今日で5月も終わり。
そろそろ梅雨でしょうか。
梅雨の後には、過酷な夏がやってきます。
紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘
正岡子規の句です。
日々色を変える紫陽花を擬人化したものかと思います。
人というもの、昨日には誠実であり、またAという相手には真面目に接していても、明日には嘘をつき、Bという人を裏切ったりします。
人と人との付き合いというのは難しいものです。
そうはいっても、概して誠実で真面目、という人もいれば、100人中99人から不誠実で信用できないと思われる人もいます。
概ね日本人は親切で誠実だということになっていますが、それも心々。
受け取る人によって異なるでしょう。
日々乱高下する私の狂った精神が、紫陽花のようではなく、穏やかであり続けることを望みます。
いつも6時20分に目覚まし時計を鳴らし、死ぬ思いで起き出すのですが、今朝はどうにも起き上がることが出来ませんでした。
7時半に起きて、熱を測ったら微熱があります。
熱が出ても、微熱程度なら平気な人もいますが、私は極端に熱に弱いので、今日は急遽休むことにしました。
午前中、風邪薬を飲んでひたすら眠ったら、午後には調子が良くなりました。
そこで、すぐお隣のGEOでDVDを借りてきました。
借りたのは、「少女」。
じつは、湊かなえの原作を、2年ほど前に読んでいます。
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二人の少女の夏休みを描いたミステリです。
二人の少女は親友同士。
アツコとユキです。
で、アツコはふとしたことがきっかけで学校でいじめられるようになります。
ユキはアツコのためだけに、アツコをモデルにした小説を書き上げます。
しかし、それを読んだ国語教師が勝手に自分の作品として新人賞に投稿。
見事入選してしまいます。
激怒するユキ。
でもどうすることもできません。
アツコはイジメを苦に、ユキは複雑な家庭環境と、小説を盗まれたことを苦に、死にたいと思うようになります。
ある時転校生が来て、親友が自殺し、遺体の第一発見者になってしまったことを語ります。
それを聞いた二人は、人が死ぬ瞬間を見たいと切望するようになります。
夏休みを利用して、アツコは老人ホームにボランティアに行き、ユキは難病の子供たちと友達になります。
複雑で重層的な物語が、二人の美少女を軸に進んでいきます。
普通原作のほうが映画よりも出来が良いことが多いですが、この作品は映画もなかなかの出来です。
でもきっと、女子高時代を親友として過ごした二人も、成長するにつれ、会うことも稀になるのでしょうね。
斉藤由貴の歌ではないですが、卒業するときはずっと友達だと思っていても、過ぎる季節に流されて会えなくなるものです。
それを思うと、二人の美少女も、やがて就職したり結婚したりして、単なる青春の思い出になるのだろうなと思ったら、出会いと別れを繰り返してきたおじさんは、なんだかやるせない気持ちになりました。
金曜日の夜は職場の同僚3人で飲みに行き、ちょっと一杯のつもりが、居酒屋からカラオケへと突入し、結局午前様になってしまいました。
おかげで昨日はぐったり。
今日も朝は10時まで眠り、午後は13時から15時まで2時間も昼寝してしまいました。
最近やや眠り過ぎの感じです。
眠りすぎは私にとってうつのサインでもあります。
生活習慣を改め、爽やかな毎日を過ごせるようになりたいものです。
現在、世界の人口はおよそ70億人なのだそうです。
1900年にはおよそ16億人だったそうですから、怖ろしい勢いで増えていることになります。
一方、わが国をはじめ、先進国は減少傾向。
豊かな国で人口が減るのは不思議ですね。
人類にとっては永遠とも思える時間のなかで、今この瞬間に同時に生きているというのは、例え遠い異国の、会ったことも無い人であっても、強い縁があるのだろうと思います。
まして日本というマイナーな言語をあやつる1億ちょっとの人々は、まさに同胞。
その中でも家族や友人、同僚になって言葉を交わす人々というのは、奇跡のような確率の縁ですね。
そう思うと、身近な人も、そうでない人も、すべての人々が限りなく愛おしく感じられます。
一方で、戦争が絶えたことはなく、テロは頻発しています。
愚かなことですが、これが人間の限界なのでしょうか。
チンパンジーは、集団での戦闘を繰り返すのだとか。
一方、チンパンジーより少し小さいだけのボノボは、集団での戦闘を行うことはないそうです。
ボノボの特徴は、異性間でも同性間でも、疑似的性行為を頻繁に行い、親密さを増すことで、平和を保っているのだとか。
LOVE & PEACEを実践しているかのごとくです。
しかし、我々人類が、声高にLOVE & PEACEを叫んだところで、ボノボのようにはなれないでしょう。
悲しいかな、それが人間の本性。
ならばできることは、利害の調整くらいしかありません。
しかし、利害による戦は避けることができても、思想信条の違いによる争いは、なかなか簡単には避けられないでしょう。
損得勘定なら、痛み分けによる落としどころは見つかるはずです。
まして、第三次世界大戦みたいなことになれば、核兵器による共倒れは必至です。
共倒れは究極の損。
だからこそ、戦後最大の核戦争の危機であったキューバ危機をも乗り越えたのでしょう。
当時、クレムリンもワシントンも、全面核戦争を覚悟したと伝えられます。
思想信条の違いによる争いの場合、一方が、どんなに損をしても絶対に引かない、と覚悟した場合、相手方も引くことが出来ません。
厄介ですねぁ。
損得を第一に考えられる、冷静な人間を作る教育が求められる所以のものです。
私が小学生だった1970年代後半、ノストラダムスの大予言という本が流行って、テレビでも特集番組がたびたび放送されました。
当時は、1999年7月に人類が滅ぶ、という予言が、恐怖をもって語られることがもっぱらでした。
1999年7の月、恐怖の大王が天から降ってくる。
彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ、その前後、マルスが正義の名のもとに世界を支配する。
うろ覚えですが、上記のような内容だったと思います。
アンゴルモアの大王という言葉が何を指すのか、今もって定説は無いようですが、マルス(火星)というのは、米国を指すとされています。
要するに何か恐ろしい事態が起きるらしいこと、その当時、米国が正義の名のもとに世界を支配している、ということが読み取れます。
恐怖の大王を、巨大隕石だと解釈したり、宇宙人だと言ったりする怪しい研究者がテレビで恐怖を煽っていましたね。
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小学生だった私は、1999年7月だと自分は29歳になっているのかと思い、遠い将来だと感じつつ、30歳まで生きられないのかと、本気で心配したことを懐かしく思い出します。
その後、近未来の設定で「1999年の夏休み」という、美少女ばかりが美少年たちを演じる、トランスジェンダーめいた倒錯的な映画が公開され、世紀末気分を盛り上げたりしました。
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しかし当然、1999年7月には何も起こりませんでした。
私は深く失望しました。
何か巨大なスペクタクルを期待していたのでしょう。
その後2001年に起きた9.11テロが上の予言のことで、時制の狂いは誤差の範囲とする珍説が登場しましたが、どっちにしても人類が滅ぶことは無かったわけです。
1999年からもう18年。
テロが頻発しているとはいえ、今も人類が滅ぶ気配はありません。
このつまらない現実を、淡々と生きていくしかないのだと思い知らされた一件ではありました。
そんなことを思い返していると、来し方を振り返り、深いノスタルジアの世界に引き込まれます。
8月で48歳になりますが、私は未だ、自分が何者にもなり得ていないと感じています。
仕事は事務職なので、異動があれば一から覚えなければならないことも多く、何かの専門家にはなり得ません。
広い意味で事務の専門家なのかもしれませんが、そもそも事務の専門家という言葉そのものが言語矛盾のような気がします。
事務なんて要するに何でも屋ですから。
その時々で、例えうつ病の底に沈んでいた時でさえ、復職支援プログラムに通ったりして、最善と思われる道を選んだつもりでいます。
しかし最近、右に行くか左に行くか迷った時、私は常に誤った道を選んできてしまったのではないかという思いを強くしています。
人生なんてうまくいかない、それは事実なのでしょうが、ノストラダムスの予言に怯えていた小学生の頃、私だけはすべてがうまくいくはずだと、漠然と思っていました。
強いてうまくいったことがあるとすれば、同居人と出会い、結婚したことでしょうか。
はじめて出会った26年前、私は22歳、彼女は23歳でした。
第一印象はお互い悪いものでしたが、付き合い始めると、趣味嗜好の一致に驚いたものです。
子宝には恵まれませんでしたが、喧嘩一つすることなく、今も仲良くやっています。
かつて、「黄昏」という映画だったと記憶していますが、老いた妻に、同じく老いた夫が、「しわの一つ一つが美しい」といった意味のセリフで、互いに老いた今こそが美しいのだと、老いを称揚してみせた場面に深い感銘を受けたことがあります。
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私と同居人も、素敵で美しい老夫婦になっていきたいものだと思っています。
精神科の主治医は、何よりも今、ハッピー感を感じられているかが大切だ、と諭します。
持って生まれた気質ゆえ、ハッピー感というものはほとんど感じませんが、それが感じられるようになることをもって、良しとしなければなりませんね。
いや、それ以上のことはあり得ないのでしょう。
もはや幼い頃のように、巨大なスペクタクルを望むでもなく、分かれ道での誤りを悔いるでもなく。
1971年に起きた左翼過激派による渋谷暴動事件で警察官を殺害したとみられる容疑者が逮捕されました。
じつに46年前の事件です。
よくも46年も逃げおおせたものです。
容疑者も被害者も当時20代前半。
今では60代後半になっています。
普通のサラリーマンでいえば、新人が引退するまでの期間よりも長い間、逃げていたのですね。
時効とかはないんでしょうかねぇ。
その間の容疑者の精神の動きはいかなるものであったのでしょうか。
1971年当時は、まだ浅間山荘事件の前で、左翼過激派は一定の勢力を保ち、本気でわが国で共産革命を起こせると信じていたのかもしれません。
しかし、時代は変わり、左翼過激派は弱体化し、一般庶民の間に革命を望む声など皆無に等しくなりました。
その時代の移り変わりのなか、おのれが信じる思想信条はほぼ否定され、それでもなおそれにしがみつかなければ生きていけないとは、想像を絶する状態です。
左翼過激派は勢いを失い、その代替物のように現れた各種新興宗教も、オウム事件で息も絶え絶え。
過激な思考に陥るのは若者の常とはいえ、誠に愚かしいことです。
そしてまた、被害者となった警察官の遺族や元同僚の46年間。
その長い年月を思うとき、私はただ、瞑目せざるを得ません。
頑迷な老人になっているであろう容疑者、今更思想信条を捨てて反省することなど望むべくもありません。
仮に獄中につながれても、おそらくは自らを革命の犠牲者くらいにしか考えないでしょう。
被害者はもちろん、容疑者もまた、哀れに思えてなりません。
早く転向して自首していれば、若気の至りで済んでいたものを。
そうすれば、残された遺族も、多少は心の平穏を得られていたであろうものを。
時、あたかもイスラム過激派とみられる者によって英国で凄惨なテロが起きたばかり。
過激なものに憧れる青少年の心情は、私もかつて青少年であった頃を思い起こせば、理解できなくもありません。
しかしぼんやりと憧れるのと、実際にテロ事件を起こすのとは大違いです。
空想のなかで世界を焼き尽くそうと、独裁者になることを夢想しようと、さしたる害はありませんが、一人でも傷つければ、それは凶悪犯罪者です。
被害者や身近な者に多大な苦痛を与えるのみならず、自らも大きな損失を被ります。
誰にも良いことはありません。
過激であることを求める心情は、普通、成長して社会に出れば消滅するか、ほとんど馬鹿馬鹿しく思えるようになるものです。
過激な組織に属する前に、一歩、踏みとどまって考え直してほしいものです。
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人間が集まるとろくなことがありません。
性が合わないだの、嫉妬だの。
まして私の職場は非正規の女性職員が多いので、なおさらです。
あっちからもこっちからも愚痴をこぼされ、嫌になります。
まぁ、そういう立場なのだから仕方ないのかもしれませんが。
しかし、さすがに涙ながらに訴えられると、こっちもへこみます。
今週末は、某女性職員の愚痴を聞くためだけの飲み会。
疲れますなぁ。
不安や憂鬱といった負の感情は、私にとっては最も親しいものです。
それは何も、35歳でうつ病を発症した時に始まったわけではありません。
思い起こせば、小学校の頃も、いや、幼稚園ですら、毎日通うのが不安で憂鬱で仕方なかったように覚えています。
思春期の頃は、対人恐怖的な感情に支配された時期もありました。
それは成長するとともに自然に良くなりましたが、不安や憂鬱が消えることはありませんでした。
そんな私の思い癖が爆発したのが、うつ病の発症だったのだろうと思っています。
今、うつ病から双極性障害になり、毎日服薬しているため、不安や憂鬱に押しつぶされそうになるようなことはありませんが、ぼんやりとした不安や憂鬱は、いつも心の底に沈殿しています。
それは大きくなったり小さくなったりしながら、決して消え去ることは無く、私を苦しめます。
これは多分持って生まれた気質で、変わることはないんだろうなと感じています。
オランダやベルギーなどでは、安楽死が認められています。
それは肉体的、精神的な重度の病気でなくても、本人が生きていること自体に絶望し、死ぬ以外に生きていくという苦痛を取り除くことができない、という場合にも認められ、実際に、肉体的、精神的に健康と診断されながら安楽死が認められたケースがあると聞きます。
多分、私が抱えているような不安や憂鬱が、私なんかよりもはるかに大きい場合、安楽死が認められるのだろうと思います。
私はうつが激しい時、自殺願望にとらわれていましたが、実際に自殺を試みたことはありません。
せいぜい身辺整理をしたくらいです。
今は死にたいなんて全く思いません。
してみると、安楽死を望む健康な人が抱える闇の深さは想像を絶するものがあります。
それほどの闇を抱えていなくて良かったと言うべきでしょう。
多かれ少なかれ、不安や憂鬱は生身の人間にはつきものの感情なのでしょうから。
私はこの気質と付き合いながら、生きていくほかなさそうです。
今日も暑かったですねぇ。
でもまだ冷房は必要ありません。
今日は自宅でひたすらごろごろしていました。
なかなか2日続けてお出かけする気になりません。
寝て曜日もたまには良いでしょう。
今日は夏日になりました。
今シーズン初、羽織なしの着流し姿で珍しく秋葉原をふらつきました。
車を立体の時間貸し駐車場にとめて、歩き始めました。
昭和を彷彿とさせる、機械の部品なんかを専門に扱う小さな店を冷やかしたり、どう見てもブサイクばかりとしか思えない、チラシ配りのメイド姿の若い女をものめずらしく眺めたり。
秋葉原という町は昔ながらの電気街という側面と、メイド・カフェやフィギア専門店などの、いわゆるヲタク文化の町という側面が同居していて、なかなかに興味深いものです。
ガンダム・カフェとAKB48・カフェが並んでいて、どちらも行列ができていました。
それにしても中国人をはじめとする外国人観光客の多い町です。
もしかしたら浅草以上かも。
駐車場にもどる途中、高架下に趣味的なお店が集まっている空間があって、冷やかしました。
2K540 AKI-OKA ARTISANというのだそうで、和雑貨の店やパンケーキの店などがあって、面白く歩きました。
行ってみないと分からない発見があるのが、散歩の醍醐味。
その中にあるカフェで珈琲を飲み、偶然見つけた成城石井でお惣菜を何種類か購入して、帰宅の途に付きました。
満足。
だかどうでもよくなってきました。
酒を控えて長生きするのが幸せなのか、飲みたいだけ飲んで早死にするのが幸せなのか、分からなくなりました。
酒飲みの業ですなぁ。
で、今も飲んでいます。
幸せの定義とは何なのか、少なくとも私にとっての幸せが何なのか、考えなければいけませんね。
今日は日直の振替休日。
朝は11時まで眠っていました。
休日の朝寝はよいものです。
お昼は朝昼兼用の鴨せいろを食しました。
午後はDVD鑑賞。
リドリー・スコット監督の「オデッセイ」を観ました。
火星に一人取り残された宇宙飛行士を必死の努力で救い出すお話。
この監督らしい深味が感じられませんでした。
古き米国の開拓魂を鼓舞するような内容で、ひねくれ者の私にはストレート過ぎるお話でした。
元気は出るかもしれませんが。
オデッセイ [DVD] | |
マット・デイモン,ジェシカ・チャステイン,クリステン・ウィグ,キウェテル・イジョフォー,ジェフ・ダニエルズ | |
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン |
5月4日が日直のため出勤だったため、明日は振替休日を取りました。
週の半ばに休みがあると、ずいぶん気分的に楽です。
ほんの30年ほど前までは、土曜日も半日出勤だったのですから、体力的にきつかったことでしょう。
26年前、私が就職した最初の年から、国家公務員は完全週休2日になりました。
幸いなことです。
働くから休みがうれしいということはあるでしょうが、毎日が休みだったらこんな嬉しいことはありません。
長生きした者だけが、毎日がお休みという特権階級のような僥倖に見舞われるわけですから、是非とも長生きしたいですねぇ。
でも年金の支給開始年齢は少しづつ上がっていくんでしょうね。
70歳から、なんてことになったら絶望的です。
47歳の今でも疲れやすくて参っちゃってるというのに。
なかには健康の天才みたいな人がいて、100歳過ぎても元気に働いていたりするから驚きです。
そういえば、私が尊敬する中曽根康弘先生は、今年99歳になるそうです。
まさしくスーパー・パワー・エリートですね。
総理大臣経験者で100歳に達した人はいないんじゃないでしょうか。
中曽根先生にはその第1号となってもらいたいものです。
そして、悲願の憲法改正を見届けてほしいものです。
なにしろ新人議員の頃から、憲法改正を訴え続けてきた御仁ですから。
私も中曽根先生にあやかって、長く生きたいものです。
そして現在進行中の情報革命が人の世をどう変えるのか、見極めたいと思っています。
昨日はひどい雨で、どうせお出かけできないので、いくつか用事を済ませました。
まずは散髪。
その後、もう17年服用し続けているコレステロールを下げる薬をもらいに内科へ。
私は母親がコレステロールが高い家族性の高コレステロールで、医師から食事療法をしても運動をしても無駄だから薬を飲むしかないと言われ、30歳のときから服用しています。
医師が言うには、片親だけが高コレステロールだったから良かったが、両親ともに高コレステロールだったら、血液検査をする年齢になる前、20歳くらいで死んでいただろう、とのことです。
怖ろしいですねぇ。
お昼は天ざるを食い、その後夕食の買い物。
カツオのたたきと鯛を軽くあぶった刺身を購入しました。
夕方は月に一度の精神科。
もう特に話すことも無いのですが、診察を受けなければ絶対に薬を処方しない、という、ある意味良心的な医者なので、仕方ないことです。
世間には、長く通院していると、診察なしで処方箋だけ出してくれる医師も多いと聞きます。
今朝は11時まで眠ってしまいました。
お疲れなんでしょうか。
今日のお昼はインドカレー。
ナンを半分にしてもらいました。
ナンを丸1枚はとても食えないので。
そうかと思うと、若くてスリムな女性がナンをおかわりしていてびっくり。
お昼を食べてから1時間ほど散歩し、一週間分の食材の買出し。
今日の夕飯はサワラの塩焼きです。
なんだか冴えない週末でした。
「うんこ漢字ドリル」という漢字の練習本が、子供たちに大うけし、ヒットを飛ばしているそうです。
日本一楽しい漢字ドリル うんこ漢字ドリル 小学3年生 | |
文響社(編集) | |
文響社 |
1年生用から6年生用まで出ているのだとか。
内容はといえば、1年生で習う「田」なら、「田んぼのどまん中でうんこをひろった」、2年で習う「刀」なら「名刀でうんこを真っ二つに切りさいた」という具合に、例文すべてに、うんこをちりばめることで、小学生たちのハートを鷲づかみにしているんだそうです。
しかも6年生用になると、うんこ漢字ドリルからの卒業を予感させる、センチメンタルな例文が用意されているなど、頓智が効いています。
思えば小学生のころ、私もうんこが好物でした。
小学生にとっては、笑いをさそう最強のキラー・ワードでしょうね。
親たちも、最初は目を顰めていたようですが、勉強嫌いのわが子がゲラゲラ笑いながら漢字の勉強をする姿を見て、このドリルの威力を思い知り、強く支持するようになったようです。
逆転の発想というべきか、いやむしろ、当然か。
いずれにしろ、コロンブスの卵のようなものですなぁ。