ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

期末勤勉手当

2023年06月30日 | 仕事

 今日、期末勤勉手当、いわゆるボーナスが支給されました。
 私は成績率「優秀」ということで、11.5%上乗せされていました。
 それはそれで嬉しいのですが、同世代で成績率が「良好」の人には上乗せ分が無いにも関わらず、総手取り額は私よりも2万円程度多いのは面白くありません。
 私の場合精神病で長く休んだ期間があり、その後長らく基本給が上がらなかったためと思われます。
 私は期末勤勉手当の支給に際しては毎回「優秀」をもらい、11.5%上乗せした金額を支給されていますが、これが「良好」に下がるとどうっちゃうんだろうと恐怖を感じずにはいられません。
 毎回「優秀」が付くのは、同世代と比較して明らかに基本給が低いための救済措置かもしれません。
 そうでなければ毎回「優秀」が付くなんてことはあり得ません。

 私が病気で苦しんだのと同様、上層部も私の扱いに苦しんでいるのかもしれません。

 何しろ私は職場の上司にパワー・ハラスメントをくらい、職場に訴えても埒が明かなかったため、弁護士を立てて内容証明郵便を送りつけ、①文書による謝罪、②金銭による補償、③再発防止のための規程の作成の3点を要求したことがあり、それらは全て私の要求どおり認められました。
 ただし、金銭による補償に関しては、私は300万円を要求していたのですが、話し合いの結果、100万円に減額されました。
 弁護士によれば要求額どおり認められることなんてないので、妥当な額だそうで、しぶしぶ私は減額を受け入れました。

 このようなことは滅多にありません。
 多くの被害者は泣き寝入りし、ごく稀に自殺する者が現れ、その時だけハラスメントについての啓発活動が行われたりします。

 しかし私は、白黒つけたかったのです。
 グレーはありません。
 ハラスメントを行った上司が真っ黒であり、被害者の私は真っ白ということです。
 それを職場の上層部の人々に見せつけたかったのです。

 見せしめと言いましょうか。

 その時の上司、異動で去っていきましたが、今どこで何をしているのかは全く分かりません。

 それにしてもよりにもよってこの私に暴言を吐くとは愚か者です。
 驚くべきことに、この私に、です。

 暴言を吐きたければ、相手を見たほうが良いと思います。
 そうでないと、後で痛い目を見ることになります。
 


 日頃大人しいからと言って、心の奥底に限りないプライドと力強さを隠し持っていることに気付かなかったのですね。
 よほど人を見る目が無かったのでしょう。

 そのため私が印象深い方法で人間観察の妙を教えてあげたというわけです。
 このようなことがあったため、温厚な私を上層部は面倒くさい奴だと極端に怖れているのかもしれません。

 そのことが毎回「優秀」をもらえる本当の理由なのではないかと邪推してしまいます。


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スネかじり

2023年06月29日 | 社会・政治

 30年以上前のことになりますが、多くの若者が就学も就労もせず、自宅に引きこもっていることが問題になりました。
 この時はニートなる言葉が流行り、若者に特有の問題として扱われて、大人になって自覚を持てば社会に出るだろう、という雰囲気が漂っていました。
 当時大学生だった私は、非常な違和感を覚えました。
 中年になると突如として働きだすとでも?
 これらの問題は必ず長引いて、いずれは親が亡くなり、ニートなる若者たちも年を取ってしまい、生きる術を失うだろうと予感しました。

 その悪い予感は、当たってしまったようです。

 最近、50代の子を80代の親が面倒をみるという現象が多発して、5080問題と呼ばれるようになりました。
 これは時を経ずして6090問題になり、70100問題に進み、ついには孤独死の異常な増加という結果をもたらすでしょう。

 私は精神的な問題を抱えながら、浪人も留年もせずに22歳で大学を卒業して、公務員になりました。
 考えられるかぎり我が国においては最も堅実な道を歩んだと言ってもよいでしょう。
 30代後半の頃に精神的な問題が顕在化し、長く病気休暇を取る羽目に陥りましたが、40歳以降、この問題は影をひそめることになりました。

 そんなお堅い社会人生活を送っていますが、就職して5年間くらい、ニートを羨ましく思っていました。
 仕事をせずに衣食住を親が提供してくれ、毎日が日曜日の生活を送れたら最高だと思ったのです。
 しかしそれを実行に移すことは出来ませんでした。
 就労年齢に至ってまで親に養ってもらうということが想像出来なかったからです。

 ニートを指して、人生がもったいないと言った人がいます。
 勤め人になって家族を持って、という生き方とニートという生き方、どちらがもったいないのかは分かりません。
 隣の芝は青い、ではないですが、勤め人である私から見ると、有り余る時間を自由に使えるニートの人生がもったいないなんてことはあり得ないと思います。
 それぞれの価値観によるわけですが。 

 一口にニートと言っても就労、就学の意欲がありながらそれが叶えられないという人もいるでしょうし、職業はニート、みたいな開き直った人もいるでしょう。 
 また、全く外出出来ない人もいれば、コンビニに行くくらいなら平気という人もいるでしょう。

 そして、これらは現代特有の現象では無いように思います。

 江戸時代にはぶらぶら患いと言う言葉があったそうです。
 また、明治時代に書かれた夏目漱石の「それから」では、裕福な家庭で生まれ育ち、実家からもらう金銭だけで優雅に暮らす30歳くらいの、いわゆる高等遊民が描かれています。

 

 おそらく数の多い少ないはあるにせよ、いつの時代もそういう人達がいたのだと思います。
 しかし先人たちがそれを社会問題として解決しようとしたとは聞いたことがありません。

 1970年代以降それらが社会問題になったのは、あまりにもたくさんの人々が家に引きこもるようになってしまったということが原因かと思います。
 なぜそういうことになったのか分析することはあまり意味が無いように思います。
 これは根本的解決は不可能であり、対症療法的な解決を模索することに傾注すべきでしょう。
 つまり個別具体的な事案を一つ一つつぶしていくという方法です。
 非常に面倒くさいことですが、引きこもりの事案はそれぞれに事情が異なるので、これが解決方法というものはありません。

 理想は誰も働かずに生きていける世の中ですが、そんなものは世に成立した試しがありません。

 30年以上に及ぶ年月が、ニートを若者の現象から初老までをも含む概念に変えました。
 私はその30年を社会人として生きてきた者として、スネかじりで生きてこられた人々を羨ましく思います。


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裏切り

2023年06月26日 | 社会・政治

  一昨日、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の代表、プリゴジン氏がプーチン政権に反旗を翻し、モスクワ目指して進軍を始めた、というニュースが飛び込んできました。
 一度はプーチンの側近とまで言われた人物なんだそうですが、そういう人が反乱を起こしたというのは、プーチン政権にとって大打撃だったでしょうねぇ。
 ロシア正規軍と傭兵部隊が戦闘状態に陥れば、内戦ということになり、ロシアの混乱は必至でした。

 しかしプリゴジン氏はその日のうちにモスクワへの進軍をやめ、ベラルーシに向かったそうです。
 亡命、ということになるのかもしれませんが、ベラルーシはロシアのウクライナ侵略を支持する数少ない国の一つ。
 無事で済むとは思えません。
 事実、ほぼ毎日更新されていたSNSへの投稿がぴたっと止まってしまったそうです。
 おそらくは監禁されているか、粛清されているかのどちらかでしょうね。

 一度反乱を起こしたのなら、徹底的に戦わなければ、時の政権から裏切りだとして殲滅、粛清されてしまうでしょう。
 逆に反乱が成功した場合、それはほとんど革命とも言え、逆に政権側の人々が粛清されるでしょう。
 それなのに、プリゴジンなる人物、ベラルーシから仲介があったとはいえ、戦うことを止めてしまっては、自分がどういうことになるか想像できなかったのでしょうか。

 ウクライナ侵略に手こずっているところ、内戦の危機まで起こってしまっては、ロシアは持たないでしょう。
 怖ろしいのはプーチンが破れかぶれで核爆弾を使用すること。
 大量に所有していても、使用できないのが核兵器のはずです。
 それを使ってしまっては、プーチンは未来永劫、核兵器を使った大罪人として歴史に名を残すことになるでしょう。

 しかしその可能性無しとしません。
 大いにあり得ることです。

 プーチンのロシアが滅んでいく光景が頭に浮かびます。
 戦争は新たな局面を迎えているようです。

 私たち庶民は状況を見守ることしか出来ません。
 ロシアによるウクライナへの侵攻で始まった戦争、思わぬ方向へ進むかもしれません。 


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OD:over dose

2023年06月25日 | 精神障害

 今日は真夏の暑さで、スーパーマーケットに買い物に行った以外、家でのんびり過ごしました。

 最近、私はOD:over dose気味です。
 OD:over doseとは合法薬物の過剰摂取のことで、一般的には2錠か3錠が用量のところ50錠も100錠も飲むことで、麻薬のような効果が期待されます。
 そしてぶっ倒れて病院に担ぎ込まれる、という結末を迎える者がほとんどです。
 過食嘔吐やリストカットのような、一種の自傷行為という見方がなされているようです。
 
 私は例えば抗不安薬や鼻炎カプセル、解熱鎮痛剤の用量が一日3錠のところ、6錠飲んだりするなどで、一般的な意味からは外れます。
 50錠とか100錠とか、命の危険があるほどの量は飲んでいません。

 しかし、私が行っている少量のODも、抗不安薬で言えば精神の安定、鼻炎カプセルや解熱鎮痛剤で言えば、少しでも体調がおかしいと思うと多く飲んでしまうということで、用量を無視しているという点ではODに違いありません。

 私は最近、もう十分に生きた、という感覚を持つようになり、薬の量については、副作用が出ようが何しようが今楽になれば良い、という考えに依っています。
 今も抗不安薬を1日2錠のところ、5錠飲んでラリっています。

 人間(じんかん)五十年と申します。
 今年54歳になる私は、その50年を超えました。

 それがODに全く罪悪感を持たない理由ではないかと思います。

 私が行っているODは、すぐに倒れてしまうような量ではありませんが、少しづつ、肉体を蝕んでいくものと思います。
 しかし今の私は死んでいないだけで、生きているという実感はありません。

 安定だけを求めて生きてしまった私の糞のような人生に、生き続ける意味などありません。

 自殺するほど追い詰められているわけではないので、自ら命を絶つような怖ろしい真似は出来ませんが、この糞みたい人生が近々終わろうと長引こうと、どっちでも構いません。 

 じつは本当は、違法薬物を試してみたい、という昏い欲求を捨てることが出来ません。
 人間は誰でも心の底に昏い欲求を隠し持っているものだと思います。

 私が軽いODを続けておかしくなったとしても、どうということはありません。


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怪物

2023年06月24日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は映画館に足を運びました。
 観たのは是枝監督の「怪物」です。

 

 この映画は小学5年生の息子が教師から暴力をふるわれたと信じ、学校に抗議を繰り返す母親の視点、暴力をふるったとされた教師の視点、小学校5年生の息子の視点の3者の視点から描かれています。
 当然、3者の語る話は食い違い、誰かが、あるいは全員が嘘をついているか、事実誤認が起きていることが示されます。

 芥川龍之介の「藪の中」(黒沢明監督作品では「羅生門」)と似た構成になっています。

 

 観る者は混乱せざるを得ません。
 
 そして豚の脳を持った人間というフレーズが多用されます。

 少年の同級生である親友は同性愛の傾向があり、ガチガチの保守主義者である父親は、同性愛者である息子は豚の脳を持った化け物であり、治療が必要だと信じています。

 二人の少年は互いに魅かれあいます。
 少年愛の予感が濃厚に描かれます。

 ラストでは、二人の少年が明るい朝日のなか、自然豊かな森を笑顔で駆け回る姿が描かれます。
 台風の朝に姿を消した二人が生き残って互いを寿いでいるのか、あるいは土砂崩れなどで亡くなり、死後の世界ではしゃぎまわっているのか判然としません。

 この映画を観て、人間は全員怪物でありながら実は怪物ではない、というメッセージを感じました。
 いずれにしろ、重層的で、何とでも解釈できる描き方が魅力的です。


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何も変わらない

2023年06月22日 | 社会・政治

 凪のような状態がここ数日続いています。
 忙中閑ありと言いますが、そんな感じです。
 こんなお仕事生活が続けばずいぶん楽になるだろうなと思います。

 32年前就職した時、私を取り巻く環境は何も変わらないと思っていました。 
 しかし時の流れというのは残酷なもので、確実にわが国の在り様は変化しています。
 就職して数年で、自社さ政権というものが生まれました。
 犬猿の仲であったはずの自民党と社会党が手を取り合って政権の座に就いたのですから驚きました。

 戦後初めて自衛隊がカンボジアに派遣されたのは私が新人の頃で、その時はわが国が再び軍国主義に戻ってしまうと馬鹿げたことを言っている識者がたくさんいました。
 32年間、自衛隊は何度も外国に派遣され、それはもはや当たり前の光景になり、反対する人もごくわずかになりました。
 もちろん、軍国主義に戻る気配はありません。

 この世にあり得ないことは無いのだと思いました。 

 私が働く学術行政の世界では、小泉改革により、国立大学や国立研究所、国立博物館等が法人化され、私は国家公務員から団体職員へと身分が替わりました。
 国は単式簿記を採用していますが、法人化に伴い複式簿記が導入され、護送船団と呼ばれた文部科学省が所管する機関を守ることは無くなり、国立の機関同士で、優秀な教職員、優秀な学生を奪い合い、補助金を取り合う醜い争いが生まれました。

 私にとっては天地がひっくり返ったような大事件で、ほとんど全ての規則の改正や新しいシステムの導入などで、連日大残業が続きました。

 この時、メンタルをやられる者が続出しました。
 かく言う私もその一人です。
 私がメンタルをやられることなんてあり得ないと思っていましたが、やっぱりあり得ないことなんて無いのです。

 また、東京商船大学と東京水産大学が合併して東京海洋大学が生まれたり、東京医科歯科大学と東京工業大学が近いうちに合併することが発表されたりしました。
 寄らば大樹の陰ということでしょうか。

 生き残りをかけてなりふり構わず金と人を欲しがる姿は、同じ業界にいる私からみても、愚かとしか言いようがありません。

 何も変わらない、という感覚を持ち続けていたのはなぜでしょうね。
 人の世は変わっていくものだという無常観を、日本人なら自然と身に付けるものと思います。

 しかしそれでも、自分とその周りは変わらないはず、とか、自然災害に会ったり犯罪被害者や加害者にはならないだろうという安全バイアスみたいなものが、私にもかかっていたのかもしれません。 

 これからも、社会は変わっていくでしょう。
 生まれながらの情報化世代であるZ世代もそろそろ就職してきます。

 私は今やっと、何もかもが変わるのだという冷厳な事実に気付きました。
 気付くのが遅すぎた感がありますが、そんなことより、変化が非常なストレスと感じるようになってしまったことが残念です。


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10年ルール

2023年06月21日 | 精神障害

 週中の水曜日になりますが、勤労意欲がわきません。
 月曜日も火曜日も必要最低限、いや、それ以下の仕事しか出来ませんでした。
 今日も相変わらずです。

 こういうことは稀にあって、精神のバイオリズムであろうと思って、気にしないようにしています。
 あんまり気にすると、精神状態が悪い方へと向かってしまいますから。

 今、就職して32年目になりますが、2005年度から2009年度までの5年間、極めて精神状態が悪く、病気休暇を繰り返しました。
 12か月×5年=60か月のうち、実に25か月も休んでいます。
 通算すると2年を超えるんですね。

 ① 2005年8月~2006年1月の6か月間
 ② 2007年10月~同年11月の2か月間
 ③ 2008年3月~同年9月の8か月間
 ④ 2009年8月~2010年4月の9か月間

 よくも解雇されなかったものです。

 私の職場では、2年間まで病気休職することが可能です。
 さらには、2年間休職したうえで1日だけ出勤し、それまでとは異なる病名が付けば振り出しに戻ってまた2年間休めます。

 これはあくまで机上の空論で、こんなことをする奴はいません。

 1年以上も休職すれば、上司が訪ねてきて引導を渡され、病気理由ということで退職金を上積みされて自ら退職していくのが普通です。

 私の場合、一番長くて9か月間だった点が上司を悩ませたかもしれません。
 引導を渡すべきか、もう少し様子を見るべきか。
 結果的にずうっと様子見の状態が続き、なぜか2010年5月以降、病気休暇を取らなくなりました。

 一応、寛解ということです。

 完全復職してもう15年目になりました。
 人体もしくは精神の不思議とでも言うんでしょうか。
 もちろん、服薬と休養、適度な運動などが功を奏しての寛解だとは思いますが、それにしてもどういうわけでこんなにきれいに治ってしまったのか、謎です。

 精神を病んで休んだ者は復職して10年間、昇任も昇給もさせない、という暗黙のルールがあるという噂を耳にしたことがあります。
 しかしそれを検証することは出来ません。 

 なぜなら復職して10年間も働き続けた者が一人もいなかったからです。

 しかし自分が復職してみて、その噂は本当だったと知ることになります。

 ぴったり10年間、昇任も昇給もしませんでした。

 そして11年目。

 嗤っちゃうくらい突如として特別昇給だの昇任だのを果たし、さらには成績率が「特に優秀」と評価され、給料が加算されたりもしました。
 どうも上層部はもともと面倒くさくて煩い私が騒ぎ出すのではないかとヒヤヒヤしていたようです。
 10年間を耐えたのは私だけではなく、上層部もそうだったようです。

 この話をすると、主治医は憤慨します。
 癌でも5年生存率という言葉があるくらいで、10年も飼い殺しにするなんて許せない、というわけです。

 しかし私は10年間を耐え抜き、もう5年目を迎えています。
 振り返ってみると、長い、長い、長い年月でした。

 後輩から次々と職階で抜かれていき、給料は1円も上がらない、それでいて障害者差別かと思うほど嫌味を言われ、こき使われる。
 とっとと辞職しろ、と毎日言われている気分でした。

 それでも地道にカラ元気をだして勤めているうちに、周りの目は変わってきて、きちんと仕事をこなしているあのおじさんはなんで年をくっているのにあの職階なんだ?という風に見られるようになりました。

 そこにいたるまでに約3年。

 10年ルールはまだ7年も残っていて、段々上層部にいじめられている可哀そうなおじさん、みたいに思われるようになりました。

 そういう目にあうと、他人を信用できなくなり、あらゆる物事に不信感を抱き、疲れて白けた気分が続くようになるものです。
 それは10年ルールを終えて5年も経とうとしている今も変わりません。
 きっと退職しても変わらないんでしょうね。
 長年の間に染み付いた思い癖ですから。

 60歳定年ならあと7年弱。
 65歳定年に変わると12年弱。

 まだがっつり残っています。
 疲れて白けた気分のまま働き続けるにはあまりにも長い時間です。

 躁転はいけませんが、もう少し上がってくれると楽なんですが・・・。


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銀婚祝い

2023年06月18日 | その他

 去る6月13日は結婚25周年の良き日でした。
 昨日は銀婚を祝い、過去を振り返るとともに未来に思いを致すべく、千葉市では1,2を争うという高級鮨店を訪れました。
 丸万鮨という店で、千葉駅からは少し離れていますが、蓮池通りという静かな路地裏に建っています。
 18時に予約し、行ってみると、予約で満席のようでした。

 まずは生ビールで乾杯。
 刺身や鮎の焼き物、小ぶりの蛤の酒蒸しなどででおおいに飲みました。
 飲み続けること約90分。
 握りになりました。

 我が国には回転鮨というものがあり、これは鮨を一般庶民に開放した画期的なシステムだと思いますが、高級鮨店の鮨と回転鮨屋の鮨は、同じ鮨を名乗っていますが、基本的には別の食い物なのだと思います。
 珍しい生アナゴの握りなどもあって、大変に美味でした。

 長く連れ添った同居人ですが、やや興奮気味で、話は盛り上がりました。
 2時間以上店にいたでしょうか。
 お勘定は二人で5万円を超えていました。
 思ったより少々値が張りましたが、そもそもそういう店です。
 どうせたまにしか来られないので、思いっきり飲み、食いました。
 少々飲みすぎましたが、酔い覚ましに千葉駅まで歩き、電車で帰宅しました。
 多分帰りはタクシーになるんだろうと思っていましたが、酒で頭がごまかされて元気だったので、思い切って歩きました。
 道すがら、屋台が立ち並ぶ通りなどで、ヤケクソ気味に飲んでいる若者グループなどを微笑ましく眺めました。
 これから我が国はますます衰退し、この若者たちが中年を迎える頃には、かつて経済大国だった悩める貧乏国家になっているのだろうなと、同情しました。
 私はその頃にはこの世の人では無いでしょう。
 日頃社畜と言ってよい生活を送っている私ですが、昨夜は良い気分転換ができました。

 秋には25年前に結婚した人々を東京大神宮及び境内に建つマツヤサロンという宴会場が銀婚を祝って招待してくれると聞いています。
 その集まりは結婚1年目にもありました。
 あれからご同輩たちはそれぞれに辛い人生を歩んできたことでしょう。
 名前も知らないそれらの人々の衰えを見ながら、自らの老いを考えることになるのでしょうね。
 気が付けば、結構長く生きてしまったようです。


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もう志ん朝師匠の噺は聴かない

2023年06月15日 | 精神障害

 今から思えば、私が古今亭志ん朝師匠の噺を聴くのを止めたことが、私を現実の世界に引き戻すきっかけになったような気がします。

 もう15年も前に、私は精神障害を克服し、職場復帰を果たしたわけですが、当初は腫物扱いで、まともに仕事なんぞさせてもらえませんでした。
 それならばと、私は毎日定時で帰り、仕事も最低限やらなければならないことだけし、後は知ったことではないと、人を手伝おうなんて気も起きませんでした。

 気楽な仕事で定時帰り。
 それでいて満額の給料。

 私は夢の世界を漂っていたのかもしれません。

 そんな時、私は食卓にノートパソコンを置いて、You Tubeで志ん朝師匠の噺を聴きながら晩酌をやるのが楽しみでした。
 そういうことをやって、なおかつ、終業後の時間には余裕があったのです。

 当然、昇進することもなければ、昇給することもありませんでした。
 それでも良いと、考えていました。
 私の場合、職業=病人なのですから、これが精いっぱいだろうと。

 同じ機関に勤める同居人は順調に昇進し、昇給を果たしていきました。
 同居人の役職では出なければならない打合せや会議に、私は出ることを禁じられていました。
 そういう役職に達していないからだそうです。

 気付けば同居人が講師を務める研修に、若い者に交じって聴講生として参加することも稀ではなくなりました。
 そういう職階だからだそうです。

 後輩からも次々と職階で抜かれていきました。

 そういう世界からは引退したつもりの私でしたが、職場復帰して時間が経過し、少しづつ与えられる仕事が正常化していくにしたがい、私は職場という荒波の中で、いつまでも夢に微睡んでいるわけにはいかなくなったのです。

 誰に昇進で後塵を拝するよりも、夢の世界から抜けなくてはならないという予感を覚えた瞬間が、最も悔しい時でした。
 夢から離れれば、私は万年係長の無能なおじさんでしか無いことは明らかだったのですから。

 そして私は志ん朝師匠の噺を聴かなくなり、少しばかり残業をこなすようになりました。
 しかしそれは、是非とも必要な残業であり、私は部下に押し付けて定時帰りしていただけだと思い知りました。

 この時こそ、私が本当に職場復帰を果たした瞬間だったかもしれません。

 実に職場復帰してから11年間が過ぎてしまっていました。

 荒波をプールだと思い込んで、周りもそれを許してくれていたのです。

 それから4年、気づけば私は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退勤する仕事人間になってしまいました。

 精神障害発症時と異なるのは、落ち込まなくなったこと。
 私はまるで失われた労働時間を取り戻そうとするかの如く、働くようになりました。

 これがどういう結果を生むのかは分かりません。
 しかし、何も変わらないだろうと思っています。
 そんなことをしても、職階が上がるわけでも給料が増えるわけでもありません。
 おそらく頭のおかしい奴がますますおかしくなったと思われるだけでしょう。
 
 夢の世界を卒業して、少しばかり社会の荒波にもまれて、気付けば万年係長のまま退職するのでしょう。

 それでも、精神科医は私の発症から職場復帰、そして現在の仕事、すべてが精神障害者にとってはサクセス・ストーリーだと褒めてくれます。
 小さな精神障害者の世界でのみ、私はその存在を一人前と認められるのです。

 それで良いと思います。
 それで十分です。

 私は私の小さな世界で、私だけに分かる成功を収めたのですから。


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死刑にいたる病

2023年06月13日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日はワクチン接種による発熱が治まらないため、休暇を取りました。
 さらに喘息の症状がみられたため、朝一番で内科に行って大量の薬をもらいました、
 市販薬と違ってよく効きます。
 朝と昼、2回のんだだけで嘘のように楽になりました。

 午後には熱も下がり、Netflixで映画を楽しみました。

 「死刑にいたる病」です。

 キェルケゴールの名作「死に至る病」とは関係がありません。

 24人もの少年少女を痛めつけた末に殺害した連続殺人鬼。
 殺害する前に監禁して痛めつけ、生爪をはがし、それを収集することに喜びを感じる変態です。
 しかし多くのシリアル・キラーがそうであるように、この映画に登場する殺人鬼も極めて魅力的な人物で、多くの人に好かれています。

 阿部サダヲが連続殺人鬼を演じ、逮捕された後、面会にきた法律事務所でアルバイトをする大学生と静かに対話する姿は、まるで聖人のようです。
 

 24人を殺した犯人は法廷で、逮捕されなかったら殺人を続けていましたかと問われ、「それは自分にとって必要なことです」と応えます。

 いわゆるイヤミスと言われる物語です。

 犯人は多くの人を殺し、殺さないまでも支配し、拘置所の中からでも、手紙などを使って獲物を狙っているのです。
 怖ろしい作品でした。 


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副反応

2023年06月12日 | その他

 昨日のワクチン接種の副反応で、今朝は38度の熱に襲われました。
 解熱鎮痛剤を飲み、体温は37度3分まで下がりましたが、それ以上は下がらず、一日、寝ていました。
 発熱した頭でぼうっと雨が降る外を眺めていると、そろそろ良いかなという悪い考えに捕らわれました。
 そういえば気管支をやられ、三日ばかり入院した時も、自らの死を考えました。
 ちょっとでも体調を崩すと、気弱になる自分がいて、嫌になります。

 


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ワクチン接種6回目

2023年06月11日 | その他

 今日は掛りつけの近所の内科で6回目のワクチン接種を受けました。
 私は高脂血症という持病があるため、人より早く受けられるようです。
 1回目から4回目と、今回の6回目はいずれもその内科で受けています。
 5回目だけは、薬が不足しているということで、集団接種会場で接種しました。

 まさか6回もワクチン接種を受けるとは考えてもいませんでした。
 世間の雰囲気はもうコロナは終わった、という感じですが、医学の世界ではまだまだコロナは続いているようです。


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ジャケット

2023年06月10日 | 散歩・旅行

 今日は散歩がてら夏物のジャケットを買いにそごう千葉店に出かけました。
 ジャケット購入が主たる目的ですが、散歩も、ということで、千葉神社にお参りしました。
 北斗七星を祀る珍しい神社で、正月などは馬鹿げているほど混雑しますが、今日はそこそこの人出で、ゆっくりできました。
 千葉市の中央部を散歩して、そごう千葉店へ。

 私は夏物のジャケットはベージュの物と水色の物を持っていますが、少々くたびれてきたので新品を購入しようと思ったのです。
 もちろん、カジュアルはスコッチ・ハウスと決めています。
 ここのMサイズはシャツでもジャケットでも、誂えたようにぴったりなので。
 で、青のジャケットを購入。
 約6万円と安くは無いですが、私ももうおっさんですので、そのくらいの物は持ちたいと思います。

 6月13日が私たちの結婚記念日で、しかも今年は25周年の銀婚ということで、来週の土曜日、高級鮨店を予約しています、
 それに先立ち、実家の母から高級和牛を大量に送ってもらいましたので、今宵はしゃぶしゃぶといきたいと思います。
 私は焼肉はくどくて好まないのですが、しゃぶしゃぶなら油を落として食えるので、わりと好きです。
 久しぶりのしゃぶしゃぶを堪能したいと思います。


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昼ビール

2023年06月04日 | その他

 昨日の午前中の大雨はどこへやら、今日は朝からよく晴れて気温が上がり、すっかり初夏になりました。
 午前中の光を浴びたいと、午前10時から2時間も、一週間分の食料の買い出しも含めて近所を歩き回りました。

 私はかつて月夜の幻想的な美しさを愛し、暴力的に明るい午前中の日光を嫌っていました。
 しかしいつの頃からか、月夜を好む性癖はそのままに、午前中の強烈な太陽をも愛するようになりました。

 朝の光は不健全な私の精神をわずかばかり健康な物に導いてくれる気がします。

 歩き疲れて家に帰り、購入した食材を冷蔵庫に収納したら、猛烈に生ビールが飲みたくなりました。
 で、近所の蕎麦屋に出かけ、中生と板わさを注文。
 生ビールをごくごく飲み、渇きを癒しました。

 日曜日の昼に飲む生ビールは格別です。
 私は夜飲んでも赤くなることは無いのですが、昼酒を呑むとひどく顔が火照ります。
 昼酒は効くと言いますが、本当です。
 中生一杯で良い気持ちになってしまいました。
 上がりにざる蕎麦を一枚食し、90分にも及ぶ長い昼食を終えました。

 帰宅してから、Netflixで「ヒトラーと共犯者たち」というドキュメンタリーを観ていたらなんだか眠くなり、そのまま昼寝。
 2時間も眠ってしまいました。

 最近は地上波もBSも観なくなり、Netflixばかり観ています。
 J:comに切り替えて良かったと思います。

 そうこうしているうちにもう16時半。
 これから風呂に入って焼酎です。
 つまみは鯖の塩焼きとバラン酢サラダというお惣菜、それにスーパーフルーツトマトです。

 明日からはまた5日間地獄のような平日が始まります。
 晩酌はほどほどにしておかないと仕事に支障が出るので、抑え目にしたいと思います。


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主治医引退

2023年06月03日 | 精神障害

 今日の夕方、精神科の診察があります。
 私の主治医、今月で引退のため、最後の診察となります。

 うつ病発症から躁転が起こって病名が双極性障害に変わり、8カ月に及ぶ長い病気休職を乗り切って寛解にいたり、15年以上、再発していません。

 主治医とはもう16年もの付き合いとなります。

 まだ50代後半に見えますが、疲れてしまったのでしょうか。

 主治医が代わっても、私は一生躁を抑える薬を飲み続けなければなりません。
 高血圧を抑える薬のような物です。
 新しい医師との相性が良ければいいのですが。


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