今日は晴れて気温もわりあい高かったようです。
世間ではお正月に初詣と称して神社仏閣にお参りするのが慣例となっていますね。
私も数年前まではお正月にお伊勢様の東京分社、東京大神宮に詣でるのを慣例としていました。
ところが昨今のパワー・スポットブームと、縁結びの神様ということで婚活中らしき女性グループが大挙して押し寄せるようになったため、混雑を嫌って初詣を断念していました。
しかし、大晦日なら空いているのではないかと思い立ち、ガラガラの首都高を飛ばして東京大神宮にお参りに行きました。
案の定空いてはいましたが、深夜に行われる初払えの儀式に出るためにやってきた人々がお昼前から並んでおり、驚きました。
彼らは境内には入らず、駐車場のあたりでじっとその時を待っていました。
気の長い人々です。
じつは平成10年、私は浮世の義理に従って、この神社で私の親戚と同居人の親戚を集めてくだらぬ儀式を執り行いました。
縁のある神社というわけです。
それかあらぬか、隣接するマツヤ・サロンという宴会場で、親戚に加えて友人や同僚・上司まで招いて宴会を開きました。
馬鹿馬鹿しい話です。
マツヤ・サロンのロビーに飾られた鏡餅です。
私は徹底的に和にこだわり、ケーキ・カットなどという南蛮・紅毛の人々の習慣を真似る気などさらさらなく、黒紋付できめて一斗樽の酒の鏡開きを行いました。
乾杯もシャンパンなどという舶来の酒を用いる気が起きず、全員一合枡で枡酒。
そのためだけに30万円もよけいに出費する羽目になりました。
なるほど、世間でケーキ・カットやシャンパンが多く用いられるのはコスト・カットのためであったかと、気付かされたしだいです。
宴会場も加賀前田家の大広間を移築した古式ゆかしい雰囲気です。
料理はもちろん、懐石。
儀式はもちろん、宴会も荘厳な雰囲気が漂い、緊張感すら感じました。
過ぎし日の馬鹿げた一日を回顧しつつ、東京大神宮で今年の詣で納めを行い、神社を後にしました。
その後、飯田橋駅を素通りして神楽坂あたりをぶらつきました。
この辺りはどことなく品がありながら飲食店も多く、住んでみたい町の一つです。
大晦日と言っても昔とは違い、普段とたいして変わりません。
これから天ぷらをつまみに一杯やって、年越しそばでも食うといたしましょうか。
末筆になりましたが、このブログをご愛読くださった皆様に本年の御礼を申し上げるとともに、新年が皆様にとって幸多い年となるようお祈り申し上げます。
また、来年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
いよいよ平成24年も大晦日を迎えました。
今年もとてつもなく長い日々でした。
世に10大ニュースなるものがもてはやされる日でもあります。
政権交代とか山中教授のノーベル賞受賞とか中国との尖閣問題とかが取り沙汰されていますが、私はおのれ一人の心中を安らかならしめる力さえ持たない愚か者ゆえ、世の中の出来事に対し、あえて大晦日にコメントする資格を持たないのです。
せめては個人的な出来事を少しばかり振り返ってみるとしますか。
今年、私にとって最も大きな出来事は、それはあまりに大きすぎて今も冷静に語ることが不可能なのですが、3月5日の父の死でしょうね。
一年前、73キロあった体重は、今朝量ったら51.4キロにまで落ちてしまいました。
風呂あがりなど、裸でビールをごくごく飲んでいると、同居人は私の裸体を見つめ、「ガンの人みたい」と嘆くのです。
やたらと寒がりになり、硬いベンチなどに座ると尾骶骨が直接あたる感じで痛みを覚えます。
このようなことが起ころうとは、父が亡くなった日には全く予想していませんでした。
しかし人間はどんな出来事でも忘れるようにできているはず。
父の存在やその死を完全に忘れる日が来るはずはありませんが、少なくとも悲しみは少しずつ小さくなっていくでしょう。
次は10月の担当替えでしょうか。
あり得ない失敗を繰り返し、部下の非正規雇用の女性職員と修復不可能なまでに関係性が悪化した前任者が担当していた仕事に深く関わる複数の教育研究職員からの強い要望で、私が引っ張り出されました。
逆に私が担当していた仕事に深く関わっていた研究教育職員はこれに抵抗し、綱引きのような状態になりましたが、ことここにいたってはやむを得ない、ということで、私は自ら担当替えを志願しました。
予想はしていましたが、スケジュールはタイトだは、イベントは多いは、規則は複雑だは、で、気楽だった仕事が一挙にしんどくなってしまいました。
しかしそれでも精神をやられることなく3ヶ月間を過ごすことができました。
来年のことは考えたくありませんが、まぁ、仕方ありません。
それと、NHKの番組に出たことですかねぇ。
かかりつけの処方箋薬局の薬剤師に「見ましたよ」と言われて穴があったら入りたいと思ったり、職場の人たちにも事前には知らせていなかったので、ずいぶん驚かれました。
長いこと音信普通だった友人から電話がかかってきたり、テレビというメディアはすざまじい威力を持っているのですね。
しかし別段不利益をこうむるようなことは無いので、まぁ、良かったかなと思っています。
思いつくのは以上の三つですかねぇ。
平凡に思える毎日であっても、子細に眺めれば様ざまな出来事が起こり、日々、それに対処しなければならないのが生活だということを実感します。
安心して暮らせる社会を実現しよう、なんて言う政治家がいますが、人類史上安心して暮らせる社会などいう絵に描いた餅のようなものが現出したことがあるんでしょうか。
それはユートピアとも言うべきもので、この世に現出することは、人間が人間である限りあり得ないでしょう。
人間に限らず、生物というものは根源的に不安を抱えているものです。
むしろ生きるとは不安なものだと肝に銘じ、綱渡りのようなその日その日を、誤魔化しながら生きていくより他、生きる術はありますまい。
年末くらいは笑って過ごそうかと思い、私にしては珍しくコメディ映画を借りてきました。
「曲がれ!スプーン」です。
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幼い頃からUFOを目撃したりして、不思議な現象に興味津々の少女。
長じて、テレビ局に就職し、超常現象番組のADになります。
しかし、インチキばかり。
ディレクターに命じられ、本物の超能力者や超常現象を求めて全国を飛び回ります。
これを長澤まさみが演じていますが、もう一つとぼけた味が出ていません。
ここはとぼけた味の綾瀬はるかか、芸達者の石原さとみを使って欲しかったですねぇ。
クリスマス・イブ、カフェ・ド・念力という喫茶店では、本物の超能力者が集まって互いの力を見せ合うエスパー・パーティーが催されています。
強力な念力でスプーン曲げどころかシャンパンのビンを割ってしまったり、人をふっ飛ばしてしまったりできる物騒な念力男。
透視能力で美女と見るや裸を透視する男。
手を握ると相手の思念を読み取ってしまう男。
5秒間だけ時間を止められる男。
電気製品を遠方操作する男。
しかし彼らは、日頃その能力ゆえに差別されることを怖れ、ひた隠しにしています。
その喫茶店で、単に極端に細身で細い隙間を通り抜けられる、という超能力者というよりびっくり人間の男がテレビ局の取材を受けることになっており、長澤まさみ演じるADが訪れます。
テレビ局に超能力者であることがばれることを怖れるエスパーたちが、ドタバタを繰り広げるという、他愛も無い話ですが、なかなかよくまとまっています。
喜劇というのは人間が作り出した最上の創作だと思いますが、喜劇には時の権力者を風刺したり、批判精神を涵養したりする力があり、権力者はえてして喜劇やお笑いを嫌いますね。
名作「薔薇の名前」では、中世ヨーロッパの教会を舞台に連続殺人が起こりますが、それはすべて教会の長老が喜劇を封印するために仕組んだものだった、というオチがついています。
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超能力というものは、この世には存在しません。
存在すれば、それは単なる能力です。
例えばイチローの野球の能力は凡人からみれば超能力と言ってよいものですが、誰もそれを超能力だとは言いません。
同じように、いわゆる超能力と呼ばれるものは、ごく一部の天才が持つ単なる人間の能力です。
超常現象というものも、この世には存在せず、存在すればそれは単なる自然現象です。
しかし、現代の科学が解明、立証しえているのは、この世の現象、存在の100億分の1もないはずで、そこから外れるものをインチキだと決め付けるのは、現代の迷信と言える科学盲信でしょう。
幽霊とか妖怪とかいうものは存在しないことになっていますが、100年後にはその存在が当たり前になっているかもしれません。
かつて地動説を唱えたコペルニクスは迫害を怖れてそれを30年も発表せず、地動説を発展させたガリレオは教会から異端の烙印を押され、迫害されました。
ことほどさように、科学というのは曖昧なものです。
その点、死後の世界などについて質問されたお釈迦様は微笑んで応えず、それよりも現世をより良く生きることを説いたのは、誠実な態度と言うべきでしょう。
私たち人間は、宇宙のなかでは何も知らない赤子に等しく、愚かな猿知恵で考え出した程度のことを盲信し、その他のことは否定するというのは、馬鹿げた態度というべきでしょう。
私たちには分からないことがあまりに多く、そもそも宇宙があり地球があり、そこに様ざまな生物が暮らしているという、解明不能な不思議を考えれば、幽霊がでようが妖怪がでようが大したことではありません。
ロシアに程近いリトアニアの寒村。
ここにはソビエト連邦時代にチェルノブイリ型原発が建設され、ただの寒村だったのが、多くの労働者、技術者、またそれらを相手に商売する飲食店や商店が進出し、たいそう栄えたそうです。
しかし、原発稼動から3年後、チェルノブイリ原発事故が発生、リトアニアも稼動停止に追い込まれ、みるみる街は衰退していったそうです。
電気料金は6倍にも跳ね上がり、冬場の暖房にも困るほど。
ジリ貧を続ける村は、最新鋭の安全な原発を新設するしかないと、このほど日立製作所の最新鋭の原発新設に大きく舵を切りました。
リトアニアでは地震が起きたためしがなく、福島のような心配が無い以上、日本製の原発が最も信頼できる、という判断が働いたようです。
これに待ったをかけたのが隣の大国、ロシア。
リトアニアで使用する電力の8割はロシアからの輸入でまかなわれており、これが自力で供給できるとなると、ロシアにとって痛手ということのようです。
そこでリトアニアでは、まさに今、日露の間でエネルギー会戦が行われている、とさかんに報じられているようです。
わが国では原発をめぐっては議論百出。
再稼動への道は遠く、そうかといって代替エネルギーを確保するあてもなく、先祖がえりして火力発電に頼っている体たらく。
英国でも日立の原発を新設しようという動きが始まっているやに聞き及びます。
わが国ではあまり報じられませんが、エネルギー政策をめぐっては、各国政府および各国国民の思いが入り乱れ、じつに奇っ怪な様相を呈しつつあります。
原発事故といえば、米国のスリーマイル、旧ソ連のチェルノブイリ、わが国の福島と、先端技術を持ち、安全であったはずの国家で起こっています。
クリーンだとか安いとか言っても、やはりどこか疑わしい存在になってしまった原発。
卒原発を掲げて衆議院選挙戦った日本未来の党は惨敗し、しかも分裂、事実上崩壊してしまいました。
それだけをみれば、民意は原発再稼動を容認しているかのように見えますが、遠い将来には全廃するしかないことは明らかだと思います。
しかし現在なすべきことは、原発を含めたエネルギーの安定供給であり、それに続いて原発廃止への行程を考えることでしょう。
私は全廃には少なくとも30年は必要なのではないかと考えています。
今日は今年最後の診察でした。
父の死とそれに伴う20キロもの体重減、研究教育職員を巻き込んでの担当替え騒動、トップを拒否しての永年勤続表彰、NHK番組への出演と、今年も色々ありました。
そんな中、精神の平衡を保ち、よくここまで乗り切りましたと、主治医は褒めてくれました。
精神科医のなかには、上から目線の命令口調で診察をする人もいるそうですから、私の主治医は人情のわかる名医だと思います。
診察の頻度も隔週から三週間おきに減りました。
快方に向かっているというより、ほぼ寛解したと言ってよいでしょう。
もちろん、薬を服用したうえでのことですが。
血圧の高い人が一生降圧剤を飲むように、腎臓が悪い人が一生透析を受けるように、私は一生精神病薬を飲み続ければよいと思っています。
そのほうがずっと楽に生きられます。
世の中には、明らかに精神に変調をきたしているのに、頑なに精神科にかかることを拒む人がいます。
精神障害者自らが精神障害者を差別しているんでしょうね。
悲しいことです。
また、精神科に受診したはいいけれど、服薬に罪悪感を持つ人もいます。
これも自分で自分を差別している例でしょう。
ちょっと調子が良くなったからと、勝手に服薬を止めてしまったり。
それでひどく悪化させた人を何人も知っています。
薬は医師の処方どおり飲んでこそ効果を発揮します。
逆に処方以上の量を大量に飲むオーバー・ドラッグを繰り返し、入院してしまった人も知っています。
抗うつ剤も抗不安薬も気分安定剤もメジャー・トランキライザーも、基本的には症状を抑える対症療法で、根本治療とは言えません。
しかし頭痛がひどければ根本治療ではなくてもとりあえず痛み止めを飲んで日常生活を維持しようとするのは当然のことです。
精神障害も同じこと。
しんどい、苦しい状態を我慢していては悪化するばかり。
とりあえず薬を飲んで楽になり、楽になったら日常生活をこなせるようになり、それを続けるうちに薬の量は減り、寛解に近づく、というのが現代の精神療法です。
根本的に治してしまう治療法など存在せず、それは現代医学の限界ですが、だからといってオール・オア・ナッシングのように対症療法を拒絶することは馬鹿げているし、もったいないことです。
小さな薬何錠かで劇的に楽になるのですから。
薬でもカウンセリングでも社会資源でも、自分が楽になるためにはなんだって利用するのが賢い選択だと思います。
一時期テレビのバラエティー番組で活躍していた西アフリカの小さな国、ベナン共和国出身のゾマホン氏が駐日ベナン大使に任命されたそうです。
日本でのテレビ出演や著書での収入を、ことごとく故国の小学校建設にあて、自身は極貧生活に甘んじている姿が評価されたようです。
子どもの頃、ゾマホン氏は日本という国を、今でもちょんまげに刀を差した侍が闊歩しながら、しかもこれといって資源もないのに驚異的な経済発展を遂げた変な国、と思っていたそうです。
日本への興味を強く持ちながら、当時ベナン共和国には日本大使館もなく、日本に留学するルートもなかったことから、まずは中国へ留学したそうです。
中国で日本人留学生を何人も知り、同じような顔をしていながら、中国人とは全く異なる日本人の精神性に打たれ、日本留学を決意したそうです。
日本人は、友人がどう感じるかを何よりも慮り、中国人は友人が自分にどんな利益をもたらすかを考えるのだとか。
駄目もとで友人の日本人留学生に頼み込み、その親に保証人になってもらって日本留学をはたしたそうです。
この時も、見ず知らずの自分の保証人になってくれたことに驚愕したとか。
日本は何しろ物価が高く、バイトを3つも掛け持ちしながら日本語学校に通い、縁あってテレビに出るようになったそうです。
当時、日本では年功序列はやる気を失くす悪い制度で、実力主義を取り入れるべきだ、という論調が盛んでした。
そんな時、彼は年功序列を評して、凡人でも真面目に働けば少しずつ給料が上がり、おかげで結婚したり家を買ったりできる素晴らしい制度、と反論していたのを思い出します。
彼は日本にあってベナン共和国に無い物は何かと考え、それは義務教育であると思い至り、初等教育を充実させるべく、稼いだ金で次々と小学校を建てたんだとか。
稼いだ金を懐に入れず、故国発展のために遣ったという点、最初から中国人よりも日本人に近い心性を持っていたのでしょうね。
今、大使公邸に住んで、広くて落ち着かないと嘆いているそうです。
日本では四畳半一間のアパートにしか住んだことはなく、いつでも帰れるようにそのボロアパートを借り続けているそうで、なんとも欲の無い人です。
バラエティー番組では下手な日本語で必死にしゃべる姿が滑稽な感じがして、安っぽいお笑いタレント扱いでしたが、実は真面目に故国の発展とわが国との友好を考えていたのですね。
このような人を駐日ベナン大使に任命したベナン共和国に敬意を表します。
ゾマホンのほん | |
Zomohoun Rufin | |
河出書房新社 |
ゾマホン、大いに泣く―みなさま心よりありがとう | |
Zomahoun Rufin | |
河出書房新社 |
どんぐり野郎 | |
ゾマホン,ゾマホン,松嶋重,堀田健志 | |
ユニバーサルJ |
明日から1月3日まで6連休。
嬉しいですねぇ。
1月4日は金曜日とあって、多くの人が年休をとっています
1月4日に年休を入れると9連休という大型連休になるのですよねぇ。
私はあんまり休んじゃって、初日が月曜日だと出勤するのが死ぬほど辛くなるのが目に見えているので、あえて1月4日(金)は休まず、リハビリ出勤の日とする予定です。
それにその日は、ハワイ大学から来ている研究者の研究発表がありますし。
でも、ガラガラでしょうねぇ。
なんだか申し訳ないような。
しかし1月7日に帰国予定なので、いた仕方ないというわけです。
年末年始の休みというのは何となく間が抜けていますね。
掃除をしたり、新年会があったり、けっこう忙しいですから。
しかし喪中の私は、何をするでもなく、静かに日を暮らしたいと思っています。
お昼休みになりました。
今日は13時から会議。
数年前までは、仕事納めの日に会議や行事を入れることなど考えられませんでしたが、隔世の感があります。
昨日のうちに資料をそろえ、のんびり午前中を過ごすつもりが、議長から急きょ3本も議題を追加すると言われ、資料の修正・追加に追われました。
なかなか楽になりませんねぇ。
ちょっと意味は違いますが、
働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る
という石川啄木の歌を思い出さずにはいられません。
私は安月給ですが、同居人も正規で働いていますし、たいして金のかかる道楽もないため、経済的に暮らしに困ることはありません。
しかし、双極性障害という爆弾を抱えているため、いつ長期病気休暇に入るかわからない、という不安があります。
長期病気休暇に入ると、三カ月までは満額給料をもらえますが、四ヶ月目に入ると6割くらいに減額されます。
それより何より、精神的にきついことが持病がある私の不安の種。
我が暮らし楽にならざり、という文句は、私にとって金銭面のことではなく、精神的な余裕を実感できないことを表す言葉です。
やることがないのが一番つらい、という人をみかけます。
それはそうかもしれませんが、やらなければいけないことが多いのはそれに倍してしんどいですねぇ。
私は意外にも多趣味で、読書をしたり、ホラー映画を観たり、散歩をしたり、美術館に出かけたり、歌舞伎や能を観たり、駄文を書き散らかしたり、やることが無いということはありません。
安月給ではありますが、暮らしは立ちいっているので、私は何より時間が欲しいですねぇ。
おそらくサラリーマンの誰もがそう思っているのでしょうが。
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平成24年も今日で仕事納め。
平成16年から私の業界は役所から独立行政法人になり、仕事納めという言葉に変りました。
それまでは、御用納めと呼んでいましたね。
しかも、昼から各課の打合せテーブルなどで宴会を開き、各部長や局長、職場のトップなどが各課をまわってしばし歓談する、という風習がありました。
1月4日の御用始めも同様でした。
しかし、時代はそんなのどかな風習を許さず、勤務時間中に飲酒とは何事か、ということで、仕事始めと仕事納めは管理職が短い挨拶をするだけで、普段と変わらず働く日になりました。
当たり前といえば当たり前ですが。
昼から始めて17時過ぎまでやるので、あんまり長くて苦痛でしたねぇ。
御用始めの時など、途中、抜け出して近所の神社にお参りにいったりもしていました。
地方公務員や霞が関の中央官僚は今どうしているのでしょうね。
大手家電メーカーに勤める知人は、やはり10年ほど前までは仕事始め・仕事納めの日は挨拶回りだけで、しかも必ず酒がふるまわれ、閉口したと言っていました。
官民問わず、世知辛い世の中になったものです。
かと言って、勤務時間中に宴会を始める習慣に戻るのは絶対に嫌ですが。
先般、縁あってささきふさという女流作家の「おばあさん」という小説を読む機会に恵まれました。
浅学非才の身であれば、モガ(モダン・ガール)と呼ばれ、戦前から戦後の風俗を写実的に活写したこの小説家の存在をこれまで知らなかったことは、いたしかたない仕儀と言うべきでしょう。
「おばあさん」という小説は、都内で長男夫妻と同居する93歳の母親を、伊東に住む末娘夫妻が引き取る話です。
引き取るとは言っても、表向きは一週間程度伊東で温泉につかったり、おいしい海の幸を食したりして保養するために末娘宅へ旅行する、ということになっています。
しかしそれは、実は折り合いの悪かった長男夫妻のもとから、末娘夫妻のもとへ死にに行く、死の準備だったのです。
おばあさんが長男の元を離れなかったのは、大酒のみで独身の次男の存在がありました。
次男はおばあさんと一緒に長男の家の離れに住んで、庭に畑を作って新鮮な野菜を母親にふるまう孝行息子の側面もありました。
小説の一節に、
おばあさんの隱居所は長男の邸内の片隅に在るのだが、本家で百姓につくらす野菜は枯れがれなのに、隱居所の縁先はいつも青あをと、心丈夫な眺めだつた。
とあり、それとなく、長男と次男の母親に対する接し方を対比してみせます。
次男はロシア文学の翻訳を本業としていましたが、ついに成功することなく老母を残してはかなくなってしまいます。
次男の死が、おばあさんに伊東行きを決心せしめたと言って良いでしょう。
おばあさんは伊東で朝夕温泉につかり、海の幸を堪能するうち、肌つやもよくなり、体重も少し増えて、いたって健康に楽しく日々を過ごします。
そんな折、ある出版社から次男が翻訳したロシア文学を出版したい、という話が持ち上がります。
それも相当の高額報酬つきです。
それを聞いたおばあさんは、顔色一つ変えず、次男の一周忌に間に合うかしら、などと心配し、高額報酬はすべて末娘にこれまでのお礼として譲る、と言いだします。
固辞する末娘に、
そして又不意に冴えざえとした目に戻つて、いたづらさうに云つた。
「いいですよ。私はちやんと遺言に書いておくから。」
これがこの小説のラストです。
おばあさんはその後伊東で幸せに人生を全うしたのか、あるいは長男夫妻のもとに帰ったのか、次男の一周忌まで生きていられたのか、何も書かれていません。
冷静な筆致のなかに、人間の情というものが、悪い感情も良い感情もさりげなく描かれていて、「東京物語」を始めとする小津安二郎の映画を観るような、抑えた構成が、より一層抑えられない感情を持つ人間の業を感じさせて、不思議な感慨を覚えました。
今となっては忘れ去られた感のある作家ですが、時代に忘れさられてもなお、時の風雪に耐えた作品が持つ魅力を感じさせられ、深く感銘を受けたしだいです。
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チュニジアの20歳の青年が、生卵28個を飲んで死亡した、とのニュースを見かけました。
もちろん、自殺のために飲んだのではありません。
仲間内で生卵を飲む賭けを行い、賭けには勝ったが命は落としたそうです。
しかし生卵を28個飲むなんて、どういう罰ゲームでしょうね。
日本人は世界の中では破格に生食好き。
刺身や鮨だけでなく、生卵をご飯にかけて食したりすることを好みますね。
それにしても28個は異常です。
不思議なのは、死因が不明なこと。
日本で流通している生卵を28個飲んでも、死ぬことはないんじゃないでしょうか。
せいぜい気持ち悪くなってゲロ吐いちゃうくらいでしょう。
ということは、おそらく古い卵だったか、何らかの菌に侵された卵だったとしか思えません。
人の死にあたって笑っちゃいけませんが、失笑せずにはいられません。
豆腐の角に頭をぶつけて死んじゃった、みたいな話のような気がします。
せめてその青年が、大の生卵好きであったことを祈ります。
なんだか今日は朝から体調がよくないようです。
体が重いし、腰のあたりに鈍痛があり、お腹を下しています。
しかし今日、明日出勤すれば年末年始のお休み。
明日は13時から会議が入っており、今日はその準備のため休むという選択肢はありませんでした。
もちろん、会議当日の明日も。
サラリーマンですら、スケジュールによって休めない日というものがあります。
これが開業医や理髪師となれば、なかなか休めないでしょうねぇ。
患者やお客は、定休日以外当然開いていると思っているでしょうから。
サラリーマンはチームで仕事をしますが、開業医や理髪師は本人だけですから、プレッシャーは大きいと思います。
精神障害発症時、私は自分がやらねば誰がやる、という誤った考えのもと、無理に出勤を続けて症状を悪化させ、長期の病気休暇を余儀なくされました。
今は真逆です。
自分一人休んだってどうってことはない、組織は何の支障もなくまわっていく、と思うようになりました。
同じ部署の数人がしんどい思いをするだけです。
そう考えると、ずいぶん気楽になりました。
よく組織の歯車なんて言いますが、私は歯車なんて立派なものではありません。
私は組織の便所紙、あるいはせいぜい障子紙くらいなものでしょう。
障子紙だか便所紙だかに人並みの給料を払ってくれるのは誠にありがたいことです。
もはや今の職場にしがみついて、もらえるものをしっかりもらって定年まで働きたいものです。
安倍自民党総裁が本日第96代総理大臣に任命されましたね。
第2次安倍内閣の発足です。
党の枢要な職に女性を複数登用したり、総裁選を戦った石原議員を総務大臣に起用したり、工夫の跡がうかがえます。
なにしろこの内閣に重厚感を与えているのが、元総理の麻生太郎議員を副総理兼財務大臣で起用したことと、前自民党総裁の谷垣議員を法務大臣に迎えたこと。
初大臣もおり、バランスが取れています。
ライバル、石破幹事長の続投を決めたことも、安倍内閣が自民党一丸となって民主党政権下の3年3カ月でぼろぼろになってしまったわが国の国政を立て直そうという強い意志を感じます。
韓国や中国はわが国が急激に右傾化していると騒ぎたてていますが、右傾化というのは明らかに間違いで、やっと真ん中よりになってきただけのことでしょう。
第1次安倍内閣では、わずか一年の間に憲法改正に必要な手続きである国民投票法を通し、教育基本法を改正し、さらには防衛庁長年の悲願であった省昇格を成し遂げました。
一年でこれだけのことをやるというのは大変なことだと思います。
是非長期安定政権を作り上げ、安倍総理が昔から口にする戦後レジームからの脱却を図っていただきたいと思っています。
拉致問題では小泉内閣時代、官房副長官として北朝鮮に同行し、大いに成果を挙げました。
あれから10年、拉致問題はいっこうに進展を見せません。
この問題にも真剣に取り組んでもらいたいと思います。
そしてなんといっても経済。
多くの国民が、デフレ下、物価は下がったけどそれ以上に給料が下がり、可処分所得は減る一方という現状に不満を抱いています。
小泉改革の負の側面である、非正規雇用の爆発的な増加も問題です。
経済問題をうまく片付けることができれば、第2次安倍内閣は長期安定政権となることが可能でしょう。
民主党がひどすぎただけに、期待していますよ。
冬至が過ぎて4日経ちました。
銀杏の葉は散ってしまい、紅葉を楽しむこともできない、真冬ですね。
しかし少しずつ日が伸びていくと思うと心躍るものがあります。
17時を過ぎると真っ暗。
定時で職場を出ても真っ暗なのは嫌な気分です。
神な月 風に紅葉の 散る時は そこはかとなく 物ぞ悲しき
「新古今和歌集」に見られる藤原高光の和歌です。
今となっては、葉は完全に散ってしまい、散る葉にもの悲しさを感じることもできません。
首都圏ではそうでもありませんが、北国の人々にとってはまさに死の季節かもしれませんねぇ。
冬枯の 森の朽葉の 霜のうへに 落ちたる月の 影のさむけさ
同じく「新古今和歌集」の藤原清輔朝臣の和歌です。
こちらはまた震え上がるような寒さを感じさせますねぇ。
しかし、その寒さが、凛とした空気を招いて、冬らしい清浄な感じを醸し出してもいます。
私は冬の凍えるような空気に清浄を感じ、わりとこの季節を好んでいたのですが、年のせいか、体重が落ちたせいか、今年は冬の寒さがこたえます。
布団から出るのが一苦労です。
昔思ふ 庭にうき木を つみおきて 見し世にも似ぬ 年の暮かな
またまた「新古今和歌集」の西行法師の和歌です。
年の暮れに感慨に耽るのは誰しも経験したところだと思います。
繰り返しのように思える一年。
そして毎年同じような年の暮れ。
しかし昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日もないのと同様、同じように見えてじつは同じ年の暮れなどありえようはずもありません。
一年365日を生きれば、それはあっという間のように思えて、じつは様々な出来事が起こり、それは気が遠くなるような年月の積み重ねであるに違いありません。
あと2日通えば年末年始の休みに入ります。
最終日に会議が入ってしまったのは痛恨事ですが、それもなんと言うこともなく過ぎてしまうでしょう。
だからと言って今の私には、何の感慨もありません。
何が起ころうと、人生はまだまだ続くのでしょうから。
新古今和歌集―ビギナーズ・クラシックス (角川ソフィア文庫 88 ビギナーズ・クラシックス) | |
小林 大輔 | |
角川学芸出版 |
今日は大岡昇平の忌日なんですよねぇ。
私が大学生の、1988年の今日でした。
「野火」や「レイテ戦記」などの戦争を扱った作品を、冷静な筆致で描き出し、夢中で読んだことを思い出します。
この人、けんか大岡と呼ばれるほど、論争好きで有名でしたね。
有名どころでは、井上靖との間で繰り広げられた、「蒼き狼」論争があります。
大岡昇平と言う人は嘘八百を並べるのが仕事のはずなのに、奇妙に実証にこだわる面がありました。
で、井上靖が独特の浪漫的美学を盾に、モンゴルの英雄を狼に見立てて史実を捻じ曲げたと怒りだしたわけです。
他にも、井上靖の自伝的三部作「しろばんば」・「夏草冬濤」・「北の海」を、自伝とは言えない、と文句を付けました。
そして「少年」という自伝的作品を書いてこれらへの批判としたそうです。
私は少年時代、井上靖の自伝的小説を耽読しました。
大正時代を舞台とした青春小説で、少年から青年へと成長していく姿が、若い男特有の滑稽さとともにユーモラスにつづられていました。
嘘八百を並べるという小説家の宿命を考えれば、私は大岡昇平の言いがかりに与することはできません。
井上靖の大らかな文学世界を良しとする者です。
野火 (新潮文庫) | |
大岡 昇平 | |
新潮社 |
レイテ戦記 (上巻) (中公文庫) | |
大岡 昇平 | |
中央公論新社 |
レイテ戦記 (中巻) (中公文庫) | |
大岡 昇平 | |
中央公論新社 |
レイテ戦記 (下) (中公文庫) | |
大岡 昇平 | |
中央公論社 |
少年―ある自伝の試み (1980年) (新潮文庫) | |
大岡 昇平 | |
新潮社 |
蒼き狼 (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
新潮社 |
しろばんば (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
新潮社 |
夏草冬涛 (上) (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
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夏草冬涛 (下) (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
新潮社 |
北の海〈上〉 (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
新潮社 |
北の海〈下〉 (新潮文庫) | |
井上 靖 | |
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