ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

エンド・マーク

2013年05月31日 | その他

 私が愛聴するバンドに、サンタラという気だるげでブルウジーな曲調を得意とする歌い手がいます。
 「バニラ」でスマッシュ・ヒットを飛ばしたとき、私が受けた衝撃は強烈で、きっとわが国を代表する歌い手になると思ったのですが、デビューから10年以上、根強いファンはいますが、なかなか大ヒットには恵まれないようです。



 醒めた曲調が好まれないのでしょうか。
 しかし、必要以上に暑苦しい歌を歌うよりも、現実を生きる多くの人々は醒めているわけですから、もう少し支持されても良さそうなものです。

 サンタラに、「サイモンの季節」という曲があります。
 残念ながら、動画サイトを探したのですが、この曲だけアップされたものは見つからず、ライブのダイジェスト動画に、わずかにみられるだけでした。

 

 その中に、ママが話した「The Strawberry Statement」、あたしたちは映画じゃないから、ラストシ-ンやエンドマークもあり得ないという歌詞があります。

 The Strawberry Statement」とは、わが国では「いちご白書」というタイトルで知られた往年の青春映画です。

Strawberry Statement (1970) [DVD]
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 世界中で学生運動の嵐が吹き荒れた狂乱の政治の季節を生きる米国人学生、サイモンが主人公です。

 団塊の世代の人々は、なぜか、あの狂気じみた時代を、郷愁とわずかな感傷を込めて語りますが、要するに若さのエネルギーを体制への不平不満にぶつけただけの話で、そこには高度な思想も、改革への意志もなく、ちょうど酒やマリファナでひと時の快楽に耽る若者となんら変わりありません。

 それは良いとして、あたし達は映画じゃないから、ラストシーンやエンドマークもあり得ないという歌詞、これは間違いです。

 人は必ず命を失います。

 これがエンド・マークでなくて何なのでしょう。

 仮に魂が不滅で、死後の世界が存在したとしても、現世での生にエンドマークを打たない人間は、100%存在しません。

 そしてまた、死の直前には、ラスト・シーンが必ず存在するはずです。

 私が26歳の時、祖母が亡くなりました。
 その時はなんとも思いませんでしたが、昨年の3月5日、父が亡くなったのは堪えました。

 3月4日に入院先にお見舞いに行った時は、わずかながら意識があり、最後の言葉を聞くことができました。
 私にとっては、これが父のラスト・シーン。

 そして翌日、父ははかなくなってしまいました。
 これがエンド・マーク。

 浅草寺病院の個室から見える、雪がちらつく浅草寺の五重塔があまりにも美しく、悲しみと強烈な痛みを伴って、今も鮮やかに思い起こされます。

 まさしく映画のラストシーンとエンドマークのようでした。

 その後に続いた一連の通夜や葬儀のことは、よく覚えていません。

 火葬場で、親戚どもが握り飯を頬ばっている姿を見て気持ち悪くなり、お茶を飲んだら戻してしまったことだけは、よく覚えています。

 父の死後一か月で体重が5キロ落ち、一年間で24キロ落ちたことは、このブログでもたびたび紹介してきたところです。

 誰もがいつかは死ぬと知っていながら、それが今日や明日のことだとは思わずに呑気に生きているように見えます。
 私自身もそうです。

 「古今和歌集」にみられる存原業平の辞世、

 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを

 は、多くの人の実感に近いのではないでしょうか。

新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
高田 祐彦
角川学芸出版

 私もいずれラスト・シーンを迎え、ついにはエンド・マークを降ろさなければならない日がきます。
 それは必ずしも近い将来ではないかもしれません。
 しかし、それは必ず訪れます。

 できれば私は、両親や家族に祝福されて始まったファースト・シーンのようなにぎやかなものでなければ良い、と思います。

 死期を悟った象がいつともなく、どこにともなく去って行くように、誰に看取られることもなく、できれば遺体も発見されないまま、もしかしてあの人はどこかで生きているのではないか、という幻想を持たせたまま、どこまでも孤独に、静かに消え去っていけたら、と夢想するのです。

 でも現代社会では難しいでしょうねぇ。

 体中にチューブを通され、延命治療という名の地獄を通過しなければ消え去ることもできないのだとしたら、医学の進歩とは罪なものです。

High&Low
Harry Richman,砂田和俊,田村キョウコ,Peter De Rose,Jo Trent
Palm Beach

 

バニラ (CCCD)
サンタラ,田村キョウコ,砂田和俊,森俊之
エピックレコードジャパン

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入店拒否

2013年05月31日 | 社会・政治

 「五体不満足」で有名な乙武氏が、某飲食店を予約していたところ、行ってみたら車いすに対応できないとかで入店を拒否されたことが、ネット上で問題になっているようです。

五体不満足
乙武 洋匡
講談社



五体不満足 完全版 (講談社文庫)
乙武 洋匡
講談社



 乙武氏がツイッターなどで店名を明らかにして抗議したことがその発端だとか。
 店側もツイッターで謝罪して和解となったようですが、店側は予約の時点で車いすだと教えてくれれば対応できた、と反論し、乙武氏もその点は非を認めているようです。

 ややこしいのは、当事者同士が和解した後、店を誹謗中傷するような書きこみや、逆に身体障害者である乙武氏が明確にその情報を伝えなかったことに非があり、有名人であることに甘えているのではないか、など、乙武氏に非があるとする書き込みが寄せられ、ついには国会でも問題になったとか。

 元々はちょっとした行き違いだったと思われますが、ネット上ではよくあることですが、問題が大きくなってしまったようです。

 近年改善されてきたとはいえ、わが国のバリアフリーはまだ道半ば。
 ちょっとした段差でも、車いすにとっては大きな障害になります。
 これは早急に改善されるべきですが、何事もそうですが、多額なお金を必要とするため、つい後手に回ってしまうというのはよくあることです。

 乙武氏が堂々とその姿をメディアにさらし、様々な発言を行っていることには尊敬の念を覚えます。

 なかなかできることではありません。

 身体障害にしても、精神障害にしても、知的障害にしても、あるいは民族差別や宗教差別にしても、差別される側が行動に出なければ、物事は解決しません。
 健常者やあるいは差別的意識を持った人々が、自ら反省して差別的態度を改めることはほとんど期待できず、社会常識の変化などにより、自覚を促したり、あるいは罰則を設けたりするほかないのが実情です。

 悲しいことですが。

 私は差別的意識は希薄だと思っていますが、それでも知らず知らずのうちに差別的言動を取っている可能性は否定できません。

 今回の一件が、身体障害者だけでなく、あらゆる差別的待遇に甘んじてきた人々の待遇改善につながることを期待します。

 
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復活

2013年05月31日 | その他

 昨日は死ぬほどだるく、10時半に早退してしまいましたが、これが功を奏したようで、今日は朝から元気です。

 昨日は昼寝を4時間もしたうえ、夜も20時には床につきましたから。

 滋養のある物を食うより、栄養ドリンクを飲むより、薬を飲むより、何しろ睡眠をたっぷり取るのが疲労には有効なようです。

 嘘か真か、肉体的疲労は眠らなくても横になっているだけで大分回復するが、脳の疲労は眠らないと回復しないと聞いたことがあります。
 私のような、脳が疲労しやすい精神障害者にとって、たっぷりの睡眠は死活的に重要というわけです。

 それに今日は金曜日。
 明日明後日はのんびりできます。
 それを思うだけで、元気が出るというものです。

 ただ、明日は午前10時からマンションの理事会なんですよねぇ。
 通常の年であれば、30分もかからないのですが、今年度は8月から12月にかけて大規模修繕があるため、その契約書を交わすために、四苦八苦しています。
 請負業者の住友不動産が契約書の案を何度か提出しているのですが、その都度、条文に矛盾があったり、単純な誤字脱字が多かったり、一言一句チェックしなければならず、理事会は2時間以上かかります。

 もうちょっと住友不動産内部で詰めた物を持ってきて欲しいのですが。

 3日ほど前、契約書(案)がポストに入っており、明日の理事会までに目を通しておいてくれ、との依頼文がついていました。
 今夜か明日の朝、片手に赤鉛筆、片手に電卓を用意してチェックしなければなりません。
 契約に瑕疵があれば、住民から突き上げを喰らうのは住友不動産ではなく、我々理事会ですから。

 嫌な年に理事に当たってしまったものです。

 やれやれ。


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食うため

2013年05月30日 | 仕事

 大金が欲しいのは誰もが同じでしょうが、精神障害を発症して以来、生涯遊んで暮らせるだけの大金が欲しいという欲求が、日増しに高まっています。

 8時間労働の達成は、かつて全労働者の悲願でした。

 労働組合などの激しい運動の結果、今、私の労働時間は1日7時間45分にまでにいたりました。

 それは人類がたどり着いた叡智というべきで、私は先人の努力によって、今のような待遇を受けられているわけです。

 それは誠に喜ばしいことですが、どこまでも貪欲な私は、働かずに食っていける境遇を想像せずにはいられません。

 例えば夏目漱石が描いた「それから」先生
 金持ちの次男坊が、高等教育を終えながら仕事をせず、書生まで置いて人妻との不倫などを楽しんでいます。

 この作品によって、当時、高等遊民という言葉が流行りましたね。

それから (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

 

それから [DVD]
夏目漱石
東映ビデオ


 松田優作藤谷美和子を迎えて森田芳光監督が映画化し、その静かなせりふ回しが印象的な、佳作でした。

 また、亡くなった作曲家の父親の印税で暮らし、女遊びに明け暮れている中年男を描いて優れた味わい深いコメディとなったヒュー・グラント主演の「アバウト・ア・ボーイ」

アバウト・ア・ボーイ 【ベスト・ライブラリー 1500円:ラブ・ストリー&青春映画特集】 [DVD]
ヒュー・グラント,トニ・コレット,レイチェル・ワイズ,ニコラス・ホルト,ビクトリア・スマーフィット
ジェネオン・ユニバーサル



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 そのような遊び人の生活を謳歌できるのはごくわずかな恵まれた人だけだし、私はそういう境遇に無いことはよく分かっています。

 だからこそ、日々、ほとんど時間の浪費としか思えないくだらぬ仕事に精を出し、涙金程度の月給を得る生活を、22年も続けているのです。

 22年間も、平日は朝から晩までつまらぬ仕事に追われる生活を続けながら、私は今も仕事の何たるかを知らず、相も変わらず限られた人生の貴重な時間を、食うために無駄に浪費しているように思えてなりません。

 それを言ったら、ほとんどすべての人々が、生きるために根源的な疑問を問うこともなく、日々の仕事をこなしていることは重々承知しているつもりです。

 しかし、私はこの世でたった独りの掛け替えのない存在で、他人と比較すること自体馬鹿げています。

 したがって、他の多くの人がつまらぬ仕事で時間を浪費していることをもって、お前も同じように我慢しろということは、私という存在の掛け替えのなさを考えれば、お門違いというものです。

 私が夢想するのは、LOTO7でも、ジャンボ宝くじでも、なんでも良いですから、偶然に大金を得て、仕事などというつまらぬものから解放され、全ての時間をおのれ独りのために使う贅沢な生活です。

 でもそんな僥倖が起こるはずもありません。
 私は少なくとも定年までの17年間、社会の変化によっては生きるために65歳まで、時間の浪費を続けるのでしょうね。

 昔から、食うために生きるのか、生きるために食うのか、という根源的な疑問を端的に現す言葉がありますね。
 少なくとも今の私は、食うために生きているとしか言いようがありません。
 食うために生きることを良しとするか否かは、おそらく人類永遠の課題だと思います。

 私としては、どういう方法でか、食うために働くという死ぬほどつまらぬ生活から逃れる僥倖が訪れることを、願ってやみません。

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END アナザーファイル

2013年05月30日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は午前10時半に早退し、帰宅したのが11時くらい。
 それから倒れこむようにベッドに横になり、目が覚めたのが15時半。
 なんだかさっぱりして、お隣のGEOにDVDを借りに行きました。

 観たのは、「END アナザーファイル」です。

 いわゆるゾンビ物ですが、近頃ゾンビ物というとコメディに走るものが多いなか、これはゾンビ物のような、戦争映画のような、意味深長な作りこみになっていました。

 南米、チリの工業地帯で、ゾンビ・ウィルスが発生します。
 チリ軍は掃討作戦を行いますが、失敗。
 工業地帯周辺をフェンスで囲み、封鎖します。

 作戦失敗から15年後、チリ政府はわずかな傭兵を雇い、二人の化学者も同行させて封鎖地区の調査を行います。

 途中、ゾンビ・ウィルス感染者のみならず、封鎖地区が故郷であるとして頑強に避難を拒否する武装した地元民にも襲われ、傭兵たちは疲労の色を濃くしていきます。

 誰が本当の敵なのか、傭兵にもわからなくなってしまい、やがて疑心暗鬼に凝り固まった傭兵たちは、互いに殺しあう凄惨な事態が発生します。

 そんな中、強力なゾンビ・ウィルスに感染しながら、発症していない少女を発見。
 化学者も傭兵も殺害することを主張しますが、じつは傭兵の隊長である大佐が密かに命令を受けていたのは、この少女を生きたまま連れ帰ること。
 少女を巡って傭兵同士の殺し合いが始まります。

 部下たる傭兵、化学者をすべて失いながら、大佐は少女を担いで封鎖された地区の入り口にたどり着き、門を開けるよう要求します。

 しかし、チリ政府の意を受けた門の司令官たる中佐は、少女を引き取った後、傭兵の大佐を殺害してしまいます。

 少女が何者なのか、最後まで明らかにされませんが、おそらくはその少女を徹底的に調べて、ワクチンを作るのがチリ政府の思惑なのではないかと思います。

 傭兵の大佐の独白がところどころに挿入され、人類滅亡の危機を示唆しながら、映画は戦争映画のような激しいアクションによって、エンターテイメントの仮面をかぶっています。

 単なるゾンビ物には留まらない、深い味わい雰囲気を醸し出す映画に仕上がっています。

 これはもはや、近未来を暗示する文芸作品と言っても良いのではないかと思います。

 気楽に楽しめる作品ではありませんが、深い滋味のある佳品であると感じました。

END アナザー・ファイル [DVD]
クリスチャン・ラモス,ギレルモ・アルファロ,パブロ・トゥルネル
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だるい

2013年05月30日 | 精神障害

 なんだか今日は朝から体が重く、動きが緩慢なのが自分でも分かるような感じでした。

 それでも出勤すればどうにかなるかと思い、無理して定刻に出勤しました。
 しかし、どうにも体が重く、精神的にも不安が強くて、ふらふらしてまともに歩けないような状態だったため、ここは無理せず帰ったほうがよいと思い、10時半で早退しました。

 思い起こしてみると、昨夜、寝る前に飲む抗うつ薬を飲み忘れていたのですよねぇ。
 こういうことがあると、普段あなり効果を意識していない薬が、かなり効いていたのだと実感します。

 今後は薬の飲み忘れには気を付けたいと思います。

 午後は横になってのんびり過ごしたいと思います。
 

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監査

2013年05月29日 | 仕事

  今日は図らずも監査法人による監査のため、2時間の残業になってしまいした。

 会計検査院の検査ほどではないにしても、会計監査というのは面倒くさいものです。
  ただ、監査が入ることにより、書類はきれいに整い、過去のミスが見つかるので、これはこれで結構なのかもしれません。

 以前、宇宙科学研究所が、うん千万円もするロケットを資産管理せず、消耗品として扱っていたことが問題になったことがあります。

 私の業界では、50万円以上の物品は資産、10万円以上50万円未満の物品は少額資産として資産管理台帳に記載して管理することになっています。

 それが、ロケットを消耗品とは、なかなか度胸があります。
 しかし、ロケットの性格を考えれば、打ち上げてしまえば戻ってくることはなく、消耗品と言えば消耗品かもしれません。

 また、京都大学霊長類研究所では、猿を資産管理しているという話を聞いたことがあります。
 猿一匹がどれほどの値段なのかは知りませんが、資産と言えば資産かもしれません。

 時代は進化し、かつてのように金額だけでそれを資産と定義づけるのは難しくなっていることは確かでしょう。
 例えば、10万円に満たない物品は消耗品ということになっていますが、タブレットやPCには、10万円に満たないものがたくさんあります。
 すると管理上、ボールペン1本と同じ管理をすることになり、それは現実に合わないような気がします。

 今は皆無になりましたが、かつては会計検査が行われれば、必ず検査官を接待していました。
 検査官の中にはとんでもないやつがおり、かつて、オールド・パーの口開けしか飲まないというふざけた野郎がいました。
 すなわち、オールド・パーをボトルで注文し、ボトルから一杯目を注いだなら、次は1本目にたっぷり残っていながら、2本目を頼んで、口開けだけしか飲まないのです。

 他にも、おから工事を発見するため、検査官には建物を破壊して調査する権限が与えられており、二言目には「ぶっ壊すぞ」と叫ぶ気ちがいじみた検査官がいました。
 「壊せるものなら壊してみろ」という言葉をぐっと飲み込み、検査官のご機嫌を伺うのです。

 さすがにこの10年ほどは、綱紀粛正の嵐が吹き荒れ、そんなふざけた検査官はいなくなりましたが、それでも会計検査院の検査は木端役人たる私には、なかなかへヴィな仕事です。

 それに比べれば、監査法人は私たちの職場が総合入札方式によって、金額だけでなく、様々な観点から点数を付けて落札した監査法人を雇っているわけで、純粋に不正経理や不適切経理を探す会計検査院よりは、ずいぶん気楽です。
 何しろ相手は、こっちが雇った業者に過ぎないわけですから。

 監査法人監査、会計検査院による監査、文部科学省による監査、さらには内部監査など、最近は監査のオンパレードです。

 組織は監査がなければ必ず不正を働くとでも言うのでしょうか。

 これほどの監査の連続には、疑問を禁じざるをえません。 

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職場のツイッター

2013年05月29日 | 仕事

 遅まきながら、私の職場でも広報の一環としてツイッターを始めることになりました。

 ただし、あらゆる問題に関する意見、見解は載せず、事実を羅列するだけのようです。
 例えば何月何日にこういうイベントがあります、ということを淡々とつぶやくだけのようです。
 
 しかも、フォローはしない、リツイートもしないということで、これでは見たけりゃ勝手に見ろみたいな話です。

 お役所仕事ですねぇ。

 なんだかやっつけ仕事のような気がして仕方ありません。

 まぁ、別の部署が担当しているので、私としては何も否やはありませんが。


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マナー

2013年05月29日 | 社会・政治

 中国の掲示板に、ある鉄道会社で改札の仕事をしている者が、日本人と中国人のマナーを比較するスレッドを立てたそうです。

 中国の高速鉄道では、切符と身分証明書を示さなければならず、外国人であれば切符とパスポートを示すため、すぐに何人かわかるそうです。

 列に割り込み、我先に突入しながら、切符も身分証明書も用意しておらず、その場で探し始めて時間を食い、後ろの客に文句を言われると逆切れして喧嘩を始め、収拾がつかなくなるのが中国人の典型。

 一方、前もって切符とパスポートを両手に持って同時に示し、駅員にお辞儀をしてホームに向かうのが日本人だそうで、客が日本人だとほっとするそうです。

 それに対し、掲示板では、1000年たっても中国人のマナーが日本人並みになることはない、という諦めに似たコメントや、最近北京などの都市部では路上で痰を吐く人が激減しており、着実にマナーは向上している、という頓珍漢な書き込みがなされているとか。

 わが国で路上に痰を吐く人なんて、まず見かけることはありませんがねぇ。

 台湾独立運動の続けながら、なぜか数年前日本に帰化した評論家の金美齢は、台湾生まれの台湾育ちで、大日本帝国が去って中華民国が台湾を支配するようになった時、小学生だったそうですが、中国本土から来た教師が、教室内で平気で痰を吐く姿に驚愕するとともに、強い嫌悪感を持ったそうです。

 さらには、初めて水道の蛇口から水が出るのを見た中国本土から来た兵隊が、金物屋に行って蛇口を買い求め、壁にさして、「水が出ない」と金物屋に文句を言う者が続出したというから驚きです。
 水道に繋がっていなければ水が出ない程度のことが、なぜ想像できないのでしょう。

 そこらへんは、小林よしのり新・ゴーマニズム宣言SPECIAL   台湾論」に詳しく紹介されています。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論
小林 よしのり
小学館



 大日本帝国の支配に慣れていた人々は、「犬が去って豚がきた」と、中国本土から来た兵隊や警察官を毛嫌いしたそうです。

 マナーというのはお国柄が現れ、マナーの良さという意味では、おそらく世界一じゃないでしょうか。

 世界一多くの観光客を受け入れているフランスでは、最近、それが日本人観光客なのか中国人観光客なのか、一目でわかるようになった、と言います。

 例えば美術館などでは、撮影禁止の絵画の前でポーズをとって写真を撮り、作品を碌に観ず、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら去っていくのが中国人。
 静かに絵画をじっくり鑑賞し、そっと去っていくのが日本人だそうです。

 フランスの観光業者に言わせると、一言で言えば、日本人はエレガントであり、中国人は騒々しいということのようです。

 わが国でも若い者が挨拶しないとか文句を言う中高年を見かけますが、マンションに住んでいて思うのは、挨拶しないのは中高年の男性が圧倒的に多く、むしろ子どもや若者は礼儀正しいように思います。
 商店や病院などでクレームをつけている醜い姿をさらしているのも、中高年が多いように感じます。

 そうであるなら、若者には今のままでそのまま成長してもらい、中高年こそおのれの行状に注意すべきでしょう。

 世界一のマナー大国であり続けるために。


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告白

2013年05月28日 | その他

  私はよく告白されます。

 それは何も、恋情の告白に限ったことではありません。

 初めてそれを意識したのは、22歳、新人の頃でした。

 管理職のかばん持ちで出張に同行した晩、二人で飲んでいて、中年の管理職が突然告白を始めたのです。
 彼は初めての管理職となって文部省から出先機関にやってきたのですが、部下の係長も課長補佐も年上で、舐められないために詳細な職場の情報を手帳にメモし、どんな質問にも答えられるよう心掛けていると言うのです。

 また、課長たる自分が残業していては部下が帰りにくかろうと、毎日定時で帰っているが、家でいつも部下たちが自分の悪口を言いながら一杯やっているのではないかと疑心暗鬼にかられている、とも。

 一番下っ端の22歳の自分にそんなこと言っていいのかなと思いましたが、その後もその管理職の告白は続きました。
 私は黙って話を聞き「課長を嫌っているやつはいるかもしれませんが、課長を馬鹿にしているやつはいませんよ」と言うのが精いっぱいでした。
 若くして出世するのも大変だと痛感させられました。

 その人には後に私と同居人の仲人を務めてもらいました。
 今も、時折飲んでいます。

 また、私には10人以上、同世代の女性の飲み友達がいます。

 不思議なことに、男の飲み友達は学生時代の友人だけです。
 社会人になると、どうしても上下関係や年齢に縛られ、男同士が友人関係を築くのは難しいようです。

 彼女たちと私を結び付けているのは、ごく薄い恋心に違いないと思っています。

 私は、この人とは長く友達でいたいと思ったら、決して手を出すようなことはせず、軽い恋心を伴った飲み友達として付き合うようにしてきました。
 結果的に、微妙なバランスを保ちながら、長い付き合いになっています。

 逆に言えば、どうでも良い女性には、簡単に手を出すという悪癖が、若いころにはありました。

 今思えば鬼畜ですねぇ。

 中には私が紹介した男と結婚した者もいます。
 少し寂しくはありますが、それが結果的に私との結びつきを強めていることは間違いありません。

 そこで気付いたこと。

 なかなか結婚に踏み切らない女性には、初めての男が忘れられない、というパターンが非常に多いのです。

 そういった女性は、気心の知れた既婚の私を前にして、安心したように、涙ながらに切ない心情を訴えます。
 私は黙って相手の気が済むまで語らせ、一言、「惜しいことをしたね」と言うのです。

 よく、男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる、という言説を耳にします。
 しかし私の飲み友達を見るかぎり、それは当たっていません。
 女は最初で最後の女になりたがる、というのが真のような気がします。

 同居人は、私の飲み友達たちを見まわして、どれも美人ぞろいで、あたしが一番ブスだ、などとつまらぬことをぬかします。

 私が飲み友達に見込んだ女性は美形が多いことは認めますが、同居人は私にとって特別であり、それは外見の美醜を超えたところにあります。
 美醜を超え、魂の奥の奥で共感しあえる、世界で一人の女王様なのだと思います。
 それを説明しても、なかなか納得してもらえないのは、私としては遺憾としか言いようがありません。

 飲み友達の中には、明るそうな外見とは裏腹にとてつもない闇を抱えた女性がいたり、酔った勢いで抱き着いて来たり、甚だしきにいたっては、「奥さんと別れてあたしと結婚してほしい」などとふざけたことを言い放った者もいます。

 しかし私は、飲み友達としては明らかなルール違反の発言には黙して応えず、何事もなかったかのように、また、ルールを守る飲み友達として接するのです。

 かつて20代だった飲み友達も、みな40代になり、それは私が40代なのだから当たり前ですが、以前のようには気楽に飲みに誘えなくなってしまいました。

 それぞれ家庭を持ったり、出世したりして、20代の頃のようにはいきません。
 いずれ、完全に関係性は切れてしまうことでしょう。
 それは寂しいに違いありませんが、人間が成長する過程で必ず起こることであることも事実です。

 たとえば小学校で親友で、一生親友だと誓ったところで、互いの事情がそれを許さず、しだいに疎遠になり、ついには音信不通になるのはよくあること。
 それは中学でも高校でも大学でも同じこと。
 友達というのは、じつに呆気ないものです。

 だからこそ人間は、婚姻届という紙きれ1枚に重要な意味を持たせ、半ば強制的に関係性を特別なものにして、家族を持つのでしょう。

 人間は他者を恋うる本能を持っており、それは如何ともしがたいことですが、私は遠い将来、離婚しようと思っています。

 同居を続けたままでもいいから、離婚して、それぞれ一個の独立した人間となって、おのれに始末をつけたいと思っています。

 人間おぎゃぁと生まれる時も、息を引き取る時も独りぼっち。
 
 人間という存在が持つ根源的な孤独は、隠しようがありません。

 そうであるならば、人生の最期の数年間、孤独に暮らしながら、来し方を振り返り、おのれの最期におのれ独りがどう決着をつけるかを静かに考える時間が欲しいと思うのです。

 

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もっとたくさん食べさせたい

2013年05月28日 | 社会・政治

 大阪でなんとも痛ましい事件が起きてしまいました。

 母子二人の遺体が発見され、餓死と見られているそうです。
 遺書らしきメモに、最後にもっとたくさん食べさせてあげられなくてごめんね、と書かれていたとか。
 電気もガスも止められ、現金もなく、二人は亡くなったのです。

 夫のDVから逃れ、実家にも居場所を知らせなかったのは、実家経由で夫に居場所がばれることを怖れたものと推測されます。
 生活保護などのセイフティ・ネットを利用しなかったのも同じ理由のようです。 

 亡くなってしまったものはどうしようもありませんが、腹を空かして衰え、亡くなるまでの絶望的な時間を、どう過ごしたのかと思うと、やり切れません。
 子どもは何か食わせてくれと哀願したことでしょうし、それに応えられない母親の心中を思う時、私はただ、沈黙する他ありません。

 DVに対する恐怖が、母子をどこまでも追い詰めてしまったのですね。

 
 私は基本的に身内と喧嘩することはありません。
 議論することはありますが、喧嘩にまでエスカレートすることは考えられません。
 大体身内と喧嘩するほどの理由など、何一つありません。

 ごく幼い頃を別にすれば、兄弟喧嘩も親子喧嘩もしたことがなく、当然夫婦喧嘩もしたことがありません。
 したがってDVなる行為におよぶ男の心境が理解できません。

 私はよく同居人から外弁慶だと言われます。
 家では大人しいのに、外に出ると必要以上に偉そうにし、場合によっては喧嘩も辞さないからです。

 ただし、感情を爆発させるような喧嘩は経験がありません。

 現代社会のルールに従って、最も効果的な方法で、冷静に、紳士的に相手を追い詰めることを得意としています。

 かつて職場の上司が理不尽なことをほざいた時、私は直ちに法律事務所を訪れ、弁護士を通して謝罪と経済的補償を求め、それは認められました。

 社会のルールにのっとって効果的に相手を責めるというのは、そうしたことです。

 DV野郎のやり方は、下の下としか言いようがありません。
 DV野郎には、世の中がどう出来ているかをよくよく学んでほしいと思います。


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暴動

2013年05月28日 | 社会・政治

 わが国で阪神淡路大震災が起きた時や、東日本大震災が発生した時、外国のメディアはわが国では混乱の中でも人々は冷静で秩序を守り、暴動も略奪も起きないことを賞賛する報道をして、逆にわが国のマスコミはそんなことがニュースになるのかと驚いて諸外国が伝えるニュースを報道していました。

 わが国においても、古くは関東大震災の時など、朝鮮人虐殺などが起こり、必ずしも常に秩序を守っているわけではありません。

 一方、幕末、隅田川花火大会に出かけた米国政府関係の米国人は、このような人ごみの中で、みな、「ちょっとごめんなさい」、「ありがとう」などと笑顔で声を掛け合い、極めて秩序だって花火を楽しんでいることに驚愕の念を覚え、米国人であれば乱闘や暴動が起きているだろう、と日記に書き記し、この小さな島国は将来米国にとって脅威になるだろうと、見事な予言を残しています。

 このたび、移民大国のスウェーデンで、刃物を持ったポルトガル系の移民が警察官に射殺された事件をきっかけとして、移民による大規模なデモが発生、ついには手当たり次第に車に火を放ったり、略奪に及ぶなどの暴動に発展し、それは6日も続いた、という一報を耳にしました。



 スウェーデンは人口の15%が移民で、もはや移民抜きでは国家が成立し得ない状況になっています。

 米国のようにそもそも移民もしくは侵略者の子孫ばかりが住んでいる国家と違い、欧州諸国やわが国のように、もともと同質性が高い国家にとって、移民というのは魅力的ではありますが、処方を間違えば社会不安を引き起こす可能性がある劇薬です。

 人が嫌がるような仕事でも移民は生きるために引き受け、それら安い労働者を求める欧州の先進諸国は、数十年前こぞって移民を受け入れました。
 しかし移民も2世、3世となれば、それぞれの国の生まれながらの国民であり、当然教育を受け、より有利な職を求めるのは当然で、そうなってからお前ら国に帰れとはとても言えません。

 そこで今、欧州諸国では移民排斥を訴える右派政党が支持率を伸ばしているというわけですが、自業自得というか、問題の種を蒔いたのはそれぞれの政府です。

 わが国は幸いにして、大規模な移民受け入れを行っていません。
 今後少子高齢化が進み、労働人口が減少しても、安易に移民受け入れに舵を切るのは剣呑というべきでしょう。

 私は日本国が経済的、軍事的、政治的に衰退するのだとしても、移民受け入れで事態を打開しようとすることには反対です。

 大量の移民流入によって、わが国社会の高度な同質性が崩壊し、強固な異文化コミュニティが各地に生まれることを怖れます。

 それが杞憂で済まないであろうことは、現在の西欧諸国が移民の問題に苦しんでいることからも明らかです。

 移民に関しては、賛否両論があります。
 賛成・反対の双方の言い分を知る必要があります。
 それには以下の2冊が簡便でよろしかろうと思います。

移民不要論
佐伯弘文
産経新聞出版

 

人口激減―移民は日本に必要である (新潮新書)
毛受 敏浩
新潮社



 今回のスウェーデンの事件、わが国の将来の政策を考える一助にしてもらえたらと思っています。


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金時山

2013年05月27日 | その他

 先ほどテレビ番組で、元気に稼ぐおばあちゃんの特集を放送していました。

 その中で、箱根の山にほど近い金時山の頂上で山小屋を経営する80歳のおばあちゃんが登場していました。

 なんと、14歳から80歳の現在にいたるまで、年中無休で山小屋を開いているというのです。

 山頂は登山口から2時間ほどと、比較的低いものですが、当然電気は通っておらず、夜はろうそくの明かりで過ごすそうです。
 住んでいる場所は山小屋の屋根裏。
 わずか2時間で登れる山とあって、宿泊施設は無いそうです。
 近隣で採れるなめこなどをこれでもかと入れたきのこ汁が名物だとか。



 休日には3千人、平日でも千人もの人が山頂の金時茶屋を訪れるそうで、儲かってウハウハでしょうねぇ。
 ただ、いくら儲かっても、年中無休では山を下りることもままならず、金を遣う機会とて無いでしょうねぇ。



 なんでも元は両親が経営していたところ、14歳の時に父親が他界、病弱だった母親に代わって金時茶屋を守るようになったとか。

 66年間、ひたすら山頂で登山者に暖かいきのこ汁を提供し続けてきたのですねぇ。

 ちょっと想像しにくい人生です。

 その間、テレビも洗濯機も冷蔵庫も無い生活を送ってきたとは驚きです。

 病気になっても細くて足場の悪い山道を下りることはできないでしょう。
 まして亡くなったりでもしたら、遺体を焼き場に運ぶことも困難でしょう。

 その困難を当たり前のこととして引き受け、おのれの運命を甘受して暮らしてきたことは、賞賛に値するものです。

 私はと言えば、職場のエレベーター横に貼ってある、3階までは節電と健康のため階段を使いましょう、という紙をせせら笑い、何のための文明の利器じゃ、とばかり、2階に行くにも地下1階に行くにも必ずエレベーターを使う軟弱者で、山登りなんて考えただけで笑ってしまいます。

 しかし人は生まれた時代、地域の影響から逃れることはできません。
 この惰弱な私ですら、金時山の頂上で生まれ育てば、自ずと違った人生を生きたことでしょう。

 近頃、リタイアした団塊の世代を中心に、登山がブームだとか。
 2時間で登れる程度の山ならきっと健康維持に役立つでしょう。

 山ガールと称する登山好き、もしくは登山者風のファッションを好む若い女性も増えているやに聞き及びます。

 それを聞いて思い出すのは、80年代ににわかに現れた陸(おか)サーファー。
 都会の真ん中で、使いもしない巨大なサーフボードを持ち歩く愚か者たちです。
 あんな大きい物を。
 邪魔でしょうに。

 私はただ、おのれの楽を求めながら、苦しい人生を歩む人々を眺めて喜ぶほかない愚か者なのです。

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TV講義システム

2013年05月27日 | 仕事

 私の職場では、TV会議システムというものを導入し、関係する他機関とTVを使って会議を開催しています。

 それとは別に、TV講義システムというものをこのたび概算要求し、それが通ったため、導入することになりました。
 そのシステム導入の旗振り役をしてきた機関の情報担当者が今日の午後私の職場を訪れ、仕様の説明、導入する部屋やエレベーターの採寸をし、こちらも様々な要望を行いました。

 これが今導入されているTV会議システムより格段に優れている点は、パソコンやタブレットなどを使って、1対1の打合せでも、最大240名までの会議や講義にも使える点と、TVにプラスして電子黒板を導入し、電子黒板に書かれた内容がそのままそれぞれに機関に設置された巨大な電子黒板にも、また、パソコンやタブレットなどの端末にも表示され、逆にパソコンやタブレットにメモしたことをTV講義システムに載せて参加者に見てもらうことも、また、クローズにして自分だけが見られるメモとしても使える点です。

 時代は進んでいますねぇ。

 うん千万円もかかる調達で、いわゆる政府調達と呼ばれる大型の契約になります。

 政府調達とは、かつて世界貿易機関が主催するウルグアイ・ラウンドで主要先進国等が合意した調達方法で、官報に和文と英文の入札公告を掲載し、広く世界の企業の参入を促すもので、公告期間も通常の一般競争入札よりもはるかに長く、参加しようとする企業が仕様に不満がある場合には苦情を申し立てることができ、その場合には苦情処理委員会なるものを立ち上げなければならず、公的機関の契約事務を担当する者にとってはたいへん面倒な手続きが必要で、嫌がられています。

 私もかつて、契約事務を担当していた頃、何回か行ったことがありますが、思い出したくも無い瑣末な面倒事に巻き込まれたことを思い出します。

 私は今、契約事務を担当していませんので、他人事ではありますが、分厚い仕様書を見ただけで不快な思い出が甦ります。

 わが国も多大な恩恵を受けている公正で自由な競争のためとはいえ、面倒な手続きを考え出したものです。


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野心のすすめ?

2013年05月27日 | 思想・学問

 流行作家の林真理子「野心のすすめ」なるエッセイを発表し、これがたいそう売れているそうです。

 読んでいないので何とも言えませんが、タイトルからして読む気が起きません。
 アマゾンのレビューを見ると、大分評価が分かれているようです。

野心のすすめ (講談社現代新書)
林 真理子
講談社



 ひどいのになると、著者の単なる自慢話に過ぎない、とこきおろしている者もいれば、感銘を受けた、と感激している者もいます。

 賛否両論が分かれるからこそ問題作なのかもしれませんねぇ。

 しかし元々のわが国の伝統的価値観から言えば、野心を持つということはあまり褒められたことではありません。
 せいぜい明治維新後、クラーク博が札幌農学校の生徒に「Boys, be ambitious」と発破を掛けたりして、立身出世を良しとする風潮が生まれて後のことと思われます。
 また、「少年よ、大志を抱け」と訳されることが一般的ですが、ambitiousという言葉には清廉潔白なイメージはなく、野望とでも訳したほうが原意に近いものと思われます。

 わが国では、仏教的価値観から、欲望などの執着を捨て、道を求めることを良しとする風潮が長く続き、今もそれはわが国の人々の精神の奥に脈々と受け継がれています。

 中曽根政権下、朝飯のおかずはめざし一匹だったという清貧のイメージがある土光敏夫臨時行政調査会長がもてはやされたことなどに見られますね。
 もっとも、土光敏夫はお金持ちだったはずで、単にめざしが好きだっただけではないかと思いますが。

 そんな中、「野心のすすめ」とは挑発的なタイトルを付けたものです。
 しかもそれで大儲けするのですから、まさしく野心の塊のようなおばさんです。

 人間にはもとより強い欲望があります。
 性欲・食欲・睡眠欲は人間が生き延びるために是非とも必要な欲望ですが、それ以外にも、出世欲、名誉欲、金銭欲などがあり、これらが社会を構成する重要な要素になっています。
 同業他社と熾烈を極めた競争を繰り広げるのは、社会的に生き残るため。
 社内で激しい出世争いは地位や名誉や高給を得んがため。
 これらの欲望がなくなれば、人間社会は成り立たないこともまた事実。

 しかし私は、精神障害を発症してから、そういったことに何の興味もなくなりました。
 お釈迦様が規定した4つのの人間本来が持つ苦しみ、すなわち、生・老・病・死の解決には、これらの欲望は役に立たないばかりか、有害でさえあります。

 しかし人間というもの、本来的に欲深ですから、なかなか執着を捨てることも道を求めることもできません。
 だからこそ、鴨長明「発心集」を書いて人々に発心の重要性を説いたのでしょう。

方丈記 発心集 歎異抄 現代語訳
三木 紀人
学灯社

 私は何も発心して出家しようとまでは思いませんが、愚かな欲望からは抜け出し、出来る範囲で道を求めたいと思います。

 なかなか困難であろうとは思いますが。


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