「論語」に、「四十而不惑」と、あります。
私はもうじき四十ですが、惑いっぱなしです。
「四十にして惑わず」などと、信じられません。
仕事が込めば惑います。
旨いものを食いたいだの、たっぷり寝たいだの、可愛い女と遊びたいだの、小説で世に出たいだのと、煩悩の塊です。
十五で学を志したとか、三十にして立った、とか言うのは理解できます。
しかし、四十にして惑わずというのは、理解できません。
果たしてこの現世に生きる生身の人間が、不惑の境地を迎えることなどありえましょうか。
まして、五十にして天命を知るとか、六十にして耳順うとか、そんなことが私の心に起こったなら、驚天動地の大事件と言わざるを得ません。
そんなことは、仏教で言う魔境と言うべきです。
儒者を疑う気はありませんが、私の素直な欲望に照らして、そう思います。
その時を待たなければいけませんが、年をとるなど、私には、ただずうずうしくなっていくだけのような気がします。
私の日常をふりかえってみると、単純な仕事に日を暮らし、安焼酎で夜を過ごす、まさに酔生夢死としか言いようのないものです。
そもそも凡夫の暮らしとはそうしたものかもしれません。
しかし、なんとなく物足りなさを感じます。
何事かをなしてこその人生ではないか、と思います。
ただ、双極性障害を抱えていますので、何事かをなそうとすると、私の精神は激しく反応し、躁転してしまう可能性を秘めています。
せめて古人の智恵に学ぼうと、古典文学や仏書漢籍などに親しんでいます。
禅の見性成仏といい、浄土の念仏三昧といい、仏教は仏書に親しむだけでは駄目で、行を日常のものにしなければならないと説いています。
けれど私は仕事と精神病でひどく疲れてしまい、行など到底不可能なのです。
凡夫の悲哀を感じる日々です。
一週間の疲れか、朝からひどくだるく、ごろごろしていました。
夕方、診察がありました。
朝体がひどくだるく、食欲がない、という話をしたら、抗うつ薬として、レスリン25mが追加されました。以前、うつがひどい時は、レスリン75mとジェイゾロフトとドグマチールを飲んでいました。
最近は躁転を恐れて、抗うつ薬はドグマチールだけにしていたのですが、また抗うつ薬が増えてしまいました。
これで少し上がってくれれば、ありがたいと思います。
先日、北杜夫がテレビに出ていました。北杜夫は躁鬱病を抱えながら、長い作家生活をおくってきたそうです。途中、躁のときに株に手を出して破産したとか。それでも、老境にいたるまで人生を真摯に生きたことに、驚嘆を禁じえませんでした。
やっと金曜日の夕方になりました。
今週もしんどい一週間でした。
それでも、休まず出勤しています。
それだけは、よくやった、と思います。
私は精神病を患ってから、世を捨てた気分でいますが、本当に世を捨てることは不可能です。出家隠遁したところで、完全に世を捨てることなどできはしますまい。要はどう世間と付き合っていくか、ということでしょう。
西行の歌に、
世の中を 捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ 我が身なりけり
というのがあります。
漂泊の隠遁者のイメージが強い西行ですが、いくら旅を重ねても、結局は京の都に帰ってしまった、とのことです。
北面の武士という地位を捨ててまで出家した西行ですらそうなのですから、サラリーマンの私が世を捨てたなど、ちゃんちゃら可笑しいというものでしょうか。
森鴎外は、小学校入学以来、軍医として陸軍省に勤務している状態にいたるまで、自らの生活を、「芝居をしているかのようだ」と言っています。演出家は世間、自分は役者というわけです。
そして、深夜、読書や執筆に励む自分を、化粧を落とした状態だ、とも。
それなら、もはや芝居で活躍できなくなった私は、数奇者として生きる他ありません。
鴨長明は、「発心集」で、「数奇」を、「人の交わりを好まず、身の沈めるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入を思ふに付けて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬを事とす」と、説明しています。
現代では、その語感から、「色好み」とする向きもありますが、それは字が違います。
職場で腫れ物扱いされている以上、せめて拙い化粧を落とした私は、数奇を気取りましょう。
朝、体調がすぐれません。
職場に行くのが億劫で、憂鬱です。
毎朝、今日は休もうと思いながらギリギリまでベッドから離れられず、それでも、長期の休職を恐れてなんとか出勤しています。
職場に着いてしまえば、憂鬱な気持ちも多少はやわらぎますが、それでも、調子が良いとは言えません。
今日は、私が事務を担当していた重要な会議の日でした。
今は、いそいそと会議に向かう人をただ見るだけ。
事務は、かつての私の直属の上司が代行しています。
私は書庫にこもって、本の整理をするしかありません。
元直属の上司には重い負担をかけています。
自分が情けないような。
しかし、それでも私は、今与えられた仕事を淡々とこなして、その日ぐらしを続けるほかないのです。
その日のことだけ考えて、明日のことは考えない。
その日、無事に仕事ができればいい。
私は毎日、念仏のように、「その日ぐらし、その日ぐらし」と、となえています。
ただ一杯の晩酌だけが楽しみです。
昨日は高輪周辺を散歩しました。
品川駅で降りて高輪方面へ向かい、明治学院大学を覗き、日本で唯一の火の見櫓が現存する高輪消防署を見て、高松宮邸・泉岳寺に向かいました。
写真は泉岳寺の山門です。
赤穂義士の墓には多くの線香が手向けられ、寺域一帯で線香の香りを聞くことができました。
さらに芝公園・増上寺まで歩き、都営三田線の御成門駅から帰りました。
じつに一万七千歩の大散歩でした。
平日働き、週末に散歩する、良いリズムができてきました。
ただ、毎日書庫で古い和綴本などを扱っているせいか、少々鼻づまりです。
昨日は気分転換に柴又周辺を散歩しました。
帝釈天の参道にある天婦羅屋で天丼を食い、帝釈天を参詣してから寅さん記念館を冷やかし、矢切の渡しで渡し舟に乗りました。
渡し舟は、古色蒼然とした小さな船で、船着場も古臭く、なんだか歌舞伎の世界のようでした。
陽気が良かったせいか、たいへんな人出でした。
秋の一日を、たっぷりと楽しみました。
毎月一度開かれている精神障害者の自助グループ「ささえあいの会」に出席しました。
初めて来た方で、統合失調症の息子さんを持つお父さんが、深刻でした。息子さんは妄想にかられ、家族に暴力をふるうため、措置入院させた、とのことでした。しかも息子さんには病識がなく、不当に入院させられた、と家族への憎しみを深めているそうです。
まずはしっかりと病気を自覚して、自らの意思で治療にあたらなければ、治癒は難しいでしょう。
幸い、私は自分の病気を自覚しているので、治療を行えています。
できれば私がその息子さんにピュアカウンセリングをしたい、と思いました。
一週間の疲れがでたのか、風邪気味です。鼻がつまって、腰が痛みます。
今日は風邪薬を飲んで、のんびりしていました。夕方になって、大分良くなりました。明日か明後日は活動的に過ごしたいと思います。
やっと週末ですね。先週の水曜日に復職してから、今までのところ休まず出勤しています。きちんと出勤して迎える金曜日の夜は嬉しいものです。
今日は出勤10日祝いと称して、焼酎を飲もうと思います。
それにしても感じるのは、体力・気力の衰えとともに、あらゆる物事に対する好奇心の喪失です。
もう野球も相撲も興味ありません。小説を読むことも、映画を観ることも、面倒くさい。これが老化なのか、躁鬱によるものなのか、わかりません。
生きることに、喜びを感じません。
しかしそれでも、死なない以上、生きなければなりません。
そのことに如何なる意味があるか、分かりません。
仕事に戻ってもなお、私は迷妄の森を彷徨っています。
昨日歩き回って疲れたせいか、今日は一日のんびり過ごしました。
出勤を控えた日曜日の夕方というのも、七ヶ月ぶりです。
もっと憂鬱になるかな、と思っていましたが、そうでもありません。
今はまだリハビリ出勤中だからかもしれません。
さわやかな秋晴れだったので、代官山まで車を飛ばし、散歩しました。代官山周辺の店を冷やかし、西郷山公園で一服し、目黒川沿いを歩き、旧朝倉邸を覗いて、代官山に戻りました。
写真は、目黒川です。
東京の実家に住んでいた頃は、用もないのに都内をふらつくことはほとんどありませんでしたが、千葉に引っ越してからよく都内に出かけ、ふらふらと歩き回っています。
気分は永井荷風ですかね。
リハビリ出勤を開始して三日、なんとか勤めました。
書庫内での軽作業という、学生のアルバイトのような仕事です。初日ほどの疲労感はありません。
私がこれまでにこなしてきた仕事から比べれば、じつに簡単な仕事で、内心忸怩たるものがあります。
しかし、この世は仮の宿。現世での仕事の中身にこだわることも、ありますまい。
私はただ、生きていければ良いのです。
今日は復職を祝って、焼酎ロックで一杯やりましょう。
今日から復職しました。
とりあえず来週いっぱいは午前中のみの半日出勤です。
今日は辞令をもらって、軽作業を行いました。
軽作業とはいえ、ひどく疲れました。前途多難です。