昨日、今日と職場の上層部はざわついています。
というのも、申請している億単位の補助金の内定が、明日届くからです。
職場のトップは、これが通らなければ辞職する、とまで言っています。
何度も書きましたが、国立大学などの国立の教育研究機関は、毎年予算が減額され、研究者も事務職員も、口を開けば補助金や助成金など、金をとってくる算段の話ばかりです。
こんなことでは、研究者は研究や教育にさく時間が削られ、事務は毎日電卓やエクセルとにらめっこで神経をすり減らし、わが国の学術行政は先細り。
国家百年の大計であるところの、教育研究は、まるで沈みかかった船のようです。
昨夜、奥田英朗の長編「ナオミとカナコ」を読了しました。
知りませんでしたが、ドラマ化もされているようです。
この作者の作品はかなり読んでいます。
大きく分けて、ユーモア小説と、犯罪に材をとったものに分けられるかと思います。
しかし犯罪の小説もいわゆる謎解きを主眼とする推理小説ではなく、一種の心理劇の様相を呈し、そこはユーモア小説と一脈通じるところです。
で、「ナオミとカナコ」は犯罪を題材にしたもの。
大手百貨店に勤めるナオミは東京で独り暮らし。
学芸員になりたかったナオミは、百貨店が運営する美術館での勤務を望みますが、29歳になる今もかなえられません。
ナオミの学生時代からの親友、カナコは大手都市銀行勤務のエリートサラリーマンと結婚し、専業主婦におさまりますが、夫はDV野郎で、カナコはいつもどこかに傷や痣を負っています。
久しぶりに会ったナオミとカナコ。
ナオミがカナコの顔の痣に気づき、問い詰めると、カナコは夫の暴力癖を告白します。
それに衝撃を受け、憤慨するナオミ。
離婚を勧めますが、カナコはそんなことを言い出したら暴力どころか殺されてしまう、とおびえるばかり。
百貨店の大得意で認知症の老婆や、中国人女実業家、さらにはカナコの夫と瓜二つの中国人青年などが登場し、これらの人々をつなぎ合わせ、DV夫を殺害する計画をナオミが思いつきます。
ナオミもカナコも最初は躊躇し、人を殺すことなんてできるのかと自問自答しますが、やがて殺害への道が加速度をつけて語られます。
そして読者は、心理的に二人の加害者となっていかざるを得ません。
つまらない仕事に精を出すナオミも、夫の暴力におびえるカナコも、殺人という難事業を成し遂げることで、現状を打破しようとするのです。
多くの読者もまた、つまらない日常に不満を持ちながら、一歩踏み出すこともなく、惰性で生きていることでしょう。
ナオミとカナコはそんな読者にとって、一筋の光明に見えます。
少なくとも、私はそうでした。
計画は完璧で、カナコの夫は警察で単なる失踪と処理され、めでたしめでたし、となるはずでした。
ところが夫の妹が、異常なまでの執拗さで失踪では無いと信じ、警察に出向いたり、探偵を雇ったりして、事件の真実を暴こうとします。
そしてたどり着く真実。
ついに警察も動き出します。
ナオミとカナコは、決して罪を認めないと約束し、必死の逃避行に出るのです。
もちろん殺人は許されることではないし、DVを受けているならそれなりの社会資源を活用して離婚するなり別居するなりすべきでしょう。
しかし現状打破の、祈りにも似た二人の思考は、ただただ魔術的に堕していき、ついには自らが考え出した魔術的思考の虜になって、殺人ではなく、この世に存在してはいけない人間を排除しただけだ、と自らを正当化するのです。
殺人へと追い詰められていく様子が丹念に描かれた後、今度は逃走へと追い詰められていきます。
絶望的な状況におかれても、二人はどこか明るく、未来を信じている様子です。
国外へ逃げて、二人で生きていくことを誓う、空港でのシーンで、物語は終わります。
二人は逃げとおせるのか、逃げられたとして異国の地でどうやって生きていくのか、読者は二人を心配こそすれ、非難する気持ちが起きません。
平凡な主婦と普通のOLが堕ちた暗黒が、なぜ明るく描かれるのか、なぜ二人を応援したくなるのか、それは私にもまた、祈りにも似た現実逃避への暗い欲望が潜んでいるからにちがいありますまい。
ナオミとカナコ | |
奥田 英朗 | |
幻冬舎 |
ナオミとカナコ DVD-BOX | |
広末涼子,内田有紀,吉田羊,高畑淳子,佐藤隆太 | |
ポニーキャニオン |
午前中、かかりつけの内科で胃の検査を受けました。
胃なんか痛くもかゆくもありませんが、かかりつけ医が、40代後半になろうというのに胃の検査をしたことが無いというのは甚だ剣呑だというので、しぶしぶ受けることになった次第です。
かかりつけ医は、鼻に麻酔をかけて鼻から胃カメラを入れるから、全然楽だよ、なんて言っていましたが、あにはからんや。
鼻からのどにかけて強烈な違和感を感じ、涙はぽろぽろあふれてくるは、おえっとえづいて大きなゲップが出るは、涎はだらだら垂れるは、生きた心地がしませんでした。
楽にしてください、なんて胃カメラ用に雇われているらしい若い医師は涼しい顔ですが、楽にやってくれなきゃ楽になるはずないやんけ、と心の中で毒づきました。
検査は7、8分で終わりましたが、永遠にも感じられました。
結果は異常なし。
検査結果をもとに15年来の付き合いになる50代のかかりつけ医の診察を受けました。
検査結果が異常なしだったせいか、最近電子カルテを導入したんだ、すごいでしょう、なんて言いながら、パソコンの画面のカルテを見せて嬉しそうに鼻をふくらませていました。
一瞬、殺意を覚えました。
昨日はまたもや都内散歩に出かけました。
まずは都営大江戸線の麻布十番駅で下車。
麻布十番商店街をぶらぶら。
私が学生の頃は麻布にありながら庶民的な感じのする商店街でしたが、カフェやカジュアル・フレンチが立ち並ぶしゃれた感じに変貌していました。
私が学生だったのはもう25年も前のことですから、変化するのも無理はありません。
時の流れを感じます。
そんな麻布十番のレストランで薄切りのステーキを食しました。
その後暗闇坂から麻布ヒルズを横に見ながら有栖川宮記念公園へと向かいました。
麻布ヒルズ、立派なマンションでした。
きっと高いんでしょうね。
持参のI Pad mini で調べたら、賃貸の場合、一番狭い1LDKの部屋で月56万円の家賃だそうです。
いったいどういう商売の人が住むんでしょう?
木っ端役人の私には縁の無い世界です。
ため息しか出ません。
有栖川宮記念公園は緑の多い自然公園の赴き。
都立中央図書館が立地していることでも知られています。
池の傍のベンチでしばし休憩。
広尾駅に向かうと、金持ちそうな白人だらけになります。
スーパーを冷やかしたら、品揃えがまるで日本とは思えません。
日本酒のコーナーには、SAKE、と記載されていました。
そして圧巻はワインとチーズのコーナー。
見たこともない銘柄がずらぁっと並んでいます。
大使館が多く立ち並ぶ地域だけに、白人セレブやアラブ人が多いのでしょうね。
そこは冷やかしただけで何も買いませんでした。
珍しいだけで、欲しいものはありませんから。
聖心女子大学のほうを抜けて、常盤松方面へ、。
常盤松の岡に建つ日本コカ・コーラにびっくり。
25年前はしょぼくれた4階建てくらいのビルでしたが、全面ガラス張りの立派な建物に変貌していました。
日本コカ・コーラの横を歩いて表参道駅へ向かうのが私が大学生の頃の登下校のルート。
あらゆるものが変化していきます。
無常ですねぇ。
青山学院大学の横を通って青山通りへ出ました。
さすがに疲れたので、喫茶店で濃い珈琲をいただき、体を休めて東京メトロの表参道駅から帰路に着きました。
しばらくは散歩を楽しむのに適した季節が続きそうです。
さて、来週はどこを歩きましょうか。
オバマ大統領が広島を訪問とか。
長い間米国では、原爆投下は本土決戦を避ける動機になり、結果として多くの米国人・日本人の命を救った、として正当化されてきました。
そういう面が無いとは言いませんが、無差別大量殺戮であることは間違いなく、無理目な理屈だと思います。
今回、オバマ大統領は戦争被害者すべての慰霊のために広島という象徴的な町を訪れるのであって、原爆投下を謝罪するものではない、とのことです。
そりゃそうでしょうねぇ。
謝罪などしたら、米国世論が黙っていないでしょう。
しかし、71年間誰一人として広島もしくは長崎を訪れた米国大統領はいないわけですから、訪問するだけでも大きな一歩と言えるでしょう。
思えば8年前、かの大統領は核なき世界を目指すと演説してノーベル平和賞を受賞しました。
その流れにそうものなのでしょう。
じつは私は被爆2世。
母が幼い頃長崎で被爆しています。
母は75歳になる今も健在ですから、被爆による健康被害はほとんどなかったのでしょうね。
幸いなことです。
変なことを言うようですが、原爆で亡くなった方は碑に名前を刻され、手厚い供養を受けてきており、戦争被害者のなかのエリートのような感じがします。
通常の爆弾で亡くなった方も、戦争被害者であることに変わりはないのに。
まぁ、それはさておき。
核兵器が全廃される事態は現時点では想像すらできませんが、牛歩の歩みであっても、核兵器はもちろん、すべての武器が全廃される日を夢見ることは、悪くないでしょう。
今日はずいぶん蒸しました。
私の職場では、冷房が入るのは6月から。
しばらくはむし暑さに耐えなければなりません。
今は冷房が普及していますから、職場は快適ですが、その昔はどうやってしのいでいたのでしょうね。
暑くて仕事にならなかったのではないでしょうか。
職場で出る汗は、気持ちの良いものではなく、冷や汗だったり油汗だったり、脇汗だったりということが多いようです。
それだけ嫌なことが多いのでしょうね。
私の職場の先輩が、定年を一か月後にひかえた頃、「ご赦免船が見えてきた」、と言っていたのが印象的です。
働くことを、島流しに例えているのですね。
私は22歳で就職しましたから、懲役38年。
あと13年と10ヶ月、刑期が残っています。
それでも24年と2ヶ月、お勤めしました。
長い懲役ですねぇ。
最近、夢を見なくなりました。
うつ状態が激しい頃は、虫だらけのプールに投げ込まれて溺れたりする、グロテスクな夢をよく見ました。
歯が抜ける夢もよく見ましたね。
これはなかなか怖ろしいものです。
朝、目覚めて歯が抜けていないことを確認するほどリアルな夢でした。
それも連日悪夢が続いて、難儀したことを覚えています。
金縛りもずいぶん経験しました。
古く、日本では悪夢を、寝怖(ねおび)る、と呼んだそうです。
なるほど、寝て怯えるのですね。
私は夢判断のようなものを胡散臭いと思っています。
そもそも睡眠のメカニズムは全容が明らかになっていないのですから、悪夢についても簡単にその理由を知ることはできないでしょうね。
眠るということは、気持ち良いものですが、考えてみるとこれほど無防備な状態も無いわけで、かつて猛獣に襲われる危険と背中合わせで生きていた原始の人々にとっては、眠るということは命がけでもあったことでしょう。
そうであってみれば、私たちが悪夢に襲われることがあるのも当然かもしれませんね。
日々命の危険を感じることなく、暖かい布団で眠れる僥倖に恵まれたのは、人類の歴史のなかでは最近のことなのでしょう。
その僥倖に感謝して、ゆっくりと眠りたいものです。
整形外科を受診してから一週間。
その間、痛み止めと筋弛緩剤の錠剤を服用し、痛み止めの湿布を貼り、月・水・金と3回首の温めと牽引のリハビリを受け、痛みは大分治まりました。
朝2時間休暇を取り、一週間ぶりに診察を受けました。
一日3回だった薬は2回に減りました。
ただし、リハビリは週3回、最低一か月は続けるように指示されました。
まずは良かった。
痛むというのは辛いですからねぇ。
右手の握力もだいぶ回復しました。
大したことにならなくて本当に良かったと思います。
昨日は一日かけて、日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロの長編「わたしを離さないで」を一気に読了しました。
読み始めたら、I can’t stop という感じで、引き込まれました。
ヘールシャムという特別な施設で育った女性、キャシーの独白という形式で、物語は進んでいきます。
ヘールシャムというのはいかなる施設なのか、最初は分かりません。
そこで保護官と呼ばれるどこかぎこちない態度の教師たちに、もっぱら絵画や詩の製作を教わる生徒たち。
彼らの将来は、すでに決まっています。
それは介護人と呼ばれる仕事に就き、その後は提供者と呼ばれる存在になること。
ネタバレになってしまいますが、ミステリーではないので良いでしょう。
ヘールシャムとは、臓器提供のために生み出されたクローン人間の教育施設なのです。
クローン人間とはいえ、そこは人間。
嫉妬や妬み、恋愛、人間関係の悩みなど、当たり前の人間の感情が、精緻に、しかも抑えた筆致で淡々とつづられます。
提供者などになりたくない、普通に働きたい、という切実な悩みが描かれたり、真に愛しあっているカップルは、それが真の愛だと証明されれば、提供を猶予される、などといったもっともらしい噂が飛びかったりします。
それは彼ら彼女らの切実な思いが形になったもの。
噂にこそ真実が隠されているのかもしれません。
やがてキャシーは優秀な介護人になり、異例なことに10年以上介護人を続けてもなお、提供の通知が届きません。
キャシーはヘールシャムで仲良しだったルースの介護人になり、ルースは2回目の提供で使命を終えます。
決して死ぬとは表現されません。
使命を終えると書かれます。
その後キャシーはヘールシャムで親友だったトミーの介護人になり、二人は恋愛関係に陥り、病室で情交を繰り返します。
しかしトミーが3度目の提供を終え、4度目の通知が来るにおよび、キャシーが介護人であれば、最後の姿を見られてしまうと恐れ、介護人を代えてしまいます。
案の定、トミーが4度目で使命を終えたことを、風の便りにキャシーは知るのです。
物語はここまでで、キャシーが提供者になってからのことは描かれません。
クローン人間の悲哀を描いた映画に、往年の名作「ブレード・ランナー」というのがありました。
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ワーナー・ホーム・ビデオ |
この映画ではクローン人間はレプリカントと呼ばれ、人間とは何か、生命とは何かと鋭く問いかけました。
私はこの映画を繰り返し観て、そのたびに魂を揺さぶられたものです。
「わたしを離さないで」は抑えた筆致、ありがちな人間関係のトラブルを丹念に描きながら、臓器移植の問題、そのために生み出された人々の悲哀が問いかけられ、涙なしには読むことができませんでした。
まさに、魂を揺さぶられる名作です。
映画化もされているようですから、観てみましょうか。
是非、ご一読を。
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最近本当に日が長くなりました。
帰宅するのは概ね17時半頃。
家に着くのが18時頃。
まだまだ明るいのが嬉しいですねぇ。
思えば私は朝型人間。
暗いだけで気分が沈みます。
そういえばうつ状態が激しい頃、なぜか夕陽を見ると悲しくなり、夕方、一人涙したりしていました。
それも今は昔の物語。
今は夕陽であっても、明るいのが嬉しく感じられます。
これからまだ日は伸びます。
日差しを楽しみたいものです。
首や肩の痛みのせいか、仕事がうまくはかどらず、ために精神的に落ち込み、今日は休暇を取ってしまいました。
朝職場に電話をかけて突然休むというのは、なんだか罪悪感があります。
有給休暇はいつ取っても良い労働者の権利なのですがねぇ。
朝一番で整形外科にリハビリに行き、肩の温めと首の牽引を行いました。
これをやると、少し楽になります。
お昼はコンビニで買った塩焼きそばで済ませ、午後は新聞を読んだり、昼寝をしたりしてのんびりすごしました。
目覚めて、魚屋と八百屋に行き、中落ちとホタルイカ、スーパーフルーツトマトとセロリを購入。
火を使う料理が億劫でしたので、そのような買い物になりました。
買い物から帰って、洗濯。
我が家では、水曜日と日曜日が洗濯日と決まっています。
日曜日は朝洗濯をしますが、水曜日は平日のため、夜。
面倒くさいことこの上ありません。
その後風呂に入って、今、大相撲中継を見ています。
今日も白鳳と希勢の里の二人が勝って、全勝を守りました。
今場所は見ごたえのある展開になっていますね。
18時半頃同居人が仕事から帰ってくるので、そうしたら軽く一杯やりたいと思っています。
朝はひどく憂鬱でしたが、夕方になって少し持ち直してきたようです。
朝調子が悪くて夕方良くなるのは、うつ状態の典型です。
まだ休まなければならないほどは追い込まれていません。
なんとか痛みと仕事、乗り切りたいのもです。
今日は痛み止めと筋弛緩剤を飲み、痛み止めの湿布薬を貼って出勤しました。
頸椎椎間板ヘルニアによる激しい痛みは少し和らぎましたが、働いているとどうしても首を動かしてしまうので、痛みはなかなか取れません。
首を引っ張るリハビリ、週に2~3回やるように言われましたが、医者の言うとおりきちんとやったほうがよさそうです。
なにしろ痛いというのはしんどいものです。
90歳を過ぎた義理の祖母が、「あちこち痛くてかなわない」と呟いたら、外科医の親戚が、「もう死ななきゃ治らねぇ」と言い放ちました。
まさか40代後半で、死ななきゃ治らねぇ、なんてことは無いと思いますが・・・。
大丈夫ですかねぇ。
ここ数日首や肩の痛みに悩まされていることは、このブログでご報告したところです。
今朝も痛みを我慢しつつ出勤しましたが、右手がしびれてくるにおよび、これは尋常ではないと悟り、出勤してわずか2時間で早退し、職場近くの整形外科を受診しました。
結果は寝違えではなく、首の椎間板ヘルニア。
まさにこんな感じです。
なんでも首には7本の骨があり、レントゲン撮影の結果、上から6番目と7番目の間の椎間板が極端に狭くなっており、それが神経を圧迫して痛みやしびれを生じさせているのだとか。
寝違えだとばっかり思って快癒するのを待っていたのに、これでは良くなるはずがありません。
この図のような問題だそうです。
治療方法は、筋弛緩剤と痛み止めを飲み、なるべく安静にして週に2回くらい病院で首を伸ばすリハビリを行うことだそうです。
腰と異なり、首は手術することはまずないそうです。
そりゃそうでしょうねぇ。
首ですからねぇ。
なんだか面倒くさいです。
私は34歳の時緑内障を発症し、今も目薬を毎日差しています。
それでも、左目の視野の一部が欠けています。
また、31歳の時突発性難聴という病気にかかり、ステロイド剤の大量投与で大分良くなりましたが、右耳に軽い難聴が残りました。
そして36歳でうつ病を発症。
その後躁エピソードが起きて病名は双極性障害に変わり、今も一ヶ月に1度精神科に通院し、服薬を欠かせません。
今度は首の椎間板ヘルニアですか。
やれやれ。
若い男は落とした女の数を自慢し、老人はかかった病気を自慢する、と言ったのは石原慎太郎でしたか。
人生というもの、まるで週刊誌のように、前半には華やかな記事ばかりが並び、後半は広告ばかりで読むべき記事が無いかの如くです。
同居人は去年の夏、子宮奇形腫という病気で手術を受けました。
職場の一つ上の先輩は腰の手術をしました。
一つ下の後輩は禿げ上がりました。
40代後半ともなれば、必ずと言ってよいほど、どこかにガタがきます。
ガタを隠しながら、あるいは治療しながら、世間の中高年はどうにかこうにか働いているのですねぇ。
同世代、さらにその上の世代が愛おしく感じられます。
ようやっと、綾小路きみまろの中高年ネタが理解できるようになったようです。
今日もすばらしい陽気でしたね。
今朝は7時に起きてシャワーを浴び、ハムエッグとお新香で朝飯を食いました。
少し食休みをして、洗濯をし、掃除機をかけ、さらに便所掃除もして、布団を干しました。
なんとなく仕事ちっくですが、9時半には一とおり済ませました。
同居人は朝が苦手なので、日曜日の家事は大方私がやることになります。
その後、読書を楽しみました。
なんとなく嫌な感じのする男を主人公にした中篇3編を収めた吉田修一の「熱帯魚」です。
子連れの美女と、子供の頃親が再婚し、連れ子どおしだったために義理の弟となった青年と、奇妙な同棲生活を送る大工の青年。
ゲイの大学教授と仲良しで、それがスパイスになっています。
義理の弟は引きこもりがちで、熱帯魚を飽きずに眺めています。
で、この大工、なんというか心が狭いというか、自分ひとりの鬱屈にとらわれて、乱暴を働いたりします。
これが「熱帯魚」。
彼女にDVを働き、怒った彼女が主人公の親友と浮気してしまいながら、許さない、ということの意味がどうしても分からないひねくれ者を描いた「グリーン・ピース」。
会社の休暇を利用して房総の民宿でバイトし、その間に民宿の奥さんで心を病んでいるらしい中年女をそそのかして東京につれて来ながら、電車で帰れなどとひどいことをぬかす青年サラリーマンを描いた「突風」。
3作品に共通しているのは、何かの鬱屈を抱え、他人に迷惑をかけるような突飛な行動を取りながら、鬱屈ゆえにその姿を肯定的に描いている、いやぁな感じです。
しかしこれらは、私小説だとか無頼派だとかを珍重してきたわが国近代文学の系譜を、正統的に踏襲したものと言えるように思います。
そのために、3作品ともが、突飛なうようでいて、どこかで読んだような既視感に襲われ、もうひとつ楽しめません。
私は吉田修一の作品を好んでいますが、このような描き方は、なんだかやっつけ仕事のようで好みません。
まぁ、弘法も筆のあやまりということにしておきましょう。
熱帯魚 (文春文庫) | |
吉田 修一 | |
文藝春秋 |
昨日は最高の陽気に恵まれ、今散歩せずにいつ散歩する、という同居人の力強い言葉にも勇気付けられ、まずは中目黒を目指しました。
東急の中目黒駅に降り立ったのが午前11時。
風情ある目黒川沿いをしばしぶらーり。
目黒川の両脇に生える若葉がまぶしく感じられました。
まさしく命のきらめき。
水位がずいぶん低かったのが気になりました。
あれでは船は無理でしょうねぇ。
中目黒から代官山方面へ歩くと、わずか100円で大正浪漫溢れる朝倉邸を見学できます。
東京府議会議長を務めたという人物のお邸。
立派な家と庭園。
あんな家に住んでみたいものです。
さらに少し歩くと、代官山駅に到着。
代官山というのは奇妙な町です。
お洒落と言ってよいのでしょうか、生活感の無い服屋や飯屋が並び、どこにでもあるはずの蕎麦屋や中華屋、ファミレスなどが存在しません。
仕方が無いから生活感の無いイタリアンで昼食を摂りました。
ペットショップがあったので冷やかすと、ポメラニアンに100万円の値札がついていて、びっくり仰天。
一番安いペットでも30万円はします。
千葉市のペットショップなら、少し成長してしまった犬なら3万円で買えるのに。
なんだか落ち着かない気分ながら奇妙な物見たさで代官山をしばし散策。
さらに足を伸ばして渋谷駅西口まで歩きました。
予定ではここから電車に乗って帰るつもりでしたが、まだ14時だし、そんなに疲れていないので、表参道まで歩こうと鳩首協議し、西口からハチ公口へ出て、今では外国人観光客の人気スポットとなったスクランブル交差点を横に見つつ、東口に回り、青山通りに出て表参道を目指しました。
青山通りも洒落た通りということになっていると思いますが、代官山のような違和感はなく、むしろ普通の大通りです。
予定の表参道駅に到着するも、まだまだ、とばかり、神宮外苑まで歩いてしまいました。
さすがに疲れて、神宮球場近くのベローチェで一服。
疲れが癒えたところで、絵画館前広場を抜けてJR信濃町駅から電車に乗りました。
中目黒駅に着いたのが11時。
信濃町駅が15時半。
よく歩きました。
ちょー気持ちいぃ。