今日の午後は、千葉市中心部を散歩しました。
まずは車をコインパーキングに停め、千葉神社近くの塩ラーメン専門店で塩鳥チャーシューメンをしたためました。
私は基本、ラーメンは塩ラーメンしか食いません。
味噌は味が強すぎ、醤油は出汁がゆるいことが多いのに比べ、塩は基本がシンプルであるだけに、出汁が勝負みたいなところがあって、塩を売りにしている店は外れが少ないからです。
今日行った店は、塩ラーメンしかない専門店で、それだけに奥深い味です。
たびたび、訪れています。
その後、北斗七星を祀る珍しい神社である、千葉神社を参詣しました。
ここは初詣では、千葉県内で成田山に次ぐ数を誇ります。
初詣の人数は、わが国全体で例年明治神宮が不動の1位、2位を川崎大師と成田の新勝寺が競っているわけですから、千葉ローカルでは千葉神社が1位だと言えましょう。
やや時期が遅れていますが、多くの七五三を祝う親子+祖父母からなる人々が訪れていました。
私は結婚して15年、子宝に恵まれず、年齢から言って生涯同居人と二人で生きる他ありません。
かつては子どもなんていないほうが楽で良いと思っていましたが、年のせいか、幼い子どもを見るにつけ、いかにも愛おしく感じられるようになりました。
次代への期待と言いましょうか。
子どもこそ国の宝だと、心から思うようになったのは、私の精神の怠惰でしょうか。
その後千葉そごうへ。
少し、冬の衣類など買い物をしました。
さらに、千葉三越へ。
千葉そごうに比べ、全てが高いですねぇ。
なんていうことの無い、そこらのおばちゃんが普段着るようなコートが、30万円の値札をつけていました。
ユニクロに行けば、1万円以下で、十分暖かいダウンコートが買えると言うのに。
そごうと三越では、ユニクロほどでは無いにせよ大分置いてあるものが異なるようです。
次いで、ナンパ通りと言われる賑やかな通りへ。
千葉市に越して12年、一度もこの通りでナンパに励む若者を見たことがありません。
若い男が若さを楽しむためには、少々無理目のナンパに挑み、失敗して学んでさらに挑む姿勢が必要だと、80年代に10代を過ごしたおじさんは思いますが、近頃は草食系だとか絶食系だとか言われる若い男が増えた時代。
おじさんの古い価値観を押し付けるのは止めましょう。
その後、喫茶店で一休みして帰りました。
都内散歩は刺激的で面白いですが、住まいする千葉市内を歩くのも、気楽で良いですねぇ。
千葉市繁華街までわずか5キロ弱、車で10分ほどですし。
今日は12,304歩。
少々疲れました。
今日は珍しく、戦争映画を観ました。
実話を基にしたという触れ込みの、グルジアとロシアが5日間だけ戦った地域紛争を取材する戦場ジャーナリストやカメラマンの物語です。
題して、「5デイズ」。
北京オリンピックの開会式と時を同じくして、オセチア地方を巡るロシアとグルジアとが開戦に到ります。
北京オリンピックのニュースで持ちきりのため、彼らの決死の取材は全くどのテレビ局からも取り上げてもらえません。
それでもジャーナリストとして真実を伝えたい、と市街戦や空爆の様子を撮影し続けます。
実は主人公のジャーナリスト、イラクで取材中、恋人をイラク軍からの攻撃で失っています。
彼を捉えたロシア軍の将校は、その目を覗き込み、家族を戦争で失った者が持つ虚無を湛えている、と指摘し、自分もアフガニスタンに従軍した際、息子を亡くしたからその気持ちはよく分かる、と言い出します。
そして虚無は喧騒を求め、最も過激な喧騒である戦場を求めて、自分は軍人として、お前は戦場ジャーナリストとして戦場を駆け巡っているのだ、と泣き落としにかかります。
そのロシア将校が求めているのは、ロシア軍による住民虐殺を撮影した記録が残るSDカード。
しかし本物のSDカードは逃走中密かに埋め、戦場近くの病院の惨状を撮影したSDカードを差し出します。
激怒するロシア将校。
そこに、グルジアの強襲部隊が現われ、米国人ジャーナリストは九死に一生を得て、なおも住民虐殺を記録したカードを取り戻し、これをインターネット上に流そうと苦心惨憺するのです。
私はこの映画を観て、非常な違和感を覚えました。
映画では、グルジアは自由を求めてEU参加を目指してロシアと対立し、米国やEUなどからの援軍をひたすら待つ可哀相な人々として描かれています。
しかし一説には、グルジアが支配していたオセチア地方に住むオセチア人を大量虐殺したのはグルジア軍だとも言われており、また、最初に攻撃を仕掛けたのはグルジア軍とする説もあります。
わずか5年ほど前のことですから、闇に葬られた真実は、まだ闇のままです。
ロシア軍が圧倒的軍事力でこの戦いに勝利したわけですが、全面戦争というよりは地域紛争ですね。
領土を巡る隣国同士の争いに、正義もくそもありません。
どちらの言い分も半分くらい正しく、半分くらい誤りだと考えるのが常識的でしょう。
実話に基づくというだけあってなかなか迫力がありますが、自由主義の米国をバックにするグルジア=正義、領土が欲しいだけのロシア=悪、みたいな単純な図式化は、米国人が陥りがちな、もっとも危険な思想であり、誤りだと思います。
欧州で製作されたなら、複雑な歴史を持つゆえ、もう少し多面的な見方ができたであろうと、残念でなりません。
戦争を描く際、どちらかに加担していたのでは、単なる宣伝になってしまいますよ。
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米国は戦後、日本国政府を存続させ、間接統治を行いました。
当初米国は直接統治を行う予定だったと伝えられます。
それは総統官邸が落ちるまで徹底的に戦ったドイツが統治能力を失っていたことから、わが国も同様であろうと考えたからだとされています。
しかし、わが国が本土決戦を回避したことなどから、敗戦直後もわが国政府の統治機構は十分に機能していました。
それを知ってなお、計画通り直接統治を行おうとしたところ、日本政府高官から激しい反発を受け、わけても、白洲次郎が、「我々は戦争に負けただけであって、奴隷になったわけではない」とGHQの高官を怒鳴りつけたことが影響した、という嘘のような話も残っています。
幕末、高杉晋作という若者が英国公使の前に魔王のように傲慢に立ちふさがった、という英国人通訳の日記や、聖徳太子が隋の皇帝に送って相手を激怒させたと伝えられる「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」と言う手紙を想起させます。
傲慢はわが民族の特質の一つかもしれません。
ましてつい最近まで獅子奮迅の戦いぶりを見せ付けていた日本軍の怖ろしさを鮮明に記憶していたはずの米国人からしてみれば、わが国を安定して統治するためには、この小さいながら怖ろしい連中が反乱を起こしたら大変なことになる、と危惧し、間接統治へと方向転換せざるを得なかったものと思われます。
それは結果的に、GHQにとっても得策だったのではないでしょうか。
日本政府の上に胡坐をかけば良いのですから。
しかし、沖縄や奄美、小笠原などには直接統治、その後信託統治を行ったため、激しい本土復帰運動が起きてしまいます。
奄美の教育界はなんとかして新しい日本の教育法規や教科書を手に入れたいと考え、教員2名が職を辞し、コック見習いという身分で神戸に向かう船に乗り込み、本土でそれらを手に入れて、島ではせっせとガリ版で刷っては密かに本土並みの教育を行うべく努力したと伝えられます。
最大の功労者となった2名の元教員は密航を行った犯罪者ということで、10数年前に亡くなるまで、ついに教員に復帰することは許されませんでした。
奄美の人々が本土復帰運動の際歌った「日本復帰の歌」は、激烈な内容ながら、美しい音色に載せられて、今も歌い継がれているそうです
太平洋の潮の音は
わが同胞の血の叫び
平和と自由をしたいつつ
起てる民族二十万
烈烈祈る大悲願
われらは日本民族の
誇りと歴史を高く持し
信託統治反対の
大スローガンの旗の下(もと)
断乎と示す鉄の意志
目ざす世界の大理想
民族自決独立の
われらが使命つらぬきて
奄美の幸と繁栄を
断乎護らん民の手に
二十余万の一念は
諸島くまなく火と燃えて
日本復帰貫徹の
のろしとなりて天を焼く
いざや団結死闘せん
民族危機の秋(とき)ぞ今
本土から切り離された奄美の人々のあまりに切ない思いが伝わってきますねぇ。
さればこそ、今も南北に分断された朝鮮半島の人々や、世界各地で民族自決を求める人々の悲哀を思わずにいられません。