ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

やっと

2015年10月30日 | その他
やっと金曜日の夜を迎えました。
ほっと一息。切ないばかりのこの夜。
静かに酔うばかりです。

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眠る

2015年10月29日 | 精神障害

  調子が悪くて休暇を取りました。
 いくら寝ても眠くて、一日中、寝ていました。
 良くない兆候です。

 


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肉体

2015年10月28日 | 思想・学問

 私が長期病気休暇を余儀なくされていた頃、精神科医からさかんに散歩を勧められました。
 うつ状態にあると部屋に閉じこもってひたすら落ち込んでいくばかりでなく、急激に太って内臓の疾患にかかることも多いことがその理由のようです。

 休み始めたばかりの頃はとても用もないのに外を歩き回る気になれず、寝てばかりいましたが、病状の回復とともに、医師の勧めにしたがって歩くことができるようになりました。

 そこで気付いたことは、最初は嫌々でも、歩いているうちに調子が良くなって、気分も良くなるということ。
 もともとスポーツをする習慣がない、運動嫌いの私であれば、運動で気分が良くなるという話を知ってはいても、実感するのは初めてのことでした。

 そこで私は、肉体に閉じ込められた精神は、単に閉じ込められているのではなく、激しくその支配を受けていることを知ることになります。
 もちろん、うつ病などの疾患が、体を動かせば治る、なんて、巷間ささやかれている俗説を主張する気はさらさらありません。
 特に症状がひどい初期段階においては、服薬と休養が、良くなってきても服薬が重要であることは論を待ちません。

 そのことを大前提に、精神障害者であれ健常者であれ、肉体の運動が及ぼす精神上の影響は大であることを、私は思い知らされたのです。
 そんなことで、今ではすっかり散歩が好きになりました。

 嘘か真か、臨死体験を持つ多くの人が、死に臨んで、肉体から解放された状態は、言語では表せないほどに軽やかで心地よいものであることを告白しています。
 
 それが死の瞬間の苦痛を和らげるための一時的な脳内麻薬の放出であるのか、実際に精神が肉体から解放された快感なのかは、もちろん分かりません。
 しかしそれが実際に起こるのなら、私たち人間、いや生物全体にとって、生命が存在する意味を問いかける重要な手がかりになるような気がします。

 死が苦からの解放であるなら、なぜ生命はこれほど死を怖れるのでしょうか。

 もちろん、これは仮定の話で、死が不明の事態であることに変わりはなく、そもそも生命が死を怖れなかったなら、生命を維持せしめることが出来なくなることは当然の話です。

 しかしそれにしても、死が解放であるのなら、私たちは何をもって明日の生存に希望を持てば良いのか、という根源的な疑問を抱かずにはいられません。
 そのことに本能的に気付いてしまったなら、人は自死を選ぶ他無いような気がします。

 多くの自殺者が絶望の果てに死を選んだのだとしても、結果として彼らは賢明な選択をしたことになり、しかもそれは僥倖だったことになります。

 以上のことは、肉体と精神についての思考の遊びに過ぎませんし、それでも私たちは生きなければならないわけですが、死を怖れるという健全な本能を維持しながらも、死が解放であると解釈することは、徒らに死に恐怖を感じずに済む、一種の処世術として、心深くに留めておきたいと思うのです。


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もうダメ

2015年10月27日 | 仕事

   昨日、今日と外部資金獲得のための膨大な書類仕事に追われました。
 もうダメそうです。


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冷たい

2015年10月26日 | 社会・政治

   在日本トルコ大使館前でトルコ人とクルド人が乱闘騒ぎを起こしたそうですね。
 大使館ではトルコ総選挙の在外投票が行われていたとか。

 トルコ人とクルド人だとか、オセチア人と南オセチア人だとか、日本人には理解できない対立があり、しかもそれは往々にして暴力沙汰を引き起こします。

 翻ってわが国とその隣国を考えてみても、あまり関係が良いとは言えません。
 韓国や中国とは反日と嫌韓、嫌中などと言われます。

 どうも人間、お隣が嫌いなようです。
 考えてみればそれは当たり前で、遠い異国とは接点がないし、利害関係もそれほどはありません。
 日米は遠い感じがしますが、広い太平洋を挟んだ隣国で、だからこそ利害が衝突し、大きな戦に発展してしまいました。

 家庭においても、騒音だとか匂いだとか、あるいは単にいけ好かないだとかいうくだらない理由で隣近所と険悪になったりしますね。

 隣近所どころか、親が子を殺したり子が親を殺したり、一度は好きあって一緒になったはずの夫婦が離婚沙汰に陥り、骨肉の争いを繰り広げたり。

 いやになっちゃいますねぇ。

 思うに、一人一人が、家族といえど配偶者といえど、基本的には自分ではない他人なのだと思い知ることが肝要ではないでしょうか。


 私は同居人と一緒になって18年、付き合っていた時期が4年、計22年の付き合いになりますが、喧嘩らしい喧嘩は一度もしたことがありません。
 その最大の理由は、互いに、冷たいくらい相手を他人と考え、自分と違う人格として尊重しているからだろうと思っています。
 赤の他人と争うことはめったにありません。
 夫婦といえど、自分とは異なる思考パターン、行動原理を持った他人です。

 まして利害が決定的に衝突することなどまずありません。
 何しろ家計も一緒だし、むしろ喧嘩などして嫌な思いをすることのほうが私にとって不利益です。

 人は私たちを冷たい関係と思うようですが、当人同士はいたって良好な関係を保っていると思っているのです。

 クルド人とトルコ人など、利害がまともに衝突する人々にそうしろと言うのは酷であろうとは思いますが、どこかで冷め切って考えないと、平穏は訪れません。
 韓国人のヒステリックな反日的態度を思うとき、いったいなぜそこまでと白けた気分になります。

 私は教育の最大の目的は、冷めた大人を作り出すことにあると思っています。
 常に冷めていれば感情を爆発させることもないでしょうし、つまらぬ理由で他人を攻撃することもなく、また一方、利害が対立するとなれば、本気ではなく、芝居で切れて見せることができるでしょう。
 怒るのではなく、必要に応じて怒ったふりができる大人が求められます。

   それには冷静さを保つことこそが最大の徳目だと教えることが必要でしょうね。
 そういう教員は多くないとは思います。
 それならまず、教員への再教育から始めてはいかがでしょうか。 

 


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早起きは

2015年10月25日 | その他

 昨夜は同居人が友人と飲み会だったため、いつもより2時間も早く寝てしまいました。
 独りで飲んでいると眠くなるものなのですね。

 で、朝5時にはばしっと目覚め、休日恒例の朝湯の前に洗車してしまいました。
 その後朝湯を楽しみ、朝食。
 二日酔いなのか同居人は起きてこず、洗濯をし、さらにはリビング、自室、応接間としている和室、トイレの掃除を済ませました。
 さすがに同居人が寝ているので寝室と同居人の部屋の掃除はできません。
 

 昼前に同居人が起きてきて、私にとっては昼食、同居人にとっては朝昼兼用の食事を近所のイタリアンで済ませ、そのまま近所を2時間ほども散歩しました。

 少し風が強かったですが、晴れて気持ちが良い日でした。

 今夜も早寝を心がけたいものです。


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30年

2015年10月25日 | その他

 2015年の秋を迎えました。
 当たり前ですが、1985年の秋から30年。

 1985年という年は、私にとって人生の、その生き方が変わった年です。
 すなわち、常習的に酒を飲むようになった年。

 当時私は高校1年生の16歳。

 きっかけは、夏に友人と行った海水浴。
 海水浴とは言い訳で、本当の目的はナンパ。
 しかしそんな子供が成功するわけもなく、私たちは自棄のようにウィスキーのコーラ割りを飲んで一夜を過ごしたのです。

 その時覚えた強烈な酒の快感が忘れられず、普段から、お小遣いで酒を買い、自室でこっそり飲むこととなりました。
 未成年ですから、問題飲酒者です。
 しかし4年たてば20歳になり、単なる酒飲みになります。

 当時のことを思い出してみても、私と酒の相性が良かったことは当然かと思います。
 常に鬱屈を抱え、それは誰もが経験する当たり前の、青春の鬱屈だったのだろうと思いますが、その時は自分は特別なのだと思い込み、それを紛らわせるのに酒は最適だったというわけです。

 以来30年、私の真の友は酒となり、いやむしろ、唯一の友となったと言えるかもしれません。
 酒を飲まない人生から酒を飲む人生となって、今年は30年というわけです。

 酒はキチガイ水とも言いますから、それは愚かなことなのだろうと自覚してはいるつもりです。

 しかし酒は、私を魅了してやみません。
 365日のうち370回くらい飲んでいます。
 昼酒を飲むことも時にはありますから。

 1985年といえば、阪神の優勝にわき、時代はバブル直前の、高揚感にあふれていました。
 そんななか、私はおのれの平凡な鬱屈に苦しみ、問題飲酒者への道をひた走ったのでした。

 今、月夜のなか、酒を含むと、はるか30年前の少年の自分と、疲れた中年でしかない今の自分が、真っ直ぐにつながるような心地がして、不思議な感慨に捉われるのです。


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記憶破断者

2015年10月24日 | 文学

 今日は「記憶破断者」というSFミステリを一気に読みました。

 記憶が1時間くらいしかもたないという奇病、前向性健忘症を患う男と、他人の記憶を書き換えることができる超能力者との対決の物語。

 他人の記憶を書き換えられることを悪用し、悪事のかぎりを尽くすダーク・ヒーロー。
 1時間前のことも覚えていられない男はノートを持ち歩き、こと細かくメモし続けることで、相手に対峙しようとします。

 ラスト近く、超能力者にノートを読まれることを想定し、あえて嘘を書いたり、重要なことを書かないでおいたりといった工夫をこらしていることが判明します。
 しかも当の本人はそれすら忘れてしまうので、ノートに書かれたことが本当だと信じ、だからこそ相手を欺くことが出来るという仕掛け。

 巧妙に仕組まれた物語で、堪能しました。

記憶破断者 (幻冬舎単行本)
小林泰三
幻冬舎

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因果はめぐる

2015年10月22日 | 社会・政治

 因果は巡ると言いますが、旧日本軍による慰安婦の問題を世界に喧伝している韓国、最近ベトナム戦争当時韓国軍によってベトナム人の女性が性的虐待を受けていたと訴えられているそうです。

 軍隊、わけても戦時下の軍隊に慰安婦は付き物で、おそらく世界中の軍隊が性的虐待を行った過去があるのではないでしょうか。

 韓国がベトナムからの抗議にどう応えているか知りませんが、韓国のネット上では、とっとと謝って日本とは違うことを示すべきだとする言い分と、ベトナム戦争に参加した国はあまたあるのに韓国だけ責められるのはおかしい、という説があるやに聞き及びます。

 しかし不思議ですね。
 殺し合いでしかない戦争そのものが最大の悪なのに、それに付随する性的虐待ばかりを言い立てるとは。

 同じ種類の動物同士が大規模に殺しあうのは、私の知るかぎり人間だけです。
 まるで殺し合いこそ人間の本能であるかのごとくです。

 しかし一方、お釈迦様の昔から、戦争は悪であり、殺し合いをしてはならない、という考え方も、広く人類全般にいきわたっています。
 今も平和運動は世界中で盛んです。

 しかし平和を唱えるだけでは、戦争の抑止にはなりません。
 そこが人間の最も悲しい点でしょう。

 戦争を抑止するには、十分な防衛力を維持しつつ、脅したりなだめたりすかしたり、さまざまな困難な交渉を半永久的に、しかも不断に続けるしかありません。

 戦争反対を唱えるのは簡単ですが、防衛力の整備や不断の交渉を続けることは、たいそう面倒くさいことで、だからこそ反核平和教とも言うべき楽な道を求める人が後を絶たないのでしょう。
 気持ちは分かりますが、ほとんど無意味なことです。

 あえて困難な道を歩まなければ、未来永劫、戦いはなくならないでしょう。

 しかし私は、わずかな希望を持っています。
 たとえば2度の世界大戦のような、軍事大国同士がガチンコで戦うような状況は、もはや想像しにくい世の中が現出しました。
 これを敷衍していけば、少しづつでも、殺し合いの頻度は減っていくような気がしています。

 ただ、気を付けなければならないのは、利益を求める戦争を根絶せしめることは可能でしょうが、正義を求める殺し合いはなくならないということ。
 利益のためなら、戦うことが不利益になるようにすれば良いわけで、思想信条は関係ありません。
 しかし思想信条で戦う人は手に負えません。

 まずは、絶対に正しい考えなど存在しないのだということが、唯一の正しい考えだと思い知ることでしょうねぇ。
 道は遠いですが。


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人材?あるいは人罪?

2015年10月20日 | 仕事

    最近何かと疲れます。
 それというのも、上層部が思い付きで好き勝手なことを言い、翌日には逆の指示をとばし、といった、脳死状態としか思えない、人材というか人罪だからです。

 サラリーマンであれば、脳死状態の阿呆な上司に苦しめられることはままあると思いますが、24年勤めてこれほどひどい人たちが上に集まっているのは初めてです。
 ほとんど壮観とさえ言えます。

 私にできることは、粘り強く現場の意見を誠実に説明することだけです。
 下の不満もたまってきています。

 さて、どうなりますことやら。


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股引

2015年10月19日 | その他

  ずいぶん涼しくなりました。
 腿が冷えるのが苦手な私は、今日から股引着用。
 真冬になると、さらにひざ掛けをして執務します。

 未だにクールビズが続いているとは奇妙ですねぇ。

 クールビズは、毎年5月1日から10月末日まで。
 半年もあります。

 Yシャツを着ないので、クリーニング屋もあがったりでしょうね。

 ネクタイを締めないことに慣れてしまったので、来月から首が絞められる感じになります。
 いやむしろ、首が暖かくてよろしいかもしれません。


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謎解き

2015年10月18日 | 文学

 本格推理、SFミステリ、コメディ調のミステリなど、様々なタイプのミステリを集めた短編集を読みました。

 小林泰三の「大きな森の小さな密室」です。

大きな森の小さな密室 (創元推理文庫)
小林 泰三
東京創元社

 その多様さゆえに少々戸惑いを覚えましたが、独特の世界に引き込まれました。


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修士目指して頑張ってね

2015年10月17日 | 精神障害

 昨夜は喫茶店の半個室で、修士論文の執筆のため、臨床心理学を学ぶ院生からインタビューを受けました。

 なかなかの美女で、気分よく話せました。
 かなり突っ込んだ質問が出たかと思うと今度は漠然とした質問だったりして、研究者としてはまだまだ未熟な感じでした。
 たっぷりと一時間以上も話をし、少々疲れました。
 わずかですが謝礼ももらいました。

 人生いろいろなことがあるものです。

 


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聞き取り

2015年10月16日 | 精神障害

 今日は1時間だけ年休を取り、早退しました。

 これからある大学院生のインタビューを受けるからです。
 某喫茶店で1時間ばかり話しをして、その後同じインタビューを受けるリワーク・プログラム時代の仲間3人で夕食の予定。

 リワーク・プログラムに通っていたのは5年以上前ですが、今でも何人かとは付き合いがあります。

 人との縁というのは不思議なものですねぇ。


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白玉の

2015年10月15日 | 文学

  私が最も敬愛する歌人、若山牧水はたいへんな大酒飲みでした。
 朝2合、昼2合、夜6合の酒を欠かさなかったと伝えられます。
 歌人は酒の飲みすぎが祟って43歳の若さではかなくなってしまいました。

 病床にあっても酒を欲し、医者ももはや止めなかったそうです。

 酒を詠んだ歌は数知れず。

 その中でも、

 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり

 というのは絶唱とも言うべき秀歌でしょうねぇ。

 この時季、帰宅して酒を口に含むと、必ず思い出します。

若山牧水歌集 (岩波文庫)
伊藤 一彦
岩波書店

 それにしても、40代後半に突入し、日々の楽しみは晩酌ばかりとなるとは、私も衰えたものです。
 酒の酔いがもたらす心地よさを求めて研鑽を怠り、精神の怠惰を放置するようになろうとは、若い頃には想像もしなかったことです。

 加齢がもたらす衰えは、ひとつ肉体ばかりではなく、精神にも及ぶのですねぇ。
 しかし私はもはや、それに抵抗する術を持ちません。

 肉体よりも先に朽ちていく精神の、その朽ちいく速さに、ただ、茫然とするばかりです。


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