が、今まで結婚しなくて良かった、と言ったのはたいへん印象深いものでした。
よほど気が合ったのでしょうね。
新郎は新婦より少し年上で、再婚。
世慣れた感じの、いわゆる大人の男でした。
私まで、幸せな気分になりました。
今日は曇りがちで、やや肌寒い一日でした。
桜の満開は来週の予報で、本格的な花見は来週末にとっておくとして、今日は桜がどの程度咲いているか、千葉城に偵察に出かけました。
上の写真のような感じ。
7分咲きくらいでしょうか。
来週が楽しみです。
明日は古い女友達の結婚披露宴に招かれています。
駒場まで行かなければならないのはちょっと億劫ですが、お祝い事ですから、慶んで出かけましょう。
今日、4月1日付けの人事異動が解禁になりました。
通常、3年間勤めると、異動になります。
3年目の私は異動する気満々で、引継書をすでに作成済でした。
ところが、ふたを開けてみると、私の異動はなし。
異例の4年目突入です。
就職して来年度で27年目になりますが、一つの部署に4年いたことは一度もありません。
大体3年で、時折2年で異動を繰り返してきました。
同じことを1年間続けるのかと思うと、憂鬱で仕方ありません。
正直、ショックです。
しかも、今回の人事異動は極めて小幅で、4年目に突入する人がゴロゴロいます。
これでは仕事の属人化が進み、風通しが悪くなるだけです。
上層部は何を考えているのでしょうか。
4月になって異動するのを指折り数えて待っていたというのに。
がっかりです。
冷たい雨に閉じ込められて、SF映画の金字塔にして名作、「ブレードランナー」の30数年ぶりの続編、「ブレードランナー2049」を鑑賞しました。
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前作「ブレードランナー」は、労働力のために作り出されたレプリカント(人造人間)の悲哀や苦悩、人間への反乱、人間とレプリカントとの恋など、多彩な要素がうまく詰め込まれた名作で、10代だった私は非常な感銘を受けました。
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この映画を観て映画製作者や役者を志した人も多いと聞きます。
それだけに、「ブレードランナー 2049」には期待していたのですが、がっかりな出来でした。
映像美は前作同様素晴らしいのですが、物語が陳腐というか矮小化されており、何を描きたかったのか分かりません。
シリーズ物は第一作を越えるのが難しい、ということを証明したような作品でした。
最近、高知県のゆるキャラ、ちぃたんにはまっています。
カワウソの妖精、なんだそうです。
可愛くて凶暴なのが面白い。
スイカ割りに失敗したり、瓦割りに失敗したり。
ツイッターで起きあがりこぼしというか、倒れない棒をボコボコにしている動画が有名になり、火が付いたようです。
ふなっしーのライバル出現といったところでしょうか。
昨日はきれいに晴れ上がり、いてもたってもいられず、久々の週末お上りさんとなって散歩を楽しみました。
6路線もが乗り入れる巨大ターミナルながら、どこか田舎臭いイメージの北千住を目指しました。
なんと北千住を歩くのは初めて。
まずは車を北千住駅近くの立体駐車場にとめ、歩き始めました。
千住と言えば宿場町。
そこで宿場町通りをぶらり。
なかなか風情のある通りで、テンションが上がります。
古い店、新しい店、様々です。
その後狭い路地に飲食店が立ち並ぶ飲み屋街をふらふら。
北千住というところ、やたらと狭い路地が多く、これもまた風情があります。
立派な神社もありました。
その後デニーズで昼食。
駅の反対側の東京電機大学がある方へ。
こちらはわりと静かな文教地区といった趣。
駅のこっちと向こうでずいぶん雰囲気が違います。
久しぶりにはじめての町を歩いて、大満足でした。
昨夜はホラー小説を読みました。
加門七海という作家の「祝山」です。
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祝山 (光文社文庫) |
加門 七海 | |
光文社 |
スランプに悩む女流ホラー作家が主人公で、作者自身がモデルかと思われます。
低い山の奥にある元材木工場の跡地に、知り合い4人と夜中に肝試しに繰り出し、廃工場から材木のかけらをいくつか持ち出し、その後様々な怪現象に襲われます。
調べていくうち、その山がかつて祝山と呼ばれており、その語源が位牌山であったことを知り、霊山もしくは呪われた山であり、山の草木一本持ち出したら呪われる、と考えて怪現象を止めるため、持ち出した材木を山に返しに再び山を訪れる、というお話。
ホラーとしてはありがちな展開で、そこそこ怖いのですが、なんというか、文章が稚拙で陳腐です。
そしてやたらとしょっちゅう腹を立てる主人公に苛立ちを覚えます。
まぁ、子供向け、でしょうか。
50年前、1968年の今日、ベトナム戦争中にソンミ村虐殺事件が起きました。
これは、南ベトナムの米軍基地の周辺に潜むゲリラを掃討するための作戦の一環で、ソンミ村に派遣された、24歳の中尉を隊長とする小隊が、女性や子供、僧侶などの無抵抗な村民、500人以上を虐殺したものです。
中尉は終身重労働の判決を受けますが、時の米国大統領の命令で即日釈放。
結局誰も責任を取っていません。
中尉、軍法会議では上官の命令に従っただけ、と繰り返すばかりでした。
あのナチのアイヒマンは、上官の命令を忠実に実行しただけ、と弁明しましたが、処刑されています。
南京虐殺(諸説ありますが)にしたって、ソンミ村虐殺にしたって、あるいはナチの蛮行にしたって、結局どれも同じ心性から発していると思います。
上官の命令による裏付けのもと、狂気をはらみながらも冷静に多くの人を虐殺する、という。
戦時における民間人への蛮行や虐殺は無くなることが無いようです。
ベトナム戦争では米軍はゲリラに悩まされましたから、発覚していないだけで、他にも虐殺事件はあったのではないかと邪推してしまいます。
ゲリラに最初に悩まされたのは、日中戦争における日本軍であろうと思います。
それまでは、軍服を着た正規の軍隊と軍隊が戦う、というのがルールでしたが、民間人に紛れて、民間人と同じ格好をして、密かに武装し、突如襲ってくるゲリラが発生。
日本軍はそれら中国人ゲリラを便衣兵と呼んで大層恐れたそうです。
それは当然です。
いつ、どこから、男のみならず、女や子供が襲ってくるか分からないのですから。
それ以来、ゲリラは弱者にとって非常に有効な戦闘手段になりました。
現代社会を悩ますテロも、元をただせばゲリラ戦法に行き着くと思います。
人間には戦闘本能とでも呼ぶべきものがあり、矛盾するようですが、それは他者の心情に共感する、という能力に多くを負っていると思います。
ただし、他者と言っても、仲間にほぼ限定されます。
同じ村に住む者が隣村の者に暴行を受けたとします。
同じ村の者たちは結局は他者でしかない暴行を受けた者の心情に共感し、隣村に復讐のための攻撃を仕掛ける、という図式です。
他人の心情に共感する、というのは、人間の良い面であろうと思います。
それがなければ、共同体など成立し得ません。
しかし、復讐心や敵愾心など、負の感情に共感すると、それこそ進め一億火の玉だ、みたいになってしまいます。
共感力をコントロールする方法を見つければ、争いは減少するのではないか、などと夢想します。
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近年、先進諸国では、同性婚、もしくは同性同士での公的なパートナーシップを認める動きが活発になってきました。
多くのヨーロッパ諸国や、米国の一部の州でこれらがすでに認められています。
わが国ではこうした動きは鈍いですが、わが国の場合、同性婚に反対する人が多いと言うよりも、無関心な人が多いせいではないかと思います。
わが国では男色を悪とする見方は伝統的にほとんど存在していませんでしたし、他人の趣味に口出ししない、というのが一般的な態度なのだろうと思います。
明治の近代化以降、欧米の影響もあって同性愛を忌避する風潮が生まれましたが、それはわが国の伝統には反するものです。
仏教においても、同性愛を禁じるような教えはありません。
しかし、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では、同性愛は神の教えに背くものであるとし、有名なソドムとゴモラの話を持ち出すまでもなく、これら宗教では同性愛は禁忌でした。
これら3宗教では、同性愛は犯罪とされ、時代や場所によっては死刑でした。
長い差別との戦いのなかで、ユダヤ教とキリスト教では、同性愛を禁じる考えは薄れてきましたが、イスラム教国では、今も犯罪とされているのが普通です。
事実、イランで、2005年に同性愛行為を行ったとして少年2人が処刑されています。
死刑までは課されなくとも、懲役刑を課すイスラム教国は多く存在します。
同じヤハウェの3宗教でも、同性愛に対し、合法化と厳罰化という真逆の方向に進んでいるのは興味深い事実です。
ただ、イスラム教国でも、原理主義が台頭する以前は、わりと同性愛に寛容だったと聞きます。
そうすると、原理主義の台頭こそが、差別を助長していると考えるべきでしょうね。
日本で生まれ育ったせいか、同性愛に嫌悪感を感じる人が存在するのは理解できますが、死刑にしてしまうというのは、何とも理解不能です。
何も殺すようなことではありますまいに。
同性愛は精神病とされ、治療の対象であった時代もありました。
それであっても、死刑にするよりは大分マシです。
どんな時代、どんな地域にも必ず一定の割合で同性愛者が存在するのが人間の在り様として当然とされる時代にやっとなりました。
人間の多様性を重んじるのが現代の常識ですから、性の指向に対しても、人それぞれであることを認めるべきでしょうね。
同性愛に反対する人は、それを認めれば、小児性愛や、暴力的な指向を持った人も認めなければならなくなる、と危惧する人もいるそうです。
しかし、大人同士で、互いに合意しているのであれば、それは小児性愛やサディズムとは全く異なる普通のことです。
また、小児性愛や殺人を嗜好する人も、そういう性質を持っているというだけなら、何の問題もありません。
勝手に自慰でもしていれば良いのです。
犯罪さえ犯さなければ、犯罪を夢想すること自体は勝手だし、処罰することはできません。
おそらく、同性愛と同様、小児性愛やレイプ、さらには殺人まで嗜好する人も、どんな時代、地域にも一定数存在するのだと思います。
そういう嗜好に生まれついてしまった人は誠に気の毒ですが、同性愛とは違い、明らかな犯罪になりますので、そこは空想の世界に遊んでもらうしかありますまい。
今日は馬鹿陽気でしたねぇ。
首都圏は軒並み20度を超えたようです。
急な気候の変動のせいか、あるいは昨夜飲みすぎたのか、今日は一日、なんとなくだるく感じました。
だるくても、よほど調子が悪くないかぎり、早退できないのは辛いところです。
3月ももう半ば。
年度末まっしぐら。
頑張りましょう。
明日から。
働けば、金を得ます。
金を得れば、酒に化けます。
働く、という無味乾燥なつまらぬことをして、酔いを得るというのは誠に愚かな生活だと思いますが、私はそれを止められません。
1920年代に製作された映画「メトロポリス」では、ごく一部の支配層=脳と、圧倒的多数の労働者=手による世界を描き出し、脳と手を結ぶ物として、心が必要だとしました。
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メトロポリス / Metropolis CCP-315 [DVD] |
アルフレート・アーベル,ブリギッテ・ヘルム,グスタフ・フレーリッヒ,フリッツ・ラスプ,ルドルフ・クライン=ロッゲ | |
株式会社コスミック出版 |
この映画はSF映画の原点であり、金字塔とも言われます。
21世紀の現代において、脳と手は明らかに分離しているように思います。
そして手である労働者は、ほぼ仕事だけの日々を送り、人間性を失い、虚無に陥っているように思います。
ていうか、私自身が手でしかなく、ほとんどニヒリズムに沈んでいます。
人間が社会的な生き物であり、細分化された仕事を担うことで碌を食むことができるように出来ていますから、これはある程度仕方がないというか、当然に起こり得る現象です。
では、労働だけ、みたいな生活から抜け出し、手が人間性を取り戻し、苦難を乗り越え、ニヒリズムを脱し、ある種の快活さを取り戻して、存在することに疑問を持たず、ただ当然に有る、という境地に至るにはどうしたら良いのでしょうね。
人によっては信仰だ、と言うでしょう。
逆に言えば、人はそういった状態に生きているからこそ信仰を持ち得る、とも言えます。
あるいは、農村的生活だ、という人もいるでしょう。
しかし、学生の頃はゲバ棒を振り回して遊び、中年期にはバブルに踊り、老年に至ってしっかり年金をもらいながら農業に目覚めた、みたいな気色の悪い団塊を除き、農村的生活は手、そのものであると言えるでしょう。
逆説的なようですが、社会的な生き物であるからこそ陥ったニヒリズムから脱する道は、社会あるいは共同体の中にしか存在し得ない、と私は感じています。
伝統的な文化や価値観が近い共同体の中で、それを空気のように当たり前と感じられて、人との繋がりの中で生きることが、ニヒリズムから脱する近道であろうと思っています。
しかし、わが国では伝統的な共同体というのは絶滅危惧種と言うべきで、特に都市部においてそれが顕著です。
そのあたりに、現代社会が抱えるメトロポリス的な危機があるように思います。