土曜日を迎えました。
今日は朝内科に行ったのと夕方に精神科の診察に行くくらいで、特段用事はありません。
最近用事が無い休日というのは珍しいので、ゆったりとした気分になります。
昨日、コロナウィルスの7回目の予防接種券が届きました。
まさか7回も打つとは思いもよりませんでした。
私の場合、高脂血症という基礎疾患があるため、他の人よりも早く接種券が届くようです。
掛りつけの内科では、水曜日の午後と日曜日がワクチンの接種日となっています。
私は早速10月8日(日)16時に予約しました。
過去、いつも発熱の副反応が出るので、今回もそうなるんでしょうね。
面倒なことです。
今日は中秋の名月。
あいにく千葉市の空は曇り模様。
お月見というわけにはいかないようです。
春は憂いの季節であり、秋は物思いの季節。
人にとって過ごしやすい季節にメランコリーに沈むのはなぜでしょうね。
暑くも寒くもない季節は、心に余裕が生まれて、無駄に感傷的になるのかもしれません。
秋と言えば古い話で、1985年、私が高校一年生の秋に阪神が日本一になり、バカ騒ぎする関西の方々をテレビで見て、この狂乱は季節が生んだのではなかろうかと感慨深く感じたことを思い出します。
機会をとらえて憂いを吹き飛ばそうとでもするかのように。
月と言えば言わずと知れた大江千里の百人一首の短歌、
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど
が思い浮かびます。
「古今和歌集」に見られます。
また、「海潮音」に見られるヴェルレーヌの詩に、「落葉」があります。
秋の日のヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。
鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ落葉かな。
洋の東西を問わず、秋に人々は物思いに沈むようです。
私の職場では10月1日付けの人事異動がよく行われます。
今年度は4月の人事異動が小幅であったせいか、10月の人事では多くの人が去っていきます。
サラリーマンに付き物の人事異動ですが、自身が動かなくても、どこか心が乱れます。
仕事という浅はかな付き合いとはいえ、あまりにも多くの組織がある中で、私と同時期に同じ職場で働くというのは奇跡のようなご縁です。
そんなことも、秋の物思いを深いものにしているようです。
暑さ寒さも彼岸までとか申します。
彼岸を過ぎて、ぐっと涼しくなりました。
季節は着実に秋、さらには冬に向かっているようです。
私は車通勤なので、あまり暑さ寒さを感じずに済んでいます。
しかし高校、大学と23区のなかでは田舎とも言える江戸川区から渋谷区に通学し、どちらも最寄り駅から徒歩15分ほどかかったので、夏は暑く冬は寒い、しかしだからこそ季節を感じられる日々でした。
最近、やたらと高校、大学の時にもっと勉強していれば良かったとか、一切やらなかったサークル活動をやっておけば良かったという思いに駆られます。
人生の重要な時期に、私はその時にしか出来なかったであろうことをやらずに、独りで幻想的で耽美的な芸術作品の中に逃げ込み、奇妙な世界で生きていたように感じます。
永遠にそういう世界で生きられればそれが良かったのでしょうが、数年後に就職して、そんな夢のような世界で生きることは不可能で、困難でつまらぬ仕事に精を出し、時には大残業や完徹をもこなさなければならないということを思い知らされました。
すまじきものは宮仕えと言いますが、本当にそうですね。
しかしすまじきものをやらなければ、収入が得られません。
収入が得られなければ、まっとうに暮らすことが出来ません。
私は自分独りの奇妙な世界で生きることをやめ、生活を始めました。
それはそれで悪くは無かったと思います。
何台も車を買い替え、4LDKのマンションを購入し、繰り上げ返済を繰り返してローンを完済しました。
近々23年住んで古くなったマンションのリフォームを行う予定です。
子供がいない大人二人の生活なので部屋が荒れることもないし、子供のための出費もありません。
さらには共働きなので、収入は一人でかせぐよりも単純に言って2倍になります。
表面的には、良い暮らしなのだろうと思います。
しかし私の精神は激しく流転を繰り返しました。
それは何も精神障害を発症したがゆえばかりとは言えないと思います。
夢幻の城を失った私は、代償行為のように、まっとうに生きることを目指しました。
本当は永遠に夢幻の世界で微睡んでいたかったのです。
世間の人々は、私が芝居をし続けているまっとうな暮らしを良しとするでしょう。
私もそれを否定はしません。
しかし50代も半ばを迎えて、私の来し方は根本的に間違えていたのではないかという疑問を払拭することが出来ません。
敬愛する与謝蕪村のように、京都の郊外に住んで浪漫的な俳句を詠んで優雅に暮らすことに漠然とした憧れを覚えます。
江戸時代の与謝蕪村とは異なり、現代の遁世は都会の一角、小さなマンションでなければなりません。
人込みの中に潜んでこその遁世です。
そこで微睡んでいたいという昏い欲求を抑えることがとても困難に感じます。
多分私が定年退職出来るのは65歳になっているでしょう。
60歳定年であれば懲役38年、あと6年であったところ、懲役は43年に延び、残り11年になってしまいました。
今までの社会人生活がとてつもなく長かったのと同様、これからの11年は絶望的に長いと感じます。
過ぎてしまえばあっという間という人もいますが、私には理解できない精神性です。
人に使われるのがどういうことか分かれば、誰もサラリーマンになることを嫌がるでしょう。
それも何十年も。
そうしなければ生きられないというのはとてもしんどいことです。
そのしんどいことを、もう32年ちかくやってしまいました。
御赦免船はまだまだ見えてきません。
昨日処方された咳止めと気管支を広げる薬、劇的に効いて、息をするたびにヒューヒューと喘鳴がしてひどく息苦しく、しょっちゅう咳き込んでいたのが、嘘のようにぴったりと治まりました。
現代医学というのは怖ろしいばかりです。
今日は朝9時にお掃除本舗の担当者が来て、窓とサッシの清掃の見積をしてくれました。
11月13日から約1週間のプチリフォームでは、窓の二重化を頼んでいるので、その前に清掃を、と思ったしだいです。
予想していたより安かったので、その場で発注しました。
作業は10月8日(日)の午前中と決まりました。
ざっくり3時間ほどかかるとのことで、相当丁寧にやるのだろうと思いました。
昼は近所の中華料理店でランチのコースを食しました。
この店、元某シティホテルで中華の料理長をしていた人が開いたもので、しかも中国から料理長がこの人ならと見込んだ料理人を2人雇っているという本格の店で、いわゆる町の中華屋さんとは異なり、清潔で趣味の良い内装の、居心地が良いレストランです。
当然、少々値段は張りますが、休日の昼は予約しないと入れない人気店です。
午後2時には、リフォーム業者が来て契約書を置いていきました。
次回27日に来るので、その日までに問題が無ければ署名捺印をしておいてくれ、とのことでした。
当初見積もりから、様々な注文を付けたため、予算ぎりぎりまで値が張りましたが、54歳の今やらないと、年を食って面倒くさくなり、結局やらないままになるのではないかと思い、思い切ったしだいです。
契約書をもらって、少々脱力気味。
さらに車検があるので、ディーラーに電話して、11月3日(金)に持ち込むことにしました。
車検は一日で終わり、陸運局にはその後届けるのだそうです。
そして日曜日恒例の買い出し。
私はリュックを背負い、同居人は巨大なエコバッグを肩にかけて、一週間分の食料を購入しました。
最近、土日が忙しくてしんどいと感じます。
このところ喉というか気管支というか、とにかく呼吸器の調子が悪く、咳の発作に襲われたり、気管支が炎症を起こしているのか、息苦しいといった症状に悩まされてきました。
約1年前、気管支喘息で入院した悪夢を思い出します。
あれ以来、煙草は完全に止めました。
ちょっとでも喉や気管支の調子が悪いとおもったら市販薬で症状を抑えてきました。
それなのに今回の事態、だらしないかぎりです。
今日は祝日なので行きつけの内科は休診。
しかしどうしても薬が欲しかったので、土日祝日含めて毎日診察してくれるクリニックがあったので、そこに診てもらいに行きました。。
千葉駅の駅ビルにあるのですが、千葉駅から至近で夜も21時までやっていて、私たちの強い味方です。
今日行ったらすごく混んでいました。
それはそうです。
他に空いている病院などごくわずかですから。
ずいぶん待たされましたが、無事診察終了。
しかし、続いて厄介な問題が勃発。
4種類処方された薬のなかで、咳止めだけがクリニックの隣の薬局に無かったのです。
やむなく、近所の薬局巨大チェーン、ウェルシアの処方箋コーナーに行きました。
あいにくそこにも在庫が無かったのですが、車で10分ほどのウェルシアには在庫があることを薬剤師が確認してくれ、そこで薬を買うことが出来ました。
診察に続いて薬局をまわり、疲れてしまいました。
薬剤師は咳止めは全国的に品薄で、いつ納品されるか分からない、と話していました。
世間はコロナは終わったのかのような風潮がありますが、私は全くの嘘だと思います。
薬が品薄になっているという一つをみても分かります。
また、私の職場では今になってコロナが猛威を奮っています。
ワクチンの普及もあって、ちょっと前のように重篤化する者は減りましたが、これから変異したコロナが大流行を起こす可能性もあります。
油断すると熱い目に会うと思っています。
今日は休暇を取りました。
特に用事は無かったのですが、昔と違い、休暇をきちんと取得しないと人事担当部署に呼び出され、お叱りを受けることになりますから。
有給休暇は年に20日あり、この他にリフレッシュ休暇というのが3日あります。
その他病気休暇や忌引き等の特別休暇もあります。
病気休暇は一つの疾病で2年間まで取得でき、しかも2年後に出勤して別の病名が付けばさらに2年間休めます。
そんなことをする奴はみたことがありませんが制度上可能ということです。
病気休暇では最初の三か月は満額の給料がもらえ、3カ月を過ぎると共済組合から給料の8割に相当する額がもらえます。
公的機関なので当たり前ですが、手厚い福利厚生の制度が整っています。
これら制度のおかげで、精神疾患発症時も、休むことによる不利益はほとんどありませんでした。
復職した時周囲から暗黙の差別を受けているように感じたのは実際に差別されていたのか、自身の被害妄想か、それは分かりません。
今となっては若い職員は私が長期病気休暇を取っていたことすら知らず、敬ってくれるのは有難いことです。
大量の抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬を処方されてどうにか正気を保っている状態ではありますが、それで仕事に行くことができ、普段の生活も健常者と変わらないのですから、じゃんじゃん飲めば良いと思っています。
今日は私も同居人も仕事っぽいことが無い、完全フリーの一日だと思っていました。
このところ、同居人は義母のオーダーに応えるため、私は通院やリフォームに関わる打合せなどがあって、なかなか予定の無い休日を得られませんでした。
今日はどう過ごそうかと思っていたところ、朝7時40分に義母から電話がありました。
その内容は信じがたいものでした。
ゼリーを食べたいが、蓋が開けられないので開けに来てほしい、というのです。
さすがに日頃温和な同居人も、施設の職員に頼んでくれとやや切れ気味に答えたのですが、それに対して義母が逆切れしました。
曰く、施設の職員はみな忙しいので頼めない、こんな簡単なことを断るとはなんて親不孝な娘だ、などと。
週末や休日は全て義母のためだけに使えとでも?
結局同居人が折れ、ゼリーの蓋をはがすために施設に向かいました。
それが朝8時20分。
施設の朝食が8時からなのでちょうど食事を終えたくらいのタイミングです。
で、帰ってきたのが11時。
コロナ禍が終息に向かっているとされる(私は今も猛威をふるっていると思っていますが)昨今、施設での面会は面会室で30分以内と決められていたのが、入居者の部屋でいくら居ても良いことになりました。
そこで2時間以上も義母の愚痴を聞かされたそうです。
それもほとんどが施設への不満と他の入居者の悪口ばかり。
義母に対して批判や反論めいたことを言うのは許されません。
もしそんなことを言えば、義母は口を極めて同居人をなじるからです。
時あたかも老いを敬う旗日。
老人には優しく接しなければなりませんが、負のオーラを纏った、いや負のオーラしかない老人に優しく接するのはなかなか骨が折れます。
ありとあらゆることが不満で、日々その不満を増大させていくばかりの義母。
私は義母に恐怖すら感じているらしい同居人の精神状態が心配です。
私が長く精神科医にかかっているいるので、同居人に精神科医と話をしてみた方が良いとアドバイスして、同居人は患者となったのでした。
弱い抗うつ薬と抗不安薬を処方してもらいました。
精神科医は幼い頃から今に至るまで娘をおのれの所有物のように扱う母親との関係性を思い切って絶ち、義母の子離れを促す必要がある、と意見を述べました。
言うは易く行うは難し。
84歳までそんな風に生きた老い先短い母親にそんな仕打ちは出来ないというのが同居人の率直な思いです。
敬老の日に、老人なら誰でも敬わなければならないという理屈は無い、と思ってしまいます。
今日は午前10時に予約していた歯医者に行きました。
歯のクリーニングのためです。
歯は珈琲渋が多少残りましたが、概ねきれいになりました。
午後は11月13日から11月17日にリフォームを予定しているため、施工業者が来て最終的な打合せ。
壁紙の色や和室をフローリング化する際の色味、トイレの型番等を決定し、来週の木曜日までにメールで仕様書と最終的な見積書を送付願うこととし、話を終えました。
およそ2時間。
なんだか疲れてしまいました。
かねてからリフォームを実施したいと考えていたところ、今やらないと老いて気力が失せてしまうだろうと思い、決断したところです。
それに先立ち、お掃除本舗という会社にサッシと窓の掃除を依頼。
23年分の汚れを落としてからリフォームを行う予定です。
リフォームには寝室の窓の二重化も予定していますので。
出費がかさみますが、思い立ったが吉日とか申します。
今年は車検もありますが、生きた金の使い道だと思って、耐えましょう。
今日は朝一番で散髪に行ってきました。
この床屋、大層繁盛していて、3日前くらいには予約しないと望んだ時刻に刈ってもらえません。
ちょっと驚いたのが、今後クレジットカード、交通系、各種PAY等に対応する、とのこと。
個人経営の床屋にしては珍しいことです。
最近、ほとんど現金を持ち歩かなくなった身としては有難いことです。
お昼は近所の中華屋でゴマ味の冷やし中華を食しました。
腰の強い麺で、夏場はよく食べています。
午後はそごう千葉店に出かけました。
今年私たちは銀婚で、そのお祝いは6月に高級鮨店でしこたま飲み食いして済ませています。
25年前、私たちは飯田橋の東京大神宮で式をあげ、境内にあるマツヤサロンで祝宴を開きました。
その東京大神宮から、平成10年に式を挙げた夫婦に10月1日の秋の良き日に奉祝の祝詞をあげ、記念撮影をして祝宴を開くという招待状が届いたため、同居人が服を購入したいと言うので、ついて行ったしだいです。
25年、子宝に恵まれなかった私たちはお宮参りも七五三も無く、東京大神宮とは縁遠くなっていました。
清浄で神聖な社殿に昇殿して神主に祝ってもらい、雅楽の生演奏で寿ぎの舞を見ることなど最初で最後だろうと思い、出席することにしました。
少々面倒くさくはありますが、人生のステージを一づつこなしていくことには、きっと意味があるのだろうと思います。
今日他機関とのオンライン会議がありました。
その席で懐かしい顔を見ました。
もう30年近くまえ、某機関で一緒に働いた男です。
当時はお互い20代の前半から半ばくらい。
その時は生意気にも一人前だと思っていました。
私の業界では、全国異動を受け入れれば、管理職になります。
その代わり、北海道から沖縄まで、どこに飛んでいくのか分かりません。
しかもわずか2年か3年で異動させられます。
当然、次はどこに行くのかばかり気にしています。
いわゆるドサ周りです。
もちろん、ドサ周りをしなくても出世する人はしますが、ドサ周りをすれば確実に出世します。
出世して引越し貧乏になるか、首都圏のみの異動でのんびり暮らすか、それは人生の選択です。
私は2年か3年でどこへ行くのか分からないなんて無理なので、地元から離れないことを選びました。
出世といってもノンキャリなので、たかが知れていますし。
その懐かしい男は、帯広で働いていたこともあります。
頭はすっかり薄くなり、残った髪も真っ白で、信じられないくらいでっぷりと太っていました。
私と同い年です。
私も若いやつから見れば相当老けているのでしょうね。
しかし私は時の流れとともに自然と老いることは美しいと思います。
私は幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか分かりませんが、禿にもならず、白髪にもなりません。
体重もさほど増えていません。
頭髪が老化しない代わりに、皺や染みなど、お肌が衰えた感じがします。
1980年代前半の名画「黄昏」では、美しい湖畔で暮らす老夫婦とその娘家族との日常が描かれます。
そこで夫は老いた妻に「皺の一本一本までが美しい」と静かに語ります。
印象的な場面です。
年老いて若く見えようとするなんて愚かなことです。
老いるのは赤ちゃんが成長するのと同じこと。
時の流れに抗うのは無駄なことです。
美しく自然に老いれば良いのです。
昨夕は台風でひどい目に会いました。
自宅マンションから職場までは14キロで、通常40分くらいかかります。
ところが昨日はあちこちが冠水し、通行止めになっていたり、Uターンさせられたりと、大きく迂回せざるを得ず、しかも迂回した道路はひどい渋滞で、帰り着くまでに3時間もかかってしまいました。
東日本大震災の時は6時間かかったのでそれよりはマシですが、大分疲れました。
今日は午前中緑内障の進行を止める目薬をもらうために眼科に、続いてコレステロールを下げる薬をもらいに内科に行きました。
病院のハシゴというのもだるいものです。
お昼を食べて少し休んでから、今度はスバルのディーラーに行きました。
おそらく水圧でしょう、バンパーが浮き上がっていたためです。
はめ込むだけだったので、無料で、30分くらいで終わりました。
それでも、午前も午後も仕事っぽい用事が入っていると折角の土曜日が失われたような気になります。
明日は午前10時にリフォーム会社が我が家を訪れて、詳細をつめる予定になっています。
忙しくてやれません。
昨日、築23年となる自宅マンションのリフォームをある会社に依頼した旨、ブログに書きました。
新築で購入して23年。
その間、顔なじみになったマンションの住人たちも老いました。
妊婦の状態で入居した人の娘はもう巣立ち、50過ぎで一番面積が小さい部屋を購入した独身の元警備員は腰が曲がり、歩くのも難儀しています。
一人暮らしで、誰かが訪ねて来ることも無いので、今後どうなるのか他人事ながら心配です。
売ったんだか貸しに出したんだか分かりませんが、多くの家族が去っていきました。
そして多くの人が入居しました。
私が住むマンションは駅に至近のため、売りに出すとすぐに売れてしまうようです。
不動産会社から頻繁に売りに出せ、という内容のチラシが届きます。
売る気などさらさら無いのに。
何より感じるのは、近所の様々なお店が次々に入れ替わっていくこと。
すぐお隣のビルに入っていたモスバーガーはトランクルームになり、パチンコ屋は葬儀屋になりました。
近所にあった100円寿司屋は巨大な薬局兼スーパーマーケットに変わりました。
道を挟んで向かいにあったカラオケ屋はネットカフェになりました。
小さなお店の入れ替わりなんてしょっちゅうです。
もちろん、長年にわたって頑張っているお店もあります。
近所に今時珍しく演歌のテープばかりを売っているレコード屋と言うべきかテープ屋と言うべきかCD屋と言うべきか、分類に困るようなお店があって、驚くことに今も頑張っています。
しかも元旦も含めてお休み無し。
老人が一人で切り盛りしている個人商店ですが、熱心な客がいるのでしょうね。
蕎麦屋は代替わりして、なぜか美味しくなりました。
普通倅が店を継ぐと味が落ちると思うのですが。
お店が多い地域に住んでいると、商売というのは本当に難しいと実感するとともに、時が経ることによる変化を実感せずにはいられません。
31歳で入居した私は54歳になりました。
いつまで経っても同居人と馬鹿話したり、我が家でブームのベビーメタルやちいかわの真似を互いにやって笑いあったり、年齢相応の落ち着きが身に付かないようです。
孫がいたっておかしくない年齢に達しているというのに。
子宝に恵まれなかったせいでしょうか。
子供がいれば、正しさや優しさ、強さを演じることで教育をしなければなりませんから。
54歳の今馬鹿々々しいことをやって喜んでいるのですから、おそらくは70になっても80になっても、死ぬまで続けるような気がします。
一時は精神障害の発症で自殺まで考えたこともありましたが、今はそういうことも無くなりました。
一病息災とか申します。
私にとっての一病は双極性障害なんでしょうね。
精神障害者はそうでない人に比べて平均寿命が10年以上短いと言う医師がいます。
それなら私がその説を覆してやろうと思ったりもします。
私が20代の頃、なぜか真面目一筋で生きてきたのに、50歳を迎えて突然浮気に走ったり、風俗通いを始めたりするという先輩を見かけました。
思うに、オスとしての本能が、そろそろ生殖に適さない年齢になってしまうと、悪あがきしているのではないかと思います。
私は双極性障害で躁状態に陥った40歳くらいの頃、そういった遊びに狂ったこともありました。
今となってはどうでも良いことになりました。
今日と明日のことだけ考える、昨日のことも明後日のことも考えない、本来の意味とは異なりますが、その日暮らしをせよと、医師に言われました。
過ぎた日のことを考えても今更変えられるわけではなく、明後日のことなど分からない、そういうことは頭では分かっていても、昨日のことを悔やんだり、先のことを考えて不安になったりします。
その日暮らしをせよというのは苛烈な言い方です。
苛烈な言葉を放つ精神科医はしかし、本当にそうやって生きているのかもしれませんね。
負のオーラを放つ精神障害者と毎日接していれば、そうでも思わないとやっていられないのでしょう。
その日暮らしには程遠い、何事にも惑うばかりの私の精神は今後も変わらないでしょう。
己と同居人だけを頼んで生きていくしかありません。
築23年の自宅マンションのリフォームを企てていることはすでにこのブログでお知らせしたとおりです。
三社から見積を取りました。
一週間ほどで終わるプチリフォームですが、おそらく最初で最後のリフォームになるだろうと思っています。
三社のうち一社は破格に安かったのですが、我が家を簡単に見てすぐにメール添付で見積書を送りつけ、その後何の説明も無かったので、これは安かろう悪かろうのパターンではないかと思い、断りました。
安い軽自動車が買える程度の金額でした。
残りの二社は見積書を持参して我が家を訪れ、詳細な説明をしてくれました。
金額もほとんど変わらず、迷いに迷ったのですが、結局自社に不利な内容も包み隠さず説明してくれた業者に発注することとし、先ほど発注のメールを送信しました。
物品購入とは異なり、製造や工事等の請負契約は、業者によってかなり品質に差が出ますので、業者を選ぶのは難しいところです。
私はリフォーム業者を仲介するサイトに登録してそこを経由して見積を依頼しました。
リクルートの子会社が運営しているサイトで、私の見積依頼に応じた業者は7社でした。
7つも見積を取るのは面倒だったので、サイトに掲載されている過去の実績や、各業者のウェブ・サイトを見て三社に絞りました。
このサイトの良い点の一つは工事を断る業者への連絡はサイトの「断る」ボタンを押すだけで済むということです。
サイトに掲載する条件に、断られた業者が依頼主にさらに値引くなどの営業を固く禁じているとのことで、断るのも気軽です。
工事は11月中旬に行う予定です。
リフォーム工事中は私か同居人どちらかが在宅していることが必要ということで、うまく休暇を取れる日取りを探したらそこまで伸びてしまいました。
大きな出費を伴う請負契約を結ぶことになり、なんだか脱力しています。
8月19日(土)の精神科受診で、抗うつ薬を切り、抗精神病薬が処方されたことはすでにこのブログで報告したところです。
切った抗うつ薬はスルピリド(別名ドグマチール)という、もともとは胃薬として開発されたもので、これを処方された患者が胃の調子が良くなるばかりではなく、明るく活動的になるとの報告が学会等で多く発表され、作用機序はよく分からないながら、効けば何でも良いということで、抗うつ薬としても使われるようになったという謎の薬です。
この薬は私を救った最大の功労者だと思っていましたが、もともとうつ病に処方される薬で、双極性障害のうつ状態にはあまり向かないと医師から説明を受けました。
代わりにラツーダと言う抗精神病薬が処方されました。
これを大量に飲むと幻覚や幻聴が改善されることから統合失調症に処方され、少量だと双極性障害のうつ状態に効くということで、最小量を処方されました。
ラツーダ、2020年に承認された新しい薬だそうです。
で、通常4週間に1度通院していたところ、薬の調整を行ったので精神状態がどう変化したか、効いている感じがするかを確認したいと医師から言われ、明日、中2週間での診察となりました。
約2週間服用して感じたのは、ゆるーく効いてきた感じでしょうか。
精神病薬は大抵そうであるように、ラツーダも飲み始めてから10日ほどしないと効果を実感出来ないと聞いていましたが、そのとおりでした。
今週の水曜日あたりから、それまでは再発したのかと思うほど落ちていたのが、少し改善されて、睡眠の質が上がったうえ、仕事もはかどるようになりました。
現代医学というのは凄まじいものです。
うつ病は誰でも罹患する可能性が高く、患者が多い疾患ですが、私が患っている双極性障害の患者は多くありません。
統合失調症と双極性障害が二大精神疾患とされ、寛解はあっても完治はあり得ないと言うのが現代医学の常識です。
一般に知られているうつ病だとか神経症だとか言うのは治りやすいのものであるとされます。
面白いのは、うつ病患者と双極性障害のうつ相にある患者では脳を検査すると明らかに異なった波形を示すことです。
傍から見ると同じような症状が、全く異なった脳の状態から発症するとは不思議です。
髙血圧と同じように生涯薬を飲み続けなければならない業病を患ったのは不運であったとしか思えませんが、現代医学の力を借りて、13年も続いている寛解状態を維持したいと考えています。