ホラーの見納めはJホラーの人気シリーズ、「呪怨」から、「呪怨 黒い少女」です。
このシリーズはわかりやすいストーリー、過剰な恐怖シーンが売りで、もはや失笑がもれるほどです。
子供だましといえばそれまでですが、素朴な気分で楽しめるホラーだと思います。
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大晦日の朝、非常に寒いですね。
季節がくればきちんと寒くなるんですね。
今年の夏の猛烈な暑さがなつかしいような。
でも夏になれば寒い冬が恋しくなるのだから欲張りなものです。
去年今年(こぞことし) 貫く棒の 如きもの
大晦日といえば、高浜虚子のこの句がとどめをさすでしょう。
歳時記では新年の季語になっていますが、私の感覚では大晦日の深夜、新年を迎える直前のように思います。
俳句の範疇を超えた、一種の思想性を感じます。
貫く棒とは、真理とも、自然の摂理とも、また、人間の感情とも受け取れます。
貫く棒には年など関係ありませんものね。
しょせん人間が決めただけのもので、お天道様は元日だからといって特別強烈な光を与えるわけではありません。
私はただ、一般常識にしたがって、正月を祝うだけのことです。
今日の私と明日の私が断絶するはずもありません。
そして私は、おつむが少々いかれているので、今年を振り返って反省などしません。
その時その時に良かれと思って行動なり発言なりした結果が現在ですから、良いことも悪いこともすべてひっくるめて自己肯定するのです。
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年末の一日、小さな漂白の思いにかられ、車を西へと向けました。
高速を飛ばすこと40分、吾妻橋の墨田区側、アサヒビール横の小さなコインパーキングに車を止めて、ふらふらと歩き出しました。
近頃のパワースポットブームで人気を博す今戸神社へ。
予想していたよりも小さな神社でした。
招き猫と縁結びで有名だとか。
明後日には人で溢れかえるであろう境内は閑散としていました。
上の猫をなでると福がくるとか。
皮肉な笑いを浮かべながら、もちろんなでました。しつこいぐらい。これで福が来ることまちがいなしです。
そこから吉原方面へ。
ソープ街を抜けて、吉原神社へ。
途中、何度も呼び込みに声をかけられ、金があれば入浴するものを、と思いつつ、「今、上がったところなんで」と見え透いた嘘でごまかしつつ、吉原神社着。
多くの女郎がお祈りしたであろうその社には、そこはかとない悲しみが漂って、私を悲しくさせたのです。
神社めぐりはまだ続き、酉の市で有名な鷲神社へ。
こちらは本宮の真ん中に巨大なおかめがおかれ、これをなでろ、と。
さっき猫なでたんだけどな、と思いつつ、下手な鉄砲式で、こちらも頭といわず鼻といわず口といわず、顔面をたっぷりとなでてやりました。
猫が効くのかおかめが効くのか、どっちでもよいから福をちょうだい。
その後合羽橋の道具街を冷やかし、観音様は横に見て、吾妻橋を渡って車で帰路につきました。
12,000歩という万歩計の数字を見て、まずは満足したのですが、相変わらず体重は増加の一途。
来年は12ヶ月で12キロ落とすことを目標にします。
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DVDで「ブラックサイト」を鑑賞しました。
FBIでサイバー捜査を担当する女捜査官。
あるとき、猫を虐殺する様子を実況中継するサイトを発見します。
サイト名は、KILL WITH ME。
いやな予感がします。
いやな予感は的中、同じサイトで殺人が実況中継されます。
しかも、アクセス数が増えれば増えるほど、死が近づくシステム。
捜査官はコンピュータに関する知識を総動員して懸命の捜査を続けますが、犯人は数秒ごとにIPアドレスを変え、他人や死人になりすまして逃れ続けます。
あげくのはてにはサイバー攻撃で捜査官の車のGPSを破壊、車そのものを遠隔操作で壊してしまいます。
犯人はさまざまな手口で殺人を続けます。
犯人の目的は何なのか、被害者の共通点は?
わりと王道のサスペンスに仕上がっており、安心感があります。
犯行現場をネット中継するなんて、現実になりそうで怖いですね。
劇場型の犯罪を指向する者なら、やりかねません。
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今日は仕事納め。
システムがダウンしているので、仕事になりません。
先ほど、全職員を集めてトップから挨拶がありました。
私はもちろん、電話番。
あのじいさんの顔を見ると怒りがこみ上げ、声を聞くと心臓がばくばく言ってしまうのですよ。
さぞかし格好いいことをしゃべったことでしょう。
来年の課題は、あのじいさんを見ても平静でいられるようになりたいですね。
でも多分無理かな。
わが職場を支配する独裁者ですから。
独裁者と平気で接触できるということは、独裁の犬と化しているということでしょう。
それにしても、我が社の上部組織は何をやっているんでしょうねぇ。
事件の重大さから言って、停職六カ月くらいがちょうど良いとおもうのですが、お咎めなしなんてねぇ。
身内に甘い組織ですねぇ。
私はじいさんの暴言のせいで合計18か月も病気休暇に追い込まれたと言うのに。
ああ、腹立てまいぞそわか、腹立てまいぞそわか。
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小沢議員が政治倫理審査会への出席を承諾したとか。
私にとってはどうでもいいニュースなんですが、権力闘争がお好きな民主党のお歴々には大変なことらしいです。
どんな小さな組織にも、派閥ができ、権力闘争が起きるとか。
不思議なことではありますが、ヒトという種の本能とも宿痾ともいべき特性なのでしょうね。
スポーツでも敵と戦う姿に観る者は酔いしれるわけですし、戦争映画やチャンバラが廃ることなく人気を集め続けているのもヒトという種の争い好きからきているのでしょう。
筒井康隆の小説に、「敵」という佳品があります。
定年退職して10年、75歳の元大学教授の日常を淡々と、しかしスリリングに綴っています。
もともと子どもはなく、妻に先立たれたため、元教授は一人暮らしです。
たまに訪ねてくる教え子の他には、話し相手もいません。
それでも老学者は毎日商店街に買い物に出かけ、三度の飯を自炊しています。
晩酌を楽しみ、ときにはスナックに出かけて、アルバイトで勤めている女子大生の人生相談に乗ったりもします。
それは慎ましい生活と言ってもいいでしょう。
しかし元教授の精神は、激しく揺れ動いています。
枯淡の境地からはかけ離れています。
亡き妻を思っては自慰にふけり、あるいは教え子の白い肌を想像しては老いさらばえた身を省みず、誘惑される妄想に耽ります。
このあたり、谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」を彷彿とさせます。
現在の生活レベルが維持できないような経済状況になったら自殺しよう、などとぼんやり考えている矢先、奇妙なことが起き始めます。
パソコンの画面に、敵が近付いています、というメッセージが頻繁に現れるようになります。
それと前後して、老学者の意識は混濁の度を強めていきます。
誰もいないのに教え子が大勢きていると思い込み、大宴会の準備をしたり。
「春になったら、みんなきてくれるなあ」という主旨の独りごとが蓮発します。
その間も、パソコンには敵が近付いている、というメッセージがたびたび残されます。
敵とは一体何者なのか。
誰がメッセージを送ってきているのか。
あるいはすべて混濁した元教授の妄想なのか。
異常なまでの緊張感が溢れます。
敵 (新潮文庫) | |
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昨夜はDVD鑑賞をしました。
「ガタカ」です。
遺伝子操作によって優秀な遺伝子を持って生まれた者が適正者とされ、優遇される近未来。
遺伝子操作を経ずに生まれた者は神の子とも不適正者とも呼ばれ、差別されます。
知力・体力ともに適正者は不適正者を圧倒し、不適正者は単純労働などの賃金の安い仕事にしか就けません。
不適正者として生まれた主人公は、幼い頃から宇宙への夢をふくらませていました。
憧れは、宇宙開発を一手に担うガタカに入社し、宇宙飛行へ飛び立つこと。
しかし遺伝子検査で面接にも進めず、ガタカの清掃員になります。
夢を諦めきれない主人公は、適正者でありながら事故で下半身不随となった元オリンピックメダリストの血液や尿を提供してもらう契約を闇で結びます。
報酬はガタカに入社した後に得られる収入の25%。
適正者の遺伝子サンプルを提出してガタカ社に入社した主人公は、涙ぐましい努力と、提供されつづける遺伝子情報を駆使して、ついに宇宙飛行士に選抜されます。
しかし、ガタカ社で殺人事件が起こります。
警察は全社員の厳密な遺伝子検査を要求してきます。
エリート刑事は主人公の弟で適正者。
不適正者の兄と適正者の弟との激しい対立。
不適正者ながらガタカに勤める美女との恋。
元オリンピックメダリストの適正者と主人公との奇妙な友情。
波乱含みの展開で、飽きさせません。
そして、近未来が舞台なのに、19世紀を思わせる古風でスタイリッシュなファッションやインテリア。
暗くて美しい映像が雰囲気を盛り上げます。
成功を夢見て犯罪を犯す主人公の存在そのものの切なさが、「砂の器」などの松本清張作品を思い起こさせます。
しかし私は、オリンピックでは金メダルを当然視されながら銀メダルに終わり、下半身不随となって役に立たなくなっても高いプライドを維持しつづける遺伝子情報提供者の素っ気ない描き方に心を動かされます。
SFとしても、サスペンスとしても、また心理劇としても楽しめる第一級の娯楽作と見ました。
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「龍馬伝」やら「坂の上の雲」やら、最近幕末から明治にかけてのドラマがよく放送されます。
やることなすことうまく行ったあの時代を懐かしんでいるかのようです。
しかし一歩間違えれば列強の食い物にされ、植民地としてばらばらに統治されていたかもしれません。
細い綱を渡るように、慎重に前に進んだことでしょう。
私が子どもの頃から不思議に思っていたことがあります。
京都に東を付けると東京都。
本家が京都なのは論を待たないところです。
しかも平城遷都や平安遷都と異なり、江戸に都を移し、東京と名称変更する、という宣旨なり法律なりがないのですよね。
明治元年に明治大帝が東京に行幸され、一度京に還幸された後、翌明治2年にふたたび東京に行幸、それ以来、京へ行くのは還幸ではなく、行幸と呼ぶようになりました。
京都御所はうっちゃって、江戸城跡を皇居にして、各種省庁、国会、軍司令部などを東京に固めて、いつの間にやら東京が首都になっちゃった、という状況が、今日にいたるも続いています。
しかも和歌を詠んだり蹴鞠をしたり、寺を作ったり、といった日本文化の中心であった天皇が、東京移住とともに大元帥陛下におなりあそばし、武人のトップに立ってしまいました。
しかも明治大帝の御姿はいつも洋装。
ざんばら髪に立派なひげをたくわえて、欧米を真似た猿にしか見えません。
わが国には欧米列強に負けない歴史と伝統、文化があったのに。
ちょっとばかし軍事力で負けていたからと言って、欧米列強の真似をして、日本文化の中心であらせられる明治大帝を軍の最高司令官にするなんて、狂気の沙汰です。
明治4年には、二卿事件というクーデター未遂が起きます。
公卿の愛宕通旭(おたきみちてる)と侍従の外山光輔(とやまみつすけ)という二人が中心となって、東京に火を放ち、どさくさにまぎれて陛下を拉致して軍艦で京都に還幸願い、新しい政府を作って行きすぎた欧化政策を改めよう、という主旨です。
この陰謀は事前に露見し、首謀者の二人は自刃を命ぜられ、明治維新はご存知のとおり断行されたのです。
結果論からいえば、明治維新は成功したことになっていますし、二卿事件は未遂に終わって良かったのでしょうが、支配に都合がよいからといって、宣旨も出さずに天皇が東京に遷ってきたり、軍の最高司令官にするというのは、わが国と皇室の伝統から考えて、いかにも乱暴です。
当然、それに対する反対運動が起きてしかるべきで、この事件は首謀者が意識していたか否かはともかく、わが国の伝統文化を守ろうとした重要な意味があったものと思われます。
三島由紀夫は自刃する前、戦後の日本を嘆いて、無機的なからっぽなニュートラルな中間色の富裕な抜け目がない経済大国が極東の一角に残るだろう、と予言しました。
しかしそれは、明治大帝が京都を捨て、軍人になったときからはじまっていたのではありますまいか?
私としては今からでも今上陛下に京都御所に還幸いただき、各種国事行為などはせず、宮中の祀りと伝統文化の継承にのみ御励みいただけないものか、と思っています。
そうじゃないと、明治大帝や昭和陛下みたいに、時の権力者にいいように利用されちゃいますよ。
立石正介とその周辺―明治四年、二卿事件始末 (1984年) | |
原 三正 | |
倉敷史談会 |
坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫) | |
文藝春秋 | |
文藝春秋 |
龍馬伝 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) | |
NHK出版 | |
日本放送出版協会 |
龍馬伝 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) | |
製作協力 NHKドラマ制作班,NHK出版 編 | |
日本放送出版協会 |
1999年、ノストラダムスによれば空から恐怖の大王が降りてくるはずでしたが、何事もなく過ぎ、代わりに平野啓一郎という若い作家が鳴り物入りで芥川賞を受賞しました。
「日蝕」という中世フランスの神学僧が体験する神秘的な出来事を格調高い擬古文で描いて見事でした。
それまで若い作家のデヴュー作というと、若者風俗小説みたいなものが多かったので、とんでもない天才が表れた、と騒がれたものです。
三島由紀夫の再来とか言われていましたね。
その後も明治末、山中で毒蛇にかまれた美青年が夢とも現ともつかない体験をする幻想譚「一月物語」など、佳作を連発しています。
この人の小説を読んでいて、私はかねてから思っていたことが確信に近づきました。
つまり、幻想文学と文学はほぼ同義ではないか、ということです。
古来、物語は神話から始まって、鬼や化け物や妖怪が跳梁跋扈する世界でした。
貧乏くさい私小説でさえ、心の中の妄想を書きすすめれば、現実にはあり得ない幻想世界が現出します。
わが国の古典文学は説話にしろ和歌にしろ能にしろ、みなこの世ならぬものへの憧れなくして生まれえないものです。
そこで、平野啓一郎の言葉。
芸術作品を通じて得られる絶対の体験、我々の聖性の恢復と存在の新しい次元の獲得とが、現代人を救済しうる。
天下の平野大先生がなにをとぼけたことを言っちゃってるんでしょう。
目を疑います。
そういうことは言っちゃいけないの。
そんなこと言っちゃったら、築きあげた文学世界が瓦解しちゃうでしょ。
芸術は人を救済しません。
救済にしろ何とか主義にしろ、目的を持った芸術は、その瞬間に芸術ではなくなり、一種のプロパガンダに陥ります
人を救済するのは金や食物です。
精神を救済するのは、精神科医です。
芸術は常に無用なものでなければなりません。
世の中に何の役にも立たないけれど、人を楽しませたり、驚かせたりできるもの。
それが芸術でしょう。
芸術家を自称する人は、オナニストが自慰によって精液を垂れ流すように、社会の片隅でひっそりと、己のいかれた頭から生み出る作品を垂れ流す他ありますまい。
日蝕 (新潮文庫) | |
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一月物語 (新潮文庫) | |
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遅ればせながら、今日やっと地デジ対応のテレビを購入しました。
12月のボーナスがでたら買おうと思っていて、今日まで引っ張りました。
三菱の32型、ブルーレイ内蔵、ハードディスク内蔵です。
テレビはあまり見ませんが、DVDやらブルーレイやらを借りて、ホラーやサスペンス、SFなどをがんがん観ようと思います。
今日は今年最後の診察でした。
主治医から、
「リワークに三ヶ月通い、復職、時短勤務一ヶ月を乗り切ってフルタイムで7ヶ月、本当によくがんばりました。復職してもすぐ通えなくなる人が多いなか、立派なことです」
と、褒められて、泣けてくるほどうれしく思いました。
私の主治医は人情の機微がよくわかっているな、と思います。
人を貶してそれを叱咤激励の意図だなどと寝言をぬかす私の職場のトップに聞かせてやりたいものです。
豚もおだてりゃ木に登る。
部下はおだてて良い気持ちにさせて使えば、自在に操れるものを。
もったいない話です。
今後の課題は減量です。
精神病薬の副作用か、中年太りか、あるいはその両方か、就職したときより20キロ増えてしまいました。19年で20キロ。
もう19年前とは別人です。
お腹って、邪魔なんですね。
太って初めて知りました。
靴下をはくときや、足の爪を切るとき、邪魔なんです。
新鮮な驚きでしたが、驚いてばかりじゃいけません。
原状復帰を目指します。
朝から年賀状に取り組んでいます。
といっても、文面は毎年同じで、筆王で干支を変えるだけ。
宛名も毎年の住所データから引っ越した人の住所を修正し、喪中の人のを印刷しない設定に変えるだけ。
じつに簡単なものです。
明治の昔、夏目漱石は年賀状書きに苦しんで、何度も止めようとしたけれど、角が立つので結局止められなかったとか。
今でも毎年虚礼廃止の声が上がります。
それでもなくならないのはあながち虚礼でもないんでしょう。
ほとんど会うこともなくなった古い友人等の無事を知り、こちらの無事を知らせる貴重な機会です。
面倒といえば面倒ですが、そもそも生きるということは面倒なことですから、日々、面倒を解決していかなければなりますまい。