ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

慈雨

2023年03月26日 | その他

 昨日に続いて今日も本降りの雨。
 週末にこれほどまとまった雨が降るのも珍しいような気がします。
 桜は数日で散ってしまうかもしれませんが、この恨めしい雨は植物にとって慈雨でもあります。
 慈雨であると思えば、貴重なものだと言えます。

 今朝は7時に目覚めて週に一度の洗濯。
 同居人が朝寝を楽しんでいる間に済ませました。
 最近、日曜日というとこのパターンです。
 仕事と介護で疲労困憊の様子なので、少しでも彼女の仕事を減らさなければなりません。

 9時半から散髪。
 11時過ぎまでかかりましたが、さっぱりしました。

 昼にサラダとボンゴレを食し、濃い珈琲をいただきました。
 その後は一週間分の食料の買い出し。

 帰宅して、そのままソファで寝落ちです。
 同居人だけではなく、私も疲労しているようです。

 今年度も残すところ一週間。
 何度末に疲労がたまるのは例年のこと。
 今では年中行事として諦められるようになりました。
 これも成長なのでしょうか。


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病気差別

2023年03月25日 | 精神障害

 今日は一日本降りの雨。
 千葉市の桜は満開だというのに、雨で家に閉じ込められました。
 これでは的屋もあがったりでしょうね。

 コロナ禍に見舞われて3年。
 ようやく私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。
 オンラインでしか認められていなかった会議や打ち合わせも、5月8日以降は対面が認められる予定です。
 この措置のせいでまたコロナが猛威を振るう可能性もありますが、少しづつ、正常な日常が取り戻されつつあります。

 例年であれば目黒川や上野公園などで花見を楽しんでいましたが、3年もままならず、やっと認められるようになったと思ったら雨。
 コロナの最後の悪あがきのような気配が漂っています。

 感染症というものは古くはペスト、時代がくだってスペイン風邪など、何度も人類を襲ってきました。
 しかしそれらすべてが、やがては終焉を迎えています。
 コロナもやがて過去の物になり、そんなこともあったと思い出す日が来るでしょう。

 そしてこれからも、新しい感染症が生まれては消えていくのでしょうね。

 人の世は栄枯盛衰。
 疾病もまた然りです。

 今回の疾病流行で痛感させられたのは、マスクの着用や手の消毒、他人との接触を避けるといった対策が非常に有効だということ。
 現にこの3年、風邪ひとつひきませんでした。
 こんなことは生涯初めてです。
 そうすると、コロナの流行が去った後も、それらの対策は風邪などにも効くということでしょう。

 しかし私は、もうマスクを着用していません。
 個人の判断ですから、誰にも文句は言われないはずで、職場のほとんどの人、というか私以外全員マスクを着用していますが、誰も私がマスクを外して働いていることを批判しません。

 マスクは暑苦しいし、頬のあたりが擦れて非常に不快だったので、早々にマスクの着用は止めました。

 そして、なんだか最近、健康状態の悪化に無頓着になりました。
 今でこそ人生100年時代なんて言っていますが、縄文人の寿命は30年くらいだったと聞きますし、つい最近まで、50年くらいが普通だったと思います。
 今でもアフリカには平均寿命が40歳くらいの国があるそうです。
 50歳を過ぎて、今の心境に至ったものと思います。

 私は精神科の薬、特に習慣性が強いと言われる抗不安薬や睡眠導入剤を飲み続けることに軽い恐怖を感じていましたが、今は医師の処方なのだし、薬なんかじゃんじゃん飲めば良いと思うようになりました。
 私は幼い頃から副鼻腔炎を患い、今でも鼻づまりやくしゃみに悩まされますが、長期連用は禁忌とされる鼻炎カプセルを毎日のように飲んでいます。

 それで良いと思います。
 薬はより良く生きるためのもの。
 副作用や依存性を恐れるよりも、今、楽になれれば十分だと思います。
 あらゆる薬への抵抗感がなくなりました。

 精神病患者のなかには、精神科に通院しながら、処方された薬を飲まない人が結構いると聞いたことがあります。
 愚かなことです。
 精神病患者自体が、精神病を差別しているとしか思えません。

 私が精神病を発症した時も、薬なんて効かない、酒のほうが効くだとか、運動で良くなるという人が大勢いました。
 また、良くなったら勝手に薬を止めてしまえ、とか。
 再発街道まっしぐらみたいな馬鹿げた言説だと思いますが、そういう人は精神病も肉体の病気と同様、薬で良くなることを知らずに、差別的な発言をするのでしょうね。

 嘆かわしいことではありますが、私の職場にも精神病を差別する意識が根強く残っています。
 肝炎などで一か月程度休んでも昇任に響くことはありませんが、ひとたび精神疾患で病気休暇を取ると、何年も昇任が見送られます。
 精神疾患だけがあらゆる病気のなかで、罹患したらおしまいみたいな空気が漂っています。
 確かに再発を繰り返し、何度も長期の病気休職に追い込まれる人がいるのは事実です。
 しかし私はもう14年くらい再発せず、出勤を続けています。
 それでも同世代と比較すると、昇任が著しく遅れました。

 キング牧師が言う肌の色による差別を無くすことが夢みたいなもので、医学の進歩による精神病差別が無くなることを願ってやみません。 


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2023年03月21日 | その他

 今日は一日曇天でしたが、春分の日を楽しまなければなりません。
 千葉市では中心部に通称千葉城というのがあって、桜の名所になっており、毎年桜祭りを開催しています。
 3月25日からお祭りですが、今年は桜の開花が早いと言うことで、花見というのではなく、どのくらい咲いているか偵察に出かけました。

 千葉城までは車で15分ほど。
 近くの時間貸し駐車場に車を停めて、結構きつい坂を登って、千葉城の天守閣前の広場へ向かいました。

 桜というのは難しいもので、満開に近い桜からほとんど蕾のものもありました。
 的屋の準備をしている人々が大勢いましたが、まだ開店している店はありませんでした。
 それでも満開に近い桜の下で、早くも花見を楽しんでいる主に若者のグループがいて、気分を盛り上げててくれます。




 

 今週末にはきっとどれも見頃を迎えていると思いますが、生憎週末は雨の予報。
 今日観に行って良かったと思います。

 千葉城の桜の下をしばし散策して、そのまま千葉大学医学部に向かいました。
 千葉大学医学部から千葉大学医学部附属病院にかけて多くの桜があり、こちらも目を楽しませてくれました。

 桜の季節は最も忙しい季節で、わが業界の者にとって、桜は憂鬱の象徴でもあるのですが、それはそれ。
 見事な桜を観るのは良いものです。

 少々歩き疲れて、そごう千葉店に立ち寄り、濃い珈琲でリフレッシュ。
 デパ地下で夕飯の中華弁当を購入して帰宅の途につきました。

 昨日は人事異動の内示がありましたが、今の部署に移ってまだ1年しか経っていない私には関係の無いことです。
 というか、私の部署では誰も異動しませんでした。
 来年度は慣れた部下達ばかりで、少し楽が出来そうです。

 4月から就職して32年目を迎えます。
 ずいぶん長く勤めました。
 それでもまだ定年には程遠い。

 60歳で定年のはずが、来年度から一年づづ伸びて、私の定年は65歳になる予定です。
 懲役38年のはずだったのに、43年になってしまいます。
 65歳まで働かなければならないわけではなく、早期退職すれば良いのですが、年金をもらえるのは65歳から。
 それまで食いつなぐには今の職場にしがみつかなければなりません。
 早期退職したところで、雇ってくれるのは、おそらく清掃員とか警備員とかマンションの管理人くらいで、どこへ行っても肉体的にしんどくて給料は激減するでしょう。

 わが国は30年もの間給料はわずかしか上がらず、しかし物価は上昇し、生活が楽になるということはありません。
 わが家は経済的に困っているわけではありませんが、わが国を覆う灰色の雰囲気は、なんとなく、気分を沈ませます。

 豊かな国であったわが国、この30年で貧乏な国になってしまいました。
 バブルの狂乱を知る者にとっては、隔世の感があります。
 バブル再びとは思いませんが、もう少し景気が良くなってほしいものです。

 まして今時の若手職員はどんどん給料が上がっていった時代を知りません。
 それが良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが、わが国の人々の自尊心を低下させているのは確かだと思います。

 桜の季節、はるか昔の景気の良かった時代が思い出されて、憂愁の気にあてられざるを得ません。


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天邪鬼

2023年03月19日 | 社会・政治

 3月13日から政府の方針に従って、私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。
 それでもほぼ全員、マスクを着けています。
 ほぼ、というのは、私が着用を止めたため、全員では無いからです。
 すなわち私以外の全員がマスクを着用していたわけです。

 コロナが怖くないからマスクを外したわけではありません。
 私は天邪鬼なところがあって、大勢が行っていることの逆に走ってしまいがちです。
 もしかしたら、多くの人がマスクの着用を止めたなら、私は着用していたかもしれません。
 
 私は同調圧力がかかると、それに反発したくなります。
 みんな一緒というのが大嫌いなのです。

 そもそもみんなという 言葉が胸糞悪い。
 みんなとは、誰と誰のことなのかと問いたくなります。
 少なくとも私は、これまで一度も、みんななる気色の悪い集団に加わったことがなく、孤高を旨としてきました。
 それがマスクを止めた唯一の理由と言っても過言ではありません。

 わが国民は、多勢に流される傾向があります。

 何かをやれと言う時、
 米国人はヒーローになれますよ、
 英国人は紳士と呼ばれますよ、
 日本人はみなさんそうされていますよ、
 と言うのが最も説得力がある、というジョークがあります。

 愚かなことです。

 他人の行動に合わせるなんて馬鹿げています。
 おのれ独りを信じれば良いのです。

 そのせいで、私は多くの上司から煙たがられ、クセモノと呼ばれるおじさん達に気に入られる傾向があります。
 私はそれを誇りに思ってきました。

 最近はそうでも無いですが、かつては付き合い残業というのがあって、それを率先して行う者が評価されていました。

 馬鹿々々しい。
 遅くまで帰らない合戦でもやりたいのでしょうか。

 もちろん、やむを得ざる場合には、私も残業します。
 しかし、上司が帰るまで残るとか、あるいは逆に非正規職員が帰らないから帰れない、なんていうことは一切ありません。

 あまり日本的ではないのかもしれません。
 わが国の古典文学や古典芸能を好む者としては、珍しいのでしょうね。
 変人扱いされることもあります。

 しかしわずかしかいない変人がこの世を良くしてきたのだと思います。
 変人が築いた新たな常識に多くの人が真似をして、今度はその新たな常識が同調圧力になったりします。

 私は生涯変人と言われ続けたいものだと思っています。


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少子化対策?

2023年03月18日 | 社会・政治

 岸田総理が少子化対策のラストチャンスとか称して、その対策なるものを打ち出しました。
 主に子育てに係る経済的支援や男性の育児休暇取得増を目指しているように見受けられます。

 私はこれに非常な違和感を覚えました。 

 出産の前提は、まずはパートナーを得ることです。
   かつてはお見合いや世話焼きおばさんの活躍などにより、ある程度の年齢になると適当な相手と結婚したものです。
 別にとくだん惚れていなくても、それはそれとして結婚することが多かったように思います。

 しかし、1980年代後半に男女雇用機会均等法が制定されて結婚より仕事を選ぶほうが格好良いような風潮が生まれました。
 さらには1990年代初頭に「結婚しないかもしれない症候群」という本が流行ったり、結婚しない生き方を煽るような雑誌が売れるようになり、未婚率が上昇していきました。

 

 そしてお見合い結婚が激減して、適当な相手と年頃になったら結婚する、という美風が薄れていきました。
 今ではお見合いという言葉さえ死語となり、婚活という言葉が生まれ、マッチングアプリや結婚紹介所などで出会うということが増えました。

 お見合いと違うのは、男女とも、相手に求めるハードルが極めて高くなったことです。
 例えば年収800万円以上、35歳以下、などのフィルターをかけてしまうと、年収799万円の人や36歳の人はそもそも弾かれてしまいます。
 男も女も高望みをしてわが国にほんのわずかしない相手を求めるという愚かな事態が起こります。
 そういう人気のある人は、概ね婚活などせずに恋愛結婚してしまうので、条件の良い相手を求めて何年も婚活を続けることになります。
 自分を客観視できずに相手にばかり好条件を求めるとは滑稽ですらあります。

 未婚化が進むわけです。

 当たり前ですが、未婚、晩婚化が進めば少子化となります。
 わが国は今でも結婚の後に子供を授かるというカップルが多くを占めますので、少子化の最大の理由は未婚化、晩婚化にあると言えるでしょう。
 そんなことは頭の良い政治家やエリート官僚は百も承知のはずなのに、すでにマッチングを終えた人達を前提に政策を立案しているように見受けられます。

 今更お見合いして適当な相手と結婚するという良い風潮を復活させることは不可能です。
 結婚というのは極めて個人的な問題で、多くの人が結婚するように仕向けるのは困難を極めると思います
 しかしその不可能に代わる手段を探すことこそ、企画立案、意思決定に携わる政治家の役割ではないでしょうか。 


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追悼 大江健三郎

2023年03月14日 | 文学

  昨日、大江健三郎が亡くなったというニュースが飛び込んできました。
 88歳、大往生と言ってよいのでしょうね。

 ノーベル文学賞を受賞した偉大な小説家でしたが、私はほんの10冊も読んでいません。
 書かれている内容はともかく、文章が読みづらいのです。

 悪文と言いましょうか?

 同じノーベル文学賞を受賞した川端康成先生の流麗な文章とは対照的でした。

 一説には英語で書いて訳させているのではないか、という噂までありました。
 そんなことは無いと思いますが、翻訳調の不自然なものでした。

 そこが苦手な点の一つ。

 もう一つは、変に政治的な香りを纏っていること。
 日本国家からの文化勲章は断っておきながら、スウェーデン王立科学アカデミーからのノーベル文学賞は嬉々としてうけるという無節操ぶりが不気味でした。
 日本が嫌いだったんでしょうねぇ。

 好悪の違いはあるにせよ、人生の闘いを終えた魂が安らかであることを祈ります。



 


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緩慢な自殺

2023年03月12日 | その他

 今日、同居人は休日出勤を命じられ、私は一人でのんびり過ごしました。
 一週間分の食料の買い出しに行った他は、眠ったり、You Tubeで遊んだり、無為に時を過ごしました。
 読書という悪癖からも離れ、私の精神は落ち着いています。
 
 激躁状態だった時期には悪行に走ったりしましたが、大量の精神病薬を飲むようになって、体調は安定しています。
 寛解に至って職場に完全復帰してから13年。
 もう若いやつは私が病人であることすら知らないでしょうし、今の私を見て病気を持っていると思うやつもいないでしょう。

 就職してから、この3月で丸31年となります。
 ずいぶん長く働いてしまいました。

 結婚してからは6月で丸25年。

 我儘で傲慢で精神病患者の私のような愚か者と25年も生活をともにしてくれた同居人には感謝しています。
 互いに干渉しないことにしているので、一度も喧嘩したことがありません。
 そもそも喧嘩する原因がありません。
 意見が相違し、擦り合わせることが不可能ならば、互いを尊重して放っておけば良いし、意見の相違を放っておくことが出来ないのならば、冷製に話し合えば良いだけです。
 感情的になって罵りあうなんて馬鹿げているし、幼稚な振舞いだと思います。
 私は同居人の部屋に入ったことが無いし、同居人も私の部屋に入ることはありません。
 互いの年収も知らないし、どんな保険に入っているのかも知りません。
 それが円満の秘訣だと思っています。
 冷たい関係に見えるかもしれませんが、付かず離れず、仲良くやっています。

 たまに休日を一人で過ごすのは気楽で良いのですが、同居人に先立たれると、休日はいつもこんな風に過ごすのかと思うと、恐怖すら感じます。
 平たく言えば、寂しいのです。
 私がこんなに寂しがり屋だったなんて、一人暮らしをしている時には思いもしませんでした。
 それだけ同居人に依存しているということなんでしょう。

 こういう穏やかな暮らしがいつまで続くのかは分かりません。
 時の流れというものは、全てを変化させていきますから。

 穏やかな暮らしというのは、裏を返せば夢も希望も刺激も無い、つまらないものですが、私のような平凡な小役人には相応しい生き方なのかもしれません。
 給料は少ないですが、二人そろって小役人をやっているので、世帯年収はそこそこあるし、年金もある程度はもらえると思うので、生活に困るということは無いんじゃないかと思います。

 しかし表面上の穏やかな暮らしとは裏腹に、私は激しい精神の流浪を続けています。
 これは生涯続くでしょう。
 流浪さえ感じなくなったなら、それはお迎えが近いということで、生きながら死んでいるという状況に陥ると思います。
 そうなったら、私は日々酒や合法ドラッグに溺れ、肉体を衰えさせ、緩慢な自殺を遂げることになるでしょう。

 それはそれで良いと思います。

 後悔の無い人生というのはあり得ないと思いますが、老齢にいたれば、あらゆることを諦めるようになるのでしょう。
 事実、40代を迎えてから、著述業で暮らしていくという希望はきれいに無くなり、今の職にしがみつくしか無いと思うようになりました。

 今年の8月で54歳を迎えます。
 体のあちこちにガタが来て、気力体力ともに衰え、やたらと疲れやすくなり、病院通いばかりが増えてきて、私は自分が衰えていく姿を静かに観察しています。

 観察することすら億劫になった時、私は計画どおり緩慢な自殺を遂げようと思っています。

 小林恭二という私が深く敬愛する小説家がいますが、この人のお父上は神戸製鋼の重役まで務めながら、引退後は毎日大量の風邪薬や咳止めシロップを飲み、副作用によって朦朧としながら死んでいったと聞き及びます。
 それは痛みも無く、良い最期だと感じます。

 これが私のお手本になるような気がしています。 
 生きると言うことに、少し飽きてきたのです。 
 


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千葉公園

2023年03月11日 | 散歩・旅行

 ここ一年ばかり、土曜日は毎週同居人が施設の義母の元を訪れ、午前中いっぱい帰ってこないことが通例となっていました。
 ところが今週は、午前中風呂に入れもらえるからと、義母から夕方来てほしい旨の連絡がありました。
 陽気も初夏を思われるものであったため、午前中、同居人と千葉公園に出かけ、その後は千葉駅に歩いていき、お昼にパスタを食し、少しそごう千葉店を冷やかして帰宅しました。
 じつに気持ちの良い散歩です。

 一年もの間、土曜日は午後近所を40分ばかり散歩するだけで、出かけるということはありませんでした。

 千葉公園は車で10分もかからない近場ですが、そんなことさえ、今の私にはとてつもなく貴重な時間に感じられ、大いにリフレッシュできました。 

 日曜日は洗濯をし、一週間分の食料を買いに行き、掃除をしと、家事に明け暮れるので、なかなか外出できません。

 千葉公園では花を愛で、引退したSLに時の流れを感じました。










 コロナ禍、義母の衰え、そんなことが重なって好きな散歩もできずにいました。
 まして都内へ散歩に出かけるなど夢のまた夢で、こういう生活がいつまで続くのだろうと鬱々とした週末。

 とりあえず今度の月曜日からマスクの着用は個人の判断となり、その時の状況しだいだとは思いますが、5月8日から警戒レベルが大幅に緩和される予定とのことで、コロナは収束に向かうのだろうと期待しています。

 後は義母の体が回復して自宅で生活してくれるようになれば、以前の日常が戻ってきます。
 義母の様態は老いによる衰えによるものなので、難しいとは思いますが、回復を願ってやみません。

 夕飯は新鮮な房総産の真鯛を購入したので、これを塩焼きにして一杯やる予定。
 野菜は菜の花のお浸しとフルーツトマトです。

 久しぶりに、良い土曜日となり、私の喜びとするところです。

 


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啓蟄

2023年03月06日 | 文学

 今日は啓蟄なのですね。
 啓蟄とは二十四節季の一つで、暖かくなって土中から虫が出てくることの意。
 春の訪れを予感させる日です。
 寒い冬を終えて、春が来る、そういうわくわくした気持ちになります。

 啓蟄や この世のものの みな眩し

 啓蟄の 虫におどろく 縁の上

 啓蟄を詠んだ秀句です。

 誰の作だか忘れましたが、なんとなく、印象に残っています。

 みな眩しいのも分かるし、虫が出て気持ち悪いのも分かります。
  
 啓蟄を詠んだ句は明るい感じのものが多いのですが、このブログにたびたび書いたとおり、私は猛烈に忙しいこの時期になると、憂悶に沈みます。
 年度末が好きなサラリーマンや役人などこの世に存在するとは私には思えません。
 だからこそ、これらの俳句が愛おしくも、羨ましくも感じます。

 純粋に啓蟄を寿ぐことができるのは、まだ当分先のような気がします。 


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命日

2023年03月05日 | その他

 今日は亡き父の命日。

 2012年に亡くなっていますから、もう11年経っているのですね。
 そこで、江戸川区に在る実家の寺へ墓参りに出かけました。
 庭には、白梅が咲いていました。



 もう春なんですねぇ。 

 居間の仏壇と本堂、歴代住職の墓、それに亡父が眠る先祖代々の墓にお参りしました。
 11年経っても、敬愛する父の姿を追ってしまう自分がいて、戸惑うばかりです。
 心中深く、倅は今も迷妄の森を彷徨っています、お導きください、とお祈りしました。

 実家では、母、兄夫婦、妹、それに40年近く我が家を手伝ってくれている家政婦が私を歓待してくれました。

 来年は13回忌を迎えます。
 時は着実に流れています。

 少し、悲しくなりました。


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2類から5類へ

2023年03月04日 | その他

 やっと迎えた週末。
 昼食後に30分ばかり散歩した以外はゴロゴロして過ごしました。

 昨年の4月に一つ職階が上がってから毎日多忙を極め、勤務時間中は会議だ、打ち合わせだ、部下からの相談事だと、ほとんど書類仕事が出来ず、やむなく残業、さらには自主的な休日出勤を余儀なくされるようになりました。
 50代がこんなに忙しいとは若い頃には想像もしていませんでした。
 必然的に週末は横になって過ごすことが多くなりました。
 気力体力ともに落ちているようです。
 
 コロナ禍に襲われてから散歩もあまりしなくなり、もともと運動は好まないので、少しづつ体重が増えています。
 コロナ流行から丸3年、やっと少し落ち着いてきたようで、5月8日、ゴールデンウィーク明けと同時に2類から5類へと引き下げられると報道されています。
 職場でもそれに合わせてマスクの着用は義務から推奨になり、オンライン会議ばかりだったのが、対面とオンラインとのハイブリットにすることが決まりました。

 日常生活は正常化に向かうのか、あるいはコロナが再び猛威を振うのか、誰にも分かりません。
 個人的には5月8日というのは拙速に過ぎる感じがしています。

 今日は16時半から月に一度の精神科の診察があります。
 面倒くさいですが、勝手に服薬を止めてひどい目に会った人をたくさん見ているので、欠かさず通院しています。

 もうじき桜の季節。
 年度末から年度頭に変わる時期はどの部署も忙しく、桜を観ると憂悶に沈むのは、31年前に就職してから変わりません。
 
 31回も3月・4月の憂鬱な時期を過ごしてきましたが、どうしても慣れるということが出来ないでいます。
 春愁は秋思よりもしつこくて、やれません。

 しばらくは落ち込んでばかりいるでしょう。
 安サラリーマンを続ける以上、それは宿命。
 いかんともし難い事態には、黙ってやり過ごすしかありません。
 やり過ごすしかないと考えるように努めることにしたのが、唯一の成長であるかもしれません。


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