ブログ うつと酒と小説な日々 その上しょっちゅうホラー映画  

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさん(とびお)の日記

詣で終い

2017年12月30日 | 散歩・旅行

 今日は年末恒例の詣で終い。
 年始は異常に混むので、毎年年末に、お伊勢様の東京分社、東京大神宮にお参りしています。

 ここは平成10年(1998年)に結婚式を挙げた神社。
 パワースポットブームで近年参拝客がすごく増えました。

 来年で結婚から20年が経つのですねぇ。

 子供が出来ないせいか、いつまで経っても新婚気分です。










 お参りを終えて、飯田橋駅近くのデニーズで牡蠣フライ定食を食し、風情のある神楽坂周辺を2時間ちかく歩き回りました。

 東京大神宮にお参りし、神楽坂を歩くと、年末だなぁと感じます。

 今日は風もなく、暖かくて、散歩日和でした。

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雑用な一日

2017年12月29日 | その他

  年末年始の6連休初日。

 早朝から掃除にいそしみました。
 普段掃除しないような所まですみずみ。

 午前中に一通り終えて、お昼は小柱とネギの生姜風味パスタとガーリックトーストと珈琲。
 サラダかガーリック・トーストを選べる店で、いつもはサラダにするのですが、今日は掃除のせいか腹が減り、ガーリック・トーストにしました。

 その後昼寝。

 午後は千葉そごうに年賀の品を買いに行きました。
 例年ですと千葉三越に行くのですが、今年閉店してしまいましたから。
 そのせいか、千葉そごうの地下食料品売り場はたいへん賑わっていました。
 
 私の実家には、千葉名産、落花生の詰め合わせ。
 同居人の実家は同じ千葉市内ということで、虎屋の羊羹。

 なんだかよく働いた感じです。

 これですっきりと正月を迎えられそうです。

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仕事納め

2017年12月28日 | 仕事

  今日は仕事納め。
 私の所属する部署では、半数以上の職員が休暇を取っており、閑散としています。

 法人化前の平成15年までは、この日は昼から宴会でした。
 仕事始めの日も、昼から賀詞交歓会と称する宴会。

 1日がとても長く感じられましたっけ。

 だんだんと世の中が厳しくなり、勤務時間中に酒を飲むとは何事かということで、その後終業後にやるようになりましたが、いつの頃からかそれもなくなり、多くの人が休暇を取る日になってしまいました。
 
 時代の流れ、ですかなぁ。

 何はともあれ、今年の仕事も無事終わりました。
 来年のことは考えず、1月3日までの6連休を楽しみたいと思っています。

 

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貴乃花親方を支持します

2017年12月28日 | 社会・政治

   最近、貴の岩への暴行問題が、変な方向に向かっているように感じます。
 貴乃花親方の対応が一番悪い、みたいな論調が目立つようになってきました。

 執行部の一員である理事として、相撲協会に報告しなかったことや、相撲協会の聴取になかなか応じなかったことや、自分の正しさをひたすら主張する態度などが、相撲協会から見ると面倒くさいやつに見えるようです。

 面白いのは、マスコミやら相撲関係者と称する人やら、外部の人も、貴乃花親方を困った駄々っ子のように報道していること。

 しかし、貴乃花親方は、最初から刑事事件として警察に届けたわけです。
 このこと自体は、不思議なことではない、むしろ当たり前のことです。
 暴行を受けて怪我をさせられれば、警察に被害届を出すのは、至極真っ当なことです。

 また、警察に被害届を出した場合、被害者が、警察以外に何も語らない、というのも当たり前です。
 「捜査中だからコメントしません」とか、「判決が出るまで何も話しません」という言葉に、私は違和感を感じません。

 むしろ、組織の一員としてその組織にまずは報告すべき、というほうが、私には不思議な論理に思えます。
 そんなことをすれば組織によってうやむやにされ、果ては看板力士である白鳳や日馬富士を守るため、なぁなぁで納めてくれ、と言い出す可能性が極めて大きいと思います。
 弟子が受けた暴行は刑事事件であり、そのことをはっきりさせたいため、刑事告発し、裁判に持ち込むのが一番効果的だと考えたのなら、警察以外には何も話さないほうがよろしいでしょう。
 組織の一員としての報告義務を怠った、と言いますが、それは報告することでこの問題を隠蔽されるのを怖れたからだとも言え、理事にそのような危惧を抱かせた協会及び理事長の責任をもっと厳しく問うべきです。


 おそらく貴乃花親方は相撲関係者から見ると、相撲界の因習に染まらない変なやつに見えるのでしょう。



 もう10年近くなりますが、私は職場のトップからパワー・ハラスメントを受けて精神障害が再発し、これを正すために、弁護士を立ててトップの非を攻めたてました。
 しかしこの時、職場では陰に陽に、弁護士を立てることを阻止しようと、立てた後では取り下げさせようと、圧力を受けました。

 その時よく言われたセリフが、「同じ職場の仲間じゃないか。行き過ぎた発言はあったかもしれないけど、大人の態度で穏便に済ませてくれよ」みたいなこと。
 同じ職場だからこそ、第三者である弁護士を入れなければ、公正な話し合いが出来ないと考えただけなのに。


 それらの、私に翻意を促す発言は、私に油を注ぐ効果しかありませんでした。
 私をして、職場内で不利益を被ろうと、変人扱いされようと、徹底的にやってやる、と決意させたのです。
 
 理は我にあり、という強い思いを抱きました。

 それで結局、公文書による謝罪と和解金をせしめたわけです。

 私は世の中を変えるのは変人だと思っています。
 偉人と言われる人は、大抵変人でもあります。
 貴乃花親方は偉大な変人であり、私もそうありたいと思っています。

 相撲協会及びマスコミの報道などを見ていると、貴乃花親方の心情がよく理解できます。
 被害を受けたのは自分の弟子であって、加害者に対し正当な罰を下してほしい、相撲協会内部の調査では、きっと揉み消されてしまう、というものだと思います。

 私はふてぶてしいというか、駄々っ子のようなというか、あの堂々とした貴乃花親方の姿勢を全面的に支持します。
 もし貴乃花親方に降格などの重い処分が出たなら、それを不服として別の裁判を起こして欲しいと思います。
 なぜなら、少なくとも貴乃花親方は、自身の行動に間違いはない、と確信しているのでしょうから。


 わが国で蔓延する、組織防衛のためには少々の悪は許される、みたいな、ムラ社会的な論理は、徹底的に破壊されるべきです。
 まして相撲界なんて、ムラ社会の典型のような組織であるように見受けられます。

 貴乃花親方には、信念を貫いてほしい、と切に願います。 
 その姿を見せることは、相撲協会のみならず、わが国全体を覆う、ムラ社会的な、ドロドロしたものを、多少なりとも浄化する作用があると、私は思っています。


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不道徳ゆえに価値が上がる?

2017年12月27日 | 文学

   かつてナチは、多くの近代美術作品を押収し、ドイツ全土を巡回して退廃芸術展を開催しました。
 これは、表現主義、抽象絵画、新即物主義、ダダイズム、シュルレアリスムなど、20世紀美術の主要な動向にかかわる作品群を、退廃芸術として弾圧し、晒し者にすることを目的としたものです。






 この展覧会は多くの観客を集め、現代にいたるも、これ以上の観客数を誇った展覧会は、ドイツでは開催されていません。

 しかしおそらく、多くの観客は、退廃だ、唾棄すべきものだと口にしながら、じつはその美に酔っていたのではないかと推測します。
 何もナチが政権を取ったからと言って、ドイツ人の多くが近代絵画を嫌ったわけではありますまい。

 芸術と倫理をめぐる考え方は、様々なものがあり、ナチのように単純化することは出来ません。

 美的判断と倫理的判断とが同じ芸術作品に適用されると、ややこしいことになります。
 美的だけど倫理的じゃない、あるいはその逆、なんていうことは、芸術作品には非常に多く見られる現象です。

 代表的な考え方に、自律主義と道徳主義と言われる立場があります。

 自律主義は、作品に不道徳な面があったとしても、美的価値には一切影響しない、という立場。
 道徳主義は、作品の美的価値は、それが道徳的であるか否かによって左右される、という立場。

 また、倫理主義と不道徳主義という立場も存在します。

 倫理主義とは、道徳的長所は必ず作品の価値を向上させ、道徳欠陥は必ず作品の価値を低下させる、というもので、道徳主義よりはやや緩やかです。
 不道徳主義とは、或る芸術は不道徳であるがゆえにいっそう価値が上がるのみならず、倫理的機能が芸術作品に備わるのは、不道徳性を内在させているかどうかで決まる、という立場で、自律主義より一歩進んでいます。

 例えば極悪人が登場して悪事のかぎりを尽くす物語は、鑑賞者に、では道徳とは何なのか、倫理的であるというのはどういうことなのかを考えさせるきっかけになるのは当然のことで、だからこそ、古来、反道徳的な要素を含んだ芸術作品が多いのであろうと思います。

 芥川龍之介の「地獄変」は、高校の教科書などでよく取り上げられます。

 この作品は、稀代の絵師が、地獄図を描くよう貴族に依頼され、絵師が貴族に牛車のなかで焼け死ぬ美女を見なければ絵は完成しない、と訴えると、貴族は絵師の娘に豪華な衣装を着せて牛車に閉じ込め、火を放って娘は焼け死に、絵師は恍惚とした表情で自分の娘が焼け死ぬ場面を眺め、ついに地獄図は完成する、という物語です。

地獄変・偸盗 (新潮文庫)
芥川 龍之介
新潮社


 芸術至上主義と言うべきか、悪と言うべきか、そういうものを描いて、芸術と倫理の問題に迫ったもので、名作とされています。

 このような作品を前にして、道徳主義や倫理主義の立場を取る人々は、何と評するのでしょうね。

 「地獄変」のみならず、ドフトエフスキーの作品群、さらにはサド侯爵の残酷な作品群に対しては?

 また、倫理観や道徳は時代や土地柄によって変化する、ということも重要です。

 結局のところ、或る作品は反道徳であってもそれがゆえに評価され、また或る芸術は道徳的であるがゆえに評価される、という多様な評価方法が同時になされるということが大切なのだろうと思います。

 世界認識や自己認識を揺さぶる、あるいは肯定する、芸術作品の多様さに鑑みて、評価もまた、多様でなければならないと思います。

 あとは好悪の問題でしかありません。

 あらゆるジャンルの作品を客観的かつ均等に評価できる鑑賞者など、存在し得ないのですから。
 

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