ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

少年の暴行死

2015年02月28日 | 文学

  13歳の少年が河原で殺害されていた事件の容疑者とおぼしき17~18歳の少年3名が捕まったそうですね。

 漏れ伝え聞くところでは、被害者の少年は不良グループのパシリのような役割だったところ、ささいな理由で暴行を受けるようになり、グループから抜けたがってさらなる暴行を受け、故意か否かはともかく、殺害に至ったようです。

 故意か過失か未必の故意か、そこら辺は裁判で重要な要素になるのでしょうが、素人目から見ると、そもそも遺体が全裸だったという時点で、はなから殺す気だったとしか思えません。

 実話をもとに残忍な殺人犯を描いた「凶悪」では、いともたやすく人を殺す、「先生」と呼ばれる人物が登場します。



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 何が「先生」だ、という怒りが湧いてくるような映画でしたが、それも実話だと思えばこそ。
 虚構だと分っていれば物語として楽しめるでしょう。

 日頃残酷な物語を楽しむことを常としている私ですが、この世で現実に起きたとなると、さすがに怒りや恐怖が湧いてきます。

 角田某という女がいくつもの家族を手玉に取って殺害し、逮捕されたら自殺するという残忍な事件が発生しましたね。
 あの時は大人が大人を支配することがいともたやすく出来てしまうことに恐怖を感じました。

 このたびの事件は、13歳の少年を17~18歳の少年たちが支配しようとして失敗し、殺害するというお粗末な事件でした。
 13歳と17~18歳では、天と地ほど発達に違いがあり、同世代同士のイジメとは全く異なるものだろうと思います。

 そのような環境のなか、グループから抜けたがっていることが知られることは、被害者にとって非常に不利に感じられたことでしょう。
 そのような意思表示をするということは勇気あることだろうと思います。

 しかし加害者たちは、年少の者の必死の訴えに対し、死ぬまで暴行するという暴挙で応えました。

 じつは私も小学校3~4年生くらいの頃、イジメの加害者であったことがあります。
 正直、イジメが面白いと思っていました。
 しかしそれは教師に発覚し、親にもばれ、こっぴどく叱られてそれっきりになりました。
 
 しかし小学校中学年と17~18歳ではあまりにも年の差があります。
 普通17~18歳ともなれば、無駄にイジメなんてしないし、まして人殺しなど。
 交通事故でもない限り、確信犯でなければ人を殺すことなどできますまい。
 それは道徳観念ゆえであれ、刑罰を怖れるゆえであれ、ただなんとなくであれ。 

 捕まった少年たちがもし有罪であったとして、少年法に守られて大した罰を受けないのでは、殺された13歳の少年も浮かばれません。

 成人を18歳にしようという動きもありますし、罪に見合った罰を科してほしいものです。

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美の仙人

2015年02月27日 | 文学

 職場の庭に植えられた紅梅が、見事に咲いているのに気付きました。
 満開になるまで気付かないとは、我ながら迂闊です。

 平安期に桜が好まれるようになり、江戸時代以降は花見といえば桜と定まりましたが、古く、奈良時代頃には、花といえば梅を指したと伝えられるほど、梅はわが国の人々に愛好されてきました。
 早春、凛列たる空気の中、可憐に咲く様が人々の心をとらえたのでしょう。
 また、桜よりもはるかに長く楽しめる点もよろしかろうと思います。

 桜には狂気が似合うのと対照的に、梅には落ち着いた風情があります。

 桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿、という言葉があるほど、梅は剪定に強く、生命力の強さを象徴してもいるのでしょう。

 桜が咲くと、私の心はざわつきますが、梅の場合そういうことはありません。

 梅を詠った詩歌は数知れませんが、私は何度かこのブログで紹介した与謝蕪村の句をもって嚆矢とします。

 白梅(しらうめ)に 明くる夜ばかりと なりにけり

 というものです。

 臨終の床にあって、あの世は愛する白梅が毎朝咲く夢のような世界なのだろう、と詠んでいるわけです。
 桃源郷を端的に表すのに白梅を使うあたり、その心性がよくわかります。
 そのような世界では、心をざわつかせる桜は似合いませんから。

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玉城 司
角川学芸出版

 できることなら、私はサラリーマンを続けながらでも、文学にせよ美術にせよ、美的な世界に遊び、酒に酔ったまま日月を重ね、老いていきたいと思っています。

 もちろん勤務時間中にはそれは叶いませんから、終業後やお休みの日に、思い切って酒を飲み、酔った頭のまま美的作品群に耽溺したいと思います。
 そのように老いたなら、現実社会で身に着けてしまった垢はすべて洗い流され、美しい老人になれるのではないかと思うのです。

 与謝蕪村のような郷愁を感じさせる美しい句を作る才能は私にはありませんが、せめて先人が残した名品を鑑賞することで、わが国における美意識の本質に迫りたいと思っています。

 それは何も学術的に研究するということであるはずがありません。

 ただ私が感じるままに、直感的に、その本質を感得しようというのです。
 それが成った時、私は人であることを止め、美の仙人に変じていることでしょう。 

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2015年02月26日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜は、あまりに不道徳で美しい、という触れ込みのホラーを鑑賞しました。

 肉」です。



 高校を卒業したばかりと思われる姉と14歳の妹の美しい姉妹。
 それに幼い弟と両親。
 田舎町で平和に暮らす平凡な一家です。

 しかしこの一家には、18世紀から続く怖ろしいしきたりがあったのです。

 それはずばり、人肉食。
 18世紀、獲物が取れずに困ったご先祖様が始めたようですが、食糧に不自由しなくなった今も、人をさらっては地下に監禁し、子羊と呼びます。

 そして定められた日、一家の主婦が子羊を殺害して調理し、家族は正装してこれを食すのです。

 ある時、母親が死亡してしまいます。
 死因は、人肉食によって罹患するとされるクールー病。
 この病気、パプア・ニューギニアのある部族で頻繁にみられるそうです。
 最初は手や足が震えるようになり、やがて歩行困難になり、脳にも異常をきたすという怖ろしい病気です。
 やはり共喰いはタブーであるようです。

 母親の死に打ちひしがれる父親。
 しかし彼は、人肉食を伝統どおり続けると宣言し、主婦たる役目を長女に命じます。

 姉妹は激しい葛藤のなか、ついに殺害、調理を行ってしまうのです。

 ラストは圧巻でしたねぇ。

 人肉食を止めたい次女が食事中に父親の喉笛に噛みつき、それを見た長女も父親にかぶりついて直接生肉を喰らい、ついには父親は死亡してしまいますが、それでも姉妹は口を血で真っ赤に染ながら、夢中で父親の生肉を食い続けるのです。

 ここに至って、姉妹は父親が亡くなっても人肉食を止められないであろうことが示唆されます。

 カニバリズムをテーマにした映画は多く作られていますが、神に選ばれ、儀式としての人肉食を続ける家族とは、いかにもえげつない話です。

 私は触れ込みのような美しさはこの映画に感じませんでした。
 たしかに姉妹はそろって美少女だし、ラストの口を真っ赤に染め、目に狂気を帯びた姿は圧巻でしたが。

 ちなみにこれ、18禁だそうです。
 残酷な映画は見慣れていますが、その私にとっても、かなりきつい作品でした。 

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白ゆき姫殺人事件

2015年02月25日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 なんとなく疲れてしまい、今日は休暇を取りました。
 午前中眠って過ごし、午後はDVDを鑑賞しました。

 井上真央主演のサスペンス、「白ゆき姫殺人事件」です。



 美人OLが殺害され、テレビ局の契約社員が真相を追います。
 そのうち、殺害されたOLと同僚の、地味で目立たない女が容疑者として浮かび上がります。

 井上真央が地味で目立たないOLの役を演じるのは違和感があるのでは、と思いましたが、そこは子役時代から芝居を続ける芸達者。
 本当に地味に見えてきます。

 怖ろしいのは、契約社員のツイッターでのつぶやきが拡散し、さらにはテレビのワイドショーなどでも取り上げられ、確たる証拠もないのに井上真央演じる主人公が極悪な殺人鬼として印象付けられていく過程。

 現代の情報化社会が抱える病理が浮かび上がります。

 また、証言する者によって、一つであるべき真実が何層にも語られる点は、芥川龍之介の名作、「藪の中」にも通じます。

藪の中 (講談社文庫)
芥川 龍之介
講談社

 追い詰められた主人公が自殺を決意した直後に真犯人が逮捕され、それをニュースで知った主人公が救われるというところも、どこまでいっても現代の情報がいかに現実を変えるかを物語っています。

 しかし最も印象深いのは、今は引きこもりとなってゲーム三昧の日を暮らす小学生時代の主人公の親友が、主人公の無実を確信していることです。

 情報から隔絶しているからこそ、そのような確信を維持できたとするなら、情報化社会とは、巨大な噂が支配しているのかもしれないと、恐怖を感じました。

 正直、映画としての完成度は高くないですが、その意気は感じられた作品でした。

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奇妙

2015年02月24日 | 思想・学問

 ドイツでは長いこと、ヒトラーの著書、「わが闘争」は発禁でした。
 あの暗い過去の記憶が、表現の自由よりも、禁書扱いにしたほうが楽だと思わせたのでしょう。

 しかし、わが国においても、他の自由民主主義国家においても、「わが闘争」は容易に手に入れられる書物であり続けています。

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)
平野 一郎,将積 茂
角川書店

 

わが闘争(下)―国家社会主義運動(角川文庫)
平野 一郎,将積 茂
角川書店

 私も学生の頃読んだ記憶があります。

 これはミュンヘン一揆に失敗して監獄に入れらていた数年の間に獄中で書かれたもので、ナチズムの怖ろしさはまだそれほど伝わってきません。
 この本はドイツでベストセラーになり、ヒトラーの個人資産は、ほとんどがこの本の印税であったと伝えられます。

 このいわくつきの書物が、近々ドイツで再版されることになったそうです。

 私は結構なことだと思います。
 ナチズムの中核となる思想を一般のドイツ人が読めないのでは、ナチ統治下の反省をするにも、その理由が分らないでしょうから。 

 なぜナチズムはあれほどドイツ民族を熱狂させたのか、また、今なおナチズムに傾倒する者が存在するのか、それを考えるには最高のテキストであろうと思います。

 じつは私も、一時期、ナチ親衛隊の格好よさに憧れていたことがあります。
 黒づくめの制服に、髑髏をあしらった帽子。
 ほとんど漫画のような、おどろおどろしくもスタイリッシュな制服です。

 もちろん、彼らが行った戦争犯罪、人道に対する罪は許されるべきではないでしょう。
 しかし制服に罪はないはずです。

 また、ヒトラーの「我々は世界を焼き尽くす」という発言などは、未熟な少年の心をとらえるに十分な過激さを持っています。

 少年というもの、多かれ少なかれ暴力への志向性を持っているものですから。

 大人になるにつれ、普通は暴力への志向が消え失せ、やがて全てが面倒くさい、疲れたおじさんになってしまうのでしょう。
 今の私がまさしくそういう状態です。

 今更SSへの憧れなんて持ちようもありませんが、今も奇妙なものや不思議なもの、妖しい美を感じさせる芸術や文学は、私にとって最もシンパシーを感じさせる物であり続けています。

 その心性が、私をしてSSへの興味を持たせた原因であろうと思います。
 思想ではなく、パッと見ですね。

 思い起こしてみれば、6歳の時に初めて書いた物語が、「ドラキュラの歯は無い」というタイトルでした。
 年老いて牙を失った吸血鬼の悲しみを描いた作品です。

 三つ子の魂百まで、と言いますが、本当に私は奇妙なものが好きなのだなと、我ながら呆れるばかりです。

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妖かし

2015年02月24日 | 文学

 春は来ぬ。
 空気凛冽なれども、春の気配濃厚たり。
 我、この気配に接し、心躍ることなし。

 ただ、春の気配を怖れるのみ。
 そは、春の魔にして、人をして狂わせ、憂愁に沈めるのみ。 

 春は狂気を孕み、我、その瘴気にあてられざる能わず。

 古人、多く春を怖れるあり。

   春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる

 かくのごとき和歌、生まれざるを得ざる所以のものは、ひとえに春を怖れたるなり。

   わけても春の宵闇に隠れいたるは何者か。
 化け物か、妖気孕む者か。
 我、定かならずといえど、そを感じること甚だし。

 妖気に接し、我、不思議の心地して、我が身が変貌すを感得したり。
 何者に変貌したるか。
 そを表す言葉を知らず。
 ただ妖かしの者に近づきたるを覚えるのみ。

 我、もはや人たることに耐えざるや。
 いっそこの世ならぬ者に変じ、春の瘴気を生み出す元となりたるか。

 我が変貌したる姿、ザムザのごとき醜い虫に非ず。

 毒を隠し持つ、しかれども天女のごとき美しき魔物に他ならず。
 ザムザのごとく野垂れ死にの憂き目にあうこともなし。

 春来たりなば宵闇に紛れ、瘴気を吐かむと欲す。

 瘴気は毒に変じ、春の宵を包みこむ。

 その時こそ我、人に戻ること能はず、ただ妖かしの世界を終の棲家とすべし。

 魔界こそ、我が棲家にふさわしければなり。   


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悪を描く

2015年02月23日 | 文学

   坂東三津五郎が59歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。

 たしか中村勘三郎もそのくらいの年齢で亡くなったと記憶しています。
 当代の人気役者だけに残念ですねぇ。

 

 私は一時期歌舞伎に凝り、わけても尾上菊五郎が贔屓でした。

 顔よし、声よし、姿よし、と謳われていましたが、わりと小柄でしたね。
  しかし江戸っ子の典型的なスタイルは小柄でやせ形ですから、それもまた売りだったのだろうと思います。 

 菊五郎の「弁天小僧」は私が最も好む演目で、お嬢様に化けて呉服屋に入り、イチャモンをつけて金をゆすり取ろうとしたところ、男とばれて、急に大きな伸びをし、着物を脱いで見得を切る場面は歌舞伎屈指の見せ場でしょう。

 歌舞伎の本質は人間だれもが持つ悪を描くことにあろうかと思います。
 善人だったやつがちょっとしたきっかけで悪に落ちたり、あるいは信頼しあった義兄弟を裏切ったり。

悪への招待状―幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ (集英社新書)
小林 恭二
集英社

 それを流麗で耳心地の良い江戸弁でやるのだからたまりません。

 坂東三津五郎は端正な芸風で知られ、私はもう少し崩れているほうがお好みですが、現代劇をも器用にこなす、役者以外の仕事が想像できない人でした。

 ご冥福を祈ります。

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若者

2015年02月23日 | 仕事

 2月も最後の週を迎えました。
 よく言われることですが、2月は3日短いだけなのに、やけに早く過ぎるように感じます。
 そして今日は馬鹿陽気。
 最高気温は17度にまで達するとか。
 これからは時折こんな暖かい日が訪れて、少しづつそんな日が増えて本格的な春を迎えるのでしょう。

 職場では、全員が人事部長になったかのように、4月の人事異動についてああでもないこうでもないと語り始めます。
 滑稽なことです。

 そういえば、土曜日に一杯やった女友達の後輩が、私の職場に就職するんだそうで、世間は狭いと感じました。
 なんでも仕事を頑張りつつ、毎日定時で帰って運動するのだと張り切っているそうで、職場から徒歩圏内にアパートを借りるそうです。

 若い人は夢があって良いですねぇ。

 でも、17時ちかくから打ち合わせが始まったり、15時過ぎにメールで調書が届き、今夜中に回答しろとか、残業は不可抗力ということがけっこうあります。

 私はそういうやむを得ざる場合以外は定時で帰っていますが、私の部署では、私以外全員、部署の長が帰るまでなんとなく待っています。
 そういう雰囲気になってしまいました。
 ひと昔前までは普通のことでしたが、今時珍しい上司です。

 私は空気を読めますが、あえて空気に逆らってしまうという天邪鬼。
 果たして新人、空気に逆らうことができるでしょうか。

 もっとも、全然そういう雰囲気が無い部署もありますので、そういう所に配属されると良いですね。 

 いずれにしろ、私が勤める機関に就職するとは、しかも希望に燃えているとは、疲れたおじさんから見ると、なんともお気の毒です。
 自力で稼いで生きていくということは、そんなに甘いものではありません。

 これから40年ちかく続く木端役人生活。
 私は23年が過ぎて、定年延長がなければあと15年。
 それでも気が遠くなりますが、40年ちかくとは、もはや途方に暮れるしかありませんねぇ。

 前途有望な若者の将来が、幸多いものであることを願わずにいられません。
  
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寂寥

2015年02月22日 | その他

 昨夜は女友達2人と人形町で懐石料理に舌鼓をうち、さらには近くのバーへと繰り出しました。
 
 話題が尽きることはなく、様々に語り合いました。
 それは楽しいに違いありませんが、一抹の寂しさを感じざるを得ませんでした。

 私たちが共同で挑んだ激務からは遠くはなれ、今、別々の機関で働いているという事実が、いかに仲良く過ごした時間を共有したとはいえ、時の流れとともに人は別れていくのだという、絶対的孤独のようなものを感じさせたものと思います。

 もちろん、私たちは今も友人ですし、時折会って話をすることもできますが、それは過去の亡霊に拠るしかないわけです。

 親しい人と会うということには、必ずそういった寂しさが付きまとうのだろうと思います。

 それは友人であれ、親族であれ。

 毎日顔を合わせている家族とはあまりそういった感覚を持ちませんが、しかし考えてみれば、家族との毎日の付き合いに中にこそ、もっとも大きく、激烈な寂寥感が漂うのかもしれません。

 2人とは、再会を約して帰りました。

 また会えることは間違いないでしょう。

 楽しい時間を過ごした後、一夜あけてこんな風に時の流れの無常を嘆かなければならないとは、私も業欲に出来ているようです。

 


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遊園地

2015年02月21日 | 文学

 色川武大の短編に、「少女たち」という佳品があります。
 「離婚」という短編集で読むことができます。

離婚
色川 武大
文藝春秋

 この小説では、訳ありの少女たちと共同生活を送る男が描かれますが、共同生活は終りを告げることになります。
 それを惜しむ少女たちに、男は一言、「もう遊園地は終り」と宣言します。

 少女たちとの幻想的とも言える現実離れした生活とその終りを描いて、少女たちの成長の物語とも、男の孤独を表す物語とも読める、切なくも美しい作品でした。

 今夜、私は日本橋人形町の懐石の店で、15年来の付き合いになる女友達2人と一杯やる予定になっています。
 一応、遅い新年会ということで。

 今思えば、15年前、私が激務を強いられる職場で耐えられたのは、この2人を始めとして、多くの気の合う同僚に恵まれたからだろうと思っています。
 激務の合間に飲みに行ったりカラオケに行ったり。
 私は行きませんでしたが、スキーなんかにもグループで行っていたようです。

 地獄の中の小さな遊園地のようでした。

 1人は都内に1LDKのマンションを購入して一人暮らし。
 もう1人は長いこと内縁関係にある男と暮らし、未だに籍を入れようとしません。

 不思議なもので、社会人になってからできた友人は、女性ばかりです。
 多分男同士だと利害関係や上下関係が邪魔するのでしょうね。
 そういう意味では、5年前、リワークに通っていた頃、社会人になって初めて貴重な同性の友人が出来ました。
 職種も立場も異なっていたからだろうと思います。

 今日会う二人と細々と続いているのは、二人が独身だからかもしれません。
 他の女友達は、ほとんど結婚して子供を授かったため、メールのやり取りくらいで実際に会うことは叶いません。

 私たちの小さな遊園地は、まだ営業中のようです。

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ご隠居サラリーマン

2015年02月20日 | 仕事

  就職してもうすぐ丸23年になりますが、どうしても職場や仕事に慣れることができません。
 もちろん、それなりに経験を積んで知識や悪知恵もつき、立ち居振る舞いもそれっぽくなったとは思います。
 しかし今も、毎朝出勤したくないと思いますし、休みの日が待ち遠しくて仕方ありません。 

 多分、退職するその日まで、この葛藤は続くのでしょうね。 

 思い起こしてみれば、幼稚園へも、小学校へも、中学や高校へも、行きたくない病と闘いながら登校していたように思います。
 唯一大学だけは、気ままに気楽に通っていました。
 それはひとえに、自分が取りたい講義だけを取って、しかもそれは興味があったり得意だったりしたし、自由な時間がたくさんあったからだろうと思います。

 いずれにしろ、3歳で幼稚園に入園してから、もう42年もウィーク・デイにはどこかに通うという生活を続けているのですねぇ。

 我ながらご苦労様なことです。 

 昨年4月に比較的仕事量が少ない部署に異動になって喜んでいたら、部署の長に変な奴が来て、部署の雰囲気は悪いですが、そんなことは気にしなければ良いだけです。
 特に4月に私が長にご注意申し上げてから遠ざけられ、ほとんど干されているような状況ですが、楽でかえって居心地が良いようです。

 それでも、朝は行きたくないですねぇ。

 私は奇妙な物語やこの世ならぬ美を感じさせる美術作品を好みますが、もしかしたら一番奇妙なのは、現実に働いている職場の慣習や雰囲気なのではないかと感じる瞬間がままあります。

 要するに人間というもの、また、人間の集団というものほどおかしな物はないのかもしれません。

 それは何もイスラム国やらカルト教団やら極左過激派などの、反社会的な集団に限ったことではなく、あらゆる集団にあてはまる普遍的事実だと思います。

 そう思えば、組織であるがゆえの奇妙さも、一歩引いて、おもしろがって見ることができるような気がします。

 働かないおじさんになってしまった私は、出世も望めず、重要な仕事を任されることもないでしょうから、ご隠居気分で、職場のさまざまな人間模様を眺めて面白がるくらいしか、出勤する意味は無いように思います。

 それならそれで、ご隠居おじさんとして、のんびりだらだらサラリーマン人生を全うすることにいたしましょうか。

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自立支援

2015年02月19日 | 精神障害

 私は双極性障害により、障害者自立支援法の適用を受け、重度かつ継続と認定され、医療費の自己負担は1割で済んでいます。
 ただし、所定の精神科及び薬局だけで、内科や眼科を受診した場合はこのかぎりではありません。
 この制度、2年ごとに医師の診断書を提出しなければならず、もし著しく回復し、長期の治療が必要ないと判断されれば、打ち切られることになります。

 で、この4月1日が更新時期。
 診断書を区役所に提出してから認定がおり、自立支援の手帳が届くまで1か月から1か月半かかります。
 今日は2月19日ですから、けっこうぎりぎり。

 14時から3時間休暇を取って区役所に隣接する保健福祉センターに行くことにしました。
 半ば仕事ですが、それでも早く職場を出られるのはうれしいですねぇ。

 余裕があったら散髪もしましょうか。
 そろそろ1か月経ちますから。

 診断書を見る限り、なんとなく自立支援の適用外と言われそうな予感がします。
 再発予防のための服薬治療と書かれていましたから。
 自立支援と言いますが、全然自立してますし。 
 
 しかし主治医もプロ。
 認定されるような文言で書いてくれたものと信じます。

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2015年02月18日 | 思想・学問

 低気圧の関係でしょうか。
 なんとなくだるいですねぇ。
 困ったものです。

 精神障害者には、悪天候になると起き上がれないという人が多くいます。

 私の場合、起き上がれないというほどのことはありませんが、なんとなくだるく、眠いのを常とします。

 で、まさに今日がそういう日です。
 それでもとりあえず出勤は出来ているので、だましだまし一日をやり過ごすほかありません。

 それにしても精神の障害というのは難しいものです。
 内臓の病気のように、血液検査などで、どこがどれだけ悪いかといったことを調べることができません。

 精神科医に話をして、精神科医は話の内容、口調、表情などから、おそらくこんな病気で、これくらい重いだろう、と判断して薬を処方するわけです。

 なんとなくもやもやしますね。

 また、患者が正直に状態を話さなければ適切な治療ができませんから、落ち込みが激しかったり、逆に上がりすぎている場合、うまく状態を話すことが難しいでしょう。 

 病的な心の闇を抱えている場合、治療が必要ですが、健常者といえども、何らかの闇を心の奥深くに抱えているものです。

 その闇は、人間を人間たらしめている物ともいうべきで、闇がなければ人間じゃないとすれば、人というもの、よほど因業に生まれついているようです。

 これを根本的に解決する、しかも万人に有効な方法は存在し得ません。
 だからこそ闇なのでしょう。

 文学や芸術は、自然の美を人工的に写し取ることと、心の闇を抉り出すことが、大きな2つのテーマだと思います。
 もちろん、人工美を作り出しつつ、それによって心の闇をあぶりだすという手法も多くみられます。

 ただしそれは、提示するだけで、解決策を探るものではありません。

 人は誰も、それぞれの方法で、心の闇を克服するか、それが無理なら共生していくための魂の漂流を、生涯、続けなければならないようで、それは大層面倒くさいことですが、それこそが生きるということの本質であるような気がします。 

 草食獣であれば肉食獣に捕食されるかもしれないという恐怖、肉食獣であれば獲物が得られないのではないかという不安を抱えていることでしょう。

 人間はもう少し複雑に出来ていると思いますが、恐怖や不安を抱えたまま生きるという意味で、動物と変わりません。 

 これを救おうと宗教や哲学が誕生したものと推測しますが、成功した宗教や哲学を私は知りません。 

 であるならば、人はみな、自分だけの宗教、自分だけの哲学を持ち、己は己独りの力で救うしか、方法は無いように思います。
 それが思想信条と呼ばれるものなのでしょう。

 人はこの困難な闇を克服するか、それが無理なら共存して生きていかなければなりません。

 きついことを言うようですが、私はそう思っています。 

 ではお前はどうやって闇に対処しているのかと問われれば、精神病薬と、わが国の伝統的な文化に拠っているとしか言いようがありません。 

 時の審判を経て生き残った古典などの伝統文化は、闇に対処するための示唆に富んでいるような気がします。

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2015年02月17日 | 仕事

 午前中、珍しく小1時間ほど雪がちらつきました。

 去年はかなり降りましたが、今年はこれが初めてかもしれません。 

 積もるほどではなかったので、余裕をもって、窓外の雪を眺めることができました。 

 積もってしまったら、ノーマルタイヤで出勤した私は今夕と明朝、難儀することになります。 

 退屈な仕事の最中、しばし雪を眺めるのは、心慰む業でしたね。 

 今、昼休み。 

 弁当を食ったら、職員休憩室という名の畳の部屋で、暖房を効かせて、しばし雪女の夢でも見るといたしましょうか。

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ものそのものになる

2015年02月16日 | 仕事

  またもや長い一週間が始まりました。
 3週間続けて年休を取っていないので、今週あたりそろそろ取りたいという欲求が湧いてきます。 

 生まれついての怠け者に出来ているようです。 

 もう何年も前に、働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか」という本を読んだことがあります。
 著者は哲学を研究する大学教員です。

 著者自身が、働くことに何の意味があるのかを考え抜いた結果、生まれた本です。

働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか
中島 義道
日本経済新聞社

 

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社

  ただし、こうしたらやる気が出るとか、やり甲斐を感じられる、といったハウツー本ではありません。
  働くことの意味を考える、簡単な哲学書と言ってよいでしょう。

 この本を読み終わって、私は大いに不満でした。

 何の解決にもなっていない、と感じたのです。

 働くこと、動くことで自分とは何か、を見つけるきっかけになる、なんてなことが書いてあるのです。

 最も重要な、収入を得るということに対する言及がほとんどありません。 

 著者は大学の先生ですから、潤沢な収入を得ているのでしょうが、世の中には非正規雇用で、働けど働けど我が暮らし楽にならざり、という人があまたいると思います。 

 働くことに疑問を感じ、嫌だと思うのは、そういう人が多かろうと思います。

 収入の多寡は、勤労意欲に直結すると思います。

 嫌な仕事でも、報酬が多ければ、自然とやる気が湧いてくるのではないでしょうか。 

 私自身は正規雇用で、同居人も正規雇用。
 年も40代半ばなので、二人合わせればそこそこの収入を得ています。

 ただし、あくまでそこそこ。

 勤労意欲が泉のごとく湧き出るような高収入ではありません。

 そのような状況においては、いくら理屈をこねくり回しても、働くことが楽しくなることも、やり甲斐を感じることもないんじゃないかと思っています。 

 好きなことで食えている人はほんの一部だと思います。

 私は圧倒的多数の、いやいや働くサラリーマンの一人。 

 一発逆転、宝くじでも当たれば、明日にでも退職するのですが。 

 どうも月曜日は愚痴っぽくなっていけません。

 例え嫌々でも、為すべきことに集中すれば、少しは気がまぎれるでしょう。

 まずは目の前の為すべきことに手を付けて、仕事の意味などかんがえないことでしょうね。

  森田療法を確立した森田正馬先生は、そのような状態を、ものそのものになる、と表現しました。

 掃除にせよ布団の上げ下ろしにせよ、為すべきことを、ものそのものになって片づける、その繰り返しにしか生活の本質は無いというわけです。

森田療法を学ぶ―最新技法と治療の進め方
北西 憲二
金剛出版

 

森田療法のすすめ―ノイローゼ克服法
高良 武久
白揚社

 理屈はわかりますが、それが難しいんですよねぇ。

  つまらぬ愚痴にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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