ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

年賀状

2013年12月23日 | その他

 一昨日年賀状を購入し、今日やっつけて、先ほど投函してきました。

 私が45枚、同居人が55枚でちょうど100枚ほど。
 面倒な年末の雑事です。
 止めたい止めたいと思いながら、今年も出してしまいました。

 昨年は喪中であったため、喪中葉書を出しただけで、喪中葉書に一言書きなんていりませんから、楽でした。

 我が家は毎年、筆王で同じデザイン。
 真ん中の干支のイラストを変えるだけです。

筆王Ver.18 [ダウンロード]
ソースネクスト
ソースネクスト

 

筆王Ver.18
ソースネクスト
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 宛先も登録されているものを出力するだけなので簡単ですが、面倒なのが一言書き。
 そんなことしなくても良さそうなものですが、それを書かないとどうにも味気ないですからねぇ。

 かの夏目漱石も、毎年末、年賀状を止めようと考え、しかしそのために断りの葉書を出さなければならないと思って止められなかったと聞きます。

 でも一回断りの葉書を出してしまえば翌年からは何もしなくて良いから楽なはずですが。

 結局、浮世の義理を切り捨てることは、愚かな人間社会に生きている以上、万やむを得ざる仕儀というわけでしょうか。 

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傘寿

2013年12月23日 | その他

 畏れ多くもかしこくも、今上陛下にあらせられましては、本日、80歳の誕生日を迎えあそばされました。

 80歳といえば、傘寿
 の略字、が八十に見えることによると聞いたことがあります。

 15歳を表す志学や40歳を表す不惑などと異なり、特に意味はありません。

 これはおそらく、かつて、80歳まで生きる長命の人はごくわずかで、年齢による役割を求められることがなかったためと推量します。

 定命は天の知るところ、人の知るところではありません。
 知ってしまえば、死刑判決を受けたようなもので、怖くて日々の雑事をこなすことが出来なくなるでしょう。

 しかし、どう頑張っても120歳を超えて生きることは不可能であろうということくらい、子供でも分かっていること。

 さらに、圧倒的多数の人々は90歳を迎えることが出来ません。

 また、私は就職して22年目になりますが、同じ職場で現職のまま亡くなった先輩や後輩は7人を数えます。
 二人は自殺、五人はがんや脳梗塞などの病気です。
 病気のため定年を待たずに退職した人となると数え切れません。
 彼らがその後どうなったか、知りません。

 そう考えてみると、還暦を迎えることがき出来ない人もけっこういるのだとわかります。

 私の定命がいくつなのか、当然わかりませんが、40代も半ばに近づいていることから、おそらく半分は過ぎているのだろうと思います。

 寿命を意識するのはまだ早いのかもしれません。
 しかし、激しいうつ状態にあった時、死は極めて親和的に、私の背後に寄り添っていました。

 誰が言いだしたのか、

 四十五十は鼻たれ小僧、七十八十は花盛り、九十でお迎え来たならば、百まで待てと追い返せ

 という戯れ歌がありますね。

 これは奇跡的な長命の人にしか当てはまらない、現実社会ではありえない一種のファンタジーだと思いますが、こういう気迫でもって生きよ、という警句なのだろうと思います。

 死神と添い寝していたようなうつ状態ももはや遠い昔になりました。

 私は今なら、死神を寄せ付けない気迫を保ち続けることができるように思います。

 もし近寄ってきたなら、百まで待てと追い返しましょう。

 そしてまた、今上陛下にあらせられましても、百まで待てと追い返しあそばすことを祈念いたします。

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