ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

日曜日

2021年06月20日 | 美術

 昨夜、少々飲みすぎたようで、今朝は食欲がなく、珈琲を2杯飲んだだけで、朝食は抜きました。
 何もやる気が起きず、かと言って、もう眠れないと思い、伸びた髪が気になって、床屋へ散髪に行きました。

 床屋の旦那はおしゃべり好きで、煩わしいことさえありますが、今日は会話が脳を刺激したのか、少し、元気になりました。

 帰宅して、ソファで眠ってしまいました。
 目覚めたらもう11時半。

 さすがに腹が減って、近所の蕎麦屋に行きました。
 食ったのはとろろ蕎麦。
 蕎麦屋に行くと、大体とろろ蕎麦か鴨せいろを食します。
 コロナで酒類の提供が自粛になる前は、食前に一合の酒を冷やでやるのを慣例としていました。
 そのほうが蕎麦が旨くなるし、食欲もわくからです。
 でも今は、それも堪えねばなりません。
 
 蕎麦屋のスターメニューである天ざるを頼むことはありません。
 揚げ物は好みませんので。

 とろろ蕎麦を食って満足し、その足でスーパーに一週間分の食料を買いに行きました。
 納豆とか卵とか、ハムとかソーセージとか、塩辛とか糠漬けとか、そんな物です。
 そして忘れちゃいけないのが晩酌用の焼酎です。

 今晩のつまみは、アジの塩焼きとオクラ、長芋の千切りとフルーツトマトにしました。
 我が家の食卓にトマトは欠かせません。
 生来トマトが好きで、幼い頃はトマト坊やと呼ばれていたそうです。
 覚えてはいませんが。

 買い物から帰って、珈琲をいただきました。

 蕎麦屋の難点は、食後にゆっくりするのが憚れること。
 食ったらとっとと店を出なければなりません。

 で、食後の珈琲は帰宅してからになります。

 珈琲を飲みながら、新聞を読みました。
 新聞というのはそもそも良くないことが記事になることが多いようで、中国の横暴を責めるものとか、コロナがどうしたとか、そんな記事どもです。

 そんな風にして、日曜日を過ごしています。
 明日からの一週間を考えると憂鬱になるので、なるべく考えないようにして。

 いかにも小市民的ですが、小市民ですから仕方ありません。
 その小市民の頭の中は、かなり錯綜して、あまり小市民的ではありません。
 生活が小市民的であればあるほど、私の頭はこんがらがっていくようです。

 前衛絵画のように。

 そんな時はモローの画集を眺めます。
 神秘的で幻想的で、過去の夢幻をあらわしたような絵画群。
 突如フランスに現れ、孤高の画家として作品を描き続けた異端の人。

 こんがらがった頭には、素直に入り込める作品世界。

 画集で精神を高揚させ、高揚は私の精神を不思議な安定へと導きます。

 落ち着いてきたところで、風呂、それに晩酌にしよう思います。
 過ぎ行く日曜日を惜しみながら。 


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ギュスターヴ・モロー展

2019年04月28日 | 美術

 今日はパナソニック汐留美術館に出かけました。

 お目当ては、ギュスターヴ・モロー展。

 この人は、私がもっとも偏愛する画家です。




 今回は、女性の絵画を中心とする展覧会でした。

 サロメやセイレーン、一角獣と美女等、神話や文学に登場する悪女や化け物、淑女などを幻想的かつ美的に描いた作品群で、毎度のことながら、圧倒されました。

 特に、船乗りを美しい歌声でおびき寄せ、殺してしまう海の化け物であり美女でもあるセイレーンを描いた絵には釘付けになり、その絵の前からなかなか去ることが出来ませんでした。

 象徴主義の巨匠であり、マチスやルオーにも大きな影響を与えたモロー。

 この人が居てくれて、本当に良かったと思わされました。


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激動の時代の芸術

2018年10月14日 | 美術

 今日は千葉市美術館に出かけました。
 ある方から招待券を頂いたので、たいして興味のない展覧会でしたが、もったいないので。


 
 1968年激動の時代の芸術、というのを観てきました。

 千葉市美術館は、市立にしては予算があるのか、鏑木清方展など、洒落た展示をやるので、好事家の間では有名ですが、今回のはいただけません。

 美術というより、特殊な時代を懐かしむだけの展示でした。

 がっかり。


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浮遊する(密やかな楽しみ)

2018年08月17日 | 美術

 私は美術館に行った折、気に入った絵があると絵葉書を購入します。
 展示図録などは重いし高いし、何より好きになれない絵も多数掲載されているからです。

 最近、溜め込んでいた絵葉書を、自室の壁や書棚の壁面に貼りつけ、それを眺めながらお香をたいて独り、悦に入ることが多くなりました。

 それらお気に入りは、大体幻想的なものか抽象的なものです。


 



 私が幻想的な絵画や文学、映画を好むところ、人後に落ちるものではありません。

 同居人はそんな密やかな楽しみを得た私に、なんか、新興宗教みたいだとか浮遊する絵が多いね、君の人生と一緒だ、などとほざきよります。

 一ヶ月ちょっと前に薬の調整があってから、なんとなく調子が良くなり、おかしなことを始めたように見えたのでしょう。

 しかし私に言わせれば、それが本来の私であって、何も現実逃避をしているわけではありません。

 夜をそんな風に過ごすため、最近は呑まない日が増えて、肉体と精神双方に良い、一石二鳥の循環です。


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岡本神草の時代展

2018年07月01日 | 美術

 梅雨が明けて、本格的に暑くなりました。

 昨日は千葉市美術館に出かけました。

 岡本神草の時代展を観るためです。

 大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、38歳の若さで亡くなってしまいますが、極端な寡作で、完成した絵はいくつもないとのことで、未完の絵画が多く展示されていました。

 日本画の展覧会ということで、着物で行くと2割引。
 こういうの、結構あります。

 今年初めての夏の着物で出かけました。

 美人画というよりは、どこか不気味な、幽霊画のように観えました。






 永久に完成せざる藝術は無限に進歩する。完成の刹那、藝術は命を失う、とは、彼の名言です。
 
 私の精神に激しく感応する作品が無かったことは残念です。


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「画壇の悪魔派」と呼ばれた日本画家

2017年12月11日 | 美術

 今日は年休。
 今日を含め、年休があと3日残っていますので、年内に使いきらなくてはなりません。

 昨日は千葉市美術館に出かけました。

 「北野恒富ー画壇の悪魔派と呼ばれた日本画家ー」展を観るためです。



 明治から昭和初期にかけて活躍した美人画家で、京都の上村松園、東京の鏑木清方と並び称せられる、大阪の大家です。

 印象としては、美人画がまるで幽霊画のように見える作品が多いこと。

 特に能の「班女」を題材にした「狂女」という作品は衝撃的で、小一時間もその絵の前に立ち尽くし、呆然と眺めていました。
 おかげで疲れてしまい、他の絵をじっくり観る気が失せてしまいました。

 「班女」は、恋しい男が扇を置いてこなくなってしまった遊女が、扇ばかりを見つめ、狂ったようになってしまう物語で、「狂女」からは狂おしいまでの男を思う女の気持ちがあふれ出て、私を圧倒しました。

 疲れましたが、疲れる美術展というのは良い展覧会なのだと思います。
 疲れるほどに絵画鑑賞に熱中できた、ということですから。


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仏像が芸術になった時

2017年11月10日 | 美術

   今日において、仏像や仏画、仏教建築などが、美術作品であることに異論をはさむ人はほとんどいないでしょう。

 しかし、それらが制作され、人々の信仰の対象のみであった時代においては、美術作品という認識は薄かった、もしくは皆無であったのではなかろうかと推量します。
 もっといえば、美術とか芸術とかいうものは、明治以降、西洋の思想を取り入れた時に生まれた概念で、それまでのわが国には、そもそも絵や彫刻は存在したにしても、それらを総称して美術とか芸術とかいう意識は無かったんじゃないかと思います。

 それらはあくまで、絵であり、彫物であり、音曲であり、物語であり、戯作であったことでしょう。

 明治初期、わが国で芸術や美術ということを強烈に印象付けたのは、浮世絵が西洋に与えた強い影響だったのではないかと思います。
 わが国においては、浮世絵はそれほど重要なものではありませんでした。
 しかし、西洋でジャポニスム運動が起こることで、改めて浮世絵が見直され、同時に、美術や芸術が優れていることは、国威発揚にまでつながることを実感したものと思います。

 で、仏教美術などの宗教的芸術。

 明治4年に布告された古器旧物保存方では、宗教的芸術作品に、美的価値を見ず、もっぱら歴史的価値のみを認め、保存すべきとしています。

 古器旧物ノ類ハ古今時勢ノ変遷制度風俗ノ沿革ヲ考証シ候、とされています。

 ところが明治30年の古社寺保存法では、一転して、宗教的芸術に、歴史的価値とともに、美的価値を見出しています。

 歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範トナルベキモノ、と記載されています。

 明治4年から明治30年の間に何があったのでしょうね。

 西洋諸国を視察して、キリスト教美術が非常に重視されていることを学んだこともあるでしょう。
 また、フェノロサと岡倉天心を中心とする仏教美術の調査もあったでしょう。
 廃仏毀釈を止めようとする運動もあったことでしょう。
 芸術論や美術論が活発に交わされたこともあったでしょう。

 それらが複合的に積み重なって、わが国の人々の間に、芸術とか美術とかいう概念が定着していったのでしょうね。

 
では、それら宗教、主に仏教美術の保有者であった、寺院の僧侶たちはそれをどう捉えたのでしょうか。
 信仰の対象である仏像や仏画が、浮世絵と同様の扱いを受けることは、耐え難かったのではないかと思います。

 現在でも、秘仏などと称して、何年かに一度しか開帳されない仏像がありますし。

 宗教的表象であり、なおかつ美術作品であるというのは、相容れないもののような気がします。

 
しかし、宗教と芸術を同様のものと見る考え方をする人々がいます。

 フェノロサがそもそもそういう考え方の人だったようです。

 また、姉崎正治という学者は、以下のような文章を残しています。

 美術の力も、宗教の感化も、凡そ表象によりて表はるる此の神秘力である。此の表象の力を認めることは即ち神秘に入るの源で、神秘は即ち一切真善美の源泉である。

 
これは全く宗教と美術を同一視する考え方で、多くの反論が寄せられました。
 反論には、大きく分けて2種類ありました。

 一つは、牽強付会にして我田引水、要するに結論ありきの暴論だ、と頭から否定するもの。
 もう一つは、博士の宗教は徹頭徹尾芸術的なること是なりという言葉に端的に表されるもので、芸術論としては理解できるが、宗教にあてはめるのは強引すぎる、というものです。

 宗教といっても様々あり、それらを一緒くたにして、神秘力と断じ、しかもそれが美術の力と同じというのは、あまりにも強引だと、私も思います。

 そう思いながら、明治初期においては、歴史的価値を認められるばかりで、美術的価値をほとんど認められていなかった宗教美術に対する認識が、姉崎博士の論には多くの反論があったにせよ、ここまで来たか、という感慨を覚えます。
 ここにまで至らないと、宗教的美術というものは、確固たる地位を占めることが出来なかったのかもしれません。
 そういう意味では、姉崎博士の言論も、価値あるものだと言えましょう。

 
ただし、宗教の感化を、表象によりて表れる神秘力、と断ずることには抵抗があります。

 表象とは外的対象像であり、それはつまり、現実世界であったり、美術作品であったりといった、目に見え、心に印象を残すものでしょう。
 その表象を媒介にして神秘力を認めるというのは、まさに芸術の問題であって、宗教のそれではありません。

 宗教に神秘的な側面があるのは間違いないと思いますが、それだけではありません。
 もっと複雑なものです。

 結局のところ、宗教をどう定義づけるか、あるいは宗教をどう見るか、というところから始めなければなりません。

 それは極めて個人的な問題で、内心の自由、信仰の自由に関わることです。

 私はただ、明治の先人たちの努力により、仏教をはじめとするわが国の宗教上の作品群が、美術作品として認められ、一般庶民でも気軽に親しめるようになったことに感謝したいと思います。 


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地獄絵ワンダーランド

2017年07月30日 | 美術

 昨日は日本橋の三井記念美術館に出かけました。

 地獄絵ワンダーランドを観るためです。



 この美術館、和装で行くと300円割引になることから、当然、夏の着物で出かけました。

 昨日の日本橋、やけに浴衣などの和装の男女を多く見かけるなと思ったら、隅田川花火大会の日だったのですね。

 昼間は日本橋界隈を冷やかし、夕方になったら隅田川を目指そうということでしょう。
 同じ理由で、浅草や銀座にもきっと多くの和装の男女が繰り出したことでしょう。

 和装文化復活を願う私にとって、嬉しい光景でした。 

 地獄絵ワンダーランド、水木しげる先生の地獄絵に始り、様々な時代の地獄絵や、平安時代に書かれた極楽に行くためのハウツー本であり、地獄の有様を活写し、その後の日本人の地獄のイメージを決定付けた往生要集などが展示されていました。

往生要集〈上〉 (岩波文庫)
石田 瑞麿
岩波書店




往生要集〈下〉 (岩波文庫)
石田 瑞麿
岩波書店


 地獄には八つの階層があり、なかでも最下層の無間地獄には、逆さに落下して到着まで二千年もかかり、到着後は鬼から様々に苦痛を与えられるとのことで、往生要集を読んだ変案じ代の人々は震え上がったことでしょう。
 そして当然、極楽往生を強く願ったに違いありません。

 もともと怖いお話が大好きな私のこととて、あまりに熱心に観続けたために、すっかり疲れてしまいました。

 しかしその動機は、美術鑑賞というよりは怖いもの観たさ。

 したがって展覧会場の最後にわずかに設けられた極楽浄土の絵画は退屈なだけでした。

 展覧会を観た後は、珍しく、シンガポール料理で昼食。
 適度な辛さと、アジア人が大好きな旨味を堪能しました。

 その後三越の店内をぶらついて、ベローチェで珈琲を飲んで帰りました。

 良い休日になったと満足しているところです。 


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日本の伝統芸能展

2017年01月21日 | 美術

 今日は北風吹きすさぶなか、日本橋の三井記念美術館に出かけました。
 「日本の伝統芸能」展を観るためです。



 京葉道路から首都高速をとばすこと約40分、都営日本橋地下駐車場に到着。
 歩いて7~8分で目指す美術館に着きました。

 雅楽・能楽・歌舞伎・文楽に関する様々な面や衣装、道具などが展示されていて、圧倒されました。

 わけても、早くになくなった妻をしのんで作製したという女の能面、「おもかげ」に魅了されました。

 その艶やかな面は、職人の魂が吹き込まれたかのごとくで、まるで生きているような錯覚にとらわれました。
 その魂を思うとき、同居人に先立たれたら、私は廃人同様になってしまうのではないかという危惧を抱かせます。

 今日は同居人の48歳の誕生日。
 出会った時、彼女は23歳でした。
 もう25年も経つのですね。

 これからも、末永く一緒にこの世を冒険したいものだと思います。


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ラスコー展

2017年01月07日 | 美術

 今日は上野の国立科学博物館に出かけました。
 お目当ては、ラスコー展

 1940年に、フランスのラスコー洞窟で遊んでいた子供たちが偶然発見したというラスコー洞窟の壁画にまつわる展覧会です。


 
 私はラスコー壁画は一種の落書きのようなものだと思い込んでいました。
 しかし今日、展覧会を見て、それは全くの誤解であったことを思い知らされました。

 2万年も前にクロマニヨン人によって描かれた動物を中心とする壁画。
 それは巨大で、しかも力強い美しさを持っていました。

 実物大の壁画の模型は、私を圧倒しました。

 真っ暗な巨大洞窟のいたるところに巨大な壁画を描くという行為は、一人でできるものではなく、しゃもじのような形状のランプに動物の脂を浮かべ、火をともし続ける役の人、様々な顔料を作る人、そして絵を描く人々の共同作業で進められたと推測されます。

 
 上の写真がランプです。

 2万年前に、ランプを灯してまで巨大壁画を残したクロマニヨン人に脱帽です。

 それは現代で言えば、一種の巨大プロジェクトのようなものだったのではないでしょうか。

 動物の壁画を残そうとする精神、そしてまた、それを集団で行おうとする意思。
 
 まさしく、芸術の誕生であり、巨大プロジェクトの嚆矢と言っても過言ではないでしょう。

 その時代にプロジェクトに携わった人々、そして、壁画を鑑賞した人々の精神を思うとき、私は人間精神の運動の深奥を見る思いで、深い感銘を受けました。

 同時に、この展覧会を強力に勧めてくれた同居人に感謝です。

 行く前は正直面倒くさかったのですが、これほど素朴で力強い感動を与えてくれる絵画は珍しいでしょうね。

 考古学的興味で見ても楽しめるものです。

 是非、お出かけください。


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宇宙と芸術

2016年09月11日 | 美術

 昨日は六本木の森美術館に「宇宙と芸術」展を観に出かけました。

 近未来を思わせるモダン・アートから、宇宙とつながりが深いということで、「竹取物語絵巻」などの古典まで、幅広く展示されていました。

 展示物のいくつかは撮影可でしたので、下に貼っておきます。




 

 






 

 展覧会のイメージがお分かりいただけたでしょうか?

 なんとなく脈絡の感じられない作品群が並んでいましたが、共通しているのは、人間はこれからどこへ向かい、どこへ行ってしまうのだろう、という不安を感じさせることです。

 決して、明るい未来などではありえません。

 数百年かけて、火星を人が住める第二の地球にしようというプロジェクトがあるそうです。

 そんな人智を超えたことが可能なのでしょうか?

 美的体験とは言いがたい展覧会でしたが、人間の行く末を考えさせる力はあったように思います。

 少し暑かったですが、帰りは疲れてぼうっとした頭をしゃっきりさせるため、お隣の麻布十番駅まで歩きました。

 坂がちで少々歩きにくくはありましたが、都内散歩は楽しいものです。


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観音

2016年07月17日 | 美術

 昨日は上野の東京藝術大学美術館に出かけました。
 観音の里の祈りと暮らし展を観るためです。



 会場は観音、観音、如来、如来、といった趣き。

 長浜市の観音や仏像を集めた展覧会です。

 長浜はお土地柄、戦乱の絶えた試しがありません。
 焼失したお寺やお堂は数知れず。
 そのたびに、農民らが仏像を土に埋めたり池に沈めたりして守ってきたそうです。

 国宝やら重要文化財やらはほとんどありませんが、農民たちの切ないばかりの祈りや信仰が感じられて、必ずしも文化的価値が高くない仏像群は、深く私の心を打ちました。

 一時間ばかりかけて如来や観音像を堪能した後、美術館内にあるホテル・オークラのレストランで昼食。

 その後上野公園をそぞろ歩きました。
 不忍池では、間近に鵜を観ることが出来ました。



 蓮も咲いていました。


 

 ボート遊びを楽しむ善男善女も数多く。


 
 わが国は今のところ平和なようです。

 この平和が続くよう、観音に祈りましょうか。


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始皇帝と大兵馬俑

2016年02月13日 | 美術

  昨日は休暇をとりました。
 始皇帝と大兵馬俑を観にいくためです。
 この展覧会、ひどく混雑しているとかで、わざわざ平日に休暇をとって行ったのです。

 高速をとばすこと約40分。
 上野公園地下駐車場に車をとめ、まずは腹ごしらえ。
 イカ墨スパゲティとサラダとスープのセットで昼食としました。

 いざ、東京国立博物館へ。
 上野公園、ずいぶん外国人観光客が増えました。




 行って見ると、けっこう込んでいましたねぇ。
 それでも人の頭しか見えないというほどではありません。

 実際に見てみると、軽装備の歩兵、重装備の歩兵、騎兵、将軍などの人々が、それぞれ顔や体格が異なっており、しかも精巧にできています。
 できた当時は彩色されていたそうで、ずいぶん壮観だったことでしょう。

 最高権力者は兵馬俑に、永遠の皇帝であることを託したのでしょうねぇ。
 さすがに大陸の権力者はスケールが違います。
 展示を見終えて喫煙所で一服つけると、紅梅が目に入りました。


 
 もう春なんですねぇ。

 その後、もう人ごみはいやなので、ガラガラの東洋館を見物しました。
 変に若くてイケメンのガンダーラ美術の仏像などを興味深く眺めました。

 ちょっと疲れたので、上野公園内のスターバックスで珈琲を飲んで帰りました。

 なんだかずいぶん色々観て、お疲れですが、壮大な兵馬俑、観て損はないと思います。
   


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そして浮世は続く

2016年01月31日 | 美術

 今日は千葉市美術館に出かけました。

 初期浮世絵展ー版の力・筆の力を観るためです。 
 大英博物館やホノルル博物館から借りてきた里帰り作品も多いということで、見逃してはいつ観られるかわからない作品も多いそうなので。

 日本美術の展覧会の多くがそうであるように、今回も着物を着ていくと2割引ということで、当然着物で出かけました。



 先週の日曜日、NHKの日曜美術館のアートシーンで紹介されていたため、混んでいるかなと思ったら、ガラガラでした。
 これが都内の美術館だったら押すな押すなの大盛況でしょうに。

 千葉市美術館はなかなか面白い企画を立てて頑張っていますが、立地の悪さはいかんともしがたいようです。

 今回の展覧会は、浮世絵の祖、菱川師宣を始め、浮世絵草創期の作品が多数展示されていて、たいそう見応えのあるものでした。

 定番の遊女の絵や役者絵はもちろんですが、花見や夕涼みなど、庶民の生活を描いたものも多く、それらからは江戸庶民が楽天的に人生を楽しんでいた様子がうかがわれ、微笑ましくもありました。

 浮世絵は基本的に人生を楽しいものと捉えるポジティブなものです。
 そこには小難しい理屈を抜きにした、人生を楽しむという本来の日本人が持っていた美風が感じられます。

 明治維新以降、欧米に追いつき追い越せと、ナーバスで神経症的になってしまった美術とは拠って立つ所以が全く異なっており、不思議な感慨を覚えざるを得ません。


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肉筆浮世絵展

2016年01月16日 | 美術

 今日は風も無く、穏やかに晴れました。
 そこで上野の森美術館に出かけました。
 お目当ては、肉筆浮世絵展です。

 京葉道路から首都高をとばすこと40分。
 不忍池地下駐車場に到着。

 腹が減っては戦が出来ぬとばかり、まずは牛タン定食で昼食。
 腹がくちくなったところで、おっとりと上野公園に突入。

 着物で行くと200円割り引いてくれるとのことで、着物に角袖コートで出かけました。
 男女とも、結構着物姿の人を多く見かけました。
 和装文化復活の鍵は、着物で割引、にあるのかもしれません。


 



 浮世絵というと版画のイメージですが、今日の展覧会は肉筆のものばかり。
 それだけに、色彩がじつに鮮やかです。

 美人画や遊女の絵を中心に、江戸庶民の暮らしぶりを描いたものなど様々で、圧倒されました。

 ただ、明日で終りということで、ひどく混雑していて、それでも観ずに帰れるものかと、あるいは背伸びし、あるいは人をかき分けて絵画の前に出たりするうち、すっかり疲れてしまいました。

 上野公園内のスターバックスで珈琲を飲んで疲れを癒し、上野公園や不忍池などをしばし散策。


 
 それにしてもここ数年で都内は外国人観光客が増えました。 
 上野や浅草は特に多いようです。

 1月中旬とは思えぬ陽気で、楽しい土曜日を過ごせました。


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