ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

魔境

2021年05月31日 | 精神障害

 5月も今日で終わり。
 これから梅雨に入るんですねぇ。
 嫌な季節です。

 仕事は今の部署が2年目に入り、多少慣れてきたといったところで、とくだん落ち込むことはありません。

 それだけでも、ずいぶん楽です。

 仕事は山積みで、ちょっと前だったらひどく落ちたのでしょうが、なんだかどうでも良くなったというか、図々しくなったというか、良い意味でも悪い意味でも鈍感になった感じがします。

 鈍感ということがこれほど楽だとは最近まで思いませんでした。
 何事も常に完璧を求め、だからこそ悩み、落ち込んだのでしょうが、最初から完璧なんて不可能で、7割方できれば上々だと知れば、精神衛生上極めて有益だということに気付きました。

 そんなことは多くの医師、カウンセラーなどから何度も言われてきたことだったのですが、そんな境地になることは自分には無理だと思っていました。
 
 持って生まれた性質というものがありますから。

 それが、近頃の鈍感。

 薬を増やしたわけでもなし、怪しげな民間療法に頼ったり、変な宗教に入信したわけでもありません。

 まさか躁転?

 そうだとしたら、もっと激しい症状が出ます。

 徹夜で駄文を書き散らす、深夜もしくは明け方に1時間も2時間も歩き回る、用もないのに車を遠くまで走らせる、無駄遣いが激しくなる、怒りっぽくなる、などなど。

 そういった症状は出ておらず、単に気の持ち様が穏やかになった気がします。
 これらはつい最近、突如として得られた境地で、自分でも不思議なのですが、それを楽しんでもいます。

 もしかしたら束の間の魔境に陥っただけかもしれません。

 魔境とは、魔物や化け物が住む恐ろしい世界、といった意味もありますが、仏教では主に、禅坊主が修行の最中に一種の神秘体験をし、もって己は悟ったと勘違いする、間違った境地のことで、これに陥る禅坊主はけっこう多いと聞きます。

 修行を積んでなお魔境に陥るのであれば、精神障害者が時折気分が良くなって、それを持って病気が治ったと錯覚するのは、やむを得ない仕儀だと申せましょう。

 仮に魔境に落ちたのだとしても、束の間の平穏を楽しみたいと、切に願います。


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お買い物

2021年05月30日 | その他

 今日はそごう千葉店に買い物に出かけました。

 まずはお気に入りの椿屋茶房のビーフシチューとスープ、サラダ、珈琲のセットで腹ごしらえ。

 満足して、紳士服売り場へ。 

 クールヴィズ用のシャツを購入するためです。
 クールヴィズ用のシャツは5枚持っているのですが、1着は袖に朱肉の染みができてしまい、1着はいい加減古びて、パリッと感が無くなったため、その補充に2枚、購入しました。
 ニューヨーカーで1着、スコッチハウスで1着です。
 2枚で28,000円のお買い物。
 30,000円は覚悟していたので、安く済みました。

 そごう千葉店、コロナ禍の真っ最中でありながら、結構な人手。
 普段の土日と変わりありません。
 私もその一人ですが。 

 去年の今頃は最初の緊急事態宣言が出され、職場は完全在宅勤務となり、仕事がはかどらずに苦しい思いをしました。
 ところが今、コロナ慣れしてしまったのか、私も含め、世の中がたるんできたように感じます。

 どう考えても無理筋と思える東京オリンピックを開催すると、政府のお偉方は口をそろえています。
 そんなことをしたら、イギリス型、インド型などの変異ウィルスが互いに刺激しあい、ついには最強の日本型が生まれ、世界中から顰蹙を買うこと必定と思われます。

 ここはぐっと我慢して、オリンピックの中止に舵を切るべきでしょう。

 

 


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テレビを見ない、もしくは第四権力崩壊

2021年05月29日 | 社会・政治

 昨夜、テレビを見ていたら、近頃テレビニュースに出ずっぱりの尾身さんと、若手?お笑い芸人との対談というのをやっていました。
 若手と言っても35歳というので、微妙な年齢ではあります。

 そこで70代前半と思われる尾身さんを驚愕させたのが、「若者は新聞も読まないしテレビも見ないから、緊急事態宣言が発出されていることを知らない人が多いと思う」という発言。

 私もびっくりです。

 テレビでニュースを見なくても、新聞を読まなくても、ネットで緊急事態宣言が出されていることくらい知るのではないか、という疑問がわきました。

 某お笑い若手芸人が言うことが本当だとしたら、1つコロナに限らず、多くの重大ニュースを知らない可能性が高いですね。

 インターネットで得られる情報は膨大で、その中から自分が見たいものだけ見ていれば、世間で重要とみられている事実にあえて触れないということが起こり得るということでしょうか。

 私が小学生の頃は、子供はテレビを見すぎるといって問題にされていました。
 中学生くらいから、今度はテレビゲーム(ファミコンと言っていました)のやり過ぎが問題視されました。

 今、ネットの見過ぎはさほど問題にされていないように感じます。 
 私もネットは見るし、情報量が膨大で、便利なものだと思います。

 その情報量の膨大さから、一部の人にとって有意、もしくは面白いものと、重大ニュースが一致しなくなったのでしょうね。

 そうすると、テレビや新聞にとって弊害とも言えた、ニュースを取捨選択する時点で、すでに報道の公平性は失われているという特徴が、逆に強みになってきたと言えるかもしれません 

 今、例え15分のニュース番組でも、コロナに触れない日はありません。
 新聞もまた然り。

 見る者読む者に対し、強制的にある限られたニュースを提供すること。
 これがマスコミの恐ろしさで、第四権力と言われる所以です。

 しかし、ニュースを享受する者が、いわゆるマスコミではない、個人発信みたいなものばかりを見ていたとし、それが多数を占めるとき、第四権力は崩壊してしまうでしょう。

 それ自体は結構なことです。

 私も職場で時折接するマスコミ関係者は横柄な人が多く、要求ばかりで、不快な思いをしたこと1度や2度ではありません。

 しかし、マスコミが力を失うことで、大政党などの本当の権力が暴走することはないでしょうか。

 私は大のマスコミ嫌いですが、それなりの役割はあると思っています。

 そのうち、読書をする子供を褒めるように、テレビを見るなんて偉いね、と褒められる時代がやってくるかもしれませんね。

 いや、すでにやってきているのかもしれません。
 上記の若手お笑い芸人が言うことが本当だとすれば。


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休日出勤

2021年05月28日 | 仕事

 楽しいはずの金曜日の終業時刻。

 今週は楽しくありません。
 明日が出勤となったからです。
 仕事の都合上やむを得ないことは分かりますが、面白いはずがありません。

 それでも、日曜日に休めるからまだマシです。

 30代の頃、繁忙期には一か月の間1日も休みが無いなんていうブラックな部署にいたことがあります。
 しんどかったですが、まだ30代前半で体力があったのでしょうね。

 今はもう無理です。

 せめて今宵の晩酌くらいは楽しまなければ損ですね。


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ON とOFF

2021年05月27日 | 仕事

  珍しく、今日は調子が良く、仕事がはかどりました。
 30代前半くらいまでは、毎日こんな感じだったと思います。

 ONとOFFがはっきり分かれていて、それは表情を見ればすぐ分かるほどで、夕方など、私の顔をのぞきこんでから、OFFだと思うと話しかけてくるお姉さんが何人かいました。

 一杯やって十分打ち解けたかと思ったら、ONの私は人に冷たく、打ち解けたと思った同僚を傷つけたりもしました。

 酒の席と仕事をはっきり分けていましたから。

 そのONとOFFの切り替えが年とともに難しくなっているような気がします。
 というか、ONになかなかなれず、OFFのままだらだら働くから、能率は悪いし、気分もわるいのでしょうね。

 若いころのように、あるいは珍しい今日のように、ONとOFFを切り替えられればよいのですが。


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みんなで休めば怖くない

2021年05月25日 | 仕事

 明日は休暇を取りました。

 出勤するのはいつでも嫌なものですが、それが殊更にひどいことがあります。

 今日がそうでした。

 それでも無理矢理起きて職場に向かいました。
 職場に着いても、心ここにあらずという感じで、仕事に身が入りません。
 ここは大事を取ったほうが良いと、明日の休暇となりました。

 一昔前と違って、平日に休暇を取っても、メールだのSlcakだのが追いかけてきます。
 見なければ良いんでしょうが、見ないと一日だけでも膨大な量がたまるので、つい、チェックしてしまいます。

 誰でもそうなんでしょうけれど。

 これらは便利なものではあり、無い時代はどうしてたんだろうと思いますが、就職してから数年間は、メールなんて普及していなかったし、ましてSlcakなんていうものは聞いたこともありませんでした。

 でも無ければ無いで、なんとかなっちゃうんですよねぇ。
 大体世界中、そういう物が無かったわけですから。

 土日はほぼ全職員が休んでいるので、メールもSlcakも来ることは稀です。
 みんなで休めば怖くない、といったところでしょうか。

 休みの日は一切パソコンに触らない、したがってメールのチェックもしない、と豪語している人を見かけますが、そこまでの度胸はありません。

 おそらく、電報が生まれた時、電話が普及した時、FAXが登場した時など、時代時代で、衝撃的なことだったのでしょうね。

 まして今は情報革命真っ只中。

 どんどん新しい技術が開発され、ますます追い詰められような気分で日々を過ごさなければならなくなるのでしょう。

 時代のせいですが、時代に追い付いていくのは大変なストレスです。

 明日は何をするでもなく、昼寝したり昼酒を飲んだりして、のんびり過ごすつもりです。

 でも合間にメールやSlcakをチェックしちゃうんでしょうねぇ。


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エメラルドマウンテン

2021年05月24日 | その他

 またもや月曜日がやってきました。
 
 昨夜の晩酌が過ぎたのか、今日はなんだか頭がぼんやりするので、愛飲の珈琲、エメラルドマウンテンの濃いやつを作り、ポットに入れて職場に持参しました。

 職場ではインスタントコーヒーか自販機の缶コーヒーしか飲めませんので。

 エメラルドマウンテン、たっぷり5杯分入れましたが、午後3時頃には飲み切ってしまいました。

 だるさは吹き飛びました。

 普段5杯も飲むことはないので、どんなものかと思いましたが、想像以上に効きますね。
 頭がしゃっきりします。
 そして、少しだけ不安感が増します。
 
  エメラルドマウンテンは珈琲問屋という専門店からお取り寄せしています。
 安くはないですが、嗜好品への散財は豊かな気分になれるので、気に入っています。

 今後は職場に熱い珈琲を毎日持ってこようかと思います。
 月曜日の憂鬱を打破する特効薬になってくれれば、有難いと思います。
 


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恋猫と語る女

2021年05月23日 | 文学

 今日はよく晴れました。
 そうだというのに、コロナを恐れて外出しませんでした。
 そんな土日が続いて、どれくらいになるでしょう。
 散歩に出かける気にもなりません。

 こんな日は、句集でも紐解いてみようと、どれが良いかなと書棚を見つめ、なんとなく、「西東三鬼全句集」を手に取りました。

 ぱらぱらめくっていると、

 恋猫と 語る女は 憎むべし

 という句が目に飛び込んできました。

    ペットの猫を可愛がっている女。
 その人は目の前にいて、はるか遠くにいる、女はそういう方法で挑発する、といったところでしょうか。


 俳句は短歌と比べて、恋の句はあまり無いような気がします。
 自然を賛美するようなものが多いでしょうか。

 西東三鬼は、男と女をまったく異なる種類の生き物ととらえていたようで、上の句が生まれたのでしょう。

 男と女は肉体の構造が異なっている以上に、その精神性に違いがあるのかもしれません。
 こんなことを書くと、おっかないジェンダー研究者の叱責が飛んできそうです。

 不倫がばれて、その行為を異文化コミュニケーションと言い放ったのは、森本レオでしたか。
 悪びれない態度に好感が持てました。 

 私自身は、不倫の恋など面倒くさいだけなので、そういう方面に努力したことはありません。
 しかし、そういう欲求を持つ人が多くいることは知っているし、冒険心の発露と言いましょうか、背徳感に快楽を感じるのではないかと推測します。

 良からぬことを良からぬことだと知っていて、良からぬことだからこそ求めてしまう精神性。
 
 そういえば20代の頃、30歳くらいの人妻に誘われて、口づけだけはしたものの、それ以上進むのを断固拒否したところ、「勇気がない」となじられたことを思い出します。
 なかなかに色気があって、魅力的な女性だったのですが、面倒事は嫌だったのです。

 その後数年して結婚しました。
 結婚直後、変にもてるようになったのですが、あれは何なのでしょうね。
 もちろん、私はそんな誘惑に落ちることもなく、男女のことに関しては、さざ波ひとつたちません。

 女性の飲み友達は何人かいますが。

 結局私は、西東三鬼とは違って、男女の機微が分からぬ朴念仁ということでしょうか。
 でもそのほうが、平安な心を維持できるような気がします。


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迷言

2021年05月22日 | 文学

 人をポジティブかネガティブかに分ければ、私は間違いなく後者でしょう。

 大量の精神病薬を飲んでなんとかやり過ごしていますが、薬が無ければ、10年前のうつ病発症の時に退職しているか、悪くすれば自殺していたでしょう。
 うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから。

 ほぼ完治した今も、その頃の思い癖みたいなものから抜け出すことが出来ず、考えは後退していくばかりです。

 よく、名言集というものがあります。

 大体において、明日は明るい日と書くだの、夢は諦めなければ叶うだの、大の大人から見れば人生の真実とは程遠い迷言のオンパレードです。
 そのような言葉に触れてポジティブな思考に入れるのは、ごく若いうちだけだと思います。
 なぜならそれらは、嘘だからです。

 下のような言葉を読んだことがあります。
 誰の言葉かは忘れましたが。

 死んでいる者は幸せだ、これからも生きていく人間よりも。
 死んでいる者より幸せなのは、生まれなかった者だ。

 西洋の学者が残した言葉だったように覚えていますが、うろ覚えです。

 太宰治の「人間失格」みたいですね。

 多くの、自分は成功したとか、勝ち組だとか思っている人には通じない言葉かもしれません。
 逆に、世間的には大成功をおさめた夏目漱石にはどこか憂鬱な感じが漂っていますし、太宰治に至っては、突き抜けすぎて笑っちゃうほどです。

 名言が名言足り得るのは、それを聞いたり読んだりする人の精神の在り様によって決まるものだと思います。

 病ゆえか、職業選択を誤ったと思っているゆえか、先の言葉は腹に落ちます。

 激しい戦闘が繰り広げられる戦場で、戦死した戦友の亡骸を見て、「早く楽になれて良かった」などと思うことはよくあった話だと聞きます。

 それを突き詰めると、生まれてこなかった者が幸せだ、ということになるのでしょう。
 これはしかし、なかなかに苛烈な言葉で、そもそも生まれなかった者はこの世に存在しないし、存在し得ることはないのですから、比喩的なものだと考えても、そのネガティブな力は群を抜いているのではないでしょうか。

 あまりにも辛い時、生まれてこなければ良かったとか、死んでしまいたいと思うことは、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
 経験すればこそ、あまりにもネガティブな言葉に、感応するのだと思います。

 しかしそれは、心の奥深くに秘すべきことかもしれません。  
 ある程度の年齢を超えている者には、先のネガティブな発言こそ、概ね真実だということは、明々白々たることです。

 ではネガティブに塗りこめられた人生をどうすればよいのか、50年以上生きてきて、一向に分かりません。

 分からないことこそ真実だ、なんて、それっぽい名言もありそうですね。

 私は30代前半くらいまでは、いずれ小説で身を立てる日がくるだろうと思って、その日その日を愉快に過ごしていました。
 30代後半に精神病を患うわけですが、おそらく罹患しなくても、もう望みが叶うことはないだろうと諦めの境地に至ったであろうと思います。

 先が見えるというやつです。

 先が見えない、もしくはおのれの才能の無さを見極められないとしたら、とんだお馬鹿さんです。 

 きっと定年退職を迎えた時、自分の職業人としての人生を嘆き、こんはずではなかった、と思うのではないでしょうか。
 その悔恨の念を抱きつつ、余生を生きざるを得ないのが、かつて夢追い人であった凡人のなれの果てのような気がします。

 我が人生に悔いはなしなんて、私には言えません。
 もう、悔いだらけ。

 私ももう少しポジティブな思考を身に付けたいものですが、持って生まれた性分なのでしょう。

 少々の酒、少々の酔いしか、悔いを紛らわせる方法を思いつきません。


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小銭

2021年05月21日 | 仕事

 今週も長い5日間の勤務を終えました。
 来週も再来週も難問山積ですが、とりあえず、土日くらいは仕事のことを考えず、のんびりしたいと思っています。

 そうは思っていても、つい、仕事のことを考えて憂鬱になり、いかんいかんと自分を窘めるのが土日の日課のようになっています。

 就職して30年になろうとしていますが、就職したころはのんびりしていました。
 人はたくさんいて、だからこそ一人当たりの仕事量が少なく、精神的に余裕がありました。
 飲み会やレクリエーションも多かったように思います。

 ほどなくして行政改革が声高に叫ばれるようになり、目に見えて定員が減っていきました。

 公正な公務員試験に合格して職員となった者の生首は切れない、というのが役人の世界では常識。

 したがって退職した人の後任が来ないとか、非正規雇用を辞めさせるなどの方法で人件費を浮かせようとしました。

 特に小泉改革はひどかったですねぇ。
 役人を殺す気かと思いました。
 事実あの当時、メンタルで不調を訴え休職する人が増えました。

 かくいう私もその一人。

 さらには自殺した者も、私の部署でも5人に及びました。
 地獄の始まりです。


 そのうえ、評価だとか、IRデータだとか、中期目標中期計画だとか、それまでにはなかった、あまり意味が無い、しかし量だけは多い仕事が増えました。
いずれも法人化の副産物です。
 どこも生き残りをかけて、精一杯、自分たちの機関は素晴らしく、なくてはならない存在なのかを猛アピールするわけです。
 しかも国中の独立行政法人等が、ここを先途と頑張っちゃっているわけです。
 そうなると、私が所属する機関もやらないわけにはいきません。
 日本国中で、やらんでもよい自画自賛の膨大なペーパーを作成して、審議会だかなんだかにかけるのです。

 しかしあんな大部な書類、全国の機関の全部を読めるわけが無いと思います。
きっとかつての民主党の事業仕分けのごとく、斜めに読んで適当に決めちゃってるんでしょうね。

 
 ぼやいても仕方がないことは重々承知です。

 ぼやきながらでも、現在を生きていかなければなりませんね。

 今までどうにかやってきたのですから、これからもどうにかなるでしょう。

 いや、どうにかしましょう。

 それまでがのんびりし過ぎていた感はありますが、それにしてもあまりに急激な変化についていくのは困難なことでした。

 今はIT化が加速度的に進んでいるのがストレスです。
50過ぎの頭には、なかなか新しい技術が入ってきません。

 それでもついて行かなければ。
 そうでないと辞めるしかありません。
 辞めてもいいんですが、小銭が不足してしまうでしょうね。


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心の底をたたいてみると

2021年05月17日 | 文学

 今週も月曜日を迎え、辛い一週間が始まりました。

 誰でもそうでしょうが、自己が認識する自分と、他者が認識する自分には、ずいぶんと差があるものです。
 私もそうで、日ごろから仕事をとてつもない困難な事業と感じ、終始必死の思いで仕事に向かっているのですが、上司からは、よく「易々とこなしているように見える」と評されます。

 それは私が精一杯虚勢を張って、格好をつけているだけの話で、仕事中、心の底は苦痛と悲しみで満ちています。

のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。

 夏目漱石の名言です。

 どんなに生き生きとして元気そうに見える人でも、心の奥底には、悲しさを隠しているということでしょうか。

 悲しみが人間の本性だとしたら、人生は苦痛に満ちていることになります。

 しかし誰でも、生きていてよかった、最高に幸せだ、と思うことが、一瞬にせよあると思います。

 この一瞬を求めて、悲しい音を隠しながら生きているのが凡人というものではないでしょうか。 

 私もそんな凡人の一人です。
 心の底はひた隠し、今日も虚勢を張って生きています。

 そうしなければ、職場に行くということ自体が耐えられないのです。


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コロナじゃない

2021年05月16日 | その他

 だるさが続いていましたが、昨日、今日とたっぷり休んだおかげで、大分良くなりました。
 やっぱり寝るのが一番のようです。
 コロナを疑いましたが、幸い発熱もなく、咳もでず、味覚、嗅覚の障害もありません。
 これなら心配ないでしょう。

 ただ、胃の調子が悪く、朝、卵かけご飯を食べたら、戻してしまいました。
 胃薬を飲んで、お昼は軽くざるそばにしたら、胃の調子もよくなりました。
 現代医学は偉大です。 


   


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だるい

2021年05月14日 | その他

 あまりにもだるくて、今日は急遽午後休暇を取りました。
 コロナ禍の現在、下手に風邪もひけません。
 熱がでたなんて言ったら、職場は出勤停止を命じるでしょう。
 幸い、だるいだけで熱もありませんし、咳もでません。
 単に疲れているだけなら、休めば良くなるだろうと思って。

 このだるさ、昨日から続いています。
 何事もなければ良いのですが。

 だるいと言えば、入籍して1年7か月ほど、公務員宿舎で暮らしました。
 築40年の古くてぼろい住まいです。
 ただ、家賃は格安というか、ほとんど無料みたいなものでした。

 6畳一間に4畳半が二間、それに3畳ほどのキッチンと、狭いながら風呂もあって、家賃は驚愕の5千円。
 駐車場が千円。

 世間の人が聞いたら事故物件としか思えない安さです。

 なるほど、給料の安い公務員には、こういう特典があるのだなぁと変に感心したことを覚えています。
 時折、赤坂あたりの公務員宿舎や議員宿舎が安すぎると、週刊誌に叩かれますが、本当にそうなんでしょうね。
 千葉の狭くてぼろい住まいほど安くはないのでしょうけれど。
 
 しかし、ここで私はシックハウスというべき症状に見舞われました。
 いつも微熱があって、だるくて眠いという症状が、公務員宿舎に住んでいる間、ずうっと続きました。
 入居した当時で築40年、今だと築60年ですから、現在では禁じられている、体に悪い建材が使われていたのでしょうね。

 その時はシックハウスだとは思っていなかったのですが、今のマンションを購入して引っ越すと、途端に治ってしまったので、やはりシックハウスか、本当の幽霊屋敷だったとしか思えません。

 思い切ってマンションを購入して本当に良かったと思います。

 その当時のことを思い出させるような、昨日今日のだるさ。

 週末、しっかり休めば治るでしょうかねぇ。


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頭重感

2021年05月13日 | その他

 昨夜は素面で床につき、たっぷり8時間眠ったというのに、午前中、眠くて仕方ありませんでした。

 職場でうとうとする始末。

 こんな日は思い切って休めばよいのでしょうが、熱があるわけでもなく、頭痛がするわけでもなく、単に頭が重いだけでは休む気になれません。

 考えてみれば、今日は木曜日。
 週の後半に入って、疲れが蓄積するころです。
 その疲れですかねぇ。

 たっぷり寝ても疲れがとれないなんていうことは、前はありませんでした。
 二日酔いの時は別ですが。

 そういえば10年前、42歳の時に、勤続20年ということで銀杯をもらったのですが、銀杯を授与してくれた上司が、おかしげなことを言いました。

 曰く、「40歳を超えると疲れやすくなるから、無理せず仕事をしてください」というもの。
 当時の私は、とくだん疲れやすくなったという自覚がありませんでしたので、不思議なことを言うなぁと思いました。

 その上司は当時55歳くらいだったでしょうか。

 この人は15年も疲れやすい体に鞭打って働いてきたのかという、奇妙な感慨に囚われたことを思い出します。

 で、現在。
 なるほど、疲れやすくなりました。

 頭が重くてぼうっとするとか、疲れ目が続くとか、肩や腰がこるというより痛いとか、そんなことです。

 これらがすべて加齢のせいだとすると、年々ひどくなるはずで、さすがにちょっとそれは怖いですね。
 まだまだ働かなければいけませんから。

 生活習慣を改善すべきなんでしょうね。

 運動するとか、食事に気を使うとか、禁酒禁煙するとか。

 なんて書いていて、自分を嗤いたくなる気分です。
 おそらくどれもやらないでしょうから。

 加齢による衰えは甘んじて受けるしかなさそうです。


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嘆きの週あたま

2021年05月10日 | 思想・学問

 月曜日、これからの一週間を思うと、気が重くなります。


 電車通勤をしていた頃、電車に揺られながらよく読んだ夕刊紙に、毎週「嘆きの週あたま」という記事が連載されていました。

 サラリーマンなら誰もが、月曜日を嘆いているのでしょうね。

 月曜日を嘆くその理由の奥深くをのぞき込むと、私は私が何者でも無いと感じてぞっとします。
 世間的には事務職の小役人ということになるのでしょうが、私の心のなかでは、そういう肩書には違和感を覚えます。
 30年近く小役人をやっているにも関わらず。

 では月曜日を嘆いている私は何者でしょうね。

 私は何者か、という疑問を敷衍すれば、人間とは何者だ、という疑問が湧き上がってくるのは当然の仕儀と言えましょう。

 ソクラテスは「人間とは自己を追求する存在だ」と言い、カントは「人間とは共同体のなかで善を追求する存在だ」としました。
 また、私の亡き祖母は、「人間は褒められたくて生きている」と言いました。
 どれもあたっていると思います。

 そのような考え方は、いずれも「人間は~だ」という風に語られますが、20世紀にいたって、人間は何者でもなく、何者かになるのだ、という考えが広まります。

 善でもなければ悪でもない、本質的な価値や意味など存在しない、のっぺらぼうな人間が、後に何者かになる。

 サルトルの実存主義ですね。

 

 最も分かりやすいのは、サルトルの妻、ボーヴォワールの「女は女に生まれない、女になるのだ」という言葉。

 これらは、多くの宗教で認められた魂=本質を認めない、苛烈な言説です。
 有名な、実存は本質に先立つ、という言葉。

 これらの言説をまともに実践するのは極めて困難です。
 実存するだけで本質(魂)が存在しないのだとすれば、人は精一杯の苦労をして、本質(魂)を手に入れなければなりません。

 月曜日を嘆くその嘆きは、人間の本質によるものか、あるいはサラリーマンになったがゆえのものなのか、という卑近な疑問がわき、はるか昔に読んだサルトルの著作を思い出しました。

 多分サルトルが聞いたら腹を立てるか、失笑するか、いずれにしても私の解釈は極めて幼稚なものであろうと思います。

 あるいはまるで的外れか。

 私は西洋哲学には弱いので、的外れであっても構わないと思っています。
 私なりの解釈で、十分です。

 そのように考えてきて、結局小役人の意匠をまとった私はどういう本質(魂)を手に入れたのでしょうね。

 あるいは実存主義は間違いで、人間は元来本質(魂)を持っているのか。

 ここでは仮に実存は本質に先立つ、という意見を採ってみましょう。

 私は役所に就職し、役人になった、その後役所の世界にどっぷりとつかり、すっかり小役人の意匠を身に着けることに慣れてしまった。
 しかしそういう自分に違和感を感じ、おのれの本質であるところの魂を手に入れたのかが分からず、不安である。

 というのが正直な気持ちです。

 では小学校高学年くらいから夢見ていた小説家として生きることがかなったのなら、私は本質(魂)を手に入れることができたのか。

 それは誰にも分かりません。
 もちろん、私にも。

 私は8月で52歳になります。
 こんな年になっても、ある概念に囚われて雑文を物すようになるとは、正直思っていませんでした。

 役人ならば役人の世界で、疑問を抱かず生きていけるものだと思っていました。
 30年も勤めて、知識や経験は増えたものの、物事を青臭い考えでとらえてしまう悪癖は、変わりませんね。

 私が身に着けた本質(魂)は、嘆くこと、嘆きを忘れるために酒を呷り、浪漫的な文学や美術に逃避してしまうこと、でしょうか。

 それならば嘆きの週あたまに描かれていたようなサラリーマンらしい生態こそが、私の本質=魂なのかもしれません。

とても悲しいことではありますが。


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