昨夜は「躁鬱大学」という文庫本を一気に読みました。
現在は双極性障害と呼ばれ、かつては躁鬱病とよばれていた疾患を持つ人が書いた、双極性障害患者やその家族向けに書いたものです。
「カンダバシ語録」と言う物をテキストにして15回、双極性障害患者の生き方や物の考え方を講義する、という体裁を取っています。
ここでは著者は双極性障害という言葉は使わず、古い名称の躁鬱病と言っています。
これは躁鬱病のほうが実態に近い言葉であるからだろうと思います。
さらには躁鬱人と非躁鬱人という概念を作り出し、やや過激な書きぶりが面白く感じられます。
・躁鬱病は病気というよりも一種の体質。
・特有の滑らかな対人関係の持ちようは躁鬱病の証拠。
・中高時代より好調と不調の時期があったはず。
・躁鬱病の人は我慢するのが向きません。「この道一筋」は身に合いません。
・一つのことに打ち込まず、幅広く色んなことをするのが良いでしょう。
・気分屋的生き方をすると気分が安定する。
・自分の気持ちが動いたものにふっと手を出す。
・法に触れないことなら何でもしてみましょう。
これらはカンダバシ語録の一部です。
ただし、原典から引っ張って来たものなので、「躁鬱大学」での講義として取り上げられたものでは無い物も含んでいます。
腹に落ちる言葉もそうではない言葉もあります。
一つ言えることは、一つのことに打ち込まず、あっちをふらふら、こっちをふらふらする生き方が良いようです。
この本の著者はRapid Cycler(急速交代型)と呼ばれる、短い周期で躁と欝を繰り返すタイプのようで、私とは大分異なります。
私は19年くらい前に気分の落込みがひどく、うつ病と診断されました。
その3年後くらいに激しい躁状態に見舞われ、自分が神様にでもなったような気分になり、浪費、性的逸脱、攻撃的になる、徹夜で駄文を書き散らす等の症状のため、双極性障害に診断名が変わりました。
うつ病と双極性障害は全く異なる病気で、使う薬も異なるし、そもそも同じうつ状態にある時も脳波が違った波形をえがいています。
うつ病では気分を持ち上げる薬を使いますが、双極性障害では躁も欝も抑える気分安定薬が使われます。
私は服薬治療のおかげか半年ほどで寛解状態となり、その後欝も躁も再発していません。
しかし一度でも躁状態に見舞われた人はその後再発しなくても双極性障害患者と見做され、生涯、再発予防のために気分安定薬を飲み続けることになります。
そのような私にとってラピッドサイクラーと呼ばれる躁と欝を頻繁に繰り返す人の気持ちはよく分かりません。
この本の著者は、どうもラピッドサイクラーを念頭に書いたようなので、違和感を覚えます。
最大の気付きであったのは、気分屋のままに色々なことを浅く広く、法に触れないことなら何でもやりましょう、ということです。
私はこれまで、自身を一つのことに集中するタイプだと思ってきました。
しかし思い返してみると、集中はしますが、それは長続きせず、小説の執筆もごく短い物しか書けませんでした。
短歌や俳句をひねったこともありますが、早晩飽きてしまいました。
飽きっぽい面は確かにありますし、それは少年時代からそうで、高校時代には時折激しい高揚感を感じながら、長続きしないことがありました。
これからは興味があることなら何でも少しづつ首を突っ込んでみようかと思います。
それが性に合っていて、しかも健康にも良いようですから。