6月17日(月)から、私の部署では1名定員削減の憂き目にあうことになりました。
私にとっては衝撃的な出来事です。
ただでさえ少ない人数でどうにか仕事を回してきたというのに。
部下たちの仕事の分担を考えなければなりません。
もちろん私の分担も。
上層部は私の病歴を当然知っています。
寛解に至って15年も経つので、もう負荷を増やしても大丈夫だろうという判断なのでしょうが、そんなに甘いものではありません。
じつはもう精神科医から休養すべきだと言われ、診断書も貰っています。
とりあえずはこの診断書を常に忍ばせ、様子を見つつ、もうダメだとなったら病気休暇に入ろうと思っています。
自分を守るのは自分だけですから。
大谷選手の専属通訳の水原氏が解雇されました。
ギャンブル依存症で、使ってはいけない大金を使ってしまったようです。
依存症というのは種類がたくさんあって、アルコール依存症、薬物依存症(合法薬も含む)、ギャンブル依存症、買い物依存症、セックス依存症、などなど。
私は良くお酒を呑むし、抗精神病薬、抗不安薬を飲み続けているので、アルコール依存症や薬物依存症(ただし合法薬)になるリスクを常に持っています。
いや、あるいはすでにどちらかもしくは両方の依存症になっているのかもしれません。
抗精神病薬や抗不安薬を飲まないとまともに働けませんし、毎晩の晩酌はすっかり習慣になっています。
自分は酒と薬で死ぬんだろうなと、ぼんやり思ったりします。
3つ上の先輩で、肝臓がんで亡くなった人がいます。
48歳でした。
アルコール性肝炎から肝硬変になり、肝臓がんになるという、酒で死ぬ典型のような推移をたどりました。
この人、20代の頃から破滅的な酒飲みでした。
毎晩ウィスキーのボトルを1本開け、泥酔して眠り、出勤しても頭がぼうっとするらしく、トイレでこっそりウィスキーを呷る、いわゆる迎え酒を毎朝していたようです。
本人いわく、迎え酒をすると二日酔いが治るのだとか。
一瞬脳をごまかしているだけだとは思いますが、私は特に注意することもなく聞き流していました。
迎え酒をしないと脂汗がだらだら流れ、手が震えるのだそうです。
この先輩とは何度か痛飲しましたがとにかく飲み始めたら終わらないのが苦痛でした。
20代半ばの頃から「俺は酒が原因で50歳までは生きられないと思う。だけどやめられない」と言っていました。
結果は予言どおりになってしまいました。
しかし先輩の呑みっぷりを知っている身としては、よく48歳まで生きたな、というのが偽らざる心境です。
アルコール性肝炎というのは進行が遅いんでしょうか。
アルコールはもちろんですが、精神病薬の中では特に抗不安薬が依存性が高いと言われています。
しかし私は抗不安薬を36歳でうつ病を発症した時からずうっと飲んでいます。
根が真面目なので処方された薬は必ず飲んでいます。
最近厚生労働省から抗不安薬を漫然と処方することはリスクが高いので止めるようにとのお達しが出たと精神科医が言っていました。
しかし今更抗不安薬を飲むなと言われても困ります。
きっと離脱症状が出ると思います。
推測ですが、厚生労働省の偉い医務官が代わったのではないかと思います。
組織というもの、上が代わるとガラリと変化していきますから。
他の薬はともかく、抗不安薬は適量を続けたいと思っています。
もちろん、酒はほどほどにして。
年度末のこの時季、毎年そうですが、意味不明な焦燥感に駆られ、気持ちが落ち込みます。
まして今度の4月に頼りにしていた直属の上司が異動するとあって、例年に無く憂愁濃い日々を送っています。
若い頃は50代にもなると全て達観して仕事関連で落ち込むことなど無くなるのだと思っていました。
しかしそれは当然ながら大嘘でした。
人間100歳まで元気で生きたとしても、その時々の問題を抱えて落ち込んだりするのだろうと思います。
まして双極性障害を抱えた私ならなおさらです。
昨日の日曜日は少しでも気を晴らそうと、千葉公園のあたりを2時間も歩き回りました。
しかし肉体的疲労が精神を鈍麻させ、鈍麻するがゆえに頭がぼうっとして落ち込みが少々緩和されるだけで、それは酒に酔ってひと時落ち込みを忘れるのと変わりありません。
要するに年度末に集中する仕事を一つ一つ片づけて、更な状態で4月を迎える他ありません。
それにしても50代も半ばになって何を細かいことを気にしているのでしょうね。
我ながら情けなくなります。
それでも、私は突き進むしかありません。
最後の病気休職からもう15年も経っています。
15年間、紆余曲折があり、気持ちが沈むことも多かったとは言うものの、とにかく出勤を続けました。
若い職員は私がかつて病気休職を繰り返していたことなど知りません。
むしろ傲岸不遜な事務大王と見られているような気がします。
それならそれで、私は大王の仮面をかぶったまま、やり過ごしていこうと思います。
30年くらい前までは、天気予報はよく外れ、それを揶揄することが多かったように思います。
しかし最近の天気予報は外れるということはまずありません。
あたります。
今日も予報どおり冷たい雨が降り続きました。
なぜか分かりませんが、朝6時半に起きて朝食を摂り、週に一度の洗濯をして部屋干しを済ませたら眠くなり、ベッドに潜り込んだら深い眠りに落ち、14時まで眠り続けました。
こういうこと、時折私を襲います。
大抵、ひどい悪夢を見て寝汗をびっしょりかき、目を覚まします。
何を怖れているのかは分かりませんが、私はいつも何かを怖れ続けています。
それが私の本性であるかのように。
先週土曜日の診察時に国の方針で抗不安薬及び睡眠導入剤は今後処方を極端に減らし、1年以内に完全に切っていくことになったことはすでにこのブログでお知らせしたとおりです。
私はもう20年も抗不安薬を服用しています。
当然、ある程度は依存しているはずで、しかしそれは国が認めた処方量であって、それら精神病薬を服用し続けた患者の落ち度ではないし、もちろん処方した医師の落ち度ではありません。
私はその他に躁を抑える気分安定薬を2種類服用していますが、こちらには処方制限はかかっておらず、私は1日の最大量の半分くらいを服用しています。
私の場合、抗不安薬を一日0.4mg×2錠×2回の1.6mg服用していたところ、一日0.4mg×1錠×2回の0.8mgに半減となりました。
お上の方針に従えば、私は1年かけて完全に抗不安薬を切らなければいけません。
抗不安薬を飲めなくなるという事実が、必要以上に私を不安にさせます。
ここ数日、離脱症状というほど深刻な状態にはなっていませんが、不安感ではなく緊張感を強く感じるようになりました。
後で足りなくなると思いつつ、今日は朝0.4mgでしのぎましたが、昼近くに緊張に耐えられず、0.8mg服用し、気持ちは落ち着きました。
精神障害のごとき患者本人の言い分でしか薬効を確かめる術が無い場合には、安易に方針を変えるのはかえって危険だと思います。
依存性が高いとは言うものの、アルコールや禁止薬物のように正常な生活が出来なくなるほどの副作用はありません。
なんなら一生依存しながらでも服用して元気に生き続けるほうが良いと思います。
無理して減薬、さらには断薬させて生活の質を落とすのは患者の利益にはなりません。
推測ですが、厚生労働省の医務官の中でも地位の高い人が交代したのではないかと思います。
万事遺漏が無いとされるお役所ですが、人間が動かしている以上、大いに誤った政策を立案するのは当然のことです。
悲しいかな政治家にはそれに反対できるだけの知識を持つ人がいません。
さらに悲しいのは、おそらく意見が大きく割れたであろう厚生労働省の医務官同士の権力争いがどういうプロセスを経て今回の決定に至ったのか分からないということです。
じつは私は、何年後になるか分かりませんが、そう遠くない将来、また抗不安薬の処方制限が撤廃されるのではないかと思っています。
鳴り物入りで始まったゆとり教育が10年も持たずに廃止になったように。
昨日は見事な秋晴れでした。
家でごろごろしているのももったいないので、千葉市中心街を歩きました。
11時半に車を千葉駅近くのコインパーキングにとめ、とりあえずお昼を摂りました。
イタリア料理のランチコースです。
本当はワインを飲みたかったのですが、少しでも飲むと歩くのが億劫になってしまうため、我慢です。
昼食を終え、まずは千葉神社へ。
七五三を祝う子供連れの夫婦がたくさんいます。
祖父母と思しき初老の夫婦も。
私は28歳で結婚し、30歳から4年間不妊治療を受けました。
結局できなかったわけですが、もし30歳で子供がうまれていたら、今年で24歳。
七五三を祝うとしたら祖父母ということになります。
そんなことを考えても詮無いことですが。
あまりにも眩しい幼い命の輝きに、そんなことを考えてしまいます。
その後千葉公園まで足を延ばし、さすがに疲れたのでそごう千葉店の椿屋茶房で珈琲を頂きました。
コロナ前であれば、おそらく都内へ出かけて行って散歩を楽しんだであろうと思いますが、コロナで出かけないことが当たり前になり、流行が下火になった今、もうそんなことが億劫になってしまいました。
今後は千葉市中心街を歩くか、せいぜい幕張や稲毛の浜辺を歩くくらいが精いっぱいになるのでしょうね。
今乗っているスバルのインプレッサ、片道14キロの通勤にしか使っていません。
もう車で遠出することも無いように思いますので、軽自動車への買い替えを検討したほうが良いのかもしれません。
珈琲を楽しんだ後、アートスペースを冷やかしに行きました。
みかガマの個展がひらかれていました。
みかガマなる陶芸作家、私は知らなかったのですが、同居人は知っていて、3万円もする香炉を衝動買いしていました。
本当に欲しい物、しかも実用品で無い物を買うほど喜びの大きい買い物はありません。
3万円程度なら許容範囲でしょう。
TOP | mikanoguchi (mikagama.com)
その後、4週間に一度の精神科の診察に行きました。
そごう千葉店からは徒歩10分程度です。
調子は悪くなかったので、抗不安薬が減薬になりました。
ただし、この減薬には不満があります。
それは一定の種類の抗不安薬や睡眠薬に対して、処方制限がかけられることになったのが主たる理由だからです。
本当はすでに数年前から処方制限がかけられていたそうです。
それは処方出来ないということではないそうですが、嫌な感じです。
通っているクリニック、院長が引退し、新しい院長に診てもらうようになってから数か月が経ちますが、前の医師は患者の苦しみを取り除きたい、ということを1番に考えていたように思いますが、今度の医師は事務的というか、マニュアルどおりというか、精神科医らしい話をよく聞くと言う姿勢が感じられません。
面倒くさいので他の精神科を探して合う医者を探すドクターショッピングのようなことをする気はありませんが、こちらも日々の思いを語るようなことは止めようと思います。
欲しい薬のことだけを話せば良いような気がしています。
今日は昨日と打って変わってどんよりとした曇天。
同居人は休日出勤とあって、どこにも行く気が起きません。
こんな日はベッドがお友達です。
谷村新司さんが亡くなったとの報道に接しました。
74歳。
現代の日本人の平均寿命から考えると、少し早いようです。
最近、訃報に接すると、故人の年齢が気になるようになりました。
つい最近乳癌で亡くなった先輩は2歳上でした。
アルコール依存症から肝硬変になり、肝臓がんで亡くなった先輩は、今の私よりも6つ若い48歳でした。
甚だしきにいたっては、後輩が27歳で自殺しました。
つい、自分は後どれくらい生きるんだろうと思ってしまいます。
谷村新司さんと同じ年で亡くなるとしたら、もう20年しか残されていません。
高橋幸宏、坂本龍一のYMOで活躍した二人は、いずれも70代前半で亡くなったと記憶しています。
そうかと思うと、裏千家家元の千玄室氏は100歳を超えてなお矍鑠としています。
特攻崩れと聞きましたが、我々には想像もできないような苦労をしてきたのだろうと思います。
死恐怖症と訳されるネクロフォビアと呼ばれる人々は、自らの死を極端に怖れるのはもちろんのこと、棺だとか葬式だとか、死を連想させる物すべてを怖れるそうです。
北枕とか数字の4とかを極端に怖れる縁起恐怖と似た点はありますが、両者は別の症状です。
私は自分がネクロフォビアだと思ったことはありませんが、死への恐怖は当然あって、それが身近な者や著名な人が亡くなった年齢を気にする理由になっているような気がします。
私は今54歳ですが、現代ではその年齢は重い病気を患っているのではない限り、死を恐れるには早いような気がします。
ただ、嘘か真か、精神障害者の平均寿命は精神的に健康な人に比べ、10年短いと聞いたことがあります。
精神病薬の大量投与や被差別等のストレスが原因かと思います。
私はぱっと見が精神障害者には見えないらしく、あまり差別されたという記憶はありません。
ただ、それは精神病薬の大量投与により、辛うじて精神の平衡を保っているだけに過ぎません。
私が購入23年にしてマンションのリフォームを思い立ったのも、いつかやろう、ではその前に死んでしまうのではないかと思ったためです。
私は定年退職を切望していますが、それは死に近づくことと同義です。
定年退職した老人は、判で押したように働いているうちが花だ、なんて言います。
それは嘘つきか、記憶を書き換えているとしか私には思えません。
人間、いや動物というもの、怠け者にできていますから。
おそらく65歳に延長されるであろう定年退職まで生きたなら、もう残りもわずかでしょう。
それを切望することは、つまり死を望んでいるようなもので、死への恐怖を持つ者としてはひどく矛盾しています。
かといって、若返りたいとは欠片も思いません。
これまでの苦しみ多い年月をもう一度繰り返すなんて御免です。
死ぬのは怖い、だけど若返るのも嫌となると付ける薬はありません。
ただ静かに、その時を迎えられるような精神を持ちたいと、切に願います。
今日は休暇を取りました。
特に用事は無かったのですが、昔と違い、休暇をきちんと取得しないと人事担当部署に呼び出され、お叱りを受けることになりますから。
有給休暇は年に20日あり、この他にリフレッシュ休暇というのが3日あります。
その他病気休暇や忌引き等の特別休暇もあります。
病気休暇は一つの疾病で2年間まで取得でき、しかも2年後に出勤して別の病名が付けばさらに2年間休めます。
そんなことをする奴はみたことがありませんが制度上可能ということです。
病気休暇では最初の三か月は満額の給料がもらえ、3カ月を過ぎると共済組合から給料の8割に相当する額がもらえます。
公的機関なので当たり前ですが、手厚い福利厚生の制度が整っています。
これら制度のおかげで、精神疾患発症時も、休むことによる不利益はほとんどありませんでした。
復職した時周囲から暗黙の差別を受けているように感じたのは実際に差別されていたのか、自身の被害妄想か、それは分かりません。
今となっては若い職員は私が長期病気休暇を取っていたことすら知らず、敬ってくれるのは有難いことです。
大量の抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬を処方されてどうにか正気を保っている状態ではありますが、それで仕事に行くことができ、普段の生活も健常者と変わらないのですから、じゃんじゃん飲めば良いと思っています。
昨日、築23年となる自宅マンションのリフォームをある会社に依頼した旨、ブログに書きました。
新築で購入して23年。
その間、顔なじみになったマンションの住人たちも老いました。
妊婦の状態で入居した人の娘はもう巣立ち、50過ぎで一番面積が小さい部屋を購入した独身の元警備員は腰が曲がり、歩くのも難儀しています。
一人暮らしで、誰かが訪ねて来ることも無いので、今後どうなるのか他人事ながら心配です。
売ったんだか貸しに出したんだか分かりませんが、多くの家族が去っていきました。
そして多くの人が入居しました。
私が住むマンションは駅に至近のため、売りに出すとすぐに売れてしまうようです。
不動産会社から頻繁に売りに出せ、という内容のチラシが届きます。
売る気などさらさら無いのに。
何より感じるのは、近所の様々なお店が次々に入れ替わっていくこと。
すぐお隣のビルに入っていたモスバーガーはトランクルームになり、パチンコ屋は葬儀屋になりました。
近所にあった100円寿司屋は巨大な薬局兼スーパーマーケットに変わりました。
道を挟んで向かいにあったカラオケ屋はネットカフェになりました。
小さなお店の入れ替わりなんてしょっちゅうです。
もちろん、長年にわたって頑張っているお店もあります。
近所に今時珍しく演歌のテープばかりを売っているレコード屋と言うべきかテープ屋と言うべきかCD屋と言うべきか、分類に困るようなお店があって、驚くことに今も頑張っています。
しかも元旦も含めてお休み無し。
老人が一人で切り盛りしている個人商店ですが、熱心な客がいるのでしょうね。
蕎麦屋は代替わりして、なぜか美味しくなりました。
普通倅が店を継ぐと味が落ちると思うのですが。
お店が多い地域に住んでいると、商売というのは本当に難しいと実感するとともに、時が経ることによる変化を実感せずにはいられません。
31歳で入居した私は54歳になりました。
いつまで経っても同居人と馬鹿話したり、我が家でブームのベビーメタルやちいかわの真似を互いにやって笑いあったり、年齢相応の落ち着きが身に付かないようです。
孫がいたっておかしくない年齢に達しているというのに。
子宝に恵まれなかったせいでしょうか。
子供がいれば、正しさや優しさ、強さを演じることで教育をしなければなりませんから。
54歳の今馬鹿々々しいことをやって喜んでいるのですから、おそらくは70になっても80になっても、死ぬまで続けるような気がします。
一時は精神障害の発症で自殺まで考えたこともありましたが、今はそういうことも無くなりました。
一病息災とか申します。
私にとっての一病は双極性障害なんでしょうね。
精神障害者はそうでない人に比べて平均寿命が10年以上短いと言う医師がいます。
それなら私がその説を覆してやろうと思ったりもします。
私が20代の頃、なぜか真面目一筋で生きてきたのに、50歳を迎えて突然浮気に走ったり、風俗通いを始めたりするという先輩を見かけました。
思うに、オスとしての本能が、そろそろ生殖に適さない年齢になってしまうと、悪あがきしているのではないかと思います。
私は双極性障害で躁状態に陥った40歳くらいの頃、そういった遊びに狂ったこともありました。
今となってはどうでも良いことになりました。
今日と明日のことだけ考える、昨日のことも明後日のことも考えない、本来の意味とは異なりますが、その日暮らしをせよと、医師に言われました。
過ぎた日のことを考えても今更変えられるわけではなく、明後日のことなど分からない、そういうことは頭では分かっていても、昨日のことを悔やんだり、先のことを考えて不安になったりします。
その日暮らしをせよというのは苛烈な言い方です。
苛烈な言葉を放つ精神科医はしかし、本当にそうやって生きているのかもしれませんね。
負のオーラを放つ精神障害者と毎日接していれば、そうでも思わないとやっていられないのでしょう。
その日暮らしには程遠い、何事にも惑うばかりの私の精神は今後も変わらないでしょう。
己と同居人だけを頼んで生きていくしかありません。
8月19日(土)の精神科受診で、抗うつ薬を切り、抗精神病薬が処方されたことはすでにこのブログで報告したところです。
切った抗うつ薬はスルピリド(別名ドグマチール)という、もともとは胃薬として開発されたもので、これを処方された患者が胃の調子が良くなるばかりではなく、明るく活動的になるとの報告が学会等で多く発表され、作用機序はよく分からないながら、効けば何でも良いということで、抗うつ薬としても使われるようになったという謎の薬です。
この薬は私を救った最大の功労者だと思っていましたが、もともとうつ病に処方される薬で、双極性障害のうつ状態にはあまり向かないと医師から説明を受けました。
代わりにラツーダと言う抗精神病薬が処方されました。
これを大量に飲むと幻覚や幻聴が改善されることから統合失調症に処方され、少量だと双極性障害のうつ状態に効くということで、最小量を処方されました。
ラツーダ、2020年に承認された新しい薬だそうです。
で、通常4週間に1度通院していたところ、薬の調整を行ったので精神状態がどう変化したか、効いている感じがするかを確認したいと医師から言われ、明日、中2週間での診察となりました。
約2週間服用して感じたのは、ゆるーく効いてきた感じでしょうか。
精神病薬は大抵そうであるように、ラツーダも飲み始めてから10日ほどしないと効果を実感出来ないと聞いていましたが、そのとおりでした。
今週の水曜日あたりから、それまでは再発したのかと思うほど落ちていたのが、少し改善されて、睡眠の質が上がったうえ、仕事もはかどるようになりました。
現代医学というのは凄まじいものです。
うつ病は誰でも罹患する可能性が高く、患者が多い疾患ですが、私が患っている双極性障害の患者は多くありません。
統合失調症と双極性障害が二大精神疾患とされ、寛解はあっても完治はあり得ないと言うのが現代医学の常識です。
一般に知られているうつ病だとか神経症だとか言うのは治りやすいのものであるとされます。
面白いのは、うつ病患者と双極性障害のうつ相にある患者では脳を検査すると明らかに異なった波形を示すことです。
傍から見ると同じような症状が、全く異なった脳の状態から発症するとは不思議です。
髙血圧と同じように生涯薬を飲み続けなければならない業病を患ったのは不運であったとしか思えませんが、現代医学の力を借りて、13年も続いている寛解状態を維持したいと考えています。
よく慢性的な精神疾患を抱えている人は短命だと言われます。
医学的な裏付けは無いのだそうですが、医師によっては精神疾患が無い人と比較して、平均寿命が20年も短いとする人もいるそうです。
仮に日本人男性の平均寿命が80歳だとすると、私は60歳くらいで死ぬ計算になります。
現在私は53歳ですが、60歳で死ぬような気はしません。
私は双極性障害患者ですので、双極性障害に限って考えてみたいと思います。
まずは自殺リスク。
自殺というとうつ病患者に多いイメージですが、双極性障害はうつ状態と躁状態、それに安定期を繰り返す病気ですので、うつ状態での自殺が多いものと思います。
次に精神病薬を長年服薬し続けるために健康を害するとする説。
これは医学的にその因果関係は立証されていませんが、私が毎日飲んでいる薬の種類や量の多さから見ても、あり得ることだと思います。
ただし、どの薬がいけないのか、あるいはどの薬とどの薬の相性が悪いのかなど、分かっていないことが多く、症状に合わせて薬が増えていく傾向にあるのは身に覚えがあり、しかしそれは医師の処方ですので、患者としては医師の処方を破って勝手に減らしたり飲まなかったりすることは出来ません。
それをやってしまっては、医師が考える治療方針を患者が拒否していることになりますから、治療にならないと言っても過言では無いでしょう。
精神病に知識が少ない人は「良くなったら薬なんて止めちゃえばいい」なんて言ったりしますが、それが一番危険なことです。
病気を悪化させたり再発させたりすること必定です。
服薬治療は専門家である医師とともに考えていくべきだろうと思います。
睡眠不足によるとする説。
多くの精神障害者は不眠に悩まされます。
私は躁状態が激しかった頃、酒を呑んでも睡眠導入剤を飲んでも全く眠くならず、一晩中パソコンの前に座ってネットや動画を見たり、書き物をすることがよくありました。
睡眠は肉体の休息はもちろんのこと、脳を休ませて健康を維持するためには必須のものです。
「睡眠不足で死んだ人はいない」、という物言いをする人がいて、それはそうなのでしょうけれど、少しづつ、健康を害していくであろうことは簡単に想像できます。
私の場合うつ状態では過眠になり、躁状態では不眠になるので、その落差の激しさから、睡眠は重要だと痛感しています。
過度の飲酒や薬物によるとする説。
これは言わずもがなかと思います。
連日大酒を飲んだり、違法であれ合法であれ意識の変容を求めて薬物を接種し続ければ、アルコール依存や薬物依存になることは明白で、寿命を縮めること間違いありません。
遺伝によるとする説。
精神疾患は遺伝によるものが多いと言われます。
それならば遺伝による短命ということも十分に考えられるでしょう。
しかし私の親類縁者に双極性障害を患ったという人は見当たらないので、あまり考えなくても良いかもしれません。
上のように考えてみると、精神障害者がみな必ず短命かどうかは別にして、短命になる要素は色々あるんだと思います。
私の場合、酒の飲みすぎが問題です。
肝臓も若い頃に比べると数値が悪化しています。
60歳で死んでしまうのならそれはそれで仕方のないことですが、できれば 健康な人の平均寿命と同じくらいは生きていたいと願います。
最近、マスクを外して人に接すると、顔面がひきつったり紅潮したりして困る、という話はこのブログですでに告白しています。
そのことを精神科医に話すと、双極性障害に加えて、社会不安障害も併発したのではないか、という説明を受けました。
社会不安障害は人と接するのが病的に苦手な人のことです。
しかし私は他の多くの双極性障害患者と同様、社交的で場を盛り上げるのがうまく、宴会王と呼ばれていたこともあります。
自助グループに参加していた頃、うつ病患者は暗い印象の人が多く、双極性障害患者は華やかな雰囲気の人が多いように感じました。
まさかその私が、ねぇ。
双極性障害患者は別の精神疾患を併発している人が多いのだそうです。
毎日マスクを着用するのが当たり前になってしまうと、顔を見られことに違和感や羞恥を感じるようになり、そういう人はたくさんいて、主治医自身にもそのような傾向があるのだと言われました。
これには驚きました。
まさか精神科医がそうなってしまうとは。
これが酷くなると引きこもりになって自室から出られないという最悪の状態にもなり得るのだとか。
私は毎日出勤し、生きづらさを感じながらも、仕事に支障を来すほどではありません。
医師は今のままで止まればよいが、悪化の可能性があるので、予防的に抗うつ薬の投与を勧めてきて、双極性障害患者に抗うつ薬は出せないのではないかと問うと、うつ傾向がみられる場合、投与することがある、とのことで、ミルタザピンという薬を加えることになりました。
私が希望した抗不安薬、アルプラゾラムの増量は却下されました。
抗不安薬は依存性が高く、あまり多くの量を飲むと中毒になってしまうからだそうです。
酒みたいなものです。
そもそももう抗不安薬依存に陥っているような気がしますが、仕方がありません。
話は変わって、今日はスバルのディーラーに行ってきました。
私は安心点検パックというのに入っていて、半年に一度無料で点検を受けられます。
車に疎い私には有難い商品です。
ただし、今日は半年点検ではありません。
車検前点検というもので、これも無料です。
車検が切れるのは11月下旬なのですが、車検前点検の案内が届いたのは二週間ほど前で、車検前と言うには早すぎるような気がしますが、そういうものなのでしょうね。
営業から海水浴にはいきますか?、海釣りはしますか?という質問を受けました。
塩害の可能性をみるためなんでしょうね。
真夏に日焼けして泳ぐなんていう愚行を20代半ばまで続けましたが、とっくにそういう悪癖からは卒業しました。
釣りは餌を付けるのが気持ち悪そうで出来ないし、生きている魚が釣りあげられて口をぱくぱく言わせて動いている場面を想像しただけぞっとします。
私は出勤以外、食材の買い出しか散歩でしか外出しません。
まして海になんて絶対に行きません。
コロナ前はずいぶん色々な場所に車で出かけて行っては初めて見る町を歩き回ったり、桜や紅葉の季節には定番のお気に入りスポットに出かけたりしていましたが、コロナ禍のせいで自粛しているうちに散歩ですら億劫になってしまいました。
外出を自粛し続けるというのはよろしくないし、マスクの常用もいけません。
そのいけないことを精神障害者が行えば碌なことにならないと思います。
今日も猛暑で、魚屋と八百屋に買い物に行っただけで、後はひたすら冷房の効いたリビングでゴロゴロしていました。
とは言っても、16時半に4週間に一度の精神科へ診察に行かなければなりません。
車で行くので暑さは感じないと思いますが、それにしても億劫です。
元の主治医が引退して、主治医が代わってから2度目の診察。
お互い様子見といったところです。
私は今までの人生で一度だけ躁状態に陥ったことがあり、そのためにうつ病ではなく、双極性障害と診断されています。
双極性障害というと躁状態とうつ状態を頻繁に繰り返すイメージがありますが、それはラピッド・サイクラーと呼ばれる人々で、実はあまり多くありません。
一度でも躁状態が起きると、双極性障害と診断され、抗うつ薬は使えなくなり、代わりに気分安定薬を主剤とし、抗精神病薬、抗不安薬を補助的に用いることになります。
双極性障害で最も問題となるのが、うつ状態の時に抗うつ薬を使うべきかどうか、という点です。
抗うつ薬の服用は躁転を起こすきっかけになることがあるので絶対に使うべきではないという意見と、気分安定薬を飲みながら一時的に使うのなら構わないという意見があって、決着がついていません。
軽いうつ状態だと思うのですが、2年ちかく、奇妙な状態が続いています。
コロナ禍のため常時マスクをする生活が長引いてから、マスクを外して顔を見られることに強い違和感を覚えるようになったのです。
マスクを外すと、顔面が痙攣するような、紅潮するような、変な感じです。
精神科医に話しても、様子を見ましょうと言うだけで、抗うつ薬を使いましょうという話にはなりません。
主治医が最も怖れているのが人生2度目の躁転だからだと思います。
最近、希死念慮が出始めました。
希死念慮というのはうつ状態の時によくみられる症状です。
自殺したくなるのです。
はるか前、うつ状態の時に苦しめられました。
その時の状態は、頭がトロンとした希死念慮だったように記憶しています。
今は頭がクリーンというか、まともだと思われる精神状態なのに、ふと、死がいともたやすいことのように思われ、もう十分生きたし、これからは衰えるだけで良いことなんて無いだろうと、考えが悪い方に向かうのです。
不思議な感覚です。
気分は落ちていないのに希死念慮にとらわれる感じが一か月ほど続いています。
もちろん、私は自殺などしないと思います。
死ぬのは怖いですし、どんな方法を採ったところで生身の人間が痛みや苦しみ無く死ねるはずもありません。
痛いのも苦しいのも御免です。
さらに不思議なのは、うつ状態の時に感じた希死念慮は苦しいだけだったのに、今の状態の希死念慮は苦しいだけではなく、どこか心地よく感じてしまうのです。
なぜでしょうね。
これは最近起きた症状なので、まだ精神科医には話していません。
次の土曜日が診察なので、これが続くようなら相談してみようと思います。
様子をみましょうと言われるような気がしてなりませんが、専門家は違った見解を示すかもしれませんし。
最近、なんとなく精神的に弱ってきていることは何度かこのブログで報告しました。
うつとか躁とか、分かりやすい症状ではなく、気持ちが焦り、焦るがゆえにかえって仕事に手が付かないという困った状況です。
出勤は続けており、焦燥感を感じながらも最低限のことはこなし、ダメだと思ったら担当関係なしに若い部下に振っています。
こんなことを続けていたら、いわゆる働かないおじさんに認定されてしまうでしょう。
最近、記憶力が落ちてきたと感じます。
自分でやった仕事ですら、細かい部分を覚えていなかったりします。
10年前には考えられなかった事態です。
また、ここ数年の間に就職してきた若い人たちの顔と名前が一致しません。
これはマスク着用が3年にも渡って続いていることが大きな理由でしょう。
また、今はマスクの着用は個人の判断にゆだねられていますが、日本人特有の同調圧力のせいか、マスクを着用している者のほうが圧倒的に多い状況です。
もちろん天邪鬼の私はマスクの着用が任意とされたその瞬間からマスクを外し、ゴミ箱に放り込みました。
これは快感でしたね。
マスク着用を続けたことと、会議や打ち合わせがほとんどオンラインになったことは、私の精神状態を悪化させる大きな要因になったと感じています。
目から上しか見えない、いわば仮面をかぶったような人々の群れを見、しかも自分もそれに加わっていることは、疾病流行のためとはいえ、不気味で、気持ちの悪いものでした。
また、オンラインによる会議は便利なものですが、対面で話すと人の脳は活発に動き出すのに、オンラインではあまり動かないそうです。
そういった人間の情動がある一瞬を境に断ち切られたことも大きいと思います。
仮面をかぶった人々の群れ、心通わぬ打合せや会議の連続は私を不安に陥れ、社交不安とでも呼ぶべき状態に至ってしまいました。
精神科は代替わりで主治医が変わったばかりですが、前の主治医も今の主治医も、マスクの長期着用は精神疾患を抱える者だけではなく、精神的に健康である人々にも影響を与えている、とびおさんはもともと精神疾患があるのだからその影響を受けるのは当然で、様子を見る以外方法は無い、と言います。
精神病治療はここ数十年でたくさんの薬が開発され、その効き目はかつての物にくらべて刮目すべき効果を上げています。
薬の調節がうまくいけば、大抵の精神病は寛解にまで至ります。
しかし服薬による治療は対症療法であり、根本的な治療ではありません。
認知行動療法とか、森田療法とか、タッピングとか、根本治療を謳う治療法もありますが、私にはまったく効果がありませんでした。
これらの治療法で快癒する人がいるのは事実のようですが、私にとっては質の悪い新興宗教のようなものでした。
私には、西洋医学による服薬治療だけが頼りで、だからこそ今現在の危機にも薬で対抗しようと思ったのですが、主治医が言うには、抗うつ薬を使うしかないが、うつ病ならともかく、双極性障害の患者に抗うつ薬を投与すると躁転してしまう可能性があるため使えない、とのことでした。
そもそも躁転のきっかけの一つは、うつ病と診断されて抗うつ薬を大量に投与したことにある、とか。
私は今躁状態もうつ状態も抑える気分安定薬と、もともとは幻覚や幻聴、妄想等を抑えるため、主に統合失調症患者に処方されていたところ、双極性障害の気分の浮き沈みを緩和する作用があることが判明した抗精神病薬、それに不安や緊張を抑える抗不安薬を飲んでいます。
これに抗うつ薬を加えることは、精神科医によって見解は異なるようですが、一般的には禁忌とされているそうです。
ということは、今までどおり気分安定薬、抗精神病薬、抗不安薬の3種類で現在の危機に立ち向かわざるを得ず、正直自信がありません。
躁転が少しでも疑われる事態に至ったらすぐに服用を中止する、という条件で抗うつ薬を処方してほしいと思っているのですが、それは治療方針の大転換であり、検討する余地はあるが最低数か月は様子を見る必要がある、と新主治医は言っていました。
精神病発症から18年。
寛解に至って15年くらい経ちますが、精神というか脳というか、心の偏りは簡単には良くならないもののようです。
やれやれ。