寒風吹きすさぶ週末。
襲い来る年度末のハード・ワークの予感に打ち震えています。
そんな中、昨日、四週間に一度の精神科の診察に行ってきました。
年度末であれば落ち気味になるのは仕方ない、失敗しても自分を責めず、日々を淡々と過ごすように言われ、薬は今までと同じ処方となりました。
人間、言うは易く行うは難いもの。
そんな風に自在に心を操れれば、精神科医など存在し得ないでしょう。
年末年始の休みが明けて月曜日から金曜日まで怒涛の一週間を過ごしました。
昨年の6月17日から始まった二つの部署の責任者という立場が変わらず私を苦しめています。
この3連休もなんだか忙しなく過ごしました。
土曜日は精神科の診察、日曜日は散髪、今日は先月購入した新車の一か月点検がありました。
どれも大して時間はかかりませんが、完全フリーの休日とは微妙に異なります。
億劫と言いましょうか。
よく一か月1,000キロと言いますがが、今日で958キロ。
どうでも良いことですが、1,000キロに少し届かなかったのが悔しくもあります。
精神病というか、精神病のなかでは軽い部類とされる神経症の世界では、忙しくなってきたと思った時が治った時、という言葉があります。
それならとっくに治っているはずですが、寛解はしても完治が無いのが双極性障害です。
それに双極性障害は統合失調症と並ぶ二大精神病とされ、単なるうつ病や神経症とはその重さが異なります。
以前、直属の上司に私の精神状態が悪化していることを伝え、人を付けるか私を異動させるかしてくれ、と話したことがあります。
その後無しの礫なので、明日は人事権のあるお偉いさんに直訴するつもりです。
これ以上1秒も我慢したくありません。
折角寛解に至って15年。
長く険しい道でした。
それがこんなことで再発の危機に立たされるとは思いもしませんでした。
心はもう病気休職に傾いています。
悔しいですが、自分を守るためには仕方ありません。
部下や同僚に負荷をかけたくないの一心でやってきましたが、そろそろ限界のようです。
昨夜、「双極性障害の診かたと治しかた」という薄い入門書を読みました。
おそらく精神医学の初歩的な内容で、医大に入って間もない学生向けと思われます。
双極性障害について詳しく述べられ、かつて私が通った道が鮮やかに思い起こされました。
うつ病や適応障害はすっかり有名になり、よくある疾患とされるようになりました。
うつは心の風邪、と言った方がいましたが、風邪のように一週間かそこらで治るものではなく、早くても半年くらいはかかるので、うつは心の複雑骨折と言ったほうがよいかもしれません。
それに比べて統合失調症と並ぶ2大精神病とされる双極性障害はうつよりも圧倒的に患者が少なく、まだ世間に十分認知されているとは言い難い状況です。
患者が少ないということは症状に悩む当事者も家族も少ないはずで、本を書いても大して儲かりません。
「躁鬱大学」という当事者によって書かれたエッセイのような物を読んだことがあります。
でもピンと来ませんでした。
そもそも私はⅡ型で、著者がⅠ型らしいことが原因と思われます。
双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、Ⅰ型は激しい躁状態とひどいうつ状態を伴い、入院加療が必要であり、ほぼ働くことは不可能とされています。
で、障害者年金に頼ったりします。
Ⅱ型は軽躁状態とうつ状態を繰り返すもので、適切な服薬治療によって寛解状態が期待でき、寛解に至れば労働が可能となります。
私の場合15年ほど前に躁エピソードがあり、服薬治療を続けることで寛解状態が続き、今も再発せずに働いています。
15年再発しなくても、この病気は再発率が極めて高いので、再発予防のための服薬が必須となります。
「双極性障害の診かたと治しかた」は分かりやすいものですが、治療者側から書かれているので、当事者としては戸惑う記述があります。
例えば新しい薬の治験では、プラセボを○○週間飲ませた患者群と新薬を投与した患者群で有意に新薬の患者群が回復傾向を示したため、新薬には効果があると実証された、などと書かれている点です。
多くの患者を診る精神科医にとってそれは有効なのでしょうが、当事者はおのれ独りに薬効が認められれば、その他の患者のことなんてどうでもよいのです。
そもそもプラセボを飲み続けた患者が気の毒です。
マウスじゃないんですから。
内臓の病気のように血液検査等で明白な数値が出れば分かりやすいのですが、今はまだそこまで至っておらず、患者の行動や口ぶりから診断せざるを得ません。
今の精神医学の限界なのでしょう。
私は36歳くらいでうつ病を発症しましたが、2年後くらいに軽躁状態が現れ、病名がⅡ型双極性障害に変わりました。
もうずいぶん長い間精神障害を負ったまま生きています。
6月に二つの部署の長を兼務したことがきっかけで長い軽うつ状態に陥っており、その状態がずうっと続いています。
いっそ軽躁状態になりたいものです。
躁はギャンブルや性風俗、買い物などに大金をつかったり、怒りっぽくなってやたらと喧嘩するようになったりと厄介な状態ですが、当事者には病識が無く、元気になったとしか思いません。
私もそうでした。
厄介なことは承知で、またあの軽躁を経験したいと思ってしまいます。
それほど軽躁は気分が良いのです。
でも無理でしょうね。
再発防止の薬を飲んでいますから。
ここは踏ん張り所と考えて耐えるしかないようです。
昨日は4週間に一度の精神科の通院日でした。
二か月前に処方されたトリンテリックスという新しい抗うつ薬が効いているようで、憂鬱感や不安感が少し和らいだこと、膨大な仕事を目の前にして何から手をつけてよいか分からなかったのが、一つ一つ片づけようという気分になったことを話したら、精神科医は喜んでくれました。
もう一つ、これは言いたくない話です。
私は20年以上前から高血圧と高コレステロールのため内科に通っているのですが、ある時お酒を呑まないと寝つきが悪い、という話をしたところ、内科医からお酒を呑むくらいなら睡眠導入剤を飲んだほうがよいと言ってマイスリーという薬を処方され、毎晩飲んでいることです。
本来睡眠導入剤は精神科の領域ですし、マイスリーという薬、癖になるとかで、あまり評判が良くありません。
精神科でそのことを言ったら叱られ、服薬を禁じられるかもしれないと怖れていたのです。
しかし精神科医、
「あ、良いですよ。それよりアルプラゾラム(抗不安薬)を切りたい」
と言いました。
ほっとすると同時に、抗不安薬を止めるのは何としても避けたいと思って、
「抗不安薬を飲まないと日常生活に支障を来す」
と泣きを入れました。
精神科医、さらにしつこく、
「トリンテリックスを倍に増やしたら抗不安薬を止められるのではないですか」
とほざきよります。
私はせめて今の兼務の状態が解消されるまでは、とさらに泣きを入れてどうにか前回と同じ処方となりました。
抗不安薬、昔はじゃんじゃん処方されていたのですが、2~3年前に厚生労働省が抗不安薬は基本的に状態が悪い患者に1年間を上限に使うのが望ましいという通知を発出しました。
精神科医の間ではこれを守ろうとする者と、患者の精神の安定のために今までどおり処方する者とが半々に分かれています。
私の主治医は昔から飲み続けている患者(私がそれです)には処方はするものの少しづつ減らし、最後は完全に切る、という方針で、私はこれを極端に恐れています。
もう10年以上飲み続けていますから。
とっくに依存しているわけです。
生活が安定するのなら、じゃんじゃん飲みたいと思っているのですが・・・。
今日の千葉市はひどく寒く、冷たい雨が降っています。
真冬です。
うつ病や適応障害の患者は天候に依って体調が左右されやすく、雨で寒いとなるとてき面です。
双極性障害でこのところ落ち気味の私も例外ではなく、今日は仕事を休んでしまいました。
突然の体調不良で休むといつもそうですが、ひどい自己嫌悪に陥ります。
で、禁断の昼酒を呑んでしまいました。
少々呑んでも落ちた心は却って眠気を吹き飛ばし、寝逃げしようとしても無駄です。
ひたすらに緊張し、不安になり、悲哀甚だしく、世界一不幸だと思ってしまうのは病ゆえでしょう。
ただ己の愚かな精神を嗤うばかりです。
今日は10月も半ばを過ぎたというのに蒸し暑い日となりました。
午前中はダラダラと寝て過ごし、昼は塩ラーメンを食いに行き、晩の買い物を済ませると、帰宅してまた寝て過ごしました。
このところ仕事が忙しく、忙しいと嬉しくなっちゃうと言う人をたまに見かけますが、私は凡人ですので、忙しいのは本当に嫌です。
そのため、毎日憂鬱で、休みの日でも憂鬱を引っ張てしまう損な性分で、自分で自分が恨めしくもあります。
これから4週間に一度の精神科の診察があります。
面倒くさいですが、薬を貰わないと生きていけません。
薬をもらっても、生きているんだか死んでいるんだか分からない状況です。
多分退職するまで、程度の差はあれこの憂鬱が続くんでしょうね。
なんだか小学生の高学年くらいから、ずうっと長い憂鬱を生きてきたような気がします。
生きるために仕方ないとはいうものの、朝起きてどこかに行かなければならない生活はもううんざりです。
昨日は4週間に一度の精神科通院日でした。
最近仕事が増えて落ち込み気味で、今も多くの精神病薬を飲んでいますが、もうずいぶん前、初めて精神科で処方され、救われたと感じたドグマチールを処方してほしいと主治医にお願いし、処方してもらいました。
思えば今までたくさんの薬を試してきました。
合う物もあり、水を飲んでいるかのように効かない薬もありました。
精神病の薬というのは飲んでみなければ効果があるかどうか分からないようなところがあります。
内科の薬、例えば解熱剤などは、誰が飲んでも効くと思いますが、精神というもの、まだ得体が知れず、脳の一部に作用して薬効を得るわけですが、これがじつに難しい。
解熱剤の例でいえば、熱を測ればその効果はすぐに分かりますが、精神科の薬はあくまで患者がどう感じたかに依るところが大きく、脳内を検査して効いているはずだと推測は出来ても、患者が効果を実感できなければ意味がありません。
そういう意味では、ドグマチールは私にとってお守りみたいな物です。
ただこの薬、承認されたのが1973年と古く、その後多くの新薬が開発されたため、最近はあまり使われなくなりました。
効いてくれると良いのですが。
6月17日(月)から、私の部署では1名定員削減の憂き目にあうことになりました。
私にとっては衝撃的な出来事です。
ただでさえ少ない人数でどうにか仕事を回してきたというのに。
部下たちの仕事の分担を考えなければなりません。
もちろん私の分担も。
上層部は私の病歴を当然知っています。
寛解に至って15年も経つので、もう負荷を増やしても大丈夫だろうという判断なのでしょうが、そんなに甘いものではありません。
じつはもう精神科医から休養すべきだと言われ、診断書も貰っています。
とりあえずはこの診断書を常に忍ばせ、様子を見つつ、もうダメだとなったら病気休暇に入ろうと思っています。
自分を守るのは自分だけですから。
大谷選手の専属通訳の水原氏が解雇されました。
ギャンブル依存症で、使ってはいけない大金を使ってしまったようです。
依存症というのは種類がたくさんあって、アルコール依存症、薬物依存症(合法薬も含む)、ギャンブル依存症、買い物依存症、セックス依存症、などなど。
私は良くお酒を呑むし、抗精神病薬、抗不安薬を飲み続けているので、アルコール依存症や薬物依存症(ただし合法薬)になるリスクを常に持っています。
いや、あるいはすでにどちらかもしくは両方の依存症になっているのかもしれません。
抗精神病薬や抗不安薬を飲まないとまともに働けませんし、毎晩の晩酌はすっかり習慣になっています。
自分は酒と薬で死ぬんだろうなと、ぼんやり思ったりします。
3つ上の先輩で、肝臓がんで亡くなった人がいます。
48歳でした。
アルコール性肝炎から肝硬変になり、肝臓がんになるという、酒で死ぬ典型のような推移をたどりました。
この人、20代の頃から破滅的な酒飲みでした。
毎晩ウィスキーのボトルを1本開け、泥酔して眠り、出勤しても頭がぼうっとするらしく、トイレでこっそりウィスキーを呷る、いわゆる迎え酒を毎朝していたようです。
本人いわく、迎え酒をすると二日酔いが治るのだとか。
一瞬脳をごまかしているだけだとは思いますが、私は特に注意することもなく聞き流していました。
迎え酒をしないと脂汗がだらだら流れ、手が震えるのだそうです。
この先輩とは何度か痛飲しましたがとにかく飲み始めたら終わらないのが苦痛でした。
20代半ばの頃から「俺は酒が原因で50歳までは生きられないと思う。だけどやめられない」と言っていました。
結果は予言どおりになってしまいました。
しかし先輩の呑みっぷりを知っている身としては、よく48歳まで生きたな、というのが偽らざる心境です。
アルコール性肝炎というのは進行が遅いんでしょうか。
アルコールはもちろんですが、精神病薬の中では特に抗不安薬が依存性が高いと言われています。
しかし私は抗不安薬を36歳でうつ病を発症した時からずうっと飲んでいます。
根が真面目なので処方された薬は必ず飲んでいます。
最近厚生労働省から抗不安薬を漫然と処方することはリスクが高いので止めるようにとのお達しが出たと精神科医が言っていました。
しかし今更抗不安薬を飲むなと言われても困ります。
きっと離脱症状が出ると思います。
推測ですが、厚生労働省の偉い医務官が代わったのではないかと思います。
組織というもの、上が代わるとガラリと変化していきますから。
他の薬はともかく、抗不安薬は適量を続けたいと思っています。
もちろん、酒はほどほどにして。
年度末のこの時季、毎年そうですが、意味不明な焦燥感に駆られ、気持ちが落ち込みます。
まして今度の4月に頼りにしていた直属の上司が異動するとあって、例年に無く憂愁濃い日々を送っています。
若い頃は50代にもなると全て達観して仕事関連で落ち込むことなど無くなるのだと思っていました。
しかしそれは当然ながら大嘘でした。
人間100歳まで元気で生きたとしても、その時々の問題を抱えて落ち込んだりするのだろうと思います。
まして双極性障害を抱えた私ならなおさらです。
昨日の日曜日は少しでも気を晴らそうと、千葉公園のあたりを2時間も歩き回りました。
しかし肉体的疲労が精神を鈍麻させ、鈍麻するがゆえに頭がぼうっとして落ち込みが少々緩和されるだけで、それは酒に酔ってひと時落ち込みを忘れるのと変わりありません。
要するに年度末に集中する仕事を一つ一つ片づけて、更な状態で4月を迎える他ありません。
それにしても50代も半ばになって何を細かいことを気にしているのでしょうね。
我ながら情けなくなります。
それでも、私は突き進むしかありません。
最後の病気休職からもう15年も経っています。
15年間、紆余曲折があり、気持ちが沈むことも多かったとは言うものの、とにかく出勤を続けました。
若い職員は私がかつて病気休職を繰り返していたことなど知りません。
むしろ傲岸不遜な事務大王と見られているような気がします。
それならそれで、私は大王の仮面をかぶったまま、やり過ごしていこうと思います。
30年くらい前までは、天気予報はよく外れ、それを揶揄することが多かったように思います。
しかし最近の天気予報は外れるということはまずありません。
あたります。
今日も予報どおり冷たい雨が降り続きました。
なぜか分かりませんが、朝6時半に起きて朝食を摂り、週に一度の洗濯をして部屋干しを済ませたら眠くなり、ベッドに潜り込んだら深い眠りに落ち、14時まで眠り続けました。
こういうこと、時折私を襲います。
大抵、ひどい悪夢を見て寝汗をびっしょりかき、目を覚まします。
何を怖れているのかは分かりませんが、私はいつも何かを怖れ続けています。
それが私の本性であるかのように。
先週土曜日の診察時に国の方針で抗不安薬及び睡眠導入剤は今後処方を極端に減らし、1年以内に完全に切っていくことになったことはすでにこのブログでお知らせしたとおりです。
私はもう20年も抗不安薬を服用しています。
当然、ある程度は依存しているはずで、しかしそれは国が認めた処方量であって、それら精神病薬を服用し続けた患者の落ち度ではないし、もちろん処方した医師の落ち度ではありません。
私はその他に躁を抑える気分安定薬を2種類服用していますが、こちらには処方制限はかかっておらず、私は1日の最大量の半分くらいを服用しています。
私の場合、抗不安薬を一日0.4mg×2錠×2回の1.6mg服用していたところ、一日0.4mg×1錠×2回の0.8mgに半減となりました。
お上の方針に従えば、私は1年かけて完全に抗不安薬を切らなければいけません。
抗不安薬を飲めなくなるという事実が、必要以上に私を不安にさせます。
ここ数日、離脱症状というほど深刻な状態にはなっていませんが、不安感ではなく緊張感を強く感じるようになりました。
後で足りなくなると思いつつ、今日は朝0.4mgでしのぎましたが、昼近くに緊張に耐えられず、0.8mg服用し、気持ちは落ち着きました。
精神障害のごとき患者本人の言い分でしか薬効を確かめる術が無い場合には、安易に方針を変えるのはかえって危険だと思います。
依存性が高いとは言うものの、アルコールや禁止薬物のように正常な生活が出来なくなるほどの副作用はありません。
なんなら一生依存しながらでも服用して元気に生き続けるほうが良いと思います。
無理して減薬、さらには断薬させて生活の質を落とすのは患者の利益にはなりません。
推測ですが、厚生労働省の医務官の中でも地位の高い人が交代したのではないかと思います。
万事遺漏が無いとされるお役所ですが、人間が動かしている以上、大いに誤った政策を立案するのは当然のことです。
悲しいかな政治家にはそれに反対できるだけの知識を持つ人がいません。
さらに悲しいのは、おそらく意見が大きく割れたであろう厚生労働省の医務官同士の権力争いがどういうプロセスを経て今回の決定に至ったのか分からないということです。
じつは私は、何年後になるか分かりませんが、そう遠くない将来、また抗不安薬の処方制限が撤廃されるのではないかと思っています。
鳴り物入りで始まったゆとり教育が10年も持たずに廃止になったように。
昨日は見事な秋晴れでした。
家でごろごろしているのももったいないので、千葉市中心街を歩きました。
11時半に車を千葉駅近くのコインパーキングにとめ、とりあえずお昼を摂りました。
イタリア料理のランチコースです。
本当はワインを飲みたかったのですが、少しでも飲むと歩くのが億劫になってしまうため、我慢です。
昼食を終え、まずは千葉神社へ。
七五三を祝う子供連れの夫婦がたくさんいます。
祖父母と思しき初老の夫婦も。
私は28歳で結婚し、30歳から4年間不妊治療を受けました。
結局できなかったわけですが、もし30歳で子供がうまれていたら、今年で24歳。
七五三を祝うとしたら祖父母ということになります。
そんなことを考えても詮無いことですが。
あまりにも眩しい幼い命の輝きに、そんなことを考えてしまいます。
その後千葉公園まで足を延ばし、さすがに疲れたのでそごう千葉店の椿屋茶房で珈琲を頂きました。
コロナ前であれば、おそらく都内へ出かけて行って散歩を楽しんだであろうと思いますが、コロナで出かけないことが当たり前になり、流行が下火になった今、もうそんなことが億劫になってしまいました。
今後は千葉市中心街を歩くか、せいぜい幕張や稲毛の浜辺を歩くくらいが精いっぱいになるのでしょうね。
今乗っているスバルのインプレッサ、片道14キロの通勤にしか使っていません。
もう車で遠出することも無いように思いますので、軽自動車への買い替えを検討したほうが良いのかもしれません。
珈琲を楽しんだ後、アートスペースを冷やかしに行きました。
みかガマの個展がひらかれていました。
みかガマなる陶芸作家、私は知らなかったのですが、同居人は知っていて、3万円もする香炉を衝動買いしていました。
本当に欲しい物、しかも実用品で無い物を買うほど喜びの大きい買い物はありません。
3万円程度なら許容範囲でしょう。
TOP | mikanoguchi (mikagama.com)
その後、4週間に一度の精神科の診察に行きました。
そごう千葉店からは徒歩10分程度です。
調子は悪くなかったので、抗不安薬が減薬になりました。
ただし、この減薬には不満があります。
それは一定の種類の抗不安薬や睡眠薬に対して、処方制限がかけられることになったのが主たる理由だからです。
本当はすでに数年前から処方制限がかけられていたそうです。
それは処方出来ないということではないそうですが、嫌な感じです。
通っているクリニック、院長が引退し、新しい院長に診てもらうようになってから数か月が経ちますが、前の医師は患者の苦しみを取り除きたい、ということを1番に考えていたように思いますが、今度の医師は事務的というか、マニュアルどおりというか、精神科医らしい話をよく聞くと言う姿勢が感じられません。
面倒くさいので他の精神科を探して合う医者を探すドクターショッピングのようなことをする気はありませんが、こちらも日々の思いを語るようなことは止めようと思います。
欲しい薬のことだけを話せば良いような気がしています。
今日は昨日と打って変わってどんよりとした曇天。
同居人は休日出勤とあって、どこにも行く気が起きません。
こんな日はベッドがお友達です。
谷村新司さんが亡くなったとの報道に接しました。
74歳。
現代の日本人の平均寿命から考えると、少し早いようです。
最近、訃報に接すると、故人の年齢が気になるようになりました。
つい最近乳癌で亡くなった先輩は2歳上でした。
アルコール依存症から肝硬変になり、肝臓がんで亡くなった先輩は、今の私よりも6つ若い48歳でした。
甚だしきにいたっては、後輩が27歳で自殺しました。
つい、自分は後どれくらい生きるんだろうと思ってしまいます。
谷村新司さんと同じ年で亡くなるとしたら、もう20年しか残されていません。
高橋幸宏、坂本龍一のYMOで活躍した二人は、いずれも70代前半で亡くなったと記憶しています。
そうかと思うと、裏千家家元の千玄室氏は100歳を超えてなお矍鑠としています。
特攻崩れと聞きましたが、我々には想像もできないような苦労をしてきたのだろうと思います。
死恐怖症と訳されるネクロフォビアと呼ばれる人々は、自らの死を極端に怖れるのはもちろんのこと、棺だとか葬式だとか、死を連想させる物すべてを怖れるそうです。
北枕とか数字の4とかを極端に怖れる縁起恐怖と似た点はありますが、両者は別の症状です。
私は自分がネクロフォビアだと思ったことはありませんが、死への恐怖は当然あって、それが身近な者や著名な人が亡くなった年齢を気にする理由になっているような気がします。
私は今54歳ですが、現代ではその年齢は重い病気を患っているのではない限り、死を恐れるには早いような気がします。
ただ、嘘か真か、精神障害者の平均寿命は精神的に健康な人に比べ、10年短いと聞いたことがあります。
精神病薬の大量投与や被差別等のストレスが原因かと思います。
私はぱっと見が精神障害者には見えないらしく、あまり差別されたという記憶はありません。
ただ、それは精神病薬の大量投与により、辛うじて精神の平衡を保っているだけに過ぎません。
私が購入23年にしてマンションのリフォームを思い立ったのも、いつかやろう、ではその前に死んでしまうのではないかと思ったためです。
私は定年退職を切望していますが、それは死に近づくことと同義です。
定年退職した老人は、判で押したように働いているうちが花だ、なんて言います。
それは嘘つきか、記憶を書き換えているとしか私には思えません。
人間、いや動物というもの、怠け者にできていますから。
おそらく65歳に延長されるであろう定年退職まで生きたなら、もう残りもわずかでしょう。
それを切望することは、つまり死を望んでいるようなもので、死への恐怖を持つ者としてはひどく矛盾しています。
かといって、若返りたいとは欠片も思いません。
これまでの苦しみ多い年月をもう一度繰り返すなんて御免です。
死ぬのは怖い、だけど若返るのも嫌となると付ける薬はありません。
ただ静かに、その時を迎えられるような精神を持ちたいと、切に願います。
今日は休暇を取りました。
特に用事は無かったのですが、昔と違い、休暇をきちんと取得しないと人事担当部署に呼び出され、お叱りを受けることになりますから。
有給休暇は年に20日あり、この他にリフレッシュ休暇というのが3日あります。
その他病気休暇や忌引き等の特別休暇もあります。
病気休暇は一つの疾病で2年間まで取得でき、しかも2年後に出勤して別の病名が付けばさらに2年間休めます。
そんなことをする奴はみたことがありませんが制度上可能ということです。
病気休暇では最初の三か月は満額の給料がもらえ、3カ月を過ぎると共済組合から給料の8割に相当する額がもらえます。
公的機関なので当たり前ですが、手厚い福利厚生の制度が整っています。
これら制度のおかげで、精神疾患発症時も、休むことによる不利益はほとんどありませんでした。
復職した時周囲から暗黙の差別を受けているように感じたのは実際に差別されていたのか、自身の被害妄想か、それは分かりません。
今となっては若い職員は私が長期病気休暇を取っていたことすら知らず、敬ってくれるのは有難いことです。
大量の抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬を処方されてどうにか正気を保っている状態ではありますが、それで仕事に行くことができ、普段の生活も健常者と変わらないのですから、じゃんじゃん飲めば良いと思っています。