10月15日から10月18日まで、喘息の発作で入院してから一か月以上が過ぎました。
その間、毎日吸入とうがい薬を使ったうがいを欠かさず、煙草も絶って、今のところ喉の調子は良い感じです。
わずか数日の入院でしたが、二度と入院はしたくないと思います。
病院食はまずくて、それでも体力をつけなければと必死で食いました。
病院の代金は高く、保険は5日以上の入院でなければおりないということで、仕方なく自分の預金から払いました。
我が家は共働きで、しかも同期とあって、同居人の給料と私のそれはほぼ同額です。
家計にはお互い50%を入れています。
そうすれば一人前の収入が家計費になるので、数年前に住宅ローンの返済が終わったため、預金は増える一方で大分楽になりました。
また、家計費に50%を入れると言うことは、残りの50%が自分の小遣いになるということで、そんなに使えるはずもなく、私個人の預金も大分増えています。
同居人は金を買ったりして、資産を増やしています。
私はそういうことは苦手で、資産運用はしていません。
金利は馬鹿みたいに低いですが、銀行に預けていればリスクは0で、私にはそれが合っているようです。
下手に資産運用などして損をするのは嫌ですから。
お金のことを考えると、子供が出来なかった我が家には、ずいぶん余裕があります。
二人合わせれば年収は1,500万円くらいになります。
一人の収入は少なくても、二馬力で頑張れば余裕ができるのだなということを実感します。
しかしそれでも、なんとなく貧乏な感じが抜けません。
車を買い替えたり、高級鮨店で食事を楽しんだりしているせいでしょうか。
かと言って、生活レベルを落とすことはできません。
もうこの生活に慣れてしまったのですから。
退職時に預金が2,000万円無いと老後の暮らしは厳しいと聞きました。
そのくらいの預金はあるし、退職金と合わせれば、豊かな老後が過ごせるのかもしれません。
それでもなぜか、お金のことが心配です。
先日入退院をしたせいで、治療費というのは高いのだなと実感しました。
保険には入っていますが、最低限のものですので、大病を患ったら払えるか心配です。
結局、世の中金、でしょうか。
これから体力は衰える一方でしょうし、記憶力や判断力も落ちていきます。
そんな中で、定年まで勤めあげられるか心配です。
公務員の多くは、生活の安定を求めて就職しているものと思います。
しかし私は、安定した給料をもらいながら、コツコツ小説を書いて、40歳までに華々しくデビューしようと思っていたし、せっせと小説を書いてもいました。
転機となったのは、36歳で精神病を発病したこと。
今でこそ元気に働いていますが、私の30代後半はボロボロでした。
当然、小説家への夢は諦めました。
今は生活のために、漫然と働いています。
人生思いどおりにはいかないものです。
私の知り合いに、高学歴だったのに社会になじめず、引きこもりからニートになってしまった者がいます。
もう20年も引きこもっていて、両親も年だし、これからどうやって生きていくのでしょうね。
20年にもわたる引きこもり生活、その間の彼の精神は激しく揺れ動いていたのではないかと思います。
その精神の堕落は、想像するだけで怖ろしく、彼に同情せざるを得ません。
5080問題ということをよく耳にするようになりました。
50代の引きこもりを、80代の親が面倒をみる、ということだそうです。
5080問題はやがて6090問題になり、ついには引きこもりの孤独死の問題になるでしょう。
生活保護の財源も限界があります。
これら引きこもりの人たちを、憲法で保障された最低限の健康で文化的な生活をおくれるするようのは出来ないでしょう。
彼らはどこで人生を誤ったのか、苦しんでいることでしょう。
30年にも及ぶ不景気で、わが国は貧乏な国に転落してしまいました。
バブルなんて、夢のまた夢です。
わが国がもう一度、花を咲かせることがあるでしょうか。
多分、もう無理でしょうね。
今日は金曜日。
嬉しいはずですが、近ごろ休日と言うと同居人が義母の世話に行くので、面白くありません。
施設で他人の洗濯物と一緒に洗濯されるのは気落ちが悪いと、土曜日に大量の洗濯物を渡され、日曜日には終った物を届けに行かなければなりません。
もちろん、我が家の洗濯も週末に済まさなければなりません。
共働きでは、平日の夜に洗濯なんて面倒くさくてできません。
洗濯だけで毎週必ず土日の両日、施設に通うことになります。
さらには隔週の土曜日には整形外科にリハビリに、月に一度は掛かりつけの内科に連れて行かなければなりません。
内科は平日行くので、それだけで月に一度は必ず年休を取らなければなりません。
笑わざるを得ないのが、施設で良くしてくれる職員に配りたいからと、じゃがりこを100個買ってこいだの、高級梅干しを取り寄せろだの、千葉名産、与三郎の豆を大量に買ってこいだのと買い物をねだること。
いくら駅前のマンションに住んでいるからと言って、何もかもが簡単に買えるわけではありません。
しかもそれらは自分で食べるのではなく、義母のお気に入りの職員に配るためです。
そこが切ないところです。
職員さんも貰えばありがとうと笑顔を浮かべるでしょうが、正直そんな物貰ったところで嬉しくないでしょう。
一つ一つは大したことが無くても、塵も積もればで、同居人は疲弊しきっています。
最近、私が通院している精神科のクリニックに、同居人も同行するようになりました。
精神病患者の家族が一緒に診察を受けるのは良くあることです。
しかし同居人は、私の付き添いではなく、自ら精神科医に診てもらいたいと言い出し、私と一緒に月に1度、土曜日の夕方16時半に通院することになりました。
あまり聞いたことが無い病名ですが、気分変調症という軽い精神病だそうで、抗うつ薬と抗不安薬が最低量処方されました。
抗うつ薬は何が効いているのか分からない、と言っていましたが、頓服で出された抗不安薬はよく効くそうで、飲まないまでも、お守りのように持ち歩いています。
精神科への通院という仕事が、また一つ増えてしまいました。
これで夫婦とも精神病患者ということです。
ただし、私は自立支援(重度)を受けているため診察費も薬代も1割負担ですが、同居人は重くないので、3割負担です。
娘が精神科に掛かっているとは露知らず、義母の我儘は増すばかり。
それでも義母の世話については手を抜かないのが娘の娘たる所以でしょうか。
精神科に限らず、年をとると病院通いばかりが増えると言いますが本当ですね。
今まで共済短期が毎月かなりの金額引かれて損した気分でしたが、最近元をとっているような気になります。
疲れた同居人にはなるべく楽をしてほしいと、食事は外食やデリバリーがほとんど。
料理や食器洗いは疲れるでしょうから。
掃除や買い物、自分たちの汚れ物の洗濯、洗濯物干しは私がやっています。
義母の洗濯物は、下洗いと称して洗濯機にかける前に1枚づつ手洗いしているので、同居人がやっています。
これは大変な労力です。
これをやらないと義母にばれて、ひどく叱られるのだそうです。
せめて洗濯だけでも施設に任せてもらえれば、ずいぶん楽になるのに。
私たちは今、少しでも楽をするように心掛けなければなりません。
そうでないと、心も体も壊れてしまいます。
問題は仕事。
こればっかりは楽ではないし、一日の大半を仕事に費やします。
手を抜けばクビになるかもしれません。
仕事をしながら楽をするというのは言語矛盾に近いような気もしますが、しかしこれを求めなければなりません。
そうでなければ、生きていくことが困難になってしまうでしょう。
今日は便利屋を呼んで古本や古い書棚を処分してもらいました。
自分の部屋は意外と広かったのだなと、きれいになった部屋を眺めて感慨に浸りました。
今後はこれを維持することに努めたいと思います。
話は変わって今日は勤労感謝の日。
奇妙な名前ですが、元々は新嘗祭。
新しい米の収穫を祝う日です。
欧米で言えば、Thanksgiving Day(感謝祭)ということになろうかと思います。
要するに農作物の収穫を祝う日です。
ちょうどわが国の新嘗祭と同様のお祭りですね。
それが戦後、なぜか勤労感謝の日になりました。
勤労というと、今では農家ではなく、サラリーマンを思い浮かべるようになってしまい、本来の意味からは外れることになります。
これはわが国の人々から伝統を重んじる態度を変化させる作用があると思います。
私はそれを望みません。
春季皇霊祭が春分の日に、秋季皇霊祭が秋分の日になり、紀元節が建国記念日になったのは、まぁ、理解できるとしても、最も解せないのが、明治節が文化の日になったことです。
明治天皇と文化とが直接結びつくことは無いと思います。
明治の日ではいけないのでしょうか。
旗日の名称と直接関係は無いのかもしれませんが、漢字を止めようという風潮も気色悪いものです。
鬱病はうつ病になり、障害者は障がい者になりました。
盲人は目の不自由な人になりました。
精神分裂病は統合失調症になり、躁鬱病は双極性障害になりました。
語感が差別的だという理由なんでしょうね。
どれも古い言葉のほうが、現実を正しく言い表していると思うのは、私が古いのでしょうか。
では見た目が麗しくない人は、顔が不自由な人とでも言うんでしょうか。
言葉は日々変化していくものと知ってはいますが、元々の言葉が廃れていくのは寂しいものです。
それに元々言葉というのは、あれとこれを分けるためのものです。
分ければ当然、いくばくかは差別的にならざるを得ません。
差別的だとしてある言葉を排除してしまっては、いずれ言葉は無くなるか、百科事典並みの分厚い差別用語辞典が生まれるでしょう。
それは馬鹿げたことです。
言葉が元々差別的だという事実を知れば、厳密な意味での差別語は存在し得なくなります。
あるいは全ての言葉が差別語になります。
現在差別語とされているあらゆる言葉を、マスコミや新聞に復活させてほしいと願っています。
今日も今日とてつまらぬ仕事に精をだしました。
私たちの職場では、55歳で昇給停止になります。
私は53歳ですから、あと2年で昇給停止することになります。
なんとか特別昇給を勝ち取って、少しでも基本給を上げることが肝要です。
私は過去、特別昇給の常連でしたが、今となっては縁がありません。
6月のボーナスで「優秀」をもらってボーナスは10%上乗せされましたが、所詮一回限りのことです。
ボーナスは普通で良いから、どうしても特別昇給が欲しいですねぇ。
もっとも、若い人がもらえるのが特別昇給です。
若い人は給料が安いので、若い人がもらう傾向があります。
それでも、おじさんにください。
今日は千葉駅近くの靴屋に出かけました。
散歩用の靴を購入。
アシックス・ウォーキングという店で、以前は歩人館と名乗っていました。
この店は足の形や大きさなどを専用の機械で詳細に測り、合う靴を勧めてくれます。
以前、私は足の情報を登録していたため、今日は足の計測は無し。
ウォーキングシューズの専門店とあって、少々値が張ります。
今日購入した靴は3万円ほど。
合わない靴で散歩するのは苦痛なので、散財してしまいました。
ただし、私は茶色を望んだのですが、私の足に合う靴は黒しかなく、取り寄せになるとのことで、面倒くさいですが、了承しました。
帰宅して、まやもや部屋のお片付け。
あまりにも本の処分が膨大で、さらには一人暮らしを始めた28年前に購入した小さな食器棚が飾り棚として残っていたので、飾っていたものを移すか処分するかして、古本と食器棚を便利屋に処分してくれるよう、先ほどオンラインで頼みました。
これから見積が来る予定ですが、いくらであっても頼むつもりです。
こうやって、身の回りの物を処分していくことには、快感すら覚えます。
ヨレヨレになる頃には、家中何も無い状態にしたいと思っています。
今日は疲れました。
捨てることで。
部屋中本に埋もれていたのですが、片づけなければ足の踏み場も無くなると思い、片づけることにしました。
時折気まぐれに人が行う、あれです。
もう二度と読まないであろう本をビニール紐でしばり、古紙回収に出す算段。
幸い私が住むマンションのゴミ集積場は屋根付きで鍵がかかるため、必ずしも指定された日に出さなくても大丈夫です。
マンションの住人のほとんどが、可燃物の日だろうと不燃物の日だろうと気ままにゴミを出しています。
マンションに越してきた頃はそれが許せなかったのですが、なんだかどうでも良くなってしまいました。
ある程度まとまった本を手放すというのは誠に寂しいものです。
今日はとりあえず、重くて場所を取る美術書に手を付けました。
美術展の図録や、有名画家の画集、仏教美術の写真集などです。
大好きなモローの画集や解説書は5冊あり、これを残してほとんどの美術書を処分しました。
これも流行りの断捨離というやつでしょうか。
美術書はなにしろ重いので、それをしばってゴミの集積場まで何往復もするのはずいぶん疲れます。
本は重いですから。
他の蔵書もいらないものを分別して出そうと思っていたのですが、体力的に無理です。
少しづつ、要らない本を処分していこうと思っています。
嘘か誠か、太宰治は亡くなった時、国語辞典と聖書しか持っていなかったと聞いたことがあります。
あれだけの作家が、いっそ潔い気がします。
美術書を少々処分したところで高が知れていて、学生の頃から何度も読み返し、マーカーやら書き込みをした愛読書たちも、もう手に取ることは無いので、少しづつ処分していって、本など一冊も無い、さわやかな部屋にしたいと考えています。
読書という悪癖からも逃れて、精神の自由を取り戻したいと思います。
就職8年目の後輩が12月末をもって退職することになりました。
私たちの業界では、就職して概ね10年間はヒラとして働き、その後主任になり、係長、課長補佐、課長、部長、局長と出世しいていきます。
もちろん、局長になれる人はごくわずかで、多くは課長補佐か課長で退職していきます。
後輩、初めての役である主任昇任を目前に退職することとなりました。
この人、なかなかの女傑で、わずか150センチで痩せた体形ながら、力仕事も物ともせず、また、職階が上位の人にもスケズケと物申す人でした。
その評価は大きく分かれていました。
図々しいとも言えるその態度を頼もしいと感じる管理職もいれば、小うるさくて面倒くさい奴だと毛嫌いしている者もいました。
私はどちらかというと得意でした。
なぜか私は若い頃から曲者の先輩に可愛がられる傾向にあり、自然と、私自身も曲者っぽい若手を愛でるようになりました。
類を以て集まる、というやつでしょうか。
少し、辞めていく後輩が羨ましくもあります。
やっと30歳くらいで、転職活動も難しくはなかったのではないかと推測します。
今の私には到底無理な話です。
何もできないおっさんに、今貰っているような給料を出す職場など世界中を探してもどこにも存在しないでしょう。
何もできないおっさんはもうすぐ何もしないおっさんになるでしょう。
そういう人をたくさん見てきました。
困ったやつだと小馬鹿にしてきましたが、今は気持ちが分かります。
疲れるし、新しいことはなかなか頭に入らないし、手を動かすのが億劫だし、これは何もやらないおじさんになるわけだと、実感せざるを得ません。
人に起きることは大抵自分にも起こるのだと思います。
最近そのスピードが速くて、若年性認知症なのではないかと心配になります。
年金支給開始年齢 の65歳はまだまだ遠いですが、だましだまし、疲労しないように、働くようにしないといけません。
今日は午後2時からマンションの管理組合の理事会がありました。
私は運悪く籤引きで理事長になってしまい、理事会の司会やら、築23年ゆえ各種改修工事が必要となり、その決裁文書を確認して押印したり、全く損な役どころです。
休みが一気に半減したような気分です。
しかし同居人はもっと辛いでしょう。
毎週義母のオーダーに応えて梅干しやら煎餅やら焼き芋やら新しい下着やらを持って施設に見舞っています。
よくもこここまで、と思うほど、毎週何かを買ってくるように命じます。
年を取ると我儘になる人がいると言いますが、まさにそのパターンです。
近頃、同居人はちょっとした空いた時間でも、眠ってしまいます。
これでは義母がいけなくなる前に、同居人が倒れてしまいます。
しかも平日は中間管理職として激務に耐えています。
我が家は今、危機を迎えているようです。
今日は見事な秋晴れ。
いつものように股引と長袖の下着では暑いくらいでした。
朝一番で眼科を受診。
4種類差しているいる緑内障の目薬のうち、2種類がもうじき無くなるので、薬を処方してもらいました。
何に効いているのか分かりませんが、視野検査をすると、ここ2年ばかりは進行していないとのことでしたので、効いてはいるんでしょうね。
実感はありませんが。
お昼は蕎麦を食ってスバルに行きました。
10月30日の半年点検の際、ヘッドライトから微量の液漏れをしているとかで、部品が入ったこのタイミング、メーカー補償の内だということで、修理してもらいました。
半年ごとに点検してもらえる安心点検パックに入っていて本当に良かったと思います。
修理に2時間ほどかかるということで、ディーラーの近所を歩き回りました。
普段歩かない町を歩くと、新鮮な気分になれます。
元々私はあちこちの町に用も無いのに車で出かけては歩き回るのを趣味としてきました。
青山だったり、新宿だったり、浅草だったり、上野だったり、千葉駅周辺だったり、海浜幕張だったり。
それもコロナ禍で、千葉駅周辺以外は出かけなくなりました。
で、走行距離、2年で16,000キロほど。
以前と異なり、車を運転しなくなり、なんとなく車の運転が億劫というか、怖くすら感じるようになりました。
スバリストの名が泣きますね。
そのせいで足が弱ったのか、長時間歩くのも疲れてしまうようになりました。
いけません。
まだ老け込む年ではありません。
そして、マスク。
もう3年も常時マスクをつけている生活を送り、マスクを外していると、空気が汚く感じられるようになってしまいました。
これではコロナ禍がおさまってもマスクを外せない気がします。
慣れとは怖ろしいものです。
マスクのもう一つのメリットは、表情が分からないこと。
私は喜怒哀楽が顔に出やすいため、これは重宝しています。
今、第8波が来ていると聞きます。
折しも、5回目のワクチン接種券が届きました。
まさか5回も打つなんてねぇ。
でもくそ真面目な私はきちんと予約して、打つんでしょうね。
まだ予約はしていませんが。
最近はコロナ慣れしたというか、危機感が無くなってきたというか、外食しろだの旅行に行けだの言うようになりました。
大丈夫なんですかねぇ。
まだまだ収まっていない気がしますが。
医療に関してはど素人ですから、接種券が来たならきちんと打って、うがいしろといわれたらうがいして、手指の消毒をやれといわればやって、予防に努めるしかありません。
辛い思いはしたくありませんから。
秋晴れの良い日和でした。
南向きのリビングにはたっぷりの日差しが入って、良い気持ちです。
しかし私の気持ちは晴れません。
日曜日はいつもそうですが、明日の月曜日に怖れ慄いています。
つい、昼酒をやってしまいました。
昼酒は花見と正月だけと決めているのに、破ってしまいました。
考えてみると、当たり前ですが、日曜日というのは次のお休みが最も遠い日です。
今日と言う休日を楽しめずに暗くなるばかりとは損な性分です。
昨日の夕方、同居人は4回目のワクチン接種を行いました。
副反応が出たため、高熱を出して一日中横になっていました。
私は朝一番で内科に行き、4カ月に一度の血液検査。
家族性の高コレステロールのため、薬を飲んでいるのですが、その成果を確かめなければなりません。
服薬のおかげか、このところ数値は安定しています。
肝臓の数値も気になるところです。
一時期毎日酒を呑んで、肝臓の数値がひどく上がったこともありますが、今は休前日しか呑まないため、正常値になりました。
4カ月に一度血液検査を行い、その数値を確かめることで、酒や脂っこい食べ物を控えるようになったのは良い点です。
内科の主治医、数値が良いと気持ちが悪いくらいべた褒めしてくれるのですが、悪いとひどく怒られます。
健康を維持するためには、褒められたり叱られたりすることが必要なのかもしれません。
血液検査の日は朝飯を抜くため、ひどく腹が減ります。
お昼は近所の蕎麦屋で親子丼の上に生卵を載せたヘヴィな昼食を摂りました。
少し昼寝して、自分の部屋を片付けました。
長いこと散らかるままにしていたので、45Lのゴミ袋が二袋一杯になるほどゴミが出ました。
10年以上前に購入したスキャナーも処分。
今はスキャンもコピーもできるプリンターを使っているので、全く必要なかったのですが、なんとなくそのままにしてありました。
その他にも机の引き出しに溜まった紙ゴミなども一斉に捨てました。
捨てるということ、爽快感があります。
おかげで書斎はピカピカになりました。
あまりにも古い物をため込むのはよろしくないようです。
空気が汚れる感じもしますし。
掃除を終えて風呂に入り、さっぱりした気分です。
同居人が一日寝ていたのは寂しいですが、おかげで懸案だったお片付けができました。
同居人が寝ているため、晩は鮨を取りました。
これから酒盗で食前酒をいただき、鮨を食す予定です。
まぁまぁ良い土曜日だったように思います。
今日は文化の日でお休み。
元々は明治天皇の誕生日で、明治節として祝われていました。
名前はどうでも良いですが、週中に一日お休みがあるとずいぶん楽です。
見事な秋晴れに恵まれ、気温もぐんぐん上昇。
近頃の土日は同居人が施設に入居している義母のもとへ通うのですが、今日はそれは止して、二人で千葉駅前に出来たばかりの商業施設、マインズ千葉を冷やかしに行きました。
ビックカメラを始めとして、飲食店等が入る、駅前としてはかなりの大型商業施設です。
開店して間もないということもあってか、大層な賑わいで、少々人あたり気味になって、そごう千葉店へ移りました。
大型百貨店らしく、静かでゆったりしていて、気持ちが和らぎます。
じつは今日の外出はそごう千葉店で秋冬物のジャケットとシャツを買うことが主たる目的でした。
私はスーツはブルックスブラザース、カジュアルはスコッチハウスと決めています。
スコッチハウスのMサイズは、シャツもジャケットもまるで私のために誂えたように、ちょうどぴったりなので、安心して買い物ができます。
で、ジャケットとシャツを購入しました。
総額11万円ほど。
少々値が張りますが、安物を買うと結局着心地が悪かったり、布がほぐれたりして着なくなってしまうので、頑張ってスコッチハウスで購入した次第です。
安物買いの銭失いなんて嫌ですから。
その後そごう千葉店内にある喫茶店で珈琲をいただき、千葉駅周辺を散歩しました。
じつに久しぶりの同居人と二人での外出となり、一人で出歩くのとは異なる楽しみがあります。
途中、千葉神社にお参り。
多くの七五三を祝う親子連れが参拝しており、子供たちの輝く命の眩しさに、中年から初老に向かおうとするおじさんは圧倒されました。
53歳。
もう成人を迎える倅や娘がいてもおかしくない年になりましたが、子宝に恵まれなかったため、おぎゃあと生まれた赤子を成人にいたるまで育てることなく、無駄に年を取ってしまいました。
生命の生きる目的がおのれのDNAを残すためにあるのだとしたら、私たちはそれに失敗したということになるのでしょうか。
今さらながらそう思います。
それでも、死なない以上生きていかなければなりません。
近頃緑内障による左目の視野の欠損や、ど忘れに苦しめられるようになりました。
先月は喘息の発作で人生初の入院を経験。
こうして体や頭にガタが来て、緩やかに衰えていくのでしょうね。
それは生き物としての宿命で、苦しいながら衰えを客観的に見ようとする自分がいることに気づいて、深い感慨を覚えます。
定年退職はまだまだ先ですが、バブル崩壊から30年にいたるも景気の良い話は聞いたことが無く、私も薄給に泣かされながらどうにか働いています。
定年退職を迎えずに、あるいは退職後ほどなく亡くなったなら、払った年金を取り戻せませんので、ジジイ早く死ねと言われるまでも、あるいはもっと、長生きしたいものです。
今日から11月に入りました。
気温も急激に下がってきていますが、職場ではまだ暖房がつきません。
築40年を過ぎるボロ建築で、冷暖房は細かな温度設定ができません。
弱・中・強の3種類のみ。
冷房も暖房も弱で十分効くのはせめてもの救いですが、全館一斉暖房のため、施設担当部署が大元の電源を入れないと、各部屋はエアコンが使えません。
たしか基準となる部屋の気温が16度を下回らなけれ電源は入れないと聞いたことがあります。
室内が16度というのは、けっこう寒いと思います。
さらには昨今の電気代の値上がりのため、経費節減ということで、安全衛生義務に違反しているような状態で、職員はひざ掛けをしたり、小さな電気ストーブを私費で買ったり、環境は劣悪です。
私は起毛した股引を履き、半袖の下着の上に長袖の下着を着用してYシャツを着ることで、一見薄着に見えるよう気を使っています。
室内であんまり着ぶくれているのは格好悪いと言うか、気持ちが悪いのです。
昭和な職場です。
さすがに上層部もこれはまずいと思ったか、現在、億単位の金が必要な大規模修繕を計画しています。
空調だけではなく、増改築も同時に行う予定です。
しかし無駄にでかい建物ゆえ、業者に設計を提案させ、入札を終えて着工するまでに1年以上かかります。
工事が完了するのは多分5年も6年も先でしょう。
じき定年という年齢になってしまうではありませんか。
その前に健康を害してしまいそうです。
そのうえ事務室は南向きの部屋もあれば北向きの部屋もあります。
南向きの事務室は比較的暖かいですが、北向きはやれません。
しかも現在の部署は北向きです。
千葉は比較的温暖と言われることもありますが、到底信じられません。
思えば30代までは、股引だの長袖の下着なんて着たことがありませんでした。
40を過ぎて寒がりになりました。
年を取ると暑がりになる人もいると聞きますが、圧倒的多数は寒がりになるのではないでしょうか。
今日付けで北海道から転勤してきた職員がいますが、北海道よりも寒いと言っていました。
それは当然外気温のことではなく、室内のことです。
北海道はむやみと暖房を入れるそうです。
20代半ばの頃、柄にもなく北海道まで行ってスキーをやったことがありますが、北海道のホテルは気持ちが悪くなるほど暖房を効かせていました。
スキーが趣味という先輩に無理やりのように連れていかれたのですが、その後一回もスキーなんてやっていません。
先輩、スキーをやった後にスキー靴を脱いで温泉につかるのが最高だと言っていました。
阿保らしい。
それならそんな窮屈なスキー靴など履かなければ良いのです。
今の職場、残業が少なく、人間関係も良好なのですが、室温だけはブラックです。
安全衛生義務に違反していると、暴れたくもなります。
私にはそんな元気は残っていないので、誰か暴れてくれないかなと期待しています。
でもきっと、多くの職員が自分以外の誰かに声を上げてほしいのでしょうね。