ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

10年の後

2021年01月31日 | 文学

 今日はわずかに春を感じさせる陽気に恵まれました。
 私はそれを寿いで、独り、分けもなく近所を歩き回りました。
 これも休日の贅沢と言うべきでしょう。
 散歩は頭を冴えさせる効能があるようで、気持ちの良いものです。

 しかし、苦い散歩もありました。
 もう10年以上前のことになりますが、私はうつ病を患い、自宅療養を余儀なくされていました。
 精神科医に散歩を勧められ、根が真面目な私のこととて、嫌々ながら毎日1万歩、歩きまわりました。
 その時の精神状態は、散歩を楽しいと感じさせるような、呑気なものではありませんでした。  

 とはいえ、私は約8か月の療養を経て、見事に復活を遂げました。
 あれから10年。
 ちょうど、冬から春に向かう頃、リワークプログラムで、同じ病から脱しつつある人々と出会い、私は完治できると、心強く思うようになったことを、懐かしく思い出します。
 今も、時折、それら同病人と酒を酌み交すことがあります。

 10年、感慨深いものがあります。

 あの頃は、人と会うのも億劫で、見舞の客にも無礼を働きました。

 梅いけて 礼者ことわる 病かな

 正岡子規の句です。
 正岡子規は35歳の若さで亡くなっていますが、晩年は病との闘いであったと聞き及びます。

 礼者とは、年賀に訪れる人のこと。
 私には礼者などおりませんが、礼者を客と考えれば、病中は客を迎えるのも面倒くさいものです。

 もちろん、非情な肉体的痛みに襲われた正岡子規と、精神を病んだ私とでは異なるのでしょうけれど。

 晩年の正岡子規は、口を開けば痛い痛いと言っていたそうですが、私は病気休暇の間、毎日泣いていました。

 泣くと言って、比喩なんぞではありません。

 夕日を見ると、我が身の不幸を思い、ただ悲しくなり、涙をこぼしていたのです。
 うつ病は別名泣き病と言うほど、よく泣くものだと知ったのは、大分後のこと。

 その頃は、己に起きた精神上の危機から、訳もなく泣き暮らす自分を、ただ嘆いていたのです。

 今も大量の薬を毎日飲んでいますが、薬を飲めば、憂鬱感に苦しみながらも働ける今を思えば、精神医学の進歩に感謝しつつ、じゃんじゃん薬を飲んでやろうと思っています。

 しかし薬だけが私を癒したのではありません。
 精神科医、同居人、親や兄弟、リワークプログラムで出会ったお仲間、様々な人々の援助を受けて、立ち直ることが出来ました。
 それは有難いことだと実感しています。

 そうして、職場復帰して感じたのは、精神病差別。
 肉体の病気なら同情されるところ、精神上の病となると、直接的な差別的言動は受けなくても、被差別感は尋常ではありませんでした。

 世の中は厳しいと痛感させられました。

 現に、私は復帰して丸十年、昇任することもなく、厄介人として扱われました。
 10年経って、やっと認められた感じです。

 来客を厭うていた私ですが、今は客を嫌がることもありませんし、人と会うことは楽しいことだと感じられるまでに快復しました。

 うつ病を病んでよかったとはかけらも思いませんが、精神上の一大事を脱することが出来たこと、そしてそれには多くの人の支援があったことを思えば、病中の過去を全否定することはできないし、それもまた、私の心を強くしたきっかけであると考えれば、半分くらいは役立ったと思わないと罰当たりなのかもしれませんね。

 立春を間近にひかえた今、春の訪れの頃に回復した過去を思い、今日も安い焼酎で、感慨を新たにしたいと思っています。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻は元気で

2021年01月31日 | 文学

 今日は同居人が日曜出勤のため、独りで過ごさなければなりません。
 よく、奥さんが留守だと嬉しい、という人がいますが、私には理解できません。
 休みの日は、同居人と散歩をしたり、昼酒を呑んだりすることを常としていますから。

  一人でいると、碌なことを考えません。

  今、年度末祭りでめちゃくちゃいそがしく、忙しさに弱い私にはしんどくて仕方ありません。

 30代半ばくらいまでえは、徹夜仕事も厭いませんでした。

  それが今では、夕方になると目は霞むし、何より疲れちゃって、残業に耐えられません。

  鋼の肉体が欲しいものです。
  あるいは、専業主婦をやってみたいと思ってしまいます。

  幸い、同居人はフルタイムで働く正規雇用です。
  彼女の扶養に入りたい、思いながら、同居人には言いだせずにいます。

  ああ、いっそこの世からおさらばしたい。


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブッダ・ダンマあるいは至高体験

2021年01月24日 | 思想・学問

 私は学生の頃、英国の思想家にして神秘主義に深い関心を寄せたコリン・ウィルソンの著作を好んで読みました。
 なかでもマズローが唱えた至高体験を独自に解釈っした「至高体験 自己実現のための心理学」には感銘を受け、何度も読み返しました。

 至高体験とは、なにも神秘主義的な体験ではありません。
 例えば晴れた土曜日の朝に感じる、何事にも代えがたい幸福感に包まれた感じとか、分かりやすい言葉で解説さあれています。
 しかしそこに至るには階段を上らなければなりません。

 これは健康な人が感じる幸福感で、マズローはこの至高体験を繰り返して生きることを良しとしました。

 当たり前といえば当たり前ですが。

 マズローは至高体験に至る道を、5段階で説明しています。
 すなわち、①生理的欲求、②安全の欲求、③所属と愛の欲求、④承認欲求、④自己実現の欲求、そして、その先にあるものこそが至高体験というわけです。

 大抵の人は食えて、安全で、家族や恋人などに愛され、愛し、自れが認められれば、それでよしとするでしょう。
 しかしその先には、自己実現欲求さらには至高体験が待っているというわけです。

 私自身は病んでいながら、この健康的な心理学に惹かれます。

 また、ある仏教学者は、仏教の研究だけでは飽き足らず、自ら禅を組み、南無阿弥陀仏を唱え、南無妙法蓮華経も唱え、と、仏教のハシゴのようなことを行います。
 そしてある時、自分には禅が合っていると思い至り、もっぱら禅門の修行に取り掛かります。
 そんなことを続けているうち、ブッダ・ダンマ(仏法)が体の中を駆け抜ける、という神秘体験を経験し、ますます禅にのめりこんでいきます。

 これもまた、至高体験でしょうか。

 私は躁状態に陥ったとき、病気だとは思わず、うつが治癒し、さらにはその喜びから至高体験を繰り返しているのだと勘違いしました。

 それは魔道に落ちる道だったのです。

 幸いにして、私は精神科に通っていましたから、それは至高体験などではなく、単なる躁状態だと知ることになります。

 病気を知って、薬によって抑えられた時、私は寂しさを感じました。
 躁状態に現れる多幸感、全能感は素晴らしい体験で、例えば性欲が異常に高まるとか、浪費していますとかいう負の側面をさっぴいても、もう一度経験したい、と、今でも思うときがあります。
 麻薬のようなものだとしても。

 マズローの心理学を知っていながら、この体たらくです。
 もう嗤うしかありません。

 至高体験にしても、ブッダ・ダンマが全身を駆け抜けるという神秘体験にしても、段階を踏まなければなりません。

 私には仏道修行は無理ですから、至高体験に至る道を、地道に歩いていければ、と思っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さえない

2021年01月23日 | 精神障害

 やっと、週末を迎えました。
 1月から3月へ向かって、忙しさは加速度をつけて突き進んでいきます。
 就職してもう30年ちかくになりますが、年度末の忙しさには、慣れるということがありません。

 今日は2軒の病院をハシゴしなければなりません。
 内科と精神科。
 内科は血圧を下げる薬と、コレステロールを下げる薬をもらうため。
 朝一番で行ってきちゃいました。
 精神科は予約制で、16時半の予約のため、これからです。
 
 ただでさえ面倒くさいのに、冷たい雨が降っています。
 これから雪に変わるかもしれないという予報。

 なんだかさえない週末です。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会議室が寒い

2021年01月16日 | その他

 昨日は久しぶりに対面での会議がありました。
 窓もドアも開け放ち、寒風が吹きこんでくるなかでの会議。
 しかも、長い。

 コロナの影響で、会議と言えばオンラインになってしまったのですが、昨日は重要事項を決めるとあって、対面としたのです。 

 コロナの前に風邪をひくわい、と思いました。
 しかし今は、風邪をひくことすらできません。
 やれ2週間の自宅待機だの、PCR検査だのと、大騒ぎになってしまいます。

 人間は何度も感染症の流行に悩まされてきました。
 ペストだの、コレラだの、スペイン風邪だの。
 そのたびに、多くの死者を出しながら、人類はしぶとく生き抜いてきました。
 コロナもそれら感染症と同様に収まる日が来るものと思いますが、まだ1年や2年は続くような気がします。

 そしてコロナ後、元の世界に戻ることはありますまい。
 オンラインによる会議やミーティングが、むしろ当たり前になり、対面での会議はごくわずかになるでしょう。
 オンラインのほうが楽ですから。

 私のようなおっさんには、この変化、あるいは進化が大層ストレスです。
 ZOOMだのWEBexだの、いくつもの種類のオンライン会議のためのツールがあり、それらを使いこなすのはなかなかに面倒くさい。

 私の職場では、在宅勤務が推奨されてはいますが、いつを在宅勤務とするかは、職員一人一人の判断に任されています。
 在宅勤務を推奨しながら、業務は今までどおり進めろ、というお達しが出ています。
 しかしそれは、無理筋というもの。
 在宅でできることなど限られています。

 正直、苦しい。
 しかしそうは言っても、給料が出るだけマシとしなければならないのでしょうね。
 世界中がこれに苦しんでいるわけですから。

 他の誰か、あるいは他の大勢の人が苦しんでいる、と言う事実は、実は自身の苦しめを和らげてくれることはありません。

 苦しいものは苦しいし、結局人間なんておのれ一人が可愛いので、自分の苦しみが無くなれば、その余のことなどどうでもいい、というのが、正直なところです。

 誰も彼もがそう思っている訳ではないでしょうし、現に多くの医療従事者は使命感からか、苦しみながらも医療の仕事を続けています。

 そんなあれこれを思ってみても、不謹慎ながら、私は私一人が安穏と暮らせればいい、と思ってしまいます。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パラサイト 半地下の家族

2021年01月09日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた名作「パラサイト 半地下の家族」が、昨夜早くもテレビで放映されました。
 映画館で観ようと思っていて、観そびれた作品ですので、当然、鑑賞しました。 

『パラサイト 半地下の家族』


 韓国はエンターテイメントが得意と言いますが、この映画を観ると、まったくそのとおりだと思います。

 半地下のアパートに暮らす4人家族。
 家族は、両親と兄妹の4人です。
 彼らはあるきっかけで家族であることを隠して、兄は英語の、妹は美術の家庭教師として、父は運転手、母は家政婦として、お金持ちの家に深く入り込みます。

 お金持ちに寄生して生きる家族。

 そこで様々な人間模様が描かれるというお話。
 ただし、そこは韓国映画。
 残忍な結末が待ち受けています。

 テンポがよく、エピソードが次々に紡ぎだされ、飽きさせません。

 ネタバレになるので詳しくは紹介できませんが、文句なく、面白い作品になっています。 



 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9日間

2021年01月03日 | 仕事

 9日間の長い正月休みも今日で終わり。
 日本中のサラリーマンの断末魔の声が聞こえます。

 私にしても、1月は猛烈に忙しいとなれば、悲鳴をあげたくもなります。
 こまま退できれば、こんなうれしいことはありませんが、食うためには仕事に耐えなければなりません。

 難儀なことです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急事態宣言再びか?

2021年01月02日 | 社会・政治

 正月も2日目となりました。
 昨夜は元旦だから良いだろうと、深酒してしまいました。
 そのせいで、だるい朝を迎えましたが、濃い珈琲を2杯飲み、少し、復活しました。

 明後日から仕事が始まるわけですが、首都圏の一都三県の知事が再度、緊急事態宣言を発出するよう政府の要請する、というニュースが飛び込んできました。
 昨今の感染拡大を思えば当然のことかもしれません。

 しかし、1月~3月は、最も忙しい時期。
 この時期に出勤停止を命ぜられ、しかも在宅ワークで仕事を回せということになったら、お手上げです。
 本当に、どうしてよいか分かりません。

 とりあえず1月4日に出勤してみて、ということになるのでしょうか。
 あるいは緊急連絡網で出勤はまかりならぬ、という指示がくるのでしょうか。

 先の見えないこの状態、どうすれば良いんでしょうかねぇ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アウトロー、そして栗焼酎

2021年01月01日 | その他

 新しい年が始まりました。

 おめでとうございます。

 例年であれば、家族親族相集まって宴を催すところですが、コロナ禍の現在、そんなことが出来ようはずもありません。

 せめては独り着物を纏い、旨くもない宅配の寿司で、かねて買ってあった私が偏愛する栗焼酎でもいただくことにしようかと思います。 

 私が初めて栗焼酎をいただいたのは、もう十年も前のことになります。
 アウトローの研究をする知り合いの先生からもらってから。

 先生、アウトローの研究、病膏肓の口で、さるヤクザの親分と知り合いになり、親分が四国の出であったことから、ご当地特産の栗焼酎をもらったまでは結構な仕儀ですが、あいにく全くの下戸であったため、呑兵衛の私にまわってきたというわけです。

 栗焼酎を扱う酒屋は、首都圏ではほとんどありません。
 で、私はアマゾンで購入しています。
 ブランデーのような甘い香りが特徴の、独特の焼酎です。

 こんな旨い酒を知ってしまって、私の舌は喜び、肝臓は悲鳴をあげています。
 でもまぁ、正月くらいは酒粕になるまで呑んでしまおうと思っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする