暑くなってから、なんだか疲労が激しいように感じます。
一日働くのが難しいほどに。
夏バテでしょうか?
で、ポポンSとハイチオールC、それにしじみ習慣を相次いで飲み始めました。
最初は全然効いている感じがしませんでしたが、飲み始めて3週間ほど、やっと疲労感が和らいできたようです。
食欲も落ちてきているので、ビタミン剤でしのぐほかありません。
暑いのは嫌ですね。
昨日は日本橋の三井記念美術館に出かけました。
地獄絵ワンダーランドを観るためです。
この美術館、和装で行くと300円割引になることから、当然、夏の着物で出かけました。
昨日の日本橋、やけに浴衣などの和装の男女を多く見かけるなと思ったら、隅田川花火大会の日だったのですね。
昼間は日本橋界隈を冷やかし、夕方になったら隅田川を目指そうということでしょう。
同じ理由で、浅草や銀座にもきっと多くの和装の男女が繰り出したことでしょう。
和装文化復活を願う私にとって、嬉しい光景でした。
地獄絵ワンダーランド、水木しげる先生の地獄絵に始り、様々な時代の地獄絵や、平安時代に書かれた極楽に行くためのハウツー本であり、地獄の有様を活写し、その後の日本人の地獄のイメージを決定付けた往生要集などが展示されていました。
往生要集〈上〉 (岩波文庫) | |
石田 瑞麿 | |
岩波書店 |
往生要集〈下〉 (岩波文庫) | |
石田 瑞麿 | |
岩波書店 |
地獄には八つの階層があり、なかでも最下層の無間地獄には、逆さに落下して到着まで二千年もかかり、到着後は鬼から様々に苦痛を与えられるとのことで、往生要集を読んだ変案じ代の人々は震え上がったことでしょう。
そして当然、極楽往生を強く願ったに違いありません。
もともと怖いお話が大好きな私のこととて、あまりに熱心に観続けたために、すっかり疲れてしまいました。
しかしその動機は、美術鑑賞というよりは怖いもの観たさ。
したがって展覧会場の最後にわずかに設けられた極楽浄土の絵画は退屈なだけでした。
展覧会を観た後は、珍しく、シンガポール料理で昼食。
適度な辛さと、アジア人が大好きな旨味を堪能しました。
その後三越の店内をぶらついて、ベローチェで珈琲を飲んで帰りました。
良い休日になったと満足しているところです。
今日は雨後曇りで、かなり涼しく、過ごしやすい一日でした。
今年は空梅雨でしたが、なんだか梅雨が戻ってきたような。
あぢさゐや なぜか悲しき この命
久保田万太郎の句です。
一般に儚さを感じるのは、桜と相場が決まっていますが。
かの俳人は紫陽花に儚さと悲しさを見たようです。
梅雨時に咲く珍しくも美しい花に、それを感じたんでしょうね。
あまり自分を語らなった三島由紀夫も、紫陽花を好むと言う旨のエッセイがあります。
文人に愛される花なんでしょうか。
私は命のはかなさを紫陽花に感じる心性は持ち合わせてはいませんが、言われてみれば、梅雨時の花というのは、桜のような華やかさと逆の、いわば陰の美しさみたいなものがあるように感じます。
その紫陽花ももう散りました。
やっぱり悲しいような気がします。
久保田万太郎全句集 | |
久保田 万太郎 | |
中央公論新社 |
やまゆり園で障害者19人を殺害した事件から昨日で丸1年ということで、昨日のニュースで大きく取り上げられていました。
もう1年たつんですねぇ。
犯人の27歳の男、元やまゆり園の職員だったとかで、そこでの経験から、障害者は他人を不幸にする存在でしかなく、安楽死させるのが社会のため、と思ったらしく、事件から1年を経てもその考えに変わりはないようです。
まぁ、確信犯でしょうから、そう簡単に信念は変わらないでしょう。
この事件の一報を聞いて思い起こしたのは、ナチが行った障害者の虐殺です。
ナチと言うとユダヤ人虐殺が有名ですが、障害者や同性愛者なども虐殺の対象になっています。
世の中の役に立たない、有害な存在という認識で、そういう考えはじつは結構一般的なのではないかと思います。
しかし、殺されるほうにしたらたまったものではないわけで、現在ではそのような考え方は禁忌とされています。
私自身、今は元気に働いているとは言うものの、30代後半の頃精神障害で長く職場を休んだ経験がありますから、その時期なら殺害の対象とされていたのでしょうね。
怖ろしいことです。
重度の障害があれば、働いたり、あるいは何らかの形で社会貢献することが難しいことは確かでしょう。
しかし、人間は必ずある程度の確率で様々な障害を持った者が生まれるようにできています。
それは多様性を持つことで、千変万化する地球の環境などに適応するために作られた人間の宿命とも言えます。
全員が全員同じ体質では、わずかな変化で人類は滅んでしまいます。
その多様性を担保するための存在で、今現在の環境や社会に適応が難しい人を仮に障害者と呼んでいるだけなのではないでしょうか。
そういう意味では、人間はすべて障害者であるとも言えます。
例えば、一日何十キロも歩いて狩りをするのが当たり前の社会なら、体力の無い私は障害者であるに違いありません。
多様性を重んじるということは、障害者に人権を守るということに直結しなければなりませんし、それでこそ人間が生き残れるというものです。
犯人に反省を求めても無駄なことでしょうから、生涯刑務所に閉じ込めて、無益な殺生を繰り返させないことでしょうね。
昨夜はJホラーを鑑賞しました。
その名も「ホラーの天使」です。
ストレートなタイトルですねぇ。
今は廃校になっている学校。
現在は、スタジオや学校の撮影現場として使われています。
ある夜、女子高生2人が映画の撮影のために待機、アイドル3人がダンスのレッスン、お笑いコンビ2人が漫才の練習のためにここを使用しています。
このスタジオには秘密の地下室があり、かつてここに女子高生が閉じ込められ、以来、地下室に迷い込んだ人を食料として何年も生き残っており、現在も獲物を求めて地下室に潜んでいる、という怪談があります。
そして、アイドル3人と、お笑いコンビ2人が地下室から悲鳴が聞こえてくるのを聞き、地下室に入り、恐怖体験をする、というお話。
同じ晩に別々の部屋でそれぞれがスタジオを使っている、と思わせるような作りになっていますが、さにあらず。
女子高生の女優2人はずっと前に利用しており、女子高生の一人がもう一人を男をめぐる嫉妬から地下室に閉じ込めてしまい、これが怪談の始まりだということが知れます。
さらにお笑いコンビはその少し後の出来事。
アイドル3人はこの二つの事件の概要を知っています。
単純な作りのようでいて、結構見せます。
食人鬼になってしまった元女子高生があまりに化け物じみた姿に変貌し、まるでゾンビみたいになっているのは笑えますが、彼女の苦悩に満ちた地下生活を思えば分からなくもありません。
小品ですが、私は楽しめました。
ホラーの天使 [DVD] | |
葵わかな,恒松祐里,水谷果穂,矢倉楓子(NMB48),藤田みりあ(フェアリーズ) | |
よしもとアール・アンド・シー |
昨夜はDVDを鑑賞しました。
「スケアキャンペーン」です。
一般人を偽の心霊現象などで脅かしてその様子を撮影する人気テレビ番組、「スケアキャンペーン」。
しかし、最近、過激な残酷動画がネット上で流され、「スケアキャンペーン」は押され気味。
そこで、廃墟の病院を舞台に派手な演出の一作を製作しようと画策。
騙すはずの一般人が本当の殺人鬼だった、というのもフェイク。
番組スタッフの一人にだけそれを教えず、恐慌に駆られる様を撮影しようというわけ。
さらにネットで話題の残酷集団が突如現われ、このことはスタッフは知らず、本物の恐怖に陥れられる、というお話。
でも最後には、これもフェイクだったらしいことが示唆され、終わります。
どこまでが本物でどこからが偽者なのかがわからない、騙される快感に浸ることができました。
現代社会への風刺みたいなものも感じられ、見応えがありました。
スケア・キャンペーン [DVD] | |
ミーガン・ワーナー,オリヴィア・デヨング,イアン・メドウズ | |
TCエンタテインメント |
今日はのんびりと自宅で読書をして過ごしました。
読んだのは、湊かなえの「豆の上で眠る」です。
大学生の姉妹。
物語は、妹が大学生の現在の生活と小学生の頃の記憶を追憶する場面が同時並行的に描かれながら進みます。
小学校3年生の頃、姉は謎の失踪をとげ、2年後、ふいに戻ってくるのです。
しかし妹の目には、帰ってきた少女が姉だとは思えません。
姉の偽者としか。
いったいどういうことか、分からないまま物語は進み、唐突に、真実が語られます。
やや強引な感じがする筋立てです。
一気に読んでしまいましたが、ミステリーとしてはやや破綻しているように感じました。
豆の上で眠る (新潮文庫) | |
湊 かなえ | |
新潮社 |
暑くて外に出る気が起きず、DVDを鑑賞しました。
「 LOOP/ループ―時に囚われた男―」です。
ある短い時間を何度も繰り返す、タイムループのSFです。
変わっているのは、繰り返すたびに同じ時間に存在する同じ男が増えていくこと。
一般に、タイムループ物では、過去にさかのぼっても、そこには同一人物が一人だけで、ただその時々で行動を変えていく、というパターンが多いように思います。
この映画はそういうセオリーをガン無視しているので、かえって爽快感があります。
しかもループする時間が、やばい仕事を引き受けながら、ボスを裏切って、ボスに殺されるというへヴィなもの。
最初こそ呆気なく殺されますが、何度もループするうちに、ボスを殺しちゃったりします。
で、複数の同一人物が存在しますので、当然、自分の死体を見ちゃったり、時には自分同士で殺し合いをしたり。
ここらへんは新味があります。
珍しく、ハンガリーの映画です。
盛り上げるべき場面であえて静かに淡々と描くのは、わざとなのか、よく分かりませんが、それがかえってループを繰り返す男の恐怖心を強調しているようにも見えます。
ゲオの先行DVD作品ということなので、今はゲオでしか借りることが出来ないようです。
ラストは、ハッピーエンドでやっとループから抜け出せたのか、と思わせておいて、さらに過去にさかのぼっているらしいことが示唆されます。
まぁ、ここらへんは定番のラストといったところでしょうか。
ハリウッドのSFに比べて、地味で画面も暗めなのが、東欧らしいと感じました。
午後3時過ぎ頃、激しい夕立と落雷に見舞われました。
落雷の影響で、職場は30分ほど停電。
非常用の薄暗い電灯のなか、現代社会は電気が通じなければ仕事にならないのだなと、痛感したしだいです。
先般は九州を激しい豪雨が遅い、大きな被害が出たばかり。
夕立はじきにやみましたが不安に襲われました。
わずか30分ほどですが、電気が復旧したときは本当にありがたいと思いましたねぇ。
梅雨明けはまだ宣言されていませんが、このところの陽気を見るかぎり、もう梅雨はあけているようです。
今年はあまり雨が降らなかったように感じます。
秋の夜長に対して、夏は短夜(みじかよ)と言われます。
夜長に比べて暑苦しいイメージがある季語ですが、夏には夏の風情があり、それを感じさせてくれます。
もっとも、現代ではエアコンが普及していますから、熱帯夜で寝苦しいということもないのではないでしょうか。
私ももう四半世紀ばかり、夏の夜は冷房を入れっぱなしで、寝苦しい夜はせいぜい大学生くらいまでの、昔の思い出に過ぎません。
みじか夜の 残りすくなく ふけゆけば かねてものうき あかつきのそら
「新古今和歌集」にみられる短歌です。
これは夏の夜に恋しい女性のもとに行き、その逢瀬を楽しみながらも、夜の短さを恨むというものです。
新古今和歌集―ビギナーズ・クラシックス (角川ソフィア文庫 88 ビギナーズ・クラシックス) | |
小林 大輔 | |
角川学芸出版 |
恋の歌と思えば、物憂さもどこかメランコリックな心地よさがあるのでしょうが、疲れた中年サラリーマンの私には、そんなロマンティックな味よりも、朝が来てしまい、また出勤しなければならない憂鬱を思い浮かべてしまいます。
私もとんだ野暮天ですねぇ。
そういう見方をすると、物憂いのは季節を問わず。
朝、起きなければならないこと自体が憂鬱なことです。
私にも夜があけるのを惜しむような逢瀬があれば、人生に彩りをもたらすことができるのでしょうね。
しかし、私は結婚して20年目を迎えました。
新しい恋をするような余力は残っていません。
せめてはあまたある恋の短歌でも紐解きつつ、短夜を過ごすといたしましょうか。
昨夜はサイコ・スリラーを鑑賞しました。
「ペット 檻の中の乙女」です。
動物保護センターで働く青年セス。
バスで偶然同級生だったホリーを発見し、声をかけるが彼女はセスを全く覚えておらず邪険にされてしまいます。
悔しい思いをしたセスはフェイスブックなどで彼女のことを調べ上げ、バイト先を突きとめ執拗に彼女に取り入ろうとしますが、相手にされません。
思いつめたセスはホリーの家に侵入し待ちぶせ、帰宅した彼女を拉致し、自分の働く動物保護センター地下の檻の中に監禁。
状況把握もできないまま監禁されたホリーは下着1枚の姿で、ペットさながら飼育されることに。
飼い主気分を堪能していたセスですが、なんと彼女は連続殺人鬼だったのです。
セスの本当の目的は、ペットにして楽しむことだけではなく、彼女に連続殺人を止めさせること。
しかし、彼女の思わぬ反撃にあいます。
ラストは救いのないものでした。
サイコ野郎に拉致監禁される可哀想な若い女、という筋立てで見ていると、見事に騙されます。
その女こそが最悪のサイコ野郎だったわけですから。
夏の晩、恐怖に震えあがりました。
ペット 檻の中の乙女 [DVD] | |
ドミニク・モナハン,クセニア・ソロ,ジェネット・マッカーディ,デヴォン・マクドナルド,ネイサン・パーソンズ | |
アメイジングD.C. |
今日も暑い一日でした。
ららぽーと東京ベイに続いて、今日も涼しくてだだっ広いところへ行って歩数をかせごうと、イオンモール幕張新都心に出かけました。
ここも広い。
ららぽーと東京ベイに比べて、小さな子供が大勢いるように感じました。
巨大ゲームセンターなどがあるせいでしょうか。
フードコートはまさに餌場といった状態で、子供地獄。
阿鼻叫喚の地獄絵図でした。
少子高齢化とは真なのかと疑いました。
巨大なペットショップでは、生後2ヶ月の真っ白いポメラニアンに180万円の値が付いていてびっくり。
しげしげと眺めていたら、店長なる人物がガラスの部屋から取り出して、抱いて見ろ、と勧めます。
そして、しばし営業トークにつき合わされました。
休みの日は着物姿でどこへでも出かけるのですが、明らかにお金持ちと間違われていると感じることがあります。
いつから男が着物姿でいると金持ち、ということになったのでしょうね。
ヴィトンだのコーチだのに入れば、必ず、「素敵なお着物ですね」などと言いながら近づいてきて、何かを売りつけようとします。
まさかペットショップでそれをやられるとは思いませんでした。
とりあえず検討するから店長の名刺をくれ、と言って逃げ出しました。
着物姿での金持ちごっこはいい加減にしないといけませんね。
昨日は巨大商業施設、ららぽーと東京ベイに出かけました。
本当は町歩きを楽しみたかったのですが、いかんせん暑い。
猛暑のなか、外を歩き回ったら倒れてしまいます。
で、冷房の効いた、しかも広いところに行こうと、出かけたわけです。
涼しくて、広くて、色々な商品を冷やかして、食事も出来てカフェもある、なかなか良いところです。
中学生くらいのころ、親に連れられてよく出かけました。
日本で最初に出来たららぽーとだと聞いています。
それ以来ですから、30年ぶりくらいでしょうか。
千葉市の自宅から、高速を使えば30分もかからないのですけれども。
ただし、東京ベイとはいうものの、千葉県船橋市に立地します。
ららぽーと南船橋じゃダメなんでしょうかねぇ。
千葉県には、千葉県に在りながら東京と名づけられた施設があります。
一番有名なのは、東京ディズニー・リゾートでしょうねぇ。
浦安ディズニー・リゾートじゃあ、客が減るんでしょうか。
成田空港も一昔前までは新東京国際空港と名乗っていましたね。
それに東京ドイツ村。
ディズニー・リゾートは川一本隔てただけの、東京に隣接する場所ですが、その他の東京なんちゃらは、結構千葉県の奥深くに位置しています。
千葉県としてのプライドは無いのでしょうか。
私は25歳まで江戸川区の実家で暮らし、その後千葉で暮らし始めてからそろそろ23年になります。
もうじき千葉暮らしのほうが長くなるでしょう。
千葉は適度に都会で適度に田舎。
暮らしやすさという点では、人が多過ぎる東京よりも快適だと思っています。
ただ、肝腎の千葉県民が東京ブランドにおんぶに抱っこでは、志が低いような気がします。
東京には東京の長所短所があり、千葉も同様です。
自ら東京の植民地みたいな名前を付けるのはそろそろやめたほうがよいでしょうね。
3連休前の金曜日。
今日は目が回る忙しさでした。
午前中はひたすら書類仕事。
順調にこなしました。
午後は長い会議。
へとへとです。
忙しさの中にこそ充実感がある、という人もいますが、私はちょっと暇くらいが良いですねぇ。
あんまり暇でも時間を持て余しちゃいますから。
でもきちんと仕事をこなしたおかげで、明日からの3連休は楽しめそうな気がします。
8月1日から職場の喫煙室が撤去され、全面禁煙になることは以前このブログで紹介しました。
そこで、私も少しづつ禁煙を目指すことを決意しました。
とは言っても、いきなり吸わないのは無理なので、7月の間は、職場での喫煙を最小限に抑えつつ、我慢できないと感じたら本物を吸うことにし、極力、JTから発売されている無煙タバコ、ゼロスタイルを咥えてしのぐこととしました。
ゼロスタイル、筒にカートリッジを入れて吸うスタイルです。
カートリッジにはミントの味とニコチンも含まれているそうですが、火をつけないので、タールは0です。
また、電子タバコのように煙代わりの水蒸気も出ないため、まるっきり禁煙パイポみたいです。
カートリッジは1日持ちます。
吸った感じは微妙です。
ミントの味はしますが、喉にガツンと来る感じはほとんどありません。
繰り返し吸うと、少しニコチンぽい刺激があるかな、という程度です。
それでも、普段は職場で10本くらい吸うところ、今日は2本に抑えました。
まずはゼロスタイルだけで我慢できるようにし、しかる後、ゼロスタイルも少しづつ吸わないようにして、最終的に禁煙を成功させたいと思っています。
職場の喫煙室が撤去されるというきっかけがなければ、禁煙なんて考えもしなかったので、喫煙室撤去を恨んでいましたが、気分を変えて、これで禁煙を目指せると肝に銘じる他ありません。