昨夜はひどい悪夢を見て、目覚めたら汗をびっしょりかいていました。
早速朝風呂につかって、悪夢から醒めました。
時折、こんなことがあります。
小学校6年生のころ、私は初めて恋文を受け取りました。
それはきちんと郵送されてきたもので、小学校の同級生からのものでした。
私は激しく混乱しました。
12歳の男の子というのは、女の子よりもはるかに子供です。
私はどうしてよいか分からず、返事も書かず、学校ですれちがっても知らないふりをしました。
恋文は何通か続き、いよいよ小学校卒業のころになって、私を模った学生服を着た小さな手作りの人形と、セーラー服姿の人形が送られてきて、最後のお願いということで、写真を1枚くれと書いてありました。
ここまでされても、私は無視を決め込みました。
子供とはいえ、今思えばひどい仕打ちです。
断るにしても、もう少しやりようがあったのに、と後悔しきりです。
で、悪夢。
私は小学生で、虫だらけの池に投げ込まれ、激しくもがきながら池から上がろうとすると、かつて恋文をくれた女の子が、私を助けようとして、自らも池に落ち、虫だらけの池のなかで、接吻を迫るのです。
虫からも女の子からも逃げたい私は、ますますもがくのです。
恋文の少女のことは、50歳になる今も、澱のように私の心の奥深くにとどまっています。
恋を知らない少年は、恋しか知らない少女の幻影に怯えるしかありません。
今どこでどうしているのか、私は知りません。
彼女も今の私のことなど知らないでしょう。
私は彼女の恋を(おそらくは初恋)、完全に無視することで、かえって彼女のことが忘れられなくなりました。
皮肉なものです。
今でも時折、彼女のことを思い出します。
お世辞にも美少女とは言い難い少女でしたが、そこにはヴァージニティが漂って、今になってみると、彼女を女神のように思うのです。
成長し、私も恋をするようになって、初めて彼女の心情に思いをいたすようになりました。
さぞかし辛かったでしょうね。
あの時、ちょっとでもいいから、例えば公園のベンチで話をする程度の幼い恋の真似事に付き合っていたら、彼女のことをきれいに忘れることができたかもしれません。
しかし当時の私には、その程度のことすら、とてつもなく困難なことのように感じていました。
恋文をもらうまでは、私たちはむしろ仲の良い友人同士で、何も意識することなどありませんでした。
少なくとも私は。
仲良くおしゃべりをしたり、じゃれあったりする、普通の小学生同士でした。
私たちの良好な関係性を壊したのは、初恋に夢中になる少女の強い思いと、それに怯えて無視するようになった私の幼稚さゆえでしょう。
38年も前の出来事から悪夢にうなされるとは、私の精神はどこまでも腐っているようです。