また一週間が始まりました。
初日から私が所属する部署が主催の研修会。
無事終わりましたが、面倒くさかったですねぇ。
先週はきちんと5日通いましたが、今週は5日間もつでしょうか。
月曜日は毎週、一日くらい休暇を取ろうという気分になります。
どうなりますことやら。
今日もよく晴れて早春の陽気に恵まれました。
午前中は掃除や洗濯。
午後は千葉市中心部を散策しました。
少し風が強かったですが、まずは気持ちのよい散歩になりました。
今年度もあと一ヶ月で終わり。
早春の気は、私をして春愁の気鬱に誘うことを常としますが、今年にかぎってはそれがありません。
理由はわかりませんが、いたって平気です。
月曜日は憂鬱ですが、なぜか日曜日の夕方の憂鬱を、最近感じなくなりました。
年を取ってずうずうしくなったのか、精神障害がすっかり良くなったのかわかりません。
しかし、精神障害を発症する前も、日曜日の夕方は憂鬱でしたから、障害のせいではないでしょう。
これは一種の治り過ぎかもしれませんね。
私としては気が楽になって良かったと思っていますが。
今日は見事に晴れて、気温も上がりました。
そうすると当然、ふらふらと歩き出したくなります。
湯島天神で梅祭りを開催していると聞き、車を走らせました。
幸いにして、湯島天神の半地下駐車場が1台空いていました。
今日の装いは明るい茶の着物に緑の帯と同じく緑の羽織を合わせました。
我ながらきまっています。
湯島天神は、早春の気配に誘われて梅見に出てきた善男善女でたいそうな賑わい。
的屋もたくさん並んで、太鼓などが打ち鳴らされ、華やかな雰囲気です。
白梅が多かったようですが、紅梅もわずかばかり咲いていて、目を楽しませてくれます。
本殿では結婚式も執り行われていました。
無料で梅昆布茶を飲ませてくれました。
これが抜群に旨かったですねぇ。
梅を堪能した後は、上野界隈を散策して帰りました。
よい土曜日に恵まれたと、喜ばしく思っています。
国勢調査の結果、1920年の調査開始以来、初めて人口が減少したことが報じられました。
死亡数が出生数を上回る、自然減が原因とみられるそうです。
来るべきものが来た、という感じです。
少子高齢化が叫ばれて久しいですから、これは当然の結果でしょうねぇ。
私のまわりにも、40代、50代の独身者がうじゃうじゃいます。
わが国では婚姻による出産が一般的ですから、独身者が増えれば人口が減るのはいわば理の当然です。
婚姻も出産も極めて個人的な事柄ですが、人口が減り続けるとなると、これはもはや個人の問題ではなく、日本社会の問題と言わざるを得ません。
田舎に行くと65歳以上の高齢者が40%以上、なんていう空恐ろしい状況に陥っている自治体があるやに聞き及びます。
65歳以上を60歳以上に下げたなら、どれだけ高齢者が多いか、推して知るべきでしょう。
1960年の時点では、一人の高齢者を約12人の現役世代が支える、という余裕ある体制だったそうです。
それが2050年には、1.5人の現役世代が一人の高齢者を支えるところまで行ってしまうと予想されています。
これではほとんどおんぶ状態。
今のままでは年金制度は破綻するでしょう。
2050年といえば、私は生きていれば81歳。
生きていてもおかしくない年齢です。
その時、私たちの世代は経済的にもつのでしょうか?
甚だ不安です。
それだけ現役世代が減少すると、産業構造も変化するでしょうし、そもそも日本経済はどうなってしまうんでしょう。
嫌な未来が待っているようで、憂鬱になります。
私は移民受け入れには拒絶感を持っています。
日本社会は極めて同質性が高いですから、異質な人々を受け入れることは難しいと思います。
しかし、背に腹は代えられないということも事実です。
そう遠くない将来、わが国は移民受け入れに舵を切らざるを得ないだろうと予測します。
移民を受け入れるなら、当然、移民のみなさんには日本人と同様の権利義務を与えなければなりません。
決して差別するようなことがあってはなりません。
その時、どのような問題が起こるか。
米国のように移民で成り立っている国はあまり参考になりませんが、現在の欧州で起きている問題は、大いに参考になります。
社会内社会ともいうべき、異質なままの社会が成立し、日本社会とは相容れない価値観を持った人々が多数存在することになれば、必ず軋轢を生むでしょう。
晩年に至って、そんな日本を見たくありません。
何か良い知恵はないものか、今すぐにでも、政治家は熟慮し、議論を尽くし、わが国の行く末が幸多いものになるよう、法整備を整えなければなりますまい。
これは全ての日本人にとって、極めて重要な問題だと思います。
出生数がV字回復することなど、ほとんど見込めないわけですから。
最近日が伸びてきましたね。
私はほぼ毎日17時30分には帰宅の途につきますが、その頃は結構明るくて、明るいうちに帰れるのは嬉しいことです。
精神障害から完全復帰して丸6年。
残業をするのは多い月でもせいぜい10時間程度で、0時間という月も少なくありません。
残業手当がもらえないのは痛いですが、健康の維持には変えられません。
もっとも早く帰ったところで、飲んだくれているだけですが。
少しは体のことを考えて節酒しなければと頭では分かっているつもりですが、家に帰るとつい飲んでしまいます。
強い意志が欲しいものです。
源氏物語の例をひくまでもなく、わが国において、というより世界において、恋愛あるいは性愛を描くのは文学の王道でした。
そして面白いことに、わが国の古典文学においては恋愛ということと性欲ということを分けて考えることはありませんでした。
また、男女間において、あるいは少年を愛する衆道において、愛する、という言葉を使うことはなく、通常は惚れるという言葉を使うことが多かったように思います。
それはすなわち、恋はあっても恋愛は無かったものと思われます。
明治に入ると、わが国における性的おおらかさは、庶民の風俗習慣はともかく、少なくとも文学の世界では性愛を描くことはタブー視されるようになりました。
森鴎外のヰタ・セクスアリスにおいても、性欲的生活を赤裸々に綴ると文頭で宣言しておきながら、まるでおのれの性欲を否定するようなエピソードばかり描かれ、まるで性欲を汚いものであるかのように感じさせます。
ヰタ・セクスアリス (新潮文庫) | |
森 鴎外 | |
新潮社 |
時代の制限なのでしょうか。
戦後にいたると、ほとんど性描写に終始している村上龍の限りなく透明に近いブルーなどがもてはやされ、これは大日本帝國の否定と同時に、性的なことについても逆にふれたように感じられます。
限りなく透明に近いブルー (講談社文庫) | |
村上 龍 | |
講談社 |
文芸映画、愛のコリーダも、全編これ性描写のような映画でした。
愛のコリーダ ~IN THE REALM OF THE SENSES~ (Blu-ray) (PS3再生・日本語音声可) (北米版) | |
松田暎子,藤竜也 | |
Sony Pictures Home Entertainment |
しかし時代は進み、性を描くということは文学の一つの柱と認められ、逆に言えば柱の一つでしかない、当たり前のものになりました。
これは喜ぶべきことでしょうね。
しかしそれは、わが国にとって、現在の価値観で言えば性犯罪の文学とさえ言える源氏物語に先祖返りしただけなのかもしれません。
源氏物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) | |
角川書店 | |
角川書店 |
昨夜は珍しく、同居人とインドカレーの店でビールとワインを飲みました。
カレーは頼まず、つまみに塩味のチキンであるマライティッカ、マトンと鳥の細長いつくねのようなタンドリーケバブ、お煎餅のようなパパド、サラダなどを楽しみ、最後はチョウミンという焼きそばで〆ました。
おおいに飲み、食いました。
今、同居人と私は同じ機関で働いており、概ね、朝夕一緒に車で通勤しています。
帰りの車中、同居人、嫌なことがあったらしく、怒り気味に愚痴をこぼし、「今日は飲みたい」、と言うので最近私たちの間でブームのカレー屋で一杯やったというわけです。
月曜日に外で飲むのは珍しいことで、それほど同居人の不快感は強かったということでしょう。
現金なもので、酒が入ってすっかり上機嫌になっていました。
私は毎晩酒を飲みますが、同居人は土曜日くらいしか飲みません。
酒の力は偉大ですねぇ。
日曜日の夜と月曜日の朝が憂鬱なのは、サラリーマンであれば誰でもそうでしょうが、それも度が過ぎるとブルーマンデー症候群と呼ばれる病的な状態になり、甚だしきにいたってはうつ病を発症し、起き上がれなくなってしまいます。
私ももちろん月曜日は憂鬱ですが、起きられないほどではなく、また、嫌々ながら出勤できていますから、正常の範囲なのかなという気はしています。
思い起こしてみれば、15年ほど前に在職していた機関は殺人的な忙しさで、深夜に及ぶ残業はもちろん、土日のサービス出勤も当たり前でした。
最長で35日間一日も休みなしと言うことさえありました。
あの頃は毎週きちんと土日が休めるなんて夢のようだと思っていましたっけ。
それが今、わりあい余裕のある職場に移ってみたら、月曜日から金曜日までの5日間の長いこと。
人間楽に慣れるのは早いものです。
でも本当のことを言うと、サラリーマン川柳にあった、一週間 気付けばいつも ブルーマンデー というのがぴったりくるような気がします。
働くということはどんな仕事であれしんどいもので、私一人が苦しいわけではないと言い聞かせてみたところで、私一人の憂鬱が緩和されるわけもなく、空しいばかりです。
雲が多いながらお日様の暖かさを感じられる陽気に恵まれました。
脱衣所の電球が切れたので、千葉駅近くのヨドバシカメラに出かけました。
近所のスーパーでも電球は売っていますが、最新の家電や情報機器を冷やかそうと思ったのです。
ヨドバシカメラでお目当ての電球はすぐに見つかり、まずは購入。
冷蔵庫や洗濯機、テレビ、パソコンなどをぼんやりと見て回りました。
80型という巨大なテレビに190万円の値段がついていてびっくり。
しかも4Kとかで、じつに鮮やかな映像です。
我が家の32型のテレビとは大違い。
しかし90平米のマンションに80型のテレビを置いたら、おテレビ様みたいになって、あんまり不釣合いですし、第一190万円もの大金を払う気はさらさらありません。
パソコンはどんどん薄くなって、まさに日進月歩。
最近洗濯乾燥機の乾燥機能が弱くなっているような気がするので、洗濯乾燥機も市場調査しました。
けっこう高いんですねぇ。
でももう10年使っていますから、そろそろ駄目になるかもしれません。
それでなくても換気扇をつけると異音がするため、工事業者に見てもらったら部品が製造中止になっているとかで、買い替えを余儀なくされました。
工事は来月ですが、11万6千円という見積もりでした。
やれやれ。
物入りですなぁ。
ヨドバシカメラを歩き回って少々疲れ、デニーズで昼食をとりました。
好物の牡蠣フライ定食です。
食後、しばし千葉市中心部を散策。
宝くじでも当たらないかなぁと、切実に思いました。
生活に困るようなことはありませんが、24年間も働いてこれだけかと思うほどの薄給で、泣けてきます。
それにつけても金の欲しさよ。
久しぶりにきつい小説を読みました。
最近芥川賞を受賞した本谷有希子の「生きてるだけで、愛。」です。
自意識過剰の若い女が登場する、恋愛劇の亜種みたいな話ですが、とにかく主人公の女が、嫌になるほどわがままで、情緒不安定です。
一昔前の、自意識過剰の私小説を彷彿とさせます。
カバーの帯には、凶暴で、美しいとかれていましたが、私には凶暴で醜いとしか思えませんでした。
葛飾北斎の富士と荒波の絵は、五千分の一秒のシャッタースピードで撮影した写真をトレースしたかのごとき一致を見ており、北斎と富士の関係を示唆するなど、印象的な文章はところどころに見受けられ、それは面白いのですが、あまりにエキセントリックな人物を主人公に据える場合、作者は一歩も二歩もひいて描写しなければ、読者はドン引きすると思います。
読んだかぎりの印象では、作者は主人公にのめりこんでいるように見受けられました。
この作品は芥川賞候補になったそうですが、私には近代文学の悪しき伝統である自意識過剰の神経症患者を描いた、古色蒼然とした作品としか感じられませんでした。
ただし、一気に読んでしまったので、読ませる力はあるのだろうと思います。
まぁ、気持ち悪いもの見たさみたいなものでしょうなぁ。
生きてるだけで、愛。 (新潮文庫) | |
本谷 有希子 | |
新潮社 |
今日の首都圏は晴れて気温がぐんぐん上がり、すっかり春めいてきました。
これからは寒い日と暖かい日がせめぎ合いながら本格的な春に向かっていくんですねぇ。
三寒四温とはよく言ったものです。
私は例年、春になると春愁の気にあてられ、なんとなく憂鬱になるのが恒例でした。
ところが今年はまるで平気。
健康になった証でしょうか。
春愁どころか、どこか浮かれたような気分でいます。
どちらが人間の自然なのかは分かりませんが、どちらにせよ、気分が良いのは結構なことです。
春立ちぬ 夢多き身は この日より 髪に薔薇の油をぞ塗る
与謝野晶子の歌です。
与謝野晶子歌集 (岩波文庫) | |
与謝野 晶子 | |
岩波書店 |
いかにも春に浮き浮きしている感じがでていて微笑ましくもあります。
私は香水などつけませんが、それでも薄着でお出かけするのは心浮き立つものです。
まして今が金曜日の終業後となればなおさらです。
もっとも明日は曇り後雨の予報。
今日と明日を交換させたいものです。
奥田英朗の長編、「邪魔」を読み終わりました。
文庫本で上下巻、合せて800頁に及ぶ大作です。
会社で宿直中、火事にあい、火傷を負った夫。
被害者と思われた夫が、放火犯の疑いをかけられます。
平凡な日常を守ろうとする妻。
しかし、夫への疑いが深まるにつれ、妻は壊れていきます。
平凡な日常などじつに脆いものだと、戦慄を覚えずにはいられませんでした。
この小説には、サイドストーリーがあり、夫を追い詰める刑事の物語がそれです。
数年前に妻を交通事故で失い、それ以来義母を頻繁に訪れては自分を慰めています。
しかし、その義母は生きているのか、それが曖昧になっていき、サスペンスにホラーのスパイスを加味しています。
この刑事もまた、壊れていくのです。
さらにはこの刑事をオヤジ狩りのターゲットにし、逆に怪我を負わされた少年たちの物語も綴られます。
少年たちも、破滅に向かって突き進んでいくのです。
夫が邪魔な主婦、精神的に追い詰められ、生きることそのものが邪魔な刑事、将来を壊していく自分たちの行動が邪魔な少年たち。
様々な邪魔が重層的につづられます。
いやむしろ、「邪魔」というタイトルより、例えば「壊れる」とでもしたほうが相応しいかもしれません。
長い小説ですが、飽きさせません。
ただし、読後感はかなり後味が悪いものになっています。
その後味の悪さこそが味わいなのかもしれません。
いずれにしろ、疲れる小説でした。
邪魔(上) (講談社文庫) | |
奥田 英朗 | |
講談社 |
邪魔(下) (講談社文庫) | |
関川 夏央 | |
講談社 |
朝、職場に行きたくない、布団から出たくない、と思うのは毎度のことですが、今朝はそれが特に強かったように感じます。
それでも出勤すればどうにかなるかと、重い体を引きずって片道40分の車通勤。
今日中に仕上げれば後が楽になる仕事もありましたし。
しかし、職場に着いたら着いたで体が重く、今度は帰りたい病に。
ここは思い切って休んだほうが良いと思い、午後から休暇を取りました。
二時間ほど昼寝しました。
疲れていたんでしょうか。
しかし、おっぽり出した仕事を思うと、早くも明日が思いやられます。
完全復帰して丸7年。
大過なく過ごしてきたつもりですが、山や谷はまだまだ私の精神を待ち受けているようです。
先週の金曜日休暇を取った私にとって、今日は4連休明けというしんどい日。
連休明けの出勤がつらいのは誰でも一緒だと思いますが、誰もが苦しいと言い聞かせたところで、私自身のしんどさが緩和されるわけではありません。
なんでも勤務していると交感神経が活発になり、休みになるとリラックスして副交感神経が支配するそうです。
この落差が大きいために、休み前の気分の良さと休み明けの憂鬱が大きくなるようです。
私はここ何年も、しんどい時には、今日だけ出勤して、明後日は休もう、と思うことにしています。
そして明日になったら、また今日だけ出勤しよう、と切り替えるのです。
これがうまくいけば、ほぼ毎日出勤できることになります。
もちろん、時にはどうしても嫌で休んでしまうこともありますが、概ねきちんと出勤できています。
綱渡りのようなその日暮らしの毎日を積み重ねて、復帰後7年間、まぁまぁ人並みに働けています。
来年度は就職25年目。
来年度を働き切れば、四半世紀という長いお勤めを全うしたことになります。
それでもまだ私は自身を信用していません。
ちょっとしたことがきっかけで、また倒れてしまうかもしれませんし。
でもそれはそれで良いのです。
私はただ、その日暮らしを続けるだけなのですから。