2023(令和5)年も今日で終わり。
来年55歳になります。
55歳だとまだかもしれませんが、そろそろアラカンと言われる年になるのですね。
未熟児で生まれたために自力で乳を飲むことができず、スポイトで飲まされていたというひ弱な赤ん坊が、すっかりくたびれた初老のおっさんになってしまいました。
30代半ばでまさかの精神障害発症というピンチを迎えましたが、現代医学の力で長い間寛解状態を保っています。
精神病薬の大量投与を続けているおかげです。
精神病薬は一生じゃんじゃん飲むつもりです。
多分その頃の私を知らない人々は、私が双極性障害を患っているなんて思いもしないでしょう。
気管支喘息で救急搬送された時は死ぬかと思いましたが、毎日ステロイドの吸入を行うことで安定しています。
こちらも一生吸い続けようと思っています。
さらには自然に煙草を吸わなくなるという思わぬ効果をもたらしました。
煙草を吸っても咳き込むだけになってしまったのです。
いくつかピンチがありましたが、生きるの死ぬのなんていう大病を患うこともなく、年を重ねてきました。
それは有難いことだと思います。
今年は築23年の自宅マンションをリフォームし、新築のようにピカピカになって、金はかなりかかりましたが、とても清々しい気持ちでいられます。
帰宅してソファーに座り、リビングをぐるぐると眺めまわすのが楽しみになりました。
あと23年経つと70代後半になりますから、多分リフォームはこれが最初で最後になるような気がしています。
誕生日も同じことを思いますが、大晦日は今年も一年無事に生きられたという感慨を覚えます。
世界を見渡せば疫病が流行ったり、戦争で多くの人が(子供や赤ん坊も含め)亡くなっています。
身近なところで、私の知り合いでも現職死亡する人が毎年必ず一人はいます。
がんとか脳梗塞、自殺などです。
私はかつてこのブログで、みんなという言葉が大嫌いで、みんななんぞという気色の悪い集団に属したことは一度もない、と書きました。
しかしあらゆる生命は必ず死にます。
みんな死ぬのです。
死を前にした時、私は初めてみんなの一員になります。
そのことを思う時、誕生日や正月は一年の節目に、一年生きられ、今も生きていることに感謝するためにあるように思います。
そんなことを思うようになったのは、私自身が老けた証拠かもしれません。
それでも、そのことに気付いてしまった私は、今日明日、生きていることに感謝せずにはいられないと思うのです。
今年も私のくだらぬ駄文にお付き合いいただいた読者の皆様に深く感謝いたします。
来年が皆様にとって幸多い年であることを祈念いたします。
良いお年をお迎えください。
昨日の掃除や買い物の疲れが出たのか、今日は午前中いっぱい寝ていました。
お休みの日にしか味わえない贅沢です。
今日も買い物に行きました。
食材の他、やかんを買いました。
今まで使っていた物があまりにも古くなりましたので。
この時季ほとんど毎晩のように米焼酎のお湯割りを頂きますので、あまり小汚いやかんは使いたくないし、ちょうど年も変わりますから。
こんな感じです。
午後は墓参りというか、同居人の実家の墓を掃除しに行きました。
しばらくお参りしていなかったので雑草が生え放題でしたが、今日は晴れて暖かく、風も無かったので、作業は楽でした。
義父は福島の出身で義母は東京、本所の出身。
それぞれに実家の墓がありますが、同居人の妹がわずか18歳で難病のため亡くなり、その際同居人が住む千葉市内の霊園に墓を買ったそうです。
いつでもお参りに行けるように、という切ない親心です。
今、その墓には妹と義父が眠っています。
施設で暮らす80代半ばの義母がその墓に入れば、もう誰もその墓に葬られることはありません。
私と同居人は、おそらく私の実家である日蓮宗の寺の共同墓地に埋葬されるでしょうから。
なのでそう遠くない将来、墓仕舞いを考えなくてはなりません。
それと、今は誰も住んでいない同居人の実家の始末もあります。
そういうことを考えなければならない年になったということでしょうか。
感慨深いというよりは面倒くさいことです。
最近このブログ、ほとんど私の備忘録のようになって、かつてよく書いていた文学や政治の記事は書かなくなりました
ブログ内検索をかけられる分、日記よりもいつ何をしたのか瞬時に分かり、便利です。
私の備忘録にお付き合いいただく読者の皆様には退屈でしょうが、私の役には立っているように思います。
今日から6日間の年末年始の休暇に入りました。
初日の今日はまずは大掃除。
とは言ってもリフォーム直後で、しかもリフォームに併せてお掃除本舗に換気扇、エアコン、サッシの掃除を依頼し、すでに済ませていたので、どうということはありません。
念入りに掃除機をかけ、テレビ台や箪笥などの台になっている部分を拭き、風呂、キッチン、洗面所等の水回りを磨いたくらいです。
9時に始めて11時前には終わりました。
広くもない4LDKのマンションに大人二人で住んでいるので、そんなに汚れることもありません。
お昼は近所に最近出来たあっさり塩とあっさり醤油だけのラーメン屋で塩ラーメンを食しました。
私も同居人もラーメンはあっさり系が好みなので、嬉しいかぎりです。
有名な家系とか二郎系とかのこってりラーメンは一度も食べたことがありません。
その後しばし昼寝。
14時頃に起きて、そごう千葉店に出かけました。
私の実家に持っていくお年賀の赤白のワイン、自宅用の栗焼酎を購入。
普段は米焼酎を飲んでいますが、栗焼酎はブランデーのような甘い香りと芳醇な味わいが楽しめる逸品で、私の好みです。
さらに正月用のお花を買いました。
神棚の前に飾るためです。
神棚は25年前に結婚式を挙げた時に神社からプレゼントされたものです。
普通はお花と言えば仏壇に供えるのでしょうが、我が家は人死にが出ていないので、仏壇はありません。
さらには小さなしめ飾り、義母へのお年賀の柿山の煎餅、明日義父の墓参りに行く予定なのでその花も購入。
そごう千葉店はひどく混んでいたので用事を済ませ、さっさと帰りました。
道すがら、珍しい自販機を発見。
なんと餃子の自販機です。
以前干物の自販機を見たことがあります。
千葉に住んで25年になりますが、未だに新しい発見がある奥深い県だと思います。
今日はよく働きました。
これから湯に浸かって、栗焼酎は正月の楽しみにとっておき、いつもの米焼酎を少しやろうと思います。
今日は令和5年の仕事納め。
すでに年末年始の休暇に入っている会社が多いのか、昨日、今日と道路はガラガラで、車ストレスを全く感じずに済みました。
今年は例年以上に時が過ぎるのが遅く感じられました。
10月1日に大規模な人事異動があったことが原因かもしれません。
なんだか10月1日で一旦リセットみたいになってしまったのです。
それでも大過なく仕事納めを済ませたことは大きな喜びとするところです。
よく年齢とともに年月が流れるのが早く感じられるようになる、と言います。
私には理解できません。
平日の一日は長いし、月曜日から金曜日の5日間はほとんど永遠のように感じます。
その永遠を土日や祝日をはさんで無限のループのように繰り返すのが我々現役世代が生きるということですから、日々が長く感じられるのは当たり前でしょう。
ところがお休みとなるとじつに短く感じられるのですから切ないことです。
逆だったら生きやすいでしょうに。
話は変わりますが、昨日、職場でシステム障害が発生しました。
午前11時頃からメールの送受信が出来なくなり、インターネットにもつながらなくなりました。
かろうじて所内専用webサイトには繋がりましたが、それだけでは仕事になりません。
情報担当の部署の人は、昨夜は深夜0時過ぎまで残業したそうですが、それでも復旧には至っていません。
私は昨日も今日も急ぎの仕事は無かったので特段困ることはありませんが、中にはこの二日間で何が何でも年内に終わらせたい仕事があるという職員も多かったでしょうから、年末のシステム障害は痛いですねぇ。
情報担当の部署なんて今日システムを復旧させることが出来なかったら年末年始の出勤は必至です。
なんとか復旧してほしいものです。
令和5年は終わっても、令和5年度は3か月残っています。
お役所はどこでもそうだと思いますが、年度末の忙しさは尋常ではありません。
年末年始のお休みで英気を養って年度末に備えなければなりません。
今日は休暇を取りました。
特に用事があったわけではありません。
たっぷりと残っている有給休暇を少しでも消化しようと思ったのです。
それでも24日も残してしまいました。
私の職場では有給休暇は暦年で年間20日もらえます。
このうち、20日までは繰り越せます。
何年も勤めていれば少しづつ年休が残って、多くの人は年間40日になります。
私もそうです。
で、24日残ったというわけ。
このうち20日は来年に繰り越すことになり、4日は消滅します。
最近まで毎年必ずぴったり20日使い、20日は繰り越すようにしていたのですが、2年前に職階が上がり、責任を負うことになって残業が増え、休暇も取りづらくなってしまいました。
そういうお年頃ですから仕方ありません。
昨夜はクリスマスイブということで、シャンパンをいただき、チキンの腿肉とサラダ、それにレアチーズケーキを頂きました。
私が学生の頃はバブル真っ最中で、なぜかクリスマスイブは恋人と過ごす日ということになっていて、恋人と過ごさぬやつは人にあらず、みたいな空気が漂っていました。
私はそれに反発し、付き合っている女性がいても、クリスマスイブだけは絶対に会わず、一人で過ごすことを旨としていました。
今思えば偏狭な考えであったと思いますが、それほど時代の空気が気に入らなかったのです。
就職してからはそんな偏見は捨てて、人並みに過ごすようになりました。
時代は変わって、クリスマスだからと言って特別な感じはしなくなりました。
当たり前です。
我ら日本人にとって、クリスマスは祝祭日でもなく、単なる平日に過ぎません。
良い時代になったものです。
今日は早朝9時に新しいカーペットが届きました。
ベージュを基本とし、緑が散りばめられてもので、家具屋で一目見て気に入りました。
リフォームを始める時はカーテンとカーペットは手を付けないつもりだったのですが、リフォームで部屋が真新しくなってみると、カーテンもカーペットも薄汚く見えて、両方替えました。
8月末にリフォーム店3社から見積をとり、契約を交わした業者と何度も打合せをし、工事をし、カーテンを替え、今回はカーペット。
さすがに打ち止めだと思います。
リフォームを決意してから4カ月以上が経ってしまいましたが、新築マンションのような気持ち良さは最高です。
やって良かったと思います。
午後はそごう千葉店に煎り酒を買いに行きました。
煎り酒は伝統的な江戸の調味料で、我が家はこれが無いと始まりません。
道路も店内もひどく混雑していました。
師走、なんですかねぇ。
今日は風は無いながら底冷えのする一日でした。
もっとも、関東では冬は空っ風がつきものなので、無風なだけでもずいぶん楽です。
今日は内科、呼吸器内科と病院のハシゴをし、帰宅してから結婚25周年記念の二人だけの写真を額に入れて壁にかけました。
リビングの片隅は、私たちの写真館のようになっています。
しかしその写真の数々も、二人とも亡くなれば遺品整理で処分されてしまうんでしょうねぇ。
何しろ私たちは子孫を残すことが出来ませんでしたから。
二人だけで生き、死んでいく、そしてその後には何も残りません。
墓地も当然無縁仏が入る塔になるでしょう。
死んだ後のことはどうでも良いですが、私たち二人の密やかでいて楽しくもある生活が二人の死をもって消滅するとは不思議な気がします。
明日はカーペットが届く予定。
わが家のリビングダイニングは20畳ほど。
その真ん中にホットカーペットを敷いてその上にホットカーペットを覆うカーペットを敷いており、これを買い替える気はなかったのですが、リフォームで部屋がピカピカになると、そこだけ古臭くて、新しい物を買うことにしました。
今度こそ、リフォームがらみは終わると思います。
固い仕事に就いて20代で結婚し、30歳の時にローンを組んで4LDKのマンションを購入しました。
途中精神障害を発症しましたが、総じて堅実な生き方をしてきたと思っています。
今回のリフォームも堅実な生活の一環です。
堅実を求めて、死んでいったならば、私たち夫婦の生は何だったんでしょうね。
何となく、メランコリーに沈みます。
人間誰でも、生涯のうちに3人くらいはすごく気が合って、この人とならずっと一緒にいても良い、と思える人がいるのではないでしょうか。
後はタイミングの問題で、例えば20代後半から30代前半あたりで知り合った愛しい人とは結婚に至る可能性が高いと思います。
それ以前にお付き合いした人は青春の幻影として記憶に残るでしょう。
厄介なのは二股と不倫です。
しかし人間は二人の人を同時に愛しいと思える生き物で、どっちか二人なんて選べない、という心境になったりするものです。
私は幸いにして妙齢の時にお付き合いしていたのは一人だったし、不倫もしていません。
良い夫なのだろうと思います。
しかし時折、幼い恋をしていたあの人とその後もお付き合いを続けていたらどうなったのだろうと思い返すことがあります。
今の生活に不満はありませんが、人間は必ず後悔をする生き物です。
その頃のことを思い出すと、胸が痛みます。
私が理由もなく別れを告げたからです。
その美しく愛しい人が、今の人とうまくやってくれていることを願うばかりです。
ずいぶん昔のことですが、Mr.Childrenが秩序の無い現代にドロップキックと叫んでいたのを思い出します。
よくよく歌詞を聞けば、あながち現状認識に間違いは無いと思えますが、秩序の無いというフレーズだけを聞くと、大変な違和感を覚えます。
初めて聞いた時、お気は確かかと思いました。
現代は極めて秩序立っていて、あまりの秩序に息がつまるほどです。
もちろん、いつの時代にも秩序からはみ出してしまう人間はいますが、現代はそういう者はごく少数で、圧倒的多数はひたすら秩序を守って生きています。
彼らはなぜあえてそういう歌詞を選んだのか、私には今もって不明です。
いっそ息詰まるこの世界から秩序を崩壊させろと歌ったほうが良かったのにと思います。
私は夢想します。
この秩序立った世界が崩壊して無法地帯と化すことを。
そこには人間本来の欲望が渦を巻き、快感を感じるほどの秩序の無い世界が現出するでしょう。
ヒトラーは第三帝国が千年王国となって世界を支配することを夢想し、我々は世界を焼き尽くす、と嘯きました。
焼き尽くされて秩序も何も無い世界。
きっと多くの人にとって生きづらい世界だとは思いますが、まるで14歳の中二病の少年のように、私はそんな世界をうっとりと夢想します。
それはきっと今があまりにも秩序立っているからだろうと思います。
秩序の無い現代とは全く異なる世界が日本社会を覆っています。
それは美しい社会なのかもしれませんが、退屈な社会とも言えます。
私は人生の最後を悟ったなら、秩序の無い世界を夢見て、小さな抵抗をしたいと思っています。
今朝は午前中、理髪店に行きました。
理髪店にしては珍しく、完全予約制です。
それだけ人気があるということなのでしょうが、それは腕が良いというだけではなく、クレジットカードや交通系など、現金以外での支払いが出来ることが理由の一つに挙げられるでしょう。
最近ほとんど現金を使うことがなく、現金を持ち歩かないのが普通になっていますから、これは有難いことです。
現金払いが当たり前だった時には家計簿を付けるのが億劫でしたが、今家計簿に付ける支出は蕎麦屋とコインパーキングだけです。
自販機ですらスイカが使えますから。
帰宅したのが11時頃。
同居人は珍しく古い友人たちに会うからと、今日は留守です。
イタリア料理のランチコースを食べると言っていました。
おそらくその後もどこかに行くのでしょう。
今日は珍しく独りの日曜日となりました。
洗濯や掃除をしたり、一週間分の食料を買い出しに行ったり、忙しく過ごしました。
そして大きな気付きが。
わずか半日程度の独りが、とても寂しいのです。
よく奥さんがいない休日はとても嬉しいと世間のお父さん達は口をそろえますが、私は全然違うようです。
どれだけ深く同居人に依存していたのかを思い知らされて愕然とします。
私は一通り家事も出来るし、独りで過ごすことを好むと思っていたのですが、この意外な事態は、私を混乱させるに十分でした。
もし同居人を例えば交通事故等で喪ったとしたら、私の精神状態はどうなってしまうのでしょう?
考えるだに怖ろしいことです。
もう12年くらい前のことになりますか。
敬愛する父を病気で喪った私は最初の一か月で6キロも体重が落ち、その後も食欲が戻らず、結局1年間で24キロも痩せてしまい、多くの同僚から何の病気かと問われるようになりました。
何か病気なのか、ではなく、何の病気か、です。
病気決定ということです。
体重が戻らないまま何年も経ちましたが、ようやくこの2年くらいで5キロほど増えました。
父の死を悼んで泣いたり叫んだりしたことはありませんでしたが、胃袋だけが、ショックに耐えられなかったようです。
同じこと、あるいはそれ以上のことが、同居人を喪ったとしたら、私を襲うでしょう。
出会って32年、結婚してから25年の歳月が流れましたが、私は今でも同居人を深く恋うているようです。
元来冷たい性格の私を変化せしめるほどの影響力を秘めていたのですね。
私はリフォームで真新しくなったリビングで、ぼんやりとそんなことを考えて過ごさざるを得ませんでした。
昨日は師走とは思えない20度超えの陽気となりました。
こうなると小春日和を通り越して馬鹿陽気と言うべきでしょう。
昨日はROOM DECOかねたや幕張新都心店に出かけました。
わが家は床暖房では無いので、リビングの中央に三畳サイズのホットカーペットを敷き、その上にホットカーペット対応のカーペットを敷いています。
今使っている物、ベージュに緑の幾何学模様が付いている変わった感じで気に入っています。
しかしリフォーム及びカーテンの交換で真新しくなった我が家には不釣り合いな薄汚れた感じに見えるようになっていました。
そこで超大型家具店にカーペットを買いに行きました。
しばらく見て、これしかない、という物を見つけました。
店員に確認するとメーカーに在庫があるとのことで、近日中に届くことになりました。
いよいよ本当にリフォームに伴うものは終わりです。
いや、終わりだと良いと思います。
馬鹿陽気に誘われて、海浜幕張の町をぶらぶら。
夕方は月に一度の精神科受診です。
もうあまり相談することもなく、とりあえず薬が少し減りました。
病院の近くの京成ローザには大きなクリスマスツリーが飾られていました。
本当は師走なんですよねぇ。
暖か過ぎて調子が狂いますが。
今年の漢字に税が選ばれましたね。
おそらくインボイス制度の導入が主たる要因かと思います。
インボイス制度なんて私が今所属する部署には関係無いと思っていたのですが、業者とのやり取りの中でインボイス制度導入のせいで書類の再発行を求める機会が多く、想像よりも苦しめられています。
制度が変わったり新しい制度が出来たりすると最初のうちは苦しめられるのが世の常で、就職してそろそろ丸32年が経とうという私は、こんなもんだろうな、としか思いません。
今年の漢字の意味はともかく、それが発表されることで、令和5年(2023年)という年もそろそろ終わるのだなという実感がわきます。
師走の恒例ですから。
これからクリスマスがあったり、年末の大掃除があったり、年賀状書きがあったり、慌ただしく日が過ぎていくものと思います。
もう観なくなって何年も経ちますが、大晦日には紅白歌合戦があります。
これら定番の行事を粛々とこなしていかなければなりません。
30代半ばで精神障害を発症するまでは年末の大掃除を盛大にやっていました。
フローリングにワックスを塗ったり、窓やサッシも丁寧に掃除していました。
それが今では掃除機をかけるのと埃が溜まった箇所をクイックルワイパーで簡単に拭くだけになりました。
何事も億劫になるようです。
高齢者の家が散らかるというのも理解できます。
今私が住んでいるマンションは物を極力減らし、どこか殺風景な感じさえする、生活臭の希薄な空間になっています。
ここもいずれは乱雑に散らかってしまうんでしょうか。
そうなると嫌ですが、それが老いるということなのかもしれません。
ここ数年、同世代や後輩の同僚、友人が何人も病気で亡くなりました。
交通事故とかではなく、病気で死ぬのが不思議では無いお年頃になってしまったのでしょうか。
男性の平均寿命は80歳程度と聞きます。
しかし私にはそれが信じられません。
まわりの人々はもっと早く亡くなっているように思います。
平均寿命の計算式を私は知りませんが、実感として、平均寿命は現実より年齢が高いように感じます。
40代後半から50代での死亡率は案外高いのではないでしょうか。
私の部下に、癌治療を受けながら働いている40代半ばの職員がいます。
治療で髪が抜けるらしく、職場ではニット帽を被っています。
女性なので、髪が抜けた状態を見られるのは耐え難いのでしょうね。
そういったことをつらつら考えると、コレステロール値や肝臓の数値が高い私でも、十分健康な部類なのかもしれないと思えます。
少なくとも今日明日どうということはありませんから。
しかしそれでも、死ということを考えるようになりました。
それが30年後なのか20年後なのか、あるいは半年後なのかは誰にもわかりません。
しかしそれは人間全員に訪れます。
例外はありません。
昔から不老長寿の妙薬を求めた権力者はあまたいますが、誰もそれを手に入れることは出来ませんでした。
老いや死から逃れられる人は絶対にいません。
そうであるならば、気持ちよく、美しく老いて静かに亡くなりたいと願います。
定年年齢は段階的に引き上げられ、あと数年で65歳が定年になります。
私が定年を迎えるまであと11年もあります。
65歳の私がどれだけの気力体力を保っているかは分かりませんが、気持ちよく、美しくという目標を諦めずにいられれば幸福なことだと思っています。
今日は休暇を取りました。
リフォームの最後であるカーテンの総取替えに立ち会うためです。
わが家のインテリアは緑と木目と白が基調。
壁は真っ白で、ドア等は木目。
もちろん、このたび床をオールフローリングにしたので床も木目です。
その他は緑が基調です。
カーテン、ブラインド、ホットカーペット、ソファ、シーツ、掛布団カバー、クッション、ティッシュを入れる箱まで緑を基調としたもので、壁にかけている絵画も緑に花が散りばめられたものです。
私はあまりインテリアに拘りが無く、同居人の趣味に付き合っていたら、私まで緑が好きになってしまいました。
終わって、銀行の窓口にリフォーム代を振込に行きました。
本当はATMで簡単に済ませたかったのですが、金額がATMの限度額を超えてしまったので致し方ありません。
ちょっとした大衆車が買えるほどの金額になってしまいました。
あれをやるとこっちもやりたくなるというのがリフォームのようです。
リフォームなんて滅多にやりませんから、やるとなったら気になるところは全てやりたくなるのです。
最初に3社から見積を取ったのが8月の終わり。
完全に終わったのが今日ですから、ずいぶん長くかかりました。
今私はピカピカになった我が家を眺めて、非常な満足感を覚えています。
50代半ばの今やらなければ、面倒くさくなって永遠にやらないような気がしたのです。
大散財でしたが、やって良かったと心から思います。
今朝は午前10時からかねて予約してあった歯医者に行きました。
歯のクリーニングのためです。
コロナ流行の間、全く歯医者に行っていなかったのですが、三か月前に歯のクリーニングを再開しました。
これからは三か月に一度歯医者に通う予定です。
昨日と同様によく晴れて師走とは思えない暖かさでしたが、今日は歯医者に行った以外は家でのんびり日向ぼっこなどしながらダラダラ過ごしました。
人生暇つぶしという言説は時折耳にしますが、生まれてしまった以上死ぬまで生きなければならず、生きるということになんらの意味が無いのだとすればまさしく人は暇つぶしのみで人生を終えることになります。
生きるということに価値を見出そうとしても、それは切ないことだと思います。
出世欲が強くて出世したとしても、スポーツや芸術、学問の世界で成功したとしても、大金を稼いだとしてもそれはわずか70~80年、せいぜい100年のことです。
訳も分からず生まれて、訳もわからず生きて、ただ死んでしまうのが人というものです。
うつ状態の時、精神科医は私が自殺でもすると思ったのか、人間は生きているだけで価値がある、と言いました。
その時、この医者は嘘をついていると思いました。
そしてその思いは今も変わりません。
また別の精神科医は人間はハッピー感を得るために生きている、と言いました。
こちらは概ね正しいと感じました。
ただしそれは刹那のことでしかありません。
刹那が生じ、その刹那は一瞬にして終わり、また刹那が生まれる。
その繰り返しこそ生命が辿る運命だと、お釈迦様は述べています。
刹那滅などと呼ばれます。
刹那の喜びを追求するしか生きる術が無いとは、考えるだけでも怖ろしいことです。
50代も半ばを迎えようというのに、いつまで経っても青臭い小僧のように生きているのが悔しく感じます。
今日は久しぶりに何の予定も無い土曜日。
嬉しくて朝5時に目覚め、もう眠れません。
しかも師走とは思えない暖かさ。
お日様も見事です。
朝飯を食ってから、朝の光を浴びるべく、ご近所散歩に出かけました。
約2時間。
がっつり1万歩歩きました。
途中、紅葉もちらほら。
目を楽しませてくれます。
自宅に帰ってたっぷりの日差しを浴びて日向ぼっこ。
最高の気分です。
お昼は海鮮タンメンを食しました。
その後昨深夜放送された「きのう何食べた?」の録画を観ました。
この中年のゲイカップルの日常を淡々と描いたドラマにドハマりしてしまい、毎日のように録画した物や、映画バージョンのDVDを観たりして楽しんでいます。
その後家具屋に収納用品を買いにいきました。
これもリフォームの一環です。
明後日の月曜日にカーテン屋が来て家中のカーテンを交換し、すべて終了となりますが、カーペットが古びていることが気になり始めました。
きれいにすると、ちょっとでも古い物が気になります。
カーペットはのんびり探そうと思っています。
充実した一日になりました。