今日で7月も終わり。
今から3週間ほどは、一年で最も仕事量が減ります。
出勤していても夏休み気分です。
今日は休暇を取りました。
今日は急ぎの仕事はないし、会議も打合せもありませんので。
ヒマになるからと言って、私の精神が高揚することはありません。
躁を抑える薬を何種類も飲んでいますから。
本音を言えば、激躁は困りますが、軽躁にはなりたいと思います。
軽躁というのは患者にとって気持ちの良いものですから。
今年の夏休みは8月下旬に土日を挟んで6連休とする予定です。
しかし、遠出する気はありません。
世間ではコロナは収まったような雰囲気ですが、最近また患者が増えているらしいので。
これで3年連続で夏休みの旅行は無しです。
コロナ前は奥日光や那須高原、軽井沢など、避暑地と呼ばれる所によく行ったものですが、最近では予約を取るのも長時間の運転も嫌になってしまいました。
コロナは私の精神を堕落させたと言って過言ではないでしょう。
コロナが収まったところで、私の精神はそのままなのですから。
最近、マスクを外して人に接すると、顔面がひきつったり紅潮したりして困る、という話はこのブログですでに告白しています。
そのことを精神科医に話すと、双極性障害に加えて、社会不安障害も併発したのではないか、という説明を受けました。
社会不安障害は人と接するのが病的に苦手な人のことです。
しかし私は他の多くの双極性障害患者と同様、社交的で場を盛り上げるのがうまく、宴会王と呼ばれていたこともあります。
自助グループに参加していた頃、うつ病患者は暗い印象の人が多く、双極性障害患者は華やかな雰囲気の人が多いように感じました。
まさかその私が、ねぇ。
双極性障害患者は別の精神疾患を併発している人が多いのだそうです。
毎日マスクを着用するのが当たり前になってしまうと、顔を見られことに違和感や羞恥を感じるようになり、そういう人はたくさんいて、主治医自身にもそのような傾向があるのだと言われました。
これには驚きました。
まさか精神科医がそうなってしまうとは。
これが酷くなると引きこもりになって自室から出られないという最悪の状態にもなり得るのだとか。
私は毎日出勤し、生きづらさを感じながらも、仕事に支障を来すほどではありません。
医師は今のままで止まればよいが、悪化の可能性があるので、予防的に抗うつ薬の投与を勧めてきて、双極性障害患者に抗うつ薬は出せないのではないかと問うと、うつ傾向がみられる場合、投与することがある、とのことで、ミルタザピンという薬を加えることになりました。
私が希望した抗不安薬、アルプラゾラムの増量は却下されました。
抗不安薬は依存性が高く、あまり多くの量を飲むと中毒になってしまうからだそうです。
酒みたいなものです。
そもそももう抗不安薬依存に陥っているような気がしますが、仕方がありません。
話は変わって、今日はスバルのディーラーに行ってきました。
私は安心点検パックというのに入っていて、半年に一度無料で点検を受けられます。
車に疎い私には有難い商品です。
ただし、今日は半年点検ではありません。
車検前点検というもので、これも無料です。
車検が切れるのは11月下旬なのですが、車検前点検の案内が届いたのは二週間ほど前で、車検前と言うには早すぎるような気がしますが、そういうものなのでしょうね。
営業から海水浴にはいきますか?、海釣りはしますか?という質問を受けました。
塩害の可能性をみるためなんでしょうね。
真夏に日焼けして泳ぐなんていう愚行を20代半ばまで続けましたが、とっくにそういう悪癖からは卒業しました。
釣りは餌を付けるのが気持ち悪そうで出来ないし、生きている魚が釣りあげられて口をぱくぱく言わせて動いている場面を想像しただけぞっとします。
私は出勤以外、食材の買い出しか散歩でしか外出しません。
まして海になんて絶対に行きません。
コロナ前はずいぶん色々な場所に車で出かけて行っては初めて見る町を歩き回ったり、桜や紅葉の季節には定番のお気に入りスポットに出かけたりしていましたが、コロナ禍のせいで自粛しているうちに散歩ですら億劫になってしまいました。
外出を自粛し続けるというのはよろしくないし、マスクの常用もいけません。
そのいけないことを精神障害者が行えば碌なことにならないと思います。
今日も猛暑で、魚屋と八百屋に買い物に行っただけで、後はひたすら冷房の効いたリビングでゴロゴロしていました。
とは言っても、16時半に4週間に一度の精神科へ診察に行かなければなりません。
車で行くので暑さは感じないと思いますが、それにしても億劫です。
元の主治医が引退して、主治医が代わってから2度目の診察。
お互い様子見といったところです。
今日は職場の電気設備点検のため、臨時のお休みでした。
折角の平日休みなので、運転免許の更新に幕張の免許センターに行ってきました。
以前日曜日に行ったことがあり、駐車場に車を停めるだけでも難儀した覚えがあるため、平日を選んだのです。
作戦は大当たりで、ずいぶん空いていました。
9時に受付を済ませ、視力検査、講習を受け、10時20分には終わってしまいました。
わが国の労働者の多くが日曜日に休んでいることを実感しました。
これであと5年、運転免許は安泰です。
5年後、緑内障の私は視力が落ちていることが予想されます。
今日は眼鏡をかけた状態で左目が0.4、右目が0.9でした。
色々ガタが来ていますが、視野が少しづつ欠損し、視力が落ちていくのが一番怖ろしい事態です。
映画を観たり美術館に行ったり本を読んだり、私の楽しみは目に負うところが大きいですから。
私のすぐ前に並んでいたご老人、視力検査で落ちたようでした。
普通だったら10秒で終わるはずの視力検査に5分近くかかり、挙句、眼科に行ってください、と言われ、すごすごと帰っていきました。
私がその立場だったなら、躊躇せず運転免許を返納するだろうと思います。
目の心配をしながら運転するなんて不安でしょうがありません。
どうか5年後も免許を更新できるだけの視力を保っていたいと切に願います。
私は今までの人生で一度だけ躁状態に陥ったことがあり、そのためにうつ病ではなく、双極性障害と診断されています。
双極性障害というと躁状態とうつ状態を頻繁に繰り返すイメージがありますが、それはラピッド・サイクラーと呼ばれる人々で、実はあまり多くありません。
一度でも躁状態が起きると、双極性障害と診断され、抗うつ薬は使えなくなり、代わりに気分安定薬を主剤とし、抗精神病薬、抗不安薬を補助的に用いることになります。
双極性障害で最も問題となるのが、うつ状態の時に抗うつ薬を使うべきかどうか、という点です。
抗うつ薬の服用は躁転を起こすきっかけになることがあるので絶対に使うべきではないという意見と、気分安定薬を飲みながら一時的に使うのなら構わないという意見があって、決着がついていません。
軽いうつ状態だと思うのですが、2年ちかく、奇妙な状態が続いています。
コロナ禍のため常時マスクをする生活が長引いてから、マスクを外して顔を見られることに強い違和感を覚えるようになったのです。
マスクを外すと、顔面が痙攣するような、紅潮するような、変な感じです。
精神科医に話しても、様子を見ましょうと言うだけで、抗うつ薬を使いましょうという話にはなりません。
主治医が最も怖れているのが人生2度目の躁転だからだと思います。
最近、希死念慮が出始めました。
希死念慮というのはうつ状態の時によくみられる症状です。
自殺したくなるのです。
はるか前、うつ状態の時に苦しめられました。
その時の状態は、頭がトロンとした希死念慮だったように記憶しています。
今は頭がクリーンというか、まともだと思われる精神状態なのに、ふと、死がいともたやすいことのように思われ、もう十分生きたし、これからは衰えるだけで良いことなんて無いだろうと、考えが悪い方に向かうのです。
不思議な感覚です。
気分は落ちていないのに希死念慮にとらわれる感じが一か月ほど続いています。
もちろん、私は自殺などしないと思います。
死ぬのは怖いですし、どんな方法を採ったところで生身の人間が痛みや苦しみ無く死ねるはずもありません。
痛いのも苦しいのも御免です。
さらに不思議なのは、うつ状態の時に感じた希死念慮は苦しいだけだったのに、今の状態の希死念慮は苦しいだけではなく、どこか心地よく感じてしまうのです。
なぜでしょうね。
これは最近起きた症状なので、まだ精神科医には話していません。
次の土曜日が診察なので、これが続くようなら相談してみようと思います。
様子をみましょうと言われるような気がしてなりませんが、専門家は違った見解を示すかもしれませんし。
沖縄出身の学生時代の友人で、今は沖縄県で国語の高校教師をやっている者がいて、毎年この時季に沖縄産マンゴーを送ってくれます。
年賀状は送らないがマンゴーを贈る、マンゴーが来なくなったら死んだと思ってくれ、と言われてから30年以上、律儀にマンゴーを贈ってくれます。
マンゴーなんてほとんど食う機会がなく、なんだか臭そうだと思っていたのですが、沖縄のマンゴーは瑞々しくて果肉がしっかりしており、大変な美味です。
我が家からは千葉名産、落花生を返礼として贈っています。
で、今日は午後そごう千葉店に出かけ、贈答用の落花生のセットを送りました。
その後そごう千葉店に出店しているLOFTで、最近我が家で流行りのちいかわグッズを眺めたりしてゆっくりと買い物を楽しみました。
ちいかわは最初同居人がハマり、その影響で私もネット動画などで楽しむようになったマンガです。
私はひこにゃんが好きだったり、ちいかわにハマったり、幼児が好むようなキャラクターを愛する不気味なおっさんです。
ひこにゃんです。
もちろん、幼児向けのキャラクターばかりではなく、茶道具や和小物なども好んでいますので、そういうフロアも楽しみました。
歩き疲れて椿屋珈琲店で熱いブラック珈琲を飲んで元気になってから、デパ地下で中華弁当を購入して帰路につきました。
良い気分転換になったと思います。
昨年の10月中旬に激しい咳が続き、喘息ということで3日間ほど入院しました。
夜中に咳が続いて眠れず、朦朧としてきて、これは本当にまずいと思い、同居人に頼んで救急車を呼んでもらいました。
そこから翌朝目覚めるまでの記憶がほぼありません。
一晩特別室に入り、朝から一般病棟に移りました。
あの時は本当に心細く、生きた心地がしませんでした。
大病で長期間入院するのはさぞ辛かろうと思いました。
それまで、煙草を毎日一箱程度吸っていましたが、これを機にほぼ止めました。
ほぼというのは、時折吸ってみたりしたのですが、すぐに喉というか気管支の調子が悪化するので、阿呆らしくなり、ここ半年程度は全く吸っていません。
よく煙草を止めると飯が旨く感じるようになり、太ると聞きますが、本当でした。
先般行われた職場の健康診断で、1年間で約5キロ太っていたことが分かりました。
太ったと言っても元が痩せていたので、BMIが標準値になっただけで、むしろ健康になったとも言えます。
ただし油断するとぶくぶく行ってしまうかもしれません。
もう15年も前のことですが、うつ病で休職していた頃、ほとんど動かず、それでいて飯はしっかり食っていたら、20キロ以上太ってしまったことがあります。
抗うつ薬の副作用に太りやすいということがあるので、それもあって肥えてしまったのでしょうね。
内科医からは糖尿病の治療を始めることを検討しなければならないと脅されました。
しかし程なくして父が他界。
そのショックで食欲が極端に落ち、最初の1か月で6キロ、1年間で24キロも体重が落ち、がん患者かエイズ患者みたいになってしまいました。
その後数年その状態が続きましたが、やっと父の死を乗り越えたのか、少しづつ体重が戻りました。
身長と違って体重は減ったり増えたりするのが厄介です。
ただし、増えた時も減った時も、何の努力もしていません。
食いたければ食い、食欲が無ければ食わなかっただけのことです。
禁煙も同様です。
退院後も時折吸っていたのが、いつの間にか吸う気が起きなくなっただけの話です。
これからも肥えたり痩せたりはするのでしょうが、もう煙草を吸うことは無いように感じます。
旨く感じなくなってしまいましたし。
きっとそれは良いことなのでしょうけれど、少し寂しくも感じます。
年を取れば出来なくなることが増えるでしょうから、煙草を楽しめなくなったのも、体調の問題で、これも加齢によるものだと思います。
晩酌は相変わらずやっていますが、少々過ぎると翌朝に残るようになりました。
そのうちほんの少ししか飲めなくなるんだろうと思います。
食欲も性欲も少しづつ落ちていくものと思います。
年を取ると早起きになると言いますから、睡眠欲さえ落ちるのでしょう。
これら欲望の低下は、生きたいという欲望を減ぜせしめ、緩やかに死を受け入れる準備ができ、100歳までも生きたなら、お迎えを切望するようになるのかもしれません。
こればっかりは自分が100歳まで生きてみないと分かりませんが。
緩やかな衰えがいつの間にか始まっているようです。
65歳まで働くとしたら、まだ11年半もあります。
そんなに気力体力が保てるのか今から心配です。
1969年の7月20日、アポロ11号は月に到着しました。
1969年8月22日が私の誕生日ですので、私が生まれる少し前に人類は月に降り立ったわけです。
私の生まれ年と一緒というのは、どうでもいいことかもしれませんが、感慨深く感じます。
関係ありませんが、私が愛する「男はつらいよ」シリーズが始まったのもこの年です。
その時から54年。
54年前、NASAの偉い人は「50年後には月のホテルでカクテルを飲んでいるさ」と嘯いたそうですが、54年経っても宇宙開発は停滞したままです。
多分金ばかりかかって利益が少ないからでしょうね。
1969年と言えば東西冷戦の真っ最中。
米国もソビエト連邦も、利益を度外視した宇宙開発を意地だけで競っていたものと思われます。
きれいなお月様を眺めると、本当にあそこに降り立った人がいたのかと、不思議な気持ちになります。
アポロ11号の搭乗員の他にも、宇宙飛行士はたくさんいます。
立花隆の著作に、彼らのその後を追った「宇宙からの帰還」というドキュメンタリーがあります。
大学生の頃この本を読んで、深い感銘を受けました。
良いドキュメンタリーだと思います。
宇宙を旅した宇宙飛行士の多くが、何らかの神秘体験をしていることが淡々とつづられます。
ある宇宙飛行士は神でも阿弥陀仏でも名前は何でも良いのですが、絶対的な唯一の存在が宇宙に遍在していることを直感し、帰還後は伝道師になったり、別の宇宙飛行士はその強烈な体験に耐えられなかったのか精神的な病に侵されたりと、様々です。
そしてほとんどの宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めることによって、地球は本当にちっぽけな存在であり、その地球上で争いを続ける人間がいかに愚かな存在であるかを実感します。
私が感じたのは、もしかしたら人間は宇宙に行ってはいけないのではないかということ。
人間精神は宇宙での滞在に耐える能力を持っていないのではないかということ。
それが宇宙に行く半端な技術を持ってしまったのは、不幸なことなのかもしれません。
宇宙ステーションに半年も滞在する人々がいますが、彼らのその後を知ってみたいと思います。
もしその詳しい精神上の変化を詳らかにできたなら、人は宇宙へ飛び立つという壮大な夢に、危うさを感じるかもしれません。
それでもなお、宇宙を目指す覚悟があるのなら、人類は人間ではない何者かに変貌を遂げたと言えるのではないでしょうか。
今日の首都圏は熱波に襲われています。
35度超えが続出。
私は12時前に近所の中華屋で冷やし中華を食い、その足で徒歩7分ほどのスーパーマーケットに向かいました。
その7分が暑いこと。
日よけにパナマ帽を被っていましたが、それでも上からの熱が凄まじく、さらに下からコンクリートの熱が容赦なく私を襲います。
ここまで暑いのは近年無かったのではないでしょうか。
盛夏、職場では暑気払いと称して宴会を行うのが恒例でした。
それがコロナ禍で無くなりました。
忘年会も新年会も歓迎会も送別会も。
正直、面倒事が減って嬉しく思っています。
ところが、今年の幹事からコロナが5類になったことから、暑気払いを行う予定だが出席するか、というアンケートがメールで発出されました。
5類にしたからと言って、コロナが大人しくしようなどということはあり得ません。
一説には第9波が始まっているという話もあります。
私は時期尚早だとして、暑気払いの開催には反対する旨返信しました。
今、職場では会議室からアクリル板を外すとか、マスクの着用は任意とするとか、会議はなるべく対面でとか、明らかにコロナが収まったという前提の動きが加速度をつけて始まっています。
私は拙速に過ぎると思っているのですが・・・。
3連休の中日。
猛暑に見舞われました。
それでも、昨日一日家でごろごろしてかえって疲れたので、涼しい巨大ショッピングモールを歩き回ろうと、車に乗りこみ、幕張を目指しました。
同じ千葉市内、20分ほどで到着。
10時20分です。
それから色々な店を冷やかしながらひたすら歩いて気が付いたら16時30分。
ほとんど一日、幕張イオンモールで過ごしてしまいました。
久々の1万歩超えで、満足です。
今日はお昼に蕎麦屋に行き、帰りに魚屋と八百屋に行った以外は、ひたすら家でごろごろしていました。
もう何度も観たというのに、「昨日何食べた?」という中年ゲイカップルの日常を淡々と描いた深夜ドラマをNetflixで観たり、ソファで昼寝をしたり。
思えばコロナ前は休日にこういう過ごし方をしませんでした。
真夏であれば大型ショッピングモールに出かけて歩数を増やしたり。
とにかくよく出かけていました。
しかしコロナは私の生活を一変させました。
出かけるということが極端に減り、毎年夏に避暑地に行っていたのが、今ではもう面倒くさくなりました。
会議がほとんどオンラインになったり、宴会が無くなったりと、職場での変化も大きかったですが、プライベートも変わりました。
コロナが終息しても、もう前のようにはならないのではないかと思います。
職場の宴会なんて面倒くさいばかりでつまらないし、会議のためだけに飛行機に乗って遠くへ出張するなんて旅費の無駄です。
私自身は、コロナ前のような元気は出ないかもしれませんが、もう少し活動的になりたいと願っています。
先般タレントのRyuchellさんが27歳の若さで自殺したというニュースが飛び込んできました。
私はこの人についてはテレビで数回見たことがあるだけで、どういう生い立ちで、どのような人物なのかは知りません。
ただ、おかまっぽい見た目や仕草なのに、結婚して子供がいるということに驚かされた記憶があります。
女性に恋をしたのは奥様が初めてだと言っていたので、限りなくゲイに近いバイセクシャルだったのだろうと推測します。
もう20年も前のことになりますか。
職場の後輩が27歳で自殺しました。
過度の仕事量がストレスになったものと思います。
と言うのも、私が彼の前任者だったため、その席がどれほど多くの仕事を抱えているかよく知っていたからです。
ただし、量が多いだけで、難易度は極めて低かったと記憶しています。
それが、私が精神をやられなかった最大の原因だと思います。
自殺願望はうつ状態がひどい時に私を襲い、身辺整理を始めたことがあります。
しかし、あまりにも怖くて断念しました。
Ryuchellさんと言い、後輩と言い、27歳で自殺してしまうその心情には深く同情します。
ただ、仕事が苦痛なら辞職するなり引退するなりすれば良いのに、と思います。
おそらくは極度の抑うつ状態に襲われ、精神科を受診しようという正常な判断が出来なくなり、死ぬことがたやすいことのように感じ、絶望のなかで亡くなったのだろうと思います。
じつにやれません。
私がうつ状態に陥った時、精神科医は生きているだけで尊く、意味のあることなんだ、と説きました。
自殺防止の出まかせかと感じました。
うつ状態は遠い昔のことになりましたが、人間は生きているだけで尊く、意味がある、という考え方には今に至るも同意できません。
結局のところ、人はどう自己を評価するかによって、尊いかどうかが問われるのではないでしょうか。
それはもちろん社会的に成功して金や名誉を手に入れることでありはしないでしょう。
誇り高く、気高く、自己肯定感を強く持って生きられれば、その人が他人にどう評価されようと、その人生は尊いものになるのでしょう。
Ryuchellさんのご冥福をお祈り申し上げます。
最近、なんとなく精神的に弱ってきていることは何度かこのブログで報告しました。
うつとか躁とか、分かりやすい症状ではなく、気持ちが焦り、焦るがゆえにかえって仕事に手が付かないという困った状況です。
出勤は続けており、焦燥感を感じながらも最低限のことはこなし、ダメだと思ったら担当関係なしに若い部下に振っています。
こんなことを続けていたら、いわゆる働かないおじさんに認定されてしまうでしょう。
最近、記憶力が落ちてきたと感じます。
自分でやった仕事ですら、細かい部分を覚えていなかったりします。
10年前には考えられなかった事態です。
また、ここ数年の間に就職してきた若い人たちの顔と名前が一致しません。
これはマスク着用が3年にも渡って続いていることが大きな理由でしょう。
また、今はマスクの着用は個人の判断にゆだねられていますが、日本人特有の同調圧力のせいか、マスクを着用している者のほうが圧倒的に多い状況です。
もちろん天邪鬼の私はマスクの着用が任意とされたその瞬間からマスクを外し、ゴミ箱に放り込みました。
これは快感でしたね。
マスク着用を続けたことと、会議や打ち合わせがほとんどオンラインになったことは、私の精神状態を悪化させる大きな要因になったと感じています。
目から上しか見えない、いわば仮面をかぶったような人々の群れを見、しかも自分もそれに加わっていることは、疾病流行のためとはいえ、不気味で、気持ちの悪いものでした。
また、オンラインによる会議は便利なものですが、対面で話すと人の脳は活発に動き出すのに、オンラインではあまり動かないそうです。
そういった人間の情動がある一瞬を境に断ち切られたことも大きいと思います。
仮面をかぶった人々の群れ、心通わぬ打合せや会議の連続は私を不安に陥れ、社交不安とでも呼ぶべき状態に至ってしまいました。
精神科は代替わりで主治医が変わったばかりですが、前の主治医も今の主治医も、マスクの長期着用は精神疾患を抱える者だけではなく、精神的に健康である人々にも影響を与えている、とびおさんはもともと精神疾患があるのだからその影響を受けるのは当然で、様子を見る以外方法は無い、と言います。
精神病治療はここ数十年でたくさんの薬が開発され、その効き目はかつての物にくらべて刮目すべき効果を上げています。
薬の調節がうまくいけば、大抵の精神病は寛解にまで至ります。
しかし服薬による治療は対症療法であり、根本的な治療ではありません。
認知行動療法とか、森田療法とか、タッピングとか、根本治療を謳う治療法もありますが、私にはまったく効果がありませんでした。
これらの治療法で快癒する人がいるのは事実のようですが、私にとっては質の悪い新興宗教のようなものでした。
私には、西洋医学による服薬治療だけが頼りで、だからこそ今現在の危機にも薬で対抗しようと思ったのですが、主治医が言うには、抗うつ薬を使うしかないが、うつ病ならともかく、双極性障害の患者に抗うつ薬を投与すると躁転してしまう可能性があるため使えない、とのことでした。
そもそも躁転のきっかけの一つは、うつ病と診断されて抗うつ薬を大量に投与したことにある、とか。
私は今躁状態もうつ状態も抑える気分安定薬と、もともとは幻覚や幻聴、妄想等を抑えるため、主に統合失調症患者に処方されていたところ、双極性障害の気分の浮き沈みを緩和する作用があることが判明した抗精神病薬、それに不安や緊張を抑える抗不安薬を飲んでいます。
これに抗うつ薬を加えることは、精神科医によって見解は異なるようですが、一般的には禁忌とされているそうです。
ということは、今までどおり気分安定薬、抗精神病薬、抗不安薬の3種類で現在の危機に立ち向かわざるを得ず、正直自信がありません。
躁転が少しでも疑われる事態に至ったらすぐに服用を中止する、という条件で抗うつ薬を処方してほしいと思っているのですが、それは治療方針の大転換であり、検討する余地はあるが最低数か月は様子を見る必要がある、と新主治医は言っていました。
精神病発症から18年。
寛解に至って15年くらい経ちますが、精神というか脳というか、心の偏りは簡単には良くならないもののようです。
やれやれ。
今日は休暇を取りました。
用事があったわけでも体調が悪かったわけでもありません。
私の職場では、計画的に休暇を消費しないと、人事担当部署から休暇を取るように勧告されてしまうので、勧告される前に休んだだけです。
暑くて外に出る気にはなれず、一日、冷房の効いた部屋で過ごしました。
一人で過ごす一日というのはつまらないものです。
私がどれほど同居人に依存していたかを痛感させられます。
ほぼ一日、ごろごろしていました。
そんな風に過ごしていると、碌なことを考えません。
この世からおさらばしても良いほど十分に生きたような気分になってきます。
しかしそれを実行する勇気はありません。
さて困ったと思ったら、死刑になるのも悪くないと思いつきました。
でもそのためには誰かを殺害しなければなりません。
そんなことは出来ようはずもなく、私の頭はぐるぐる回りました。
最近、何となく体調がすぐれません。
なぜだか変に気が焦り、落ち着かないのです。
こんな状況に陥って数か月経ちます。
4週間に一度精神科に、3週間に一度内科に通っており、そのことを話しても様子を見ましょうと言われるだけ。
いつまで様子を見ればよいのやら。